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お茶のミュヌゞアムに行こう【党囜39カ所】

    前原進之介

    補法の違いで緑茶、りヌロン茶、玅茶に


    お茶のルヌツは、玀元前に䞭囜の南西郚、雲南省で茶暹ちゃじゅチャノキが発芋され、各地に広がったずいう説が有力だ。雲南省はベトナム、ラオス、ミャンマヌに接しおいる。

    唐幎幎の時代の幎頃、文筆家の陞矜りくうがお茶をテヌマにした最叀の曞物『茶経ちゃきょう』を出版。冒頭に「茶は南方の嘉朚かがく立掟な朚なり」ず蚘されおおり、初期の喫茶は南方で始たったず芋られる。

    『茶経』は茶の起源、歎史、補造法、喫茶法、補茶道具、喫茶道具、茶の産地などを玹介したお茶の癟科党曞的な本で、巻章で構成。

    高床な唐の文明が䞖玀から䞖玀に䞭囜呚蟺地域朝鮮半島、日本、東南アゞアに䌝わりが、喫茶の颚習も呚蟺囜に䌝播しおいった。ペヌロッパに喫茶の習慣が䌝わるのは䞖玀で、アゞアよりも幎も遅い。

    オランダの東むンド䌚瀟が幎、ペヌロッパにお茶を䌝えたが、圓時は玅茶ではなく緑茶だった。平戞で買った日本茶や、マカオでポルトガル人から買った䞭囜茶が西掋にもたらされた。

    䞭囜の半発酵茶りヌロン茶などがペヌロッパで人気になり、お茶補造業者が発酵を進めおいる䞭で完党発酵である玅茶が生たれたず蚀われ、珟圚、この説が有力。䞇病に効く東掋の秘薬ずしお、幎、むギリスに玅茶が初めお䌝わった。

    ペヌロッパの硬氎で緑茶を入れるず味わいが匱くなり、タンニンタンパク質などず反応し、匷く結合する氎溶性化合物の含有量が倚い玅茶発酵茶は硬氎で矎味しさが匕き立ち、人気が高たっおいく。䞖玀埌半には「午埌の茶」アフタヌヌン・ティヌの習慣が定着し、お茶の倚くは䞭囜から入っおきた。

    むンドで新皮の茶暹のアッサム皮が発芋されたのは幎で、むンドからむギリスに玅茶が出荷されたのは幎頃。むンドを怍民地ずしおいたむギリスはむンドでの玅茶の生産を暡玢しおいた。

    スコットランド出身の怍物孊者で、プラントハンタヌ食料、銙料、薬、繊維などに利甚される怍物や、芳賞甚怍物の新皮を求め䞖界䞭を探玢する人のロバヌト・フォヌチュンがアヘン戊争幎幎埌、むギリスに割譲された銙枯に掟遣された。

    怍物を収集し、䞭囜人に扮しお各地を蚪れ、緑茶ず玅茶は補法が違うだけで、同じ茶暹チャノキから䜜られるこずを発芋。怍物栜培・運搬甚のガラスの容噚「りォヌドの箱」を甚いお、茶の苗や皮子を幎にむンドに持ち蟌んだ。むンド北郚の西ベンガル州のダヌゞリンで玅茶の栜培、茶補造の指導を行い、幎に商業ベヌスに乗る茶園が蚭立され、玅茶の生産が拡倧しおいく。

    お茶は発酵の床合いにより、緑茶煎茶、玉露、ほうじ茶、抹茶など、䞭囜茶烏韍茶、プヌアヌル茶など、玅茶に分けられ、珟圚、䞖界で最も倚く消費されおいるのは玅茶。緑茶は発酵をほずんどしおおらず、茶葉本来の緑色や銙り、旚味を楜しむ。

    緑茶が日本で広たるのは平安から鎌倉時代

    緑茶、りヌロン茶、玅茶は、すべおツバキ科の垞緑暹、チャノキの葉から䜜られるが、加工方法の違いによっお、緑茶、りヌロン茶、玅茶などになる。

    緑茶煎茶は、蒞す→揉もむ→也かす、の工皋でできる。
    りヌロン茶は、発酵させる萎しおれさせる→炒る→揉む→也かす。
    玅茶は、発酵させる萎れさせる→揉む→さらに発酵させる→也かす。

    緑茶煎茶の生産地は䞻に日本で、䞭囜茶りヌロン茶、プヌアヌル茶などは䞭囜、台湟、ベトナムで䜜られ、玅茶の生産量が倚いのはむンド、スリランカ、ケニアなど。

    お茶の葉を摘み取っおすぐに加熱し、発酵酞化発酵しないようにしお䜜ったのが緑茶で、完党に発酵させるのが玅茶、その䞭間に䜍眮するのがりヌロン茶などの半発酵茶だ。緑茶で最もポピュラヌなのが煎茶で、茎を取り陀いた茶葉を蒞しお揉み、也燥させたもの。

    玉露は、茶摘みの日ほど前から、日光を遮さえぎるよしず葊あしで䜜られた倧きな日陀けなどで茶園を芆おおい、光を遮断しお育おた茶葉から䜜られ、甘みず旚味をより匕き出したもの。

    ほうじ茶は、煎茶の茎や茶葉を炒っお也燥させたもので、カフェむンが少なく、銙ばしい銙りが特色。焙ほうじるずは氎分がなくなるたで熱するこずで、焙煎ばいせんは油や氎を䜿わずに食材を加熱也燥させる方法で、コヌヒヌ豆などナッツや皮のような食材を察象に䜿甚される補法だ。

    抹茶は、日陰で栜培した茶葉を蒞した埌、揉たずに也燥しお石臌いしうすで挜ひいお粉末状にしたもの。

    日本に喫茶の颚習が䌝えられたのは平安時代幎幎の䞖玀から䞖玀頃で、遣唐䜿ずしお䞭囜唐に枡った留孊僧が、寺院で飲たれおいた茶を日本に䌝えた。

    延暊幎に䞭囜から垰囜した最柄が茶の皮子を持ち垰り、滋賀県甲賀垂信楜町朝宮あさみやの岩谷山いわやさん珟圚の仙犅寺䞀垯に怍えお茶を育おた。匘仁幎に嵯峚倩皇が近江囜滋賀県に行幞ぎょうこう倩皇が倖出するこずした際、僧の氞忠えいちゅうが茶を献じたずいう蚘録が残っおいる。

    滋賀県の朝宮呚蟺で栜培されおいる緑茶は朝宮茶ず呌ばれ、日本五倧銘茶の1぀。残りは、宇治茶京郜府、川根茶静岡県、本山茶ほんやたちゃ静岡県、狭山茶埌玉県。

    静岡茶は産地によっお现分化されおおり、川根茶は川根本町、島田垂で育おられたもので、降氎量が倚く、山の斜面で氎はけが良い。柔らかい新芜を掻かすため、蒞し過ぎず、熱し過ぎず、揉み過ぎない「川根揉みきり流」ずいう補法が明治期に考案され、高い評䟡を埗おきた。

    本山茶は、南アルプスに源流がある安倍川䞊流域の静岡垂葵区安倍奥・藁科わらしな地区で産出され、山河の恵みを存分にたたえた味ず銙りに特色がある。

    平安時代のお茶は、沞隰した湯に茶葉や茶の粉を入れお煮出す「煎じ茶」で、煮出しお飲む方法だった。煎茶法せんちゃほうず呌ばれ、珟圚䜿われおいる「煎茶」の抂念ずは異なり、煮詰めお成分を取り出すスタむル。

    嵯峚倩皇は倧内裏だいだいり平安京の宮城や近江、䞹波、播磚などに茶園を䜜らせ、毎幎、茶を献䞊するよう呜じたず蚘されおいる。

    宀町時代埌期、お茶は庶民にも広がった

    広くお茶が飲たれるようになったのは平安時代末期から鎌倉時代初めの頃だ。幎近く続いた唐が幎に滅亡し、華北・䞭原を぀の王朝五代。埌梁、埌唐、埌晋、埌挢、埌呚が統治し、華䞭、華南を䞭心に支配した地方政暩十囜が興亡した五代十囜時代ごだいじっこくじだいを経お、䞭囜を統䞀した宋幎幎に日本から修行僧が枡った。

    その人、宋で臚枈犅を孊んで垰囜した明菎栄西みょうあん えいさいようさい、ずもが、宋で飲たれおいた点茶法おんちゃほうによるお茶の飲み方を日本ぞ䌝えた。点茶法ずは、粉末の茶を入れた容噚に「湯を泚ぐ」方法で、珟圚の「抹茶」の飲み方に近い。

    栄西は宋から持ち垰った茶皮を、華厳宗けごんしゅう䞭興の祖ず称される明恵みょうえに送り、明恵は京郜の北、栂尟ずがのおの高山寺こうざんじに近い深瀬ふかいぜの地に怍え、その埌、宇治でも茶を育おた。これが、埌に宇治茶が高玚茶ずなるきっかけになった。

    栄西は、日本で最初の茶の曞ずされる『喫茶逊生蚘きっさようじょうき』を承元幎に著し、宋で芋聞した茶の補法や喫茶法を玹介し、茶の効甚を説いた。

    鎌倉幕府の代将軍、源実朝みなもずの さねずもに、二日酔ふ぀かよいの薬ずしお栄西が茶を献じたこずが『吟劻鏡あずたかがみ』に蚘されおおり、新興勢力の歊士局にも茶が広たっおいく。

    寺院では、平安時代以降、仏教儀瀌で「煎じ茶」が䜿甚され続け、鎌倉時代、犅宗寺院では新たに広たった「茶瀌」朝の座犅の埌、食埌、䜜務の䌑憩時、就寝の前などにみんなで茶を飲むこず。茶の湯の原型ず蚀われるずいう喫茶儀瀌が䞭囜から取り入れられ、日垞的に茶を飲んでいた。

    寺院ずお茶は深く結び぀き、各地の寺院で「境内茶園」が営たれ、茶の産地が党囜各地に拡倧。南北朝時代になるず、茶の産地や皮類を圓おる遊びの「闘茶」ずうちゃが歊士や貎族たちの間で流行する。

    宀町時代に、庶民にも茶は普及。寺瀟の門前に䞀服䞀銭の「小屋掛けの茶屋」小屋によしずを掛けた粗末な茶屋に瞁台ず腰掛を眮いお、通行人に茶を提䟛したができ、参詣した人に茶を売っおいた。行楜地や祭瀌で人が集たる堎所で茶道具を売る光景が芋られるほど、茶は人気の趣味、食習慣ずなっおいた。

    代将軍の足利矩満は宇治茶を庇護し、有力倧名も宇治に茶園を蚭けた。矩満が宇治に開かせた茶園は宇文字園、川䞋園、祝園、森園、琵琶園、奥の山園、朝日園の぀で、䞃名園ず呌ばれおいた。
    「森、祝、宇文字、川䞋、奥ノ山、朝日に぀づく琵琶ずこそ知れ」
    お茶の産地が和歌にも詠たれるほどで、それぞれの茶園が味や銙りを競っおいた。

    安土桃山時代には日光を遮っお茶の旚味や甘みを高める被芆ひふく栜培芆䞋おおいした栜培が始たり、宇治は高玚茶の産地ずしおの地䜍を確立。生葉を蒞した埌、揉たずに也燥させた高玚な碟茶おんちゃに加工された。碟茶ずは、抹茶の原料になるお茶を指す。

    奜みの茶碗や茶釜を䜜らせた千利䌑

    宀町時代の埌期、庶民にたでお茶が普及したが、公家や歊士らが行う茶䌚では高䟡な䞭囜補の道具である「唐物からもの」が珍重され、愛称ずしおの銘を備えた茶碗、茶噚、それらを包む垃類などの道具は名物めいぶ぀ず呌ばれおいた。

    茶道具によっお栌付けされ、高䟡な唐物や名物を尊ぶ颚朮に察し、䞖玀埌半に村田珠光むらた しゅこうじゅこう、ずもは粗雑䞭囜陶磁噚くすんだ色の青磁が代衚的なもので、珠光青磁ず呌ばれるなど、䟘わびた道具を䜿甚する「わび茶」を創始した。

    堺の豪商で茶人の歊野玹鷗たけの じょうおうがわび茶を発展させ、千利䌑がこれを完成させた。千利䌑は唐物ではなく、囜産の茶道具を甚い、竹などを花入れに掻甚するこずも倚い。

    自身で道具類をデザむンしお、楜茶碗らくちゃわん楜焌茶碗のこずで、千利䌑の創意を受けた楜長次郎らく ちょうじろうが始めたずされるや䞇代屋釜もずやがた茶の湯釜の圢状の぀で、肩ず腰に本の筋があり、その間に擂座るいざ半球圢の粒が䞊ぶ文様のこずがある釜など、利䌑甚の道具を職人に䜜らせた。華矎や装食性を吊定し、簡略化、簡玠化が特城。

    利䌑の時代戊囜時代、利䌑が䜜らせた楜茶碗は粗末な道具ずされおいた。利䌑は呂宋壺るそん぀がフィリピンのル゜ン島を経由しお茞入された䞭囜南郚の陶補の壺や高麗茶碗朝鮮半島で焌かれた日垞雑噚を茶碗ずしお甚いたものなどの茞入品も甚いたが、倚くは雑噚扱いの倧量生産品であった。

    利䌑のわび茶をさらに掚し進めたのが、利䌑の孫の千宗旊せんの そうたんで、「乞食宗旊」ず呌ばれるほど、枅貧で犅の芁玠を加味した䟘び茶を培底的に远求した。倧名に仕官せず、経枈的に貧しかった千宗旊に反発するかのように、異なる茶の道を远い求める動きも出おきた。

    飛隚高山藩䞻、金森可重かなもり ありしげの長男ずしお生たれた金森重近しげちか宗和は公家ずの亀友を深めながら、柔らかく優矎な茶颚を䜜り䞊げお「姫宗和」ずも呌ばれた。宗和は著名な陶工、野々村仁枅ののむら にんせいを芋出したこずでも知られ、倧工の高橋喜巊衛門ず塗垫ぬし挆うるし塗り職人の成田䞉右衛門らに呜じお、飛隚春慶塗を生み出した趣味人で、茶道宗和流は今日たで続いおいる。

    春慶は宀町時代の挆工しっこう挆を噚物の衚面に塗り重ねお匷床を持たせたり、装食を斜す職人で、和泉囜堺倧阪府の出身。朚地に透挆すきうるしを塗っお朚目を芋せる春慶塗を考案したずされ、春慶塗は飛隚岐阜県、胜代秋田県、粟野あわの茚城県、䌊勢䞉重県、朚曜長野県、日光栃朚県などに広たった。

    備䞭束山城䞻岡山県、のちに近江囜小宀藩の藩䞻ずなった小堀政䞀こがり たさかず遠州は茶人、建築家、䜜庭家さくおいか、曞家でもあり、王朝文化の矎意識を茶の湯に取り入れ、䟘び茶を究極たで高めた千宗旊に比べるず、華やかで掗緎された「きれいさび」ず呌ばれる茶を远求しおいく。

    緑、青色のお茶を生み出した「蒞し補煎茶」

    䞭囜の明幎幎が滅亡し、枅幎幎が䞭囜を支配し始めた混沌ずした時代に、犅宗の僧、隠元隆琊いんげん りゅうきは江戞時代幎幎の承応幎に来日。日本黄檗宗 おうばくしゅうの祖ずなり、宇治に黄檗山萬犏寺たんぷくじを開いた。

    隠元は、明代の曞をはじめ䞭囜の文化や文物、むンゲン豆などを日本に䌝え、胜曞家であり、日本における煎茶道せんちゃどうの開祖ずされる。煎茶道は、急須などを甚いお煎茶や玉露などの茶葉を甚いる飲み方。

    明時代の䞭囜では淹茶法えんちゃほうでお茶が飲たれおいた。摘んだ茶葉を鉄の釜で炒っお䜜る「釜炒り煎茶」を淹いれる喫茶法で、「淹れる」ずは、火から降ろしたお湯でひたす、挬けるずいう意味だ。

    抹茶道は茶宀や道具に匷くこだわり、手順やルヌルが耇雑だが、圢匏にずらわれずカゞュアルに煎茶を飲みながら枅談せいだん叀代䞭囜の知識人の間で流行した俗事を避けお颚流に芪しむ談話のこずを亀わす「煎茶趣味」が文化人の間で広たった。

    宇治の萬犏寺を歳で蚪れ、黄檗宗の僧ずなった月海元昭げっかい げんしょうは犅の粟神を実践するため、京郜垂䞭で煎茶の茶売りをしおいた。売茶翁ばいさおうず呌ばれるようになるが、簡単な茶道具を持ち、京郜の倧通りに簡玠な垭を蚭け、客ず犅や人のあり方を問答しながら、煎茶を提䟛しお評刀ずなった。

    芪亀のあった䌊藀若冲が売茶翁を描いた肖像画を描き残し、池倧雅や䞎謝蕪村などの文人画家たちも売茶翁の姿を描いおいる。売茶翁の掻動は、圓時の文化人、知識人の共感を呌び、䞊田秋成うえだ あきなり、頌山陜らい さんよう、田胜村竹田たのむら ちくでんずいった䜜家、孊者、画家などの文人たちの間で、煎茶の文化が広たった。

    売茶翁を筆頭に、煎茶愛奜者たちは圢匏や既埗暩を持぀゚スタブリッシュメントを嫌い、叀代䞭囜の隠遁する賢人のように自由を愛し、粟神の気高さを求め、颚流を重んじた。

    売茶翁の茶売りが話題になっおいた江戞時代䞭期、「煎茶」の補法に改良が行われた。元文幎、京郜宇治の庄屋で、茶業家の氞谷宗円ながたに そうえんが「蒞し補煎茶法」の開発したのだ。

    茶葉の加熱方法を「釜炒り」ではなく、抹茶の補法ず同様に「蒞す」方法で行い、その埌、揉みながら也燥させるずいう手法。埓来の茶葉は黒かったが、緑、青色のお茶を生み出すこずに成功し、青補煎茶補法あおせい せんちゃせいほうずも呌ばれる。

    江戞の茶商、山本山の山本嘉兵衛は「色぀やが鮮やかな緑で、銙りがずおも良い」ず絶賛し、蒞し補煎茶は高倀で取匕されるようになった。幎代以降、人気を博し、「緑茶」ず蚀えば「蒞し補煎茶」を指すほどで、珟圚、最も銎染深いお茶ずなっおいる。

    煎茶道は明治以降、西掋文化が流入し、衰退しおいくが、昭和幎に党日本煎茶道連盟が蚭立されるなど、日本茶、緑茶が芋盎される颚朮ずずもに、スポットが圓たるようになっおいる。

    衚千家、裏千家、歊者小路千家の「䞉千家」

    千利䌑が完成させた「わび茶」は、千利䌑の埌劻の連れ子で、嚘婿である千少庵せんの しょうあんに受け継がれ、さらに息子の千宗旊が継いだ。宗旊は、祖父の千利䌑が豊臣秀吉に切腹させられたこずもあっお仕官しなかったが、人の息子たちは倧名家に仕えさせた。

    勘圓した長男を陀き、人の息子がそれぞれ家を興す。逊子に出おいた次男・䞀翁宗守いちおう そうしゅが千家に戻っお官䌑庵かんきゅうあん歊者小路千家むしゃこうじ せんけずなり、䞉男の江岑宗巊こうしん そうさが家督を継承し䞍審菎ふしんあん衚千家ず称し、宗旊の隠居所を四男の仙叟宗宀せんそう そうし぀が継いで今日庵こんにちあん裏千家ずなった。

    この家は䞉千家さんせんけず呌ばれ、珟代たで続いおいる。茶道に関わる䞉千家に出入りする茶碗垫、釜垫、塗垫、指物垫などの職家を衚す尊称を千家十職せんけ じっしょくず呌ぶ。千家奜みの茶道具を䜜れる職人は限定されおおり、職人は埐々に固定されおいった。

    千家十職の職皮ず職人名は以䞋のようになっおいる。
    茶碗垫     暂吉巊衛門暂長次郎の埌継者、宗慶そうけいから吉巊衛門
    釜垫      倧西枅右衛門 鉄補、金補、銀補などの茶釜
    塗垫      䞭村宗哲 棗な぀め抹茶を入れる容噚、手桶などの塗り
    指物垫     駒沢利斎こたざわ りさい 棚、銙合、炉瞁など朚地党般
    金物垫     䞭川浄益 火箞、やかんなどの金物
    袋垫      土田友湖぀ちだ ゆうこ 仕芆しふく茶道具を入れる袋、服玗ふくさなど
    衚具垫     奥村吉兵衛 軞装掛け軞に仕立おるこず、屏颚など
    䞀閑匵现工垫  飛来䞀閑ひき いっかん 棗、銙合など
    竹现工・柄杓垫 黒田正玄 茶杓ちゃしゃく抹茶をすくう道具
    土颚炉どぶろ・焌物垫 西村氞暂善五郎 土颚炉は陶噚に黒挆を塗った颚炉

    お茶が英蘭戊争ずアメリカ独立戊争の匕き金に

    最埌に、お茶が歎史に倧きく関わった぀のケヌスを玹介しおおきたい。぀はむギリスずオランダの戊争を巻き起こしたお茶の物語。

    むギリス囜王のチャヌルズ䞖は、ポルトガル囜王ゞョアン䞖の王女キャサリンず幎に結婚。キャサリンは䞭囜のお茶ず、圓時、貎重であった砂糖を倧量に持参し、宮廷に喫茶の習慣をもたらし、むギリスの貎族瀟䌚で「午埌の茶」アフタヌヌン・ティヌがブヌムずなった。

    むギリスは、オランダ経由で䞭囜のお茶を茞入しおいたが、幎、オランダからのお茶の茞入を犁じる法埋を制定。察立が顕著になり英蘭戊争幎幎が勃発したが、むギリスが勝利。䞭囜貿易で優䜍に立ち、幎以降、䞭囜から盎茞入したお茶がむギリスで流通し始めた。

    むギリス東むンド䌚瀟が拠点を眮く犏建省の厊門あもいにお茶が集められ、お茶を倧量に取匕し、幎には䞭囜のお茶の茞入独占暩をむギリスが埗るこずになった。䞀時、オランダの東むンド䌚瀟が東アゞア、東南アゞアの貿易を牛耳っおいたのだが、むギリスが台頭し、䞭囜からの茞入品の割をお茶が占めるほど、ビゞネスが拡倧する。

    お茶が歎史を動かした぀目はボストン茶䌚ティヌパヌティヌ事件で、アメリカ独立戊争の導火線ずなった。むギリスは床重なる戊争のため財政危機に陥り、その解消のため怍民地に関皎を掛けお皎収を増やそうずした。むギリスの怍民地であったアメリカでは関皎に反察する運動が起きお撀廃を勝ち取るが、お茶ぞの関皎は廃止されなかった。

    圓時、䞭囜産の茶がアメリカで飲たれおおり、フランスやオランダの商人がむギリスのお茶ぞの課皎を免れお、密茞茶を販売しおいた。むギリスは幎月に茶法茶条什を制定し、アメリカ怍民地ぞの茶の盎送ず独占専売暩をむギリス東むンド䌚瀟に䞎え、密茞のお茶を取り締たり、垂堎を独占しようずした。

    茶を自由に販売できなくなるず、アメリカ垂民が反発。ボストンの急進グルヌプは同幎月、ボストン枯に入枯しおいたむギリス東むンド䌚瀟の船に乗り蟌み、茶箱箱䟡栌䞇ポンドを海䞭に投棄しお逃走する。むギリス圓局は犯人を捕らえようずしたが、怍民地人は「ボストンで茶䌚を開いただけ」ずごたかし、犯人を怜挙できなかった。

    ボストン茶䌚事件で「くたばれ、茶」ずいう歌が生たれ、それがの怍民地政府に広がり、お茶を飲たずにコヌヒヌを飲むこずで、むギリスぞの反感を露わにした。

    むギリスは茶䌚事件の報埩ずしお、茶䌚事件の損害を匁償するたでボストン枯を封鎖する高圧的な諞条什を制定しお、怍民地偎を屈服させようずした。怍民地偎はむギリス補品の䞍買運動を始め、幎月にフィラデルフィアで怍民地の代衚が集たり、本囜ずの察決姿勢を鮮明にする。

    幎月にアメリカ独立戊争が始たり、ゞョヌゞ・ワシントンを総叞什官に任呜し、翌幎月、アメリカは独立宣蚀を発しおアメリカ合衆囜を誕生させた。その埌も戊争は続き、幎のペヌクタりンの戊いでむギリス軍を降䌏させ、実質的な戊闘は終了し、幎のパリ条玄で戊争が終結。むギリスはアメリカ合衆囜の独立を正匏に認めるこずになる。

    むギリスがアヘン戊争を起こした原因はお茶

    もう぀、お茶に絡む事件が䞭囜で起きた。枅時代幎幎の䞭囜ずむギリスずの間で始たったアヘン戊争で、これ以降、䞭囜は欧米列匷の力に屈するこずになる。ここでも戊争の原因はお茶だった。

    枅はペヌロッパ諞囜ずの亀易を広東広州の枯だけに限定し、公行こうこうずいう政府の蚱可を埗た商人にしかペヌロッパ商人ずの亀易を認めおいなかった。ペヌロッパ偎で䞭囜貿易の倧半を握っおいたのはむギリス東むンド䌚瀟で、むギリスはむンドで栜培したアヘンを䞭囜に売っおいた。

    明代末期の䞖玀前半から䞭囜ではアヘンの吞匕が広がり、枅は䜕床も茞入犁止什を発したが、アヘンの吞匕で健康を害する者が増え、貧困や犯眪など瀟䌚䞍安が高たっおいた。

    むギリスでは䞖玀埌半から玅茶を飲む習慣が広たり、䞖玀には茶葉の需芁が増倧。寒冷地のむギリスは茶葉の生産に適しおおらず、茞入に頌っおいた。むンドで玅茶を生産するようになるのは䞖玀半ばからで、䞭囜からの茞入が急増しおいた。枅はむギリスからの茞入に頌る必芁がなく、自囜内で経枈が回っおいた。むギリスは枅に茞出するものがなく、倧量の銀が䞭囜に流出するこずになった。

    そこで、むギリスが採った政策は、産業革呜で増産が可胜ずなった綿織物など工業補品をむンドに売り、むンドでアヘンを増産しお䞭囜に売り、䞭囜からお茶を茞入するずいう䞉角貿易だった。むギリスの思惑通り、枅でのアヘン吞匕が倧流行し、銀の支払いも増えお、枅囜経枈を圧迫する。

    枅はアヘン䞭毒者の増加ず銀の流出を食い止めるため、取締たりを匷化した。枅の皇垝、道光垝はアヘン吞匕者を死刑に凊すこずも盛り蟌んだアヘン厳犁策の採甚を決め、具䜓策を官僚たちに提出させ、優れた提案をした官僚の林則埐りんそくじょを取締たりの責任者に任呜し、察倖貿易の窓口ずなっおいた䞭囜南郚の広州に掟遣。

    幎、広東に到着した林則埐はアヘンを扱う商人からの莈賄にも応じず、広州の倖囜商人たちに「今埌、䞀切アヘンを枅囜内に持ち蟌たない」ずいう誓玄曞の提出を求め、保有するアヘンを䟛出するよう芁求し、「今埌アヘンを持ち蟌んだ堎合は死刑に凊す」ず通告。むギリスの商人や貿易監督官のチャヌルズ・゚リオットは無芖し続け、提出期限を経過したため、林則埐は圌らの滞圚するむギリス商通に官兵を差し向けお包囲し、保有するアヘンの䟛出を玄束させ、ヶ月半かけお没収し凊分した。

    むギリス人商人はアヘンの匕き枡しには応じたが、誓玄曞の提出を拒吊し、゚リオットは広東圚䜏の党むギリス人をマカオに退去させた。アメリカ人商人など誓玄曞を提出した商人は貿易を続けおいたので、枅囜偎には圱響はなく、アヘンを扱っおいないむギリス人の商人も゚リオットの方針に反感を持ち、枅に契玄曞を提出しお貿易を行う者も出おいた。

    ゚リオットは、誓玄曞を提出したむギリス人の商船が広東に入枯するこずを劚害し、枅囜軍の船ぞの攻撃を開始し、アヘン戊争が勃発。むギリス人商人を支揎するために掟遣されたむギリスの東掋艊隊は、林則埐が倧量の兵力を終結させおいた広州ではなく、銖郜、北京近郊の郜垂、倩接に向い、枯を守る砲台を陥萜させ、倩接枯に入枯。狌狜した皇垝は林則埐を解任し、むギリスずの和平亀枉を進めた。

    林則埐の埌任ずなった琊善き しゃんはむギリスに䜎姿勢で臚み、枅が倧幅に譲歩した川錻せんび条玄を結ぶこずになった。だが、むギリス軍が撀収するず、枅囜内で匷硬掟が盛り返し、道光垝は琊善を眷免しお川錻条玄の締結も拒吊。むギリスは再床、軍事行動を起し、枅囜軍を圧倒し、道光垝ら枅政府は戊意を喪倱し、川錻条玄よりも䞍利な南京条玄を幎に結ぶこずになった。

    自由貿易制に倉曎し、埓来の広東広州に加え、犏建厊門、浙江寧波、犏州、䞊海の枯を自由貿易枯に定め、むギリスぞの賠償金の支払や銙枯銙枯島の割譲が決たった。さらに、翌幎の虎門寚こもんさい远加条玄で、むギリスは治倖法暩、関皎自䞻暩の攟棄、最恵囜埅遇条項の承認などを枅偎に認めさせた。

    アヘン戊争に続き、第次アヘン戊争ずも呌ばれるアロヌ戊争が幎幎に、枅ずむギリス・フランス連合軍の間で起こり、䞍平等条玄である倩接条玄幎や北京条玄幎の締結を䜙儀なくされた。枅は、賠償金の支払い、さらなる開枯、倖囜人の䞭囜での旅行ず貿易の自由、キリスト教垃教の自由ず宣教垫の保護、九竜半島南端の九竜地区の割譲などの芁求を飲たされた。

    アヘンをめぐる戊争であったが、むギリスにずっおは、お茶の茞入増加による銀の流出を食い止めるための戊争でもあった。

    「たかがお茶、されどお茶」。お茶が経枈戊争を匕き起こし、歎史を動かしおきた。コショりなど銙蟛料をめぐっお叀代ロヌマ時代から数々の戊争が起きおいお、銙蟛料を求めお倧航海時代が到来し、新倧陞の発芋に぀ながったように、お茶も、歎史の転換点に登堎しおいる。

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    以䞋、お茶に関するミュヌゞアムを解説するが、茶道の詳现ず茶道に関連するミュヌゞアムは別項で玹介したい。茶道関連のミュヌゞアムは、茶碗や茶の湯釜など、茶道具のミュヌゞアムも含めお䞋蚘のサむトに詳述。
    茶道のミュヌゞアムに行こう

    茚城県

    奥久慈茶の里公園

    茚城県久慈郡倧子町倧字巊貫1920
    0295-78-0511
    䌑通日 氎曜日 幎末幎始
    9:0017:00  䜓隓や和玙人圢矎術通300円は有料

    茚城県倧子町の奥久慈茶は、新期県の村䞊垂ずずもに、お茶を商業ベヌスで生産できる日本最北限の茶産地で、銙りが高く、枋みずコクの匷さに特色がある。

    「日本最北端の茶凊」ず銘打っおいる奥久慈茶の里公園では、本栌的な茶宀で抹茶や煎茶の䜓隓、茶摘み、お茶の手揉み、和玅茶䜜り䜓隓など、お茶に関するむベントが甚意されおいる。

    奥久慈のお茶は玄幎の歎史があり、文犄幎頃、巊貫さぬき町北郚にあった昔の村の名前の西犏寺の僧、宥明ゆうみょう、慶束けいしょう、垞庵などが、京郜の宇治から茶実を持ち垰っお栜培したこずが起源ず蚀われおいる。

    昔ながらのお茶の補法で「手揉み茶」を䜜っおおり、茶摘みから蒞し、揉み、也燥たですべお手䜜業。焙炉ほいろずいう台の䞊で揉みの䜜業が行われ、仕䞊がったお茶の圢は針のようによれお、濃い緑の光沢を持぀。

    茶の里広堎、物産通、レストランなどの斜蚭があり、晩幎を倧子町で人圢づくりに情熱を燃やした和玙人圢䜜家の山岡草やたおか そうの䜜品を展瀺する「和玙人圢矎術通」では花ず人圢を組み合わせた斬新な䜜品に出䌚える。お茶以倖の䜓隓や楜しみずしおは、そば打ち、こんにゃく䜜り䜓隓があり、グランドゎルフ、手ぶらでバヌベキュヌもできる。

    茚城県倩心蚘念五浊矎術通 岡倉倩心蚘念宀

    茚城県北茚城垂倧接町怿2083
    0293-46-5311
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌日 幎末幎始
    9:3017:00入通は16:30たで 210円

    倩心蚘念五浊いづら矎術通は岡倉倩心や暪山倧芳など、五浊にゆかりの深い思想家や芞術家たちの業瞟を顕地し、優れた䜜品を鑑賞できる矎術通ずしお平成幎に開通した。北茚城垂の五浊は、明治幎に日本矎術院第䞀郚絵画が移転し、岡倉や倧芳、䞋村芳山、菱田春草ひしだ しゅんそう、朚村歊山など日本画の画家たちが掻躍した堎所だ。

    幎は、岡倉がアメリカで『茶の本』を英文で出版した幎でもある。英語で曞かれ、アメリカで出版された本では、新枡戞皲造の『歊士道』幎も有名だが、日本や東掋を理解するにはサムラむ粟神よりも、日本の䌝統文化、芞術を知る必芁があるずの思いで『茶の本』をたずめた。
    岡倉はむンド旅行から垰囜しお曞いた『東掋の理想』を幎に、『日本の芚醒』を幎に、いずれも英文で著わしおいる。 

    廃仏毀釈はいぶ぀きしゃくなど、急激な西掋化の波が抌し寄せ、䌝統的な文化を䜎く芋る明治の颚朮に抗あらがい、岡倉は、東京倧孊で哲孊、政治孊、理財孊経枈孊を教えおいたアヌネスト・フェノロサずずもに、日本の䌝統矎術の䟡倀を䞻匵し、矎術行政官文郚官僚、矎術運動家ずしお近代日本矎術の発展に倧きな足跡を残した。

    日本画改革運動、叀矎術品の保存、東京矎術孊校の創蚭、ボストン矎術通䞭囜・日本矎術郚長就任など、華々しい掻躍をしたが、岡倉倩心蚘念宀では、岡倉の歩みを幎衚、資料などで振り返り、愛甚した茶道具の茶匙ちゃさじや棗な぀めなどの遺品を展瀺。

    日本矎術埩興に貢献した岡倉倩心のルヌツは、父の岡倉芚右衛門の境遇ず才芚にあった。芚右衛門は越前犏井藩の蟲家の生たれで、口枛らしのため、芪戚の犏井藩士の家に奉公に出された。匓の腕を芋蟌たれ、歳のずき、犏井藩士の岡倉家の逊子になる。

    岡倉家は䞋玚歊士であったが、芚右衛門は安政幎、開枯した暪浜で働くようになり、犏井藩の貿易ず情報収集の拠点、暪浜に蚭立した貿易䌚瀟「石川屋」を任された。藩籍を離脱しお商人ずなり、生糞や呉服などを倖囜人商人に売りながら、囜内倖の情報を収集。幕末の四賢䟯しけんこうの人、犏井藩藩䞻の束平春嶜からも信頌を埗おいた。

    四賢䟯の他の人は、薩摩藩藩䞻の島接斉圬なりあきら、土䜐藩藩䞻の山内豊信ずよしげ容堂ようどう、宇和島藩藩䞻の䌊達宗城むねなりである。

    幎、暪浜で生たれた岡倉倩心本名は芚䞉は歊家の玠逊である挢孊の他に、暪浜居留地の倖囜人教垫から英語を孊び、東掋ず西掋双方の教育を受け、教逊を身に付けた。匟の由䞉郎よしさぶろうは英文孊者になっおいる。

    明治になっお、岡倉䞀家は東京・人圢町ぞ移っお旅通業を始め、芚䞉は東京倖囜語孊校珟・東京倖囜語倧孊に進孊し、さらに東京開成孊校幎に東京倧孊に改組で政治孊、理財孊経枈孊を孊んだ。

    英語が埗意だったこずから、岡倉倩心は、幎に来日し、東京倧孊で哲孊、政治孊、理財孊を教えるこずになったアヌネスト・フェノロサの助手になる。矎術に関心があったフェノロサは東倧の同僚に矎術を孊び、助手の岡倉ずずもに叀寺の矎術品を蚪ね歩いた。

    幎、東京倧孊を卒業した岡倉は文郚省に入り、音楜取調掛ずしお勀務。翌幎、フェノロサずずもに日本矎術の調査を始める。東京矎術孊校珟・東京芞術倧孊矎術孊郚蚭立のため、フェノロサず欧米を芖察幎幎。

    浮䞖絵など、日本矎術の圱響を受けおいる西掋の矎術界、アヌルヌヌノォヌ新しい芞術運動を芋お、日本矎術の偉倧さに気付かされ、䌝統矎術埩興ぞの意欲を高めた。

    明治以降、寺や仏教の排斥が行われ、日本的、東掋的なものを軜んじる颚朮の䞭で、フェノロサも「西掋矎術よりも、日本矎術のほうが優れおいる」ず考えるようになる。

    フェノロサず岡倉は、矎術家ず矎術教員逊成のための孊校、東京矎術孊校の開校に尜力。幎に開校し、翌幎、岡倉が校長に、フェノロサが副校長に就任。教官は日本画家が䞭心で、䌝統矎術の振興を目指す岡倉ずフェノロサの思いが具䜓化された。

    幎に西掋画科ず図案科が新蚭され、掋画の画家たちが教官ずなり、掋画界隆盛の基盀が築かれた。だが、䌝統矎術を第䞀ずする岡倉校長の独断的な孊校運営ぞの批刀が高たり、幎に「矎術孊校隒動」が起きた。

    垝囜博物通珟・東京囜立博物通初代通長で文郚官僚の九鬌隆䞀くき りゅういちず、東京矎術孊校校長で、垝囜博物通矎術郚長の岡倉が察立。九鬌の劻ず岡倉が䞍倫しおいたこずが明らかになり、東京矎術孊校教官からの排斥運動もあり、岡倉は矎術孊校校長、垝囜博物通矎術郚長を蟞任する。

    同時期、自䞻的に蟞職した暪山倧芳、䞋村芳山、菱田春草らずずもに、岡倉は日本矎術院を䞋谷区したやく谷䞭やなか珟・台東区に新蚭。矎術の研究ず教育、矎術展芧䌚の開催を行い、矎術界を盛り立おようずした。だが、岡倉がむンドやむギリスを蚪問したり、倧芳、春草もむンドに行くなど、日本を留守にしたこずもあっお掻動が停滞。

    光や空気を描けないかずいう、岡倉が䞎えた課題画の䜜成の䞭で、朊朧䜓もうろうたい東掋画、日本画の䌝統的な線描技法、茪郭線を甚いず、色圩の濃淡で圢態や構図、空気や光を衚すずいう技法を線み出すが、朊朧䜓で描いた䜜品の評刀が悪く、絵が売れず資金䞍足にもなっおいた。

    茚城県の五浊海岞北茚城垂に別荘六角堂を建蚭した岡倉は、翌幎、日本矎術院の第䞀郚絵画を五浊ぞ移転し、倧芳、春草、芳山、朚村歊山も移䜏。圓時、岡倉はフェノロサの玹介でアメリカのボストン矎術通にも勀務しおおり、五浊ずボストンを埀埩する生掻を送っおいた。この幎、アメリカで『茶の本』を英文で出版しおいる。

    岡倉はアメリカに回、ペヌロッパに回、䞭囜に回、むンドに回行っおおり、グロヌバルな芖点で、東掋ず西掋に接しおきた。「東ず西の文化は盞容れないが、違いを理解し、歩み寄るこずが重芁だ」ず悟り、倚様性を重んじるべきず考えお『茶の本』を䞊梓。カ囜語以䞊の蚀語に翻蚳され、日本を理解する䞀助ずなっおきた。

    幎、岡倉はボストン矎術通䞭囜・日本矎術郚長ずしお枡米し、日本矎術院は事実䞊解散状態ずなった。翌幎、岡倉は垰囜し、幎に文展ぶんおん文郚省矎術展芧䌚。その埌、垝囜矎術展芧䌚、新文郚省矎術展芧䌚を経お、日本矎術展芧䌚、日展になっおいくの審査委員に就任する。だが、䜓調が悪く静逊䞭だった岡倉は翌幎、歳で氞眠。

    文展文郚省矎術展芧䌚の運営、矎術界に䞍満を持぀倧芳や芳山らは幎、岡倉の意志を匕き継ぐ圢で日本矎術院を再興し、谷䞭を拠点ずした。菱田春草は幎に歳の若さで亡くなったが、日本矎術院に参加した倧芳、芳山、安田靫圊ゆきひこ、今村玫玅しこうらは日本の画壇を牜匕しおいく。

    『茶の本』の日本語版の完蚳が出版されるのは倩心の死埌幎埌の幎で、岩波文庫からの翻蚳本が出た倩心は号で、挢詩を䜜るずきなどに甚いおおり、通垞は芚䞉を名乗っおいた。著者名も岡倉芚䞉。

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    匟の英文孊者、由䞉郎が岩波文庫のはしがきで、メッセヌゞを寄せおいる。茶の湯や、老子荘子の思想、芞術論が語られおいるが、茶事に関する理解を芚䞉がどのようにしお埗たのか疑問に思う読者がいるかもしれないずしたうえで、以䞋のような゚ピ゜ヌドを披露。

    月に数回、幕末の有名な茶人、正阿匥しょうあみに茶を習い、幌かった私も茶宀でしびれを切らしながら参加しおいたず。アメリカ、ボストンの兄の机には陞矜の『茶経』が開かれおいたに違いないず蚘し、「兄の筆から出た著䜜の䞭では䞭略いちばん氞久性に富んだ心にくい䜜品である」ず解説しおいる。

    茶道、煎茶などの茶の本でありながら、欧米の物質䞻矩的文化に察し、東掋の䌝統文化、粟神文化の奥深さを解き明かそうずいう比范文化論のため、『茶の本』は倚くの蚀語に翻蚳され、䞖界の人々に読み継がれおきた。「茶は薬甚ずしお始たり、埌に飲甚ずなる」の曞き出しで始たり、千利䌑の自害のシヌンで終わっおいる。

    倩心蚘念五浊矎術通のホヌムペヌゞには、「通長ずめぐる倩心蚘念宀散歩」ずいう動画をアップしおいる。第回は「岡倉倩心っおどんな人」

    最終回の第回は「茶の本」をテヌマに岡倉倩心に぀いお玹介しおいる。

    東京郜

    お茶の文化創造博物通おいお茶ミュヌゞアム

    東京郜枯区東新橋1-5-3  旧新橋停車堎内
    03-6264-6751
    䌑通日 月曜日月曜日が祝日の堎合は火曜日䌑通 幎末幎始
    10:0017:00入通は16:30たで お茶の文化創造博物通は500円 おいお茶ミュヌゞアムは無料

    お茶のリヌディングカンパニヌずしお事業展開しおきた䌊藀園が創業呚幎、「おいお茶」誕生呚幎を蚘念しお、幎にミュヌゞアムを開蚭した。

    「お茶の文化創造博物通」は喫茶習慣の倉遷をテヌマに、お茶の歎史をたどり、補法や飲み方の倉化、喫茶習慣を考えるための博物通で、「おいお茶ミュヌゞアム」は日本茶を飲むシヌンを倉えた「おいお茶」に焊点を圓お、猶やペットボトルで販売されるお茶の歩み、お茶の垂堎、未来ぞの垃石を䌝える。

    「お茶の文化創造博物通」では茶道具、資料、パネル、ゞオラマを䜿った茶摘みの倉化、浮䞖絵から再珟した江戞時代の茶屋などの展瀺物から、お茶の歎史を玐解いおいく。倧画面のシアタヌルヌムでは「お茶を蟿たどる」ず題した映像を流し、お茶の䞖界に誘う。からくり人圢の茶運び人圢、荒茶機械、茞出甚のお茶の商暙ラベルの蘭字らんじなども展瀺。

    䌊藀園は、本庄正則ず八郎の兄匟によっお創業された䌁業で、匟の八郎は茶道を嗜み、裏千家茶道の䌝授ず普及を図る䞀般財団法人今日庵の理事などの芁職を務め、茶道具も蒐集。䞉井財閥を支え、䞉井物産の蚭立に関わった実業家で、茶人の益田鈍翁どんのう孝䜜の「茶杓 銘 苊竹くちく」や茶釜などを所蔵し、お茶の文化創造博物通で公開しおいる。

    「おいお茶ミュヌゞアム」は「おいお茶」がどのようにしお誕生し、ナヌザヌが望む圢にどう倉化したのか、茶畑から補造たでの取組みを公開する。お茶の専門店でしか賌入できなかった茶葉をスヌパヌマヌケットや食料品店などで手軜に賌入できる仕組みをどう構築したのかを玹介。「猶入りりヌロン茶」「猶入り煎茶」など幎以降の開発、そしお幎の「おいお茶」誕生など、時代やラむフスタむルの倉化に「お茶」がどのように察応しおきたかが分かる。

    「おいお茶ヒストリヌ」のコヌナヌでは各時代の背景や懐かしいテレビCMを攟映し、新俳句コヌナヌではオリゞナルの「新俳句シヌル」が䜜成できる。「日本茶再発芋急須を䜿ったお茶淹れ䜓隓」時間、「自分で䜜るほうじ茶䜓隓 」時間、「玄米茶を䜜っおみよう」時間などの有料䜓隓コヌナヌも備えおいる。

    お茶癟科  Webミュヌゞアム

    䌊藀園 
    東京郜枋谷区本町3-47-10
    03-5371-7111

    䌊藀園が運営するお茶に関する情報サむト。お茶の発祥、お茶の歎史、お茶の皮類日本茶、䞭囜茶、玅茶、お茶の淹れ方、お茶の成分ず健康性、お茶の産地、お茶の起源や補造工皋を玹介する「お茶のできるたで」を公開。
    お茶の補造工皋では、煎茶、抹茶、りヌロン茶、ゞャスミン茶、玅茶に加工されるプロセスをチャヌトや図解で解説しおいる。

    茶ガむド  Webミュヌゞアム

    党囜茶生産団䜓連合䌚
    東京郜千代田区内神田1-7-5 旭栄ビル54号
    03-5259-5671
    党囜茶䞻産府県蟲協連連絡協議䌚
    東京郜千代田区倧手町1-3-1 JAビル30F
    03-6271-8200

    党囜茶生産団䜓連合䌚ず党囜茶䞻産府県蟲協連連絡協議䌚が運営しおおり、「茶ができるたで」では茶のあゆみ、産地玹介、産地マップ、茶の皮類ず産地などを玹介。
    「茶の生産ず流通」では茶の生産量ず消費量の掚移など、「茶の科孊」では茶の皮類別の栄逊玠の含有量など、「茶の利甚」ではお茶を材料にした商品䟋などが分かる。

    日本茶を知る  Webミュヌゞアム

    日本茶業䜓制匷化掚進協議䌚が運営するサむトで、「Japan Tea Action」「Let’s Relax , Drink Japan Tea」を提唱する。
    日本茶業䜓制匷化掚進協議䌚は日本茶業䞭倮䌚に事務局を眮き、お茶の関係団䜓などず連携しお日本茶の需絊喚起ず茶文化の普及を目的ずする団䜓。
    東京郜枯区東新橋2-8-5 東京茶業䌚通5階
    03-3434-2001

    日本独特の文化を持぀日本茶には、矎容や健康をサポヌトする機胜やリラックス効果など、暮らしを楜しく健やかにする力があり、日本茶の玠晎らしさをアピヌル。
    「Japan Tea Action」の「日本茶を知る」では、お茶の効胜お茶でダむ゚ットアンチ゚むゞング、お茶の皮類日本茶・烏韍茶・玅茶、元はみんな同じ茶葉、お茶の産地静岡ず鹿児島は氞遠のラむバル、矎味しいお茶の淹れ方軟氎or硬氎で味が倉わる!?、お茶の掻甚術ただただあるお茶の底力 おうちで楜しむりラ技、お茶の歎史お茶を「䞀服」ずいう理由はずいった情報を提䟛しおいる。

    日本茶ドア  Webミュヌゞアム

    日本茶ドアは、日本茶業䜓制匷化掚進協議䌚が運営する、日本党囜のお茶に関する情報が怜玢できるポヌタルサむト。
    東京郜枯区東新橋2-8-5 東京茶業䌚通5階
    03-3434-2001

    矎味しいお茶を買いたい、矎味しいお茶を飲みたい、お茶料理を楜しみたい、茶噚を買いたい、お点前おたえやお茶摘みなどの䜓隓をしおみたい、お茶のむベントに参加したいなど、お茶に関する「やりたい」「知りたい」をサポヌトする。

    埌玉県

    入間垂博物通 お茶の博物通

    埌玉県入間垂二本朚100
    04-2934-7711
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌日 祝日の翌日土曜日、日曜日、祝日の堎合は開通  幎末幎始
    10:0017:00入通は16:30たで 200円

    埌玉県入間垂にある入間垂博物通は「入間の自然」「入間の歎史」「茶の䞖界」「こども科孊宀」の぀の垞蚭展があり、愛称は「アリット」。

    狭山茶の生産地である入間垂はお茶の展瀺に力を入れおおり、「茶の䞖界」では、日本ず䞖界各地の茶の文化に関する研究掻動ず情報提䟛を行っおいる。「狭山茶の生産甚具」囜の登録有圢民俗文化財や䞖界の茶噚が展瀺され、日本茶ず狭山茶の歎史をパネルや資料で解説し、埳島県の阿波番茶、富山県のバタバタ茶など、日本各地の特殊なお茶も玹介。

    埌玉には䞖玀末にお茶が䌝わり、河越茶かわごえちゃ、慈光茶じこうちゃず呌ばれる抹茶を䜜っおいたが、廃れおしたった。狭山茶は、江戞時代の埌期、珟圚の入間垂に䜏んでいた吉川枩恭よしかわ よしずみず、東京・瑞穂町の村野盛政によっお生み出された。

    狭山䞘陵で偶然芋぀けた茶の葉でお茶を䜜り、江戞で販売しようず蚈画。圓時、山城囜の宇治の氞谷宗円ながたに そうえん氞谷宗円の子孫の人が、氞谷園を創業した氞谷嘉男が考案した、茶葉を蒞す「蒞し補煎茶」が広たっおおり、吉川は京郜や滋賀に行っお補法を芖察し、宇治に人を掟遣しお、数幎間、実習をさせたず䌝えられおいる。

    氞谷宗円の「蒞し補煎茶」宗円以前のお茶は黒っぜかったが、青く緑色の仕䞊がりだったため青補あおせい煎茶補法ず呌ばれるを取り扱っおいた江戞の茶問屋、山本山の山本嘉兵衛埳最かぞえ ずくじゅんに茶を莈るず、山本は絶賛。吉川ず村野は、狭山䞘陵北麓の蟲家にお茶の栜培、補茶技術を䌝えお量産䜓制を敎え、山本山をはじめずする江戞の茶問屋ず、本栌的な取匕契玄を亀わした。

    こうしお、関東で初の「蒞し補煎茶」の産地が誕生。埌玉県ず東京郜にたたがる狭山䞘陵で育ったお茶なので、狭山茶ず呜名された。
    「色は静岡 銙りは宇治よ 味は狭山でずどめさす」
    叀くから歌い継がれおいる茶摘みの歌で、静岡県の静岡茶、京郜府の宇治茶、埌玉県の狭山茶が䞉倧銘茶ず蚀われおいる。日本五倧銘茶ず称されるのは、滋賀の朝宮茶あさみやちゃ、京郜の宇治茶、静岡の川根茶ず本山茶ほんやたちゃ、埌玉の狭山茶。

    朝宮茶は、滋賀県甲賀垂信楜町朝宮呚蟺で栜培される日本茶で、幎に延暊寺を開いた最柄が唐から茶の皮子を持ち垰り、朝宮に怍え、幎に朝廷に献䞊した歎史を持ち、日本で最も叀いお茶の産地ず蚀われおいる。

    入間垂博物通の「お茶の博物通」には、絵垫で、京焌の陶工の青朚朚米もくべいが䜜陶した急須や、京焌の陶工、仁阿匥道八にんなみ どうはちの茶道具など、貎重な茶噚や茶道具を所蔵しおおり、豊臣秀吉が千利䌑に倧坂城の城内に建おさせた茶宀を再珟しおいる。

    お茶の博物通 入間垂博物通 Webミュヌゞアム
    お茶の基瀎知識、䞖界のお茶、日本のお茶、狭山茶、怍物ずしおのチャ、䜓隓コヌナヌなどのコンテンツを掲茉しおいる。

    お茶の博物通入間垂博物通 アリット

    お茶の博物通 入間垂博物通 Webミュヌゞアムの「お茶の皮類ず䜜り方」では、緑茶、りヌロン茶、玅茶の䜜り方の違いがむラスト入りで解説されおおり、さたざたな皮類のお茶の葉ずお茶の色をカラヌ写真で玹介しおいる。

    お茶の皮類ず䜜り方入間垂博物通 アリット

    品皮茶専門店 心向暹 Webミュヌゞアム

    埌玉県所沢垂小手指町4-1-18
    042-001-6465

    心向暹の川口史暹代衚は蟲研機構 菜茶業研究所珟圚は蟲研機構 果暹茶業研究郚門に勀務し、お茶の新品皮の育皮・開発に携わった。䞇皮類を超えるお茶を飲み、お茶が持぀䟡倀、奥深さに感じ入り、品皮のお茶を専門に扱う販売䌚瀟「心向暹」を創業。茶業コンサルティングも行う。
    心向暹のホヌムペヌゞの「知る・芋る・孊ぶ」では、お茶の機胜性や成分などを玹介した「お茶のあれこれ」、お茶の品皮、品皮をマッピングしたチャヌトなどを掲茉した「品皮茶の話」で、お茶情報を発信しおいる。

    新期県

    村䞊茶 Webミュヌゞアム

    新期県村䞊垂田端町11-8
    村䞊垂芳光協䌚

    新期県の村䞊垂は、茚城県倧子町の奥久慈茶ずずもに、お茶を商業的に生産できる日本最北限の茶産地。村䞊茶は雪に芆われる厳しい冬の気候ず栜培技術によっお、独自の颚味を持った味わい深さに特城がある。

    東北地方でも昭和の初め頃たで、お茶の栜培が盛んに行われおいたが、寒冷な産地は次第に競争力を倱い廃業に远い蟌たれた。村䞊茶は江戞時代初期の幎代に栜培が始たり、村䞊藩の倧幎寄、埳光屋芚巊衛門ずくみ぀や かくざえもんが宇治や䌊勢の茶の実を買い入れ、䞻芁な地堎産業に育おようずしたのが始たりで、玄幎の歎史がある。

    新期県の北端にある村䞊茶が生き残れたのは、海岞偎のため比范的積雪量が少なく、適床な積雪が茶の朚を寒颚から保護しおくれるこず、冬期の最䜎気枩がマむナス床以䞋になるこずが少ない、などの条件に恵たれ、長幎、栜培技術を磚いおきたこずが茶産地を死守できた芁因だ。

    栜培ず補茶に改良を続け、明治時代には茶畑の面積はhaになり、補造された緑茶や玅茶は米囜のニュヌペヌクやロシアのりラゞオストクにも茞出された。幕末から明治にかけお生糞ずお茶が茞出の花圢にり、村䞊でも明治幎から玅茶の生産を始めおいる。「村䞊茶 Webミュヌゞアム」では村䞊茶の歎史、お茶の矎味しい淹れ方、䞖界で愛飲された村䞊の玅茶などを玹介。

    静岡県

    ふじのくに茶の郜ミュヌゞアム

    静岡県島田垂金谷富士芋町3053-2
    0547-46-5588
    䌑通日 火曜日祝日の堎合は翌平日 幎末幎始
    9:00~17:00入通は16:30たで 300円

    静岡県は『ふじのくに「茶の郜しずおか構想」』を平成幎に策定し、静岡茶のブランド確立、お茶のある健康で豊かな暮らしを実珟するため、「茶の郜しずおか」の掚進を決定した。

    日本䞀の倧茶園の牧之原台地にあり、博物通、茶宀、庭園、商業通を持぀「旧・島田垂お茶の郷」の「お茶の郷博物通」を幎に閉通し、新たに「ふじのくに茶の郜ミュヌゞアム」を幎に新蚭しお「茶の郜しずおか」の拠点ずした。

    垞蚭展では、お茶の起源ず䞖界ぞのお茶の広がり、日本での普及、静岡のお茶事情に぀いお、産業、文化、歎史、民俗、機胜性などの芖点から分かりやすく展瀺。茶摘み䜓隓、手揉み䜓隓、抹茶挜き䜓隓、茶道䜓隓の他、お茶のセミナヌやむベントも開催。五感で感じるむベント、講座を充実させ、お茶に぀いお楜しく孊べる機䌚を提䟛しおいる。

    䞭囜から本栌的に枡っおきた日本のお茶は幎の歎史を経お、独自の文化を圢成し、茶の湯の文化を生み出した。日本の矎術、工芞、建築、造園にも倧きな圱響を䞎えおおり、小堀遠州ゆかりの日本庭園や茶宀を蚭眮するなど、茶の湯の䞖界をミュヌゞアムの䞭に埩元しおいる。

    日本における臚枈宗の開祖、明菎栄西みょうあん えいさいは廃れおいた喫茶の習慣を日本に再び䌝えた「䞭興の祖」ずも蚀える存圚。床目に宋に枡った栄西はお茶の皮を持ち垰り、建久幎に肥前の霊仙寺りょうせんじ䜐賀県吉野ヶ里町で栜培を始め、僧䟶や貎族だけでなく歊士、庶民にも、お茶を飲む習慣が広たるきっかけずなった。

    鎌倉時代䞭期の臚枈宗の僧、円爟えんに聖䞀囜垫しょういち こくしは京郜の東犏寺を開山するなど、犅、臚枈宗の垃教に力を尜くしたが、晩幎は故郷の駿河囜に戻り、宋から持ち垰った茶の皮子でお茶の栜培を広めたため、静岡茶の始祖ず称されおいる。

    明治以降、静岡県は牧之原台地での倧茶園の開墟を掚進しお近代日本のお茶ビゞネスを支え、日本トップのお茶の生産量を鹿児島県ず競っおきたが、幎に倧きな倉化が起きた。

    蟲林氎産省の䜜物統蚈調査によるず、幎の荒茶生産量は、鹿児島県が静岡県を抜いお䜍になった。荒茶は収穫した茶葉を蒞しお也燥させたもので、補品ずしお仕䞊げ加工する前の状態。蟲氎省が統蚈を取り始めた幎から、静岡県の荒茶生産量は幎連続で銖䜍だったが、鹿児島県は悲願の日本䞀ずなった。

    郜道府県別のシェアは、䜍が鹿児島県で、䜍が静岡県の、䜍が䞉重県の。䞀番茶新茶の生産量は静岡県が今も䜍だが、鹿児島県はペットボトルのお茶などに䜿われる二番茶以降の需芁に察応しお増産し、機械化で生産性も向䞊させおきた。

    しずおかO-CHAプラザ

    静岡県静岡垂駿河区南町14-1 氎の森ビル3F しずおかO-CHAプラザ内
    054-654-3700 䞖界緑茶協䌚
    䌑通日 土曜日 日曜日 祝日 幎末幎始
    9:3016:30入通は16:00たで 無料

    静岡県は、緑茶に関する情報を囜内倖に発信し、倚くの人が緑茶に芪しみ、優れた文化性ず効胜や機胜を持った緑茶の恵みを享受できるようにするため、平成幎に䞖界緑茶協䌚を蚭立し、䞖界初の「䞖界お茶た぀り」を開催した。䞖界ぞの情報発信、日本茶の茞出促進、緑茶に関する情報誌「緑茶通信」の発行、茶文化のセミナヌや講挔䌚などに泚力。

    「しずおかO-CHAプラザ」は茶噚やお茶に関する資料、曞籍が展瀺され、お茶の知識を孊べる。日本茶むンストラクタヌらがお茶の産地や特城を説明し、そのお茶に合った矎味しい緑茶の淹れ方を教えおくれる。

    䞖界緑茶協䌚のホヌムペヌゞでは、「おしえおTea Cha!」「お茶癟科事兞」「お茶のあるおもおなし」「お茶の効胜研究成果集」を掲茉しおおり、お茶の歎史、お茶の科孊、どのようにしおお茶を䜜るのか、のお茶の皮類、日本茶・玅茶・䞭囜茶の矎味しい淹れ方、緑茶の効胜の最新研究成果を玹介しおいる。

    静岡県経枈産業郚 茶業蟲産課は『しずおか お茶の郜 マップ』を䜜補しおいる。

    https://www.pref.shizuoka.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/027/271/chanomiako_map1.pdf

    グリンピア牧之原 牧之原歎史の小郚屋

    静岡県牧之原垂西萩間1151
    0548-27-2988
    䌑通日 幎末幎始
    10:0017:00  工堎芋孊などは無料 茶摘み䜓隓は有料で芁予玄

    お茶の補造・卞を手掛ける喜䜜園は、枡邊喜久次が「䜜る喜び」を目指しお昭和幎に創業。か぀お飲料は「倏の麊茶、冬の緑茶」が䞀般的だったが、喜䜜園は緑茶を基本にしお、玅茶、烏韍茶、健康茶などを商品化しおきた。

    喜䜜園のショヌルヌムずしお平成幎に誕生したのが「グリンピア牧之原」で、お茶䜜りのプロセスが分かる工堎芋孊、お茶摘䜓隓ができ、逞品通で倚圩なお茶を販売しおいる。

    工堎芋孊通路の階スペヌスに「牧之原・歎史の小郚屋」ず銘打っお、牧之原の歎史などを玹介した歎史パネル通ず、補茶工堎で実際に䜿甚しおいた機械を玹介する補茶機械展瀺宀を幎に開蚭。

    歎史パネル通では、明治期にお茶の䞀倧産地、牧之原台地で牧之原倧茶園を開墟した歎史や、牧之原を代衚するお茶「深蒞し茶」の特色ず効胜をむラストを䜿っお分かりやすくパネルで玹介しおいる。

    補茶機械展瀺宀では、昭和初期に実際に䜿甚しおいたお茶を補造する補茶機械台を、実際に皌働する圢で動態展瀺。茶葉を蒞す蒞機じょうき、茶葉を揉もんでいく぀の機械、粗揉機そじゅうき、揉捻機じゅうねんき、䞭揉機ちゅうじゅうき、粟揉機せいじゅうきの皌働の様子を間近で芋るこずができる。

    フォヌレなかかわね茶茗舘 郷土資料通

    静岡県抛原郡川根本町氎川71-1
    0547-56-2100
    䌑通日 氎曜日 祝日の翌日 幎末幎始
    10:0016:30呈茶受付は16:00たで 無料川根茶・川根玅茶の呈茶は各300円

    倧井川に沿っお広がる緑豊かな川根本町の瞄文時代から続く町の歎史、お茶の歎史、文化などを玹介する斜蚭で、平成幎にオヌプンし、道の駅に指定されおいる。味ず銙りのバランスに優れた「やぶきた」や独特の銙りの「おくひかり」などを産出する茶業の歎史が分かる。町の名産品である川根茶の淹れ方を䜓隓したり、川根本町名物のお菓子をお茶うけに、お茶を堪胜できる茶宀や庭園を備える。

    瞄文時代からの人の暮らし、遮光噚土偶などの郷土資料を展瀺、玹介する郷土資料通を䜵蚭。地元の四季を描いた藀城枅治ふじしろ せいじの圱絵䜜品を垞蚭展瀺する「なかかわねシル゚ットギャラリヌ」もあり、特蚭展瀺の䌁画、地域䜏民によるむベントも開催される。

    日本茶 党囜茶商工業協同組合連合䌚 Webミュヌゞアム

    静岡県静岡垂葵区北番町81 茶業䌚通3階
    054-271-6161

    党囜茶商工業協同組合連合䌚党茶連のホヌムペヌゞでは、お茶に関する情報を分かりやすく玹介しおいる。
    「Go To お茶䜓隓 TEA MAP」ではお茶䜓隓ができる静岡県、愛知県、䞉重県、犏岡県、鹿児島県の䜓隓斜蚭をむラスト入りの地図ず怜玢機胜で探せるようになっおいる。
    「ニッポンどきどき探蚪 日本茶暮らしにどきどき」ではお茶の道具、日本茶の淹れ方、お茶のいろはなどを玹介。
    「未来クリ゚ヌタヌ おいしいお茶にどきどき」ではお茶ができるたで、お茶の皮類、お茶を䜿った食べ物、お茶のチカラなどをむラスト入りで解説しおいる。
    「動画」では皮類のお茶煎茶、深蒞し煎茶、玉露、焙茶の淹れ方を動画で配信する。

    知っお埗するお茶癟科  Webミュヌゞアム

    静岡県茶業䌚議所
    静岡垂葵区北番町81
    054-271-5271

    「しずおかお茶通 バヌチャル茶筒型お茶ミュヌゞアム」「お茶あれこれ」「資料」などのペヌゞがある。
    「お茶あれこれ」では、お茶の歎史、お茶の皮類、静岡県の茶業、お茶のできるたで、茶文化斜蚭の玹介、お茶の科孊サむ゚ンス、矎味しいお茶を飲むには、知らなきゃ゜ンするお茶のこず、泚目されおいる茶品皮ガむドブックずいった情報を掲茉しおいる。

    cha museum  Webミュヌゞアム

    静岡県静岡垂駿河区みずほ4-2-3
    054-259-0141

    「cha museum お茶ミュヌゞアム」は静岡の補茶、販売䌚瀟の垂川園が運営しおおり、お茶の産地、お茶の皮類、䞖界のお茶文化、お茶ができるたで、お茶ず歎史、茶葉の扱い方、お茶を楜しむ、お茶ず健康などのテヌマで情報を発信しおいる。

    珟圚のお茶凊、静岡の起こりは鎌倉時代の人の高僧にあるず、静岡県民は特別な思いず感謝の気持ちを持っおいるずいう。
    その人ずは、日本の臚枈宗の開祖で、日本でお茶を普及させた明庵栄西みょうあん えいさい千光囜垫、京郜の東犏寺を開山し、静岡茶の始祖ずされる静岡出身の円爟えんに聖䞀囜垫しょういち こくし、同じく静岡に生たれ、宋から茶釜など茶道具や茶に関する曞籍を持ち垰り、日本の草庵匏茶道の創立者ず呌ばれる南浊玹明なんぜ じょうみょう円通倧応囜垫だ。

    歎代の倩皇や䞊皇から、「囜の垫」ず認める高僧に莈る称号の「囜垫」の諡号しごう死埌に、生前の行いを尊んで莈る名前を莈られるため「䞉囜垫」ず呌ばれおいる。

    「cha museum お茶ミュヌゞアム」のお茶の生産量や消費量などのデヌタは幎時点のもので、曎新されおいないのは残念。

    静岡茶発祥の地 足久保 Webミュヌゞアム

    足久保ティヌワヌクス茶蟲業協同組合
    静岡県静岡垂葵区足久保口組2082-2
    054-296-6700

    鎌倉時代の高僧、聖䞀囜垫しょういち こくしが䞭囜の宋から持ち垰ったお茶の皮を播いたのが足久保静岡垂葵区で、「静岡茶発祥の地」ずされる。安倍川に流れ蟌む支流の足久保川流域は昌倜の倧きな寒暖差ず、沞き立぀霧が盎射日光を遮っお倩然の芆おおいずなり、じっくりず茶葉を育おるずころに足久保茶の特色がある。

    駿府静岡県に隠居した埳川家康は茶の湯を奜み、頻繁に茶䌚を催し、お茶の貯蔵甚斜蚭「埡茶蔵」を、倏でも涌しい井川静岡垂葵区の倧日峠だいにちずうげに建おた。埳川綱吉の時代の延宝幎に、足久保から煎茶を江戞城に玍めたこずが蚘録に残っおおり、足久保茶は「将軍家埡甚達の高玚茶」ずしお広く知られおいた。

    足久保ティヌワヌクス茶蟲業協同組合は足久保の茶蟲家玄軒が集たり、平成幎に発足。ホヌムペヌゞでは足久保茶の歎史や特色、茶補造ぞのこだわりを玹介し、党垭屋倖のオヌプンテラスカフェ「はじたりの玅茶」の案内もしおいる。

    以䞋のでも「静岡茶発祥の地 足久保」の取組みや足久保茶の特色を写真やむラストを亀えお解説する。 

    袋井垂茶文化資料通

    静岡県袋井垂高尟783-4 建物2階
    0538-42-4876
    䌑通日 月曜日金曜日 幎末幎始 開通は土曜日、日曜日
    10:0016:00  無料

    静岡県は日本有数の茶どころずしお知られ、䞭でも袋井垂は、静岡県内で叀くから茶栜培をしおいた地域の぀。その袋井垂にある「袋井垂茶文化資料通」は、䞖界の茶文化に関する資料や茶道具を展瀺するミュヌゞアムだ。

    茶を単なる飲み物ではなく、人々の暮らしや文化、歎史を映し出す存圚ずしお玹介。日本茶をはじめ、䞭囜、モンゎル、チベット、むンド、東南アゞアなどの茶文化を孊ぶこずができる党囜的にも珍しい資料通である。

    資料通の栞ずなるのが「束䞋コレクション」。束䞋コレクションずは、元愛知倧孊囜際コミュニケヌション孊郚教授で、茶文化研究者ずしお知られた束䞋智さずるが長幎に枡り収集した茶文化資料矀のこず。

    玄幎間、茶文化の研究を続け、䞭囜や東南アゞア、むンドなどぞ回以䞊足を運び珟地調査を行ない、収集した茶噚や茶道具、民族資料、文献資料は玄点に及ぶ。束䞋コレクションを、平成幎に袋井垂ぞ寄莈し、翌幎に袋井垂茶文化資料通が開通した。

    䞭囜の茶噚や急須、チベット高原で䜿甚された茶道具、モンゎルの金属補急須、東南アゞアの喫茶甚具、茶葉や固圢茶、日本各地の補茶道具など、倚様な資料が含たれる。茶文化に関する専門曞や研究資料、写真、民族衣装なども収蔵され、䞖界の茶文化を総合的に理解できる孊術資料ずなっおいる。

    束䞋が袋井垂に資料を寄莈した背景には、長幎の亀流があった。袋井茶文化促進䌚ず深い芪亀を持ち、袋井垂が叀くから茶文化ず関わりの深い地域であるこずを高く評䟡しおいた。特に、袋井垂浅矜地区には静岡県最叀玚の茶栜培の蚘録が残されおいる。こうした歎史的背景を持぀地域であれば、自らが生涯をかけお収集した資料を有効に掻甚し、広く垂民や来通者に䞖界の茶文化を䌝えおくれるず考えたのである。

    袋井垂はコレクションを保存・公開するため資料通を敎備し、茶文化の普及掻動を進め、資料通は長らく袋井垂圹所浅矜支所階に蚭眮されおいた。しかし、浅矜支所の建物が「袋井垂こども亀流通あそびの杜」ぞ改修されるこずになり、資料通は什和幎月に移転し、リニュヌアルオヌプンした。

    新しい展瀺空間では、䞖界各地の茶文化を䜓系的に孊べる構成ずなり、䌁画、管理、運営は「束䞋コレクションを掻かす䌚」が担っおいる。資料通の最倧の魅力は、䞖界各地の倚様な茶噚を䞀床に芋るこずができる点である。

    展瀺宀には䞭囜の急須が数倚く䞊ぶ。䞭でも泚目されるのが、日本の暪手急須取っ手が暪に぀いた急須の原型ずされる䞭囜の急須で、日本茶文化の発展を考える䞊でも重芁な資料ずなっおいる。

    さらに、石を削っお䜜られた急須や、家の圢を暡した工芞的急須など、矎術工芞品ずしおも䟡倀の高い䜜品が展瀺されおいる。竹補の芳賞甚急須や保枩噚付きの急須などもあり、䞭囜茶文化の倚様性を感じるこずができる。

    茶噚の玠材も陶噚だけではなく、竹、朚、金属、石などがあり、地域ごずの自然環境や文化の違いが茶噚の圢ず玠材に反映されおいるこずが分かる。

    モンゎルやチベットの展瀺も興味深い。これらの地域では日本のような煎茶せんちゃ茶葉に湯を泚いで抜出する茶ずは異なる茶文化が発達した。遊牧生掻を送るモンゎルでは、乳補品を加えた茶が飲たれ、そのため、頑䞈な金属補の急須や携垯しやすい茶噚が発達しおいる。

    チベットでは高地の厳しい気候の䞭で暮らす人々が、バタヌ茶茶にダクの乳から䜜るバタヌを加えた飲み物を日垞的に飲んできた。展瀺品からは、それぞれの地域の生掻様匏ず茶文化の深い結び付きが分かる。

    東南アゞアの展瀺では、茶だけではなく檳抔びんろうダシ科怍物の実を噛む嗜奜品文化に関する甚具も玹介されおいる。竹補のカップなど、身近な自然玠材を掻甚した生掻文化の知恵を芋るこずができる。「お茶を飲む」ずいう行為でも、地域によっお道具も䜜法も倧きく異なっおいる。

    日本の補茶技術を䌝える資料も充実しおいる。手もみ補茶機械を䜿わず手䜜業で茶葉を加工する方法や、釜炒り茶かたいりちゃ釜で炒っお補造する茶の補造に䜿われた道具を展瀺。こうした資料は、近代化以前の日本の茶づくりを知る䞊で重芁な文化財的䟡倀を持぀。

    たた、茶葉そのものや団茶だんちゃ茶葉を固めお成圢した茶、人頭茶じんずうちゃ人の頭郚を暡した圢状の団茶なども展瀺されおいる。珟圚の日本ではあたり芋られない茶の圢態を知るこずができる。

    富山県

    バタバタ茶䌝承通

    富山県䞋新川郡朝日町蛭谷484
    0765-84-8870
    䌑通日 火曜日 朚曜日 日曜日 冬季12月䞋旬2月末
    10:0015:00  䜓隓無料

    バタバタ茶䌝承通は平成幎にオヌプンし、朝日町の特産品、バタバタ茶の詊飲䜓隓や、加工䜜業の芋孊も可胜な斜蚭。宀町時代に、真宗本願寺第䞖の蓮劂䞊人が文明幎に蛭谷びるだにを蚪れ説法したずき、すでに飲たれおいた黒茶を提䟛し、蓮劂が喫茶したず䌝わっおいる。

    バタバタ茶は埌発酵茶で、䞭囜䌝来の補法で䜜られる。プヌアヌル茶に䌌た補法で、真倏の暑い時期に朚桶に挬け蟌み、玄ヶ月かけお乳酞発酵させる。お茶をたおるずき、あわただしくバタバタず茶せんを振る動䜜にちなんで「バタバタ茶」ず名付けられた。

    江戞時代初期の肥前囜の陶工、高原五郎八によっお造られた、普通よりやや倧きい飯茶碗の五郎八茶碗ごろはちぢゃわんに煮出したお茶を泚ぎ、茶筅で倧きな音を響かせお泡立おるのが特色。か぀おは各家庭の囲炉裏にかけた茶釜に黒茶を煮出しおおき、家族や近所の人が囲炉裏を囲んでお茶を飲んで話をしたり、挬物を食べたりする亀流の堎に欠かせないものであった。

    侉重県

    四日垂垂茶業振興センタヌ

    䞉重県四日垂垂氎沢町252-63
    059-329-3367
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌平日 幎末幎始
    9:0016:00  無料

    䞉重県は荒茶生産量は鹿児島県、静岡県に次いで党囜䜍で、䞉重県北郚を䞭心に䜜られおいる「かぶせ茶」は日本䞀の生産量を誇る。かぶせ茶は、茶葉を刈り取る週間ほど前に、茶畑に黒い芆おおいをかぶせ、煎茶より味わい深いお茶に仕䞊げおいる。玉露の生産でも党囜トップ。

    茶業振興センタヌがある四日垂垂氎沢すいざわ地区では、平安時代の延喜幎間幎幎に、空海匘法倧垫が飯盛山浄林寺氎沢町。珟圚は䞀乗寺の䜏職である玄庵に唐䌝来の補茶の教え、お茶の栜培が始たったず蚀われおいる。昌倜の枩床差が倧きく、氎はけのよい土壌であるこずも、高品質のお茶が育぀条件ずなっおいお、叀くからお茶の産地ずしお知られおいる。

    四日垂垂茶業振興センタヌは幎に蚭眮され、幎に移転。䌊勢茶やお茶ができるたでを解説したパネル、お茶の道具、䜿われおいた補茶機械、茶刈り機などが展瀺され、お茶の歎史の説明を聞いたり、補茶工堎の芋孊もできる。

    束阪垂飯南茶業䌝承通

    䞉重県束阪垂飯南町粥芋1125-1
    0598-53-4181 束阪垂蟲氎振興課
    䌑通日 土曜日 日曜日 祝日 幎末幎始
    8:3017:00 予玄があったずきだけ開通

    束阪垂飯南茶業䌝承通 | 芳光スポット | 芳光䞉重(かんこうみえ)
    䌊勢茶の産地ずしお有名な束阪垂飯南町にある茶の資料通で、茶業振興ずお茶の補造技術の䌝承を図り、茶の歎史ず茶情報の発信拠点ずなっおいる。䌊勢地方独特の補法である深蒞し煎茶の補造や栜培方法をパネル、資料で分かりやすく展瀺し、茶の歎史、お茶の文化を玹介。深蒞し煎茶は、煎茶ずほが同じ補法だが、蒞す過皋で煎茶より長く深く蒞すこずで倚くの成分が浞出され、色が濃く、ほどよい枋味があるものの、苊味の少ない、たろやかなお茶になる。

    南䌊勢地域最倧の茶産地である束阪垂の西郚に䜍眮する飯南・飯高地域で生産される深蒞し煎茶を、誰もが芪しみやすい「束阪茶」ず呜名。枩暖な気候ず豊かな土質、櫛田川くしだがわが生む朝霧に包たれた束阪茶を、深蒞し煎茶の最高玚ブランドに育おおきた。

    䌊勢茶  Webミュヌゞアム

    䌊勢茶掚進協議䌚

    䌊勢茶掚進協議䌚は䌊勢茶の啓蒙宣䌝を目指す組織で、䞉重県内の぀のお茶の組織、䞉重茶蟲業協同組合、党蟲䞉重県本郚北勢茶センタヌ、党蟲䞉重県本郚南勢茶センタヌで構成されおいる。「䌊勢茶」は䌊勢茶掚進協議䌚が運営しおおり、䌊勢茶を知る、お茶づくりを知る、お茶を知る、急須で緑茶を飲もう、食茶緑茶を矎味しく食べるなどの情報を発信。

    「千幎以䞊前から芪したれおいる䞉重の銘茶、䌊勢茶」では、定番茶皮の特城、お茶の皮類、お茶生産者の仕事などを図解で玹介しおいる。

    https://www.isecha.net/isecha_panf.pdf

    京郜府

    お茶ず宇治のたち歎史公園 茶づな

    京郜府宇治垂莵道䞞山203-1
    0774-24-2700
    幎䞭無䌑
    9:00~17:00入通は16:30たで ミュヌゞアム入堎料600円

    宇治橋からほど近い、宇治川沿いに䜍眮する歎史公園にある「史跡宇治川倪門堀跡」は、玄幎前、豊臣秀吉倪門秀吉が䌏芋に陞路ず氎路を集玄するために築いた倪門堀で、護岞では圓時の石積み技術が残る石垣を芋るこずができる。

    宇治の魅力を発信する「お茶ず宇治のたち亀流通『茶づな』」では、展瀺や映像により宇治の歎史を玹介し、茶摘みや石臌から挜いた抹茶䜜りなどのさたざたな䜓隓プログラムを甚意。展望テラスや広堎もあり、茶園の景芳を再珟したのが修景茶園、野点の庭、氎蟺の庭などの宇治の景色を楜しみ、季節の移り倉わりを感じながら散策を楜しめる。

    歎史公園では、宇治茶の魅力ず宇治の歎史・文化ぞ誘う玄関口ずしお、「史跡ゟヌン」ず「亀流ゟヌン」に分けお敎備。デゞタルサむネヌゞ「宇治たちあるき」では宇治の名所や街の芋どころをタッチパネルで玹介。有料゚リアのミュヌゞアムでは、どのようにしおお茶を䜜るのか、宇治茶の歎史、玉露ず煎茶の違い、矎味しいお茶の淹れ方などをデゞタル展瀺で解説し、手で觊れお䜓感できる。ハむビゞョンの倧スクリヌンで「うじ名所図䌚めいしょずえ」を䞊映しおいる。

    宇治・䞊林蚘念通

    京郜府宇治垂宇治劙楜38
    0774-22-2509
    䌑通日 金曜日 8月13日16日 12月30日1月5日
    10:0016:00 200円

    宇治・䞊林かんばやし蚘念通は、江戞幕府や朝廷の埡甚茶垫を務めおいた宇治茶の老舗、䞊林春束かんばやし しゅんしょう家が開蚭したお茶に関するミュヌゞアムで、昭和幎に開通した。蚘念通の建物は「長屋門」ず称され、将軍家の埡甚を務めた宇治茶垫うじちゃしの独特なもの。

    䞊林春束家に䌝わる宇治茶、宇治茶垫に関する資料などを収蔵、展瀺。豊臣秀吉、叀田織郚、小堀遠州などが䞊林家に宛おた曞状、堺の町人の呂宋るそん玍屋助巊衛門によっおル゜ン島を経由しお茞入された呂宋壺、補茶図補造工皋を詳现に描いたもの、秀吉の茶䌚蚘、埳川将軍家の埡茶壺道䞭おちゃ぀がどうちゅうに䜿われた茶壺、さたざたな茶道具など、倩䞋第䞀の名声を誇った宇治茶の歎史を垣間芋れる。

    宇治は倩領で、埡茶垫おちゃし宇治茶を生み出し、将軍家の埡甚を務める特定の家の町であった。町を代衚するのは宇治郷代官で、埡茶垫の頭取である䞊林家。豊臣秀吉の頃、䞊林家の始祖である䞊林掃郚久茂かもん ひさもちは、千利䌑が点たおる茶を䜜っおいた。

    江戞幕府は、埡茶壺道䞭宇治から埳川将軍家埡甚達の茶を江戞城に運ぶ宇治採茶䜿うじさいちゃし䞀行の行列を毎幎行なっおいた。有力藩の藩䞻もそれぞれの埡茶垫を抱えお扶持を䞎え、領内での特暩を蚱した。

    埡茶垫には、埡物ごも぀埡茶垫、埡袋おふくろ埡茶垫、埡通おずおり埡茶垫ず呌ばれる぀の階玚があり、埡物埡茶垫は将軍の喫する茶ず、将軍から朝廷や日光や久胜山などの菩提所ぞ献ずる茶を調達する茶垫で、最高の栌匏を持っおいた。埡物埡茶垫は圓初家で組織されおいたが 元犄幎間に家に増えた。

    埡袋埡茶垫は、歎代の将軍が、江戞城内の玅葉山東照宮に奉玍する茶壺に、極䞊新茶を袋ず぀を詰め加える栄誉を担い、埡通埡茶垫は、埡袋埡茶垫ずずもに幕府の甚いる倚量の茶を玍入する圹割を䞎えられおいた。埡物茶垫は、埳川綱吉の時代に、䞊林味卜みがく、䞊林春束、䞊林平入ぞいにゅう、長井貞甫、酒倚宗有さかた そうゆう、尟厎坊有庵、星野宗以、䞊林䞉入さんにゅうの名が定めら、元犄幎間に堀真朔、長茶宗味、蟻善埳の名が加えられお名ずなった。

    童謡の「ずいずいずっころばし」に以䞋のような歌詞がある。
    「茶壷に远われお茶壷道䞭が来るので家の䞭に入っおトッピンシャン戞をピシャリず閉めおやり過ごす、抜けたら通過したらドンドコショやれやれず䞀息぀く」
    顔を䞊げお埡茶壷道䞭を芋るこずは蚱されず、庶民は通り過ぎるのをじっず埅っおいたようで、将軍家の暩嚁、お茶の重芁性を象城するもの、ず解釈されおいる。

    埡茶壺道䞭の制床は、埳川家光が幎に制定しおから慶応幎たで、幎間、続けられた。埡茶壷道䞭は、倚い時には人を超える人々が個以䞊の茶壷を運ぶ、絢爛豪華な行列であったず䌝えられおいる。

    元犄幎に宇治で倧火が起こり、優良な茶園や補茶のための斜蚭が被害を受け、これを契機に、朝廷や幕府に奉玍する茶を調達する埡茶垫にのみ蚱されおいた芆䞋栜培おおいしたさいばいが近圚の蟲民にも認められるようになり、宇治の茶垫たちにずっおは倧きな打撃ずなった。

    䞊林蚘念通の建物の長屋門、䞊林春束家の建造物は、文化庁から「宇治の重芁文化的景芳」に遞定され、日本遺産ずしお文化庁が認定した「日本茶幎の歎史散歩」にも入っおいる。

    「宇治・䞊林蚘念通」のWebミュヌゞアムでは、茶壺、茶碗、花入れ、茶垫の長門門などが写真入りで解説されおいる。

    「䞊林春束家の歎史」は以䞋ので芋るこずができる。

    「綟鷹物語」では、コカコヌラ瀟が新しい緑茶飲料ブランドずしお立ち䞊げた「綟鷹」、䞊林春束本店、緑茶にた぀わる歎史を玹介しおいる。

    䞉䌑庵・宇治茶資料宀

    京郜府宇治垂宇治蓮華27-2
    0774-21-2636
    幎䞭無䌑
    9:0017:00  無料

    鎌倉時代の初期、栄西犅垫が日本に䌝えたお茶は、京郜の北、栂尟ずがのおの高山寺こうざんじ近くの土地に怍え、その埌、宇治でも栜培されるようになり、本栌的に栜培する茶園がいく぀も蚭けられた。

    日本の䞀倧ブランドずなった宇治茶では、その埌、将軍や倧名の庇護を受けた茶垫が誕生しお、お茶の生産、販売に倧きな力を発揮。埳川将軍家埡甚埡茶垫の歎史を持぀䞉星園み぀がしえん䞊林䞉入 さんにゅう本店では、豊臣秀吉や埳川家康、千利䌑の曞状やお茶壷道䞭に䜿われた道䞭箱など、宇治茶の歎史を䌝える資料を数倚く所蔵しおいる。

    䞉䌑庵・宇治茶資料宀は、䞊林䞉入本店に䌝えられた歎史資料の保存ず掻甚を目的ずしお、宇治茶の歎史や文化に関する研究の成果ず、䞊林䞉入の資料を展瀺し玹介。諞倧名奜みの茶壷、豊臣秀吉愛甚の金タレ茶臌、お茶壺道䞭で䜿甚された道䞭箱、豊臣秀吉、埳川家康、千利䌑、现川䞉斎、小堀遠州、金森宗和、春日局、束平䞍昧公、鍋島勝茂、䌊達政宗などの曞状や叀文曞、店舗や䜜業颚景の写真など、宇治の歎史を知るこずができる。

    犏寿園 CHA遊孊パヌク

    京郜府朚接川垂盞楜台3-1-1
    0774-73-1200
    䌑通日 金曜日、8月13日16日、12月30日1月5日
    10:0016:00 1600円

    京郜・朚接川垂に本瀟を眮く補茶䌚瀟犏寿園は寛政幎の創業で、緑茶の茶葉、抹茶、ほうじ茶などの日本茶だけでなく、茶道に䜿う茶噚、茶道具、玅茶や菓子類なども取り扱う。

    犏寿園 CHA遊孊パヌクは芋孊者、䜓隓垌望者が楜しめる斜蚭で、枩宀での茶栜培、研究開発も行っおいる。犏寿園は茶をCHA シヌ・゚むチ・゚ヌず捉え、Culture文化、Health 健康、Amenity 快適を远求するティヌラむフ創造䌁業を目指す。

    プロモヌション宀では、お茶の歎史や皮類、補造工皋犏寿園の歎史などを資料、パネル映像などで玹介。䞖界の茶研究宀では、䞖界各地で飲たれおいるお茶の文化圏を぀のブヌスに分けお展瀺し、䞖界のティヌラむフが分かるようテヌブルセッティングもしおいる。

    緑豊かな茶園やパヌク内の芋孊、日本茶や䞖界のお茶に関する䜓隓ができ、䜓隓コヌスは茶摘み䜓隓、石臌䜓隓、ほうじ茶䜜り䜓隓、お茶の淹れ方教宀、䞖界のお茶䜓隓、茶道マナヌ教宀、抹茶䞀服䜓隓など盛り沢山。

    犏寿園の瀟名の「犏」は幞いの犏、創業家の犏井家の犏、「寿」は歳を指す「茶寿」にちなんでおり、茶園の「園」を付けお呜名。茶の挢字を分解するず、十ず十、それに八十八ずなり、合蚈するずで、歳は茶寿ず呌ばれる。

    犏寿園は台湟、マレヌシア、シンガポヌル、アメリカ、カナダ、ブラゞル、ペヌロッパなどカ囜以䞊のスヌパヌマヌケットや癟貚店でお茶を販売しお䞖界展開を進め、サントリヌずのコラボレヌションブランド「䌊右衛門」も発売しおいる。

    愛媛県

    霧の森茶フェ 新宮茶ミュヌゞアム

    愛媛県四囜䞭倮垂新宮町銬立4491-1
    0570-07-3111 道の駅 霧の森
    䌑通日 月曜日祝日の堎合は翌日 4月8月は無䌑 幎末幎始
    10:0017:00入通は16:30たで 無料https://www.kirinomori.co.jp/mori/chafe/

    四囜のお茶産業発祥の地は四囜䞭倮垂の新宮しんぐうで、ダマチャずいう自然茶朚が旺盛に育ち、お茶に適した気候ず土壌が備わっおいる。四囜のほが䞭倮にある四囜䞭倮垂は川之江垂、䌊予䞉島垂、土居町、新宮村の垂町村が平成幎に合䜵しお誕生した。

    新宮茶にスポットを圓お、新宮茶の誕生、蟲薬に頌らず育おられる新宮茶の特色などを資料、パネルなどで玹介。日本茶に関する図曞を集めたラむブラリヌも備え、お茶に関する情報を提䟛する。街道茶店「聎氎庵」ちょうすいあんでは新宮茶を実際に飲み比べ、味の違いや淹れ方のポむントを霧の森の日本茶むンストラクタヌが解説。コヌスによっお所芁時間、料金が異なる。

    囲炉裏、堀炬燵ほりごた぀、土壁぀ちかべ、䞉和土たたきなど再珟した叀民家颚の新宮茶専門カフェでは、甘み、枋み、苊みを感じられるお茶や、お茶を䜿ったプリンやケヌキを提䟛しおいる。

    高知県

    碁石茶公匏サむト Webミュヌゞアム

    高知県長岡郡倧豊町黒石343-1
    倧豊町碁石茶協同組合
    0887-73-1818

    碁石茶ごいしちゃは、東南アゞアに接する山間郚䞭囜雲南省から四囜ぞ䌝わったず蚀われおおり、江戞時代は土䜐藩の䞻芁生産物で、明治たで特産品であった。

    無蟲薬、無添加、手䜜りで䜜っおおり、茶葉の間の空気の局が怍物性乳酞菌を育おた完党発酵茶。倩日干しで也かす様子が碁石の黒のように黒い䞞のため碁石茶ず名付けられた。

    昭和になり、過疎化ず高霢化が進んで生産者が枛少し、昭和幎代には軒になり、党囜で唯䞀、碁石茶を䜜り続けたのが、四囜のほが䞭倮郚にある山間郚の高知県倧豊おおずよ町の小笠原家だった。

    昔から「胃腞にやさしい」ずされる茶粥の愛奜家たちから切望され、生産を続けおいた。それが、近幎の健康ブヌムや発酵食ブヌムで碁石茶が泚目され、䌝統の補法ず発酵に䞍可欠なカビを他の蟲家に䌝承し、生産量も増やしお倧豊町碁石茶協同組合を蚭立。碁石茶を商暙登録しおいる。

    碁石茶のホヌムペヌゞでは、碁石茶の歎史、補法、乳酞発酵の仕組み、発酵茶の効胜などを玹介し、「ギャラリヌ」では碁石茶のポスタヌを掲茉。碁石茶は、日本各地の豊かな食文化を守り育おるために蚭眮された「本堎の本物」ブランドに認定されおいる。

    薩摩半島民俗文化博物通が「碁石茶の歎史ず民俗」をむンタヌネットで玹介。碁石茶の䜜り方・䜿い方、碁石茶補造民具道具の倉容衚を公開。

    犏岡県

    茶の文化通 展瀺゚リア

    犏岡県八女垂星野村10816-5
    0943-52-3003
    䌑通日 火曜日祝日、5月、倏䌑み期間䞭は開通
    10:0017:00  無料

    犏岡県八女垂やめしを䞭心ずする筑埌地方は八女茶の産地で、「奥八女」ず呌ばれる黒朚町、䞊陜町、矢郚村、星野村は急峻な山ず枅流があり、寒暖差が倧きく、より高品質なお茶ができる。

    「星のふるさず公園」がある星野村は倧分県ずの県境に䜍眮する芳光スポットで、棚田や茶畑が広がる里山の颚景は「日本の里遞」に遞定され、「星のふるさず公園」にある「茶の文化通」の展瀺゚リアでは、お茶の生育、補法、皮類などをパネルやモニタヌで分かりやすく玹介。

    明から垰朝した臚枈宗の僧、栄林呚瑞えいりん しゅうずいは応氞幎間幎幎、八女垂黒朚町にあった岩の䞊で座犅を組んでいた。その姿を芋た庄屋の束尟倪郎五郎久家は寺を建おお呚瑞に寄進したのが霊巌寺れいがんじの始たりで、明から持ち垰った茶の実を久家に䞎えたのが八女茶の起源ずされる。

    隣接する黒朚町の霊巌寺から八女茶の栜培が星野村に䌝わり、明治になっお、本星野地区名の末喜垂すえざき きいちが京郜の宇治で玉露の補法を孊び、「星野玉露」が明治幎に始たった。

    藁芆いわらおおいによる被芆栜培、手摘みによる摘採おきさいを守り続け、最高品質の玉露を生産。䞹粟蟌めお育くたれた玉露は特に「䌝統本玉露」ず名付けられ、「玉宝石の露」ず呌ぶにふさわしい銥郁ふくいくたる銙り、濃厚な旚みを持぀。

    お茶の楜しめる呈茶ホヌル、お茶䜜りを䜓隓ができる八女茶工房、本栌的な茶宀、食事凊の八女茶寮などがあり、呈茶ホヌルで䌝統本玉露をしずく茶床ほどに冷たしたお湯を茶怀に泚ぎ、ふたをしおじっくり浞出し、ふたを少しずらしお飲むや、抹茶、和玅茶を味わえる。

    八女茶発祥幎、䌝統を継承する。  Webミュヌゞアム

    犏岡県茶業振興掚進協議䌚
    犏岡県八女垂亀甲55-1
    0943-25-2887

    八女茶は、今から玄幎前の応氞幎宀町時代䞭期、䞭囜の明囜で犅の修行をしお垰囜した栄林呚瑞えいりん しゅうずい犅垫が持ち垰ったお茶の皮子を、筑埌囜鹿子尟村珟・八女垂黒朚町笠原の庄屋、束尟倪郎五郎久家に䞎え、補茶法を䌝えたこずに始たるずされおいる。
    江戞時代には倧坂などに販売し、宇治匏の栜培、補茶法を取り入れ、明治以降、八女茶は倖貚を皌ぐ重芁な茞出品ずなった。珟圚、犏岡県は栜培面積が党囜䜍で、荒茶生産量は党囜䜍。玉露の生産は党囜䜍。

    八女茶の情報サむトは犏岡県茶業振興掚進協議䌚が運営しおおり、八女茶の歎史、八女茶の特城、八女茶が出来るたで、「犏岡の八女茶」生産地、お茶の皮類、お茶の効果・効胜、矎味しいお茶の淹れ方、八女茶の生産抂芁・生産基盀を玹介。
    動画の「八女茶の特城」「八女茶の皮類」「䌝統本玉露」などもアップしおいる。

    ★お茶の里蚘念通  閉通

    犏岡県八女垂黒朚町笠原9528-1
    八女茶発祥の地である黒朚町の霊巌寺の近くにあり、お茶の歎史を䌝える資料展瀺宀ず黒朚町特産品売堎があったが、閉通。

    霊巌寺の開祖、栄林呚瑞が䞭囜の明から垰囜し、持ち垰った茶の実を、寺を寄進した庄屋に䞎えたのが八女茶の始たりずされる。「奥八女」ず呌ばれる黒朚町、䞊陜町、矢郚村、星野村は急峻な山ず枅流があり、寒暖の差が倧きいこずから高品質なお茶を生産しおきた。「お茶の里蚘念通」が所蔵しおいたお茶関連の資料は八女垂が保管しおおり、奥八女にある斜蚭を利甚し、期間限定で展瀺されるこずもある。 

    䜐賀県

    うれしの茶亀流通「チャオシル」展瀺宀

    䜐賀県嬉野垂嬉野町倧字岩屋川内乙2707-1
    0954-43-1991
    䌑通日 火曜日祝日の堎合は翌平日 幎末幎始
    9:0017:00  展瀺宀ず工堎芋孊は無料

    うれしの茶亀流通「チャオシル」はお茶を孊び、お茶に觊れ、お茶を味わい、人ずの亀流を通じおお茶を知るこずができる斜蚭で、嬉野垂茶業研修斜蚭、嬉茶楜通きんさらんかんの暪に平成幎に開通した。

    展瀺宀ではお茶の歎史、うれしの茶の誕生、うれしの茶の特色、お茶ができるたでの工皋などを孊べ、お茶補造の道具、お茶を運ぶ手段などを展瀺。蒞し補玉緑茶ず釜炒り茶の加工工皋などの工堎芋孊もできる。日本での臚枈宗の開祖、明菎栄西は廃れおいた喫茶の習慣を日本に再び䌝えた「䞭興の祖」ずも蚀える存圚で、床目に宋に枡った栄西はお茶の皮を持ち垰り、建久幎に肥前の霊仙寺りょうせんじ䜐賀県吉野ヶ里町で栜培を始め、貎族や僧䟶だけでなく歊士、庶民にも、お茶を飲む習慣が広たるきっかけずなった。

    栄西は『喫茶逊生蚘』を著わしお、お茶の皮類や抹茶の補法、身䜓を壮健にする茶の効甚、病気ぞの甚法を説き、お茶の魅力を䌝えおいる。お茶は矎術、工芞、建築、造園、文化に倧きな圱響を䞎えおおり、茶摘み䜓隓、釜炒り䜓隓、お茶の淹れ方教宀、嬉野枩泉の枩泉氎を䜿った茶染め䜓隓など、お茶に関するさたざたな䜓隓ができる。

     -  Webミュヌゞアム

    西九州茶蟲業協同組合連合䌚
    䜐賀県嬉野垂嬉野町倧字䞋野䞙1783-1
    0954-43-3228

    䜐賀県ず長厎県は有田焌、䌊䞇里焌、波䜐芋焌はさみやきなど焌き物で有名だが、「西九州のお茶どころ」ずしおも知られる。嬉野町うれしのちょうを筆頭に、その呚蟺でお茶の栜培が広く行われおおり、「うれしの茶」の産地ずなっおいる。

    「 -」では西九州の茶所・芋所、お茶のチカラ、品質にこだわるうれしの茶、うれしの茶などを掲茉。うれしの茶を䜿ったボディ゜ヌプ、シャンプヌなどスキンケア商品なども玹介。

    熊本県

    くたもず茶  Webミュヌゞアム

    くたもず茶ブランド確立察策協議䌚
    熊本垂䞭倮区氎前寺6-18-1 熊本県蟲産園芞課内
    096-333-2390

    熊本県の荒茶生産量、栜培面積は党囜䜍で、囜内有数のお茶の産地。蒞し補玉緑茶の生産が県内䞀円で行われおいお、玉緑茶の生産量は党囜䜍。蒞し補玉緑茶は募玉たがたた叀代の日本の装身具で、の字のように曲がっおいるのような圢状で、グリ茶ずも呌ばれる。グリ茶は党囜トップを競う生産量を誇っおいる。

    煎茶は球磚、菊池、芊北あしきた地域熊本県南郚などで生産され、釜銙かたかず呌ばれる、独特の銙ばしく爜やかで、心地よい銙りが特城の「釜炒り茶」は山郜町やたずちょう熊本県東郚にある町や倩草垂を䞭心に生産されおいる。
    「くたもず茶」では熊本県産のお茶の皮類、熊本県産のお茶の産地を掲茉し、「くたもず茶」の動画も配信。

    宮厎県

    倪陜を䞞呑み みやざき茶 Webミュヌゞアム

    みやざき茶掚進䌚議
    宮厎県宮厎垂橘通東2-10-1 宮厎県庁・蟲産園芞課内
    0985-65-3334

    「倪陜ず緑の囜」ず称される宮厎県は枩暖な気候ず適床の降雚、肥沃な倧地に恵たれ、お茶の栜培に適した環境で、茶園の面積は党囜䜍、荒茶生産量は党囜䜍のお茶倧囜ずなっおいる。
    生産しおいる堎所は沿海から暙高メヌトルの山間地たで広く分垃し、宮厎県内党域で煎茶ず蒞し補玉緑茶が生産され、䞀郚で碟茶おんちゃ抹茶の原料ずなるお茶、玅茶も生産。西北山間地は党囜䞀の「釜炒り茶」の産地ずしお知られおいる。

    みやざき茶掚進䌚議が運営するホヌムペヌゞの「倪陜を䞞呑み みやざき茶」では、みやざき茶の抂芁、みやざき茶の歎史、宮厎県内の品皮、宮厎県内の生産地などを玹介しおいる。

    鹿児島県

    ミュヌゞアム知芧

    鹿児島県南九州垂知芧町郡17880
    0993-83-4433 南九州垂文化財課
    䌑通日 氎曜日祝日は開通 幎末幎始 7/13燻蒞のため
    9:0017:00入通は16:30たで 300円  知芧特攻平和䌚通ずの共通刞 600円

    知芧ちらんを含めた南薩摩の文化を倚くの人々に玹介するため、平成幎に開通した歎史資料通で、南の琉球文化ず、北の倧和文化が亀錯しお発展した南薩摩独特の文化に焊点を圓おお玹介しおいる。「亀錯する文化の波」をテヌマに、民俗展瀺宀、歎史展瀺宀、特別展瀺宀、ダむナミックな映像ず音で迫力があるシアタヌで構成され、歊家屋敷、知芧城、匟圧されながらも念仏を唱えた薩摩の「隠れ念仏」などを分かりやすく玹介。

    南九州垂で生産されおいるブランド茶の知芧茶の展瀺、玹介にも力を入れおおり、お茶の収穫で䜿甚されおいた「茶摘み籠」、収穫した茶の葉を也燥させるために䜿甚されおいた「茶べろ」などが展瀺されおいる。知芧茶は、南九州垂の知芧町、川蟺町かわなべちょう、頎嚃町えいちょうで䜜られたお茶で、枩暖な気候ず桜島の火山灰で氎はけがよい倧地で育成されたお茶は、お茶を淹れたずきの深い緑色ず、マむルドで飲みやすい味わいが特色。

    幎の荒茶生産量は、鹿児島県が静岡県を抜いお䜍になった蟲林氎産省の䜜物統蚈調査。荒茶は収穫した茶葉を蒞しお也燥させたもので、補品ずしお仕䞊げ加工する前の状態。蟲氎省が統蚈を取り始めた幎から、静岡県の荒茶生産量は幎連続で銖䜍だったが、鹿児島県は悲願の日本䞀ずなった。

    郜道府県別のシェアは、䜍が鹿児島県で、䜍が静岡県の、䜍が䞉重県の。䞀番茶新茶の生産量は静岡県が今も䜍だが、鹿児島県はペットボトルのお茶などに䜿われる二番茶以降の需芁に察応しお増産し、機械化で生産性も向䞊させおきた。

    畑の郷 氎土利通

    鹿児島県南九州垂頎嚃町牧之内15025-8
    0993-36-3911
    䌑通日 土曜日 日曜日 祝日 幎末幎始
    9:0016:00  無料 芁予玄 予玄時のみの開通

    畑の郷 氎土利通はたのさず みどりかんは南薩摩の畑の歎史、お茶の歎史、お茶の産業に関する展瀺があり、日本茶アドバむザヌの指導でお茶の矎味しい淹れ方を孊べ、お茶の手揉み䜓隓ができる。

    鹿児島県の茶業の始たりはおよそ幎前、金峰町阿倚・癜川南さ぀た垂に平家の萜人が䌝えたずいう説や、足利時代に霧島山の山麓にある吉束町鹿児島県姶良郡あいらぐん湧氎町ゆうすいちょうの般若寺に宇治から茶皮子を取り寄せお寺の境内に怍えお門埒に補法を䌝授したのが始たりずいう説などがある。

    江戞時代の島接藩政時代にお茶の栜培が奚励されたが、本栌的な茶の栜培や生産の奚励は明治になっおから。知芧を治めおいた殿様、䜐倚島接氏から払い䞋げられた土地を明治初期に開墟し、茶畑を拡倧した。鹿児島県が本栌的に茶の生産を掚進するのは昭和幎ごろで、静岡県や京郜府など他県の茶業ず比べるず遅い。

    南九州垂の知芧茶の他、志垃志垂の志垃志茶、霧島垂の霧島茶など茶園を拡倧し、平坊地が倚いこずもあっお生産性が高く、珟圚、鹿児島県の荒茶生産量は静岡県を抜いお䜍のお茶の生産地になった。「畑の郷 氎土利通」では、3シアタヌでの短線映画円の䞊映、お茶の手揉み䜓隓円などを実斜しおいる。

    ようこそ    Webミュヌゞアム

    南九州垂茶業振興䌚
    鹿児島県南九州垂知芧町郡17880
    0993-58-7070

    平成幎に頎嚃町えいちょう、川蟺町かわなべちょう、知芧町ちらんちょうが合䜵しお南九州垂が誕生し、南九州垂は垂町村単䜍で「日本䞀のお茶生産量を誇る町」ずなった。
    知芧茶、頎嚃茶えいちゃ、川蟺茶かわなべちゃずいう、南九州垂の茶銘柄を幎、「知芧茶」に統䞀しお新たな䞀歩を螏み出す。南九州垂の茶業は玄幎の歎史を経お、囜内最倧玚のお茶の産地ずなった。

    「ようこそ  」ではお茶の起源、日本そしお䞖界の茶の歎史、知芧のお茶、日本茶の楜しみ方などを玹介しおいる。

    かごした茶に぀いお  Webミュヌゞアム

    鹿児島県茶業䌚議所
    鹿児島県鹿児島垂南栄3-12
    099-267-6063

    かごした茶は燊々さんさんず茝く倪陜の恵みず緑豊かな倧地に育たれ、コクず銙りに特城があるお茶で、鹿児島県は静岡県ず生産トップを競うお茶の䞀倧産地になっおいる。抹茶を䜜る碟茶おんちゃの生産は党囜トップ。
    鹿児島県茶業䌚議所のホヌムペヌゞでは「かごした茶に぀いお」の他、「デヌタ資料」「お茶の基瀎知識」「かごした茶を買える店・飲める店」などの情報を掲茉しおいる。

    かごした茶 Webミュヌゞアム

    鹿児島県茶生産協䌚
    鹿児島県鹿児島垂鎚池新町10-1 鹿児島県庁蟲政郚蟲産園芞課内
    099-286-3200

    かごした茶は鹿児島の豊富な日射量でカテキン類枋味成分が増え、摘採の前に黒色の資材で被芆ひふくしお甘味成分のアミノ酞の増加を促し、甘みず枋みの調和がずれた濃厚でコクのある颚味が特城。䞀方、県内北郚の高冷地では銙り豊かな茶が生産され、倚皮倚様なお茶を生産しおいる。鹿児島県茶生産協䌚は、茶業経営の向䞊発展を図り、鹿児島県の茶産業を振興する団䜓で、ホヌムペヌゞの「かごした茶」で情報発信をしおいる。

    お茶の皮類、お茶の成分ず効胜、鹿児島茶業の歎史ず歩み、茶の生産地ずしおの鹿児島、鹿児島茶業の特城などを写真やグラフなどで解き明かし、お茶ができるたでを動画で玹介。矎味しいお茶の淹れ方、お茶を䜿ったレシピ、お茶のマメ知識を掲茉し、鹿児島県茶生産協䌚のマスコットキャラクタヌの「鹿児茶䞞」の「ペヌパヌクラフト」をダりンロヌドすれば、組立説明曞ず型玙が提䟛され、立䜓の人圢が䜜れる。

    お茶関連のミュヌゞアムを掲茉しおいたすが、挏れおいるミュヌゞアムがあれば、ご連絡いただければ幞いです。
    蚘事を転茉する堎合は、以䞋のを蚘茉しおください。
    お茶のミュヌゞアムに行こう
    https://note.com/mzypzy189/n/nc1d46c94cd79


     
     
     
    慶応倧孊文孊郚史孊科を卒業埌、ダむダモンド瀟に入瀟。「週刊ダむダモンド」蚘者などを経お、前原進之介のペンネヌムでラむタヌ、䜜家ずしお掻動。出版瀟での経隓を基に小説『黒い糞ずマンティスの斧』をアマゟンで䞊梓。他に『激震 建蚭業界』など。「プレゞデントオンラむン」「」で情報発信。

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