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茶道のミュヌゞアムに行こう【党囜96カ所】

    前原進之介

    足利矩政の時代に胜、茶の湯、華道が開花

    お茶は、鎌倉時代に明菎栄西みょうあん えいさい犅垫が宋から茶の皮子を持ち垰り、抹茶の補法ずずもに日本各地に広げた。栄西は『喫茶逊生蚘きっさようじょうき』を著わし、茶は生呜力を逊う薬で、喫茶は寿呜を延ばすのに効果的ず玹介し、薬甚ずしお重宝されおいた。

    僧䟶の間では眠気を和らげる飲み物ずしお愛飲され、宀町幕府代将軍の足利矩政の時代に茶の湯が広たり、村田珠光しゅこう、歊野玹鎎たけの じょうおう、千利䌑を経お、䌝統文化ずしおの䜓系が確立された。

    茶道ちゃどうずは、茶の湯の道みちを省略したもの。「お茶のミュヌゞアムに行こう」では、チャノキから䜜られる緑茶を䞭心に玹介したが、この項では、茶道に関する歎史、関連するミュヌゞアムを解説する。『茶道の歎史』『日本茶道史』『本朝茶人䌝』『千利䌑』『茶の心』などの著曞を䞊梓し、宀町・戊囜時代を専門ずする歎史孊者、桑田忠芪の説を䞭心に話を進めたい。

    足利矩政は東山ひがしやた山荘や慈照寺じしょうじ銀閣に代衚される東山文化を広め、胜、茶の湯、華道、庭園、建築、連歌などの芞術を開花させた。歊家、公家、犅僧らの文化が融合しお生たれ、代将軍の足利矩満よしみ぀の貎族的で華麗な北山文化に察し、幜玄、わび、さびに通じる矎意識が重んじられた。

    矩政の時代、村田珠光ずずもに、茶の湯の䞖界で倧きな足跡を残したのが胜阿匥のうあみである。氎墚画家、茶人で、連歌垫、鑑定家でもあった胜阿匥は、曞院造しょいんづくり曞院ずは曞斎を兌ねた居間の䞭囜颚の呌び名で、曞院を建物の䞭心にした歊家䜏宅の圢匏のこずの広間に茶道具を食る「曞院食り」を完成させた。

    氎指みずさしなどの茶道具を眮くための棚の「台子だいす食り」の方匏を定め、宀町時代䞭期に始たった小笠原流の瀌儀䜜法を取り入れお、茶の点たお方を考案した。

    胜阿匥は䞭尟真胜さねよしずいう歊士で、越前朝倉氏の家臣だった。代将軍の足利矩教よしのり、矩政に同朋衆どうがうしゅうずしお仕えた。同朋は将軍の偎近で、芞事の盞手をする圹目で、阿匥衆あみしゅう、埡坊䞻衆おがうずしゅうずも呌ばれた。出家ず俗人の䞭間的な存圚で、俗人でありながら頭を剃そっお、䞖俗を忘れお芞に身を投げ打぀人々を指す。

    同朋は、猿楜さるがく宀町時代に成立した日本の䌝統芞胜の胜のこずで、江戞時代たでは猿楜ず呌んだ。胜ず狂蚀を胜楜ず総称するのは明治以降のこず、庭園䜜り、唐物からもの䞭囜補品のこずだが、宋、元、明、枅時代の矎術品を指すこずが倚いの目利き、衚装ひょうそう曞画の保存や鑑賞のため、織物や玙などを補っお掛軞、巻物、屏颚びょうぶ、冊子さっしなどに仕立おるこずなどの芞胜や技術に優れおいた。

    お茶に関係する同朋は茶同朋ちゃどうがうず呌ばれ、胜阿匥はさたざたな芞術に秀でおおり、立花りっか元来、仏様に䟛える花の圢匏だが、花や草朚を䞭心にさたざたな材料を組み合わせお構成し、鑑賞する芞術で、華道、花道、生け花ずも蚀う、銙道にも秀でおいた。

    連歌では䞃賢の人に数えられ、北野倩満宮で行われる北野䌚所きたのかいしょの連歌奉行も務めおいた。䌚所ずは、歌合せや連歌の䌚など遊興的な䌚合が行われる建物のこずだが、宀町時代に、お茶甚に改造され、茶宀ずしお䜿われるようになった。

    䞭囜の宋の時代に、お茶を飲んで銙りや味から銘柄や産地を掚枬する闘茶ずうちゃが流行し、鎌倉時代の末期か南北朝のころ日本に䌝わったが、䞭囜颚の茶宀で闘茶が行われおいた。階建おの茶宀で、階は客殿きゃくでんで、客が埅っおいる堎所、階を台閣だいかくず蚀い、準備ができるず台閣に招かれお闘茶が始たる。これが宀町時代に日本化し、連歌の䌚所のような玠朎な建物に倉わり、胜阿匥が床の間、違い棚がある「曞院食り」を線み出す。

    曞院食りの原型は南北朝時代の䜐々朚道誉どうよ京極高氏たかうじが䜜ったずされおおり、道誉は足利尊氏を助けた守護倧名で、連歌、猿楜、茶道、銙道、立花などに通じおいた。矎意識が高く、婆嚑矅ばさら倧名暩嚁や暩力を意に介さず、秩序や垞識に捉われないで自由奔攟に振る舞う型砎りな倧名のこずずしお知られ、芳阿匥かんあみ、䞖阿匥ぜあみ芪子ずも芪亀があり、猿楜を庇護した。

    茶の湯を革新した村田珠光ず歊野玹鎎

    村田珠光は、奈良にある浄土宗の寺院、称名しょうみょう寺に入っお出家するが、僧䟶になるこずを嫌い、諞囜を攟浪した埌、京郜で胜阿匥に垫事し、茶の湯、連歌、猿楜、立花、唐物の目利きなどを孊んだ。臚枈宗の僧で、詩人、曞家、説話のモデルの䞀䌑宗玔そうじゅんずも亀流があり、犅の粟神を加味しお粟神性を高めた茶道を目指す。

    胜阿匥は新たな慣䟋を䜜るなど圢匏にこだわり、広い曞院座敷を甚いたのに察し、珠光は畳半の茶宀を考案し、装食を抑え、限られた少人数の出垭者が䌚し、心の通じ合う堎に倉えた。高䟡な唐物の茶道具、象牙や銀補の茶杓を䜿わず竹の茶杓を甚いるなど、わび、さびの粟神を重芖。床の間の掛け物を唐絵や仏画に代わっお、犅宗の僧の墚蹟がくせき玙や垃に墚で曞かれた曞のこずで、日本では臚枈宗を䞻ずする犅僧の曞を指すこずが倚いを䜿うようになった。

    日垞生掻で䜿っおいる雑噚を茶事に取り入れ、茶の湯の簡玠化に努め、犅の思想を重芖した珠光は慎぀぀たしく、質玠なものにこそ趣があるずいう考えの「わび」を茶の䞖界にもたらし、䞍完党だからこそ矎しいずする「䞍足の矎」を説いた。

    珠光が亡くなった埌、堺の豪商で、茶人、歌人の歊野玹鎎じょうおうが珠光の茶の湯を深化させおわび茶を完成させ、わび茶の創始者ずされおいる。畳半より小さい畳半や畳半の茶宀を考案し、小さな座敷の䞭に、心のやすらぎを求めお䟘敷わひしきず称した。

    唐物の茶噚の代わりに信楜焌や瀬戞焌などの雑噚から茶道具を遞んで䜿甚し、貎族趣味的な茶事を避け、慎み深く行動するこずを説いた玹鎎は叀兞、和歌、連歌を孊んでいた。

    暹朚が枯れる初冬の冷え冷えずした空気感や、枅々しく凛ずした心持ちを衚す「冷え枯れ」「冷え痩やせ」ずいう矎孊を和歌や連歌の䞖界で理想ずしおいたが、そうした境地を茶事に取り入れた。道具よりも、心の有り様、持ち方を重芖した。

    玹鎎は、䞉条西実隆さんじょうにし さねたかから、『新叀今和歌集』を線纂した歌人の藀原定家に぀いお孊んでいた。実隆は内倧臣になるも、すぐに蟞めお、和歌、連歌、曞、将棋、囲碁に時間を費やした。

    実隆に孊んだ玹鎎は、藀原定家の有名な歌に、わび茶の理想を芋い出す。「芋枡せば 花も玅葉も なかりけり 浊のずたやの 秋の倕暮」
    芋枡しおみるず、矎しく咲く春の花も秋の芋事な玅葉もここには芋たらない。浜蟺の粗末な持垫の小屋だけが目に映る、なんずもわびしい秋の倕暮れであるこずよ

    花鳥颚月を矎しい蚀葉で衚珟するこずが和歌の䞻流、王道であるが、定家のこの歌は、花も玅葉も吊定し、わびしさに䟡倀を芋出しおいる。

    草庵颚の茶宀の基本は畳半で、それよりも狭い茶宀は小間こた、小座敷こざしき、数寄屋すきやなどず呌ばれ、畳半以䞊の茶宀は広間ひろたずいう。広間では台子だいす茶道の点前に甚いる茶道具で、氎指などの茶道具を眮くための棚などの棚物たなものや付曞院぀けしょいん床の間の脇に蚭けられる曞院で、棚板ず明かり取りをするための障子で構成されるを蚭けるこずができる。

    玹鎎は、堺の商人で茶人の今井宗久そうきゅう、接田宗及そうぎゅう、千利䌑らに匷い圱響を䞎え、利䌑は「珠光より道を埗、玹鎎より術を埗た」ず説いおいる。

    わび茶を倧成し、茶聖ちゃせいず称される千利䌑は堺の商家に生たれた。魚屋ずずやずいう屋号で倉庫業玍屋衆を営み、幌名は田䞭䞎四郎。法名は宗易そうえきで、豊臣秀吉ずずもに宮䞭に䞊がり、正芪町おおぎたち倩皇から利䌑の居士号を賜った。

    通垞は千宗易を名乗っおおり、祖父が田䞭千阿匥ず名乗っおいたので、そこから「千」を付けた。歊野玹鷗に茶の湯を習い、倩䞋人の織田信長や豊臣秀吉の茶頭さどう茶事党般を叞぀かさどり指導する人のこずずしお仕えた。

    宗易は代に堺の実質的支配者であった䞉奜家の䞀族の女性ず結婚し、代埌半たで、䞉奜家の埡甚商人ずしお堺を離れず、家業に打ち蟌み財を成した。氞犄幎に京郜に入った信長は翌幎、䞉奜䞉人衆䞉奜長逞ながやす、䞉奜宗枭そうい、岩成友通いわなり ずもみちが支配しおいた堺を盎蜄地ずしお傘䞋に収め、堺の豪商で茶人の今井宗久、接田宗及、千宗易を茶頭ずしお召し抱えた。

    信長は、傘䞋の倧名や家臣に茶の湯を奚励し、茶事の政治利甚を掚し進めた。埡茶湯埡政道おんちゃのゆ ごせいどうず呌ばれる統治スタむルで、配䞋の歊将に茶䌚の開催を蚱可し茶道具の優れた逞品、名物めいぶ぀を䞋賜かし身分の高い人が䜎い人に物を䞎えるこずしお支配力を匷めおきた。茶の湯は、歊家の瀌儀䜜法ず䜍眮付けられた。

    豊臣秀吉の䞋で、察極の茶宀を䜜った千利䌑


    千利䌑に幎間、茶の湯を孊んだ高匟で、堺の商人の山䞊宗二やたのうえ そうじは『山䞊宗二蚘』を曞き残しおいる。茶道史を解き明かす基本資料ず蚀える曞で、宗二は利䌑の茶の湯ぞの姿勢を曞き蚘した。

    歳たでは先人の茶を螏襲し、本胜寺の倉幎で信長が亡くなり、倩䞋分け目の戊いの山厎の合戊の頃から、利䌑は独自の茶の湯を始めたず述懐。利䌑が独自のわび茶を倧成させた時期は、歳で亡くなるたでの幎間であったずいう。

    宗二は秀吉を怒らせ、远攟されお浪人になり、蚱された埌、再床䞍興を買い、高野山に逃げ蟌んだ。その埌、盞暡囜の小田原に赎いお、北条氏䞀門の北条幻庵 げんあんに仕える。幻庵は北条早雲の末子で、和歌、連歌、尺八の補䜜、䜜庭などの芞事に通じおおり、長寿であったが、秀吉が北条氏を降䌏させる小田原埁䌐幎の前幎に亡くなっおいる。

    小田原埁䌐の最䞭、利䌑の仲裁で、秀吉は宗二を赊しお再登甚しようずしたが、宗二は北条幻庵に矩理立おしたため、秀吉の怒りを買い、耳ず錻を削がれお打ち銖にされた。その翌幎、利䌑が自刃するこずになる。

    秀吉も信長ず同様、茶の湯を宮䞭、公家ずの関係匷化や倧名の支配に利甚した。利䌑を茶頭の筆頭にし、犁䞭茶䌚や北野倧茶湯きたの おおちゃのゆの開催、運営に協力させた。秀吉ず利䌑ずの新たな関係が生たれたのが、䞻君、信長が本胜寺の倉で明智光秀に蚎たれ、秀吉ず光秀が戊った山厎の合戊倩王山の戊いである。

    珟圚の京郜府ず倧阪府の境界にある山厎に、劙喜庵みょうきあんがある京郜府乙蚓おずくに郡倧山厎町。秀吉は山厎に陣を敷き、陣䞭に利䌑を招いお、二畳の茶宀、埅庵たいあんを䜜らせた。劙喜庵の功叔こうしゅく和尚は利䌑に茶の湯を孊んでおり、利䌑は功叔ずずもに秀吉に茶を点じ、劎を慰めた。その埌、茶宀は解䜓され、江戞時代初期の慶長幎間幎幎に劙喜庵に移築し、再建築されたず蚀われおいる。

    劙喜庵の寺号は、宋の犅僧の倧慧宗杲だいえ そうこうの庵号から付けられ、連歌の祖であり、近江出身の山厎宗鑑が隠棲いんせいした堎所ず䌝えられる。山厎に䜏んだこずから「山厎」を姓にした宗鑑は讃岐囜銙川県芳音寺垂の興昌こうしょう寺の䞀倜庵いちやあんに赎き、そこで生涯を閉じた。

    劙喜庵の茶宀、埅庵は利䌑独特の構想で建おられ、珟存する茶宀ずしおは最叀の遺構で、囜宝に指定されおいる。屋根は切劻造り、杮葺こけらぶきで、曞院重芁文化財の南偎にある。

    珟圚、囜宝の茶宀は棟あり、囜宝茶垭䞉名垭ず呌ばれおいる。埅庵の他は、倧埳寺韍光院りょうこういんの密庵みったん京郜垂北区玫野むらさきの。小堀遠州の䜜ず䌝えられるず、犬山城愛知県犬山垂の東にある日本庭園、有楜苑うらくえんの劂庵じょあん織田信長の匟、織田有楜斎うらくさいによっお京郜・建仁寺の正䌝院しょうでんいんに建造された茶宀が移築された。

    山厎の合戊時の茶宀の埅庵に続いお、秀吉ず利䌑ずの匷い絆を瀺すのが「黄金の茶宀」である。倩正幎、倧坂城の本䞞もできおいない未完成の䞭、本䞞の䞋の山里曲茪やたざず くるわに、秀吉は利䌑に呜じ、移動可胜な「黄金の茶宀」を造らせた。

    幎、関癜ずなった秀吉は正芪町おおぎたち倩皇を蚪問し、埡所に黄金の茶宀を運んで茶䌚を開催。宮䞭に参内するため居士号「利䌑」を勅賜ちょくし倩皇からいただくこずされ、秀吉からは石が䞎えられた。

    豊埌倧分を基盀に九州北郚を支配しおいた倧名、倧友宗麟そうりんは、薩摩鹿児島の島接氏が九州を北䞊する勢いに脅嚁を感じ、幎、倩䞋統䞀を進めおいた秀吉に倧坂城で謁芋した。秀吉の傘䞋になるこずを条件に軍事的支揎を懇願した宗麟は、この時の様子を囜蚱の家老に手玙で知らせおいる。

    秀吉に倩守閣をはじめ倧坂城を案内され、家臣団にも䌚ったが、秀吉に平気で口をきけるのは千宗易利䌑だけだず。秀吉の異父匟の矜柎豊臣秀長から「倧坂城の内々奥向きのこずは宗易が知っおいる。公儀のこず倖郚のこずは私に盞談するように」ず忠告された。利䌑が隠然たる力を持っおいたこずを裏付ける史料ずなっおいる。

    島接氏が秀吉に降䌏し、九州を平定した幎、秀吉が京郜で造らせおいた政庁兌邞宅の聚楜第じゅらくだいが完成する。利䌑は聚楜第の築庭に関わり、屋敷を構えるこずを蚱された。その盎埌、秀吉は京郜の北野倩満宮の境内で北野倧茶湯を開催し、町人、癟姓にも参加を呌びかけ、玄人が茶䌚に参加。秀吉ず千利䌑、今井宗久、接田宗及の人の茶人が客人を迎え、茶を䟛した。

    巚倧な暩勢を劬たれた千利䌑

    利䌑は茶人ずしお名声ず暩嚁を誇り、「倩䞋䞀の茶の湯者ちゃのゆしゃ」ず讃たたえられたが、秀吉ずの良奜な関係は続かなかった。

    利䌑は京郜の倧埳寺に以前から寄進しおいたが、倧埳寺の䞉門䞉門ずは空門、無盞門、無䜜門の䞉解脱門のこずで、金毛閣きんもうかくず名付けられた。金毛ずは、犅語の「金毛の獅子」から匕甚した蚀葉で、修業を積んで䜕事にも動じない優れた犅僧のこずの造り替えのために資金揎助をした。

    利䌑ぞの感謝の意を衚すため、倧埳寺の䜏持じゅうじ䞀寺の䞻僧を務めるこずであった叀枓宗陳こけい そうちんが、利䌑の雪螏せったばきの朚像を造り、䞉門の䞊に祀った。

    だが、完成しお半幎ほど経ったずき、秀吉が山門をくぐれば、利䌑の雪螏で秀吉の頭を螏たれる圢になるから䞍敬に圓たるずの理由で、利䌑の朚像が問題になった。

    秀吉の偎近で、朚䞋祐慶ゆうけいずいう人物が茶入の目利めききを誀り、倧勢の䞭で利䌑に恥をかかされたこずを根に持ち、利䌑のあら探しをしお、京郜奉行で寺瀟奉行であった前田玄以げんいに蚎えたこずで隒ぎになった。

    もう぀の「眪状」は、茶道具の目利きや売買で、唐物名物ず利䌑が指瀺しお䜜らせた暂焌らくやき暂家が䜜陶した焌物などの茶道具を亀換しお、䞍圓な利益を埗おいたずいうものだ。

    芞術品の䟡倀は人それぞれで異なる。京郜の陶工、暂長次郎らく ちょうじろうが焌いた茶碗ず、唐物ずの䟡倀をどう比べるか。長次郎の楜焌で、珟圚、囜の重芁文化財になっおいる䜜品が数倚くある。

    蚀いがかりずも蚀える讒蚀ざんげんで秀吉の逆鱗に觊れ、利䌑は切腹を呜じられ、生涯を終えた。秀吉の暩力を確立し絶頂だった時期に、利䌑の茶の湯は倧成する。

    利䌑流の茶道の特色は、茶道具を前もっお茶宀に食っおおかず、茶宀に運び入れるずころから始める「運び点前おたえ」を広めたこずだ。氎指や茶噚などを棚に食り぀けおおく「棚点前《たなおたえ》」に察し、颚炉ふろず釜以倖の道具を茶道口から運んで点茶おんちゃ抹茶を点たおるこずする䜜法を重芖した。

    運び点前では、茶を点おるこずが「䞻」で、茶道具はそのための手段ずしお「埓」に䜍眮付けられおいる。唐物、なかでも名物を尊ぶ埓来のスタむルを吊定し、雑噚や身の回りの物を掻かし、楜茶碗や䞇代屋釜もずやがたなど、利䌑がプロデュヌスした「利䌑道具」を䜿うようにした。

    楜茶碗は、利䌑の意を受けた暂長次郎が䜜った茶碗で、蜆蜀ろくろを䜿わず手で土をこね立ち䞊げお指で敎える。䞇代屋釜は茶の湯釜の圢状のひず぀で、利䌑が京郜の鋳物垫、蟻䞎次郎぀じ よじろうに䜜らせ、女婿で堺の商人の䞇代屋宗安もずや そうあんに莈ったこずから名が付けられた。華矎な装食を吊定し、擂座るいざず蚀っお、釜の口や肩などに半球圢の粒が䞊ぶ文様ず、浮き䞊がった線が特色。

    利䌑は茶宀の蚭蚈でも倧きな倉革を行った。躙り口にじりぐち茶宀の入り口や䞋地窓したじたど土壁぀ちかべの䞀郚を塗らずに、壁の䞭の竹などの小舞こたいを露出させた窓などに工倫を凝こらし、草庵茶宀を挔出した。

    歊野玹鷗の時代たで、茶宀の採光は瞁偎えんがわに蚭けられた枚匕き、あるいは枚匕きの障子による「䞀方向からの光線」だったが、利䌑は茶宀を土壁で囲い、必芁に応じお窓を蚭けお光を採り入れる方法にした。この「囲いの誕生」によっお、茶宀内の光を自圚に操り、必芁な堎所を必芁なだけ照らし、逆に暗くしたい堎所は暗いたたにするこずが可胜になった。

    茶宀だけでなく、茶宀に向かう露地ろじにも利䌑は気を配っおいる。䞀般的に屋根などのおおいのない土地を露地ず呌ぶが、利䌑は茶宀ず、倖の露地茶庭を䞀䜓ずしお捉え、露地で䞖俗を断ち、粟神を浄化させる堎所ず䜍眮付け、露地を「浮䞖の倖の道」ず衚珟した。露地が、幜玄な境地に誘う茶宀ぞのアプロヌチずなっおいる。茶庭は狭く、背の䜎い朚が怍えられ、茶宀に花が食られるので、花が咲く朚を怍えないようにしおいる。

    茶道の流掟は町衆茶道、歊家茶道に分化

    倩正幎に千利䌑が切腹した埌、千家は䞀家離散ずなり、千利䌑の埌劻の連れ子で、嚘婿である千少庵せんの しょうあんは䌚接犏島県の倧名、蒲生氏郷がもう うじさずのもずで蟄居ちっきょを呜じられる。

    埳川家康ず蒲生氏郷のずりなしで、文犄幎、千少庵は秀吉に赊されお京郜に戻り、千家の再興を図る。利䌑が完成させた「わび茶」を受け継ぎ、少庵の息子、千宗旊せんの そうたんが利䌑のわび茶をさらに掚し進め、「乞食宗旊」ず呌ばれるほど、枅貧で犅の芁玠を加味し、わびの郚分を培底した。

    祖父の利䌑が秀吉に切腹させられたこずもあり、宗旊は倧名に仕官せず、経枈的に貧しかったが、人の息子たちは倧名家に仕えさせた。

    勘圓した長男を陀き、人の息子がそれぞれ家を興す。䞉男の江岑宗巊こうしん そうさが家督を継承し䞍審菎ふしんあん衚千家ず称し、四男の仙叟宗宀せんそう そうし぀が宗旊の隠居所を継いで今日庵こんにちあん裏千家を興す。逊子に出おいた次男の䞀翁宗守いちおう そうしゅが千家に戻っお官䌑庵かんきゅうあん歊者小路千家むしゃこうじ せんけずなった。

    この家は䞉千家さんせんけず呌ばれ、珟代たで続いおいる。䞉千家に出入りする茶道具の職人の茶碗垫、釜垫、塗垫、指物垫などの職家しょっかを千家十職せんけ じっしょくず呌ぶ。千家奜みの茶道具を䜜れる職人は限定されおいお、職人は固定され、代々匕き継がれおいく。

    千家十職の職皮ず職人名

    茶碗垫     暂吉巊衛門暂長次郎の埌継者、宗慶そうけいから吉巊衛門
    釜垫      倧西枅右衛門 鉄補、金補、銀補などの茶釜
    塗垫      䞭村宗哲 棗な぀め抹茶を入れる容噚、手桶などの塗り
    指物垫     駒沢利斎こたざわ りさい 棚、銙合、炉瞁など朚地党般
    金物垫     䞭川浄益 火箞、やかんなどの金物
    袋垫      土田友湖぀ちだ ゆうこ 仕芆しふく茶道具を入れる袋、服玗ふくさなど
    衚具垫     奥村吉兵衛 軞装掛け軞に仕立おるこず、屏颚など
    䞀閑匵现工垫  飛来䞀閑ひき いっかん 棗、銙合など
    竹现工・柄杓垫 黒田正玄 茶杓ちゃしゃく抹茶をすくう道具
    土颚炉どぶろ・焌物垫 西村氞暂善五郎 土颚炉は陶噚に黒挆を塗った颚炉

    千利䌑を祖ずする衚千家、裏千家、歊者小路千家の他にも、さたざたな流掟があり、を超えるずも蚀われる。

    利䌑の孫、千宗旊が育おた匟子の藀村庞軒ふじむら ようけん山田宗埧そうぞん杉朚晋斎すぎき ふさい久須矎疎安くすみ そあんを宗旊四倩王ず呌び、久須矎疎安の代わりに束尟宗二、䞉宅亡掋がうようを入れる説もある。宗旊の匟子から庞軒流、宗埧流、普斎流、束尟流などの流掟が生たれた。

    千利䌑以前の胜阿匥の茶道の流れの東山流、村田珠光を祖ずする奈良流珠光流ずも、歊野玹鎎を継ぐ堺流 などもあった。広たった局が商人、町人であったため町衆茶道ず蚀われおいる。

    千利䌑の高匟ずされる人の歊将を「利䌑䞃哲りきゅう しちお぀」ず呌ぶ。倧名、歊士階玚に茶道は広たり、倧名茶道、歊家茶道ず蚀われ、以䞋の人物が挙げられる。

    織田信長の実匟の織田長益ながたす有楜うらく。有楜斎ずも、南山城・東倧和藩䞻の叀田織郚、近江囜小宀藩䞻の小堀遠州、倧和小泉藩䞻の片桐石州せきしゅう、飛隚高山藩䞻の長男ずしお生たれた金森宗和かなもり そうわ、安芞藩䞻の浅野家の家老であった䞊田宗箇そうこ、豊前小倉藩䞻の现川忠興䞉斎、肥前平戞藩䞻の束浊鎮信た぀ら しげのぶ、束江藩䞻の束平治郷はるさず䞍昧ふたい、矎濃加玍藩䞻の安藀信友のぶずも、圊根藩䞻の井䌊盎匌なおすけなどである。

    それぞれ有楜流、織郚流、遠州流、石州流、宗和流、䞊田宗箇流䞊田流、䞉斎流、鎮信流ちんしんりゅう、䞍昧流、安藀家埡家流おいえりゅう埡家流、圊根䞀䌚いちえ流ずしお匕き継がれおいる。肥埌熊本藩で䌝承された肥埌叀流ひごこりゅう、豊前小倉藩に䌝わる小笠原家茶道叀流さどうこりゅう小笠原叀流もある。

    囜宝の぀の茶碗の぀は海倖で䜜陶

    「囜宝」などを決める文化財保護法が昭和幎月に斜行されたが、幎に法隆寺金堂の火灜で、法隆寺金堂壁画焌損事件がきっかけだった。昭和幎に斜行された囜宝保存法では、重芁文化財ず囜宝の違いがなく、囜宝保存法時代の囜宝は、文化財保護法の芏定の重芁文化財ずされた。

    囜宝は、文郚科孊省に蚭眮される「文化審議䌚」が専門調査䌚に調査を䟝頌し、調査結果を基に、囜宝にするかどうかを話し合い、メンバヌ党員が「囜宝にふさわしい」ず刀断しないず、囜宝に指定されない。

    囜宝の刀断基準は「重芁文化財のうち、䞖界文化から芋おも䟡倀が高く、たぐいない囜民の宝」ず芏定されおおり、たず有圢文化財に分類・指定され、次に重芁文化財ず認定され、さらに「囜民の宝」ず指定される。

    囜宝は「矎術工芞品」ず「建造物」に分れおおり、矎術工芞品は絵画、圫刻、工芞品、曞蹟曞道の優れた䜜品や墚蹟・兞籍叀くから䌝わる本 、叀文曞、考叀資料、歎史資料の぀のゞャンルがある。什和幎月時点で、囜宝は件。

    最も倚いのが工芞品で、陶磁噚、仏教の法具、刀剣日本刀など。陶磁噚の茶碗で囜宝に指定されおいるのは、以䞋の件。

    「曜倉倩目茶碗 皲葉倩目」ようぞんおんもく いなばおんもく静嘉堂文庫矎術通蔵
    「曜倉倩目茶碗」ようぞんおんもく藀田矎術通蔵
    「曜倉倩目茶碗」ようぞんおんもく倧埳寺塔頭倧通庵 韍光院蔵
    「井戞茶碗 銘 喜巊衛門」いどちゃわん倧埳寺塔頭 孀篷庵こほうあん蔵
    「油滎倩目茶碗」ゆおきおんもく倧阪垂立東掋陶磁矎術通蔵
    「玳玻倩目茶碗」たいひおんもく盞囜寺・承倩閣矎術通蔵
    「志野茶碗 銘 卯花墻」うのはながき䞉井蚘念矎術通蔵
    「楜焌癜片身倉茶碗 銘 䞍二山」らくやき しろかたみがわりサンリツ服郚矎術通蔵

    他に、点の陶磁噚が囜宝になっおいる。
    「色絵藀花文茶壺」いろえふじはなもん ちゃ぀が野々村仁枅䜜MOA矎術通蔵
    「色絵雉銙炉」いろえ きじこうろ野々村仁枅䜜石川県立矎術通蔵
    「飛青磁花生」ずびせいじ はないけ倧阪垂立東掋陶磁矎術通蔵
    「青磁鳳凰耳花生 銘 䞇声」せいじ ほうおうみみ はないけ和泉垂久保惣蚘念矎術通蔵
    青磁䞋蕪花生せいじ しもかぶら はないけ アルカンシ゚ヌル矎術財団蔵 東京囜立博物通寄蚗
    秋草文壺あきくさもんこ  慶應矩塟蔵 東京囜立博物通寄蚗
    アルカンシ゚ヌル矎術財団は矀銬県枋川垂にある原矎術通ARCを運営。

    茞出甚茶宀の暡型を展瀺する「朚組み博物通」

    裏千家の総本郚が初の海倖支郚をハワむに開蚭したのが昭和幎。衚千家も初の海倖拠点のハワむ支郚を幎に蚭眮し、その埌、日本の茶の湯の海倖進出が加速しおいく。

    昭和幎代幎幎に、枅氎建蚭が斜工した茶宀を、癟貚店の癜朚屋東急癟貚店ず合䜵しお東急癟貚店日本橋店ずなるが、閉店。その跡地はコレド日本橋にが販売を担圓しおハワむに茞出。その茶宀の暡型ず看板が、朚造建築の䌝統技術を䌝えるミュヌゞアム「朚組み博物通」に残されおいる。

    朚組み博物通は、䌝統工法で建おる寺瀟仏閣や茶宀の建蚭が枛少し、朚造建築の文化を埌䞖に䌝えるこずが難しくなる䞭、朚組みの技術を䜓感できるミュヌゞアムずしお幎に開通した。

    薬垫寺䞉重塔の倧型朚組みのレプリカや、胜舞台の床䞋に甕かめを眮いお音響効果を出す建物暡型が展瀺され、釘くぎを䜿わず組み立おる朚組みを觊っお䜓隓できる。挆うるしの効甚やバクテリアを掻甚する土壁の技法も解説され、朚造建築の奥の深さが感じられる。

    朚組み博物通
    東京郜新宿区西早皲田2-3-26 ホヌル゚むト3階
    03-3209-0430

    画像
    昭和幎代にハワむぞ茞出された茶宀の建物暡型
    画像
    茞出甚の茶宀は、枅氎建蚭が蚭蚈斜工し癜朚屋が販売を担圓した

    珟圚も茶宀の建蚭を手掛け、実瞟のある建蚭䌚瀟を以䞋に瀺しおおく。

    安井杢工務店
    京郜府向日垂䞊怍野町銬立2-4
    075-933-0012
    https://www.yasuimoku.co.jp/

    ✯間工務店
    東京郜江東区冬朚9-13
    03-3641-9136
    http://www.ishima.co.jp/

    氎柀工務店
    東京郜江東区朚堎 5-6-1
    03-3641-7111
    https://mizusawa-inc.co.jp/

    藀森工務店
    東京郜䞭倮区日本橋本町4-5-13 SG日本橋本町7階
    03-3272-2733
    http://www.sukiya-fujimori.jp/

    䜐藀秀
    東京郜新宿区新宿5-6-11
    03-3225-0311
    https://www.satohide.co.jp/

    以䞋のペヌゞで、茶道に関連するミュヌゞアムを解説するが、分量が倚いので、目次で興味のあるミュヌゞアムだけチェックしおいただきたい。茶碗、茶の湯釜などの茶道具に関するミュヌゞアムも含たれおいる。

    お茶の歎史ずお茶に関連するミュヌゞアムは別項の「お茶のミュヌゞアムに行こう」で玹介しおいる。

    陶磁噚のオンラむンミュヌゞアムに「陶磁オンラむン矎術通」がある。

    陶磁オンラむン矎術通

    TOUJI GRAPHICA VIRTUAL MUSEUM
    陶磁オンラむン矎術通では日本、䞭囜、朝鮮を䞭心ずした茶碗、茶噚、皿、壺、氎差、杯などの写真を掲茉し、陶磁噚の特色ず魅力を解説。運営者は陶磁噚の研究家でカメラマン。

    青森県

    接軜茶道矎術通

    青森県黒石垂倧字豊岡字狌森27-105
    0172-53-3082
    䌑通日 火曜日祝日の堎合は翌日 12月1日3月31は冬期䌑通
    10:0016:00 300円

    陶芞家の今井理桂りけいの工房、「接軜烏城うじょう焌 䞉筋工房」の裏手に「接軜茶道矎術通」が平成幎に開通した。通内には、理桂が制䜜した䜜品ず、蒐集品を䞭心に茶道具類を展瀺。平安時代の垞滑焌に魅せられお陶芞の道に入った理桂は釉薬をかけず、自然釉にこだわり、穎窯窖窯あながたず登り窯で焌成する烏城焌を開発した。

    日本で初めお窯が登堎したのは叀墳時代で、須恵噚を焌くための穎窯が始たり。埓来の土噚は手びねり蜆蜀ろくろを䜿わないで成圢した土を「野焌き」しおいたのに察し、須恵噚は蜆蜀を䜿っお成圢し、窯で焌く最先端の焌物だった。その穎窯を䜜陶に採り入れおいる。

    理桂が幎かけお築いた䞖界最長、段メヌトルの登り窯は幎、ギネス䞖界蚘録に認定された。接軜茶道矎術通には茶宀や和宀があり、お茶䌚などの貞し垭ずしお利甚でき、喫茶コヌナヌでは抹茶ず菓子を楜しめる。接軜烏城焌の特色が動画で玹介されおいる。

    宮城県

    切蟌焌蚘念通

    宮城県加矎郡加矎町宮厎切蟌3
    0229-69-5751
    䌑通日 第24月曜日 幎末幎始
    10:0016:30入通は16:00たで 300円

    切蟌きりごめ焌は、江戞時代から明治初期たで、加矎町切蟌地区で焌いおいた陶磁噚で、仙台藩の埡甚窯 ごようがた ずしお䞊質な補品を焌きながら、庶民向けの日甚雑噚も生産しおいた。

    創始ははっきりしおおらず、仙台藩初代藩䞻の䌊達政宗、代藩䞻の綱宗の頃ずも蚀われるが、玀幎銘きねんめい補䜜の幎代を明らかにする蚀葉を刻んだ最叀の湯呑茶碗が倩保幎ずなっおいお、匘化・嘉氞期幎幎に最盛期を迎えた。

    癜地に藍色で文様が描かれる染付磁噚が切蟌焌の䞻流で、トルコブルヌ、玫、癜で圩られる二圩・䞉圩は「東北陶磁の華」ず珍重された。明治になっお、仙台藩は戊蟰戊争や廃藩眮県などで苊境に陥り、切蟌焌も明治幎に窯を閉じ、歎史や実態が謎に包たれた焌物ずなっおいる。

    切蟌焌蚘念通は䌝䞖の優品ず資料を展瀺し、切蟌焌ず地元の歎史、民俗ずの関わり、切蟌焌の謎ず矎に぀いお玹介。切蟌焌蚘念通の西通に幎、「芹沢長介コレクション展瀺宀」がオヌプンし、䞉圩桔梗皿や染付牡䞹がたん雲文うんもん怍朚鉢など切蟌焌の䜜品が展瀺されおいる。

    老朜化のため幎に閉通した「芹沢長介蚘念 東北陶磁文化通」加矎郡加矎町は東北倧孊や東北犏祉倧孊の教授を務めた考叀孊者の芹沢長介が東北の「生掻のやきもの」を蒐集したミュヌゞアムだった。同通の所蔵品のうち、切蟌焌の䜜品や資料など点を切蟌焌蚘念通が匕き継いでいる。

    䌊達藩ず茶の湯の関わりは、初代の䌊達政宗に始たる。正宗は千利䌑の埌継者、叀田織郚の匟子である枅氎道閑どうかんを仙台に招いお石を䞎え、茶の湯を広めた。道閑の子、代動閑は䌊達藩の藩呜によっお、倧和小泉藩の藩䞻、片桐石芋守貞昌石州に幎間指導を受け、皆䌝を受けお仙台に戻り、石州流の茶道を広める基盀を䜜った。

    片桐石州は埳川代将軍、家綱の茶道指南圹ずなり、「将軍家の茶道」ず認められたこずで、石州流は党囜の諞倧名に広たっおいく。

    䌊達藩代藩䞻、䌊達綱村は文化人で数奇すき倧名ずしお知られ、倚いずきは幎に回も茶䌚を開催したず蚀われ、代枅氎道竿を茶道指南圹に任じた。道竿は「石州流枅氎掟」を確立し、䌊達藩だけでなく諞藩に広めた茶人で、石州流枅氎掟は珟圚も宮城県に根付いおいる。

    文化庁の「日本遺産」に認定された「政宗が育んだ“䌊達”な文化」では「茶杓 仙台藩歎代藩䞻䜜」が構成文化財ずなっおおり、初代藩䞻の䌊達政宗から代藩䞻の吉村たでの茶杓ず、茶杓を玍めた黒挆塗の茶杓箪笥が䌝えられおきた。政宗は若い頃から茶の湯に芪しみ、政宗が枅氎道閑を茶道垫範ずしお以来、䌊達藩では叀田織郚門䞋の枅氎家の石州流が䞻流を占めおいる。

    栃朚県

    栗田矎術通

    栃朚県足利垂駒堎町1542
    0284-91-1026
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌日 幎末幎始
    9:3017:00入通は16:30たで 1250円 

    栗田矎術通は䌊萬里、柿右衛門、鍋島を収蔵する䞖界屈指の陶磁矎術通で、足利垂の出身の栗田英男が蒐集したコレクションを展瀺。栗田は肥料商、東京毎倕新聞瀟瀟䞻などを務め、衆議院議員、総䌚屋、䌁業の顧問ずしおも掻動。栗田政治経枈研究所を蚭立し、䌁業の粉食決算、䞍祥事を远及する理論掟の総䌚屋であった。

    昭和幎にコレクションの䞀郚を東京郜䞭倮区に栗田矎術通東京本通を開通しお䞀般公開しおいたが、幎に地元の足利垂に栗田矎術通を開通した。足利垂郊倖の䞇坪の景勝地に四季の花や草朚など配した庭園を持぀。本通、歎史通、無名陶工祈念聖堂、陶磁䌚通、阿蘭陀通、䞖界陶磁通がある。

    癜い挆喰壁が特城の本通には䌊萬里、鍋島の名品玄点を展瀺。有田の泉山いずみやたで採掘された癜磁鉱で補䜜した磁噚タむルを建物の内倖に䜿甚した階建おの歎史通には䌊萬里焌の歎史を抂芳できる。

    䌊萬里焌は日本で最初に䜜られた磁噚で、垰化した朝鮮陶工によっお元和元幎頃、䜐賀県の有田町で創始された。䌊萬里は積出枯であったが、肥前有田焌に代っお䌊萬里焌ず呌ばれた。鍋島藩は、赀絵付の技法が他に挏れるこずを極床に譊戒し、赀絵付業者は軒に限っお免蚱を䞎え、厳しく統制しおいた。

    オランダ東むンド䌚瀟によっお、䌊䞇里焌はペヌロッパに茞出され、豪華絢爛な赀絵は圧巻。鍋島藩の埡甚窯ずしお、藩䞻の自家甚品、莈答品、献䞊品など、甚途によっお倚圩な様匏矎を持぀。藩䞻が甚いた茶道具では「鍋島色絵薔薇文向付」や「鍋島色絵薔薇文皿」などを所蔵しおいる。

    栗田矎術通の近くには、日本最叀の倧孊の足利孊校、足利尊氏の始祖が創建し、囜宝の鑁阿寺ばんなじ本堂や重芁文化財の鐘楌で有名な鑁阿寺がある。

    茚城県

    板谷波山蚘念通

    茚城県筑西垂甲866-1
    0296-25-3830
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌日 幎末幎始
    10:0018:00入通は17:30たで 210円 特別展は別料金

    茚城県の珟圚の筑西垂で、醀油醞造業ず雑貚店を営む旧家に生たれた板谷波山いたや はざんは東京矎術孊校珟・東京藝術倧孊圫刻科に入孊し、岡倉芚䞉倩心、高村光雲らの指導を受け、卒業埌、金沢の石川県工業孊校珟・石川県立工業高等孊校の圫刻科の教諭になった。1幎埌に圫刻科が廃止されお陶磁科に転籍ずなり、元々興味があった陶芞を教えながら、本栌的に䜜陶に打ち蟌んだ。

    明治幎、歳のずきに蟞職し、家族ず共に䞊京。東京・田端に窯を築いたが、䜜品は売れず、「板堎砎産」ず自嘲するほど貧しかった。同幎、東京高等工業孊校東京工業倧孊、珟圚の東京科孊倧孊窯業科の嘱蚗ずなり、幎間、埌進の教育に携わった。

    幎、日本矎術協䌚展で受賞しお以降、数々の賞を受賞し、垝囜矎術院䌚員、垝宀技芞員になり、幎に陶芞家ずしお初めお文化勲章を受章。幎に重芁無圢文化財保持者人間囜宝の候補ずなるが、蟞退しおいる。

    波山の䜜品には青磁、癜磁、圩磁さいじ倚色を甚いた磁噚などがあるが、造圢や色圩に完璧を期しおおり、栌調の高さが特色。぀や消しの釉薬を葆光釉ほこうゆうず名付けた。葆光ずは光を隠し、包むずいう意味で、葆光釉によっお床で焌成するず、薄絹を透かしたような淡い光を攟぀が、これは波山独自の技法。

    筑西ちくせい垂の板谷波山蚘念通では、波山の䜜品や、自ら築造した䞉方焚口倒焔匏䞞窯さんぜうたきぐち ずうえんしき たるがた、陶磁噚関連の資料を芋孊できる。波山は䜜陶の仕事に入る前に、抹茶を嗜んだず蚀われおいお、粟神を萜ち着かせ、枅らかな気持ちで制䜜に向かったずいう。

    茶碗、茶入、氎差などの茶道具も数倚く手掛けおおり、茶碗では「癜倩目茶碗」「倩目茶碗」「黒平茶碗」「圩磁絞手しがりで藍の絞り染めのように釉薬がにじんでいる状態茶碗」など、氎差では「青磁蓮華文氎差」「氷華磁牡䞹文氎差」などを所蔵しおいる。

    東京郜

    東京囜立博物通

    東京郜台東区䞊野公園13-9
    050-5541-8600
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌平日 幎末幎始
    9:3017:00 入通は16:30たで 展芧䌚によっお異なる

    明治幎、東京の湯島聖堂倧成殿たいせいでんで湯島聖堂博芧䌚が開催され、これが東京囜立博物通愛称 トヌハクのルヌツで、幎䜙の歎史を持぀。日本最叀で最倧の博物通の収蔵品は玄䞇件で、このうち囜宝件、重芁文化財件ず質、量ずもに日本を代衚するミュヌゞアム。収蔵品や寄蚗品で構成される「総合文化展」では玄件を展瀺する。

    「日本の博物通の父」ずしお知られる田䞭芳男が東京囜立博物通や䞊野動物園の蚭立に携わった。田䞭は物産孊、本草孊、分類孊の研究に関わり、近代図曞通創蚭の功劎者の垂川枅流せいりゅうによっお考案された「博物通」ずいう和補挢語を町田久成ひさなり明治以降の廃仏毀釈で倚くの矎術品が砎壊され、海倖流出しおいる状況に危機感を持ち、博物通の創蚭に尜力。東京囜立博物通の初代通長ずずもに普及させた。

    東京囜立博物通の展瀺通は通あり、本通では日本矎術、平成通では日本の考叀、東掋通では東掋矎術、法隆寺宝物通では法隆寺献玍宝物を展瀺し、衚慶通では特別展や催し物を開催し、黒田蚘念通無料は掋画家の黒田枅茝の䜜品を玹介しおいる。

    矎術コレクタヌが東京囜立博物通にコレクションを寄莈するケヌスも倚く、「電力の鬌」ずの異名をも぀実業家、茶人、叀矎術蒐集家の束氞安巊゚門は茶道具などを寄莈。

    安巊゚門は䞭郚、関西、九州、四囜にたたがる電力䌚瀟、東邊電力の経営に携わり、戊前戊埌を通じお電力界の重鎮ずしお掻躍。還暊を迎えお茶の湯を始め、耳庵じあんずいう号を名乗った。安巊゚門は、䞉井財閥の重鎮で、䞉井物産の蚭立に関わった益田孝鈍翁どんのう、䞭倖商業新報䞭倖物䟡新報を改組瀟長や䞉越呉服店瀟長などを歎任した野厎廣倪幻庵ずずもに、小田原に邞宅を構えたこずから「小田原䞉茶人」ず呌ばれた。

    東京囜立博物通の「束氞コレクション」には、重芁矎術品の「倧井戞茶碗 有楜井戞」「文琳茶入 銘 宇治」「志野茶碗 銘 橋姫」「竹茶杓 蒲生氏郷䜜」「青磁鳳凰耳瓶 韍泉窯」「芊屋束図真圢釜あしや た぀ず しんなりがた」などがある。

    静嘉堂文庫矎術通

    東京郜千代田区䞞の内2-1-1 明治生呜通1F
    050-5541-8600
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌平日 幎末幎始
    10:0017:00入通は16:30たで 1500円

    静嘉堂せいかどう文庫矎術通は、䞉菱グルヌプの創始者、岩圌倪郎の匟、岩圌之助ず小圌倪の父子代が蒐集した矎術品を収蔵、展瀺する矎術通。絵画、圫刻、曞蹟、挆芞、茶道具、刀剣、䞭囜陶磁など幅広いゞャンルに枡り、茶噚の曜倉倩目茶碗皲葉倩目などの囜宝件、重芁文化財件を含む玄件の東掋叀矎術ず、玄䞇冊の叀兞籍挢籍䞇冊、和曞䞇冊を所蔵し、質量ずもに囜内屈指のコレクションを誇る。

    静嘉堂文庫は明治幎、東京・駿河台の岩圌之助邞内に創蚭された文庫で、図曞通ずしおの機胜も持っおおり、昭和幎から静嘉堂文庫に䜵蚭された展瀺通で矎術品の䞀般公開が始たった。

    静嘉堂の名称は䞭囜の叀兞『詩経』の䞭の籩豆静嘉ぞんずう せいかの句から採った圌之助の堂号で、祖先の霊前に十党な䟛物くも぀を䟛そなえお矎しく敎えるずいう意味。

    静嘉堂創蚭呚幎を蚘念し、平成幎、静嘉堂文庫矎術通を東京・䞖田谷に新蚭し、創蚭呚幎の什和幎、展瀺ギャラリヌを䞖田谷から東京䞞の内の明治生呜通重芁文化財階に移転。日本を代衚する近代掋颚建築の䞭で䜜品を鑑賞できる。垞蚭展瀺はなく、䌁画展でテヌマに沿った䜜品を玹介する。

    陶磁噚の䞭の茶碗で、囜宝に指定されおいるのは件あるが、その぀が静嘉堂文庫矎術通が所蔵する「曜倉倩目茶碗」で「皲葉倩目いなばおんもく」ず蚀われるもの。代将軍、埳川家光が、乳母だった春日局が病気で䌏したずき、家光から薬ず共に茶碗を䞋賜され、春日局の子孫である淀藩珟圚の京郜垂䌏芋区にあった藩䞻の皲葉家に䌝わったため、「皲葉倩目」ず呌ばれおいる。

    陶磁噚の茶碗で囜宝に指定されおいるのは、以䞋の件。
    「曜倉倩目茶碗 皲葉倩目」ようぞんおんもく いなばおんもく静嘉堂文庫矎術通蔵
    「曜倉倩目茶碗」ようぞんおんもく藀田矎術通蔵
    「曜倉倩目茶碗」ようぞんおんもく倧埳寺塔頭倧通庵 韍光院蔵
    「井戞茶碗 銘 喜巊衛門」いどちゃわん倧埳寺塔頭 孀篷庵こほうあん蔵
    「油滎倩目茶碗」ゆおきおんもく倧阪垂立東掋陶磁矎術通蔵
    「玳玻倩目茶碗」たいひおんもく盞囜寺・承倩閣矎術通蔵
    「志野茶碗 銘 卯花墻」うのはながき䞉井蚘念矎術通蔵
    「楜焌癜片身倉茶碗 銘 䞍二山」らくやき しろかたみがわりサンリツ服郚矎術通蔵

    静嘉堂文庫矎術通は、重芁文化財の「油滎倩目」も所蔵。油滎倩目は、䞭囜犏建省建陜県にあった陶窯の「建窯」で焌かれた黒釉茶碗で、油の滎を垂らしたような銀斑が茶碗の内倖に珟れたものをいう。日本に䌝わった唐物からもの茶碗の䞭で、「曜倉倩目」に次いで「油滎倩目」茶碗が珍重された。

    「唐物茄子茶入 付藻茄子぀くもなす」も名品で、宀町幕府代将軍、足利矩満が所有し、所有者は転々ずし、束氞久秀から織田信長に献䞊されるが、本胜寺の倉埌、豊臣秀吉の手に。倧坂倏の陣で、倧坂城ず共に焌けおバラバラになるが、埳川家康の呜什で、挆職人の藀重 ふじしげ 藀元 ずうげん 、 藀巖 ずうがん父子が焌け跡から砎片を探し出し、継ぎ合わせお修埩。その出来映えを称えお、家康は藀重家に䞎え、代々所有しおきたが、明治になっお岩厎圌之助に譲られたずいう来歎がある。

    茶道具関連の展瀺では「倧名家旧蔵、静嘉堂茶道具の粋」「茶の湯の矎、煎茶の矎」「名物裂めいぶ぀ぎれ宀町時代以降、珍重された唐物の茶碗を包む袋や絵画・墚蹟の衚具甚の織物ず叀枡り曎玗こわたり さらさ茶道具を入れる袋や敷物ずしお重甚されたむンド補の曎玗のこず」などのテヌマで展芧䌚を開催しおいる。

    ★出光矎術通  䌑通䞭

    東京郜千代田区䞞の内3-1-1
    050-5541-8600
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌日 幎末幎始
    10:0017:00入通は16:30たで金曜日は10:0019:00入通は18:30たで 1200円

    出光矎術通は、出光興産の創業者であり、矎術通の創蚭者の出光䜐䞉が䜙幎の歳月をかけお蒐集した矎術品を展瀺・公開するため、昭和幎、千代田区䞞の内の垝劇ビルに開通した。

    「䌎倧玍蚀絵巻」囜宝、手鑑おかがみ厚手の玙で䜜られた折垖おりじょうに、叀筆の断簡だんかんを貌り付けた䜜品集「芋努䞖友みぬよのずも」囜宝、䌝藀原行成「久束切和挢朗詠抄」をはじめ、曞蹟、絵画、瞄文土噚から江戞時代たでの日本の䞻芁な陶磁噚、ゞョルゞュ・ルオヌなどの掋画のコレクションを所蔵し、幎6回の䌁画展を開催。

    茶道具は、野々村仁枅の「色絵芥子文茶壺」重芁文化財、本阿匥光悊の「赀楜兎文銙合」重芁文化財などの茶道工芞矎術品を所蔵。通内の䞀角には建築家の谷口吉郎よしろうが蚭蚈した茶宀「朝倕菎ちょうせきあん」があり、季節に合わせた茶道具の展瀺を行う。

    朝倕菎では、仙厓矩梵せんがい ぎがん和尚の呜日月日に茶䌚を開催。仙厓和尚が䜏職をしおいた犏岡県博倚の聖犏しょうふく寺は臚枈宗の寺院で、明菎栄西みょうあん えいさいが創建した日本最初の本栌的な犅寺。「扶桑最初犅窟ふそう さいしょ ぜんく぀」日本で最初の犅宗寺院ずいう意味ずしお有名で、栄西が䞭囜から九州に垰囜しお最初に建おられた寺院である。

    『喫茶逊生蚘』を著わしお日本に茶を広めた栄西ゆかりの寺の䜏職を務めた仙厓は画家でもあり、ナヌモア溢れる犅画を描いおいる。出光䜐䞉が歳に入手したのが仙厓の䜜品で、䜐䞉が矎術品を集める出発点ずなった。幎月に展芧䌚掻動を修了し、ビル建替のため長期䌑通䞭。

    䞉井蚘念矎術通

    東京郜䞭倮区日本橋宀町2-1-1 䞉井本通7階
    050-5541-8600
    䌑通日 月曜日 幎末幎始
    10:0017:00入通は16:30たで 1200円特別展1500円

    䞉井家から寄莈を受けた日本、東掋の優れた矎術品を収蔵しおいた䞉井文庫別通が、䞉井グルヌプに瞁の深い日本橋に移転しお、平成幎に䞉井蚘念矎術通ずしお開通。「志野茶碗 銘 卯花墻うのはながき」、円山応挙の「雪束図屏颚」などの囜宝が点、重芁文化財が点、重芁矎術品が点など、玄点を収蔵する。

    囜宝、重芁文化財など名品が倚い茶道具を䞭心に、円山応挙などの円山掟の絵画、䞭囜叀拓本䞉井高堅たかかたが蒐集したもので、高堅の邞宅の名前から、聎冰閣おいひょうかくコレクションず呌ばれる、曞蹟、胜面など倚岐に枡る。

    展瀺宀には、䞉井家ゆかりの囜宝の茶宀「劂庵じょあん」を忠実に再珟したコヌナヌがあり、季節に合わせお茶道具を取り揃える。

    劂庵は、織田信長の実匟の織田有楜うらくが京郜・建仁寺の境内に建おた茶宀で、明治幎に䞉井家の所有ずなり、その埌売华され、珟圚は愛知県犬山垂にある日本庭園、有楜苑に移築されおいる。

    珟圚、囜宝の茶宀は劂庵を含めお棟あり、「囜宝茶垭䞉名垭」ず呌ばれおいる。劂庵の他の茶宀は、京郜府の山厎にある劙喜庵みょうきあんの埅庵たいあんず、京郜の倧埳寺韍光院りょうこういんの密庵みったん小堀遠州の䜜ず䌝えられる。

    所蔵品の䞭栞をなす茶道具には、囜宝「志野茶碗 銘 卯花墻」の他重芁文化財「黒楜茶碗 銘 俊寛」、「倧名物 唐物肩衝茶入 北野肩衝」などがある。

    日本で焌かれた茶碗で囜宝に指定されおいるのは、本阿匥光悊の「楜焌癜片身倉しろかた みがわり茶碗 銘 䞍二山」サンリツ服郚矎術通蔵ず、この卯花墻の碗だけ。

    卯花墻は矎濃の牟田掞窯むたがらがたで焌かれたもので、歪んだ噚圢、奔攟な篊削りぞらけずり䜜陶の過皋で篊を䜿い、圢を敎える手法、釉䞋ゆうかの鉄絵鉄分を倚く含んだ䞋絵具で釉薬の䞋に絵付けしたものを鉄絵ずいうなどは織郚奜み叀田織郚が奜んだ噚で、わびを基調ずしながらも、自由闊達で豪奢、倧胆な矎の远求に特色があるに通じる郚分がある。

    陶磁噚の茶碗で囜宝に指定されおいるのは、以䞋の件。
    「曜倉倩目茶碗 皲葉倩目」ようぞんおんもく いなばおんもく静嘉堂文庫矎術通蔵
    「曜倉倩目茶碗」ようぞんおんもく藀田矎術通蔵
    「曜倉倩目茶碗」ようぞんおんもく倧埳寺塔頭倧通庵 韍光院蔵
    「井戞茶碗 銘 喜巊衛門」いどちゃわん倧埳寺塔頭 孀篷庵こほうあん蔵
    「油滎倩目茶碗」ゆおきおんもく倧阪垂立東掋陶磁矎術通蔵
    「玳玻倩目茶碗」たいひおんもく盞囜寺・承倩閣矎術通蔵
    「志野茶碗 銘 卯花墻」うのはながき䞉井蚘念矎術通蔵
    「楜焌癜片身倉茶碗 銘 䞍二山」らくやき しろかたみがわりサンリツ服郚矎術通蔵

    千利䌑、匟子である叀田織郚や織田有楜などが手がけた茶道具や同時代の茶噚を収蔵するが、垞蚭展は行っおおらず、「茶の湯の矎孊 ―利䌑・織郚・遠州の茶道具―」などの䌁画展の開催時に茶道具の名品に出䌚える。

    根接矎術通

    東京郜枯区南青山6䞁目5-1
    03-3400-2536
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌火曜日 幎末幎始
    10:0017:00入通は16:30たで 䌁画展1400円 特別展1600円オンラむン日時指定予玄はそれぞれ100円匕き

    山梚県に生たれ、東歊鉄道の瀟長などを務めた実業家、根接嘉䞀郎が蒐集した日本、東掋の叀矎術品コレクションを保存、展瀺するために昭和幎に開通。嘉䞀郎は南海電鉄の沿線の䌚瀟、東京の地䞋鉄など、の鉄道䌚瀟の経営に関わり、鉄道王ず呌ばれた。

    若い頃から叀矎術品に関心を寄せおいた嘉䞀郎は、明治幎、東京に本拠を移すず、政治、教育の䞖界にも掻動の堎を広げた。茶の湯に勀いそしむようになるず、矎術品の蒐集に拍車がかかり、絵画、曞蹟、圫刻、陶磁、挆芞、金工、朚竹工、染織など、東掋叀矎術品を倚岐に枡っお入手。コレクションは秘蔵するのではなく、「衆ず共に楜しむ」こずを願っおいた。

    幎、父の死を受けお2代目根接嘉䞀郎が歳で東歊鉄道瀟長に就任し、同幎に財団を蚭立し、翌幎、矎術通を開蚭する。だが、幎の戊灜で展瀺宀や茶宀などの倧郚分を焌倱したが、幞いなこずに矎術品は灜害を免れた。

    幎に矎術通本通を再建し、床の増改築を経お、建築家、隈研吟の蚭蚈により幎にリニュヌアルオヌプン。぀の茶宀が点圚する、玄䞇平方メヌトルの緑豊かな日本庭園を散策したり、庭園内のカフェでお茶や軜食を味わいながら、ゆっくりずした時間を過ごせる。

    幎の財団蚭立時、点でスタヌトした所蔵品は、珟圚件に増加。尟圢光琳の「燕子花図かき぀ばたず」や、䞭囜の南宋から元の氎墚画家、牧谿もっけいの「持村倕照図ぎょそん せきしょうず」などの囜宝件、円山応挙の「藀花図ふじはなず」、「無孊祖元むがくそげん墚蹟 偈断簡げだんかん」などの重芁文化財件、重芁矎術品件が含たれる。

    コレクションの倧郚分は初代嘉䞀郎の蒐集によるもので、晩幎、自ら青山ず号し、茶の湯を楜しみ、倚くの名物茶噚を蒐集。茶の湯の道具類が充実しおおり、日本を代衚する「茶の矎術通」ずしお知られおいる。

    「青井戞茶碗 銘 柎田」「雚挏茶碗」「瀬戞䞞壺茶入 銘 盞坂おうさか」「錠ねずみ志野茶碗 銘 山の端やたのは」などの茶碗や「叀芊屋束梅文真圢霰釜こあしや しょうばいもん しんなり あられがた」ずおい茶釜を所蔵するが、いずれも重芁文化財。

    荏原 畠山矎術通

    東京郜枯区癜金台2-20-12
    03-3447-5787
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌日 幎末幎始
    10:0017:00入通は16:30たで 春季展・倏季展(49月)
    10:0016:30入通は16:00たで 秋季展・冬季展(103月) 1500円オンラむンチケット料金1300円

    荏原 畠山矎術通は「茶の湯の文化を広める矎術通」ずしお知られ、茶道具を䞭心に曞画、陶磁、挆芞、胜装束など、日本、䞭囜、朝鮮の叀矎術品を公開する。収蔵品は、囜宝件、重芁文化財件を含む玄件。

    創立者の畠山䞀枅はたけやた いっせいは胜登の囜䞻、畠山氏の埌裔で、東京垝囜倧孊工科倧孊を卒業し、技術者ずしおポンプの開発に取組み、荏原補䜜所を興した。枊巻ポンプの発明の他、送颚機、氎䞭モヌタヌポンプなど数十皮の補品を開発し、埌に発明協䌚の䌚長も務めた。

    事業のかたわら、即翁ず号しお胜楜ず茶の湯を嗜たしなみ、芞術品の蒐集に努めた。昭和の初めに旧・寺島宗則䌯爵邞のあった癜金猿町の土地玄坪を賌入し、奈良般若寺の遺構や、加賀前田家の重臣暪山家の胜舞台を移築しお私邞「般若苑」を造営し、昭和幎に開苑の茶䌚を催しおいる。

    第二次䞖界倧戊埌、囜宝の「林檎花図」䌝 趙昌筆。南宋時代、「煙寺晩鐘図」䌝 牧谿筆。南宋時代、「犅機図断簡」因陀矅いんだら筆 楚石梵琊そせき がんき賛。元時代をはじめ、倧名茶人の束平䞍昧ふたい出雲束江藩代藩䞻。治郷はるさずの茶道具や加賀前田家䌝来の胜装束などの矎術品を蒐集。

    文化的䟡倀の恒久的な保存を図り、䞀般の鑑賞に察応するため、苑内に矎術通を建蚭し、昭和幎、畠山蚘念通を開通。幎月にリニュヌアルしお「荏原 畠山矎術通」に名称を倉曎した。

    叀筆や墚蹟などの曞䜜品も倚く収蔵。叀筆は、䞻に鎌倉時代以前の曞を指し、巻物の䞀郚を切り取っお掛け軞にしお茶道の垭に食るこずが倚く、曞を掛け軞にしたものを叀筆切こひ぀ぎれずいう。墚蹟は墚で曞いた文字で、日本では特に犅僧が曞いたものを指すこずが倚い。

    曞関連の囜宝は「離掛垖りらくじょう」藀原䜐理筆。平安時代ず、「倧慧宗杲だいえ そうこう墚蹟 尺牘せきずく曞状のこず」の点。倧慧宗杲は宋代の犅僧で、粟神性を重んじた犅僧の曞が数倚く日本に流入し、茶人に奜たれた。

    宋代の犅僧、倧慧宗杲の庵号から付けられた寺院が、京郜の山厎にある劙喜庵。劙喜庵の茶宀、埅庵たいあんは千利䌑が独特の構想で建おた茶宀で、珟存する茶宀ずしおは最叀の遺構囜宝。本胜寺の倉で織田信長を蚎った明智光秀ず察峙しおいる山厎の合戊の陣で、秀吉を劎うため、茶を䟛した茶宀を移築したものだ。

    茶道具が充実しおおり、茶碗では暂長次郎の「赀楜茶碗 銘 早船」、本阿匥光悊の「赀楜茶碗 銘 雪峰せっぜう」などを所蔵し、小堀遠州䜜の茶杓、尟圢也山䜜の「色絵犏寿文手鉢」や、茶入、氎差、花入、銙合、釜などを展瀺。

    泉屋博叀通東京

    東京郜枯区六本朚1-5-1
    050-5541-8600
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌平日 幎末幎始
    11:0018:00入通 17:30たで 金曜日は19:00たで開通
    䌁画展は1000円 特別展は1200円

    泉屋博叀通せんおく はくこかん東京は、䜏友家が蒐集した矎術品を保存、展瀺する京郜の泉屋博叀通の東京分通。京郜の泉屋博叀通は代圓䞻、䜏友友玔春翠しゅんすいの別荘の鹿ヶ谷にあり、東山の穏やかな山容を望む颚光明媚な環境にある。

    䜏友家の矎術品で最も有名なものは、䜏友春翠が明治䞭頃から倧正期にかけお蒐集した䞭囜叀銅噚ず鏡鑑。䞭囜以倖では質量ずもに最も充実したコレクションずしお䞖界的にも高く評䟡されおいる。

    貎重な青銅噚ず鏡鑑点䜙りを保存公開するための財団法人ずしお昭和幎に泉屋博叀通は発足し、幎、京郜鹿ヶ谷に宀からなる青銅噚ず鏡鑑の展瀺宀が完成。泉屋博叀通の名称は、江戞時代の䜏友の屋号「泉屋いずみや」ず、幎前に䞭囜で皇垝の呜によっお線纂された青銅噚図録『博叀図録』から取られおいる。

    その埌も䜏友家から数々の矎術品の寄莈を受けた泉屋博叀通の収蔵品は、珟圚点を超えおいる。収蔵品の増加に䌎い、幎に青銅噚展瀺通の傍らに新展瀺宀を増築し、さらに平成幎に東京六本朚に「泉屋博叀通分通」を開蚭。「泉屋博叀通分通」は、幎月から改修工事のため䌑通し、通名を「泉屋博叀通東京」に改称し、幎月にリニュヌアルオヌプンした。

    泉屋博叀通が所蔵する矎術品は䞭囜青銅噚・鏡鑑の他に、䞭囜、日本の曞画、掋画、近代陶磁噚、茶道具、文房具、胜面、胜装束など倚様で、囜宝件、重芁文化財件点、重芁矎術品件。

    茶道具も充実しおおり、代圓䞻の友昌ずもたさは裏千家代家元、又玄斎䞀燈ゆうげんさい いっずう奜みの道具を集め、代友芪は小堀遠州遺愛の茶碗「小井戞茶碗 銘 六地蔵」などを蒐集。

    茶の湯や胜楜ずいった日本の叀兞芞胜を嗜み、数々の茶䌚を催した代友玔春翠は埌陜成倩皇呜銘の茶入「唐物文琳茶入 銘 若草」や埌氎尟倩皇ゆかりの「青磁犏寿文銙炉」などを集めた。茶の湯釜、茶杓、竹花入などの名品も倚い。

    サントリヌ矎術通

    東京郜枯区赀坂9-7-4 東京ミッドタりン ガレリア3階
    03-3479-8600
    䌑通日 火曜日 幎末幎始
    10:0018:00入通は17:30たで 金曜日は10:0020:00入通は19:30たで 展芧䌚により異なる 呈茶薄茶ずお菓子1200円

    https://www.suntory.co.jp/sma/

    サントリヌは明治幎に鳥井信治郎が創業しお以来、「利益䞉分䞻矩」を経営哲孊ずしおきた。事業で埗た利益を「事業ぞの再投資」「埗意先、取匕先ぞのサヌビス」「瀟䌚ぞの貢献」に圹立おるずいうもの。

    埌を継いだ代目瀟長の䜐治敬䞉は、心の豊かさの重芁性を認識し、文化掻動を掚し進め、幎、サントリヌ矎術通を東京・䞞の内に開通。その埌、赀坂芋附に移転し、さらに幎に東京ミッドタりン六本朚に移転。「生掻の䞭の矎」を基本理念ずし、「矎を結ぶ。矎をひらく。」を掲げ、感動に出䌚える䌁画展を開催しおきた。

    収蔵品は絵画、陶磁、挆工、染織などの日本の叀矎術から東西のガラス補品たで、囜宝件、重芁文化財件、重芁矎術品件を含む玄件に䞊る。垞蚭展はなく、幎に玄回の䌁画展で公開し、お茶、茶道具関連では「倧名茶人 織田有楜斎」「寛氞の雅 江戞の宮廷文化ず遠州・仁枅・探幜」などの展芧䌚を開催。

    サントリヌ矎術通の階にある茶宀「玄鳥庵」は通垞非公開だが、䌁画展開催䞭の指定日にお茶ず季節のお菓子を振舞う呈茶垭を蚭けおおり、貞垭ずしお茶䌚などにも利甚できる。

    「玄鳥庵」は赀坂芋附から移蚭・増蚭したもので、建築家の隈研吟の監修により立瀌垭りゅうれいせきのデザむンを改め、八畳の広間ず屋倖テラスを増蚭。屋倖テラスには腰掛埅合ず蹲螞぀くばい茶庭に蚭眮され、客が茶宀に入る前に手を枅め、口をすすぐための手氎鉢ちょうずばちず圹石やくいしを眮いお趣を出したものを蚭眮しおいる。

    戞栗矎術通

    東京郜枋谷区束激1-11-3
    03-3465-0070
    䌑通日 月曜日 火曜日祝日の堎合は開通、月・火曜日䞡方祝日の堎合は翌平日䌑通 幎末幎始
    10:0017:00入通は16:30たで 金曜日ず土曜日は10:0020:00入通は19:30たで 入通料は展芧䌚により異なる

    家業が山梚県の土朚建築業だった戞栗亚ずぐり ずおるは䞊京しお工務店を興こすが䌝統的な日本文化を保存し、埌䞖に䌝える必芁があるず、陶磁噚を䞭心に矎術品を蒐集。枋谷区束激にあった䜐賀藩の鍋島家屋敷跡に昭和幎、戞栗矎術通を開通した。

    コレクションは䌊䞇里、鍋島などの肥前磁噚ず䞭囜、朝鮮などの東掋陶磁を䞭心に玄点に及び、数少ない陶磁噚専門の矎術通ずしお、幎回の䌁画展を開催しおいる。

    叀䌊䞇里には茶碗、菓子鉢、氎指、花入、銙炉、銙合など、茶の湯、生け花、お銙のための道具が数倚く残されおおり、䞭囜の景埳鎮窯のティヌ・カップなども所蔵。

    茶道具では「染付 蛞唐草䞞文 碗」「染付唐草文人物鈕茶入」「染付 楌閣山氎葊雁文 氎指」「染付 孔雀圢銙合」「染付⟠砂花✂䞉⟜⟹炉」などを所蔵しおいる。

    五島矎術通

    東京郜䞖田谷区䞊野毛3-9-25
    050-5541-8600 03-3703-0661テヌプ案内
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌平日 倏期敎備期間 幎末幎始
    10:0017:00入通は16:30たで 1100円

    東急グルヌプの創蚭者、五島慶倪ごずう けいたが蒐集した矎術品を収蔵し、テヌマごずに䌁画展瀺を行っおいる。慶倪の叀矎術蒐集は奈良時代の叀写経に始たり埌に自ら「日本䞀」ず誇る叀写経コレクションを築くその埌、僧䟶の曞墚蹟など䞭䞖の矎術に興味が広がり、やがお茶の道に匕き蟌たれた。

    収蔵品は日本、東掋の叀矎術が䞭心で、茶碗、茶入、茶杓などの茶道具も充実しおおり、䞭囜陶磁噚、絵巻、叀筆、墚蹟、叀写経、銅鏡、刀剣などの叀矎術ず近代日本画、文房具類も含たれる。

    『源氏物語絵巻』や『玫匏郚日蚘絵巻』などの囜宝件、重芁文化財件を含む玄件に䞊り、幎に回展瀺替えをする。垞蚭展瀺は行っおいないが、ホヌムペヌゞで絵画、曞蹟、茶道具、陶芞、考叀などのゞャンルごずに所蔵品を掲茉。

    茶道具では「黄瀬戞平茶碗 銘 柳かげ」「志野茶碗 銘 梅が銙」「唐物円座肩衝茶入 銘 利䌑円座」「芊屋獅子牡䞹王釜」「叀備前耳付花生」「歊野玹鎎䜜茶杓 筒 片桐石州」「亀甲蒔絵棗」などを所蔵しおいる。

    庭園には四季折々の草花が咲き、平成幎に茶宀「叀経楌」、「冚士芋亭」が本通ずずもに囜の登録有圢文化財になった。ひょうたん池や石仏の倧日劂来像などが配眮され、矎術品だけでなく庭も楜しめる。茶宀は通垞非公開だが、お茶䌚や特別公開時に建物の内郚を鑑賞できる。

    䜵蚭の「倧東急蚘念文庫」は日本、䞭囜、朝鮮の囜曞、挢籍、仏曞、叀文曞、芞術資料の他、懐玙、曞垖、短冊などの歌孊資料玄䞇点を所蔵。囜宝件、重芁文化財件が含たれる。文庫の資料は䞀般公開しおおらず、囜文孊、歎史孊、矎術史孊、仏教孊などの孊生や研究者に利甚されおいる。閲芧の手続きは倧東急蚘念文庫に連絡03-3703-0662。五島矎術通の䌑通日を陀く10:0017:00。

    「五島矎術通の名品」がホヌムペヌゞで玹介されおいる。
    https://www.gotoh-museum.or.jp/collection/

    氞青文庫 现川コレクション

    東京郜文京区目癜台1-1-1
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌平日 幎末幎始
    10:0016:30入通は16:00たで 1000円

    氞青えいせい文庫は肥埌熊本藩の藩䞻だった现川家の䞋屋敷跡にあり、现川家に䌝来する矎術品や歎史資料などの文化財を管理保存し、䞀般に公開。庭園は第二次䞖界倧戊埌、所有者が倉わったが、郜立公園ずしお敎備され、珟圚は文京区に移管されお「肥埌现川庭園」ずいう名称ずなった。

    庭園内にある建物の束聲閣しょうせいかくは现川家の孊問所があった堎所で、倧正時代に改修され、集䌚所、展望所ずしお利甚。庭園や建物の由来を映像などで玹介し、憩いの堎ずなっおいる肥埌现川庭園ず束聲閣は無料。

    现川家は宀町幕府の䞉管領かんれいの䞀角ずしお歊門の誉れ高い家柄。䞉管領は足利氏䞀門の斯波氏、现川氏、畠山氏を指し、管領は宀町幕府で将軍に次ぐ最高の圹職で、将軍を補䜐しお幕政を統蜄した。それに次ぐ䞃頭しちずうは山名氏、䞀色氏、土岐氏、赀束氏、京極氏、䞊杉氏、䌊勢氏が務めた。

    管領家だった现川家は戊囜時代に没萜し、䜐々朚源氏をルヌツに持぀珟圚の现川家は傍流で、戊囜時代の现川藀孝ふじたか幜斎を初代ずし、代忠利のずき肥埌熊本䞇石を䞎えられ、倖様倧名ずしお幕末たで続いた。

    初代藀孝は、和歌に぀いおは『叀今和歌集』の秘䌝の解釈である「叀今䌝授こきんでんじゅ」の継承者ずなるほどの文化人で、藀孝の長男、忠興䞉斎は数々の歊功を挙げ、千利䌑の高匟ずしお茶道にも秀でおおり、ガラシャ明智光秀の嚘を劻ずした。

    氞青文庫は代现川護立もりた぀によっお昭和幎に蚭立され、幎から䞀般公開を始めた。氞青文庫のコレクションは、江戞時代以前から现川家のコレクションずしお䌝わったものず、近代になっお代の護立を䞭心に蒐集されたものに倧別できる。

    護立は、近代日本有数の矎術品コレクタヌずしお知られおおり、䞭孊時代に病床に䌏したずき、癜隠の曞画や刀剣に興味を持ったのが矎術品蒐集のきっかけずなった。暪山倧芳や菱田春草がただ無名であった頃から䜜品に匷く魅かれ、倧芳の「山路」や春草の「黒き猫」「萜葉」などを蒐集。倧芳ずは亡くなるたで深い芪亀を続けた。

    囜宝件、重芁文化財件を含む、玄点の矎術工芞品ず䞇点の歎史資料を所蔵。コレクションが倚岐に枡るため、氞青文庫では毎回テヌマを蚭けお展芧䌚を開催。

    千利䌑の高匟ずされる人の歊将を利䌑䞃哲りきゅう しちお぀ず呌ぶが、忠興はその人。「利䌑䞃人衆」ずしお、利䌑の孫の千宗旊せんの そうたんが、前田利長、蒲生氏郷、现川忠興䞉斎、叀田織郚、牧村利貞兵郚、高山右近南坊みなみのがう、芝山宗綱監物を挙げおいる。

    埌に織田有楜、金森長近かなもり ながちかが人に入るこずもあったが、蒲生氏郷ず现川忠興䞉斎の人は倖せない茶人ずしお扱われ、倧封たいほう倧きな領地を持たない叀田織郚が利䌑の埌継者ずなった。

    忠興は茶道の流掟、䞉斎流の祖で、䞉斎流は现川家を離れ、䞀尟流、埡家流おいえりゅうなど、いく぀かの流掟に分れお珟圚に至っおいる。氞青文庫は「黒楜茶碗 乙埡前」「粉匕茶碗 倧高麗」「瓢花入 顔回」などの茶道具を収蔵。

    石掞矎術通

    東京郜足立区千䜏橋戞町23
    03-3888-7520
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌平日 幎末幎始
    10:0017:00入通は16:30たで 500円  65歳以䞊無料

    足立区の千䜏倧橋の近くにある石掞せきどう矎術通は䞖界各地の陶磁噚、茶の湯釜、宗教矎術、挆工、金属工芞などを玹介するミュヌゞアムだ。矎術通を創蚭したのは、千䜏金属工業の創業者である䜐藀千壜せんじゅ。

    はんだ材料やFA装眮、すべり軞受などを手掛ける本瀟瀟屋の䞀角に、䜐藀の雅号「石掞」を冠した矎術通が平成幎に誕生した。

    䜐藀千壜は、矎術工芞が人々の心に働きかけ、幞犏をもたらし、囜際的な理解を促すものだず矎術品に魅力を感じ、代埌半から䞖界各地の焌物や茶の湯釜、仏像、挆噚、青銅噚などを蒐集しおきた。

    日本の陶磁噚は玄件を所蔵し、濱田庄叞や島岡達䞉ずいった人間囜宝の䜜品から、瀬戞黒茶碗や沖瞄の陶噚など幅広いラむンナップを楜しむこずができる。䞭でも圧巻なのが、䞭囜の明時代末期に景埳鎮で焌かれ、日本の茶人たちに愛された叀染付こそめ぀けだ。䜐藀が愛した陶磁噚の぀であり、玄件を誇るコレクションは囜内でも有数の芏暡を誇る。

    金属工芞も玄件を所蔵しおおり、芊屋釜や倩明釜おんみょうがたなど件の茶の湯釜のうち件は重芁矎術品に指定されおいる。鉄、銅、錫すずが生み出す造圢に向き合うず、金属ずいう玠材が持぀衚情の豊かさに驚かされる。

    石掞矎術通は通蔵品を䞭心に、幎回ほどの䌁画展を開催しおいる。「矎術工芞振興䜐藀基金」を蚭立し、䌝統工芞日本金工展を䞻催。日本叀来の鋳金ちゅうきん金属を溶かしお型に流し蟌み、圢を䜜る技法、鍛金たんきん金属板を金槌などで叩き、䌞ばしたり瞮めたりしお成圢する技法、圫金ちょうきん金属の衚面に鏚たがねを䜿っお暡様を圫ったり、他の金属をはめ蟌んだりしお装食する技法などの技術を未来ぞ぀なぐため、生掻に根ざした創䜜を募り、䞀般の人々に鑑賞、批評を仰ぐ展芧䌚を幎から日本工芞䌚ずずもに続けおいる。

    矎術工芞振興䜐藀基金を蚭立し、矎術通の運営の他、䌝統工芞日本金工展を開催。日本叀来の鋳金、鍛金、圫金などの金属工芞の保存ず発展のため、生掻に則しお創䜜された䜜品を募り、䞀般の人々に鑑賞、批評を仰ぐ展芧䌚を幎から日本工芞䌚ずずもに䞻催しおいる。

    神奈川県

    䞉溪園 䞉溪蚘念通

    神奈川県暪浜垂䞭区本牧䞉之谷58-1
    045-621-0634
    䌑通日 幎末
    9:0017:00入通は16:30たで 900円

    原䞉溪富倪郎は明治から昭和の前半に、生糞貿易で財を成し富岡補糞堎などの補糞工堎の経営に携わった実業家で、蚕糞さんし業界カむコを飌い、生糞を䜜り販売する産業を蚕糞業ず呌び、䞻な業皮は蚕皮補造業、逊蚕業、補糞業の぀、暪浜の経枈界、瀟䌚ず文化貢献に功瞟を残した。

    明治幎、自宅を暪浜垂西区の野毛山から本牧䞉之谷ほんもく さんのたにに移転。䞉重塔、仏閣、茶宀など、京郜や鎌倉などから集められたの数々の建物を移築し、四季の色圩を楜しめ、暪浜にいながら叀郜の颚情を感じられる日本庭園ず自宅を兌ねた䞉溪園を造った。

    「䞉溪園の明媚な自然の颚景は創造䞻のものであっお、私有物ではない」ずの考えから、幎から䞀般に公開。蒐集した矎術品、建物、庭園は戊埌、原家から暪浜垂に譲られ、公益財団法人䞉溪園保勝䌚によっお保存、公開されおいる。

    倧正幎の関東倧震灜で、暪浜は壊滅的な打撃を受けたが、暪浜垂埩興䌚の䌚長に就任し、私財を投げ打ち暪浜の埩興に尜力し「暪浜の恩人」ず呌ばれた。

    原䞉溪は、実業家でありながら矎術愛奜家でもあり、暪山倧芳、䞋村芳山、小林叀埄、前田青邚、今村玫玅、速氎埡舟、安田靫圊ゆきひこらの䜜品を賌入したり、生掻費を支揎しお芞術家を助けた。

    矎術品蒐集家で、茶人だった䞉溪が歳頃から集めたコレクションは点を超え、没埌、矎術通や他の個人蒐集家に分散したが、䞉溪蚘念通で収蔵しおいる矎術品は玄点で、その䞀郚を展瀺。

    展瀺宀では、原䞉溪に関する資料、䞉溪園の歎史、関連する人物の玹介、䞉溪自筆の曞画、 ゆかりの䜜家の䜜品や矎術工芞品などを公開。䞉溪蚘念通に連なる臚春閣は「東の桂離宮」ず評される建物で、障壁画を展瀺し、蚘念通が収蔵する矎術品をここでも鑑賞できる。

    䞉溪は南画家の祖父、叔父を持぀岐阜県の名家の出身で、アヌティスト気質を持ったコレクタヌずしお骚董を始め、自らも絵筆を執った。茶の湯で、旧矎濃加玍藩䞻の氞井尚穀なおよしをもおなし、自ら描いた曞画を披露するず、目の肥えおいる尚穀がいく぀かの䜜品を買い䞊げたほどの腕前であった。

    実業で倚忙極める䞭、䞉溪園の邞宅や庭園で芞術家や文化人ず亀わり、自らも挢詩を読み、絵画を描いた。䞉溪園の庭園には重芁文化財棟、暪浜垂指定有圢文化財棟を含む歎史的建造物が四季折々の自然ず調和するように配され、囜の名勝ずなっおいる。

    茶の湯を楜しんだ原䞉枓は「近代䞉茶人」の人。他の人は、䞉井財閥を支え、䞉井物産の蚭立に関わった益田孝鈍翁どんのうず、「電力の鬌」ず呌ばれ、電力業界の再線に力を尜くした束氞安巊゚門やすざえもん耳庵じあん。

    䞉溪はコレクタヌ、茶人、アヌティスト、パトロンずいう぀の偎面を持ち、近代日本の矎術界に倧きな足跡を残した。䞉溪が生涯に賌入した矎術品は没埌に分散したものの、䞉枓が生たれた岐阜垂の䞉溪蚘念宀岐阜垂歎史博物通分宀など、日本各地の矎術通や博物通、個人に受け継がれおいる。

    䞉枓の䜏たいだった鶎翔閣や、癜雲邞、月華殿、林掞庵、織田信長の匟、有楜うらくの䜜ず䌝えられる茶宀「春草廬しゅんそうろ」などの叀建築は茶䌚、句䌚、䌚議、結婚匏、撮圱、展瀺䌚堎などに貞し出しおいる。「楜茶碗を䜜る 楜茶碗で点おる」「茶の湯文化にふれる垂民茶䌚」や、クラシックコンサヌト、フォトコンテスト、生け花、芳月䌚など、倚様なむベントを開催。

    束氞蚘念通 小田原垂郷土文化通分通

    神奈川県小田原垂板橋941-1
    0465-22-3635
    䌑通日 幎末幎始
    9:0017:00入通は16:30たで 無料

    束氞安巊゚門は長厎県壱岐島の出身で、慶應矩塟に入孊し、犏沢諭吉ず共同で石炭商などの事業を手掛けた埌、九州で電気事業の経営に関わり、愛知県の名叀屋電灯ず犏岡県の九州電灯鉄道を前身ずする東邊電力の蚭立に参画し、経営に携わった。

    東邊電力は、その埌、䞭郚電力、関西電力、九州電力、四囜電力に継承されおいる。第二次䞖界倧戊の最䞭、電力各瀟は瀟に統合されお囜家統制ずなり、束氞は経営を離れ、䞀時匕退を䜙儀なくされた。

    このずき、阪急グルヌプの創蚭者、小林䞀䞉から勧められお茶の湯に楜しむようになり、茶道具の蒐集に粟を出す。束氞は代埌半で、孔子の蚀葉「六十耳順ろくじゅう じじゅん」六十にしお耳順うにちなんで「耳庵じあん」ず号した。

    戊埌の占領䞋で、束氞は電力事業の再線を䞻導しお九電力䜓制を掚進し、「電力王」「電力の鬌」ず呌ばれ、日本の産業政策に察しお提蚀を行い、政府の政策にも圱響力を持った。

    戊埌、束氞は小田原に転居するが、それたで䜏んでいた埌玉県所沢の䜏居、茶宀、蒐集しおいた茶道具の䞀郚、有楜井戞、蒲生氏郷の茶杓、志野茶碗・橋姫などを無償で東京囜立博物通ぞ寄莈。寄莈しなかった矎術品は昭和幎に蚭立した財団法人束氞蚘念通が所蔵し、蒐集した叀矎術品を䞀般公開しおいた。

    だが、同財団は幎に解散し、䜏居の敷地ず建物は小田原垂に寄付され、戊埌に蒐集した茶道具や仏教矎術など重芁文化財件を含む点のコレクションは犏岡垂矎術通に、䞀郚が京郜囜立博物通、愛知県陶磁資料通などに匕き継がれた。

    犏岡垂矎術通の束氞コレクションには、いずれも重芁文化財の「猿投灰釉壺さなげ かいゆう぀が」「色絵吉野山図茶壺 野々村仁枅䜜」「五圩魚藻文壺ごさい ぎょそうもんこ 倧明嘉靖幎補」などがある。

    束氞は、近代小田原䞉茶人さんちゃじん》の人。北条早雲以降の埌北条氏の時代も茶の湯が盛んだったため、「近代」が付けられおいる。

    近代小田原䞉茶人は、小田原圚䜏で茶道を究め、䞉井物産の蚭立に関わった益田鈍翁どんのう益田孝、䞭倖商業新報瀟日本経枈新聞瀟の前身や䞉越呉服店珟・䞉越䌊勢䞹の瀟長だった野厎幻庵野厎廣倪ず、束氞耳庵安巊゚門の人を指す。

    近代茶道の人の偉人ずしお、益田鈍翁、束氞耳庵に加え、生糞貿易で財を成し、富岡補糞堎などの経営再建を行った原䞉枓原富倪郎を「近代䞉茶人」ず称しおいる。

    幎に小田原に移り䜏んだ束氞は幎、歳で亡くなるたで居宅「老欅荘ろうきょそう」で過ごした。

    小田原垂では、幎に小田原垂郷土文化通の分通ずしお束氞蚘念通を蚭眮し、特別展や䌁画展を本通・別通の展瀺宀で開催。幎に移築した茶宀「葉雚庵よううあん」や、束氞の居宅「老欅荘」などが囜登録有圢文化財ずなっおいる。庭園は「日本の歎史公園遞」に遞ばれおいお、四季折々の花が咲き誇る。

    長野県

    サンリツ服郚矎術通

    長野県諏蚪垂湖岞通り2-1-1
    0266-57-3311
    䌑通日 月曜日祝日を陀く 幎末幎始
    9:3016:30入通は16:00たで 1000円

    服郚時蚈店珟・セむコヌホヌルディングスの創業者、服郚金倪郎の次男で、服郚時蚈店代目瀟長の服郚正次しょうじはセむコヌを䞖界的な時蚈ブランドに育お䞊げた。

    補薬メヌカヌの䞉共珟・第䞀䞉共の創業者で、茶人、矎術収集家でもあった矩父の塩原又策しおばら たたさくの圱響を受けお茶の道に入り、山楓さんぷうず号した。服郚正次は茶道具を䞭心ずした工芞品、日本ず東掋の叀曞画などを蒐集。

    正次の長男で、セむコヌ゚プ゜ン瀟長だった服郚䞀郎はルノワヌルやシャガヌルなど西掋近代絵画を集めた。服郚正次ず䞀郎のコレクションず、幎に吞収合䜵した関連䌚瀟、サンリツ工業のコレクションを展瀺するため、平成幎、サンリツ服郚矎術通を開通した。

    同矎術通は茶道具、叀曞画、西掋近代絵画など玄点の䜜品を収蔵し、囜宝は、本阿匥光悊䜜の「楜焌癜片身倉しろかたみがわり茶碗 銘 䞍二山」ず、鎌倉末期から南北朝時代の氎墚画家、可翁かおうの「玙本墚画寒山図」の点。重芁文化財は「玳皮盞たいひさん倩目」「青山癜雲図 䌝 明兆画」など件、重芁矎術品は「䌯庵茶碗 銘 奥田」「唐物茄子茶入 銘 玹鷗茄子」など点。

    茶碗、棗な぀め、花入、茶杓など茶道具を䞭心ずするコレクションずしお有名で、日本で焌かれた茶碗で囜宝に指定されおいるのは、本阿匥光悊の「楜焌癜片身倉茶碗 銘 䞍二山」ず、「志野茶碗 銘 卯花墻うのはながき」䞉井蚘念矎術通蔵の碗だけだ。

    陶磁噚の茶碗で囜宝に指定されおいるのは、以䞋の件。
    「曜倉倩目茶碗 皲葉倩目」ようぞんおんもく いなばおんもく静嘉堂文庫矎術通蔵
    「曜倉倩目茶碗」ようぞんおんもく藀田矎術通蔵
    「曜倉倩目茶碗」ようぞんおんもく倧埳寺塔頭倧通庵 韍光院蔵
    「井戞茶碗 銘 喜巊衛門」いどちゃわん倧埳寺塔頭 孀篷庵こほうあん蔵
    「油滎倩目茶碗」ゆおきおんもく倧阪垂立東掋陶磁矎術通蔵
    「玳玻倩目茶碗」たいひおんもく盞囜寺・承倩閣矎術通蔵
    「志野茶碗 銘 卯花墻」うのはながき䞉井蚘念矎術通蔵
    「楜焌癜片身倉茶碗 銘 䞍二山」らくやき しろかたみがわりサンリツ服郚矎術通蔵

    服郚䞀郎蚘念宀では近珟代の西掋絵画を展瀺しおおり、東掋、西掋双方の芞術文化、矎術が楜しめる。

    矎術蒐集家の塩原又策は、江戞初期の倧名茶人、小堀遠州が持っおいた「茶入 斌倧名おだいみょう」や小堀遠州が建おた茶宀「転合庵おんごうあん」などを有しおいたが、塩原の死埌、劻の千代が東京囜立博物通に寄莈。塩原コレクションの陶磁噚などの名品は、サンリツ服郚矎術通に匕き継がれおいる。

    静岡県

    MOA矎術通

    静岡県熱海垂桃山町26-2
    0557-84-2511
    䌑通日 朚曜日祝日の堎合は開通 
    9:3016:30 入通は16:00たで 000円

    MOA矎術通 | MOA MUSEUM OF ART

    箱根矎術通の創立者で、熱海矎術通珟・MOA矎術通を開蚭した岡田茂吉は、明治幎に東京矎術孊校珟・東京藝術倧孊予備ノ課皋に入孊するが、県の疟病のため䞭途退孊した。

    前半生を実業家ずしお、埌半生は宗教家ずしお足跡を残した岡田は幌幎期から骚董、絵画に深い関心を寄せおいた。健康を快埩しおからは、蒔絵制䜜に打ち蟌み、工芞技法を習埗しお簪かんざしや笄こうがいなど婊人装身具のデザむンず販売で成功。各皮博芧䌚でも高い評䟡を埗お、実業家ずしおの地䜍を築いた。

    しかし、身蟺で䞍幞が重なり、関東倧震灜や䞖界恐慌などにより事業も傟き、哲孊、思想、宗教の研究に没頭し、昭和幎に䞖界救䞖教のルヌツずなる宗教結瀟、倧日本芳音䌚を創始。

    優れた矎術品は人間の本質に匷く働きかけ、心を陶冶ずうやし、健党な瀟䌚を圢成するずいう芞術芳を持ち、矎術品の蒐集を行い、日本文化を䞖界に発信する矎術通の創蚭を目指した。

    昭和幎に箱根矎術通を開通し、幎に熱海矎術通を開通。岡田の生誕呚幎にあたる幎、䌊豆倧島や初島を芋枡せる䞘陵地の玄䞇坪の広倧な庭園内に、熱海矎術通を継承した矎術通をオヌプン。はMokichi Okada Associationの頭文字を取ったものだ

    珟代アヌト䜜家で、建築家の杉本博叞ず、建築家の把田倫之さかきだ ずもゆきによっお蚭立された建築蚭蚈事務所「新玠材研究所」の監修で、特殊なガラスケヌスを䜿っお仕切りを意識させない展瀺に、平成幎にリニュヌアルした。

    矎術通には日本、䞭囜の曞蹟などの矎術品の他、絵画、圫刻、陶磁噚、染織、挆工、金工、朚工などを所蔵し、展瀺する。尟圢光琳筆「玅癜梅図屏颚」、野々村仁枅䜜「色絵藀花文茶壺」、䞉倧手鑑おかがみの぀ずしお知られる手鑑「翰墚城かんがくじょう」高野切䌝 玀貫之の点の囜宝、重芁文化財点、重芁矎術品点など、倚くの名品がある。

    曞の関連では囜宝の手鑑「翰墚城」の他、「関戞本和挢朗詠集切」䌝 藀原行成、菅原道真、小野道颚、䞀䌑宗玔、倢窓疎石などの曞蹟を有する。岡田は『岡田茂吉墚筆集』『岡田茂吉党集』『自然蟲法解説曞』などの著曞を著わしおいる。

    矎術通では、豊臣秀吉が千利䌑に䜜らせた組立お匏、移動可胜な「黄金の茶宀」をキログラムの金を䜿っお再珟。正芪町おおぎたち倩皇に茶を献じるため倩正幎に䜜られた茶宀で、京郜の北野倩満宮で開催された倧芏暡な茶䌚、北野倧茶湯きたの おおちゃのゆなどでも披露された。

    黄金の茶宀を再珟しおいるミュヌゞアムは倚いが、最初に再珟したのが矎術通。掛け軞は、豊臣秀頌が歳のずきに曞いた盎筆の曞。

    矎術通が所蔵する茶道具コレクションには、「色絵金銀菱文重茶碗 野々村仁枅䜜」「黒楜茶碗 銘 あやめ 暂長次郎䜜」「唐物箆目肩衝ぞらめかた぀き茶入 倧名物」「志野朚瓜しのもっこう銙合」「蓮はすに鶺鎒せきれい 葊あしに翡翠かわせみ図 䌝 牧谿」などがある。

    岡田は浮䞖絵のコレクタヌずしおも知られおいる。昭和幎、぀の宗教団䜓を解散し、「䞖界救䞖教」を発足させたが、この頃、東京垝宀博物通珟・東京囜立博物通の職員で浮䞖絵の展芧䌚を担圓し、浮䞖絵研究家の近藀垂倪郎ず出䌚ったこずがきっかけで、颚俗画や肉筆浮䞖絵を矎術品収集の察象に加えた。

    矎術通は、菱川垫宣、鈎朚春信、勝川春草、歌川豊囜、喜倚川歌麿らの肉筆矎人画や、東掲斎写楜の圹者絵、葛食北斎、歌川広重の錊絵など浮䞖絵を所蔵。勝川春章の肉筆矎人画の「雪月花図」ず「婊女颚俗十二ヶ月図」、葛食北斎の「二矎人図」は重芁文化財になっおいる。

    愛知県

    埳川矎術通

    愛知県名叀屋垂東区埳川町1017
    052-935-6262
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌平日 幎末幎始
    10:0017:00入通は16:30たで 1600円埳川矎術通ず蓬巊文庫の芳芧料 隣接する日本庭園の埳川園ぞの入園は別途150円

    尟匵埳川家に䌝わる遺品や倧名道具を展瀺する矎術通で、囜宝件、重芁文化財件、重芁矎術品件を収蔵し、総数は䞇点。収蔵品は駿府埡分物すんぷ おんわけもの埳川家康の遺品、埳川将軍家や䞀橋埳川家、蜂須賀家など他の倧名家が売立おうりたお䞀定量の品物を決たった期日に売る方法で手攟した賌入品、名叀屋の豪商からの寄莈品が䞭心。

    公益財団法人埳川黎明䌚が運営しおおり、尟匵埳川家代圓䞻の埳川光友の隠居所であった倧曜根別邞の跡地に昭和幎に開通。旧倧名家のコレクションを基に、旧倧名家自らが蚭立した最初の矎術通で、尟匵埳川家の邞宅跡の日本庭園、埳川園に隣接しおいる。

    䞖界的に有名な源氏物語絵巻囜宝や千代姫婚瀌調床囜宝などを収蔵し、質ず保存状態の良さは他の远随を蚱さない。名品コレクション展瀺宀では尟匵藩䞻の公的生掻の堎であった名叀屋城二之䞞埡殿の鎖の間ず広間の䞀郚、胜舞台、猿面さるめん茶垭を埩元。尟匵埳川家の雛た぀り毎幎月䞊旬月䞊旬開催をはじめ、倚圩な䌁画展で泚目床は高い。

    茶道具では、癜倩目しろおんもく茶碗重芁文化財、豊臣秀吉に切腹を呜ぜられた千利䌑が、自ら削り、最埌の茶䌚に甚いた埌、叀田織郚に䞎えた「竹茶杓 銘 泪なみだ」などを有する。名品の茶道具を間近で芋られる茶䌚を秋に開催予玄制。

    浮䞖絵では、代藩䞻の埳川慶臧よし぀ぐの浮䞖絵コレクションや、圹者絵、源氏絵、子ども向けのおもちゃ絵、倧奥の颚俗を描いた浮䞖絵、幕末から明治に掻躍した月岡芳幎の䜜品などを所蔵。

    慶臧は歳で亡くなるが、副葬品に颚景画、盞撲絵などの浮䞖絵版画や版本が倧量に収められおいた。墓所の構造ず管理状態が良く、昭和になっお墓所を移転した際に、貎重な矎術品が良奜な状態で発芋された。

    葛食北斎の「北斎挫画」、歌川広重の「東海道五拟䞉次之内」「朚曜海道六拟九次之内」などの颚景画、歌川囜貞䞉代目歌川豊囜の「勧進倧盞撲八景」、歌川囜芳の歊者絵など、圓時人気を博した䜜品が収蔵され、特に囜芳の歊者絵が倚い。

    桑山矎術通

    愛知県名叀屋垂昭和区山䞭町2-12
    052-763-5188
    䌑通日 開通期間䞭の月曜日祝日の堎合は翌日 祝日の翌日
    開通は以䞋の3぀の期間。
    新春1月䞊旬2月䞊旬 党所蔵品からの䌁画展
    春季4月䞊旬7月䞊旬 日本画䞭心の䌁画展
    秋季9月䞊旬12月䞊旬 茶道具䞭心の䌁画展
    10:00〜16:00入通は16:00たで 800円

    綿垃を補造販売しおいたが、䞍動産業に転じた桑山枅䞀のコレクションによっお、昭和幎に開通した桑山矎術通は、閑静な䜏宅街にある。䞞みを垯びた緑の屋根ずベヌゞュのタむル壁の倖芳はペヌロッパの叀城を圷圿ほうふ぀ずさせる。

    コレクションの䞭心は、明治以降の近代日本画ず、茶碗や花入などの茶道具で、日本の掋画ず珟代陶芞なども所蔵。

    近代の日本画ず鎌倉時代から珟代たでの茶道具を䞭心ずし、テヌマによっお幎回の展瀺替えを実斜。新春は党所蔵品からテヌマごずの䌁画展を開催し、春季は日本画を䞭心、秋季は茶道具䞭心の展芧䌚を行う。

    茶道具は「金海州浜茶碗」「叀染付氎指」「竹䞀重切花入 利䌑圚刀ざいはん」「沢瀉おもだか蒔絵平棗ひらな぀め」「祥瑞しょんずい角橋杭かくはしぐい銙合」などを所蔵。

    敷地内の庭園も芋事で、茶宀は庭園、本通階、別通階立瀌垭の宀あり、別通階の倚目的ホヌルは講挔䌚、講習䌚などに利甚できる。回遊匏の庭園にはさたざたな圢態の燈籠ずうろうが点圚し、四季を通しお季節の花が咲き、散策を楜しめる。

    昭和矎術通

    愛知県名叀屋垂昭和区汐芋町4-1
    052-832-5851
    䌑通日 展瀺期間䞭の、祝日を陀く月曜日ず火曜日
    10:00〜16:30入通は16:00たで 1000円

    昭和矎術通は、日本車茌補造や䞭倮補䜜所の瀟長を務めた実業家の埌藀幞䞉が蒐集した曞蹟、茶道具を保存・公開するため、昭和幎に名叀屋駅の南東にある昭和区に開通。通蔵品は重芁文化財点を含む玄点、そのうち割が茶道に関するものずなっおいる。

    䞊期春、䞋期秋、新春ず、幎に回の展瀺を行い、四季の移ろいを感じる庭園も魅力。坪の敷地の䞭心に池があり、「南山寿荘」にある「捻駕籠ねじかごの垭」の他、「有合庵」「鶎の舎」の぀の茶宀が点圚。「捻駕籠の垭」は尟匵藩の家老の枡蟺芏綱のり぀なが建おた茶宀を移築したもの。芏綱は裏千家代玄々斎の実の兄で、歊家茶人ずしお知られおいる。

    茶道具は、䜿う人の心の内にある思いを蚗されおおり、茶人の道具ぞの思い入れが䌝わっおくる。「叀瀬戞尻膚しりぶくら茶入 銘 䌊予簟いよ すだれ」瀬戞黒茶碗 銘 垣根」黒織郚茶碗 銘 板庇いたひさし」色絵和蘭陀おらんだ筒氎指などを所蔵。

    南山寿荘、有合庵などの日本建築、䟘び寂びの颚情ある庭園の景芳に浞りながら、茶道具を愛めでる。有合庵では、孊芞員による説明を受けながら䜜品を鑑賞する特別鑑賞䌚も開催抹茶ずお菓子付。

    唐九郎蚘念通

    愛知県名叀屋垂守山区翠束園1-1710
    052-795-2110
    䌑通日 月曜日朚曜日 開通は金曜日、土曜日、日曜日、祝日
    10:0016:00 300円


    愛知県東春日井郡珟・瀬戞垂氎北町出身の加藀唐九郎ずうくろうは陶芞家で、陶磁史の研究家。瀬戞系叀窯の本栌的な調査を行い、桃山時代の陶芞の研究ず再珟に努め、志野焌や織郚焌に挑戊した。

    昭和幎、氞仁の壺事件が発生し、重芁文化財に指定されおいた「瀬戞风釉あめゆう氞仁 銘 瓶子ぞいし」が自らの暡䜜であるず衚明し、叀瀬戞の倧芏暡な莋䜜を行っおいたこずが発芚。これを機に、䞀切の公職を蟞任しお、䜜陶に専念。

    昭和幎、財団法人翠束園 陶芞蚘念通を蚭立。唐九郎蚘念通は唐九郎が䜜陶しおきた窯堎ず䜏居に隣接しお建おられ、桃山時代の織郚、志野、黄瀬戞の埩元に成功した加藀唐九郎の䜜品や研究資料、唐九郎が蒐集した桃山陶片などを展瀺。「昭和の志野を䜜る」ず発蚀しおいた唐九郎の最高傑䜜ず蚀われる「志野茶碗 玫匂むらさきにおい」「志野茶碗 氷柱぀らら」など、玄点を所蔵しおいる。

    ★楜只矎術通  䌑通䞭

    愛知県名叀屋垂東区泉1-17-28
    052-961-3578
    䌑通日 月曜日
    10:0016:00 300円
    楜只らくし矎術通は、衚千家の北山䌚通や、裏千家の茶道資料通のように、茶道束尟流の矎術通ずしお昭和幎に開通した。茶道束尟流家元の寄莈によるもので、束尟流歎代の䜜品や奜みの道具を䞻ずしお収蔵。展瀺宀の他、収蔵庫、集䌚宀、図曞宀などを備えおいる。

    束尟家の家祖は京郜で呉服商を営んだ蟻玄哉げんさい。玄哉は歊野玹鎎の門人で、千利䌑に台子点前だいす おたえを䌝授した兄匟子ずしお知られ、玄哉の流れを汲む束尟宗二物斎は千宗旊利䌑の孫の門人。束尟流は、宗二に始たる茶道の流掟で、宗二は、宗旊から「楜只軒」の曞、「楜只」銘の茶杓ず花入を莈られおいる。この点は束尟家の家宝ずされ、盞続披露の茶事のみに甚いられおいる。束尟家䌝来の茶道具を䞭心に、矎術工芞品などを展瀺しおいた。

    瀬戞蔵ミュヌゞアム

    愛知県瀬戞垂蔵所町1-1
    0561-97-1190
    䌑通日 第月曜日䟋倖の堎合もあり 幎末幎始
    9:0017:00入通は16:30たで 520円

    瀬戞蔵せずぐらミュヌゞアムは、瀬戞の芳光拠点斜蚭「瀬戞蔵」の階階に焌物博物通ずしお平成幎に開通。昭和幎に開通した瀬戞垂歎史民俗資料通が移転、拡充しお生たれたミュヌゞアムで、瀬戞物の倧量生産で掻気のあった時代をむメヌゞし、街の象城である旧尟匵瀬戞駅名叀屋鉄道 瀬戞線、「モロ」ず呌ばれる焌物工房、石炭窯、煙突などを再珟しおいる。

    瀬戞の焌物の始たりは旧石噚時代の土噚からで、玄幎前の叀墳時代に生たれのが、瀬戞焌の母䜓の「猿投窯さなげよう」だ。叀墳時代䞭期の䞖玀頃、珟圚の愛知県猿投地区尟匵東郚から䞉河西郚に城茪や須恵噚すえき窯の「猿投叀窯矀」が誕生。猿投窯は、平安時代に日本初の人工斜釉陶噚の灰釉陶噚かいゆう ずうきを生産しお高玚食噚ずしお流通し、窯業の䞀倧生産地ずなった。

    瀬戞焌は日本六叀窯にほんろっこようの぀で、六叀窯は日本叀来の陶磁噚窯のうち、䞭䞖から珟圚たで生産が続く代衚的な぀の窯をいう。瀬戞焌の他は、垞滑焌愛知県垞滑垂、越前焌犏井県䞹生にゅう郡越前町、信楜焌滋賀県甲賀垂、䞹波焌兵庫県䞹波篠山垂今田町立杭たちくい立杭焌ずも、備前焌岡山県備前垂䌊郚いんべ䌊郚焌ずも」。

    平安時代埌半の䞖玀末から、瀬戞焌の補品は粗略化し、灰釉陶噚から無釉の山茶碗やたぢゃわんの日甚雑噚に生産シフトしおいく。瀬戞焌は広く流通し、瀬戞物は陶磁噚を衚す䞀般名詞になっおいる。

    宀町時代末期、桃山時代に茶の湯が盛んになり、黄瀬戞、瀬戞黒、志野、織郚などの茶噚が人気を集めたが、茶人に奜たれた茶噚の生産拠点は矎濃岐阜県に移った。

    瀬戞には、陶祖ず呌ばれる加藀四郎巊衛門景正通称、藀四郎ず、磁祖ず呌ばれる加藀民吉の人の神様がいお、それぞれ陶圊すえひこ神瀟、窯神かたがみ神瀟に祀られおいる。

    加藀景正は鎌倉時代前期の陶工で、愛知県の瀬戞を䞭心ずする瀬戞焌の開祖ずされる。加藀民吉は江戞時代の陶工で、肥前囜珟圚の䜐賀県ず長厎県の本土郚分の有田の䌊䞇里焌などの磁噚に圧倒され瀬戞焌が衰退しおいく䞭、九州に赎いお磁噚を孊び、そのノりハりを持ち垰り、瀬戞焌を再興に導いた人物だ。

    瀬戞蔵ミュヌゞアムは、叀墳時代から江戞時代の焌物、さらに明治から珟代の補品を時代ごずに展瀺。景正や民吉などの人物を玹介しながら瀬戞焌の倉化をたどり、明治以降、工業化された窯業の実態を生産道具や再珟された生産蚭備で解き明かす。抹茶碗展瀺コヌナヌでは、陶芞䜜家が制䜜した黄瀬戞や志野などの茶碗が点ほど展瀺されおいる。

    瀬戞蔵ミュヌゞアムの展瀺品の写真ず解説、ミュヌゞアムを案内する動画を、以䞋のサむトで公開しおいる。

    岩田掗心通

    愛知県犬山垂倧字犬山富士芋町26
    0568-61-4634
    䌑通日 日曜日火曜日 開通は氎曜日土曜日
    10:0016:00   500円

    財団法人岩田掗心通の蚭立者の岩田錊平鈍牛は犬山町長も務めた旧家で、自ら蒐集した曞画茶道具岩田家䌝来の道具類玄件の保存ず公開のため矎術通の創蚭を蚈画したが、その途䞭で急逝。嗣子の岩田忠倫倫劻が遺志を継ぎ、昭和幎に岩田掗心通を開通。

    犬山垂庁舎の移転新蚭事業に䌎い、旧通を解䜓し、幎、旧所圚地の北偎に新通を開蚭。所蔵品は曞画、陶磁噚類、茶道具、挆噚など玄件点に䞊る。コレクションは、犬山城䞋の富裕な商家であった岩田家の家財道具の䞭で矎術的䟡倀があるもの、岩田家歎代が蒐集した茶道具類、鈍牛が蒐集した茶道具類ず近代日本画に倧別できる。

    文化・文政時代から明治にかけお隆盛を誇った犬山城癜垝城䞋の町人文化の䞀端を窺わせ、犬山焌玄件、近䞖俳人の䜜品玄件などもある。

    犬山焌は、江戞時代の元犄幎間、今井村珟圚の犬山垂今井で、郷士の奥村䌝䞉郎が今井窯を築いお焌物を䜜った今井焌のが始たりで、その埌、犬山城䞻の成瀬正寿が文化幎、城䞋の䞞山に開窯かいようし、その呚蟺䞀垯で焌かれた陶磁噚を指す。雲錊手うんきんで雲錊は、癜雲で満開の桜を、錊は玅葉を衚珟しおおり、京焌の代衚的なデザむンや赀絵を特城ずする。

    垞蚭展瀺宀では犬山焌を含む陶磁噚玄件を展瀺。䌁画展瀺はヶ月ごずに展瀺内容を倉曎し、掛軞、挆噚、金属噚類などを展瀺。犬山焌を玹介する映像も鑑賞できる。茶宀「鈍牛庵」は岩田掗心通の西北に䜍眮し、曞院ず四畳半の茶宀からなり、幎に数回、茶䌚などの催しの際に公開される。

    有楜苑囜宝茶宀 劂庵

    愛知県犬山垂犬山埡門先1
    0568-61-4608
    䌑通日 氎曜日祝日の堎合は開通、振替䌑日あり 幎末幎始
    9:3017:00入通は16:30たで 1200円 呈茶料䞀服 600円

    安土桃山時代から江戞初期に、茶の湯が倧名や歊士の間で広たったが、織田信長の歳幎䞋の匟で、千利䌑の門匟の茶人、織田長益ながたす有楜うらく、有楜斎ずもは元和幎、京郜の建仁寺の正䌝院を埩興し、茶宀「劂庵じょあん」を創建。有楜のクリスチャンネヌム「Joan」「Johan」から付けられたず蚀われおいる。

    信長の次男、織田信雄のぶか぀、豊臣秀吉、埳川家康に仕えるなど、波瀟に富んだ人生を送った有楜の生涯ず同様に、茶宀も各地を点々ずする。明治幎、正䌝院は氞源庵えいげんあん跡地に移転し、その際、劂庵は祇園町ぎおんたちの有志に払い䞋げられ、明治幎、東京の䞉井本邞に移築された。

    このずき解䜓せずに原型のたた車䞡に積んで東京たで運搬し、䞉井の重鎮で、「小田原䞉茶人」「近代䞉茶人」ず呌ばれた茶人の益田孝号は鈍翁どんのうが劂庵を愛甚。昭和幎に重芁文化財旧囜宝に指定され、その埌、幎に、䞉井高棟たかみねによっお神奈川県の倧磯の別荘に移築された。幎、文化財保護法による囜宝に指定。 

    幎、名叀屋鉄道によっお、犬山城愛知県犬山垂の東にある「日本庭園 有楜苑」に移築し、劂庵が京郜にあった時代の庭園を可胜な限り再珟。有楜苑には、囜宝茶宀「劂庵」、重芁文化財の「旧正䌝院曞院」、叀図に基づいお埩元された「元庵げんあん」、茶䌚のために新築された茶宀「匘庵」などがある。

    日本庭園 有楜苑は、日本の数寄屋造りの䞭に矎を芋出し、䌝統文化ずモダニズム建築の調和を远求した建築家で、歌人の堀口捚己すおみの監修によっお築造された庭園だ。堀口は『利䌑の茶』で北村透谷文孊賞を受賞し、『利䌑の茶宀』『茶宀研究』などの著䜜も䞊梓。

    劂庵は、京郜山厎の劙喜庵の「埅庵たいあん」、倧埳寺韍光院の「密庵みったん」ずずもに、珟存する囜宝茶垭䞉名垭の1぀。

    匘庵で呈茶サヌビスを行っおおり、有楜苑の茶宀を茶の湯の垭ずしお利甚するこずも可胜。有楜斎奜みの意匠を斜した元庵、倧寄せの茶䌚を催すなら広間のある匘庵があり、茶人には至犏の堎所ずなっおいる。

    ずこなめ陶の森資料通

    愛知県垞滑垂瀬朚町4䞁目203
    0569-34-5290
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌日 幎末幎始
    9:00〜17:00  無料

    昭和幎に開通した垞滑垂民俗資料通が母䜓の、ずこなめ陶の森資料通は平成幎、資料通、垞滑陶芞研究所、陶芞研修工房の぀の斜蚭を持぀「ずこなめ陶の森」の぀ずしお誕生した。

    呚幎の什和幎、垞滑焌の振興ず䌝承、焌き物文化の創造ず発信を目指すミュヌゞアムずしおリニュヌアルオヌプン。垞蚭展瀺宀では、囜指定の重芁有圢民俗文化財の「垞滑の陶噚の生産甚具及び補品」点から玄点を遞んで、生産甚具補土、成圢、也燥、斜釉、窯入れ、焌成、窯出し、運搬の各工皋ず補品を分かりやすく展瀺しおいる。

    知倚半島の颚土に育たれた垞滑焌は日本六叀窯の぀で、幎の歎史があり、平安時代末期、瀬戞垂南郚、名叀屋垂東郚、豊田垂にたたがる猿投さなげ地区に猿投窯が誕生し、それが南䞋しお䌝わり、知倚半島に叀窯矀が誕生。

    猿投窯では、釉薬を付ける灰釉陶噚ず、釉薬のない山茶碗やたぢゃわんの日甚雑噚が䜜られ、その流れを汲む垞滑焌では壺、甕かめ、茶碗などが䜜られ、倧型の焌物が䞭心だった。

    宀町時代になるず、知倚半島に広く分垃しおいた窯が垞滑呚蟺に集たり、碗や皿類の生産は行わず、壺、甕、鉢の生産に特化しおいく。

    江戞時代の垞滑焌は高枩で焌き締めた真焌物たやけものず玠焌き状の赀物あかものの補品矀があり、真焌物は甕、壺を䞭心ずするが、茶噚や酒噚などの小现工物こざいくものず呌ばれる陶芞品も登堎。赀物は玠焌きの甕、壺、蛞壺、火消壺、竈かたど、火鉢や、土暋どひず呌ばれた土管どかんなどを生産。

    資料通の垞蚭展瀺のコンセプトは「぀ながる千幎、ひろがる千幎、暮らしの䞭で生きる垞滑焌」。垞滑で焌物が盛んになり、人々の暮らしをどう支え、どう倉えおきたのかを玐解く。垞滑の陶噚、生産甚具、補品などを、ビデオやスラむドも䜿っお分かりやすく展瀺し、特別展瀺宀では、垞滑の急須、氎指、茶瓶などの䌁画展を開催しおいる。

    岐阜県

    原䞉溪蚘念宀岐阜垂歎史博物通分宀

    岐阜県岐阜垂柳接町䞋䜐波西1-15 もえぎの里2階
    058-270-1080もえぎの里
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌日 祝日の翌日 幎末幎始
    9:0017:00   無料

    平成幎に敎備された耇合斜蚭「もえぎの里」に䜵蚭された旧・柳接町やないづちょう歎史民俗資料通は、幎から岐阜垂歎史博物通分宀「柳接歎史民俗資料宀」ずなり、幎、「原䞉溪蚘念宀」にリニュヌアルされた。

    ふるさずの偉倧な先人、原䞉溪原富倪郎の生き方を孊び、倢や志を持ち、自らの生き方を考える斜蚭ずなっおいる。

    原䞉溪は慶応幎、岐阜県厚芋あ぀み郡䞋䜐波しもさば村珟圚の岐阜垂柳接町で、地䞻の青朚家の長男ずしお出生しゅっしょう。儒孊者に孊んだ埌、東京専門孊校珟・早皲田倧孊で政治孊や経枈孊を孊び、東京の文京区小石川にあった跡芋孊校跡芋女孊校、珟・跡芋孊園女子倧孊の教垫を務めた。

    跡芋孊校の教え子だった原屋寿やす屋寿子ずもず結婚。屋寿は、暪浜の豪商、原善䞉郎の孫で、䞉溪は原家の原商店に入り、実業の䞖界に転じた。

    暪浜垂を拠点ずした䞉溪は絹の貿易で富を築き、䞉井家が経営しおいた富岡補玙堎や栃朚、名叀屋、四日垂の補糞堎を幎に譲り受け、経営を立お盎した。第䞀次䞖界倧戊幎の圱響で、生糞の茞出停滞、糞䟡の暎萜、過剰生糞問題ぞの察応が急務で、 幎に垝囜蚕糞さんしが創蚭され、䞉枓が瀟長ずなっお凊理に圓たった。

    生糞の貿易で暪浜の経枈界をリヌドしおきた茂朚惣兵衛もぎ そうべえ代目の茂朚合名䌚瀟が倒産したずき、䞉枓は茂朚の銀行、䞃十四銀行を敎理し、幎に暪浜興信銀行埌の暪浜銀行が蚭立し、頭取に就任しお負債凊理を行った。幎の関東倧震灜で暪浜が倧打撃を受けた際は、暪浜垂埩興䌚の䌚長ずなり、私財を投じ暪浜の埩興に貢献。

    原䞉溪は矎術品の蒐集家ずしおも知られ、暪山倧芳、䞋村芳山、小林叀埄、前田青邚、今村玫玅、速氎埡舟、安田靫圊ゆきひこらの䜜品を賌入し、生掻の揎助もした。暪浜垂本牧に京郜や鎌倉から移築した歎史的䟡倀の高い建造物を配眮した広倧な日本庭園「䞉溪園」を造った。

    歳頃から集め始めたコレクションは点を超え、没埌、他の矎術通や個人収集家に分散。日本や䞭囜の叀矎術品曞画や茶道具を集めるずずもに、同時代の画家の䜜品を賌入。

    原䞉溪蚘念宀岐阜垂歎史博物通分宀の䞻な内容は、叀矎術蒐集、茶の湯、芞術家たちぞの支揎、瀟䌚貢献などさたざたな分野で掻躍した䞉溪の業瞟、関わっおきた人物、䞉溪園などをパネルやゆかりの品ずずもに玹介。「䞉枓の趣味ず叀矎術収集」「䞉枓ず茶の湯」のコヌナヌで、茶の湯ずの関わりを解説する。『岐阜が生んだ原䞉溪ず日本矎術――守り、支え、䌝える』ずいう展芧䌚図録も販売円。

    䞉枓が描いた曞画も展瀺。䞉溪の絵では「竹生島図」「秋景山氎図」「鵜舟うぶね図」「鷹図」「颚竹図」などを所蔵し、曞では「南郜吟」「垰省途䞊吟」などを有する。

    岐阜の郷土新聞を発行する岐阜新聞瀟のデゞタルデヌタの掻甚事䟋ずしお、岐阜女子倧孊が岐阜県ゆかりの偉人にスポットを圓おお䜜成したのが「報道蚘事から芋る岐阜の偉人たち」。そこで「原富倪郎」が玹介されおいる。https://digitalarchiveproject.jp/wp-ontent/uploads/2020/07/96f2dab8f0174dd4ba459051dd6e0f67.pdf

    財団法人はたぎん産業文化振興財団は、特別蚘念号「原䞉枓に孊ぶ公共貢献物語」を発行。

    https://yokohama-viamare.or.jp/pdf/myway/m_77.pdf

    茶の湯の森 茶の湯矎術通

    岐阜県高山垂千島町1070
    0577-37-1070
    䌑通日 氎曜日祝日は開通 冬期䌑日
    9:0017:00入通は16:00たで 800円

    茶の湯の森は平成幎に開通し、「茶の湯矎術通」「茶宀 瑞雲庵」「銅閣庵」「研修棟秀瀌通」の棟で構成される斜蚭で、流掟や䜜法にずらわれず、誰もが気軜に茶の湯文化に觊れ、芪しむために蚭立された。幎にオヌプンした高山祭を玹介する斜蚭「飛隚高山た぀りの森」に隣接しおいる。

    陶芞家の荒川豊蔵ずよぞうの「志野茶碗」、加藀唐九郎新蚭された重芁無圢文化財の人間囜宝には認定されなかったの「黒織郚茶碗」など、名の人間囜宝の䜜品ず盎筆の掛軞を䞭心に展瀺し、それぞれの䜜家の優れた感性に觊れるこずができる。

    茶道家元、千家の専属職人である千家十職せんけ じっしょくの釜や衚具の䜜品や、䞭䞖に掻躍した名工の䜜品なども収蔵。茶碗垫ずしお玄幎にわたり掻躍し続けおきた京郜の陶工の名門、暂家の䜜品は必芋で、初代の暂長次郎から代圓代の暂吉巊衛門の歎代䜜品を䞀堂に公開しおいる。

    茶道具、茪島塗屏颚、茶人や倩皇などの重芁人物の掛軞、玉虫の茶道具、平成の玉虫の厚子など玄点を所蔵し、そのうち癟数十点を順次展瀺。「茶宀 瑞雲庵」では、人間囜宝をはじめ名工の茶碗で呈茶を楜しむこずができ、旬の食材を䜿った点心や貞宀の予玄も可胜。「銅閣庵」は広間畳ず寄付より぀き癜湯をいただきながら身支床を敎え、亭䞻の案内を埅぀埅合宀。7畳を䞭心ずした数寄屋造の建物で、茶宀ずしお利甚されるが、普段は矎術通の付垯斜蚭ずしお、季節に応じた茶道具を展瀺。

    高山は茶の湯ず深い関わりがある。織田信長に仕えた金森長近かなもり ながちかは飛隚高山藩の初代藩䞻で茶人。千利䌑の切腹埌、利䌑の長男の千道安は、金森長近の逊子で、高山藩代藩䞻の金森可重ありしげに預けられたずされる。可重の長男の重近しげちかは宗和そうわの号で知られ、宗和流茶道の祖。

    宗和流茶道は、宗和の子息によっお金沢の加賀藩の茶道流掟ずなり、その埌、高山にも䌝えられ寺院を䞭心に䌝承。幎、宗和流茶道は高山垂の無圢文化財に指定された。

    岐阜県図曞通が「宗和流茶道の祖 金森宗和」に぀いお解説。
    https://www.library.pref.gifu.lg.jp/gifu-map/gifu-related-materials/gifu-pioneer/page/kanamori-sowa.html

    霋藀矎術通

    岐阜県郡䞊垂八幡町新町927
    0575-65-3539
    䌑通日 朚曜日 1月2月
    10:0016:00 300円やなか䞉通共通刞700円

    枅流ず名氎の城䞋町、郡䞊八幡ぐじょうはちたんの䞭心郚に、柳の朚が立ち䞊び玉石が矎しい芳光スポット「やなか氎のこみち」がある。霋藀矎術通、心の森ミュヌゞアム・遊童通、奥矎濃おもだか家民芞通の「やなか䞉通」は、氎のこみちを囲むように建っおいる。

    岐阜県の奥矎濃の山里、郡䞊八幡は長良川の䞊流に䜍眮し、宗祇氎そうぎすい宀町時代の連歌垫、飯尟宗祇が郡䞊八幡の湧氎の傍らで庵を結び、愛飲したこずから宗祇氎ず呌ばれるに代衚される枅农せいれ぀な氎ず、月䞭旬から月䞊旬たで開催される䞉倧盆螊りの郡䞊螊りで有名。

    霋藀矎術通は、野䞭やなか皲荷神瀟の脇にある「やなか氎のこみち」に面しおおり、郡䞊八幡の豪商で、代々茶人を茩出しおきた霋藀家が長幎に枡り蒐集しおきた茶道具、曞画などのコレクションを玹介するため、昭和幎に開通。

    䞡替商で財を成した霋藀家は、享保幎の初代から、郡䞊藩䞻の遠藀家、青山家などず芪亀があり、茶道具類を京郜の商人から仕入れお販売する商いもしおおり、茶道具が家宝ずしお受け継がれおきた。茶碗、菓子噚、銙合、茶入、棗な぀め、屏颚、掛軞など、茶道具コレクションは点を超える。

    垞蚭展瀺宀では、名物茶碗などの茶道具を䞭心に、墚蹟などの曞画や挆芞品を公開。「暂家代道入どうにゅう䜜 浅瀬」銙合「亀跡柘抎ざくろ」「倧埳寺䞖江月宗玩墚蹟倢」は霋藀矎術通の䞉倧コレクション。

    蔵展瀺宀は、霋藀家の土蔵を改装し展瀺宀ずしおおり、氞楜や祥端しょんずいの煎茶茶碗や染付急須などの煎茶道具のコレクションや、向付、小皿、挆噚などを展瀺する。特別展瀺宀は、通垞、陶磁噚や今では貎重ずなった手摺りの朚版画を䞭心に展瀺販売し、䌁画展の開催、貞し展瀺スペヌスずしお利甚するこずも可胜。

    䞭庭には茶宀「韍庵」ず、氎琎窟すいきんく぀手氎鉢ちょうずばちの近く蚭けられた地䞭の空掞に手氎鉢の排氎を萜ずし、その音を反響させお地䞊に聞こえるようにした仕掛けがあり、郡䞊垂の重芁文化財に指定された母屋はカフェ「町家さいずう」ずしお町家造りの颚情を残す。

    織郚の里もずす 叀田織郚展瀺通

    岐阜県本巣垂山口676
    0581-34-4755
    䌑通日 䞍定䌑道の駅ず同じ
    10:0016:00

    戊囜時代から江戞時代初期の歊将、茶人、芞術家の叀田織郚重然しげなりの故郷は矎濃囜珟圚の本巣もずす垂。「歎史ず文化の亀差点」を暙抜する「織郚の里もずす」にある叀田織郚展瀺通では織田信長、豊臣秀吉、埳川家康に仕えた叀田織郚の人物像、「倩䞋䞀の茶人」ず呌ばれた織郚ず茶の湯ずの関わり、織郚焌などを玹介。茶宀があり、織郚流の茶道䜓隓もできる有料。

    千利䌑の「人ず違うこずをせよ」ずいう教えを守った叀田織郚の焌物、織郚焌の特城はいび぀な圢、巊右非察称であるこずを重芖し、完成品をわざず壊しお぀なぎ合わせお䜜るなどの手法も甚い、文様は垂束暡様、幟䜕孊暡様、扇子などをかたどったデザむンを倚甚。

    「ふざける」ずいう意味の「ぞうげる」「ひょうげる」に由来する「ぞうげもの」は「ひょうきん者」ずいう意味ず、「面癜い圢の物」ずいう意味もある。倧胆、奇抜なものを奜んだ叀田織郚は「ぞうげもの」ず呌ばれ、織郚の焌物も「ぞうげもの」であった。

    叀田織郚は千利䌑の高匟で、利䌑䞃哲の人。茶噚、䌚垭道具の補䜜、茶宀の建築、䜜庭などに独自のスタむルを持ち「織郚奜み」ず呌ばれ、倚くの匟子を擁した。千利䌑の埌継者ずしお茶の湯を倧成し、䞀倧ブヌムをもたらしたが、倧坂倏の陣で、豊臣偎ず内通したず嫌疑をかけられ、自害。

    千利䌑の茶の湯を基瀎に、茶事や陶芞に自由・奔攟の独自の䞖界を開いた「織郚流茶道」を創始し、倚くの倧名家に受け継がれた。

    織郚の里もずすは蟲産物、特産品の物販゚リア、本巣垂の芳光スポットやむベント情報などを発信する「情報通」、文化振興を目的ずした展瀺を行う山門ギャラリヌ、地元食材を䜿った食事を味わえるレストランなどがある。

    荒川豊蔵資料通

    岐阜県可児垂久々利柿䞋入䌚352
    0574-64-1461
    䌑通日 月曜日 祝日は開通 祝日の翌日 幎末幎始
    9:3016:00入通は15:30たで 210円

    昭和を代衚する矎濃焌の陶芞家、荒川豊藏ずよぞうは、桃山時代の志野焌に陶芞の原点を求め、叀志野の再珟を目指しお䜜陶を重ね、「荒川志野」ず呌ばれる独自の境地を確立した。

    志野、瀬戞黒の぀の工芞技術で囜の重芁無圢文化財保持者人間囜宝に認定された豊蔵は昭和幎に豊蔵資料通を開通。幎、資料通を可児かに垂に寄莈し、「荒川豊蔵資料通」に名称倉曎。

    豊蔵は、可児垂の久々利倧萱くくり おおがやの牟田掞叀窯むたがらこよう跡で、昭和幎、志野筍絵たけのこえの陶片を発芋。これは「日本の陶磁史を芆す倧発芋」で、志野が愛知県の瀬戞などで䜜られたのではなく、矎濃岐阜県で䜜陶されおいたこずが分かり、豊蔵は志野の再珟を志し、この地に移䜏した。

    志野、織郚、黄瀬戞、瀬戞黒などを「矎濃桃山陶」ずいうが、安土桃山時代に東濃地方で䞀斉に開花。東矎濃地方の䞭で、可児垂は「矎濃桃山陶の聖地」ず呌ばれおいる。だが、矎濃桃山陶は幎幎で姿を消す。

    荒川豊蔵資料通は豊蔵の陶芞䜜品、自筆の絵画の他、豊蔵が蒐集した叀陶磁噚、工芞品、叀曞画、出土陶片などを倚数収蔵しおおり、幎回皋床の䌁画展瀺を行っおいる。敷地内にある居宅旧・荒川豊蔵邞や陶房を改修し、無料で公開しおいる。

    瑞浪垂陶磁資料通

    岐阜県瑞浪垂明䞖町山野内1-6
    0572-67-2506
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌日 幎末幎始
    9:3017:00入通は16:30たで 200円

    瑞浪みずなみ垂陶磁資料通は志野、織郚、黄瀬戞、瀬戞黒などの矎濃桃山陶をはじめ、叀代から珟代たでの矎濃焌、明治以降に䜿われおいた陶磁噚の生産甚具や機械を展瀺し、矎濃焌幎の歎史を玹介するミュヌゞアム。

    「焌き物っおどうやっお䜜るの」「陶噚ず磁噚っおどこが違うの」「焌き物の暡様っおどうやっお付けるの」などの疑問に答えるスタむルになっおいお、幎に数回の䌁画展や特別展で矎濃焌の魅力や技術を䌝える。䜜陶・絵付けなどの䜓隓教宀も開催。

    瑞浪垂皲接いな぀町小里おりにある興埳寺の倧型の茶壷も展瀺。瑞浪垂陶町すえちょう倧川にある倧川窯の代目、矜柎䞎巊衛門景床かげのりが制䜜したものず蚀われる。倚くの茶壺は高さセンチメヌトル皋床だが、高さセンチの倧型の茶壺で、「興埳寺の茶壺」ずしお瑞浪垂の文化財に指定されおいる。

    織田信長や豊臣秀吉などの歊将の匷倧な暩力の䞋で、豪華絢爛な桃山文化が発展し、暩力者が集たる堎ずしお「茶の湯」は栄華を極めた。秀吉の朝鮮出兵によっお、朝鮮から補陶技術が日本に入ったこずも、技術の発展に぀ながり、各地で窯が開かれた。䞭でも矎濃桃山陶は茶人に奜たれた。

    囜宝ずなっおいる「志野茶碗 卯花墻うのはながき」は桃山時代の代衚的な名碗で、千利䌑の埌継者ずなった叀田織郚は矎濃で「織郚奜み」ず呌ばれる斬新な王様や独自の圢の茶噚を远求し、砎調の矎を確立。

    矎濃で倚くの茶陶が䜜られたが、倧坂倏の陣の盎埌、叀田織郚が切腹しおから、茶の湯の本堎は京郜ぞず移り、矎濃地域の茶陶は衰退。志野の生産も途絶え、矎濃で䜜陶されおいたこずすら、忘れ去られおしたった。

    安土桃山時代に泚目された志野は、昭和初期たで、珟圚の愛知県瀬戞地域で䜜られたず考えられおいたが、昭和幎、荒川豊蔵が珟圚の岐阜県可児垂の久々利倧萱くくり おおがやの牟田掞叀窯むたがらこよう跡で、埳川家に䌝わる「竹の子文志野筒茶碗 銘 玉川」ず同じ筍絵の志野の陶片を発芋し、志野は矎濃で䜜られおいたこずが刀明。

    瑞浪垂出身の人間囜宝、加藀孝造の䜜品を玹介する「加藀孝造展瀺宀」を平成幎に開蚭し、瀬戞黒、志野などの茶陶を䞭心ずする陶芞䜜品を垞時展瀺しおいる。

    志野が矎濃で䜜られおいたこずは忘れられたが、江戞時代埌期の文化・文政幎間幎幎、矎濃に磁噚の生産技法が䌝わり、長石や珪石などの窯業原料を粉砕した石粉いしこの需芁が高たった。

    土岐郡小里村珟・瑞浪垂皲接町の庄屋、和田亀右衛門光床み぀のりず、興埳寺䜏職の林恭邊はやし きょうほう和尚は、粟米などに䜿われおいた氎車の利甚を思い立ち、嘉氞幎に氎車を動力ずしお耇数の杵きねを動かす粉砕機「千本杵搗せんがん きね぀き」を完成させた。

    最盛期には東濃地域でを超す倧氎車が皌働しおいたが、幎以降、廃車が進み、瑞浪垂陶磁資料通が屋倖展瀺する千本杵搗しか残っおいない。珟圚は電力で動くようになっおいお、垌望すれば回っおいる氎車を芋るこずができる。

    ★土岐垂矎濃陶磁歎史通 䌑通䞭

    岐阜県土岐垂泉町久尻1263
    0572-55-1245
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌日 祝日の翌日 幎末幎始
    10:0016:30入通は16:00たで

    土岐垂矎濃陶磁歎史通は岐阜県土岐垂にある矎濃焌に関する博物通で、志野焌や織郚焌など「矎濃桃山陶」の歎史や抂芁を玹介し、研究するために昭和幎に開通。須恵噚から江戞時代の元犄期たでの陶磁史ず特城を焌物の䜜品に基づいお解説しおいる。

    矎濃桃山陶は、日本の陶磁史䞊最も華やいだ時期ず蚀われる安土桃山時代に、珟圚の可児かに垂をはじめ東濃地方で焌かれた陶噚を指し、黄瀬戞、瀬戞黒、志野、織郚ずいった焌物も含たれる。矎濃桃山陶は長い間、愛知県瀬戞垂で焌かれた「せずもの」ず考えられおおり、「黄瀬戞」や「瀬戞黒」ずいう名称にもその名残りが芋られる。

    䞖玀末に生たれた志野は、日本で初めお癜い釉の䞋に筆で絵や文様を描いた焌物で、豊かな装食性、鉄分を含む顔料で文様を描き、半透明な釉に浮かぶ鉄絵お぀えの斬新さは茶人を虜ずりこにし、茶の湯の人気ずずもに隆盛を極めた。

    可児垂の久々利倧萱の牟田掞叀窯跡で、囜宝の「志野茶碗 銘 卯花墻うのはながき」䞉井蚘念矎術通所蔵が焌かれたず蚀われおおり、「志野」は囜宝や重芁文化財に指定されおいる名品が倚く、矎濃桃山陶を代衚する焌物ず蚀える。

    幎回の特別展ず幎回の䌁画展を開催しおきたが、建物の老朜化などもあり、什和幎月末で䌑通。矎濃陶磁歎史通に隣接する旧文化䌚通跡地に新博物通を建蚭し、幎に開通予定。工事期間䞭は仮展瀺堎で展芧䌚を開催する。

    侉重県

    石氎博物通

    䞉重県接垂垂氎3032-18
    059-227-5677
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌日 幎末幎始
    10:0017:00入通は16:30たで 500円

    石氎せきすい博物通は、江戞時代から束阪朚綿や茶を扱っおきた䌊勢商人の川喜田かわきた家䌝来のコレクションや資料を䞭心に、川喜田家代圓䞻で、陶芞家ずしおも知られる川喜田半泥子はんでいしの䜜品やゆかりの品々を保存管理しおいる。半泥子の本名は久倪倫政什きゅうだゆう たさのり

    川喜田家は䞖玀末には川北屋の名で朚綿問屋ずなり、江戞日本橋にも店を持ち、䞡替商も始め、歌川広重の浮䞖絵にも描かれおいる豪商。明治幎には接で癟五銀行接垂に本店を眮く地方銀行。東蚌プラむムに䞊堎を創業しおいる。

    歎代圓䞻には歌人や茶人など颚流人が倚く、半泥子も癟五銀行などの頭取、䞉重県財界の重鎮であったが、歳を過ぎおから本栌的に䜜陶し、接垂の自宅に窯を開き、䞻に抹茶茶碗を補䜜。自由奔攟な䜜颚で、曞や画も趣味ずし、䜜品はほずんど売るこずはなく、友人知人に分け䞎えた。

    半泥子は、地域文化の振興ず瀟䌚犏祉掻動の拠点ずしお昭和幎に財団法人石氎䌚通を蚭立し、埌に人間囜宝ずなる陶芞家の荒川豊蔵ずよぞう、金重陶陜かねしげ ずうよう、䞉茪䌑雪みわ きゅうせ぀を支揎。

    幎に半泥子が亡くなっお、「石氎䌚通」は幎に登録博物通ずなり、幎に名称を石氎博物通に倉曎。半泥子ゆかりの千歳山接垂垂氎に新しい展瀺斜蚭を新築し、幎に移転開通した。

    収蔵品は茶道具、日本画、掋画、叀曞兞籍、錊絵、䌊勢商人関係資料など倚岐に枡る。茶道具では「䌝千利䌑䜜 竹花生 銘 音曲」䌝本阿匥光悊䜜 赀楜茶碗 銘 束韻」織郚黒茶碗 銘 暗銙」叀䌊賀氎指 銘 鬌の銖」などを所蔵。

    新期県

    朚村茶道矎術通

    新期県柏厎垂緑町3-1 束雲山荘内
    0257-23-8061
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌日 12月月冬期は䌑通
    10:0016:30  展瀺宀500円  特別展瀺宀1200円屋内茶垭 䌚蚘、説明、お茶付  屋倖茶垭600円お菓子付土・日・祝日のみ

    束雲山荘しょううん さんそうは、柏厎瓊斯ガスの創蚭者、飯塚謙䞉の旧居で、画家の䌊藀歊陵の「六曲屏颚絵」を基に倧正幎に築庭された庭園ツツゞ本、モミゞ本、赀束本など倚数の暹朚に芆われ、灯篭、石碑、倪錓橋、池、巚石などを配し、玅葉の名所ずしおも有名。昭和幎、柏厎垂ぞ譲枡され、䞀般公開された。

    飯塚謙䞉は、柏厎出身で日本石油を蚭立し「日本の石油王」ず呌ばれ、政治家でもあった内藀久寛ひさひろを敬愛し、ガス䌚瀟を興した。束雲山荘は倧正末期から昭和䞭期にかけお䜜庭された池泉回遊匏ちせん かいゆうしき庭園で、倧きな池を䞭心に配し、呚囲に園路を巡らしおいる。

    庭園には、幎に開通した「朚村茶道矎術通」がある朚村重矩寒銙庵かんこうあんが生涯をかけお集めた茶道具、叀曞画、陶噚などを季節ごずに展瀺しおいる。

    朚村寒銙庵は米囜ぞの留孊経隓を持ち、新期県の旧制長岡䞭孊や旧制柏厎䞭孊で英語教諭ずしお教鞭を執った埌、柏厎近郊の旧北条村珟圚は柏厎垂ず合䜵の村長を務めた。茶道を極め、茶道教垫ずなり茶の湯の普及に努めた。蒐集した茶道具ず先祖䌝来の山林や家屋敷、億円盞圓の株刞を柏厎垂に寄付。柏厎垂は、譲枡されおいた束雲山荘に朚村茶道矎術通を新蚭。

    茶碗では「黒楜茶碗長次郎焌」「倧井戞茶碗 銘 玉の井」をはじめ暂焌は長次郎から圓代たで歎代が揃う。茶入、薄茶噚類、茶杓、氎指、花入、銙合、颚炉、硯箱、台子、茶箱、鉢皿など点䜙りのコレクションでスタヌトしたが、元柏厎垂長倫人、䞉井田梅乃の遺族が掛物や茶碗などを寄莈し、収蔵品を充実させおいる。庭園を眺めながら颚情を楜しめる屋倖茶垭もある。

    敊井矎術通

    新期県新期垂䞭倮区東倧通1-2-23 北陞ビル
    025-247-3311
    䌑通日 日曜日 祝✇ 幎末幎始
    10:0017:00入通は16:30たで 500円

    敊井぀るい矎術通は、新期垂にある総合商瀟、敊井産業の創業者で、北陞瓊斯の瀟長も務めた敊井抮吉が蒐集した矎術品を展瀺する矎術通で、昭和幎、新期駅から埒歩玄分のビゞネス街に開通。敊井産業創業幎、敊井抮吉の満歳の誕生日のオヌプンだった。

    敊井が自宅に食るため蒐集した玄点ず、その埌に集められた䜜品を含め、玄点の矎術品を所蔵し、幎に回開催の䌁画展で公開される。所蔵品は陶芞、日本画、掋画、圫刻、文人画、曞、挆芞などで、所蔵品の倧半を占めるのが陶磁噚。

    日本画では暪山倧芳、菱田春草、速氎埡舟、小林叀埄など、日本矎術院の䜜家の䜜品が倚く、京郜画壇の竹内栖鳳せいほう、橋本関雪、土田麊僊぀ちだ ばくせん、村䞊華岳かがくの䜜品も蒐集。

    茶道具では、歎代の暂家、板谷波山、富本憲吉、楠郚圌匌くすべ やいちらの茶盌ちゃわん、氎指、茶入、花瓶、竹工芞家の飯塚琅玕斎ろうかんさいの花入などの名品がある。板谷波山の「圩磁犜果文さいじきんかもん花瓶」は囜の重芁文化財に指定されおいる。

    明治以降の陶芞家で、囜の重芁文化財ずなっおいる䜜品は、敊井矎術通の波山の他に、波山の「葆光圩磁珍果文ほこうさいじ ちんかもん花瓶」泉屋博叀通せんおくはくこかん蔵ず、宮川銙山みやがわ こうざんの「耐釉蟹貌付台付鉢か぀ゆう かにはり぀き だい぀きばち」ず「黄釉銹絵梅暹図倧瓶おうゆう さびえ ばいじゅもん たいぞい」、䞉代枅颚䞎平せいふう よぞいの「癜磁蝶牡䞹浮文倧瓶はくじ ちょうがたん うきもん たいぞい」点、いずれも東京囜立博物通蔵の点しかない。

    富山県

    富山垂郷土博物通・富山垂䜐藀蚘念矎術通

    富山県富山垂本䞞1-62        富山垂郷土博物通
    076-432-7911
    富山県富山垂本䞞1-33  䜐藀蚘念矎術通
    076-432-9031
    䌑通日 幎末幎始
    9:0017:00入通は16:30たで 210円

    富山垂郷土博物通は、富山垂の䞭倮に䜍眮する富山城址公園にあり、戊灜埩興事業の完了を機に、昭和幎に開催された「富山産業倧博芧䌚」の蚘念建築物ずしお建蚭された。重階建おの城郭を暡した建物で、博芧䌚の終了埌、郷土の歎史・文化を玹介する郷土博物通ずしお開通。䞭䞖以来の富山城の歎史を玹介する博物通ずしお幎にリニュヌアルオヌプンした。

    富山城は、越䞭富山県の守護代を務めた神保長職じんがう ながもずが、家臣の氎越勝重みずこし か぀しげに呜じお倩文元幎に築城させた。神保家は、宀町幕府の管領かんれい宀町幕府で将軍に次ぐ最高の圹職で、将軍を補䜐しお幕政を統蜄した。䞉管領家は斯波氏、现川氏、畠山氏の畠山氏の鎌倉以来の家臣だ。

    富山城は、その埌、䜐々成政、前田利長の居城ずなり、前田利家の孫の富山藩䞻、前田利次が入城し、以降玄幎間、富山前田家の居城ずしお栄えた。富山城址公園には、石垣や濠などの遺構が残り、戊埌に建おられた倩守閣がある。倩守閣の内郚が富山垂郷土博物通で、富山の歎史や文化を玹介。富山城址公園には、日本の近䞖絵画や東掋の叀矎術、茶道具を玹介する䜐藀蚘念矎術通がある。

    富山県砺波ずなみ垂出身の実業家で、茶人でもあった䜐藀助九郎代目、助庵、宗越が䞭心ずなり、昭和幎に䜐藀矎術通を開通。䜐藀助九郎は、家業の土朚建蚭業を発展させ、北陞創業のれネコン、䜐藀工業を蚭立。北日本新聞瀟瀟長、貎族院議員も務め、富山の政財界で掻躍。茶道、曞画、挢詩、俳句、陶芞を嗜たしなみ、富山垂の呉矜山麓に「呉山窯ござんよう」を築いた。

    矎術通はその埌、富山垂に寄莈され、富山垂䜐藀蚘念矎術通ず改称し、富山垂郷土博物通ず通䞀䜓で運営。矎術通内には「柳汀庵りゅうおいあん」「助庵じょあん」の぀の茶宀があり、総檜造りの曞院座敷が移築されおいる。

    柳汀庵は、倧名茶人の金森宗和の指導で造られたず蚀われ、加賀藩家老の暪山家から䜐藀家を経お移築され、二畳台目にじょうだいめ䞞畳二畳ず台目畳䞀畳で構成された茶垭のこずの本垭、䞃畳半の煎茶趣味の意匠を持぀郚屋、䞉畳の氎屋みずや茶宀に隣接しお蚭ける、茶事の甚意のための堎所で構成されおいる。

    茶宀「助庵」は、江戞前期の茶人で、衚千家の久田宗党ひさだ そうぜん奜みの半床庵に基づいお考案され、䜐藀矎術通の創蚭者、䜐藀助九郎が柳瀬村珟・砺波垂の自宅に建おたもの。矎術通創蚭時に通内に移築され、「電力の鬌」ず呌ばれた束氞耳庵安巊゚門によっお助庵ず呜名された。

    䜐藀蚘念矎術通の所蔵品は、䜐藀家から寄莈された点䜙の䜜品が䞭心で、東掋の叀矎術の絵画、墚蹟、陶磁噚など倚岐に枡っおいる。茶道具では「安南染付菊唐草文茶碗」「越䞭瀬戞焌耳付茶入」「呉須山氎絵氎指」「青磁玉取獅子銙炉」「叀䌊賀耳付花入」「束花堂奜升圢釜」などを所蔵。

    安田善次郎蚘念宀

    富山県富山垂宝町1-3-10 明治安田生呜富山ビル階
    076-432-2471 明治安田生呜保険 富山支瀟
    䌑通日 土曜日 日曜日 祝日 幎末幎始
    9:0017:00入通は16:30たで 無料

    安田善次郎は、富山藩の䞋玚歊士足軜の家に生たれ、半蟲半士であった。安政幎、奉公人ずしお江戞に出お、鰹節商ず䞡替商を兌ねた店などに勀め、独立しお也物ず䞡替を商う安田屋を開業する。

    明治幎、囜立銀行条䟋が公垃され、善次郎は第䞉囜立銀行を開業、安田銀行に改組し、損保䌚瀟、生保䌚瀟、䞍動産䌚瀟を擁する安田財閥を圢成。安田銀行は戊埌、富士銀行に名称を倉曎し、珟圚、みずほフィナンシャルグルヌプのみずほ銀行になっおいる。

    JR富山駅の駅前にある明治安田生呜富山ビルの入口に安田善次郎の銅像が立ち、ビル階に「安田善次郎蚘念宀」がある。善次郎の生誕幎を蚘念しお故郷の地に䜜られたミュヌゞアムで、善次郎の生涯を玹介する展瀺や自筆の曞画、映像などを芋孊できる。

    善次郎は、独立独行で勀勉、正盎、貯蓄倹玄を旚ずし、陰埳慈善人に知られないよう密かに良い行いをし、人に尜くすこずの粟神を持ち続けた。東京倧孊倧講堂や日比谷公䌚堂の建蚭に匿名を条件に寄付しおいた。

    だが、神奈川県䞭郡倧磯町にある別邞・寿楜庵に面䌚に来た右翌の青幎に、倧正幎に刺殺され、歳の生涯を終える。青幎はその堎で自決したが、「悪埳な富豪の安田善次郎は巚䞇の富を築いたが、富豪ずしおの責任を果たしおいない」「倩誅を加えお䞖の戒めずする」などのメッセヌゞを残しおいた。最盛期に囜家予算の分の1に盞圓する富を築いおおり、䞖間の評刀はよくなかった。

    善次郎は知人の勧めもあっお、お茶に興味を持ち、衚千家代碌々斎ろくろくさい 宗巊に入門し、束翁しょうおうず名乗った。歳代前半の明治幎から『束翁茶䌚蚘』を曞き始め、倧正幎たで蚘され、死埌の幎に『束翁茶䌚蚘』が出版された。

    財界の茶人を招いお開催し、蚘録に残る茶䌚だけでも回を越えおおり、実業家の茶䌚の開催を調査した資料でも矀を抜いおいる。束翁の茶䌚に招かれた茶人の人は「道具がひどい停物ばかりだ。安く物を手に入れようずするからだ」ず秘かに日蚘に蚘しおいた。

    茶の湯の䞊玚者ずいった傲慢な態床を取るこずはなく、控え目で倹玄を旚ずした善次郎は茶道具に倧金を掛けるこずをしなかった。ただただ茶の湯、茶䌚が奜きだったこずが「道具がひどい停物ばかり」ずいう蚘録から䌺える。

    石川県

    囜立工芞通 

    石川県金沢垂出矜町3-2
    050-5541-8600
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌平日 幎末幎始
    9:3017:30入通は17:00たで 所蔵䜜品展 300円

    囜立工芞通は昭和幎、東京囜立近代矎術通工芞通ずしお東京・北の䞞公園に開通し、唯䞀、工芞ずデザむン䜜品を専門に扱う矎術通ずしお工芞ずデザむン文化の発展に取り組んできた。什和幎月、石川県金沢垂に移転し、日本海偎初の囜立矎術通ずしお開通した。

    明治期に建おられた朚造の旧陞軍斜蚭「旧陞軍第九垫団叞什郚庁舎」幎建造、元は叞什郚執務宀ず「旧陞軍金沢偕行瀟」元は将校の瀟亀堎いずれも囜登録有圢文化財を移築、埩元しお掻甚。

    東京郜千代田区にあった埓前の東京囜立近代矎術通工芞通の矎術工芞䜜品のうち点匷を移転。陶磁噚、ガラス、挆工、朚工、竹工、染織、人圢、金工、工業デザむン、グラフィックデザむンなど、明治以降の日本ず倖囜の工芞品、デザむン䜜品玄点を収蔵しおいる。

    金沢出身の人間囜宝、挆芞家の束田暩六ごんろくの工房を移築・埩元し、「束田暩六の仕事堎」ずしお䜜家ゆかりの制䜜道具や関連資料を展瀺し、蚘録映像も䞊映。

    茶道具では、荒川豊蔵の「黄瀬戞茶碗」、加藀唐九郎の「錠志野茶盌 鬌ガ島」、濱田庄叞の「琉球窯赀絵面取花生」、北倧路魯山人の「織郚蓋物」、金重陶陜かねしげ ずうようの「備前耳付氎指」、束田暩六の「鎛鎊蒔絵棗えんおうたきえな぀め」などの逞品を所蔵しおいる。

    金沢垂立䞭村蚘念矎術通

    石川県金沢垂本倚町3-2-29
    076-221-0751
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌平日 幎末幎始
    9:3017:00入通は16:30たで 310円  抹茶・菓子料350円

    茶道具ず金沢ゆかりの工芞品を鑑賞できる矎術通ずしお知られ、茶道の矎術品を䞭心に、叀九谷、加賀蒔絵、加賀象嵌ぞうがんなど工芞品、近䞖絵画、珟代䜜家の䜜品たでを所蔵する。

    金沢で酒造業䞭村酒造を営む実業家の䞭村栄俊えいしゅんは昭和幎、衚千家流の茶道に入門し、幎の敗戊を機に、「戊埌の日本は文化囜家ずしお繁栄しおいかなければならない、そのために金沢に矎術通を䜜ろう」ず志を立お、粟力的に茶道具の蒐集を始めた。

    「矎術品は䞀個人のものではなく、囜民の宝である」ずいう信念を持ち、蒐集した矎術品を寄莈しお財団を蚭立。䞭村家の䜏宅を展瀺棟ずしお珟圚地に移築・改装し、幎に䞭村蚘念通を開通。その埌、幎、所蔵品を金沢垂に寄莈し、金沢垂立䞭村蚘念矎術通ずしお再スタヌトし、平成元幎、金沢垂の垂制呚幎を蚘念しお矎術通を建お盎した。

    䞭村栄俊蒐集の名品を栞に、個人からの寄莈や垂費による賌入も加わり、珟圚、重芁文化財点、県指定文化財点、垂指定文化財点を含め、所蔵品は点を超えおいる。幎に回の䌁画展で公開し、茶䌚など倚圩な行事を開催。

    石川県金沢垂の本倚の森公園に接し、緑に囲たれた自然環境の䞭で、「梅庵」「耕運庵」ずいう茶宀がある。茶䌚、句䌚、銙垭などに利甚でき、喫茶宀では抹茶ず和菓子を楜しめる。

    茶道具には、重芁矎術品の「砧青磁平氎指 銘 青海波」「青井戞茶碗 銘 雲井」「法花蓮池氎犜文倧銙炉」をはじめ、「唐物肩衝茶入 蒲生肩衝」「赀楜茶碗 銘 手枕 初代暂長次郞」「黒織郚沓茶碗」「色絵菊桐文茶噚 野々村仁枅」「利䌑圚刀棗」などがある。

    䞭村栄俊が幎に䞊梓した『金沢茶道ず矎術』には、䜜品を入手したずきの゚ピ゜ヌドや䞭村蚘念通の開通、同時代に掻躍した金沢の茶人や数寄者に関する逞話が蚘されおいる。䞭村蚘念矎術通は、囜立工芞通、石川県立矎術通、石川県立歎史博物通、鈎朚倧拙通、金沢垂立ふるさず偉人通など、ミュヌゞアムが集積する゚リアにある。

    倧暋矎術通

    石川県金沢垂橋堎町2-17
    076-221-2397
    幎䞭無䌑
    9:0017:00 700円 呈茶付は1500円

    平成幎に開通した倧暋おおひ矎術通は、倧暋長巊衛門窯の敷地内にあり、初代長巊衛門から珟代に至るたでの倧暋焌の䜜品や加賀藩に瞁の深い茶道具類を展瀺。幎の歎史を持぀倧暋焌は蜆蜀ろくろを䞀切䜿わず、手捻りおびねり、鉄分を含んだ釉うわぐすりの风釉あめゆう焌き䞊がりは光沢のある黄耐色、风色になるを特城ずしおいる。

    寛文幎、加賀藩代藩䞻の前田綱玀぀なのりは、茶道による文化育成のため裏千家の始祖ずなる代仙叟宗宀せんそう そうし぀を京郜から招き、仙叟は土垫はじはにし、ずもの長巊衛門を茶碗造り垫ずしお金沢ぞ同道した。長巊衛門は金沢の東郊、倧暋村に開窯かいようし、仙叟の指導のもず、茶の湯の思想を造圢化した茶碗、氎指、銙合などを䜜り、倧暋焌ず称されるようになった。

    長巊衛門は、京郜暂家代の䞀入いちにゅうの高匟であったため、しっかりずした暂焌の技術を持ち、手ず篊ぞらだけを䜿っお成圢する手捏ねおづくねで削りながら、䜜品を䜜り䞊げた。暂焌は、暂家初代、長次郎が千利䌑の指導により、利䌑のわび茶に叶う茶碗暂茶碗を生み出したのが始たり。

    垞蚭展瀺を行う぀の展瀺宀があり、第宀では、初代長巊衛門ず裏千家の仙叟宗宀の䜜品を、第宀では、倧暋焌歎代の䜜品を、第宀では、棟方志功、歊者小路実節など、倧暋家ず関わった文化人や芞術家などが残した䜜品や資料を公開。陶磁芞術に関する特別展も開催しおいる。

    江戞時代に建おられた倧暋家は歊家屋敷で、歎史的颚臎圢成建造物、金沢垂指定保存建造物になっおおり、邞内には、茶宀の芳土庵、陶土軒、束激間、幎々庵があり、建築家の隈研吟蚭蚈の倧暋ギャラリヌには、圓代長巊衛門代の倧暋幎雄の䜜品を展瀺。

    茶の湯の粟神に則のっずっお進められる婚瀌の「茶婚匏」も行っおいる。矎術通の倖壁は代長巊衛門陶冶斎䜜の陶壁で、前庭の「颚庭」は勅䜿河原宏が監修。ミシュランガむドが、個人矎術通では䟋のない「䞀぀星」に認定しおいる。

    石川県九谷焌矎術通

    石川県加賀垂倧聖寺地方町1-10-13
    0761-72-7466
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は開通
    9:0017:00入通は16:30たで 500円 

    石川県加賀垂は九谷焌発祥の地で、加賀藩の支藩だった倧聖寺だいしょうじ藩の城䞋町、加賀垂倧聖寺で九谷焌が始たった。石川県九谷焌矎術通は日本で唯䞀の九谷焌の専門矎術通登録博物通ずしお幎に開通。叀九谷こくたにをはじめ、吉田屋窯、宮本屋窯などの再興九谷などの九谷焌を網矅しお玹介し、特別展の開催や、図録や研究玀芁の発行も行っおいる。

    九谷珟圚の加賀垂山䞭枩泉九谷町の金山で陶石が発芋されたのに機に、倧聖寺藩の初代藩䞻、前田利治ずしはるは、金山で錬金圹を務めおいた埌藀才次郎に呜じお肥前有田で補陶を孊ばせた。江戞時代前期、少なくずも明暊幎間幎頃に九谷に窯を築いた。

    元犄幎間の幎頃、原因は定かではないが、九谷の窯は突然閉じられた。幎間ほど焌かれた焌物を埌䞖、叀九谷ず呌んでいる。叀九谷の廃窯から玄幎埌の文化幎、加賀藩の盎営で金沢に春日山かすがやた窯が開かれ、京郜の陶工で、文人画家の青朚朚米もくべいを招いお指導を受け、再興九谷の幕が開いた。

    春日山窯の朚米颚、叀九谷の再興を目指した吉田屋窯、匁柄べんがらず呌ばれる鉄分を含んだ赀い顔料で極现の筆を䜿甚しお描く赀絵现描画あかえ さいびょうがの宮本屋窯、色絵陶磁噚の䞊に金を定着させる装食技法の金襎手きんらんでの氞楜えいらく窯など、倚くの窯が出珟する。

    再興九谷は加賀本藩で始たるが、叀九谷の独創的なデザむンに惚れ蟌み、膚倧な私財を投じお、叀九谷の埩掻を目指したのが、倧聖寺の城䞋町の有力商人、豊田䌝右衛門ずよだ でんえもんで、叀九谷の窯の隣に窯を築く。豊田の屋号、吉田屋にちなんで吉田屋窯ず呌ばれ、富裕局や知識人から高い評䟡を埗た。しかし、芞術性ず品質の远及は吉田屋窯の経営悪化を招き、亀通の䟿がよい山代枩泉に窯を移したが、窯を閉じるこずになる。

    山代の吉田屋窯の閉窯埌、珟堎の支配人であった宮本屋宇右衛門が匕き継ぎ、宮本屋窯ずしお再開し、赀絵スタむルを確立する。

    明治時代になっお、石川県胜矎のみ垂䜐野に赀絵现描の技術を定着させた斎田道開さいだ どうかい、道開ず共に九谷䞭興の祖ず蚀われた九谷庄䞉くたに しょうざらが掻躍し、倧量の九谷焌が海倖ぞ茞出された。

    庄䞉は、叀九谷、吉田屋、赀絵、金襎手のすべおの手法を取り入れ、和絵具に掋絵具を加え綿密に描き蟌んだ圩色金襎手さいしょく きんらんでを特色ずし、これが明治以降の産業九谷の䞻流になっおいく。

    九谷焌は、倧胆な構図ず鮮やかな色圩で絵付けされた色絵磁噚ずしお䞖界で高い評䟡を埗た。䞊絵付けの特城は赀、黄、緑、玫、玺青こんじょうの五圩手ごさいで九谷五圩ず呌ばれるを䜿った色圩効果ず優矎な絵暡様に衚れおいる。

    石川県九谷焌矎術通は九谷焌を様匏別に分類し、青手の間、色絵の間、赀絵の間など、それぞれ異なった雰囲気の空間に九谷焌の名品を展瀺し、九谷焌の歎史や色を玹介。茶宀「五圩庵」には四畳半の茶宀ず十畳の和宀、氎屋があり、茶釜、颚炉先屏颚、氎指、二月堂座卓、座垃団などが揃っおいお、茶䌚、焌き物鑑賞䌚、歌䌚などに利甚される。

    ミュヌゞアムカフェの茶房叀九谷ではオリゞナルの噚や加賀の珟代䜜家の噚を䜿っお、日本茶や䞭囜茶を提䟛。「おすすめのお茶」は季節ごずに倉わり、展瀺ギャラリヌで九谷焌や挆噚の䜜家の䜜品を鑑賞できる。

    南惣矎術通

    石川県茪島垂町野町東倧野7-100
    0768-32-0166
    幎䞭無䌑
    9:0017:00   700円

    南惣なんそうは、奧胜登倧野村の倩領で庄屋を務めた南家の屋号で、歎代圓䞻が惣右衛門、たたは宗右衛門ず名乗ったこずから南惣ず呌ばれおきた。南惣家は、鎌倉期以前から珟代たで続いおおり、地䞻ずしおアテの朚胜登ヒバを産出する山林を所有し、財を成した。

    南惣の田畑ず山林は米、材朚、朚炭を産み出し、山林から出る間䌐材は燃料ずなり、補塩、補茶、逊蚕も手掛けおきた。倩然の良枯である曜々朚そそぎ、名舟なふね、茪島の枯から北前船に積んで、越䞭越埌の米、䌚接蝋あいづろう昆虫から分泌される蝋で、むボタノキ属の枝の䞊に分泌物を堆積させ、ろうそくや家具などを磚いお艶を出すために甚いられる、小麊などを商っおきた。

    南惣の歎代圓䞻は文化を重んじ矎術や茶道を愛奜し、日本、䞭囜、朝鮮の陶磁噚、絵画、曞蹟、挆芞、金工などの矎術品を蒐集。散逞するこずなく保存され、昭和幎に米蔵を改装しお「胜登集叀通 南惣」を開通し、幎に南惣矎術通に改称。母屋、米蔵南惣矎術通の建造物は幎、登録有圢文化財に指定された。

    茶道具では黒茶碗 銘 閑居 初代長次郎䜜赀茶碗 銘 青柳 本阿匥光悊䜜加賀藩の本倚家に䌝䞖した野々村仁枅の瓢口平氎指などを所蔵。叀九谷の倧皿や酒井田柿右衛門の菊文皿、俵屋宗達の「菊之図颚炉先」颚炉先は茶宀で䜿われる二぀折りの屏颚のこずや「癟花癟熊之図」、円山応挙の「猛虎之図」、千利䌑や小堀遠州の曞などを展瀺する。

    犏井県

    犏井垂愛宕坂茶道矎術通

    犏井県犏井垂足矜1-8-5
    0776-33-3933
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌平日 幎末幎始
    9:0017:15入通は16:45たで 100円 70歳以䞊無料

    犏井垂内にある足矜山あすわやたは暙高メヌトルの䜎い山で、桜や犏井の垂花のアゞサむの名所ずしお知られ、足矜山公園、遊園地、博物通、矎術通、叀墳矀などがある。足矜山ず名付けられたのは明治以降で、江戞時代は愛宕山、朚田山ず呌ばれた。愛宕倧暩珟瀟ぞの参道の愛宕坂は、か぀お料亭や茶屋、遊興斜蚭が建ち䞊んだ繁華街であった。

    愛宕坂にある愛宕坂茶道矎術通は、䞀乗谷いちじょうだに珟・犏井垂城戞ノ内きどのうち町を拠点ずした朝倉氏の茶の湯ずの関わり、犏井藩䞻ずしお幕末たで続いた束平家の茶道、華道や銙道など茶道呚蟺の文化、犏井の茶道史を玹介するため、平成幎に開通した。

    同矎術通は、犏井の実業家で、北陞瓊斯工業珟・宇野酞玠を経営しおいた宇野煕ひろしが建蚭し、犏井垂に寄莈したもの。宇野は蒐集した茶道具や茶道資料を展瀺するため、幎、越前垂の歊生たけふに「宇野茶道矎術通」を開通したが、幎に閉通。䞖玀の䞭囜や日本の陶磁噚点は犏井県立矎術通犏井垂に寄莈された。

    愛宕坂茶道矎術通階の垞蚭展瀺宀では、宀町時代埌期、越前を支配した朝倉氏に関する資料を玐解き、䞀乗谷の茶の湯文化の豊かさ、その埌の越前ず茶道の歩みを玹介し、日本最叀の茶筅ちゃせん、茶杓ちゃしゃくの耇補品を展瀺。

    朝倉氏は倩正元幎、䞀乗谷城の戊いで織田信長に滅がされるたで、京郜の文化や文物を積極的に取り入れた有力倧名で、越前の文化氎準は高く、䞋玚歊士にも茶の湯が広たり根付いおいた。囜指定の特別史跡「䞀乗谷朝倉氏遺跡」は犏井の茶道文化のルヌツず蚀われる。

    愛宕坂茶道矎術通階では、所蔵する矎術品や資料をテヌマに合わせお公開し、階ロビヌで映像「いたに生きる茶のこころ」を䞊映。敷地内には茶宀「尚庵」があり、茶道䜓隓、お茶䌚に䜿われおいる。

    犏井県陶芞通

    犏井県䞹生郡越前町小曜原120-61
    0778-32-2174
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は開通 祝日の翌日土曜日、日曜日、祝日を陀く 幎末幎始
    9:0017:00入通は16:30たで 300円 犏井県陶芞通ず越前叀窯博物通共通刞500円 

    越前焌は日本六叀窯の぀で、鉄分の倚い土を甚い、衚面が赀黒色、赀耐色に焌き䞊がり、黄緑色の自然釉が流れ萜ちる矎しさが特城。土が焌き締められ氎挏れしにくいため、氎や酒、穀物の保存・貯蔵に䜿われ、䞹生にゅう郡越前町の宮厎地区、織田地区で焌かれおいた。

    宀町時代に最盛期を迎えた埌、衰退するが、越前焌の産地の地域振興を図り、若い陶芞家の受け皿ずなるよう、昭和幎に「越前陶芞村」が誕生。

    郜垂公園遞に遞ばれた「越前陶芞公園」を䞭心に、越前陶芞村には越前焌を芋お䜜っお䜿える「犏井県陶芞通」、越前叀窯を玹介する「越前叀窯博物通」、越前焌を買える「越前焌の通」、さたざたな展瀺を行う「越前陶芞村文化亀流䌚通」などがある。

    犏井県陶芞通の資料通では、耐火性が匷く氎挏れしにくい越前焌の壺、甕かめ、すり鉢を䞭心ずした生掻雑噚や、宗教的甚途にも䜿甚されおきた経筒きょうづ぀経兞を土䞭に埋玍する経塚を造営するずき、経兞を玍めるための筒圢の容噚や骚壺、鎌倉時代の穎窯あながた斜面や地䞭を掘っお、焚口ず焌成宀がそれぞれ぀のシンプルな窯の実物倧の埩元暡型などを展瀺しお、越前焌の歎史ず魅力を玹介。

    陶芞教宀では手捻りおひねり、絵付けなどの䜓隓ができ、越前焌を䜿っお味わえる「茶苑」には本栌的茶宀「越知庵おちあん」があり、庭園を眺めながら抹茶を楜しめる。犏井県陶芞通のホヌムペヌゞの「おうちミュヌゞアム」で、「おうちで楜しむ 犏井県陶芞通・越前叀窯博物通」の動画を配信しおいる。

    越前叀窯博物通

    犏井県䞹生郡越前町小曜原107-1-169
    0778-32-2174
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は開通 祝日の翌日土曜日、日曜日、祝日を陀く 幎末幎始
    9:0017:00入通は16:30たで 資料通300円 犏井県陶芞通ず越前叀窯博物通の共通刞500円 

    焌き締めや自然釉が特城の越前焌は日本六叀窯の぀で、玠朎なぬくもりを持ち、「きっず恋する六叀窯」ずしお日本遺産に認定されおいる。日本六叀窯ずは越前焌、瀬戞焌、垞滑焌、信楜焌、䞹波焌、備前焌を指す。

    越前焌研究の第䞀人者である氎野九右衛門は越前叀窯の研究に取り組み、越前叀窯の実態を明らかにした。越前叀窯博物通が幎、越前陶芞村に開通し、研究の過皋で蒐集した焌き物や、平安時代から珟代に至るたでの貎重な資料囜登録有圢文化財「犏井県陶磁噚資料点氎野九右衛門コレクション」を公開する。

    倩保幎に建おられた氎野九右衛門の旧宅を移築し、倚目的のコミュニティスペヌスずしお掻甚。『茶の本』を執筆し、日本の文化を海倖に発信した犏井県ゆかりの偉人、岡倉倩心を顕地するため、四畳半の本栌的な茶宀「倩心庵」や、玄名が立瀌圢匏の茶䌚を行える「倩心堂」を蚭眮。岡倉倩心の父は犏井藩の歊家で、藩呜で歊士の身分を捚お、犏井藩が暪浜に開いた商通「石川屋」で貿易に携わった。

    珟圚、暪浜垂開枯蚘念䌚通がある堎所で、岡倉倩心は生たれおいる。同䌚通はゞャックの塔ず呌ばれ、「暪浜䞉塔」の぀。他の棟は、キングの塔神奈川県庁本庁舎ずクむヌンの塔暪浜皎関。

    日本六叀窯の぀、越前焌のルヌツで、北陞最倧の窯業産地であった「犏井県越前町」は織田信長の織田䞀族の発祥の地でもある。越前焌はか぀お「織田焌」ずも呌ばれおいた。越前焌の歎史、特色、生産䜓制、越前赀瓊の誕生などに぀いお、以䞋のサむトで玹介しおいる。

    「織田文化歎史通 デゞタル博物通」の「第章 越前焌の歎史」ず「第章 近䞖珟代の越前焌」で越前焌の歎史を詳しく解説。

    滋賀県

    MIHO MUSEUMミホ ミュヌゞアム

    滋賀県甲賀垂信楜町田代桃谷300
    0748-82-3411
    䌑通日 開通期間䞭の月曜日祝日の堎合は翌平日 春季・倏季・秋季
    10:0017:00入通は16:30たで 1300円

    MIHO MUSEUMミホ ミュヌゞアムの収蔵品は、創立者の小山矎秀子みほこが幎以䞊に枡っお集めおきた茶道具、神道・仏教矎術、曞画、陶磁噚、挆工などで、玄件に䞊る。蒐集は日本の工芞品に始たり、䞖界の叀代矎術ぞず広がり、日本、東掋、叀代オリ゚ントなど矎術品から、点を展瀺する。

    倧阪で生たれた小山は女孊校を卒業埌、東京の自由孊園で孊んだ。キリスト教粟神を背景ずし、「人ずしおこの䞖に生たれた以䞊は、瀟䌚に奉仕すべきである」ずいう教えに深い感銘を受けた。

    哲孊者、粟神的指導者で、生涯の垫ずなる岡田茂吉もきちず出䌚い、「真の文明䞖界は、換蚀かんげんすれば“矎の䞖界”すなわち“芞術の䞖界”である」ず説く岡田のもず、信仰の道に進み、神慈秀明䌚しんじ しゅうめいかいを立ち䞊げた。岡田は、䞖界救䞖教の教祖で、MOA矎術通、箱根矎術通を開蚭しおいる。

    小山は、嚘時代から茶の湯を嗜たしなみ、茶の湯は人ずしおの基本の瀌法や垞識を育む高床な日本文化だず考えおいお、茶道具からコレクションは始たった。

    「矎術を通しお、䞖の䞭を矎しく、平和に、楜しいものに」ずの想いから、平成幎、滋賀県の信楜町の郊倖に矎術通を開通。歎代通長には梅原猛哲孊者、䜜家、京郜垂立芞術倧孊孊長、蟻惟雄のぶお東京倧孊教授、日本矎術史家、『奇想の系譜』などを著す、熊倉功倫いさお囜立民族孊博物通教授、日本文化史家、茶道史家などが就任。熊倉は茶の湯研究の第䞀人者である。

    茶道具では、曜倉倩目茶碗重芁文化財、前田家䌝来、倧井戞茶碗「小䞀文字」益田鈍翁、束氞耳庵旧蔵、本阿匥光悊や尟圢也山の名碗、瀬戞、唐接、䌊䞇里、備前、信楜焌の茶碗、織郚、黄瀬戞、志野など矎濃焌の向付、茶釜、茶宀の掛物ずしお珍重された倧埳寺開山の倧燈だいずう囜垫宗峰劙超しゅうほう みょうちょうの墚蹟などを所蔵。

    山の䞭にある矎術通の割が地䞋にあり、レセプション棟から桜䞊朚を通りトンネルをくぐり、吊り橋を超えるず展瀺通がある。ルヌブル矎術通のガラスのピラミッドで知られる䞭囜系アメリカ人建築家のむオ・ミン・ペむI・M・ペむが蚭蚈。䞭囜の詩人、陶淵明の『桃花源蚘』に描かれた理想郷、桃源郷をモチヌフにしおいる。

    䜐川矎術通 暂吉巊衞門通

    滋賀県守山垂氎保町北川2891
    077-585-7800
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は開通 幎末幎始
    9:3017:00入通は16:30たで 入通料は展芧䌚により異なる

    䜐川急䟿が創業呚幎蚘念事業ずしお、琵琶湖を望み、矎しい自然に囲たれた近江・守山に幎、䜐川矎術通を開通。陶芞家の暂吉巊衞門らく きちざえもん、日本画家の平山郁倫、圫刻家の䜐藀忠良ちゅうりょうの䜜品を䞭心に収蔵しおいる。

    桃山時代に初代長次郎から始たった暂焌は、玄幎の䌝統を持ち、暂吉巊衞門は、暂焌の茶碗を䜜る茶碗垫の暂家が代々襲名しおいる名称。幎に代吉巊衞門が襲名した。

    䜐川矎術通のコンセプト、建物の蚭蚈は代暂吉巊衞門が創案・監修したもので、千利䌑の守砎離しゅはりの思想に基づいおいる。

    守砎離ずは、利䌑の教えをたずめた『利䌑道歌どうか』にある、「芏矩きく䜜法 守り尜くしお 砎るずも 離るるずおも 本もずを忘るな」から匕甚したもの。

    芏矩ずはコンパスずさしがねのこずで、寞法や圢を意味し、芏範、決たりごずを指す。䜜法は身圢みなり、立居振舞のこず。

    芞道、芞術の修業で、たずは垫匠から教わった型を培底的に「守る」ずころから修業が始たり、垫匠の教え、型を身に぀けた者は自分に合った、より良いず思われる型を暡玢し既存の型を「砎る」こずが求められる。

    さらに教わった垫匠の型ず自分自身で芋出した型の双方に粟通し極めるず、既存の型に囚われるこずなく、型から「離れ」お自圚になれる。このようにしお新たな流掟が生たれる。だが、根源の粟神を芋倱っおはいけないずいう教えだ。

    䜐川矎術通の建物の呚りに氎庭があり、埋蚭された地䞋展瀺宀ず、氎面に浮かぶように建おられた茶宀で構成されたナニヌクな矎術通ずなっおおり、暂吉巊衞門展瀺宀、平山郁倫展瀺宀、䜐藀忠良展瀺宀がある。暂吉巊衞門展瀺宀は黒暂茶碗、焌貫やきぬき茶入、焌貫氎指など、代暂吉巊衞門の䜜品を展瀺。

    焌貫ずは、暂焌の燃成技法で、黒暂茶碗よりもさらに枩床を䞊げお焌き、高枩の備長炭から出るガスの気流が茶碗を取り巻き、窯倉が生み出され、同じものがない独自の䜜品ずなる。

    代吉巊衞門は幎、代を譲っお暂盎入じきにゅうず名を改めたが、長次郎が倩正幎間に䜜った「今焌いたやき茶碗」暂焌ずいう名称はなく、新しく生たれた茶碗は圓初、今焌ず呌称されたず呌ばれおいた茶碗ず向き合い、自らの創造性を远求し、革新的な䜜品を発衚し続けおいる。

    暂吉巊衞門通では、暂盎入の「焌貫黒暂茶碗 銘 颚舟」「黒暂茶碗 銘 倜枡海」「颚正䞀垆懞」「焌貫茶入」などを芋るこずができる。

    膳所焌矎術通

    滋賀県倧接垂䞭庄1-22-28
    077-523-1118
    䌑通日 月曜日 火曜日祝日の堎合は開通 幎末幎始 2025幎1月11日から2月21日たでの冬季期間䞭は土曜日、日曜日、祝日のみの開通ずなる。10:0016:00 1000円抹茶・菓子付き

    膳所焌矎術通は、近江囜の膳所ぜぜ珟圚の滋賀県倧接垂に藩庁を眮いた膳所藩の埡庭焌おにわやき倧名や重臣が城内や邞内に窯を築き、陶工を招いお自分の趣向に合わせお焌かせた陶磁噚の膳所焌の歎史や䜜品を䌝える矎術通で、昭和幎に開通した。

    膳所焌は、遠州䞃窯えんしゅう しちようの぀ずしお有名。遠州䞃窯は、江戞時代初期の茶人、小堀遠州が自分奜みの窯を遞び、茶道具を䜜らせたカ所の窯のこず。

    志戞呂しずろ焌遠江。静岡県島田垂、膳所焌近江、朝日焌山城。京郜府宇治垂、赀膚あかはだ焌倧和。奈良県奈良垂ず倧和郡山垂、叀曜郚こそべ焌摂接。倧阪府高槻垂、䞊野あがの焌豊前。犏岡県田川郡、高取たかずり焌筑前。犏岡垂早良さわら区高取を指す。叀曜郚焌に代りに、䌊賀焌䌊賀。䞉重県䌊賀垂を入れる堎合もある。

    膳所焌は、小堀遠州の教えを受けた膳所藩䞻、菅沌定芳すがぬた さだよしが窯を開いたのが始たりで、定芳が転封した埌の藩䞻、石川忠総ただふさの時代に、小堀遠州が愛甚したこずで広く知られるようになり、代将軍、埳川家光ぞの献茶に膳所焌が甚いられ、倩䞋にその名を知らしめた。

    しかし䞖玀前半に衰退。倧正幎、陶芞家の岩厎健䞉が党財産を投げ打ち、日本画家の山元春挙や京焌の名工、代䌊東陶山の協力を埗ながら埩興し、健䞉の長男、岩厎新定しんじょうが継承し発展しおきた。

    膳所焌の歎史、地域の䌝統文化がどのように䌝えられたかを玹介し、叀膳所焌、埩興膳所焌、滋賀県内の焌物、茶道具類、掛け軞などを展瀺。敷地内には庭園ず茶宀があり、入通者は庭を臚む座敷で膳所焌の茶噚によるお抹茶の接埅を受けられる。

    京郜府

    茶道総合資料通 茶道資料通

    京郜府京郜垂䞊京区堀川通寺之内䞊る寺之内竪町682 裏千家センタヌ内075-431-6474
    䌑通日 月曜日 幎末幎始 圓通が定めた日
    9:3016:30入通は16:00たで 通垞展700円特別展1000円

    茶道総合資料通は、茶道矎術の展瀺公開ず普及掻動のための「茶道資料通」ず、歎代家元が蒐集した茶の湯関連の資料を蒐集、保存、公開する「今日庵こんにちあん文庫」を蚭眮しおおり、茶道資料通では、茶道文化の普及を図る「茶道文化怜定」を実斜しおいる。

    茶道資料通は茶碗、掛物、花入などの茶道具や関連の矎術工芞品、文献史料などを収蔵し、茶の湯に関する䌁画展を開催。2階陳列宀には、裏千家を代衚する茶宀の぀「又隠ゆういん」の原寞倧の写しを蚭けおおり、茶宀内を芋孊できる。入通者には怅子に腰かける立瀌匏の呈茶があり、抹茶ず和菓子を楜しめる1016時、無料。

    「今日庵文庫」は、茶道に関する図曞や映像資料など玄䞇点を収蔵する茶の湯の専門図曞通ずなっおいる。

    「茶道文化怜定 Web版」は、䞀般財団法人 今日庵 茶道資料通が䞻催する怜定。深い粟神性ず独自の哲孊を持ち、長い幎月をかけお受け継がれおきた日本を代衚する䌝統文化の茶道を矎術、工芞、建築、庭園など幅広い分野も含め、トヌタルに孊ぶこずができる。

    衚千家北山䌚通

    京郜府京郜垂北区䞊賀茂桜井町61
    075-724-8000
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌日 幎末幎始
    9:3016:30入通は16:00たで 茶の湯ぞの誘い展1000円呈茶を含む 展芧䌚によっお異なる

    千利䌑の流れを汲む䞉千家さんせんけは、千利䌑の埌劻の連れ子で、嚘婿の千少庵せんの しょうあんの系統で、衚千家、裏千家、歊者小路千家の家のこず。

    少庵の子ずしお生たれた千宗旊せんの そうたんの䞉男の江岑宗巊こうしん そうさは宗旊の隠居に䌎い継嗣けいし跡取りの意ずしお茶宀、䞍審菎ふしんあんを継承し、衚千家を興した。

    宗旊は屋敷の裏に今日庵を建おお隠居所ずし宗旊の死埌、今日庵を四男の千仙叟宗宀せんの せんそう そうし぀が受け継いで独立し、裏千家ずなる。

    次男の䞀翁宗守いちおう そうしゅが逊子先から戻り官䌑庵かんきゅうあんを開き、歊者小路千家を興す。千宗守は讃岐高束藩の藩䞻、束平頌重よりしげに茶堂ずしお仕え、歊者小路千家は高束藩の茶道指南圹に就いおきた。

    衚千家を象城する䞍審菎の号の由来は「䞍審花開今日春」ずいう犅語に由来し、「䞍審にしお花開く今日こんにちの春」ず読む。春になっお花が咲くのか、よく分からない。自然ぞの畏敬の念を持ち、自然の偉倧さ、䞍思議さに感動し、今ずいう䞀瞬を倧切にせよずいう意味。

    䞍審菎は千利䌑が営んだ茶宀の名で、衚千家の歎代の家元が継承し、千宗巊が家元の号。衚千家北山䌚通には、歎代家元の奜みの茶道具、季節を感じさせる道具など、家元所蔵の䌝来の道具を垞蚭展瀺しおいる。

    䞉千家に出入りする茶碗垫、釜垫、塗垫、指物垫など十の職家を衚す千家十職せんけ じっしょくをはじめ、茶の湯の道具垫が䜜り出した䌝統工芞や矎術品が展瀺され、秋には特別展が開催される。

    階には立瀌垭りゅうれいせき怅子に座っお茶をいただく茶垭ず呈茶ロビヌが蚭けられ、呈茶ロビヌからは、隣接する京郜府立怍物園の四季折々の矎しい景色を楜しめる。

    暂矎術通

    京郜府京郜垂䞊京区油小路通䞀条䞋る
    075-414-0304
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は開通 幎末幎始
    10:0016:30入通は16:00たで 入通料は展芧䌚により異なる

    暂矎術通は暂焌の窯元、暂家に隣接しお建おられおおり、暂家代吉巊衞門 芚入かくにゅうによっお幎に開通。所蔵品は玄点に䞊り、暂焌幎の䌝統ず革新を䌝える。初代の長次郎から代吉巊衞門たでの䜜品を䞭心に、暂焌陶芞䜜品や茶道具の工芞品、関係叀文曞などを展瀺しおいる。

    千利䌑が求める䟘び茶のための茶碗を長次郎が䜜るようになったのが暂焌の始たりで、蜆蜀ろくろを䜿わず、手ず篊ぞらで成圢する手捏ねおづくねず呌ばれる手法で圢を敎え、ふいごの付いた窯で、䞀碗ず぀焌く技法が特城。

    床から床で焌成した軟質斜釉せゆう釉うわぐすりをかけた焌き物の陶噚で、暂茶碗を生み出した暂田䞭家の歎代圓䞻が䜜補した䜜品を暂焌ず呌んでいる。暂焌から掟生した玉氎焌代楜吉巊衛門の䞀入いちにゅうの庶子、䞀元いちげんが山城囜玉氎村に窯を開いたや、金沢の倧暋おおひ焌も暂焌の䞀皮。

    暂家䌝来の歎代䜜品、茶道の工芞矎術、暂家文曞資料を季節ごずテヌマに沿っお入れ替えおおり、茶の湯の文化をさたざたな䌁画で玹介する䌁画展や、暂焌を介しお茶の湯ぞの造詣を深める特別展などを開催。䜜品を手に取っお鑑賞できる䌁画も行っおいる。

    野村矎術通

    京郜府京郜垂巊京区南犅寺䞋河原町61
    075-751-0374
    䌑通日 開通䞭の月曜日祝日の堎合は翌日 倏季6月䞭旬8月 冬季12月䞭旬2月䞋旬
    10:0016:30入通は16:00たで 800円

    野村證刞、旧倧和だいわ銀行などの創業者である野村埳䞃埗庵は、歳で家業の䞡替商を継ぎ、蚌刞業を始め、野村銀行倧和銀行を経お、珟圚、りそな銀行を蚭立。本栌的に金融業に乗り出し、海倖での蟲堎経営など海倖事業も展開し、野村財閥を築き䞊げた。

    野村埳䞃が明治から昭和にかけお蒐集したコレクションを基に、昭和幎に開通した野村矎術通は茶道具、胜面、胜装束をはじめ、埗庵の遺䜜も含めお玄9点を所蔵。この䞭には重芁文化財件や重芁矎術品件が含たれる。

    重芁文化財は「䌝玀貫之筆 寞束庵色玙」「䜐竹本䞉十六歌仙 玀友則」「枅拙正柄筆 秋来しゅうらい偈頌げじゅ仏の功埳をたたえる歌」「宗峰劙超筆 癜雲偈頌」「雪村呚継筆 颚激図」「千鳥蒔絵面箱」「藀原定家・民郚卿局䞡筆 讃岐入道集」で、重芁矎術品には「赀楜茶碗 暂道入䜜 銘 若山」「文茄ぶんな茶入」の茶道具が含たれる。

    文茄ずいうのは、茶入の圢で文琳ぶんりん果物の林檎の矎称ずも茄子なすずも決めがたい䞭間の圢ずいうこずで付けられた名称。

    埗庵コレクションを䞭心に、春季月䞊旬月䞊旬 ず秋季月䞊旬月䞊旬の幎回、茶の湯を䞭心ずした展瀺しおいる。通内には怅子に座っお、気楜に抹茶を楜しめる立瀌匏りゅうれいしきの茶垭があり、茶刞を賌入しお抹茶を楜しめる。

    野村矎術通がある南犅寺界隈は、倚くの政財界人が別荘を営む閑静な地ずしお有名で、哲孊の道や玅葉で有名な氞芳堂にも近い。北隣には埗庵の別邞の野村碧雲荘ぞきうんそうがある。

    盞囜寺承倩閣矎術通

    京郜府京郜垂䞊京区今出川通烏䞞東入ル盞囜寺門前町701
    075-241-0423
    䌑通日 幎末幎始
    10:0017:00入通は16:30たで 800円

    幎の歳月を費やし、足利矩満によっお創建された臚枈宗盞囜寺しょうこくじは京郜五山の぀で、倚数の文化財が䌝わる。山号を䞇幎山たんねんざん、寺号は盞囜承倩じょうおんず定められた。

    盞囜寺は五山文孊の䞭心であり、倧巧劂拙たいこう じょせ぀、倩章呚文おんしょう しゅうぶん、雪舟等楊せっしゅう ずうようずいった日本の氎墚画の基瀎を築いた画僧を数倚く茩出。

    盞囜寺承倩閣じょうおんかく矎術通は、盞囜寺創建幎蚘念事業ずしお昭和幎に開通。盞囜寺、鹿苑寺ろくおんじ金閣寺、慈照寺銀閣寺、その他の塔頭寺院に䌝わる矎術品、寺宝を収蔵し、囜宝点、重芁文化財は点に及ぶ。

    䌊藀若冲が描いた氎墚画の傑䜜で重芁文化財の「鹿苑寺倧曞院旧障壁画」の「月倜芭蕉図぀きよ ばしょうず」や「葡萄小犜図ぶどう しょうきんず」を垞蚭展瀺。重芁文化財の絵画では、明代の画家、文正ぶんせいの「鳎鶎図めいかくず」や長谷川等䌯の「竹林猿猎図えんこうず屏颚」などがある。

    鹿苑寺境内に建぀「倕䜳亭せっかおい」は倧名茶人の金森重近かなもり しげちか宗和が造ったず䌝えられる茶宀を埩元したもの。

    茶道具では、「玳玻たいひ散花文さんかもん倩目茶碗」囜宝や「黄瀬戞珠光倩目茶碗」を収蔵。玳玻ずは、玳瑁たいたいりミガメの甲矅のこずで、釉薬をかけお焌いた衚面が、錈甲べっこうのような暡様に芋える焌物をこう呌んでいる。散花文は花が散ったような文様をいう。玳玻散花文倩目茶碗は通称、梅花倩目ず呌ばれおおり、他にも「唐接鉄班文氎指」「䞃官青磁牡䞹文倧銙炉」「緑釉四足壺」などの茶道具を有する。

    囜宝の「玳玻散花文倩目茶碗」は、倧阪垂にあった萬野たんの矎術通が幎に閉通したため、その埌、この茶碗を含む玄点の矎術品が盞囜寺承倩閣矎術通に寄莈された。

    陶磁噚の茶碗で囜宝に指定されおいるのは、以䞋の件。
    「曜倉倩目茶碗 皲葉倩目」ようぞんおんもく いなばおんもく静嘉堂文庫矎術通蔵
    「曜倉倩目茶碗」ようぞんおんもく藀田矎術通蔵
    「曜倉倩目茶碗」ようぞんおんもく倧埳寺塔頭倧通庵 韍光院蔵
    「井戞茶碗 銘 喜巊衛門」いどちゃわん倧埳寺塔頭 孀篷庵こほうあん蔵
    「油滎倩目茶碗」ゆおきおんもく倧阪垂立東掋陶磁矎術通蔵
    「玳玻倩目茶碗」たいひおんもく盞囜寺・承倩閣矎術通蔵
    「志野茶碗 銘 卯花墻」うのはながき䞉井蚘念矎術通蔵
    「楜焌癜片身倉茶碗 銘 䞍二山」らくやき しろかたみがわりサンリツ服郚矎術通蔵

    倧西枅右衛門矎術通

    京郜府京郜垂䞭京区䞉条通新町西入る釜座町18-1
    075-221-2881
    䌑通日 日曜日 臚時䌑通あり 倏季 冬季
    11:0016:00入通は15:30たで 1600円

    玄幎にわたり、京郜・䞉条釜座かたんざの地で茶の湯釜を䜜り続けおいる釜垫、倧西家は、䞭䞖の䞉条釜座の歎史を唯䞀、珟圚たで継承し、茶の湯釜の䌝統ず様匏を䌝えおいる。千家十職せんけ じっしょくの1぀。

    千家十職ずは、茶道に関わりの深い䞉千家さんせんけ衚千家、裏千家、歊者小路千家を指すに出入りする職人の家系のこず。初代の倧西浄林じょうりんは叀田織郚や織田有楜斎など、歊家茶人の釜を手がけ、圓代は代で、技術ず䌝統が受け継がれおいる。

    䞉条釜座は、平安時代からの由緒ある鋳物町で、か぀おは倚くの釜垫が軒を連ねたが、珟圚は倧西家ず吉矜與兵衛よしは よぞいなどが京釜を制䜜。

    代々の倧西枅右衛門が粟進を重ね、工倫を凝らした茶の湯釜の䌝統ず様匏を、広く公開するために平成幎に倧西枅右衛門矎術通が開蚭された。

    倧西家の茶の湯釜の源流である芊屋釜、倩明釜おんみょうがた、桃山時代、江戞期に釜座で掻躍した釜垫の西村道仁、蟻䞎次郎、名越浄味なごし じょうみなどの䜜品、倧西家歎代が甚いた釜の䞋絵や朚型などの制䜜甚具や釜座ゆかりの叀文曞、茶道具など玄点を所蔵し、䌁画展のテヌマによっお展瀺替えを行う。

    倧西家に䌝わる茶の湯釜ず茶道具類は、春季月䞭旬月䞭旬ず秋季月䞊旬月䞊旬の䌁画展で公開し、釜の名品を盎接手に觊れるこずができる京釜鑑賞䌚や、収蔵品を甚いた茶䌚、講挔䌚などを䌚期䞭に開催。通内には茶宀があり、お茶䌚に利甚できる。矎術通に隣接する工房では、今も茶の湯釜が補造されおいる。

    釜の䞻たる生産地は京釜京郜垂」の他に、芊屋釜犏岡県遠賀おんが郡芊屋町、倩明釜倩呜、倩描ずも栃朚県䜐野垂があり、「西の芊屋、東の倩明」ず称された。江戞時代になっお関東で生産されたものを「関東䜜釜かんずう さくがた」ず呌び、江戞名越家、江戞倧西家、山城家、堀家などがある。

    茶䌚を催すこずを「釜を懞ける」ずいい、茶䌚が催されおいるずきは「圚釜ざいふ」ずいう蚀葉が掲げられるなど、茶道の䞖界で釜は倧きな圹割を果たしおきた。釜のお湯が沞く音を束に䟋えお、束颚しょうふう、束籟しょうらい籟は、颚が物に圓たっお発する音、響き、束声しょうせいの音ずいう。

    现芋矎術通

    京郜府京郜垂巊京区岡厎最勝寺町6-3
    075-752-5555
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌日 幎末幎始
    10:0017:00入通は16:30たで 展芧䌚によっお異なる

    现芋矎術通は京郜の文化斜蚭が集たる岡厎公園の䞀角にあり、毛織物業で財を成した実業家で、日本矎術コレクタヌの现芋良号は叀銙庵ここうあんに始たる现芋家代の蒐集品を基に、平成幎に開通。

    優れた鑑識県ず独自の矎意識によっお遞び抜かれた点に䞊るコレクションは重芁文化財点匷を含み、平安、鎌倉時代の仏教・神道矎術、宀町時代の氎墚画、茶の湯の矎術、桃山の茶陶や䞃宝工芞、琳掟や䌊藀若冲ずいった江戞絵画など、日本矎術の倚くの分野ず時代を網矅するもので、倚圩な䌁画展を開催しおいる。

    京の町屋の構造をむメヌゞしお造られた建物蚭蚈は建築家の倧江匡。建築業協䌚賞を受賞で、階から地䞋階たで吹き抜けになっおおり、開攟的。最䞊階にある茶宀「叀銙庵」は、数寄屋建築の名匠、䞭村倖二そずじによるもので、季節ごずに開かれる公募の茶䌚「叀銙庵茶䌚」や各展芧䌚に関連しお開かれる講座、ワヌクショップなどに掻甚されおいる。

    现芋叀銙庵は、兵庫県の北西端に䜍眮する新枩泉町しんおんせんちょうの出身で、西は鳥取県に隣接。歳のずき、単身倧阪に出お毛織物の仕事に就き、その埌、歳で独立しお「泉州毛織物」を蚭立。歳を過ぎた頃から先人のすばらしさを発芋し、叀矎術に興味を持぀ようになった。

    茶釜芊屋釜の研究では日本の第䞀人者ず評され、『茶の湯釜入門』『珟代の茶垭道具』『 茶の湯釜―入門ず研究』などの著曞を著わしおいる。叀銙庵は晩幎、独孊で氎墚画を描くようになった。故郷の新枩泉町にある玉田寺ぎょくでんじ宀町時代の開創に鎌倉時代の石塔を寄進し、玉田寺の襖絵を叀銙庵自身が描いおいる。

    ★泉屋博叀通  䌑通䞭

    京郜府京郜垂巊京区鹿ケ谷䞋宮ノ前町24
    075-771-6411
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌平日 祝日 開通期間は3月䞭旬7月䞭旬、9月12月䞭旬
    10:0017:00入通は16:30たで

    泉屋博叀通せんおく はくこかんは䜏友家が蒐集した東掋矎術、工芞品を䞭心に収蔵、展瀺しおいる矎術通で、京郜垂の東偎、䞞倪町通ず鹿ヶ谷通ししがたにどおりが亀差する角にある。代圓䞻の䜏友友玔号は春翠しゅんすいの鹿ヶ谷の別荘に造られ、東山の穏やかな山容を望む颚光明媚な環境にある。

    䜏友家の矎術品で最も有名なものは、15代圓䞻の友玔が明治䞭頃から倧正期にかけお蒐集した䞭囜叀銅噚ず鏡鑑。䞭囜以倖では質量ずもに最も充実したコレクションずしお䞖界的に高く評䟡されおいる。

    幎以䞊前の䞭囜の殷商の時代、鋳造技術が高床に発達し、繊现で耇雑な造圢の青銅噚が数倚く生み出された。青銅噚通では、テヌマに沿っお぀の展瀺宀でさたざたな角床から、青銅噚の魅力を玹介。

    昭和幎に開通した泉屋博叀通は、その埌も䜏友家から数々の矎術品の寄莈を受け、収蔵品は囜宝件、重芁文化財件点、重芁矎術品件をはじめ、珟圚点以䞊。䞭囜青銅噚・鏡鑑の他に、茶道具、胜面・胜装束、䞭囜ず日本の曞画、掋画、近代陶磁噚、文房具など倚様である。

    茶道具が充実しおおり、代圓䞻、䜏友友昌ずもたさは裏千家代家元、又玄斎䞀燈ゆうげんさい いっずう奜みの道具を集め、代友芪は小堀遠州遺愛の茶碗「小井戞茶碗 銘 六地蔵」などを蒐集。

    代友玔春翠は埌陜成倩皇呜銘の茶入「唐物文琳茶入 銘 若草」や埌氎尟倩皇ゆかりの「青磁犏寿文銙炉」などを入手し、茶の湯釜、茶杓、竹花入などの名品も倚い。

    春翠は、茶の湯や胜楜ずいった日本の叀兞芞胜を嗜み、日本家屋で日本画を鑑賞する䌝統的な数寄者すきしゃの生掻を楜しみ、数々の茶䌚を催しおいた。

    泉屋博叀通は京郜ず東京のカ所で収蔵する䜜品の展芧䌚を開催しおいるが、京郜の泉屋博叀通は什和幎月から改修工事入り、幎月日にリニュヌアルオヌプンする。

    北村矎術通

    京郜府京郜垂䞊京区河原町今出川䞋ル䞀筋目東入梶井町448
    075-256-0637
    䌑通日 開通期間䞭の月曜日祝日の堎合は翌日 倏期 冬期
    10:0016:00 600円

    実業家で茶人であった北村謹次郎きんじろうの蒐集品を保存するために昭和幎に財団法人北村文華財団が蚭立され、幎に開通。矎術蒐集品をテヌマによっお遞び、春季ず秋季に公開しおいる。

    創蚭者の謹次郎は奈良の吉野山の麓、吉野川沿いの倧和䞊垂やたずかみいちで、日本の山林王ず蚀われた北村又巊衞門家の次男ずしお生たれ、家業の林業を営むかたわら、倫婊で茶道ず矎術品の蒐集に励んだ。

    矎術品の蒐集は絵画、曞蹟、圫刻、朚工、陶磁、金工、挆工、染織、人圢など倚岐に枡り、その䞭には重芁文化財点、重芁矎術品点をはじめ、倧名物、名物、蔵垳くらちょう所蔵しおいる茶道具類の控え垳、目録などが含たれ、点数は点近くになる。

    傑出した茶人であった北村は茶道具の持぀優矎さを奜んだ。倧名茶人であった小堀遠州、金森宗和、束平䞍昧に芋られる「綺麗きれいさび」江戞初期の歊家で、遠州流茶道の開祖の小堀遠州が目指す矎的抂念で、綺麗で華やかな䞭にある寂びの颚情をいうや、堂䞊ずうしょうの茶ず呌ばれる公家、宮廷瀟䌚の茶の湯の䞖界ぞの憧れが収蔵品から感じられ、そうした北村の県で茶碗、叀筆を遞んでいる。

    隣接する「四君子苑しくんしえん」ず呌ばれる茶苑・数寄屋造りの建物旧北村邞は昭和時代の数寄屋建築の傑䜜で、春ず秋の䞀定期間、内郚を公開。矎術通の階に蚭けられた゚ントランスホヌルから硝子越しに「四君子苑」を芋䞋ろし、茶苑の前庭などの景芳を楜しめる。

    叀田織郚矎術通

    京郜府京郜垂北区䞊賀茂桜井町107-2 
    075-707-1800
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌日 幎末幎始
    9:3017:00入通は16:40たで 500円 暂焌玉氎矎術通ずの共通刞 700円

    戊囜時代から江戞初期にかけお掻躍した歊将、叀田織郚おりべ重然しげなりは、千利䌑亡き埌、豊臣、埳川政暩で「倩䞋䞀の茶人」ず称され、激動の時代の茶の湯をリヌドした。圢や文様の斬新さで知られる陶噚「織郚焌」も、織郚の指導により誕生。

    叀田織郚の「茶の湯」の䞖界を玹介する矎術通ずしお、織郚の没埌幎を蚘念しお平成幎にオヌプン。垞蚭展を蚭けず、幎間回のテヌマに沿った展瀺替えにより、織郚自䜜の茶杓、曞状の他、織郚奜みの茶道具などを公開しおおり、織郚独特の䞖界を堪胜できる。

    豊臣秀吉・秀頌、埳川家康・秀忠父子に仕えた織郚は、利䌑の茶の湯を継承し、茶道具の補䜜、茶宀の建築、䜜庭など倚岐に枡っお才胜を発揮し、「織郚奜みおりべごのみ」ず蚀われるほど、そのスタむルは埌の䞖たで圱響力があった。

    利䌑䞃哲りきゅう しちお぀は、千利䌑の高匟ずされる人の歊将を指す。利䌑の孫の千宗旊せんの そうたんは「利䌑䞃人衆」ずいう呌び名で、前田利長、蒲生氏郷がもう うじさず、现川忠興ただおき䞉斎さんさい、叀田織郚、牧村兵郚ひょうぶ、高山右近南坊、芝山監物けんも぀の人を挙げおいる。埌に織田有楜うらく有楜斎、金森長近かなもり ながちか、瀬田正忠掃郚かもんが人に入れられるこずもある。

    利䌑十哲りきゅう じっお぀は、蒲生氏郷、高山右近、现川忠興、芝山監物、瀬田掃郚、牧村兵郚、叀田織郚、織田有楜斎、荒朚村重、千道安せんの どうあん利䌑の嫡男の人ず蚀われる䞃哲も史料によっお瀬田掃郚の代わりに前田利長を挙げたり、金森長近が入るなど、顔ぶれに違いがある。

    千利䌑が豊臣秀吉の怒りを買い、堺で蟄居ちっきょを呜じられたずき、叀田織郚ず现川忠興は淀の船着き堎たで千利䌑の芋送りに出向き、千利䌑に切腹を呜じられたずきも、織郚は秀吉に助呜嘆願を行なっおいる。

    利䌑が亡くなった埌、織郚は茶人ずしお秀吉に認められ、倧きな領地を持たない織郚は歊家の儀瀌ずしおの茶道を倧成し、「織郚流」を確立し、利䌑の埌継者ずなった。「ぞうげもの」ひょうきん者、おどけた者ず呌ばれ、歪んだ茶碗、非察称なものに矎を芋出し、他の者ず違う、奇抜な矎的センスを「織郚奜み」ず称した。

    倧坂倏の陣の慶長幎、織郚は豊臣方に内通しおいたず疑いをかけられ、倧坂萜城埌に息子たちず共に切腹を呜じられた。「かくなる䞊は、申し開きも芋苊し」ず、䞀蚀の匁明もせずに自害。息子人も自害、凊刑され、叀田家は断絶ずなった。

    織郚の没埌、匟子の小堀遠州が、織郚の歊家の茶の湯を受け継ぎ、匟子であった本阿匥光悊は、織郚の矎意識に觊発されお、独自の芞術を開花させた。䌊達政宗は、織郚の匟子の枅氎道閑どうかんを招き領内に茶道を広め、金森宗和重近しげちか金森長近の逊子の可重ありしげの長男は織郚流の茶を孊んで自らの境地を開き、宗和の茶颚は公家の間でもおはやされた。

    叀田織郚の研究家、映画プロデュヌサヌ、出版業、茶人で、叀田織郚矎術通通長の宮䞋玄芇はるたさは、幌い頃から叀矎術ファンで、歳のずき「黒織郚茶碗」に出䌚っお織郚に魅了されお、茶噚や釜などの茶道具、自筆の曞状、資料を蒐集し、コレクションの数は点に䞊る。

    暂焌玉氎矎術通

    京郜府京郜垂䞊京区堀川通寺之内䞊ル東偎京郜垂䞊京区寺之内堅町688-2みやした内 2階
    075-366-6881
    䌑通日 日曜日 祝日 幎末幎始  お盆䌑み
    9:3017:30入通は17:00たで 300円 叀田織郚矎術通ずの共通刞 700円

    暂焌玉氎矎術通は、長次郎焌や吉巊衛門焌の脇窯、匥兵衛焌・玉氎たたみず焌の歎代䜜品点を収蔵する矎術通で、叀田織郚矎術通の分通ずしお、什和幎にオヌプンした。

    匥兵衛焌・玉氎焌は、暂吉巊衞門家代の暂䞀入らく いちにゅうの庶子である暂䞀元らく いちげん匥兵衛から始たる。䞀元は京郜で暂焌を倧量に補䜜し、その䜜品は圓時の衚千家の芚々斎や、裏千家の六閑斎りっかんさいに評䟡され、埌に、裏千家の最々斎さいさいさい竺叟ちくそうや裏千家の䞀燈いっずう又玄斎ゆうげんさい、歊者小路千家の盎斎じきさいに愛奜された。

    匥兵衛焌は、䞀元の人の息子に受け継がれ、さらにその匟子が、山城囜南郚の玉氎で継承し、「玉氎焌」ず呌ばれるようになった。楜䞀元の父の暂䞀入は、呉服商の雁金屋かりがねやの尟圢家から光琳や也山の埓匟いずこに圓たる幌児を逊子に迎えお家を継がせるこずにし、これが暂家代目の宗入そうにゅうずなる。

    䞀元は、成人しおから暂家ず同じ京郜で開窯かいようし、力匷い䜜品を数倚く生み出した。暂家の祖である長次郎、楜焌の最高峰ずされる本阿匥光悊などの䜜颚を研究し、千䞉家の歎代宗匠も䞀元の技量を認めおきた。暂焌玉氎矎術通は、楜䞀元の「黒暂茶碗 銘 翁」「赀暂茶碗」「利䌑圢 朱釉 黒暂茶碗」「黒暂茶碗 銘 卯花」「赀暂 金入牡䞹図鉢」「金地 黒暂向獅子銙炉」黒暂 釣舟花入などを所蔵。

    高麗矎術通

    京郜府京郜垂北区玫竹䞊岞町15
    075-491-1192
    䌑通日 月曜日 火曜日祝日の堎合は開通 幎末幎始
    10:0016:30入通は16:00たで 900円

    京郜垂北区にある高麗こうらい矎術通は、朝鮮半島の矎術工芞を専門に玹介する矎術通で、高麗青磁、朝鮮王朝の癜磁や絵画だけでなく、朚工品、仏教矎術、考叀・民俗資料も収集。収蔵品は玄点で、圚日朝鮮人䞀䞖の実業家、鄭詔文チョン ゞョムンが長幎に枡り日本囜内で集めた品々が䞭栞をなす。

    鄭が収集に打ち蟌むきっかけずなったのは、朝鮮王朝時代、䞖玀埌半の癜磁壺はくじこずの出䌚いであった。噚の壁ず釉薬ゆうやく焌き物の衚面を芆うガラス質の局が薄く、淡い青癜色を垯びろくろの跡や土に混じった粒もわずかに残る。圢が敎った工業補品ずは異なり、手仕事の造圢に魅了されたこずがきっかけだ。

    矎術通は昭和幎月に開通し、初代通長は歎史孊者で京郜囜立博物の通長などを歎任した林屋蟰䞉郎た぀さぶろう、代目は日本叀代史が専門の䞊田正昭が務めた。

    鄭の収集品を守り、朝鮮半島ず日本の文化亀流を考える堎ずしおの掻動も重ね、矎術通が発行しおきた『日本のなかの朝鮮文化』ずいう題名にも、朝鮮の矎を、日本に䌝わった品や文化ずの関係から読み解こうずする姿勢が衚れおいる。

    芋どころの぀は、時代による陶磁噚の衚情の違いだ。高麗時代の青磁には、青みを垯びた柄んだ色、なめらかな噚圢、现やかな文様がある。象嵌ぞうがん衚面を圫り、異なる色の土などを埋めお暡様を衚す技法を斜した䜜品では、釉薬の䞋に浮かぶ暡様も興味深い。

    朝鮮王朝時代の癜磁は、色数を抑えた癜さず、壺や碗わんの茪郭が魅力である。粉青沙噚ふんせいさき噚の衚面に癜い土を䜿っお暡様や質感を衚した陶噚には、青磁や癜磁ずはたた異なる䌞びやかな味わいがあり、こうした陶磁の流れを比べられるのが、この通の特色である。

    収蔵分野が広く、華やかな屏颚びょうぶや家具、暮らしに甚いられた品々を陶磁噚ず合わせお芋るず、噚が眮かれた生掻の堎を思い描きやすくなる。入口の石像も、通内ぞ向かう前に目に留たる。ただ、収蔵品のすべおを䞀床に芋られるわけではない。展芧䌚ごずに展瀺内容は倉わるため、特定の屏颚や茶碗を目圓おに蚪ねる堎合は、その䌚期の出品案内を確かる必芁がある。

    茶噚・茶道具ずの関係を知る鍵は「高麗茶碗」にある。これは茶道での呌び名で、高麗王朝時代の茶碗だけを指す蚀葉ではない。朝鮮半島で焌かれた噚の䞭には、珟地では日垞の噚ずしお䜿われ、日本に枡っおから茶の湯の茶碗に芋立おられたものがある。䟘茶簡玠な道具や空間の味わいを重んじる茶の湯が広たるに぀れ、圢のわずかなゆがみや土の颚合いたでが鑑賞の察象ずなった。矎術通も「茶の湯ず朝鮮文化」をテヌマに研究講座を開き、茶道具ずしおの高麗矎術を玹介しおいる。

    矎術通が過去に開いた朝鮮通信䜿朝鮮王朝から日本ぞ掟遣された䜿節の展芧䌚では、䜿節ゆかりの高麗茶碗も取り䞊げられた。その䞭で玹介された埡本立鶎茶碗ごほんたちづる ぢゃわんは、泚文に応じお朝鮮半島で䜜られた茶碗の䞀䟋である。朝鮮の噚を日本の茶人が遞んで甚いたケヌスに加え、日本偎の泚文で䜜陶された堎合もある。茶碗぀から、日本ず朝鮮半島ずの埀来、文化の亀流をたどるこずができる。

    八幡垂立束花堂庭園・束花堂矎術通

    京郜府八幡垂八幡女郎花43-1
    075-981-0010
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌平日 幎末幎始
    9:0017:00入園・入通は16:30たで 庭園300円 矎術通は展芧䌚によっお異なる。展芧䌚を開催しおいない時期は垞蚭のパネル、映像コヌナヌだけ芋孊できる  100円
    https://shokado-garden-art-museum.jp/

    江戞時代初期の真蚀宗の僧䟶、束花堂昭乗しょうかどう しょうじょう通称は滝本坊たきもずがうは石枅氎八幡宮で出家したが、曞道、茶道、絵画に秀でた文化人でもあった。堺の出身で、曞では束花堂流滝本流ずもずいう曞颚を線み出し、近衛信尹このえ のぶただ、本阿匥光悊ずずもに「寛氞の䞉筆」ず呌ばれる。

    茶道は小堀政䞀遠州に孊び、遠州は昭乗のために瀧本坊に茶宀「閑雲軒かんうんけん」を造っおいる。昭乗の催した茶䌚には小堀遠州、歊将で儒孊、曞道、茶道、庭園蚭蚈にも粟通しおいた石川䞈山じょうざん煎茶の祖ずも蚀われる、公家など、圓時の著名な文化人らが集たった。絵画は人物画、山氎画を埗意ずし、圓代随䞀ずも称せられた。

    束花堂は束花堂昭乗が寛氞幎、隠棲甚に建おた草庵の茶宀。もずは八幡宮近くにあったが、明治の神仏分離什で曞院、庭園ずずもに珟圚の地に移された。坪玄䞇㎡の広倧な庭は囜の史跡、名勝に指定されおおり、棟の本栌的な茶宀を持぀。

    束花堂矎術通では昭乗の玹介、ゆかりの人々のパネル展瀺垞蚭展の他、八幡垂にゆかりのある矎術品や資料を収蔵。春ず秋に䌁画展や特別展を開催し、幎に回ほど通蔵品を䞭心ずした展瀺を行う。敷地内にある京郜吉兆 束花堂店で圓地の発祥ずされる「束花堂匁圓」を味わえる芁予玄。

    倧山厎町歎史資料通

    京郜府乙蚓郡倧山厎町字倧山厎小字竜光3 倧山厎ふるさずセンタヌ2階
    075-952-6288
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌日 幎末幎始
    9:3017:00入通は16:30たで 200円 䌁画展・特別展は別途料金

    倧山厎は桂川、宇治川、朚接川が合流し、淀川になる「䞉川合流の地」で、自然の関門ずもいうべき地圢から、叀代以来、日本の東ず西を結ぶ亀通の芁衝ずしお発展しおきた。

    倧山厎町歎史資料通は、倧山厎が歩んできた歎史的特色を螏たえ、町の歩み、賑わい、文化を玹介。゚ントランスルヌムでは幎衚、文化財地図、パネルなどで町の歎史を抂芳。竹林のプロムナヌドを抜けるず、倧山厎の名氎にちなむ井戞ビゞョンがあり、映像で各時代の特色ある文化・歎史が分かる。

    展瀺宀は叀代コヌナヌ、䞭䞖コヌナヌ、山厎合戊、埅庵・利䌑のコヌナヌ、近䞖コヌナヌずいう぀のコヌナヌで構成され、瓊窯跡から出土された耇匁蓮華文軒䞞瓊、豊臣秀吉所甚の「銬藺埌立䞀ノ谷圢兜耇補」、「倧山厎惣䞭」ずいう䜏民組織などを解説・展瀺し、千利䌑ゆかりの囜宝の茶宀「埅庵」の創建圓時の原寞倧暡型が埩元されおいる。

    倧山厎町歎史資料通の近くに劙喜庵みょうきあんがあり、山厎の合戊のずき、山厎に陣を敷いた秀吉は、陣䞭に千利䌑を招いお、二畳の茶宀、埅庵たいあんを造らせた。その埌、茶宀は解䜓され、江戞初期の慶長幎間幎幎に劙喜庵に移築され、珟存する茶宀ずしおは最叀の遺構ずなっおいる。

    囜宝の茶宀は棟あり、囜宝茶垭䞉名垭ず呌ばれおいる。埅庵の他に、倧埳寺韍光院りょうこういんの密庵みったん小堀遠州の䜜ず䌝えられる。京郜垂北区玫野ず、犬山城の東にある日本庭園、有楜苑の劂庵じょあん織田信長の匟、織田有楜斎うらくさいによっお、京郜・建仁寺の正䌝院しょうでんいんに建造された茶宀が移築された。愛知県犬山垂。

    囜宝の茶宀「埅庵」の拝芳は日曜日の午前䞭だけで、寺甚のある堎合は日曜日でも芋るこずができないが、倧山厎町歎史資料通では、原寞倧埩元暡型を身近で鑑賞できる。

    奈良県

    倧和文華通

    奈良県奈良垂孊園南1-11-6
    0742-45-0544
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌平日 幎末幎始
    10:0017:00入通は16:30たで 630円 特別展1100円

    倧和文華通やたず ぶんかかんは奈良垂孊園前の閑静な䜏宅街にある矎術通で、近畿日本鉄道近鉄の創立呚幎蚘念事業ずしお、昭和幎に緑豊かな高台に建おられた。矎術研究所を䜵蚭し、建築家の蟰野金吟によっお蚭蚈された奈良ホテルラりンゞの䞀郚幎の建築も移築され、文華ホヌルず名付けた。

    日本、䞭囜、朝鮮を䞭心ずした絵画、曞蹟、圫刻、陶磁、挆工、金工、染織、ガラスなどの収蔵品は、囜宝件、重芁文化財件を含む件䜙り。故・䞭村盎勝博士蒐集叀文曞雙柏そうはく文庫件、近藀家旧蔵富岡鉄斎曞画件、鈎鹿文庫和曞冊も所蔵。

    開通呚幎の幎にリニュヌアルし、より快適な鑑賞空間ずなり、展芧䌚䌚期䞭の土曜日には、孊芞員によるギャラリヌトヌクが行われる。

    茶道具では「黒楜茶碗」「赀織郚瓜文角皿」「䞀閑蒔絵枝垂桜文棗」「色絵おしどり銙合 野々村仁枅䜜」「叀田織郚曞状」「墚蹟法語 虎関垫錬こかんしれん筆」重芁文化財などがある。

    寧楜矎術通

    奈良県奈良垂氎門町74
    0742-25-0781
    䌑通日 火曜日祝日の堎合は翌平日 矎術通の䌁画展は䞍定期 庭園の敎備期間は䌑園12月末1月䞭旬、9月䞋旬
    9:3016:30入通は16:00たで 1200円 

    寧楜ねいらく矎術通は、海運業で財を成した䞭村準策、準䞀、準䜑じゅんすけの䞭村家代が蒐集した䞇点以䞊の矎術品のうち、昭和幎の神戞倧空襲を運よく免れた二千数癟点を収蔵。

    準策は昭和幎に、東倧寺ず興犏寺の間に䜍眮する庭園、䟝氎園いすいえんを関家から買取り、幎、代準䜑のずきに矎術品を公開。奈良垂の䞭心地ながら静かな時間が流れる名勝「䟝氎園」は、江戞時代に䜜られた前園ず、東倧寺南倧門、若草山、春日奥山などを借景に明治に䜜られた埌園の぀からなる池泉回遊匏庭園。

    叀代䞭囜の青銅噚、叀鏡、叀銅印、拓本類ず、䞭囜、高麗・朝鮮李朝、日本の陶磁噚、田胜村竹田の画垖「亊埩䞀楜垖たたたたいちらくじょう」などを所蔵しおおり、毎幎月䞭旬から月初旬に展瀺品の入れ替えを行う。

    毛利家䌝来の「黄金茶碗」や、赀膚焌奈良垂、倧和郡山垂の名工、奥田朚癜もくはくの蝉食付唐茄子型花噚江戞末期など、茶道具も倚く所蔵。庭園には、新薬垫寺に䜿われおいた倩平叀材を倩井板などに甚いお明治期に造られた曞院造りの茶宀「氷心亭」や、裏千家の重芁文化財指定の茶宀「又隠ゆういん」の写しの茶宀「枅秀庵」がある。

    奈良の豪商の別邞ずしお江戞時代前期の建物を移築した「䞉秀亭」は食事凊ずなっおおり、庭園を芋ながら昌食や抹茶、煎茶などを楜しめる。

    倧阪府

    倧阪垂立東掋陶磁矎術通

    倧阪府倧阪垂北区䞭之島1-1-26
    06-6223-0055
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌日 幎末幎始
    9:3017:00入通は16:30たで 1800円

    倧阪の郜心郚、堂島川ず土䜐堀川に挟たれた䞭之島公園にある倧阪垂立東掋陶磁矎術通は、䞖界的に有名な「安宅あたかコレクション」を䜏友グルヌプから寄莈されたこずを蚘念し、昭和幎に開通。幎間の増築改修工事を終えお什和幎月にリニュヌアルオヌプンした。

    安宅コレクションは、倧阪に本瀟があった総合商瀟、安宅産業の創業者䞀族で、䌚長も務めた安宅英ヌの指瀺で蒐集したもので、英ヌは芞術家のパトロン、矎術品コレクタヌずしお知られおいた。

    件の囜宝ず件の重芁文化財を含む東掋陶磁矎術通の所蔵品は、䞭囜、朝鮮陶磁が倚い「安宅コレクション」を栞にしお、経枈孊者で実業家の圚日韓囜人、李秉昌む・ビョンチャンの韓囜陶磁コレクションや、矎術品コレクタヌの堀尟幹雄の濱田庄叞コレクションの寄莈が加わり、矎術通による日本陶磁の蒐集もあっお、東掋陶磁のコレクションずしお䞖界第䞀玚の質ず量を誇っおいる。

    ペルシア陶噚や、枅時代の䞭囜で流行した嗅ぎたばこを入れる小型容噚の錻煙壺びえんこなど、関連するコレクションも充実し、所蔵品は点匱。幎回の䌁画展、特別展で魅力的な展瀺を目指す。

    茶道具では、぀の囜宝の茶碗の぀、「油滎倩目ゆおき おんもく茶碗」や、重芁文化財の「朚葉倩目茶碗」などを所蔵。

    陶磁噚の茶碗で囜宝に指定されおいるのは、以䞋の件。
    「曜倉倩目茶碗 皲葉倩目」ようぞんおんもく いなばおんもく静嘉堂文庫矎術通蔵
    「曜倉倩目茶碗」ようぞんおんもく藀田矎術通蔵
    「曜倉倩目茶碗」ようぞんおんもく倧埳寺塔頭倧通庵 韍光院蔵
    「井戞茶碗 銘 喜巊衛門」いどちゃわん倧埳寺塔頭 孀篷庵こほうあん蔵
    「油滎倩目茶碗」ゆおきおんもく倧阪垂立東掋陶磁矎術通蔵
    「玳玻倩目茶碗」たいひおんもく盞囜寺・承倩閣矎術通蔵
    「志野茶碗 銘 卯花墻」うのはながき䞉井蚘念矎術通蔵
    「楜焌癜片身倉茶碗 銘 䞍二山」らくやき しろかたみがわりサンリツ服郚矎術通蔵

    䞭之島 銙雪矎術通

    倧阪府倧阪垂北区䞭之島3-2-4 䞭之島フェスティバルタワヌ・り゚スト 4階
    06-6210-3766 
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌日 幎末幎始
    10:0017:00入通は16:30たで 展芧䌚によっお異なる

    銙雪こうせ぀矎術通の銙雪は、所蔵品の倚くを蒐集した村山韍平の号で、韍平は歳で朝日新聞を創刊し、日本を代衚する新聞に育おた。矎術に匷い関心を寄せ、岡倉倩心らが䞻宰する矎術雑誌「國華こっか」の経営も匕き受け、䟡倀ある矎術品の海倖流出を食い止めたいず、矎術品の蒐集に力を泚いだ。

    韍平が亡くなった埌、矎術通蚭立の声が䞊がり、昭和幎に財団法人銙雪矎術通を蚭立し、翌幎、神戞垂東灘区の埡圱に銙雪矎術通を開通。開通呚幎を蚘念しお、通目の矎術通ずしお「䞭之島 銙雪矎術通」を幎にオヌプン。

    所蔵品には重芁文化財点、重芁矎術品点が含たれ、仏教矎術、曞蹟、近䞖絵画、茶道具、刀剣・歊具など幅広いゞャンルに枡る。銙雪矎術通埡圱は斜蚭の改築工事のため珟圚、長期䌑通䞭で、展芧䌚掻動は䞭之島銙雪矎術通倧阪垂北区で行っおいる。

    「䞭之島 銙雪矎術通」の垞蚭展瀺斜蚭ずしお、囜指定重芁文化財「旧村山家䜏宅」に建぀茶宀「玄庵」を原寞倧で再珟。茶宀だけでなく、露地ろじ茶宀に備え付けられた庭ず茶宀たでの通路のこずで、露地口を入るずきから茶の湯は始たるを含めた党䜓を再珟。

    村山韍平は、倧阪の財界人ずの亀流を通じお茶の湯を楜しむようになり、藪内流やぶのうちりゅうの藪内節庵せ぀あんに茶を孊んだ。節庵は、野村證刞や倧和銀行珟・りそな銀行の野村財閥を築いた野村埳䞃など、財界人を倚数門䞋に抱えおいた。藪内流は、足利矩政の同胞衆の藪宗把やぶ そうはを遠祖ずしおおり、初代、藪内剣仲やぶのうち けんちゅうは歊野玹鎎の門䞋で、叀田織郚の効ず結婚した人物。

    村山韍平邞の奥に建おられた茶宀「玄庵」は、藪内流家元の茶宀である重芁文化財「燕庵えんなん」の写し。写しお建おるのは、盞䌝を埗た人だけが蚱され、韍平の茶の湯ぞの取組み姿勢が䌺える。䞭之島 銙雪矎術通には「村山韍平蚘念宀」を開蚭し、韍平の生涯を貎重な展瀺品や倧型幎衚、解説パネルなどで玹介しおおり、朝日新聞瀟の発祥の地、䞭之島の歎史も分かる。

    茶道具の所蔵品には、重芁矎術品の「黒楜茶碗 銘 叀狐 長次郎䜜」「利䌑䞞壺茶入」、重芁文化財の「志野束籬絵た぀たがきえ》氎指」の他、「名物手井戞茶碗 燕庵井戞」茶杓 銘 茶瓢ちゃひょう 村田珠光䜜」などがある。

    湯朚矎術通

    倧阪府倧阪垂䞭倮区平野町3-3-9
    06-6203-0188
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は開通 䌚期䞭
    10:0016:30入通は16:00たで 700円

    日本料理店「吉兆」の創業者、湯朚貞䞀ゆき おいいちが蒐集した茶懐石の噚、茶碗や茶入などの茶道具、曞蹟、矎術品などを展瀺する矎術通。重芁文化財点、重芁矎術品点を収蔵し、吉兆平野店の跡地に建おられたビルに昭和幎に開通。

    湯朚は料理ず茶の湯を人生の䞡茪ずし、料理ず共に茶の湯の研鑚も重ねお、茶事・茶䌚を催すかたわら、幎䜙り、茶の湯の道具の蒐集に心を傟けた。「石山切䌊勢集」「高野切」「倧燈囜垫墚蹟」「春日宮曌茶矅図」「唐物茄子茶入 玹鎎・䞀名みを぀くし」「志野茶碗 銘 広沢」「織郚四方手鉢」などの重芁文化財の他、奈良時代から江戞時代の矎術品を幎回の䌁画展を公開しおいる。

    南蛮文化通

    倧阪府倧阪垂北区䞭接6-2-18
    06-6451-9998
    䌑通日 期間䞭の月曜日 開通は5月ず11月
    10:0016:00 800円

    南蛮文化通は昭和幎、倧阪垂の䞭接にオヌプンした南蛮矎術䞭心の私立矎術通。倧孊時代に孊んだ東西の亀流に興味を持った通長の北村芳郎が歳代から蒐集しおきた南蛮矎術品を展瀺しおいる。北村家は䞭接䞀垯に広倧な土地を持っおいた地䞻。

    安土桃山時代から江戞初期たで、南欧ラテン系䞻にポルトガル、スペむンの人々ずの亀流により、ペヌロッパの圱響を受けた数々の文物が日本に流入。南蛮文化通は矎術品や工芞品をはじめ、陶噚、挆噚、叀文曞などを所蔵し、通内の階にキリスト教関連、階に南蛮矎術品を展瀺し、幎回、公開しおいる。

    所蔵品には茶道具関連の「十字王赀織郚茶碗」「ル゜ン茶壷」の他、狩野光信筆の南蛮屏颚重芁文化財、朝顔の釣鐘、マグダラのマリア画像、十字王螺鈿小櫃らでんこひ぀、む゚ズス䌚王章入り聖逅箱、うんすんカルタ、高山右近の曞状などがある。

    ル゜ン壺は桃山時代にフィリピンのル゜ン島から壺が茞入されたため、ル゜ン壺ず呌ばれるが、䞭囜広東省を䞭心に䞭囜南郚で䜜られた壺で、すでに䞖玀頃から葉茶の容噚、茶壺ずしお䜿われおいた。宀町時代埌期に茶の湯が盛んになるず茶宀で芳賞されるようになり、安土桃山時代には曞院、茶宀の食り道具にも甚いられた。

    南蛮ずは䞭囜から日本に入っおきた蚀葉で、元来「南方の野蛮人」を意味し、日本で南蛮人ず蚀えば、南方から日本に来た倖囜人ずいう意味で䜿われおいた。䞖玀以前の日本では、䞖界は「日本ず䞭囜ずむンドたたはシャム、珟圚のタむ」の囜で構成されるず考えられおいた。そのため南蛮は、むンドを陀いた南方の地域を指しおいたず思われる。

    近䞖初期の安土桃山時代にポルトガルの商人やキリシタンの宣教垫が来日し亀流を深め、南蛮はポルトガル、スペむンずその怍民地であった東南アゞアの囜々のこずを指し、やがおオランダの海掋進出ずずもに広がっおいく。

    南蛮文化は、幎にポルトガル人が皮子島に挂着し、鉄砲などの歊噚や商品、文化をもたらし、幎にオランダ人を陀くペヌロッパ人の日本ぞの枡航が犁止されるたでの幎匱に、宣教垫や商人らがもたらした文化ず、その圱響を受けた文化を「南蛮文化」ず称しおいる。

    倖来語ずしお珟圚も䜿われおいる蚀葉にはズボン、ボタン、ボヌロ、カステラ、オルガンなどがある。「南蛮挬け」「鎚南蛮」など南蛮が付いた料理は、ポルトガル人が持ち蟌んだ唐蟛子やネギを甚いたこずから呜名されたず蚀われる。

    南蛮矎術のコレクタヌずしお有名な池氞孟いけなが はじめの南蛮矎術コレクションが神戞垂に寄莈され、神戞垂立博物通は囜の重芁文化財の「聖フランシスコ・ザビ゚ル像」や狩野内膳筆の「南蛮屏颚」を所蔵。同通は江戞時代䞭期の「藍色ガラス茶壺」をはじめ、ガラスの碗、鉢、菓子噚、皿、箞などの「びいどろ史料庫コレクション」も有しおいる。
    神戞垂立博物通
    兵庫県神戞垂䞭倮区京町24

    藀田矎術通

    倧阪府倧阪垂郜島区網島町10-32
    06-6351-0582
    䌑通日 幎末幎始
    10:0018:00 1000円

    明治期に掻躍した実業家の藀田傳䞉郎は、維新以降、倚くの文化財が海倖に流出したり、囜内で粗雑に扱われるこずに危機感を感じ、「倧いに矎術品を蒐集し、囜の宝の散逞を防ごう」ず決意し蒐集に乗り出した。

    傳䞉郎の長男の平倪郎、次男の埳次郎もコレクションを続け、昭和幎に倧阪・網島の藀田邞の蔵を改築しお藀田矎術通を開通。什和幎にリニュヌアルオヌプンし、ガラス匵りの開攟的な倖芳に、内郚は旧建物の郚材を移築したモダンなデザむンになった。

    傳䞉郎は、秋田県の小坂鉱山など鉱山業を䞭栞ずし、岡山県の児島湟の干拓事業を手掛け、玡瞟、鉄道、電気、新聞など、近代化する日本の基盀事業に関わり、倧阪商法䌚議所今の倧阪商工䌚議所の代目䌚頭を務めるなど、倧阪財界に倧きな功瞟を残した。

    若い頃から叀矎術ぞの関心が高かった傳䞉郎は、叀代から明治に至る絵画、曞蹟、陶磁噚、圫刻、挆工、金工、染織、考叀資料など、倚岐に枡る文化財を蒐集。藀田矎術通は囜宝件、重芁文化財件を含む、玄件のコレクションを保有。

    囜宝では「玫匏郚日蚘絵詞えこずば」「深窓秘抄しんそうひしょう」「玄奘䞉蔵絵 巻第䞀、二、䞉、四」「柎門新月図」などを所蔵し、茶道具の囜宝は「曜倉倩目ようぞんおんもく茶碗」が挙げられる。茶道具では「菊花倩目茶碗」「癜瞁油滎倩目鉢」「黒暂茶碗 銘 たこも 長次郎䜜」「叀瀬戞肩衝茶入 銘 圚䞭庵」「利䌑黒町棗 銘 再来」「色絵鎛鎊銙合 野々村仁枅䜜」「叀䌊賀花生 銘 寿老人」など名品が倚い。

    陶磁噚の茶碗で囜宝に指定されおいるのは、以䞋の件。
    「曜倉倩目茶碗 皲葉倩目」ようぞんおんもく いなばおんもく静嘉堂文庫矎術通蔵
    「曜倉倩目茶碗」ようぞんおんもく藀田矎術通蔵
    「曜倉倩目茶碗」ようぞんおんもく倧埳寺塔頭倧通庵 韍光院蔵
    「井戞茶碗 銘 喜巊衛門」いどちゃわん倧埳寺塔頭 孀篷庵こほうあん蔵
    「油滎倩目茶碗」ゆおきおんもく倧阪垂立東掋陶磁矎術通蔵
    「玳玻倩目茶碗」たいひおんもく盞囜寺・承倩閣矎術通蔵
    「志野茶碗 銘 卯花墻」うのはながき䞉井蚘念矎術通蔵
    「楜焌癜片身倉茶碗 銘 䞍二山」らくやき しろかたみがわりサンリツ服郚矎術通蔵

    ★萬野矎術通  閉通

    倧阪府倧阪垂䞭倮区西心斎橋2-2-3 第䞉束豊ビルディング13F
    土朚建築業の萬野たんの組を父から匕き継ぎ、昭和幎に煙突建蚭請負業を始めた萬野裕昭ひろあきは戊埌、䞍動産業を志し、船舶、運茞、倖食、レゞャヌなど倚くの事業を手がけた。

    青幎時代に骚董に興味を持ち、茶碗、銙炉、埳利など叀矎術を蒐集。䞀時、蒐集を止めおいたが、戊埌、財閥や富豪が所持しおいた䌝䞖品が流出し始めるず、䞭囜陶磁ず茶道具を䞭心に蒐集を再開。琳掟や肉筆浮䞖絵などの絵画、曞蹟、金工、刀剣・甲冑から染織ぞず範囲を拡倧し、信仰の察象ずなるもの以倖はすべおコレクションの察象ずし、東掋叀矎術をゞャンルごずに系統的に集めた。

    囜宝、重芁文化財を含み、点を超える屈指の蒐集家になっおも衚に出ず、「謎のコレクタヌ」「戊埌最倧の矎術品コレクタヌ」ず蚀われおいたが、昭和幎、倧阪の心斎橋に萬野矎術通を開通。

    囜宝の「玳玻たいひ散花文さんかもん倩目茶碗」もその䞭にあった。玳玻は、玳瑁たいたいりミガメの甲矅のこずで、釉薬をかけお焌いた衚面が、錈甲べっこうのような暡様に芋える焌物で、散花文は花が散ったような文様をいう。倩目茶碗は、茶葉の産地だった䞭囜の倩目山䞀垯の寺院で甚いられた茶道具で、倩目釉ず呌ばれる鉄釉をかけお焌かれた陶噚のこず。

    萬野裕昭が幎に亡くなり、萬野矎術通は幎に閉通。その埌、玳玻散花文倩目茶碗を含む玄点の矎術品が京郜の盞囜寺しょうこくじ境内にある盞囜寺承倩閣じょうおんかく矎術通に寄莈された。

    玄点の矎術品には、円山応挙筆「牡䞹孔雀図」重芁文化財、円山応挙筆の「倧瀑垃図」、「赀楜茶碗加賀 本阿匥光悊」重文、俵屋宗達筆「蔊の现道図屏颚」重文などが含たれおいる。

    写真家の篠山玀信が撮圱しお著わし、萬野矎術通が監修した倧型本『萬野矎術』が幎に出版され、矎術品の姿を残した。

    逞翁矎術通

    倧阪府池田垂栄本町12-27
    072-751-3865
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌日開催䞭 
    10:0017:00入通は16:30たで 700円 呈茶受付は10:5015:00、䞀服500円

    阪急東宝グルヌプの創業者、小林䞀䞉いちぞう号は逞翁い぀おうが生涯に枡っお集めた矎術工芞品玄件を収蔵し、公開する矎術通で、小林の没埌、小林邞の「雅俗山荘」を展瀺通ずしお昭和幎に開通。

    矎術通ずしお蚭蚈された建物の珟圚地に平成幎に移転し、それたで䜿甚した小林邞は、小林の生涯を振り返る「小林䞀䞉蚘念通」ずしお幎にリニュヌアルオヌプンした。

    小林のコレクションは叀筆、叀経、絵巻、䞭近䞖の絵画、浮䞖絵、囜内倖の陶磁噚、日本ず䞭囜の挆芞品など倚岐に枡る。重芁文化財件、重芁矎術品件を含み、絵画では䞎謝蕪村、呉春四条掟の始祖、円山応挙円山掟、四条・円山掟の絵垫の䜜品が倚い。幎4回、䌁画展を開催。

    茶人ずしおも有名で、逞翁が自ら考案した茶宀「即庵」を、逞翁矎術通の通内に「即心庵」ずしお再珟し、展芧䌚開催䞭の土曜日、日曜日、祝日には呈茶を行っおいる䞀服円。

    小林䞀䞉は私鉄沿線の宅地造成、郊倖のレゞャヌ斜蚭の建蚭、宝塚歌劇団や映画、挔劇の東宝などの倧衆文化の創造、駅に盎結するタヌミナルデパヌトの開発などを䞀早く手掛け、新たなビゞネスモデルを創造した。

    䞀䞉は、高䟡な茶道具を買い集めるのではなく、日垞生掻の䞭の茶の湯を人々に広めようず考えた。出家者に限らず、圚家ざいけの人を含めた䞀切の衆生しゅじょうの救枈を掲げる「倧乗だいじょう仏教」になぞらえお「倧乗茶道」を唱えた。

    昭和幎に出版した『新茶道』は小林䞀䞉の茶道論をたずめたもので、䞀郚の特暩階玚のための茶道、既成の茶道を批刀し、民芞品などを茶噚に芋立おお、怅子を配眮した茶宀を造り、簡玠な茶道、茶の湯を提案。阪急癟貚店内に叀矎術売堎を蚭け、茶噚などの叀矎術品を安心しお入手できるようにし、茶道の倧衆化を掚し進めた。

    阪急文化財団が運営する「䞀䞉ネットワヌクの人」で、小林䞀䞉に瞁のある著名な人物名を、政治、経枈、挔劇、文芞、茶道など、さたざたな分野からピックアップしお玹介しおいる。茶道からは、兵庫県䌊䞹垂の枅酒「癜雪」の醞造元の小西新右衛門道易軒や、東歊鉄道グルヌプの創業に関わった「鉄道王」の根接嘉䞀郎青山、䞉井財閥を支えた実業家の益田孝鈍翁どんのうなど、人の茶人ずの亀流が綎られおいる。

    垞蚭展瀺はしおおらず、テヌマに応じお所蔵品を展瀺する。浮䞖絵は、歌舞䌎、刀剣、生き物などをテヌマにした際に公開しおきた。

    奥内陶芞矎術通

    倧阪府豊䞭垂岡町北3-8-1
    06-6852-3842
    䌑通日 月曜日 土曜日 日曜日 冬季・倏季䌑通、䞍定䌑有
    10:0016:00   300円

    柳宗悊やなぎ むねよしらによっお興された、日垞䜿いの雑噚に矎を芋出そうずする民藝運動に共感した奥内おくうち豊吉は民藝運動に参画した陶芞家の名品の蒐集を皮切りに、近珟代の陶芞家の名品を蒐集。

    昭和幎、静かな䜏宅街に奥内陶芞矎術通を開通。奥内は、民藝運動に邁進した棟方志功の版画や、染色工芞家で人間囜宝の芹沢銈介せりざわ けいすけの染色画をこよなく愛したこずでも知られおいる。

    河井寛次郎、富本憲吉、楠郚匥匌くすべ やいち、北倧路魯山人などの茶碗がずらりず䞊び、益子焌の䞭興の祖で、民藝運動をしおいた濱田庄叞の名品を集めた展瀺宀の他にも、浮䞖絵展瀺宀、絵画展瀺宀、日本画・圫刻展瀺宀などがある。

    浮䞖絵展瀺宀は、葛食北斎、喜倚川歌麿、歌川豊囜、鳥居枅倍きよたす、歌川広重、歌川囜貞、鳥文斎栄之ちょうぶんさい えいし、豊原囜呚ずよはら くにちか、小林枅芪 きよちか、守川呚重もりかわ ちかしげのなど䜜品を所蔵。

    絵画展瀺宀にはルノワヌル、マリヌロヌランサン、キスリングなど、デッサン展瀺宀にはピカ゜、ビュッフェなどの䜜品が展瀺されおいる。

    点を超える矎術品を所蔵し、点匷を垞蚭展瀺し、板谷波山の「窯變唐草文氎差」、北倧路魯山人の「瀬戞花噚」、加守田章二かもだ しょうじの茶碗、志野の人間囜宝、鈎朚蔵おさむの「志野花瓶」など、茶道具も倚い。

    奥内は、オフィスビル、賃貞マンション、ビゞネスホテルなどの経営で財を成したオクりチグルヌプの創業者で、故郷の兵庫県淡路垂に高さメヌトルの「䞖界平和倧芳音像」の寺院・博物通を建蚭したこずでも有名。

    さかい利晶の杜

    倧阪府堺垂堺区宿院町西2䞁1-1
    072-260-4386
    䌑通日 第3火曜日祝日の堎合は翌日幎末幎始  芳光案内展瀺宀は幎末幎始
    9:0018:00入通は17:30たで  千利䌑茶の湯通・䞎謝野晶子蚘念通・さかい埅庵倖芳芋孊 300円
    茶の湯䜓隓斜蚭は10:00〜17:00 芳光案内展瀺無料ゟヌンは9:00〜18:00

    倧阪府堺垂には、䞖界遺産の「癟舌鳥・叀垂叀墳矀」に登録された癟舌鳥もず叀墳矀を構成する仁埳倩皇陵叀墳倧山叀墳・倧仙陵叀墳をはじめずする叀墳矀、歎史的な町䞊み、刃物や和菓子などの䌝統産業など数倚くの歎史文化資源がある。戊囜時代には堺で鉄砲が生産され、鋌の生産技術は珟圚も包䞁や自転車の機胜郚品などに受け継がれおいる。

    堺の歎史ず文化を芋孊、䜓隓しながら楜しめる斜蚭ずしお平成幎に開通したのが「さかい利晶の杜りしょうのもり」。堺で生たれた茶人、千利䌑に関する「千利䌑茶の湯通」、明治の歌人、䞎謝野晶子の䜜品ず生き方を玹介する「䞎謝野晶子蚘念通」の぀のミュヌゞアムを持぀。

    わび茶の倧成者ずしお知られ、千家茶道の祖である千利䌑は堺の商家に生たれ、生涯の倧半を堺で過ごした。本名は田䞭䞎四郎、法名は宗易で、歳のずき正芪町おおぎたち倩皇から利䌑居士号を賜り、歳で亡くなるたでの短期間、利䌑を名乗った。堺の豪商の歊野玹鷗じょうおうに茶の湯を習い、織田信長や豊臣秀吉の茶頭さどうずしお仕え、秀吉の犁䞭茶䌚や北野倧茶湯の開催を支え、「倩䞋䞀の茶の湯者ちゃのゆしゃ」ず称された。

    堺は町党䜓を囲むように掘られた環濠があり、堺環濠郜垂遺跡から出土した貿易陶磁噚囜境を越えお茞出・茞入された陶磁噚の総称や志野、織郚などの茶道具類も展瀺。最新型VRゎヌグルを付けるず、立䜓映像で䞭䞖の環濠郜垂「堺」のたち䞊みが再珟される䜓隓型コンテンツも楜しめる玄7分。垞蚭展瀺芳芧ずVRセット刞1400円。千利䌑が造った茶宀で珟存する囜宝の「埅庵」は京郜府の倧山厎町の劙喜庵みょうきあんにあるが、「さかい埅庵」は創建圓初の姿を埩元しおいる。

    䞎謝野晶子は、堺垂の甲斐町にあった和菓子商「駿河屋」に生たれ、歳で䞊京し、歌の垫である䞎謝野寛鉄幹ず結婚しお人の子どもの母ずなった。歌集『みだれ髪』や詩「君死にたたふこずなかれ」を発衚し、『源氏物語』の珟代語蚳や瀟䌚問題、教育問題に関する評論も行っおいた。

    生家の「駿河屋」を再珟しおおり、数孊が埗意だった晶子は垳簿を付け、店番をしながら文孊䜜品を読んだずいう垳堎も再珟。芳光案内展瀺宀もあり、敷地内には和食レストランが䜵蚭されおいる。

    堺垂博物通

    倧阪府堺垂堺区癟舌鳥倕雲町2䞁 倧仙公園内
    072-245-6201
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は開通 幎末幎始
    9:3017:15入通は16:30たで 200円

    堺垂の歎史、文化、矎術、考叀、民俗に぀いお分かりやすく玹介するミュヌゞアムで、仁埳倩皇陵叀墳がある倧仙公園の䞀角にある。巚倧叀墳が数倚くある癟舌鳥もず叀墳矀は平成幎に「癟舌鳥・叀垂叀墳矀」ずしお䞖界遺産に登録された。

    海倖からの来蚪者を巚倧なモニュメントで迎えるため、堺の海岞近くに巚倧叀墳が造られたず考えられるが、堺は宀町時代から安土桃山期にかけお、䌚合衆えごうしゅうず呌ばれる有力商人たちが䞭心ずなり、自由郜垂、貿易郜垂ずしお栄えた。貿易、商業によっお埗た富を背景に、千利䌑をはじめ茶人、文化人を茩出し、キリスト教の宣教垫が「堺は日本の最も富める枯」ず蚘すほどの繁栄ぶりだった。

    博物通では叀代から珟代たでの堺の歎史を遺物、史料、パネルなどで玹介し、堺の姿を䌝える映像を䞊映。仁埳倩皇陵叀墳をドロヌンで空撮した迫力満点の映像の「癟舌鳥叀墳矀疑䌌䜓隓ツアヌ」や、倧型スクリヌンでしか䜓感できない叀墳矀の雄倧さを䌝える「癟舌鳥叀墳矀シアタヌ」がある。

    展瀺゚リアでは芳音菩薩立像、挆塗倪錓圢酒筒さかづ぀、旧浄土寺九重塔の点の囜の重芁文化財の他、仁埳倩皇陵甲冑図、仁埳倩皇陵出土城茪、南蛮船カラック暡型、堺鉄砲火瞄銃、菱垣廻船の暡型、庖䞁補䜜工皋埩元などを展瀺。茶道具では「志野茶碗」「瀬戞矎濃倩目茶碗」「湊焌みなずやき茶碗」「錠志野向付」「備前氎指」「䞭囜補 青磁花入」「瓊質土噚釜」などを所蔵しおいる。

    和泉垂久保惣蚘念矎術通

    倧阪府和泉垂内田町3-6-12
    0725-54-0001
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は開通、翌平日䌑通 幎末幎始
    10:0017:00入通は16:30たで 500円

    久保惣蚘念矎術通は昭和幎に開通した和泉垂立の矎術通で、日本ず䞭囜の絵画、曞蹟、工芞品などの東掋叀矎術を䞭心に、囜宝点、重芁文化財点を含む玄䞇点を所蔵。

    久保惣は、明治時代から幎近く綿業を営み、泉州有数の䌁業ずしお発展。初代久保惣倪郎が明治幎に創業し、代惣倪郎、忠枅、代惣倪郎ず匕き継がれ、昭和幎の廃業を機に、代惣倪郎が代衚しお、矎術品、矎術通の建物、敷地、基金を和泉垂ぞ寄莈し、久保家旧本宅跡地に開通した。代目代衚者の久保恒圊によっお、平成幎、矎術通新通が寄莈され、その埌も、久保家や久保惣の関係者から音楜ホヌル、垂民ギャラリヌ、垂民創䜜教宀、研究棟が远莈され、玄坪の敷地を有するミュヌゞアムずなっおいる。

    日本の曞蹟では、平安時代のかなの名品「歌仙歌合」囜宝、「貫之集䞋぀らゆき しゅうげ 断簡・石山切 藀原定信筆」重文をはじめ、「熊野懐玙」藀原範光筆重文などの叀筆、奈良時代以降の経巻ず鎌倉時代の墚蹟の重芁文化財を収蔵。絵画は、鎌倉時代の「䌊勢物語絵巻」「駒競こたくらべ行幞絵巻」、宀町時代の「山王霊隓蚘さんのう れいげんき絵巻」点ずも重文などの絵巻、「源氏物語手鑑 土䜐光吉筆」、「枯朚鳎鵙こがく めいげき図 宮本歊蔵筆」点ずも重文などがある。

    浮䞖絵版画は、葛食北斎や歌川広重の颚景画、喜倚川歌麿や東掲斎写楜の人物画、歌川囜芳の歊者絵、月岡芳幎や萜合芳幟、河鍋暁斎呚麿の名所絵などを収蔵。広重が晩幎に制䜜した「六十䜙州名所図䌚」党点、䞉代歌川豊囜の「豊囜揮毫奇術競」枚、月岡芳幎の「和挢癟物語」枚など、シリヌズを䞀挙に展瀺するこずも倚い。

    陶磁噚では、䞭囜・南宋時代の「青磁 鳳凰耳花生 銘 䞇声」囜宝、日本・桃山時代の「黄瀬戞立錓花入 銘 旅枕」「唐接茶碗 銘 䞉宝」いずれも重文、金工品では「響銅 氎瓶」「響銅 鵲尟圢柄銙炉」いずれも重文などがある。

    西掋矎術では、モネ、ルノワヌル、ゎッホ、ピカ゜、ロダンなど、西掋近代の絵画点、圫刻点、䞖玀にペヌロッパで制䜜されたアゞアを含めた䞖界の叀地図、䞖玀の西掋の゚ッチングやリトグラフなどを持぀。

    所蔵品を掻かしお幎回の䌁画展ず幎回の特別展を開催。茶䌚、コンサヌト、垂民による䜜品展など、垂民の創䜜発衚の堎も提䟛しおいる。日本や䞭囜を䞭心ずした東掋の矎術、関連する諞地域の歎史、考叀孊、宗教、文化などの図曞資料玄䞇冊を所蔵し、このうち䞇冊は䞭囜叀代史孊の暩嚁である貝塚茂暹の旧蔵曞の「貝塚茂暹蚘念文庫」。

    浮䞖絵は、東海道名所颚景、浮䞖絵オヌルスタヌ、江戞のポップ・カルチャヌ、浮䞖絵の黄金時代ずいったテヌマで公開しおいる。

    ホヌムペヌゞにデゞタルミュヌゞアムを開蚭しおおり、絵画、版画、圫刻、金工、朚挆工、陶磁噚などの䜜品を芋るこずができる。

    正朚矎術通

    倧阪府泉北郡忠岡町忠岡䞭2-9-26
    0725-21-6000
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌日
    10:0016:30入通は16:00たで 700円

    正朚たさき矎術通は倧阪府泉北郡の忠岡町にあり、茶道の倧成者、千利䌑を生んだ堺に隣接しおおり、茶の湯の文化が町衆の間で広く根付いおいた。

    正朚矎術通の創蚭者、正朚孝之は泉州の文化的土壌で育ち、代々続いおきた庄屋の圓䞻ずしお歎史や䌝統文化に関心を持ち、埌に茶道を熱心に取り組んだ。若い頃から工務店、映画通の経営で財を成し、早くからコレクタヌの道を歩み始めた。

    戊埌の混乱期に、か぀おの豪商や財閥家の経枈的事情から代々受け継がれおきた叀矎術品が売りに出され、散逞しかねない状況にあり、名品の取埗に乗り出す。䞭囜の元時代の文人画家、銭遞せん せんが描いたず䌝わる「果蓏から暹朚になる実ず、぀る草になる実秋虫図あきむしず」ず出䌚っお東掋叀矎術品に魅了され、倧阪の豪商・鎻池家から出た倧燈囜垫の墚蹟、小野道颚の䞉䜓癜氏詩巻、藀原行成の癜氏詩巻などを蒐集。埌に、いずれも囜宝に指定されおいる。

    コレクションを東掋叀矎術品、特に䞭䞖の犅宗文化の墚蹟ず氎墚画、茶道具ず定め、奈良時代から江戞時代にかけおの矎術工芞品、城茪や銅鏡ずいった考叀資料、仏教関係などの分野の䜜品も賌入。蒐集した矎術品ず土地・建物を寄付し、昭和幎、正朚矎術通を蚭立。収蔵品は囜宝件、重芁文化財件を含む玄点に䞊る。

    展瀺通の隣に䜏居か぀茶道の実践の堎でもあった茶宀付の正朚蚘念邞䞻屋、䞭門、腰掛埅合が囜の登録有圢文化財があり、展芧䌚開催䞭の土曜日、日曜日、祝日には内郚䞀郚の芋孊が可胜。

    正朚は歊者小路千家流の茶人で、号は滎凍おきずう。正朚蚘念邞は、戊埌、自ら蚭蚈しお建おた建物で、庭にある䞭門は、歊者小路千家に䌝わる茶道の官䌑庵ず同じ線笠門になっおいる。茶宀「滎凍庵」に至る露地庭に䌜藍石がらんせきなどの飛び石が配されおいる。非公開だが、茶䌚や展芧䌚関連のむベントの際に、茶宀の䞀郚を公開しおいる。

    茶の湯関連では、千利䌑の存呜䞭に描かれた唯䞀の䜜品「千利䌑像」䌝 長谷川等䌯筆、重文「黒楜茶碗 銘 䞡囜 䌝長次郎䜜」竹補瓢圢茶噚「茶杓 銘 ゆみ竹 千利䌑䜜」「緋襷矢筈口ひだすき やはずぐち氎指」肩衝茶入 銘 有明などを所蔵。

    正朚蚘念邞囜の登録有圢文化財を玹介する動画で、建物や茶宀の詳现が理解できる。

    兵庫県

    癜鶎矎術通

    兵庫県神戞垂東灘区䜏吉山手6-1-1
    078-851-6001
    䌑通日 春季・秋季展䌚期䞭の月曜日祝日は開通、翌平日䌑通
    10:0016:30入通は16:00たで 800円

    癜鶎矎術通は昭和幎、六甲山の麓の閑静な䜏宅街に開通し、戊前に誕生した私立矎術通の぀。癜鶎酒造代の嘉玍治兵衛正久鶎翁、鶎堂、鶎庵が集めた叀矎術品のコレクション点から出発し、珟圚は囜宝件点、重芁文化財件点を含む点以䞊の矎術品を所蔵しおいる。

    珟存する日本最叀の私立矎術通は、明治から倧正期に財を成し、倧倉財閥を創始した倧倉喜八郎が明治幎に東京で倧倉矎術通を開通し、倧正幎に財団法人倧倉集叀通ずなったのが最初。

    倧正幎には、藀井玡瞟の創業者、藀井善助が䞭囜の叀矎術䞭心の私立矎術通、藀井斉成䌚有鄰通さいせいかい ゆうりんかんを京郜に蚭立。岡山県倉敷垂を基盀に掻躍した事業家、倧原孫䞉郎が昭和幎に蚭立した倧原矎術通は日本で最初の西掋矎術䞭心の私立矎術通ずなった。

    若い時から叀矎術奜きであった治兵衛は婿逊子ずしお嘉玍家に入り、茶人でもあった。「䞖界的䟡倀のあるコレクションを私蔵するのではなく、倚くの人の目に觊れおほしい」ず考えおいた治兵衛は叀矎術の蒐集に努め、蒐集品の䞭でも、殷・西呚の青銅噚、挢から明時代の陶磁噚、奈良時代の経巻きょうかん、鎌倉から江戞時代の絵画が充実しおいる。

    開通呚幎蚘念事業ずしお幎に新通を開蚭しお「絚毯矎術通」ずした。癜鶎酒造代の嘉玍秀郎が集めた近䞭東の倚圩な絚毯、玄点を所蔵し、トルコ、コヌサカス、むランペルシアの絚毯やアフリカの仮面や圫刻を展瀺。

    本通、茶宀の「厧庵すうあん」、事務棟、土蔵が囜の登録有圢文化財に指定されおおり、厧庵は、六甲の地にあった茶宀建築を昭和幎に移築したもの。茶宀は入母屋屋根の䞭倮を瓊葺ずしその呚囲に銅板を葺ふき回した瀟排な倖芳で、䞊質な造りずなっおいる。

    茶道具では「犟目のぎめ倩目茶碗」「玳玻たいひ倩目茶碗」「青磁鳳凰耳花生」「青磁浮牡䞹文銙炉」などを所蔵。 

    ★銙雪矎術通埡圱 䌑通䞭

    兵庫県神戞垂東灘区埡圱郡家2-12-1
    078-841-0652
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌日 幎末幎始
    10:0017:00入通は16:30たで 展芧䌚によっお異なる

    銙雪こうせ぀矎術通の銙雪は、矎術に匷い関心をもっおいた村山韍平の号で、韍平は歳で朝日新聞を創刊し、日本を代衚する新聞に育おた。䟡倀ある矎術品の海倖流出を食い止めたいず、矎術品の蒐集に力を泚ぎ、岡倉倩心らが䞻宰する矎術雑誌「國華」の経営も匕き受けた。

    韍平が亡くなった埌、矎術通蚭立の声が䞊がり、昭和幎、神戞垂東灘区の埡圱に銙雪矎術通を開通。通目の矎術通ずしお「䞭之島 銙雪矎術通」を幎にオヌプン。

    所蔵品は重芁文化財点、重芁矎術品点が含み、仏教矎術、曞蹟、近䞖絵画、茶道具、刀剣・歊具など幅広いゞャンルに及ぶ。

    銙雪矎術通埡圱は斜蚭蚭備の改築工事のため珟圚、長期䌑通䞭で、展芧䌚掻動は䞭之島銙雪矎術通倧阪垂北区で行っおいる。

    「䞭之島 銙雪矎術通」の垞蚭展瀺斜蚭ずしお、囜指定重芁文化財「旧村山家䜏宅」に建぀茶宀「玄庵」を原寞倧で再珟。茶宀だけでなく、露地ろじ茶宀に備え付けられた庭ず茶宀たでの通路のこずで、露地口を入るずきから茶の湯は始たるを含めた党䜓を再珟。

    村山韍平は、倧阪の財界人ずの亀流を通じお茶の湯を楜しむようになり、藪内流やぶのうちりゅうの藪内節庵せ぀あんに茶を孊んだ。節庵は、野村證刞や倧和銀行珟・りそな銀行など野村財閥を築いた野村埳䞃ずいった財界人を倚数門䞋に抱えおいた。

    藪内流は、足利矩政の同胞衆の藪宗把やぶ そうはを遠祖ずしおおり、初代、藪内剣仲けんちゅうは歊野玹鎎の門䞋で、叀田織郚の効ず結婚した人物。

    村山韍平邞に建おられた茶宀「玄庵」は、藪内流家元の茶宀である重芁文化財「燕庵えんなん」の写し。写しお建おるこずは、盞䌝を埗た人だけが蚱される決たりで、韍平の茶の湯ぞの取組み姿勢が䌺える。

    茶道具の所蔵品ずしおは、重芁矎術品の「黒楜茶碗 銘 叀狐 長次郎䜜」「利䌑䞞壺茶入」、重芁文化財の「志野束籬絵た぀たがきえ氎指」の他、「名物手井戞茶碗 燕庵井戞」茶杓 銘 茶瓢 村田珠光䜜」などがある。

    鉄斎矎術通

    兵庫県宝塚垂米谷字枅シ1 番地 枅荒神枅柄寺内
    0797-84-9600
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌日 
    10:0016:30入通は16:00たで 300円

    富岡鉄斎おっさいは、明治、倧正期の文人画家、曞家で、石門心孊、儒孊、陜明孊、詩文などを孊び、女流歌人で尌僧の倧田垣蓮月おおたがき れんげ぀に預けられ薫陶を受けた。煎茶道、茶の湯に詳しく、蚀葉を倧事にし「自分の絵を芋るずきは、たず賛さん絵画に曞かれおいる文章を読んでくれ」ず頌むほどで、「最埌の文人画家」ず謳われた。

    鉄斎矎術通は、枅荒神きよしこうじん枅柄せいちょう寺の第䞖法䞻、坂本光浄こうじょう和䞊が半䞖玀に枡っお蒐集した富岡鉄斎の䜜品を広く公開するため、昭和幎、枅荒神枅柄寺の境内に開通。

    所蔵する鉄斎䜜品は絵画、曞をはじめ、鉄斎が絵付を斜した陶噚や噚物など「鉄斎の噚玩きがん」ず呌ばれる䜜品、資料など点を超える。

    噚玩ずは、身蟺に眮いお日々賞玩し愛めでる噚や工芞品ずいう意味で、茶道具の職人が䜜った茶碗、鉢、花噚、釜、銙炉や、煎茶道で䜿う急須や茶碗に絵を斜したり、文様や文字を入れお仕䞊げた矎術工芞品を指す。

    鉄斎矎術通別通「史料通」が平成幎に開通。鉄斎矎術通「聖光殿」は資料敎理のため䌑通しおおり、展芧䌚は「史料通」で開催しおいる。入通料の党額は、矎術図曞賌入基金ずしお宝塚垂に寄付し、宝塚垂立䞭倮図曞通内に「聖光文庫」を蚭眮し、豊富な矎術関係図曞を揃えおいる。

    光浄和䞊は富岡鉄斎ず芪亀があり、点の絵画を莈られた。枅荒神枅柄寺が所蔵する富岡鉄斎䜜品は、初期から晩幎に至る絵画、曞、陶工や指物垫が䜜った噚物に絵付けなどをした噚玩、先人の構図・筆法・圩色を孊ぶために暡写した粉本ふんぜん、曞簡など倚岐に枡る。

    光浄和䞊ず、その遺志を継いだ第䞖坂本光聰こうそう和䞊は、フランスのギメ矎術通、アメリカのボストン矎術通、東京囜立博物通、東京囜立近代矎術通、京郜垂矎術通など、囜内倖のミュヌゞアムに䜜品を寄莈し、昭和幎から囜内各地、アメリカ、むタリア、ドむツ、むギリス、䞭囜などで、枅柄寺のコレクションによる鉄斎展を開催。

    光浄和䞊は自ら海倖の展芧䌚堎を蚪れ、鉄斎の平和粟神ず「䞉宝仏・法・僧䞉犏行犏、戒犏、䞖犏の぀のよい行い」の真理を説いたこずもあっお、枅荒神枅柄寺は「鉄斎寺」ずしお䞖界に知られおいる。

    「鉄斎の噚玩」の展芧䌚はこれたで䜕床も行われおり、噚玩に関する解説ず展瀺品の目録を以䞋に掲茉する。茶道具の職人ず、数倚くのコラボ䜜品を制䜜しおいたこずが分かる。

    鉄斎ず茶の湯
    http://www.kiyoshikojin.or.jp/wordpress/wp-content/uploads/2019/04/20190406_list.pdf

    鉄斎の噚玩―売茶翁没埌250幎によせおhttp://www.kiyoshikojin.or.jp/wordpress/wp-content/uploads/2017/12/20111222_list.pdf

    鉄斎の噚玩―名工ず遊ぶ―
    http://www.kiyoshikojin.or.jp/wordpress/wp-content/uploads/2017/12/20110105_list.pdf

    鉄斎の噚玩―匠ずの共挔―
    http://www.kiyoshikojin.or.jp/wordpress/wp-content/uploads/2017/12/20081222_list.pdf

    滎翠矎術通 

    兵庫県芊屋垂山芊屋町13-3
    0797-22-2228
    䌑通日 月曜日開催䞭 倏季・冬季は䌑通
    10:0016:00入通は15:30たで 700円

    滎翠おきすい矎術通は、六甲山の矎しい景芳を背景にした閑静な䜏宅街にあり、四季折々の草花が蚪れる人を迎える。山口銀行前身は第癟四十八囜立銀行。埌の䞉和銀行の頭取で、倧阪財界で掻躍した山口吉郎兵衛代の邞宅だった堎所で、昭和幎に開通。

    山口銀行が鎻池銀行、䞉十四銀行ず合䜵しお䞉和銀行ずなった昭和幎を機に財界を離れ、幎に他界するたで、京焌や玀州焌などの陶噚、人圢、かるた、矜子板などを研究し、蒐集に没頭。叀矎術品コレクションは点を䞊回り、吉郎兵衛が生前に望んでいたコレクションの䞀般公開を、遺志を継いだ倫人が䜏宅を改装し、吉郎兵衛の雅号であった「滎翠」を冠した矎術通ずした。

    明治埌期から昭和初期にかけおの茶道の隆盛に倧きな圱響を䞎え、流掟を超えお財界人ず亀流した茶人、藪内節庵やぶのうち せ぀あんの門䞋であった吉郎兵衛は、茶道具の蒐集にも力を泚ぐ。

    重芁文化財の「扇面鳥兜螺鈿蒔絵料玙箱 本阿匥光悊䜜」をはじめ、茶道具では「赀織郚沓圢茶碗」「赀楜茶碗 銘 募圓 長次郎䜜」「銹絵雪笹文手鉢 尟圢也山䜜」「色絵束竹梅文箙圢花入」「茶杓 銘 埡坊ぞ 高山右近䜜」、埌氎尟䞊皇の修孊院離宮で焌かれた「修孊院焌 冠圢倧耳付氎指」などを所蔵。

    矎術通ずなった旧山口吉郎兵衛宅は「関西モダニズム建築遞」「ひょうごの近代䜏宅遞」に遞定されおいる。

    兵庫陶芞矎術通

    兵庫県䞹波篠山垂今田町䞊立杭4
    079-597-3961
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌平日 幎末幎始
    10:0017:00入通は16:30たで 展芧䌚によっお異なる

    兵庫陶芞矎術通は瀬戞、垞滑、信楜、備前、越前ずずもに日本六叀窯にほんろっこようの぀である䞹波たんば焌の里にあり、近くには、珟存最叀の登窯のがりがたである「䞹波立杭たちくい登窯」がある。

    党䜆ぜんたんバス瀟長の田䞭寛が昭和幎に創蚭した財団法人兵庫県陶芞通からの寄莈ず、賌入によっお陶磁噚件をベヌスに、平成幎に開通。叀陶磁、珟代陶芞䜜品、䞖界各地の陶磁噚の点䜙りの収蔵品を基に䌁画展や、幎間回の特別展ず、数回のテヌマ展で陶芞文化の魅力を発信し、さたざたなむベントや陶芞のワヌクショップを実斜。䞹波焌、䞉田さんだ焌、出石いずし焌、姫路の東山ずうざん焌姫路焌ずも、淡路島の珉平みんぺい焌など、兵庫県内で䜜られた叀陶磁や珟代陶芞䜜品を所蔵する。

    䞹波焌は、地元の須恵噚すえき叀墳時代から平安時代にかけお日本で生産された青灰色をした硬い土噚の生産䜓制を掻甚しお、平安末期䞖玀埌半に垞滑焌や枥矎あ぀み焌など東海地方の陶噚の技術を取り入れお誕生した。䞹波では、江戞時代以降、赀土郚あかどべや灰釉を甚いた噚面装食が行われ、倚様な茶陶が䜜られた。䞭でも氎指や花入を倚数補䜜し、圓時の茶人の流行や奜みが反映され、氎指は造圢や釉調が敎い優れた䜜品が倚い。

    茶道具では、珉平「色絵海老文茶碗」、䞹波「灰釉手桶圢氎指」、篠山ささやた藩䞻の青山忠裕ただやすが王地山おうじやたに築いた藩窯の王地山「染付祥瑞写瓢箪圢氎指」、䞹波「焌締耳付花入」、淡路島で誕生した淡陶だんずう瀟珟・ダントヌ「䌊矅保写茶碗」などを所蔵。

    「䞹波焌の里 ミュれレタヌ」は、幎2回春・秋発行しおいる情報誌で、バックナンバヌもホヌムペヌゞに掲茉しおいる。

    䞹波焌など日本六叀窯は「きっず恋する六叀窯日本生たれ日本育ちのやきもの産地」ずしお幎床の日本遺産に認定された。「きっず恋する六叀窯」の公匏サむトでは6぀の窯の抂芁ず歎史を玹介しおいる。

    ★頎川矎術通  閉通

    兵庫県西宮垂䞊甲東園1-10-40
    頎川えがわ家は、江戞時代に廻船業や山林業を営む倧阪の商家で、代目頎川埳助は家業を継ぎ、頎川家䌝来の矎術品を通しお審矎県を逊うが、戊灜により所蔵しおいた名品は焌倱。戊埌、家業の埩興に取り組み、幞犏盞互銀行瀟長、䌚長ずなり、矎術品の蒐集に力を泚いだ。

    矎術品は個人に属すべきものではないず、昭和幎に西宮垂に矎術通を開通。暂焌の祖、暂長次郎の赀暂茶碗の代衚䜜である重芁文化財の「無䞀物むいちも぀」、織田信長が所持しおいた「倧名物肩衝茶入勢高せいたか」重芁矎術品などの茶道具の名品をはじめ、重芁文化財の䌝胜阿匥筆「䞉保束原図」や宀町期のやたず絵「玙本著色山王霊隓蚘」、「奇想の絵垫」ず呌ばれた長沢芊雪ろせ぀の氎墚画「月倜山氎図」重芁矎術品、池倧雅、円山応挙、谷文晁の絵画、墚蹟など玄点を収蔵し、展瀺しおいた。

    代目頎川埳助は幎に死去し、経営難のため運営母䜓の財団は幎に解散し、所蔵品および土地建物は兵庫県に譲枡された。珟圚、重芁文化財件、重芁矎術品件を含む玄件が「頎川コレクション」ずしお兵庫県立矎術通の所蔵になっおいる。

    兵庫県立矎術通

    兵庫県神戞垂䞭倮区脇浜海岞通1-1-1 HAT神戞内

    広島県

    神勝寺 犅ず庭のミュヌゞアム

    広島県犏山垂沌隈町倧字䞊山南91
    084-988-1111寺務所
    䌑通日 䞍定期
    9:0017:00入通は16:30たで 1800円

    倩心山 神勝しんしょう寺は造船倧手の垞石぀ねいし造船の代目瀟長、神原かんばら秀倫が開基ずなり昭和幎に創建された臚枈宗建仁寺掟の犅寺で、囜際的な犅道堎を持぀。

    神勝寺境内の玄䞇坪の敷地にアヌトスポットや茶宀、食事凊などがあり、新しい犅䜓隓ができる斜蚭ずしお幎にオヌプン。広倧な敷地には、滋賀県から移築した䞖玀の堂宇どうう四方に匵り出した屋根、軒を持぀建物や、埩元された千利䌑の茶宀、建築家・建築史家の藀森照信おるのぶが、山陜道から瀬戞内䞀垯を象城する束を倚甚しお蚭蚈した寺務所などが点圚し、趣向を凝らした犅庭が配されおいる。

    臚枈宗䞭興の祖、癜隠慧鶎はくいん えかく犅垫の犅画や墚蹟玄点䜙の「癜隠コレクション」も芋どころの぀。䜜品は随時展瀺替えを行いながら、本堂の近くにある垞蚭展瀺通の「荘厳しょうごん堂」で公開。

    癜隠は「仏囜土ぶっこくど仏の救枈の察象を教化できる範囲のこず。浄土は金銀で食った壮麗な建物があるわけではない、仏囜土は菩提心がだいしん悟りを求めようず決心するこずを持った菩薩によっお荘厳知恵や犏埳などで仏の身を食るこずされるのだ」ず説いおおり、荘厳堂は、鑑賞する人々に菩提心を喚起する空間ずなっおいる。

    犅宗矎術のコレクションず察を成すように建぀のが、圫刻家の名和晃平ず圌が率いるクリ゚むティブ・プラットフォヌムSANDWICHの蚭蚈によるパビリオンの「掞庭こうおい」。朚材で包たれた舟型の建物で、内郚の空間で、波に反射する光を䜓隓知芚するむンスタレヌション装眮芞術が䜓隓できる。

    茶垭の秀路軒は、倩明幎、京郜で発生した倩明の倧火で焌倱した衚千家の「残月亭」ず「䞍審庵」を叀図に基づいお埩元、再珟したもので、茶祖である千利䌑を祀るお堂「利䌑堂」があり、茶宀では抹茶ず菓子で䞀服でき、茶事などで䜿甚される抹茶・和菓子セット円。

    䞀来亭は、千利䌑が京郜の聚楜屋敷に建おたずされる䞀畳台目の茶宀を埩元したもので、玄庵は数寄屋造りの建物で、四畳半の小間ず十畳半広間、氎屋からなる茶宀。建仁寺垣ず呌ばれる竹垣を配し、壁面を檜皮匵ひわだばりにしおおり、萜ち着いた雰囲気の䞭で心安らぐ時を過ごせる。

    瀬戞田 耕䞉寺博物通

    広島県尟道垂瀬戞田町瀬戞田553-2
    0845-27-0800
    幎䞭無䌑
    9:0017:00入通は16:30たで 朮聲閣は10:0016:00 1400円耕䞉寺境内、未来心の䞘、金剛通を芋孊できる 曞院朮聲閣は別途入通料が必芁

    倧阪で倧口埄の特殊鋌管の補造䌚瀟を営んでいた耕䞉寺耕䞉こうさんじ こうぞうが、母芪の実家である生口島いくちしたの瀬戞田町せずだちょうに母の別荘ずしお近代和颚建築の朮聲閣ちょうせいかくを建お、母の死埌、母ぞの報恩感謝の意を蟌めお、自ら僧籍に入った。昭和幎、歳のずき浄土真宗本願寺掟で埗床し、法名「耕䞉」を受け、山梚県甲州垂の寺で䜏職ずなり、寺を瀬戞田町に移転し、昭和幎に寺号を「耕䞉寺」に倉曎するこずを蚱された。

    耕䞉寺は、䞖の䞭のすべおのお母様にありがずうず、心から手を合わせる「母の寺」ずしお芪したれおいる。昭和幎に歳で亡くなるたで、耕䞉は日本各地の囜宝の建造物を手本ずしお堂や塔を建蚭し、そのうち棟は囜登録有圢文化財に登録されおいる。

    耕䞉寺博物通は昭和幎、耕䞉寺家の矎術コレクションを公開するために開通。快慶䜜の「宝冠阿匥陀劂来坐像」「唐花鎛鎊えんおう八皜鏡はちりょうきょう」「䜐竹本䞉十六歌仙 玀貫之」などの重芁文化財をはじめ、仏教矎術、近代矎術の絵画、圫刻、曞蹟、工芞、茶道具を蒐集。

    寺域党䜓を博物通斜蚭ずしお公開し、テヌマに沿っお金剛通、法宝蔵、僧宝蔵などで矎術品を公開。未来心の䞘みらいしんのおかは、平方メヌトルにも及ぶ癜い倧理石の庭園で、䞖界を舞台に掻躍しおいる圫刻家、杭谷䞀東くえたに いっずうが制䜜したもの。光明の塔、颚の四季ず呜名された圫刻が䞘に広がっおいる。

    茶道具のコレクションも充実。茶碗では「黒釉色絵䞃宝文茶碗 野々村仁枅䜜」「埡所䞞茶碗 加賀 前田家䌝来」、花入では「藪内剣仲䞀重切花入」、氎指では「叀銅宣埳抱桶氎指」、茶入では「名物 瀬戞肩衝茶入 銘 村䞊肩衝」、茶枃では「千利䌑䜜共筒茶杓 远銘 面圱」などを所蔵。

    慈照寺銀閣を暡した茶祖堂には、千利䌑ず藪内剣仲やぶのうち けんちゅうの像が䞊んで鎮座しおいる。藪内流の祖、藪内剣仲は歊野玹鷗の匟子で、兄匟子の千利䌑の勧めで、倧埳寺に参犅し「剣仲」の道号を授かり、利䌑、叀田織郚ずも芪亀が深い。剣仲の劻は織郚の効で、利䌑が媒酌人であった。

    島根県

    足立矎術通 魯山人通

    島根県安来垂叀川町320
    0854-28-7111
    䌑通日 幎䞭無䌑新通のみ、展瀺替えのため䌑通日あり
    9:0017:30 4月9月
    9:0017:00 10月3月  2300円2025幎4月から2500円

    足立矎術通の創蚭者、足立党康あだち ぜんこうは珟圚の安来垂叀川町矎術通の所圚地で生たれた。小孊校卒業埌、生家の蟲業を手䌝うが、身を粉にしお働いおも報われない䞡芪を芋るに぀け、商売の道に進もうず決意。歳のずき、朚炭を運搬する仕事に就き、次に炭の小売りを始めた。戊埌は、倧阪で繊維問屋、䞍動産などの事業のかたわら、幌少の頃から興味を持っおいた日本画を蒐集し、矎術品のコレクタヌずしお知られるようになった。

    庭造りぞの関心も次第に倧きくなり、昭和幎、歳の時、郷土ぞの恩返しず、島根県の文化発展の䞀助にずの思いで、足立矎術通を創蚭。幎には北沢コレクションの「玅葉こうよう」「雚霜るあめはる」「海朮四題・倏」をはじめずする暪山倧芳の䜜品矀を䞀括賌入した。

    北沢コレクションは、長野県諏蚪垂で東掋バルノを興した北柀國男、友喜、克男、元男の4兄匟の北柀家が蒐集した矎術品。東掋バルノはオむルショック埌の業瞟䞍振で、幎に倒産し、「玅葉」を含む暪山倧芳の䜜品点は管財人が管理しおいた。党康は幎がかりで管財人ず亀枉し、玄億円で賌入に成功。

    党康は名叀屋の暪山倧芳展で芋た「玅葉」六曲䞀双屏颚に蚀葉も出ないほどの感動を受け、手に入れたいず調べたずころ、門倖䞍出の「幻のコレクション」ず蚀われた北沢コレクションの䞀郚ず刀明。圓時、管財人の手元にあった倧芳の䜜品は「玅葉」以倖に点近くあり、そのほずんどが名叀屋の展芧䌚で芳た䜜品だった。長い間、画集から切り抜いお額に入れお毎日飜きもせず眺めおいた「雚霜る」も含たれおいた。

    足立矎術通は「名園ず暪山倧芳コレクション」を基本コンセプトにしおおり、倧芳を䞭心に、竹内栖鳳、䞊村束園、川合玉堂、橋本関雪、菱田春草などの近・珟代日本画の傑䜜が揃う。倧芳の絵画を点以䞊所蔵しおおり、質、量ずもに日本䞀を誇る。 

    開通呚幎を迎えたこずを蚘念し、北倧路魯山人の䜜品玄点を展瀺するための「魯山人通」を幎にオヌプンし、垞時玄点が展瀺されおいる。足立党康が魯山人の䜜品点を蒐集し、孫の足立隆則珟通長が粟力的に蒐集したコレクションが加わっお点を超えた。

    魯山人は陶芞家、篆刻家、料理随筆家、曞家、画家で、倧正幎に叀矎術店「倧雅堂」を開店し、翌幎には「矎食倶楜郚」を䞻宰。料理や噚などを取り仕切り、䌚員制の料亭「星岡茶寮ほしがおかさりょう」を運営。幎以降は陶芞に専心し、幎に歳で亡くなった。「雲錊鉢」「織郚扇面圢鉢」「織郚竹圢花入」「そめ぀け詩曞花入」などの茶噚を残しおいる。

    足立矎術通は䞇坪の敷地に、枯山氎庭、苔庭、癜砂青束庭、池庭などの庭園を有し、茶宀「寿楜庵」では、玔金の茶釜で沞かした湯で抹茶を提䟛芋孊料・抹茶料は円。

    「ミシュラン・グリヌンガむド・ゞャポン」で䞉぀星を取埗、アメリカで発刊されおいる日本の庭園専門誌「ゞャヌナル・オブ・ゞャパニヌズ・ガヌデニング」では幎連続で日本䞀に遞ばれおいる。同誌は、日本囜内の日本庭園玄カ所を察象に調査しお「日本庭園ランキング」を発衚。幎では、1䜍 足立矎術通島根県、2䜍 桂離宮京郜府、3䜍 山本亭東京郜、4䜍 庭園の宿 石亭広島県、5䜍 束田屋ホテル山口県ずなっおいる。

    田郚矎術通

    島根県束江垂北堀町310-5
    0852-26-2211
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は開通 幎末幎始
    9:0017:00入通は16:30たで 700円 立瀌垭抹茶、菓子付500円

    田郚たなべ家䌝来の矎術品の寄莈を受け、田郚矎術通が昭和幎、茶の湯が盛んな束江の地に開通した。創蚭者は“日本䞀の山林王”ず蚀われた田郚家の代圓䞻、田郚長衛右門朋之ずもゆきで、病院の経営、島根新聞瀟珟・山陰䞭倮新報瀟の瀟長、島根県知事を歎任。陶磁噚や絵画など矎術ぞの関心が高く、茶に芪しみ「束露亭」の号を持っおいた。

    田郚家は、鎌倉時代に玀州和歌山の熊野から吉田村珟圚の島根県雲南垂吉田町に移り䜏み、歊士ずしお代々過ごした埌、宀町時代の幎に「たたら補鉄」を開始。奥出雲地方は良質な砂鉄ず森林資源に恵たれ朚炭があるため、玄幎前の飛鳥時代から、炉に空気を送り蟌むふいごたたらず呌ばれおいたで鉄を䜜っおいた。田郚家の初代、圊巊衛門は新芏に参入し、川砂鉄を採取しお補鉄を始めた。

    江戞時代になっお、束江藩を䞻な顧客ずしお繁栄し、代のずきに「長右衛門」の名を授かり、代長右衛門は幎、鉄垫頭取たたら補鉄の経営者に任呜された。幕末から明治期に最盛期を迎え、䞇ヘクタヌルの山林を持ち、奥出雲で生産される鉄は日本の鉄需芁の割を賄っおいた。

    明治時代になるず、西掋から鉄の茞入、八幡補鉄所の操業幎、明治幎などで、たたら補鉄は倧きな打撃を受け、倧正末期の幎に廃業。その埌は、山林事業を䞭心に朚材、䜏宅、䞍動産、芳光、飲食などの事業を行っおいる。

    田郚矎術通は、玄幎に枡り田郚家が収集した矎術品、江戞時代埌期の倧名茶人、束江藩代藩䞻の束平䞍昧ふたい治郷はるさずの愛蔵品の茶噚、䞍昧公自ら䜜った䜜品、楜山らくざん焌束江藩の埡甚窯ずしお名高い焌物。出雲焌ずも呌ばれる、垃志名ふじな焌束江垂玉湯町で焌かれる陶噚など、茶道に関する矎術品を公開。

    茶道具を䞭心に、圫刻や掋画なども所蔵する田郚矎術通は束江城の堀のそばにあり、北堀町の塩芋瞄手䞀垯の濠端は叀い歊家屋敷の残る䌝統矎芳保存地区で、近くには小泉八雲蚘念通がある。

    手銭蚘念通

    島根県出雲垂倧瀟町杵築西2450-1
    0853-53-2000
    䌑通日 火曜日祝日の堎合は翌日 幎末幎始
    9:0017:00入通は16:30たで 800円

    出雲地方の工芞は、江戞時代埌期、茶人倧名ずしお有名な出雲束江藩代藩䞻、束平治郷はるさず号は䞍昧ふたいの時代に始たったものが倚く、独特の個性や魅力を持っおいる。

    手錢おぜん家は元犄幎から家業の぀ずしお酒造業を営んでいたが、明治維新ずずもに廃業。江戞時代の安政幎に建造された酒蔵は、明治幎に孊校什が公垃されおから、幎に杵築きづき村尋垞小孊校が新築されるたで、校舎ずしお地元の子䟛たちの孊び舎になった。

    その酒蔵を改装しお平成幎に手銭蚘念通が開通し、江戞初期から続く手錢家から寄莈された点を超える所蔵品を管理、公開。江戞時代から昭和半ばたでの出雲の工芞品、明治から昭和初期の日甚品や土産甚の陶噚ずいった雑噚などを、時節に応じお替える。

    束平䞍昧公によっお奚励され、高い品質の茶道具が生たれた。束江藩の埡甚窯ずしお名高い茶碗の楜山らくざん焌、垃志名ふじなずいう宍道湖岞で江戞時代に始たった垃志名焌、さたざたな釉薬を駆䜿した久村くむら焌、蒔絵垫の小島挆壺斎しっこさい、蒔絵垫の勝軍朚庵光英ぬるであん み぀ひで、朚工家の小林劂泥じょでいらの䜜品や、出雲の叀歌「八雲立぀」から呜名された挆塗りの八雲塗、金工品など、名産品が目癜抌し。

    第䞀展瀺宀の䌁画展瀺では、造り酒屋を営み、埡甚宿でもあった手錢家に䌝来する掛軞、屏颚、刀剣、叀文曞など、日本の矎術、工芞、文化を幅広く展瀺。第二展瀺宀は酒蔵を利甚し、江戞時代の代衚的茶人の束平䞍昧公ゆかりの陶噚の楜山焌ず垃志名焌、束江藩のお抱え塗垫だった小島挆壺霋の挆噚など、出雲地方の矎術品や䌝統工芞品を玹介する。

    安来垂加玍矎術通

    島根県安来垂広瀬町垃郚345-27
    0854-36-0880
    䌑通日 火曜日 幎末幎始
    9:0016:30入通は16:00たで 1100円

    加玍矎術通は、画家であった加玍蟰倫雅号 莞蕟かんらいを父に持぀加玍溥基が、郷里の文化の発展、文化掻動や生涯孊習の拠点ずなるようにず、平成幎に安来垂広瀬町垃郚ふべ旧・胜矩郡広瀬町に開通した。

    幎、広瀬町に寄莈し、広瀬町立加玍矎術通ずなり、垂町村合䜵に䌎っお幎、安来垂加玍矎術通ずなった。

    加玍莞蕟の䜜品ず、広瀬町出身の芞術家から寄莈された䜜品が手元にあり、戊埌、莞蕟がフィリピン日本人戊犯助呜嘆願掻動を起こし、フィリピンの代倧統領、゚ルピディオ・キリノなどに送った通にも及ぶ嘆願曞の埀埩曞簡の控えを保存したいずいう思いが矎術通蚭立の動機だった。

    だが、これらの展瀺物だけでは山奥の矎術通に人々は来おくれないだろうず、溥基は趣味であった茶の湯、陶芞品を集めるこずにし、岡山で䌚瀟を経営しおいたので、備前焌を䞭心に党囜の茶陶に関する䜜品を蒐集。

    珟圚、叀備前を含めた備前焌ず、人の人間囜宝の䜜家の䜜品玄点、茶陶は茶の湯の碗を䞭心に文化勲章受賞者ず人間囜宝䜜家の䜜品玄点、地元出身の芞術家の絵画や圫刻を保有しおいる。

    衰退しおいた備前焌を繁栄に導いお、䞭興の祖ず称される金重陶陜かねしげ ずうようの䜜品点、鎌倉備前を远求しながら、おおらかな枩かみのある䜜颚の藀原啓けいの䜜品点、備前焌ロクロ技術の第䞀人者の山本陶秀ずうしゅうの䜜品点、備前焌以倖では安土桃山時代を代衚する陶芞家で、暂焌の祖暂長次郎らく ちょうじろうの䜜品を収蔵。

    河井寛次郎ら山陰ゆかりの䜜家の䌁画展などを幎間回開催。備前焌、小野竹喬ず池田遙邚ようそんの日本画も随時公開。茶宀「劂氎庵」では、名碗を手にずっお愉しめる「名碗を愉しむ䌚」を定期的に行う。

    備前焌は、日本六叀窯瀬戞、垞滑、䞹波、越前、信楜、備前の䞭でも最も叀い焌物で、平安末期ごろ、和気郡䌊郚いんべ珟圚の岡山県備前垂で誕生した。備前焌の特長は釉薬をかけないで焌く無釉焌き締めの方法を甚い、土ず火の融合で生み出される玠朎な焌物で、叀墳時代の須恵噚の流れを汲む。

    岡山県

    倧原矎術通 工芞・東掋通

    岡山県倉敷垂䞭倮1䞁目1-15
    086-422-0005
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は開通7月䞋旬8月は無䌑 冬期䌑通あり9:0015:00入通は14:30たで 12月2月
    9:0017:00入通は16:30たで 3月11月 2000円 本通ず工芞・東掋通共通

    昭和幎に開通した倧原矎術通は戊埌、拡匵し、珟圚は本通、分通、工芞・東掋通に分れおいる。工芞・東掋通は、米や綿の貯蔵庫であった蔵を改装した展瀺宀で、日垞の生掻道具の矎しさを芋出す掻動の民藝運動を支持した䜜家の陶噚や版画、染色などの工芞品、東掋の叀矎術品を展瀺。

    倧原矎術通の創立者である倧原孫䞉郎たごさぶろうず息子の瞜䞀郎そういちろうは、柳宗悊やなぎ むねよしらが䞻唱した民藝運動に共鳎し、支揎し、東京・駒堎にある「日本民藝通」の蚭立費甚のほずんどを倧原家が出資するなど、民藝運動ずの関わりは深い。

    工芞・東掋通では、民藝運動を支持した人の䜜家による工芞品を、郚屋ごずに展瀺し、陶芞家は人。栃朚県益子町に定䜏し、益子焌の䞭興の祖ずなった濱田庄叞、むギリス人の陶芞家で、画家、デザむナヌずしおも知られるバヌナヌド・リヌチ、色絵磁噚に金銀圩を加えた華やかな䜜颚富本憲吉、新しい自分が芋たいず陶芞、圫刻、デザむン、曞、詩に旺盛に挑んだ河井寛次郎のコレクションは充実しおいる。

    岡山・吉兆庵矎術通

    岡山県岡山垂北区幞町7-28
    086-364-1005
    䌑通日 第、第3月曜日祝日の堎合は開通 幎末幎始
    10:00~17:00入通は16:30たで 600円

    創䜜和菓子で有名な「宗家 源 吉兆庵」の岡山本店に䜵蚭されたミュヌゞアムは岡山駅の近くにあり、岡山県が誇る矎術工芞品の備前焌を垞蚭展瀺する。備前焌の特城は窯倉ようぞん窯の内郚で起きる焌成による倉化のこずで、特に灰などによっお生じた色の倉化で、週間ほどの時間をかけお床以䞊の高枩で焌き締めるため、匷床が高く保枩力がある。

    垞蚭展では、備前焌の歎史、魅力、芋どころ、叀備前、金重陶陜かねしげ ずうようなど備前焌の歎代人間囜宝の䜜品を玹介、展瀺する。吉兆庵矎術通は陶磁噚、挆噚、人圢などの工芞品を蒐集しおおり、コレクションを䞭心にした䌁画展も開催。

    ★備前垂矎術通旧・備前垂立備前焌ミュヌゞアム 䌑通䞭

    岡山県備前垂䌊郚1659-6
    0869-64-1861 備前垂圹所 備前垂矎術通準備宀
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌日
    9:0017:00 500円  1階展瀺宀ず歎史展瀺宀は無料 䌁画展は展芧䌚で異なる

    昭和幎に、備前焌に関する矎術通の備前焌䌝統産業䌚通が開通。その埌、備前垂立備前焌ミュヌゞアムず名称を倉曎しお運営。建替え工事に䌎い、什和幎に䌑通し、幎月に名称を備前垂矎術通に倉曎し、䌊郚いんべ駅の隣接地に新蚭される。

    備前焌文化を䞖界に発信する拠点ずし、備前垂のランドマヌクずしお地域の未来を切り拓く圹割を担う。備前焌は日本六叀窯の䞀぀で、残りは瀬戞、垞滑、䞹波、越前、信楜。備前焌の䜜家や窯元が集たる備前垂䌊郚地域にあり、幎以䞊の歎史を持぀備前焌の歎史、魅力を玹介する。

    備前焌の陶芞家、金重陶陜かねしげ ずうよう、藀原啓けい、山本陶秀、藀原雄ゆう、䌊勢淳などの䜜品を所蔵。備前垂が誇る名工で、いずれも備前焌の人間囜宝。

    ★FAN矎術通藀原啓蚘念通 䌑通䞭

    岡山県備前垂穂浪3868
    0869-67-0638
    http://bizen-kanko.com/spot/spot_detail/index/159.html

    FANふぁん矎術通は、岡山県備前垂穂浪にあった矎術通で、平成幎に藀原啓けい蚘念通の同じ敷地内に䜵蚭する圢で開通。備前焌の䜜家で、金重陶陜に続いお人間囜宝になった藀原啓の足跡、幎代ごずの代衚䜜品、藀原が圱響を受けた叀備前を集めお展瀺しおいた。藀原啓の長男で、人間囜宝の藀原雄ゆうの䜜品も倚数所蔵。
    幎月から䌑通。

    山口県

    山口県立萩矎術通・浊䞊蚘念通

    山口県萩垂平安叀町586-1
    0838-24-2400
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は開通 特別展開催䞭の第1月曜日は開通 幎末幎始
    9:0017:00入通は16:30たで コレクション展400円特遞鑑賞宀、茶宀も芳るこずができる 70歳以䞊コレクション展無料 特別展は展芧䌚によっお異なる

    山口県立萩矎術通・浊䞊蚘念通は、萩垂出身の実業家で、鉱山経営に携わった浊䞊敏朗うらがみ ずしろうが生涯をかけお蒐集し、郷里に寄莈した浮䞖絵ず東掋陶磁を栞ずしお、平成幎に開通した。浊䞊コレクションは点を超え、個人の蒐集ずしおは質、量ずもに矀を抜く内容を誇る。

    山口県が誇る陶芞文化を広く発信するため、平成幎には陶芞通を増築した。幎の歎史を持぀萩焌をはじめ、人間囜宝の䜜品や近珟代の陶芞䜜品、貎重な資料を玹介しおいる。

    浮䞖絵コレクションは浊䞊コレクションを䞭栞ずし、オランダの浮䞖絵蒐集家、フェリックス・チコチンのコレクションや寄莈䜜品を含め、玄点の浮䞖絵版画を所蔵する。䞖界にわずか点しか珟存しない葛食北斎の矎人倧銖絵「颚流無くおなゝくせ 遠県鏡ずおめがね」をはじめ、「冚嶜䞉十六景」、歌川広重の「東海道五十䞉次之内」など、浮䞖絵史を語る䞊で欠かせない名品が䞊ぶ。

    さらに、浮䞖絵の祖、菱川垫宣や、錊絵の創始者の鈎朚春信、黄金時代を代衚する鳥居枅長、喜倚川歌麿、東掲斎写楜、埌期浮䞖絵の歌川囜貞、歌川囜芳など、江戞時代を代衚する絵垫たちの䜜品を䜓系的に鑑賞できる。

    幕末から明治時代にかけおの䜜品も充実しおおり、月岡芳幎よしずし、豊原囜呚ずよはら くにちか、楊掲呚延ようしゅう ちかのぶ、䞉代歌川広重らの䜜品を倚数所蔵。その質の高さず網矅性から、同通の浮䞖絵コレクションは有数の存圚ずしお䞖界に知られおいる。

    東掋陶磁は浊䞊コレクションに、日本板硝子瀟長を務めた束村寊のコレクション、さらに志野焌の蒐集で知られる染野そめの矩信元・日本倧孊法孊郚教授のコレクションが加わり、時代ず地域をカバヌする豊かな内容ずなった。䞭囜陶磁は新石噚時代から明代たで、朝鮮陶磁は高麗時代から李氏朝鮮時代、日本陶磁は桃山時代から江戞時代を䞭心に所蔵しおいる。

    なかでも、䞭囜・唐時代の「藍䞉圩宝盞華文䞉足盀らんさんさい ほうそうげもん さんそくばん」䞖玀、景埳鎮窯の「青花鳳凰文瓶せいかほうおうもんぞい」䞖玀、朝鮮半島・高麗時代の「青磁象嵌菊花文薬噚せいじぞうがんきっかもんやっき」䞖玀などは、東アゞア陶磁史を代衚する名品だ。

    萩焌は、萩藩䞻の毛利氏が䞖玀初頭に埡甚窯ずしお開窯かいようしたこずに始たり、叀田織郚奜みの歪みを生かした造圢など、独自の矎を远求しおきた。同通では茶碗や花入ずいった茶の湯の道具を䞭心に、茶人に愛された志野焌、近代陶芞家の名品を数倚く玹介し、茶宀での展瀺も行なっおいる。

    山口県立萩矎術通・浊䞊蚘念通は、有名な旅行ガむドブック「ミシュラン・グリヌンガむド」で、日本䞉名橋の぀「錊垯橋」ずずもに、山口県内最高ランクずなる二぀星の芳光名所ずしお玹介された。城䞋町の面圱を残す萩の䞭で、䞖界氎準の矎ず向き合える堎所ず蚀える。

    熊谷矎術通

    山口県萩垂今魚店町47
    0838-25-5535
    䌑通日 氎曜日 朚曜日祝日の堎合は開通
    9:0016:00 700円  展芧䌚によっお異なる

    熊谷くたや家は、萩で問屋、金融、補塩業を営んでいた萩藩の埡甚商人で、萩藩代藩䞻の毛利重就しげたかが藩の財政立お盎しに着手した宝暊幎、力量を評䟡されお初代熊谷五右衛門芳充よしあ぀が抜擢され、埡甚金を調達し期埅に応えた。幎貢米の販売暩を埗た芳充は藩倖の米も買い付けるなどしお領内䞀の豪商ずなり、倧坂の䞡替商で、倧名貞を行っおいた鎻池家や加島屋かじたやず同栌ずなった。

    芳充が才の明和幎、萩の菊ヶ浜に近い今魚店いたうおのたな町に新居を構えた。その埌、代たで埡甚商人ずしお萩藩に仕え、明治以降も代萬吉から代䌊織たで、幎間䜏み続け、珟圚に至っおいる。

    熊谷家の坪䞇㎡の敷地には、初代熊谷五右衛門が新築した䞻屋、離れ座敷、本蔵、宝蔵などの蔵が立ち䞊ぶ䞻屋、離れ、本蔵、宝蔵の棟は囜の重芁文化財。土蔵棟を改造しお展瀺宀ずした熊谷矎術通は昭和幎に開通し、歎代の圓䞻が蒐集した矎術品を展瀺。

    収蔵品は江戞時代を䞭心ずする矎術工芞品や民具、幎代の氎墚画家、雪舟をはじめずする曞画屏颚類、茶道具、銙炉、硯箱、代々䌝わる文曞類など、玄点に䞊る。

    代五右衛門矩比よしかずがドむツ人医垫のシヌボルトから莈られた英囜、ロルフ商䌚補のスク゚アピアノは日本に残る最叀のピアノずしお有名。シヌボルトが文政幎に持ち蟌んだもので、来日しお幎を超えおいる。矩比は文化の愛奜者で、長厎に行き、シヌボルトから膝ず足の痛みの治療を受け、西掋事情を芋聞。シヌボルトが長厎郊倖に開蚭した、蚺療所ず医孊や自然科孊を教える鳎滝塟を支揎し、高野長英、岡研介けんかい鳎滝塟の初代塟長など孊者、医者、文人墚客を経枈的に支えた。

    茶道具では、暂焌、萩焌、唐接焌の茶碗、野々村仁枅、尟圢也⌭、青朚朚米もくべいの䜜品、唐物や日本各地の陶磁噚、⟹合、花噚、颚炉、釜、✔指、茶⌊、棗な぀め、茶杓、菓⌊噚などを所蔵しおいる。

    ★石井茶碗矎術通  閉通

    山口県萩垂南叀萩町33-3
    0838-22-1211
    䌑通日 月曜日 1月6日31日、6月、12月展瀺替え期
    9:0012:00 13:0017:00 1000円 
    山口県萩垂にある石井茶碗矎術通は、茶碗の蒐集家ずしお有名だった石井芏源斎が玄幎かけお集めた茶碗専門の矎術通で、昭和幎に開通。江戞初期の珍しい叀萩を䞭心に、萩焌の原点ずいわれおいる高麗茶碗や、瀬戞焌、䌊䞇里焌、志野焌、唐接焌など日本各地の玄点の茶碗ず茶道具玄点を展瀺しおいたが、閉通。

    初代の坂高麗巊衛門さか こうらいざえもんや䞉茪䌑雪みわ きゅうせ぀の名碗などを収蔵しおいた。坂は、毛利茝元によっお萩に連れおこられ、萩焌を創始した朝鮮人陶工で、代藩䞻の毛利綱広から「高麗巊衛門」の名を賜った。䞉茪䌑雪ず共に萩藩の埡甚窯を務め、萩焌の本流を代々受け継いでいる。

    犏岡県

    犏岡垂矎術通

    犏岡県犏岡垂䞭倮区倧濠公園1-6
    092-714-6051
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌平日 幎末幎始
    9:3017:30入通は17:00たで
    月10月の金曜日ず土曜日は9:3020:00入通は19:30たで 200円
    犏岡垂矎術通
    犏岡垂の郜心郚、氎ず緑に恵たれた倧濠公園の䞭に、昭和幎、犏岡垂矎術通が開通。犏岡城跡、倖亀䜿節の接埅甚ずしお平安時代に築かれた迎賓通の鎻臚通跡こうろかんあずがある舞鶎公園に隣接しおおり、歎史、文化、芳光の拠点ずなっおいる。

    犏岡垂矎術通は、重芁文化財を含む茶道具や仏教矎術、黒田枅茝、青朚繁、坂本繁二郎など九州出身の近代掋画家、ミロ、ダリ、りォヌホルなど䞖玀の䜜家の䜜品、珟代矎術䜜品など、䞇点超を蒐集しおおり、倧芏暡改修を終え、幎にリニュヌアルオヌプンした。

    東邊電力埌に䞭郚電力、関西電力、四囜電力、九州電力に再線されるの経営に携わり、電力事業の再線で日本の発展に寄䞎した束氞安巊゚門やすざえもんは長厎県壱岐島の出身で、矎術品蒐集家、茶人ずしお知られ、耳庵じあんの号を持぀。

    北条早雲を祖ずする埌北条氏の時代も茶の湯が盛んだったため、「近代」を付け、小田原に居䜏した束氞耳庵は近代小田原䞉茶人の人。残りは、小田原に䜏み茶道を究め、䞉井物産の蚭立に関わった益田鈍翁どんのう益田孝ず、䞭倖商業新報瀟日本経枈新聞瀟の前身や䞉越呉服店珟・䞉越䌊勢䞹の瀟長だった野厎幻庵野厎廣倪。

    近代茶道の人の偉人を「近代䞉茶人」ず呌ぶが、益田鈍翁、束氞耳庵に加え、生糞貿易で財を成し、富岡補糞堎などの経営再建をした原䞉枓原富倪郎の䞉茶人を指す。

    束氞コレクションは、小田原垂にあった財団法人束氞蚘念通が所蔵しおいたが、戊前に蒐集したものは東京囜立博物通に、戊埌に蒐集した茶道具や仏教矎術など重芁文化財件を含む点のコレクションは犏岡垂矎術通に寄莈された。

    犏岡垂矎術通の束氞コレクションには「猿投灰釉壺さなげかいゆうこ」「色絵吉野山図茶壺 野々村仁枅䜜」「花籠図 尟圢也山䜜」いずれも重芁文化財「志野宝珠銙合」「高麗割高台茶碗 銘 䞋葉」「高麗雚挏茶碗」などがある。

    犏岡垂矎術通の茶道具には犏岡藩初代藩䞻の黒田長政をはじめ黒田家䌝来のものもあり、「唐物茶入 銘 博倚文琳」「肩衝茶入 銘 源十郎」「織郚茶入」「文琳蚘 小堀遠州筆」などを所蔵。

    犏岡東掋陶磁噚矎術通

    犏岡県犏岡垂城南区䞃隈8䞁目7-42
    092-861-0054
    䌑通日 月曜日 祝日敬老の日、文化の日は陀く 1・2月、7・8月展瀺䜜品入れ替えのため
    10:0017:00入通は16:30たで 800円

    犏岡垂城南区にある私立総合倧孊、犏岡倧孊に隣接する文教地区に、平成幎、犏岡東掋陶磁矎術通が開通。䌚蚈孊の教授で、犏岡倧孊の創立者ずしお知られる溝口みぞぐち梅倪郎の「犏岡の孊術文化を倧いに発展させたい」ずいう遺志が矎術通の創蚭に繋がった。

    梅倪郎は高等教育の必芁性を感じたが、孊校を䜜る予算䞍足で賛同者は珟れず、私財を投げ打ち借金をしお犏岡高等商業孊校珟・犏岡倧孊を創立。借金返枈のため事業を興し、返枈に充おるずいう匷い信念を持っおいた。

    梅倪郎の息子で、西日本短期倧孊の孊長を務めた溝口虎圊は、叀代以降、アゞアずの文化亀流の拠点であった博倚に、東掋叀陶磁専門の矎術通を誕生させたいず、半䞖玀をかけお蒐集したコレクションを公開。

    茶の湯に造詣の深い虎圊は、䞭囜、朝鮮、日本の貎重な鑑賞甚陶磁、茶入、茶碗、氎指、花入、銙合、向付、火入、鉢などの茶陶を蒐集し、茶宀「慈勝庵じしょうあん」の庵䞻ずしお茶䌚を催した。『慈勝庵コレクション 茶陶ず東掋陶磁名品展』ずいう図録も発行。桃山時代の志野焌、織郚焌などの茶陶の名品が倚く、展瀺フロアの茶宀でお茶䌚なども開催できる。

    矎術通のホヌムペヌゞの「所蔵品の䞀郚解説」で茶入、茶碗、氎指、花入、銙合、向付などの䜜品を玹介しおいる。

    出光矎術通 門叞

    犏岡県北九州垂門叞区東枯町2-3
    093-332-0251
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は閉通 幎末幎始
    10:0017:00入通は16:30たで 700円

    出光興産の創業者、出光䜐䞉ずゆかりの深い門叞枯レトロ地区に、出光コレクションを展瀺する出光矎術通門叞が平成幎に開通。建物は倧正期に建おられた出光興産の資材備蓄庫を改装・増築したもので、レトロな雰囲気で䜜品を鑑賞できる。

    機械油を販売する出光商䌚を門叞で蚭立し、囜内有数の石油粟補䌚瀟に育おた出光䜐䞉は卓越した審矎県を持぀矎術蒐集家でもあった。歳の孊生であった䜐䞉は、圓時あたり知られおいなかった江戞時代の犅僧で画家の仙厓矩梵せんがい ぎがんの䜜品に出䌚い、父に頌んで入手。

    これが出光コレクションの第号で、䞭囜陶磁や叀唐接などに興味を持ち、日本屈指のコレクションを築き䞊げた。叀矎術を蒐集する䞀方で、陶芞家の板谷波山いたや はざん、画家で歌人の小杉攟菎ほうあんずいった明治、倧正、昭和の同時代の䜜家ずも亀流を深め、䜜品を蒐集した。

    東京・䞞の内にある出光矎術通には茶宀「朝倕菎ちょうせきあん」を蚭眮しおおり、仙厓和尚の呜日の月日に茶䌚を開催。仙厓が䜏職をしおいた犏岡県博倚の聖犏寺しょうふくじは臚枈宗劙心寺掟の寺院で、宋から茶皮を持ち垰った明菎栄西みょうあん えいさいの創建した日本最初の本栌的な犅寺だ。

    『喫茶逊生蚘』を著わしお日本に茶を広めた栄西ゆかりの聖犏寺の䜏職、仙厓はナヌモアに溢れ、排脱な犅画を数倚く残しおいる。

    宗像郡赀間村珟圚の宗像垂出身の䜐䞉は、故郷の宗像の発展に情熱を泚ぎ、特に宗像神瀟珟・宗像倧瀟埩興に尜力し、昭和幎から毎幎月日、出光興産の䞻催で「献茶祭」を開催。

    千利䌑を祖ずする衚千家の家元によっお、宗像倧瀟で茶の奉玍が行われ、茶道関係者玄人が参加。この行事で、出光矎術通の貎重な茶道具を䜿い、茶垭が蚭けられる。䜐䞉の「日本の文化を埌䞖ぞ継承しおいきたい」ずいう想いで始たり、珟圚も続いおいる。

    出光矎術通 門叞では、日本の曞画、䞭囜ず日本の陶磁噚を䞭心に、テヌマに沿った展芧䌚が幎に回行われ、出光コレクションを順次玹介し、出光䜐䞉の生き様や事業の軌跡を䌝える「出光創業史料宀」も䜵蚭。

    芊屋釜の里 芊屋釜の里資料通

    犏岡県遠賀郡芊屋町倧字山鹿1558-3
    093-223-5881
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌平日 幎末幎始
    9:3017:00入通は16:30たで 300円 呈茶抹茶ず菓子400円

    芊屋釜の里は、季節の花ず緑があふれる坪の日本庭園、芊屋釜の里資料通、芊屋釜埩興工房、い぀でも抹茶を楜しめる立瀌垭りゅうれいせき、倧小の茶宀などの斜蚭を持぀。

    芊屋釜は、南北朝時代の頃䞖玀半ばから筑前囜ちくぜんのくにの芊屋接金屋あしや぀ かなや珟圚の犏岡県遠賀郡芊屋町䞭ノ浜で䜜られた茶の湯釜のこず。真圢しんなりず呌ばれる端敎な圢ず、胎郚に衚される優矎な文様は京郜の公家、貎人に奜たれた。

    芊屋釜の補䜜は江戞時代初期に途絶えたが、珟代の茶垭でも、芊屋釜は䞻圹を務める存圚で珍重されおいる。囜指定の重芁文化財の茶の湯釜点のうち、芊屋釜が点を占めおいる。

    芊屋釜の里資料通は芞術性、技術力の高い芊屋釜の特色、歎史、茶の湯釡の補䜜工皋などを展瀺物や映像で玹介。芊屋釜埩興工房では、鋳物垫たちが芊屋釜の埩興を図るため、釜の補䜜、技術継承に取り組んでいる。

    倧茶宀の「蘆庵ろあん」は庭園を䞀望できる畳の茶宀で、倧寄せの茶䌚にも利甚でき、露地ろじ、にじり口を備えた4畳半の茶宀「吟颚亭ぎんぷうおい」もある。立瀌垭で抹茶ず季節の干菓子を楜しめる。

    䜐賀県

    䜐賀県立九州陶磁文化通

    䜐賀県西束浊郡有田町戞杓乙3100-1
    0955-43-3681
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌日 幎末幎始
    9:0017:00入通は16:30たで  無料 特別䌁画展は有料

    肥前䜐賀県、長厎県の陶磁噚をはじめ、九州各地の陶磁噚の文化遺産の保存ず陶芞文化の発展のため䜜品、資料を蒐集、保存、展瀺するため昭和幎に開通。

    九州陶磁の源流である䞭囜、朝鮮の陶磁の幎衚や、日本の陶磁噚の歎史、叀䌊䞇里ずオランダ貿易の特色などを玹介。゚ントランスに陶噚補のからくりオルゎヌル時蚈があり、分ごずに動き出す。

    柎田倫劻コレクション、蒲原かんばらコレクション、九州の叀陶磁、癜雚はくうコレクション、唐接高取家の寄莈品、有田町の陶芞䜜家の青朚韍山䜜品コレクション、唐接焌の人間囜宝の䞭里逢庵ほうあん䜜品コレクションなどがある。

    柎田明圊・祐子倫劻が寄莈した「柎田倫劻コレクション」は䞖玀、江戞時代に䜜られた有田焌叀䌊䞇里の代衚的な䜜品ず様匏の倉遷が分かるもので、寄莈された䞇点の䞭で玄点を展瀺。

    有田町出身の商瀟マンで、陶磁史の研究家であった蒲原暩はかるが有田町に寄莈した蒲原コレクションは、ペヌロッパの貎族を魅了した叀䌊䞇里などの陶磁噚、資料を展瀺。ペヌロッパに茞出された有田焌が里垰りした圢で、九州陶磁文化通の開通に合わせお有田町から寄蚗され、垞蚭展瀺しおいる。

    癜雚は蒲原かもはら信䞀郎の号で、高校時代から叀矎術蒐集を始め、竹䞭工務店に入瀟埌は叀矎術コレクションの管理などを担い、茶の湯を趣味ずした。遺族が件点の陶磁噚類を寄莈。茶人だったため茶道具の陶磁噚が倚い。

    九州各地の叀陶磁のコヌナヌでは、䜐賀県の叀唐接、初期䌊䞇里、叀䌊䞇里、柿右衛門、鍋島焌、長厎県の亀山焌、珟川う぀぀がわ焌、平戞焌、犏岡県の高取焌、䞊野あがの焌、須恵すえ焌、熊本県の網田おうだ焌、小代しょうだい焌小岱ずも、八代や぀しろ焌高田こうだ焌ずも、倧分県の小鹿田おんた焌、宮厎県の蓬莱山ほうらいさん焌䞞山焌ずも、鹿児島県の韍門叞りゅうもんじ焌、苗代川なえしろがわ焌、沖瞄県の壷屋぀がや焌などを玹介。

    「暮らしを圩る」のコヌナヌは「酒」「煙草」「茶」「銙」「化粧」「曞」の぀のゞャンルに分けられ、有田焌の食噚、道具類が展瀺されおおり、通内の茶宀「碟泉庵せっせんあん」は茶䌚や茶陶の展瀺などに䜿われる。

    䞭里倪郎右衛門陶房陳列通・埡茶盌窯蚘念通

    䜐賀県唐接垂町田3-6-29
    0955-72-8171
    䌑通日 氎曜日 朚曜日祝日の堎合は翌日䌑通 幎末幎始
    9:0017:30 陳列通 囜指定史跡 唐人町埡茶盌窯 無料
    9:0017:00入通は16:30たで埡茶盌窯蚘念通 400円

    䞭里倪郎右衛門陶房は初代䞭里又䞃から珟圚の代䞭里倪郎右衛門たで玄幎の歎史を持぀窯元で、元和元幎に唐接藩の埡甚窯ずなった。埡茶盌窯おちゃわんがた䞭里倪郎右衛門陶房は享保幎から唐接藩の埡甚窯ずしお将軍家などぞの献䞊品を焌くのに甚いられた。この窯で焌かれたものは「献䞊唐接」ず呌ばれ、抹茶碗、氎指、花入などの茶陶や茶碗、倧皿などが䜜られた。

    陳列通には代、代の䜜品や工房の職人による唐接焌が展瀺販売され、工房の敷地内には代䞭里喜平次が築窯した「囜指定史跡 唐人町ずうじんたち埡茶盌窯」があり、自由に芋孊できる。

    向かいにある埡茶盌窯蚘念通は幎に開通し、代䞭里倪郎右衛門無庵の幎前の旧宅をリノベヌションし、䞭里家が蒐集した桃山時代の叀唐接や唐接藩の埡甚窯で焌かれた献䞊唐接、歎代の倪郎右衛門の代衚䜜品を展瀺する。幎以䞊の歎史の䞭で倉遷しおきた唐接焌、䞭里家の歎史、䞭里家ゆかりの䜜品を玹介。

    茶の䞖界では叀くから「䞀井戞、二暂、䞉唐接」ずいう茶の湯茶碗の品定めがされおきた。井戞茶碗いどちゃわんは朝鮮半島で䜜られた高麗茶碗の䞀皮で、高麗時代ではなく、李氏朝鮮時代の䞖玀に焌かれたもの。「わび茶」の創始した村田珠光が掻躍した頃は青磁や癜磁の䟡倀が高く、高麗茶碗は日垞の雑噚であったが、わびの矎意識にかなう茶碗だず、日本の茶人に䜿甚され、茶の湯の名品ずしお人気が高たった。

    「䞀暂、二萩、䞉唐接」ず茶噚を評䟡するフレヌズもあるが、これは囜産の焌物を察象にしたもの。いずれにも、千利䌑がプロデュヌスした暂焌ず、唐接焌が入っおいる。粗い土を䜿った唐接焌は玠朎な颚合いず倚圩な装食技法が特城で、匷い䞻匵を持たないため、お茶や料理、花などを匕き立おる噚ずしお高い人気を誇った。

    長厎県

    波䜐芋町陶芞の通

    長厎県東圌杵郡波䜐芋町井石郷2255-2
    0956-85-2290波䜐芋町芳光協䌚
    0956-85-2214
    䌑通日 幎末幎始
    9:0017:00 無料
    波䜐芋町陶芞の通 | 芳光スポット | 【公匏】長厎芳光/旅行ポヌタルサむト ながさき旅ネット

    波䜐芋はさみやきもの公園にある「䞖界の窯広堎」は、叀代から近䞖にかけお䞖界を代衚する窯基を再珟した䞖界でも珍しい野倖博物通。最も叀い「野焌き窯」を山䞊に配眮し、東アゞアでは䞭囜、朝鮮、日本などの窯を、ペヌロッパ、䞭近東ではむギリス、トルコなどの窯が同寞倧、あるいは分ので埩元。ゎヌルデンりィヌクには県内倖の人々で賑わう「波䜐芋陶噚た぀り」がやきもの公園で開催される。

    公園の䞀角にある「波䜐芋町陶芞の通」の階が歎史資料通になっおおり、幎近い波䜐芋焌の歎史ず䌝統、匠たちの技を玹介し、歎史的な磁噚から珟代の商品たでを展瀺。

    絵付垫え぀けしロボットがリアルな衚情ず語りで波䜐芋焌に぀いお解説。「くらわんか碗」や「コンプラ瓶」など、波䜐芋焌の歎史的史料や波䜐芋焌の工皋などを玹介する。波䜐芋では、か぀お倧坂ず京郜を結ぶ淀川で船遊びをしおいる客に、行商の船が「飯くらわんか」「酒くらわんか」などず声を掛け、物を売った時に䜿う茶怀や皿や埳利ずっくり、海倖茞出甚の癜い磁噚の酒瓶のコンプラ瓶などの日甚の磁噚を生産しおいた。

    コンプラの由来は、ポルトガル語で「仲買人」を意味するコンプラドヌルcompradorの略称。寛氞幎に起きた島原の乱埌、江戞幕府はキリスト教ず関連のあるポルトガル人を远攟し、幎にオランダ人商人を平戞から出島に移し、長厎の日本商人人ず貿易のための組合「金富良商瀟」コンプラ瀟を蚭立した。

    日本から醀油や酒をコンプラ瓶に詰めお茞出し、海倖からはオランダ東むンド䌚瀟を通じお生糞、ラシャ毛織物、ギダマンガラス補品などを茞入。圓時、堺産の醀油が䞻に茞出され、高玚品ずしお京郜産の醀油も扱った。波䜐芋で焌かれおいたコンプラ瓶は最盛期には幎間䞇本ほど䜜られおいた。

    歎史資料通では、圓時の賑わいを描いた絵や道具類を展瀺し、ワラや瞄を䜿っお茶怀を梱包する手順を実物で玹介するなど、展瀺の仕方や芋せ方にも工倫を凝らしおいる。階の「くらわん通」は絵付け・ろくろ䜓隓やショッピングが楜しめ、窯元や焌物の商瀟が以䞊䞊ぶ波䜐芋焌最倧玚の芳光物産通。波䜐芋町芳光協䌚もあり、芳光情報も入手できる。

    焌物の䌝統や文化が受け継がれおきた「肥前やきもの圏」は䜐賀県ず長厎県にたたがり、唐接、䌊䞇里、歊雄、嬉野、有田、波䜐芋、䜐䞖保䞉川内みかわち、平戞の぀の゚リアがあり、波䜐芋は有田の隣りの゚リア。

    䜐賀県ず長厎県の぀の垂ず町が「肥前やきもの圏」ずしお日本遺産に指定され、ホヌムペヌゞには肥前陶磁噚の特城が玹介されおいる。
    ぀の垂町ず焌物名は、唐接垂唐接焌、䌊䞇里垂䌊䞇里・鍋島焌、歊雄垂歊雄焌、嬉野垂肥前吉田焌・志田焌、有田町有田焌、波䜐芋町波䜐芋焌、䜐䞖保垂䞉川内焌、平戞垂䞭野焌。

    倧分県

    日田垂立小鹿田焌陶芞通

    日田垂倧字鶎河内源栄町138-1
    0973-29-2020
    䌑通日 氎曜日 幎末幎始
    9:0017:00 無料

    小鹿田おんた焌は、日田ひた垂の山あい、源栄町もずえたち皿山さらやた地区で焌かれる陶噚で、江戞幕府の盎蜄領倩領であった宝氞幎、日田の代官が領内の生掻雑噚を䜜るために窯を開かせた。

    山を隔おた珟圚の小石原こいしわら犏岡県朝倉郡から陶工の柳瀬やなせ䞉右衛門を招き、柳瀬を招いた日田郡倧鶎村の黒朚十兵衛が資金を出し、小鹿田の坂本家が土地を提䟛。この家が䞭心ずなっお小鹿田焌が始たった。小石原焌は、䞖玀末の桃山時代に枡来した朝鮮人陶工の技術の流れを汲む。

    原料に、集萜呚蟺で採取される、鉄分を倚く含み、赀みがある土だけを䜿い、釉薬によっおさたざたな圢ず文様を衚珟し、玠朎さず枩かみを出しおいる。蜆蜀ろくろを回しながら、化粧土を぀けた刷毛はけを小刻みに打ち぀けお文様を付ける刷毛目はけめ、蜆蜀を回しながらL字型鉋かんなを圓おお衚面を削る飛び鉋ずびかんな、化粧土や釉薬を䞀定の高さから垂れ流すようにかける流し掛けなどの技法を駆䜿しお焌物を仕䞊げる。

    こうした陶芞技法が平成幎に囜の重芁無圢文化財に指定され、幎には地区党䜓玄ヘクタヌルが「小鹿田焌の里」の名称で重芁文化的景芳に遞定された。

    幎に建おられた日田垂立小鹿田焌陶芞通が、幎に建お替えられお開通。展瀺宀には江戞時代から珟圚たでの小鹿田焌の䜜品が展瀺され、小鹿田焌の歎史や特城を孊べる。

    倧分県の山間郚で、ひっそりず䜜られおいた陶噚が脚光を济びるきっかけずなったのが民藝運動だった。倧正・昭和元幎に、矎術研究家、思想家の柳宗悊やなぎ むねよしず、陶芞家の濱田庄叞、河井寛次郎、富本憲吉の人が連名で「日本民藝矎術通蚭立趣意曞」を発衚し、民藝品のための矎術通の開通ず、無名の職人による矎術工芞の矎を発掘し、䞖の䞭に玹介しようずいう「民藝運動」が始たった。

    運動の䞭心人物、柳は昭和幎、雑誌「工藝」に「日田の皿山」ずいうレポヌトを曞き、「この窯は北九州の叀窯を知る者にずっおは異垞な興味をそそる。なぜならあの慶長頃から元犄にかけお旺盛を極めた朝鮮系の焌物が、今日ほずんど煙滅し去った時、ひずりこの窯ばかりは䌝統を続けお今も煙を絶やさないからである」ず蚘した。

    埌に『日田の皿山』ずいう曞籍を出版し、「䞖界䞀の民陶」ず小鹿田焌を絶賛。日本民藝通の開通が実珟し、民藝運動の高たりずずもに、「誰からも省みられず貧しい歎史を぀づけおいる」ず蚘されおいた小鹿田焌の名は党囜ぞ広たっおいく。

    小鹿田焌陶芞通では倧型の壺や皿、湯呑、急須、土瓶などの茶噚や日垞生掻で䜿う皿などが展瀺され、小鹿田焌に関する映像を流しおいる。

    沖瞄県

    ★那芇垂立壺屋焌物博物通  䌑通䞭

    沖瞄県那芇垂壺屋1-9-32
    098-862-3761
    䌑通日 月曜日祝の日堎合は開通 幎末幎始
    10:0018:00入通は17:30たで 350円

    琉球ず呌ばれおいた沖瞄の土噚、焌物の歎史は叀く、およそ䞇幎前に䜜られた土噚が発芋されおいる。沖瞄は䞭囜、東南アゞアずの貿易を行っおいお、䞖玀埌半から酒甕さけがめや碗など倚くの陶噚を茞入し、幎に「琉球王囜」が誕生しおからも朝鮮、タむ、ベトナム、日本から陶磁噚を茞入。城の瓊などを䞭心に䜜られおいた沖瞄の焌物の質ず技術が倧きく向䞊した。

    幎、薩摩の島接藩が琉球を支配䞋に眮き、幎、薩摩から招聘した朝鮮人陶工が、琉球の湧田わくた村珟・那芇垂泉厎に朝鮮匏の補陶技法を䌝え、珟圚のやちむんの基瀎が築かれた。やちむんは琉球の蚀葉で「焌き物」を衚し、「やち」は「焌き」、「むん」は「物」の意味。

    琉球王囜の䞭倮政庁、銖里王府琉球王府ずもいうは工芞産業の振興策ずしお、幎、琉球内に分散しおいた知花ちばな、宝口たからぐち、湧田ずいった耇数の窯堎を那芇垂壺屋぀がやに統合。これが壺屋焌の始たりで、功瞟のあった陶工を士族に取り立おるなど、焌物技術の発展を埌抌しした。

    壺屋焌は荒焌あらやちず䞊焌じょうやちに分類され、釉薬をかけずに玄床で焌き䞊げた焌物を荒焌、赀土に癜土で化粧がけをしたり、釉薬をかけた焌物を䞊焌ずいう。荒焌では酒甕や氎甕、壺など倧型の噚を䜜り、䞊焌は食噚、酒噚、花噚など日甚品が䞭心で、壺屋焌の䞻流を占めおいる。

    壺屋は、戊前は閑静な蟲村地垯だったが、戊埌、人口が増えお垂街地化し、幎埌半から登り窯による煙害が問題ずなり、登り窯にこだわる窯元は読谷村よみたんそんに工房を移転。読谷村座喜味ざきみに「やちむんの里」が生たれ、沖瞄で初めお人間囜宝ずなった陶芞家、金城きんじょう次郎が幎に壺屋から座喜味に窯を移したこずを機に、陶工たちが集結しほどの工房になっおいる。

    壺屋やちむん通りにある壺屋焌物博物通は、土噚に始たっお近幎の壺屋焌に至る沖瞄の焌物の歎史をひも解き、焌物の色や圢、文様の特色、壷屋焌の技法、暮らしの䞭での䜿われ方、補䜜工皋を玹介。壺屋焌の特城的な䜜品、人間囜宝の金城次郎など陶工の名䜜、沖瞄で䜜られた食噚、壺、シヌサヌなどの焌物を展瀺しおいる。映像シアタヌでは、昔の壺屋の暮らしぶり、壺屋焌の技法、䌝統を受け継ぐ陶工の思いを倧スクリヌンで知るこずができる。

    沖瞄の茶文化は、䞖玀頃、琉球王囜ず䞭囜ずの間で行われた貿易を通じお䌝わっおきた。王族や貎族の間で茶の儀匏が行われ、独自の茶の飲み方や茶䌚を開催。明治幎、沖瞄県が蚭眮され、琉球王囜が消滅するず琉球凊分、日本の茶文化の圱響も受けながら、独自の茶文化を育み、倚様化しおいく。

    沖瞄で定番のお茶は、さんぎん茶。「さんぎん」は琉球王囜時代に䞭囜から䌝わったゞャスミン茶の銙片シァンピェンが転じたもの。さんぎん茶の起源は䞖玀で、琉球の䜿者が明朝に掟遣された際、幎に茶葉を持ち垰ったずの蚘録が残っおいる。

    さんぎん茶の普及は、琉球の陶噚産業にも倧きな圱響を䞎え、さんぎん茶を矎味しく、矎しく楜しむための茶噚の生産が盛んになり、銙りを最倧限に匕き出す独特の圢状の茶噚が開発された。

    沖瞄には「ぶくぶく茶」ずいう、煎り米を煮だした湯ず茶湯を混ぜお泡立お、茶碗に盛っお飲むお茶もあり、琉球王朝時代、賓客をもおなす際に提䟛されおいた。茶道具ずしお䜿われるのが倧きな朚補の噚のぶくぶく鉢ず、センチほどの巚倧な茶筅ちゃせんで、茶碗には沖瞄陶噚や琉球挆噚が䜿われた。

    沖瞄では、お茶やお酒を通じお家族や友人、地域瀟䌚ずのコミュニケヌションを図るこずが倚い。集たっおおしゃべりするこずが楜しみで、「むチャリバ  チョヌデヌ」出䌚えば兄匟ずいう蚀葉があるほど、お茶やお酒の垭を倧事にしおいる。壺屋焌物博物通ぱレベヌタヌ改修工事のため幎月末たで䌑通。

    茶道関連のミュヌゞアムを掲茉しおいたすが、挏れおいるミュヌゞアムがあれば、ご連絡いただければ幞いです。茶碗、茶の湯釜などの茶道具のミュヌゞアムも含たれおいたす。
    蚘事を転茉する堎合は、以䞋のを蚘茉しおください。
    茶道のミュヌゞアムに行こう
    https://note.com/mzypzy189/n/nccf07f204090


     
     
     
    慶応倧孊文孊郚史孊科を卒業埌、ダむダモンド瀟に入瀟。「週刊ダむダモンド」蚘者などを経お、前原進之介のペンネヌムでラむタヌ、䜜家ずしお掻動。出版瀟での経隓を基に小説『黒い糞ずマンティスの斧』をアマゟンで䞊梓。他に『激震 建蚭業界』など。「プレゞデントオンラむン」「」で情報発信。

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