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アメ車をブッちぎったスープラ ―― 車への愛し方は、人それぞれ

    導入 Is That a SUPRA?

    何気なくSNSを眺めていた、ある日のことだった。

    流れてきたのは、アメ車の車内から道路を撮影した一本の動画だった。

    助手席側の窓の向こうに、一台の白いトヨタ・スープラが並んでくる。

    それに気づいた撮影者から、思わず声がこぼれる。

    「Is That a SUPRA?」

    ――「あれ、スープラじゃないか?」

    窓が開き、「3、2、1」とカウントダウンが始まった。

    合図と同時に、双方がアクセルを踏み込む。

    爆音を響かせながら並走していたフォード・マスタングを置き去りにして、スープラは猛烈な勢いで加速していった。

    どんどん小さくなり、やがて見えなくなる。

    車内には笑い声が響いていた。

    私も画面の前で、思わずゲラゲラ笑ってしまった。

    速い。

    とにかく、速すぎる。

    海外のストリートレース映像を、少しだけ覗き見たような感覚だった。

    それにしても、なぜあのスープラは、あんなに速かったのだろう。

    もちろん、動画だけを見ても、どんな改造が施されていたのかは分からない。

    けれど、80スープラという車について少し知っていくと、妙に納得できてしまうところがある。

    その理由の一つが、ボンネットの下に収められていたエンジンだった。

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    第1章 「そりゃそうだ」――2JZとSupra


    80スープラのターボモデルに搭載されていたのは、2JZ-GTEというエンジンだ。

    排気量2,997ccの直列6気筒DOHC。日本仕様ではツインターボを備え、最高出力は280PS、最大トルクは44.0kg-mだった。

    今となっては「280PS」という数字だけを見ても、それほど驚かないかもしれない。

    だが、このエンジンが世界中のチューナーから愛された理由は、純正状態の数字だけではない。

    2JZ-GTEには鋳鉄製のシリンダーブロックが使われている。

    数字や構造の話を並べると難しく見えるが、私が面白いと思ったのは、その先だった。

    ピストンやコンロッドなどの内部部品を強化し、より大きなターボを組み合わせたり、排気量を拡大したりすることで、純正とはまるで別物のような性能を狙うチューニングが行われてきた。

    海外のドラッグレースを見れば、もはや「280PSの日本車」という言葉からは想像できないようなスープラが走っている。

    以前、私自身もSNSで、とんでもない加速をする2JZ搭載車の動画を見たことがある。

    記憶していた数字を改めて調べてみると、そこには別の記録が混ざっていたようだ。

    しかし、調べ直してみても結論はあまり変わらなかった。

    やっぱり、とんでもなく速い。

    冒頭で見た白いスープラを思い出す。

    「そりゃそうだ」

    そんな気持ちになった。

    そして、この車の面白さは実際の性能だけではない。

    海外では、スープラをめぐって一つの有名な話まで広まったことがある。

    2017年、Bugatti Chironが0から400km/hまで加速し、再び停止する映像が世界中で話題になった。

    そこで別の話まで広がった。

    「あのChironを並走して撮影していたカメラカーは、1,250馬力にチューニングされた80スープラだった」

    そんな画像がSNSで広まり、多くの人が信じた。

    だが、実際に使われていたのは別のChironだった。

    つまり、スープラがBugattiを追いかけながら撮影していたわけではない。

    それでも私は、この話が広まったこと自体が面白いと思う。

    400km/h近くまで加速するBugattiの撮影車だというのに、

    「Supraなら、あり得るかもしれない」

    と世界中の人に思わせてしまった。

    本当にBugattiを追いかけていたかどうかより、そんな話に1,250馬力という数字まで付き、もっともらしく広がってしまうほど、Supraと2JZという名前が特別な存在になっていた。

    それこそが、海外で育っていった「Supra」という車の、もう一つの姿なのかもしれない。

    だが、日本でスープラの速さを追い続けた人の話をするなら、避けて通れない人物がいる。

    永田和彦。

    世界では、いつしか「Smokey Nagata」の名で知られるようになった人物だ。

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    第2章 速さを追い続けた男――Smokey Nagata


    永田和彦。

    海外では「Smokey Nagata」の名で知られる、日本のチューナーだ。

    トヨタのメカニックを経て、チューニングパーツメーカーのトラストで働いた後、1991年に千葉県で「Top Secret」を立ち上げた。

    その名前には、少し変わった由来がある。

    トラストで働いていた頃、永田は会社の仕事が終わった後に、客の車を密かにチューニングしていたという。

    会社には秘密の仕事。

    それが「Top Secret」という名前につながった。

    そんな永田の名前が、日本だけでなく海外の車好きにまで広く知られるきっかけの一つになったのが、1998年のイギリスだった。

    深夜のA1(M)。

    永田は自ら手を入れたスープラで、最高速に挑んだ。

    その速度については、今もいくつかの数字が残っている。

    Top Secretの公式サイトでは340km/h。

    一方、逮捕時の速度として317km/hという数字が広く伝えられている。イギリスの自動車メディアTop Gearによる本人への取材では、194mph――約312km/hとされている。

    数字がなぜ異なるのかについて、ここで推測することはしない。

    確かなのは、制限速度のある公道で行われた、極めて危険な行為だったということだ。

    当然、警察に逮捕された。

    日本では後に「世界一の速度違反」と紹介されることもあるが、正式な世界記録として確認されたものではない。

    だから、その言葉だけで彼の行為を伝えるのは少し違うと思う。

    私が興味をひかれるのは、その記録そのものよりも、

    「なぜ、そこまで速さを追い続けたのだろう」

    ということだ。

    その答えの一端が見えるような車が、後に作られている。

    V12エンジンを積んだスープラだ。

    使われたのは、トヨタ・センチュリーに搭載されていた1GZ-FE。

    本来は、大型高級セダンを静かに、滑らかに走らせるための5.0リッターV型12気筒エンジンだった。

    そのV12をスープラへ載せる。

    それだけでも十分に常識外れに思える。

    だが、そこで終わらない。

    エンジンにはさらに手が加えられ、ターボを組み合わせ、最高速を狙う一台へと作り変えられていった。

    そして2008年、イタリアのナルド高速周回路で約358km/hを記録した。

    公道での無謀な最高速挑戦から年月が経っても、永田はまだ「もっと速く」を追い続けていた。

    私は、自分でそんな速度を出してみたいとは思わない。

    300km/hを超える世界など、想像するだけで十分だ。

    それでも、この人が作る車には目が向いてしまう。

    なぜ、そこまでするのか。

    どうして、そのエンジンを選んだのか。

    どうやって、スープラの中へ収めたのか。

    次は何をするのだろう。

    そんなことを考えること自体が面白い。

    そしてTop Secretは、昔の伝説として終わった店ではない。

    2026年の今も、永田は車を作り続けている。

    ただ、日本のチューニングカー文化を見ていくと、ここで一つ気づくことがある。

    車を変える理由は、「もっと速く」だけではない。

    速さとはまったく違う方向から、日本のカスタムカーを世界へ広げていった人たちもいる。

    第3章|速くすることだけが、チューニングではない

    ここまでスープラと2JZ、そしてSmokey Nagataの話をしてきた。

    こうして並べると、日本のチューニングカーとは、とにかくエンジンを強くして、ものすごい速度を出す車のことだと思われるかもしれない。

    もちろん、それも一つの世界だ。

    だが、車を「いじる」楽しさは、それだけではない。

    速さではなく、見た目を変える。

    悪路を走れるようにする。

    自分の使い方に合わせて作り変える。

    レースで培われた技術に憧れて、自分の車にも手を入れる。

    同じ車でも、持ち主が違えば出来上がる姿はまったく違う。

    日本では昔から、そんな楽しみ方も車文化の中にあった。

    その中でも、車の「姿」を大胆に変えることで、世界中の人を振り向かせたブランドがある。


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    第4章 車の姿を変える――Liberty Walk


    愛知県から世界へ広がった、Liberty Walk。

    その中心にいるのが、代表の加藤渉さんだ。
    1993年に始まったこの会社は、もともと高級車を扱う中古車販売からスタートした。

    やがて、ランボルギーニをはじめとするスーパーカーに大胆なカスタムを施すようになる。

    大きく張り出したフェンダー。

    低く構えた車高。

    車体の輪郭そのものが変わったように見えるワイドボディ。

    そして、フェンダーを留めるリベットをあえて見せるスタイル。

    きれいに隠してしまうのではなく、「改造している」ことそのものを見せる。

    私がLiberty Walkの車で特に印象に残っているのが、フェラーリF40だ。

    YouTubeで、そのF40へ実際に手を入れていく製作過程を見たことがある。

    F40といえば、今では簡単に手を出せるような車ではない。

    そんな車にドリルで穴を開け、フェンダーにも手を入れ、Liberty Walkらしいワイドボディへ作り変えていく。

    見ていた私は、

    「本当にF40を切るのか」

    と思った。

    正直、少しもったいないという気持ちもあった。

    だが、完成した白いF40を見ると印象が変わった。

    これはこれで、格好いい。

    しかも、その車は2023年の東京オートサロンで大きな注目を集め、東京国際カスタムカーコンテストのインポートカー部門で最優秀賞を獲得した。

    高価だから触らない。

    希少だから元のまま残す。

    もちろん、そういう考え方もある。

    だがLiberty Walkは、そのF40さえも「自分が乗りたい一台」へ変えてしまった。

    私は、このF40ほどLiberty Walkというブランドを分かりやすく表している車はないように思う。

    Liberty Walkが世界へ持ち出したものは、単に「車を低くして、幅を広くする」という技法だけではなかった。

    日本に以前からあった、ワークスフェンダーや街道レーサーなどの改造文化。その雰囲気を、ランボルギーニやフェラーリといった世界的なスーパーカーにまで持ち込んだ。

    それが海外のカーファンにも強烈な印象を残した。

    現在では日本だけでなく海外にもそのスタイルが広がり、世界各地でLiberty Walkの車を見ることができる。

    そして面白いのは、車を作って売るだけで終わっていないことだ。

    愛知県の拠点には車を見ることのできるスペースがあり、コーヒーを飲みながら車を眺められるカフェまである。

    車を買う人だけが行く場所ではない。

    見てみたい。

    写真を撮りたい。

    好きな車について話したい。

    そんな人も集まってくる。

    車を改造する場所が、いつの間にか車好きが集まる場所にもなっている。

    私は、こういうところにも日本のカスタムカー文化の面白さを感じる。

    そして、ここまで読んで、

    「でも、スープラやF40なんて自分には遠い世界だ」

    と思う人もいるかもしれない。

    そこで次に登場するのは、ずっと小さな日本車だ。

    スズキ・ジムニー。

    この小さな四輪駆動車を見ていくと、日本で車を「自分の一台」に変える楽しさが、もっと身近なところにも広がっていることが分かる。


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    第5章 小さなジムニーにも、同じ楽しさがある


    スズキ・ジムニー。

    スープラやF40と比べれば、ずいぶん小さな車だ。

    けれど、日本のカスタムカー文化を見ていくなら、この車も外せないと思う。

    ジムニーは、小さなボディに本格的な四輪駆動の仕組みを持つ。

    そのため、山道や林道を走るために車高を上げ、大きなオフロードタイヤを履かせるカスタムは昔からよく似合う。

    だが、街を走るジムニーを見ていると、それだけではない。

    クラシックな四輪駆動車のような姿にする。

    キャンプ道具を積みやすくする。

    バンパーやグリルを交換する。

    ホイールを変える。

    ボディの色や細かなパーツを組み合わせて、かわいらしく仕上げる人もいる。

    逆に、大きく張り出したフェンダーを取り付けて、元の小さな車体からは想像できないほど迫力のある姿にする人もいる。

    同じ「ジムニー」なのに、出来上がった車を見ると一台一台がまるで違う。

    そこが面白い。

    スーパーカーのフェンダーを切るような大胆な改造をしなくてもいい。

    何百馬力、何千馬力という数字を追いかける必要もない。

    タイヤを変える。

    ホイールを変える。

    車高を少し上げる。

    お気に入りのパーツを一つ取り付ける。

    そこからでも始められる。

    もちろん、本格的に悪路を走るために性能を追求していけば、話はずっと奥深くなる。

    けれど、全員が同じ方向を目指す必要はない。

    「自分なら、こうしたい」

    それを形にできる余白が、この小さな車にはたくさん残されている。

    そして今では、メーカーであるスズキ自身も、ジムニーを自分好みに楽しむためのさまざまなアクセサリーやスタイルを提案している。

    カスタムすることが、一部の専門家だけの遊びではなくなっているようにも見える。

    私は、こういう車を見るのも好きだ。

    駐車場に停まっているジムニーを見て、

    「あ、このホイールいいな」

    「この色に、このパーツを合わせるのか」

    と眺めてしまう。

    速いかどうかなんて、その時はまったく考えていない。

    スープラとは、楽しみ方がまるで違う。

    それでも、車を見ながら、

    「自分ならどうするだろう」

    と考える楽しさは同じだ。

    日本のチューニングやカスタム文化は、こうして速さからどんどん離れていくこともできる。

    だが一方で、日本の車文化には、速さを競う場所から生まれたもう一つの大きな流れもある。

    舗装されたサーキットではない。

    雪、泥、砂利。

    世界中のさまざまな道を舞台に戦った二台の日本車。

    三菱ランサーエボリューションと、スバル・インプレッサだ。


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    第6章 世界の道で戦った二台――ランサーエボリューションとインプレッサ

    三菱ランサーエボリューション。

    スバル・インプレッサ。

    1990年代の日本車が好きな人なら、この二台を並べただけで、頭の中にそれぞれの姿が浮かぶかもしれない。

    そして、その背景にはWRC――世界ラリー選手権がある。

    ラリーの舞台は、きれいに舗装されたサーキットだけではない。

    舗装路もあれば、砂利道もある。

    雪や氷の上を走ることもある。

    曲がりくねった山道を、車体を滑らせながら駆け抜けていく。

    そんな世界の道で、日本のメーカーが本気で戦っていた時代があった。

    スバルはインプレッサで、1995年から1997年までWRCのマニュファクチャラーズタイトルを3年連続で獲得した。

    一方、三菱ではトミ・マキネンがランサーエボリューションを駆り、1996年から1999年までドライバーズタイトルを4年連続で獲得している。1998年には三菱もマニュファクチャラーズタイトルを手にした。

    青いインプレッサ。

    そして、赤を基調としたカラーリングのランサーエボリューション。

    この二台は、やがて日本の車好きの間でも「ライバル」として強く意識されるようになった。

    どちらが速い。

    どちらの四輪駆動が優れている。

    自分ならどちらを選ぶ。

    そんな話をすること自体が楽しかった。

    ただ、この二台の面白さは、競技車だけの話で終わらなかったことにあると思う。

    街へ行けば、その名前を持つ車が実際に走っていた。

    もちろん、WRCを走る競技車と、私たちが道路で見る市販車は同じものではない。

    それでも、テレビや雑誌で世界の道を走る車と同じ「ランサーエボリューション」「インプレッサ」という名前を、自分でも所有することができた。

    そして手に入れた車に、また自分なりの手を加えていく。

    マフラーを交換する。

    ホイールを変える。

    足回りを変える。

    エンジンに手を入れる。

    競技で活躍する車への憧れが、街を走る一台へつながっていく。

    レースやラリーで生まれた熱が、市販車を通して普通の車好きのところまで降りてくる。

    これもまた、日本のチューニングカー文化を育ててきた一つの流れだったのだと思う。

    そして1990年代の日本には、もう一台、世界の車好きを強く惹きつけるスポーツカーがあった。

    マツダRX-7。

    その車には、スープラの2JZとも、ランサーエボリューションやインプレッサのエンジンとも違う、少し変わった心臓が載っていた。

    ロータリーエンジン。

    そして、そのエンジンを何十年にもわたって追い続けてきた一人のチューナーがいる。

    RE雨宮の、雨宮勇美だ。


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    第7章 ロータリーを追い続けた男――RE雨宮


    マツダRX-7。

    その名前を聞いて、独特のエンジン音を思い浮かべる人もいるだろう。

    RX-7に搭載されているのは、ロータリーエンジンだ。

    一般的な自動車用エンジンのように、シリンダーの中をピストンが上下するのではない。

    ハウジングの中をおむすび型のローターが回転し、その動きによって生まれる空間の変化を利用して、吸気、圧縮、燃焼、排気を行う。

    小さく、軽く、高回転まで滑らかに回る。

    その一方で、独特の構造を持つからこその難しさもある。

    そんなロータリーエンジンと、長い間向き合い続けてきたチューナーがいる。

    雨宮勇美。

    RE雨宮を立ち上げ、RX-7をはじめとするロータリーエンジン搭載車を何十年にもわたって手がけてきた人物だ。

    RE雨宮の車は、エンジンだけが速いわけではない。

    大きく姿を変えたボディ。

    独特のエアロパーツ。

    ひと目見ただけで、

    「これは普通のRX-7ではない」

    と分かるような車も多い。

    そして、その車を実際にレースへ持ち込んできた。

    RX-7で長年SUPER GTのGT300クラスを戦い、2006年にはシリーズタイトルを獲得している。

    速くする。

    曲がるようにする。

    空気の流れを考える。

    壊れないようにする。

    そして、格好よくする。

    一台の車を作るために必要なものが、全部つながっているように見える。

    私は、こういう世界を見ると、やはりパーツ一つでも気になってしまう。

    取り付ける前なら、ただの金属の部品に見えるものでも、

    「これはどこにつくんだろう」

    「何のためにこの形をしているんだろう」

    と考え始める。

    完成した車だけではなく、そこへ至る途中にも面白さがある。

    RE雨宮は、1970年代からロータリーエンジンと向き合い続けてきた。

    そして2026年。

    その物語に、この記事の前半で登場した名前が再び現れる。

    Top Secretだ。

    終章 二つの名前が、一台の車で交わった


    2026年。

    RE雨宮とTop Secret。

    日本のチューニングカー文化を長年歩いてきた二つの名前が、一台のRX-7で交わった。

    ベースとなったのは、FD3S型マツダRX-7。

    その名は、

    THE SEC"RE"T 7。

    「SECRET」という言葉の中に、「RE」が組み込まれている。

    Top SecretとRE雨宮。

    二つの名前が、一台の車の名前の中でも重なっている。

    そしてこの車は、東京オートサロン2026で行われた東京国際カスタムカーコンテストでチューニングカー部門の最優秀賞を獲得し、さらにグランプリにも選ばれた。

    ここまで記事を書いてきて、私はこの車の存在がとても面白いと思った。

    最初に登場したのはスープラだった。

    2JZというエンジン。

    最高速を追い続けたSmokey Nagata。

    そこから、Liberty Walkの大胆なボディ。

    小さなジムニー。

    世界のラリーで戦ったランサーエボリューションとインプレッサ。

    そしてロータリーを追い続けたRE雨宮。

    一見すると、それぞれまったく違う方向を向いている。

    速くしたい人がいる。

    姿を変えたい人がいる。

    悪路を走りたい人がいる。

    競技から生まれた技術に憧れる人がいる。

    一つのエンジンを何十年も追い続ける人もいる。

    だが、そのどれにも共通しているものがあるように思う。

    「この車を、もっと自分の思う姿にしたい」

    という気持ちだ。

    そして、長い間それぞれの道で車を作り続けてきた二つの名前が、2026年になって一台のRX-7で交わった。

    日本のチューニングカー文化は、昔の話ではない。

    今も続いている。

    そして私は、その世界を自分で極限まで体験したいわけではない。

    300km/hで走ってみたいとも思わない。

    スーパーカーのフェンダーに自分で刃を入れようとも思わない。

    ただ、見ているだけで楽しい。

    ピカピカに仕上げられた車を見る。

    まだ取り付けられていないパーツを見る。

    エンジンルームを覗く。

    「これは何だろう」

    「どうしてここにつけるんだろう」

    「これを変えたら、どうなるんだろう」

    そんなことを考えているだけで、なかなか飽きない。

    だから、あの日SNSで見た動画にも笑ってしまったのかもしれない。

    白いスープラが並んできた。

    それに気づいた車内から、声が上がる。

    「Is That a SUPRA?」

    ――「あれ、スープラじゃないか?」

    そしてカウントダウンの後、スープラはあっという間に遠くへ消えていった。

    今なら、あの時より少しだけ分かる気がする。

    なぜ世界の車好きが、あの一台を見ただけで声を上げるのか。

    そして、なぜ私もそれを見て笑ってしまったのか。

    好きなものは、見ているだけでも面白い。

    車というのは、私にとってそういうものなのだ。

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    参考資料・公式サイト

    この記事の執筆にあたり、車両・エンジンの仕様、人物・ショップの歴史などについて、以下の公式資料を参照しました。

    TOYOTA|A80 Supra / 2JZ-GTE
    1993年に登場したA80型Supra、および3.0L直列6気筒ツインターボ「2JZ-GTE」の仕様について。
    TOYOTA「TOYOTA LAUNCHES ALL-NEW SUPRA」

    TOP SECRET|永田和彦(Smoky Nagata)
    TOP SECRETの創業、最高速への挑戦、1998年の英国での走行記録などについて。公式サイトでは英国公道で340km/h、ロガーデータでは317km/hと記録されています。
    TOP SECRET「会社概要・歴史」

    LIBERTY WALK|加藤渉 / LB★WORKS
    Liberty Walkの歴史、加藤渉氏、LB★WORKSと日本の「改造文化」について。
    LIBERTY WALK「History」

    RE雨宮|ロータリーエンジンとチューニングカー
    RE雨宮による13Bロータリーエンジン、タービン、インタークーラーなどを用いたチューニング車両について。
    RE雨宮「幻気-7」

    MAZDA|RX-7 / 13B-REW
    FD3S型RX-7に搭載された13B-REW型・水冷2ローターロータリーエンジンの仕様について。
    MAZDA「RX-7 主要諸元」

    MITSUBISHI MOTORS|ランサーエボリューション / WRC
    ランサーエボリューションの開発とWRC参戦について。ランサーエボリューションは1993年からWRCに参戦し、1996年から1999年まで4年連続でドライバーズタイトルを獲得しました。
    三菱自動車「World Rally Championship」

    SUBARU|インプレッサ / WRC
    インプレッサは1993年にWRCへ本格参戦し、1995年から1997年まで3年連続でマニュファクチャラーズタイトルを獲得しました。
    SUBARU「WRCとSUBARUの歩み」

    SUZUKI|ジムニー / 4WD
    1970年に初代が登場したジムニーは、小型・軽量の本格オフローダーという基本思想を受け継いできました。現行モデルもスズキは「small, lightweight authentic off-roader」と位置づけています。
    SUZUKI「JIMNY」


    ※この記事は、筆者自身の経験と記憶をもとに、構成・調査・推敲の一部に生成AIを活用し、筆者が内容を確認・加筆して制作しました。見出し画像にも生成AIを使用しています。

     
     
    日本で暮らしてきた一人の日本人として、文化、風景、言葉、食、車、そして家族の記憶について書いています。 当たり前のようにそばにあったものを、もう一度立ち止まって見つめ直すためのnoteです。

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