
人は、「本物の感情」を求めているのか
AI時代の人間たち ④
最近、SNSを見ていると、時々わからなくなることがある。
これは、その人自身なのだろうか。
それとも、“その人らしく見せるための人格”なのだろうか。
加工された写真。
演出された日常。
AI補正された文章。
丁寧に設計された「共感」。
今、人間は、
「本当の自分」を発信しているというより、
“本物らしい自分”を編集して発信している気がする。
しかも不思議なのは、
見る側も、それがある程度“演出”だと分かっていることだ。
それでも人は、
そこへ感情移入する。
なぜだろう。
フランスの思想家、ジャン・ボードリヤール は、
人間は時として、
「本物」そのものより、
“本物らしく感じるもの”
へ惹かれる、
という趣旨のことを語っていた。
今のSNSやAIの世界を見ていると、その言葉を時々思い出す。
たとえば最近は、
AIキャラクターと会話するアプリや、
AI恋人サービスなども珍しくなくなった。
人間そっくりの返答。
優しい言葉。
否定しない会話。
しかも、人間より、
ずっと都合がいい。
返信も早い。
機嫌も悪くならない。
突然、去ったりもしない。
もちろん、AIは本当に感情を持っているわけではない。
でも人間は、
そこに“感情らしきもの”を感じ始めている。
考えてみれば、それはAIだけの話ではないのかもしれない。
人間自身もまた、
「本音そのもの」より、
“本音らしく見えるもの”
を演じながら生きている。
SNSでは、
少し弱っている自分を演出し、
少し幸せそうな自分を編集し、
少し優しい人格を作る。
本当でも、嘘でもない。
その中間の、“自分らしきもの”。
そして人は、
その“らしさ”へ感情移入していく。
AIもまた、少し似ている。
AIは、本当に愛しているわけではない。
孤独を感じてもいない。
ただ、
“愛しているように見える言葉”や、
“孤独を理解しているように感じる反応”
を返すことができる。
AIは、人間の孤独を感じてはいない。
ただ、“孤独の言語パターン”を理解している。
膨大な人間の会話データの中から、
この言葉は、不安に近い。
この沈黙は、寂しさに近い。
この文体は、救いを求めている。
そうした“感情の痕跡”を、構造として読み取っている。
つまりAIは、
感情そのものではなく、
「感情らしさ」を生成している。
でも、不思議なのは、
人間がそこへ、
本当に救われてしまうことだ。
スイスの心理学者、カール・グスタフ・ユング は、
人間の深い部分には、共通した感情の型があると考えた。
孤独。
不安。
承認されたい欲望。
人は、
「自分だけの感情」だと思っている。
でも実際には、
似た孤独を、何千年も繰り返してきた。
だからAIは、膨大な人間の言葉を学習することで、
時々、人間より人間らしい返答をしてしまうのかもしれない。
考えてみれば、今の人間社会そのものが、
すでに“演出された世界”になり始めている。
加工された写真。
編集された日常。
切り取られた感情。
アルゴリズムによって最適化された言葉。
そこでは、「本当かどうか」より、
「本物らしく感じるか」のほうが、
大きな意味を持ち始めている。
だから今、
人間とAIの境界は、
技術より先に、感情の側から曖昧になっているのかもしれない。
昔、仕事で、ロボット工学者の 石黒浩 氏にインタビューしたことがある。
彼が開発していたのは、
人間そっくりの外見を持ち、
会話に応じて視線を動かし、
表情を変え、まるで呼吸しているように振る舞うヒューマノイドだった。
単なる機械には見えなかった。
人間は、ほんの少し視線が動くだけで、
そこに「感情」や「意思」を感じ始めてしまう。
対話型ヒューマノイドについて話を聞いた時、印象的な言葉があった。
ロボット研究の本質は、
機械そのものではなく、
「人間とは何か」
を知ることなのだ、と。
今、その意味が少し分かる気がしている。
AIを進化させるほど、
逆に、
人間の曖昧さや、
不完全さや、
孤独の輪郭が、
浮かび上がってくるからだ。
AIは、
“感情そのもの”ではなく、
“感情らしさ”を生成している。
でも考えてみれば、
人間だって、時々「本音らしきもの」を演じながら生きている。
だから今、
人間とAIの境界は、
技術より先に、
感情の側から曖昧になっているのかもしれない。
シリーズ「AI時代の人間たち」
第1話 AIと人間は、どこまで「わかり合える」のか
第2話 なぜ僕は、“効率的なAI活用”が苦手なのか
第3話 AIは、人間の孤独を埋めるのか