
「なぜ指導通りに動いてくれないの?」と悩むすべての対人援助職へ贈る、境界線の引き方
「伝えていることは、間違っていないはず。どうして正しいことを正しく伝えているのに、相手は変わってくれないんだろう?」——毎日、真面目に悩み、イライラし、燃え尽きそうになっている人はいませんか?
私はもうすぐ60歳を迎える現役の歯科衛生士です。
医療という「正しさ」が求められる現場で、私自身も過去に陥っていた罠。
それは「真面目なプロほど、正しさを押し売りしてしまう」という罠です。
つまり“コントロール願望”。
コントロール願望とは、人や環境を自分の思い通りに動かしたいと強く求める心理のことです。
だれにでもある心理ではありますが、他人を思い通りにコントロールすることは、100パーセント無理なことなんです。
考えてみてください。
自分の感情ですら、思うようにコントロールできないことってありますよね。
じゃあ家族は?身近な人であっても、思うように動かすことができないってことは、実感としてお判りいただけると思います。
まして他人ですよ?そりゃ無理だよねって思いますよね。
それでも、「自分が正しい」と思うと、ついつい相手をコントロールしたくなるのが人なのです。
自分の思う正しさを理解してくれない人は「間違っている」・・・から「正しく矯正すべきである」という考えです。
この願望が強い人は、「思い通りにならないこと」に対して、強いイライラや不安を感じ、常に心配と隣り合わせて生きていくことになるわけです。
私自身も、歯科衛生士としてお仕事のなかで、いつも悩んでいました。
正しい生活習慣を指導しても、正しいブラッシングをいくら頑張って伝えても、なかなか「やってくれない」事実。
治療中はがんばって改善していたはずなのに、久しぶりの来院でお口のなかを診ると「完全に元に戻っている」というやるせなさ。
毎日頑張っている当時の私は、それは「相手のせいだ」と思っていました。
私が言っていることは間違っていない。
患者さんに問題があるのだ、だから私は悪くない、と。
【第1章】
その後、私は結婚をし、子育てをしながら仕事を続けていました。
正直、そのときは、仕事のことなんて悩む時間すらありませんでした。
子供が小さかった頃なんて、仕事どころかプライベートの記憶も一切ないぐらいです。
ただ、やたらと大きな「被害者意識」だけがあったな・・・と、いまとなっては思います。
仕事も中途半端。
行きたい勉強会にも行けない。
本を買うお金もない。
子育ても中途半端だ。
そんな感覚の毎日だったような・・・。そりゃ、記憶から抜け落ちますね。
40歳を過ぎてから、ようやく自分のことに時間をとれるようになってから、仕事の悩みが再燃してきたのです。
「こんなに一生懸命指導しているのに、なぜ患者さんは歯を磨いてくれないのか」
臨床は続けていましたから、いっぱしのプライドはありました。
周囲を見渡すと自分より年下の歯科衛生士しかいないような環境でもありました。
「このままではいけない」・・・先輩を探して、スタディーグループに参加することにしたのです。
ある飲み会の席で、仕事の愚痴をこぼした私に先輩が放った一言。
「あなたは相手の力を信じきれていない。だから『導いてあげるんだ』という傲慢さが出る」
ずっと「良かれと思ってやっていた指導」の正体は、相手をコントロールしたいという私のエゴだったということが、そのときはじめてわかったのです。
問題は相手ではなく、自分の中にあったという衝撃の気づき。
「そういや、私、相手のことをできないひととしか、思っていませんでした 傲慢ですね」
「そりゃそうなるよね。よかったじゃない、気が付いて」
衝撃の一言だったんですが・・・実は、誰に言われたのかはもう覚えていないんですよね。
もしかしたら、歯科衛生士の先輩ではなくて、歯科医師の先生だったかもしれません。
20年ぐらい前の話ですから、そりゃ詳細は忘却の彼方です。
それでも、この一言は、私自身の臨床も教育も、すべてを根底から覆すことになったのです。
【第2章】
実は、この先輩の言葉(歯科医師の先生だったかもしれませんが)を本当の意味で腑に落とすには、もうすこし時間が必要でした。
当時の私は焦っていたんです。
40歳を過ぎて、「歯科衛生士としてのウリ」はなにもない自分。
指導にも自信はなく、手技も人に教えるほどのものでもない。
ヨーロッパやアメリカに留学した経験があるわけでもない。
どこかの認定を持っているわけでもない。
雑誌に寄稿したこともない。
おまけに地方在住で子持ち。
周囲はすでに「臨床第一線から教育」にシフトし始める時期。
既に枯渇した若さという武器。
自分のウリが死ぬほど欲しかったんです。
そのときに思い出したのは、大学の心理学の授業でした。
実は、社会人になってから、通信課程の大学で勉強をしていたのです。
別に勉強が大好き!というわけではなく、理由は単なる“学歴コンプレックスの解消”
専攻過程は社会福祉で、そのときにすこし心理学も学んだんですね。
「心理学、面白かったし、もうすこし勉強してみようかな」
対人援助職にとって「境界線(バウンダリー)」は、自己を守るためにも、仕事をしっかりやり遂げるためにも重要な概念です。
境界線(バウンダリー)とは、自己と他者との間にある目に見えない境界線のことです。
物理的な距離もそうですが、それだけではなく「感情・意見・時間・価値観」などにおいて、ここまでは自己の領域、ここからは相手の領域、としっかりとした線引きをすることです。
もともと対人援助職を選ぶ人は、この「境界線(バウンダリー)」を意識するのが苦手な人が多いなという印象も受けました。
その後、カウンセラー養成講座で学び、アサーティブを学んでいくなかで、この印象は確信に変わっていきました。
これらの仕事を選ぶ人は、もともと“誰かの役にたちたい”というモチベーションが高い人が多いのです。
なので、ついつい「踏み込んでしまう」。
しかも「勝手に」。
そしてコントロールしようとする。
踏み込まれると、人は拒絶反応を示します。
誰かに感謝されることをモチベーションにしていると、必ず躓きます。
落ち込みます。
なぜなら、相手は「人」だからです。
もちろん感謝されることもあるでしょう。
でも、こちらがなにひとつ「間違っていなかった」としても、理不尽な罵倒をうけることもあれば、避難されることもあります。
いくら正しいことを正しく伝えても行動変容が叶わないことなんて、毎日のように起こるのです。
自己と他者との境界線を明確にできる人でないと、必ず疲弊し、燃え尽きてしまうのも当然だと思います。
では、境界線(バウンダリー)を明確にするには、どうすればいいのでしょうか。
まずは、自分の限界を知ることです。
そしてそれを周囲に言葉や行動で示す「練習」をすることです。
となると「ノー」という練習も、必要になってきますよね。
もうひとつは、アドラー心理学でも有名な「課題の分離」を意識すること。
相手の機嫌は相手の問題ですし、相手の問題を過剰に背負わないことです。
過剰に背負うとね、裏切られた時のショックは、計り知れないものがありますよ。
でも、相手にしたら「あなたが頼みもしないのに勝手に背負って勝手に裏切られたとか怒り狂ってますけど関係ないですよね」って話なんです。
「指導通りに行動するかどうか」は相手の課題(領域)であり、自分が土足で踏み込んでコントロールできるものではないと腹落ちした瞬間、私の患者さんへのアプローチは激変しました。
そして、実はとても気楽になったのです。
【第3章】
「私に必要だったのは、境界線(バウンダリー)だったんだ」
これを意識して毎日を過ごすようになりました。
同時に、なにかうまくいかなかったときは、必ず(これって私がコントロールしたいだけじゃない?相手のことちゃんと信じてる?)と自問自答するようになったのです。
最初はボロボロでした。
自分が今まで一生懸命やっていたやり方が「間違っていた」ってなかなか認めたくないものです。
自分の過去を否定するような気持ちになることもあるかもしれません。
でも、それ以上に、効果は絶大でした。
そして、何よりも自分自身の「追い詰められるような感覚」がなくなったのです。
境界線を引けるようになると、臨床やお仕事での訪問現場での視点がガラリと変わりました。
私にできるのはここまで。
あとは相手の問題。
相手のことをどこまで信じるかはこちらの問題。
そのうえで「自分はどう立ち回るのか」目的を見失わないこと。
真面目で仕事熱心な人ほど燃え尽き、業界から去っていく姿を見送る、こんな悲しいことはありません。
この仕事を続けるためには、自身のメンタル維持がなによりも重要。
そしてそのためには境界線(バウンダリー)とコントロール願望を手放すことが大事。
だとしたら、私の気づきをもっと多くの対人援助職の人たちに知ってもらう必要があるのではないかとも考えるようになったのです。
他人に行動変容を促すというのは難しいものです。
行動変容とは、人の考え方や意識の変化によって行動や習慣が変わり、それが定着していく一連のプロセスのことで、もともとは禁煙指導などから始まりました。
行動変容には、大切なことが3つあります。
1 自分で決めること
2 環境を整えること
3 いいタイミング(直後)で良いフィードバックをもらうこと
よく、真面目でコントロール願望の強い人が指導で言ってしまいがちなのが「◎◎をしてください」ということ。
相手は「はい」とは言うかもしれません。でもほとんどの場合は行動には移さないのです。
そして、実は「そんなことできません」とも言ってもらえないのです。
相手はこちら側を見ています。
(真面目に一生懸命言ってくれているのだから)という気持ちで「はい」というのです。
これは、1の「自分で決めること」をすっ飛ばしているからおこることなんですね。
かつての私は、まさにこの「すっ飛ばし」の常習犯でした。
例えば、歯周病が進みそうな患者さんに対して「必ず毎日、歯間ブラシをしてくださいね」と、正しさの剣をそのままぶつけていたのです。
結果は、お察しの通りです。
ですが、境界線を意識し、コントロールを手放した私は、アプローチをガラリと変えました。
まず、患者さんのお名前を必ず呼びます。
「○○さん」と呼んで、しっかりとこちらを向いていただき、お返事をいただく。
日本語の「はい」という返事には、単なる相槌だけでなく「あなたを受け入れます(イエス)」という心理的な意味も含まれています。
そうやって、まずは1対1の信頼関係の土台を作るのです。
その上で、押し売りではなく、こう提案します。
「○○さんのお口の場合、なにか補助的なツールを使ったほうが、ずっと効率的にきれいになります。補助用具には歯間ブラシやデンタルフロスがあって、それぞれの特徴は……です。私から見ると、歯間ブラシのほうが楽でいいかなとは思いますが、もちろん、歯と歯の間がきれいになればツールは何でもいいんですよ。うちにあるのはこの2つですが、どちらになさいますか?」
「〜をしてください」という命令から、「どちらにしますか?」という選択へ。
たったこれだけの違いですが、効果は絶大です。
患者さんは自らの意志で「じゃあ、楽な方の歯間ブラシにしてみようかね」と選んでくれます。
これこそが、行動変容の第一歩である『自分で決めること』の力なのです。
とにかく、相手の力を信じること。
そして、「選択」してもらうこと。
その選択を支持し、応援すること。
そのために、自分の境界線を常に意識し、コントロール願望を手放すこと。
対人援助職の我々は、自分自身のメンタル維持のため、そして対象者さんのためにも、自身の仕事の再定義をしておくことが必要なのだと考えています。
正しさを押し付ける「技術者」を辞め、相手が無理なく歩める道を一緒に探す『健康獲得ナビゲーター』である、という再定義です。
どうですか。なんだか少し誇らしい気持ちになりませんか。
【結び】
コントロールを手放すこと、境界線を引くことが重要である、と伝えるとき、「これは自分も楽になることである」ということも一緒に伝えるようにしています。
ところが、「自分も楽になる」ということを“よくないことである”と無意識のうちに刷り込まれている対人援助職、とても多いのです。
滅私、というのが正しいこと、尊いことだ、そしてそれこそが対人援助職のあるべき姿だと刷り込まれていると、「あなたの言っていることは、対象者(相手)を見捨てる(冷たくする)ことではないか」という疑問につながるようなのです。ましてや「自分が楽になるなんてとんでもない」という感覚。
違うんです。
「相手が本来持っている良くなる力を、心底信じ抜く」
「そして、その力が最大限発揮できるように専門的な立場からサポートする」
のが、対人援助職の本来あるべき姿で、愛でもある、と私は考えています。
そして、境界線の内側にある「自分の責任」を全うすることが重要なんですね。
さて。ここまで書いてきましたが、実はこの文章を「読むだけ」では、あなたの悩みは解決しません。
なぜなら、境界線を引くという行為は、あなた自身が明日からの現場で、実際に一歩を踏み出すことでしか完結しないからです。
相手が変わらないって悩む時間は、本当に無駄な時間です。変わらないのが「あたりまえ」なんですから。
そんなどうしようもないことで心をすり減らすくらいなら、「次の一手をどう動くか」の作戦会議を自分の中で始めるほうが、ずっと建設的で、なによりも気楽です。
滅私奉公のプロなんかにならなくていい。
まずは自分が気楽に、健やかに働くこと。その心の余裕があって初めて、私たちは「その人そのもの」を信じるナビゲーターになれるのです。
私はもうすぐ60歳になりますが、この働き方にシフトしてから、毎日が楽しくて仕方がありません。
大丈夫、あなたにも必ずできます。
明日からのあなたの現場が、もっと軽やかで、誇らしいものになることを、心から応援しています。