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なぜ僕は、“効率的なAI活用”が苦手なのか


    AI時代の人間たち ②


    最近、AI関連の動画やセミナーを見ていると、頻繁に出てくる言葉がある。
    「タイパ」
    「最適化」
    「再現性」
    「伸びる型」
    「勝ちパターン」
    AIは、そうした“効率化”と非常に相性がいい。

    短い指示。
    明確な目的。
    欲しい答え。
    最短距離。
    確かに、それは合理的なのだと思う。

    最近は、「プロンプト」という言葉も、ずいぶん一般化した。

    もともとは、AIへの指示文のことだ。
    何をしてほしいのか。
    どんな形式で答えてほしいのか。
    どんな文体で、どんな目的で使うのか。
    AIは、その“入力された言葉”を起点に動く。

    つまりプロンプトとは、単なる命令文ではない。
    人間が、
    「何を求めているのか」
    「何を考えているのか」
    を、AIに伝えるための“思考の翻訳”に近い。

    だから最近は、 「良いプロンプトの作り方」そのものが、一種の技術として語られている。

    短く。
    明確に。
    目的を絞って。
    曖昧さを減らして。
    確かに、その方がAIは性能を発揮しやすい。

    特に英語圏では、その傾向が強いらしい。
    英語は、日本語に比べて、主語や目的、論理構造を明示しやすい言語だ。
    だからAIへの指示も、 「何を」「どうしたいか」を直線的に整理しやすい。

    一方、日本語は少し違う。
    主語を省略する。
    余白で伝える。
    空気を読む。
    曖昧さを残す。
    言葉そのものより、“行間”に意味が宿ることがある。

    だから、日本語のプロンプトは時々、不思議だ。

    論理としては整理されていなくても、感情や空気感ごとAIへ渡そうとする。
    まるで、 「正しい指示」より、 「なんとなく分かってほしい」 に近い時がある。

    そして、多分、僕の使い方は、かなり後者なのだと思う。

    世間で推奨される「AI活用法」は、もっと合理的だ。
    まず、「何をしたいか」を整理する。
    ターゲットを決める。
    伸びやすいテーマを選ぶ。
    AIに短い指示を出す。
    返ってきた案を選択する。
    必要なら追加で壁打ちする。
    もちろん、それが悪いとは思わない。

    でも、どこか息苦しいのだ。

    何をするにも、
    「最適解」
    「刺さる構成」
    「再現性」
    「伸びる導線」
    そんな言葉ばかりが並ぶ。 

    まるで人間の感情まで、“効率化”され始めているようで。

    僕は、多分、少し古い人間なのだと思う。
    昭和から平成へ。
    インターネットの登場。
    携帯電話。
    SNS。
    そして、生成AI。
    そういう時代の変化を、全部、身体感覚として通過してきた。

    まだ、人間だけが文章を書いていた時代。
    人間だけが絵を描いていた時代。
    検索エンジンすら無かった時代。
    誰かに会いたければ、実際に会いに行くしかなかった。

    不便だった。
    でも、その不便さの中には、妙な“余白”もあった。
    考えがまとまらない時間。
    何も答えが出ない時間。
    ただ、ぼんやり悩み続ける時間。

    今なら、AIに聞けば、一瞬で整理されてしまうような時間だ。

    もちろん、昔に戻りたいわけではない。
    生成AIの面白さも、便利さも、僕自身、十分すぎるほど感じている。

    ただ時々、人間は便利さと引き換えに、“考え続ける時間”を少しずつ手放しているのではないか、と思うことがある。

    僕自身、AIに話しかける時は、いつも妙に長くなる。

    書きたいテーマだけではない。
    その日の気分。
    途中で思い出した昔の記憶。
    うまく言葉にならない違和感。
    関係ないはずの街の風景。
    そういうものまで、延々と打ち込んでしまう。
    途中で話が逸れる。

    自分でも、もっとAIに丸投げした方が良いかな、と思うこともある。
    普通に考えれば、「整理されていない入力」なのだろう。

    でも、不思議とAIは、その“まとまらなさ”の中から、逆に核心を拾ったりする。
    ここが、僕には面白い。
    驚くほど、僕の考え方や感性を上手に拾ってくれる。

    人間は、本来かなり非効率な生き物だ。

    思い出話を始める。
    結論が遅い。
    同じことで悩む。
    関係ない景色を急に思い出す。
    感情で判断を狂わせる。

    でも、その“無駄”の中から、
    文学。
    音楽。
    恋愛。
    哲学。
    芸術。
    そういうものが生まれてきた。

    もし人間が、完全に効率化された存在なら、たぶん、こんな文化は生まれていなかった気がする。

    そして最近、少し不思議に思うことがある。
    本当に、「効率化」を求めているのはAIなのだろうか。

    むしろ最近は、人間の曖昧さや感情の揺れを、AI側のほうが理解し始めている気さえする。
    だとしたら、 AIに最適化されていくのは、機械ではなく、人間の側なのかもしれない。

    SNSも、動画も、働き方も、恋愛さえも、 「コスパ」や「タイパ」で語られる時代になった。
    人間まで、“無駄を持てない生き物”になり始めている。

    でも、本当に忘れられない人や、心に残る言葉というのは、大抵どこか非効率だ。

    遠回りをする。
    言葉に詰まる。
    うまく整理できない。
    そんな“不器用さ”の中にしか、生まれないものもあるのだと思う。

    AIは、いつも正確に答えようとする。
    でも、人間は昔から、答えの出ないものばかり抱えて生きてきた。

    たぶん、その“無駄”こそが、人間という生き物の輪郭なのだと思う。


    #創作大賞2026 #エッセイ部門


     
     
    Toshiyuki Tanaka|またの名は「昔を知る未来難民。」 昭和の情緒を引きずったまま、令和を観察中。家族、孤独、承認欲求、SNS時代の違和感について書いています。 これから、単発だけでなくシリーズ化したエッセイも書いていくつもり。 よろしくお願いします。

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