
観察と評価のあいだで──「不足感」を埋め続ける私から抜け出すまで
はじめに
noteに記事を投稿し出して、約4ヶ月が経過しようとしています。
これまで考えてきたことを、エッセイとしてまとめたり、
日々のちょっとした観察を投稿してきました。
プロフィールにもあるとおり、
私は、大学院で社会学を専攻後、一般企業や研究機関での勤務経験を経て、
昨年、フリーランスとしての道を歩み出したところです。
研究対象であった音楽をライフワークにもしており、
ピアノ演奏をしつつ、社会人オーケストラに参加し、運営も担っています。
このように書くと、私は、
叶えたいことを叶え、手に入れてきた、
「環境や才能に恵まれた人」であるように見えると思います。
業務スキルや観察力は人並みにあると思いますし、
ピアノ曲も少ないながら、いくつかレパートリーを持っています。
アマチュアオーケストラでチェロを弾くこともできています。
大学院では、共著論文を2本、執筆させていただく機会にも恵まれました。
ですが、私は、いわゆる自己肯定感、自己効力感をあまり持つことができず、強い「不足感」を抱いてきました。
世間的に見ればまあまあな経歴を持ち、
できることもあるのに、本人は全く満たされていない。
知らず知らず、自分が望む方向とは異なる選択をしてしまうことで、
頭と身体が不一致を起こし、そのうち機能不全となる。
そうした過程を繰り返してきました。
それは、自分という存在の価値を、
外部の評価軸を基準として測り続けてしまっていたことと、
大きく関係していると思っています。
それでも、いくつかの出来事をきっかけに、
自分という存在の価値を単に評価するというだけでなく、
観察する視点も持つことができるようになってきたと感じます。
この記事では、
なぜ、そのような「不足感」に苛まれることになったのか。
また、そうした状態からどうやって抜けつつあるのか、
をお話しすることで
自分で自分を認められない、受け入れられないことで、
人知れず苦しんでいるあなたの役に立つことができたらいいなと思っています。
こういう類の苦しみは、うっかり人に話すと、
「もっと大変な人はいる」
「あなたは恵まれている」
「贅沢な悩みだ」
と言われてしまって、より孤独感が深まったり
自分でもその考えを採用して、より自分を責めることにもつながってしまうことを、私は知っているからです。
ただ、ここで書くことはあくまでも、私、というひとつのケーススタディであり、あなたが今すぐ欲しい答えや解決方法ではないかもしれません。
また、即効性のある処方箋の類でもありませんが、この文章を通して、
あなたはすでに色々なものを持っているということ
あなたが世界に存在していることで少なからぬ作用が生まれているということに
目を向けるきっかけになったら嬉しく思います。
「やりたい」が否定された記憶
私は、ごく一般的な家庭に生まれた、ピアノ、手芸、アニメ、お絵描き、
が好きな子どもでした。
もともと勉強は得意ではなく、一人で黙々とビーズ遊びをしたり、
お絵描きをしているのが好きでした。
ピアノは幼稚園の頃習い始めました。
幼稚園に併設された音楽教室でゆるゆると弾いていて、周りと比べても進みが遅い方でした。
ある時、ピアノの発表会でショパンの作品を弾くことになりました。
「ショパンを弾く」とクラシック音楽に詳しい親戚に話したら、
あるピアニストのリサイタルの録画を貸してくれました。
それまでピアノを適当にやってきた私は、その時初めて、
こんなに美しい曲があること、
信じられないくらい指が速く動いて
小さいけど美しいピアニシモから
ダイナミックなフォルテシモが出せる
こんなすごいピアニストがいるんだ
ということを知りました。
私はそのピアニストの虜になって、
「自分もあんなふうに弾けるようになりたい」「ピアニストになりたい」
と、無邪気に夢を語るようになりました。
舞台の上で拍手を浴びる自分を夢想していました。
そしてピアニストになるには、
どうやら「音楽大学」というところに行かなければいけないらしい、ということを知ります。
そこに行くまでにどんな社会的・経済的環境が必要かを知らなかった私は
「じゃあそこに行けばいいんだ」と単純に考え、
「将来はピアニストになりたいから音大に行きたい。」
と、父に言いました。
猛反対されました。
「うちにはそんな金はない」
「お前なんかがピアニストなんかになれるわけがない」
「ピアノなんかやっても金にならないから無駄だ」
そういった類のことを、強い口調でたくさん言われたと思います。
今となっては、無条件に賛成して、
「そうなんだね、好きならやっていいよ」
と言えることではないということは、もちろん理解できます。
でも、幼いながらに、
初めて見つけたかもしれない「やりたい」ことが認めてもらえなかった、
という悲しさがあったことを覚えています。
勉強をちゃんとし始めたのは、中学校2年生くらいの時。
ある時テスト勉強をちゃんとやったら、成績が簡単に上がったので、
楽しくなり、そこからはずっと成績上位をキープしていたと思います。
子どもは単純なので、ピアノは認めてくれなかったのだから、
勉強なら認めてくれるだろう、と思っていた節があります。
でも、成績をいくら見せても、父にはあまりいい顔をしてもらえませんでした。
「そんなに勉強してどうするんだ」
「社会では役立たない」
といった感じで、要は、ピアノに対する反応と同じで、打ち込んでいるものに対して否定の素振りを見せるということは変わりませんでした。
大学に推薦入試で合格したときも
大学院に合格したときも
共著論文が出版されたときも
私を認めるどころか、半笑いで「本当かよ」といって
まともに取り合おうとはしてくれませんでした。
自分が見つけた「やりたいこと」「打ち込みたいこと」を、
一生懸命やっていたら、いつか認めてくれるのだろうと思っていましたが、どうやらそうではなかったようでした。
父の評価軸を、自分の評価軸にしてしまった
こうした経験を繰り返していると、いつの間にか、
父の中の評価基準を無意識に自分の中にも採用してしまっていたのでしょう。
最初に書いた通り、共著論文を書いて出版されても、
「自分は査読論文がないからダメだ」とか、「お金にならければ意味がない」
みたいな形で、素直に自分を「頑張った」と認められなくなってきます。
また、人からされた良い評価も、真に受けないようにする癖もつきました。
どこかで、「どうせお世辞だろう」「そんなに大したことではない」「これくらいは誰でもできることだ」みたいに考えて自分を低く見積もり、
何かがあった時に傷つくことを回避してきたのです。
それから色々あって、父とは疎遠になりました。
私は、周囲がたくさん論文を書いたりしていく中で、
査読論文をなかなか書くことができずにいました。
家も余裕がなくなりそうな中、私は呑気に研究の道を歩むなんて言えない。
どうせ落ちこぼれだし、就職してお金を稼がなければ……
そう思って、私は、キリの良いタイミングで大学院を退学しました。
当時は本当にこう思っていましたし、その側面は実際にありました。
でも今、当時の自分を解釈し直すと、それは建前上の理由だったことが、よくわかります。
本当の理由は、私にとって最も中心的だった外部の評価軸が私の前からいなくなったことで、
頑張る理由、エネルギーがなくなってしまったから、だと思います。
それでも、私の中に内面化された評価軸は残り続けました。
身体が教えてくれたこと
そんなぐるぐる周りを何周かした、
コロナ禍のある時、体調を崩すようになりました。
もともと、姿勢や体質を改善したいと思ってピラティスにも通っていたけど
あまり変化は感じられないな、と思っていた頃でした。
その教室でも「あなたは身体が硬いから」
「私が◯年かかったんだから、そんなにすぐにできるわけない」
と朗らかに言われ、「そうか、私にはできないんだな」
と思いながら惰性で通っていました。
その先生も、悪気があったわけではなかったのでしょう。
ある時、バレエに精通しているという整体師さんのお店が近所にあることを知りました。
ストレッチも教えてくださる。
直感的に、ここは良さそう、と思って足を運んでみました。
そこで、ピラティスでも全く体の柔軟性は増えないこと、体調が良くないことを伝え、施術してもらいました。
そこで言われたのは、思ってもみなかったことでした。
「お体、とっても素直で柔らかいですよ」
「身体は正直なんです」
「このストレッチを続けていれば、開脚できるようになります」
半信半疑でした。
でも、そのお店の方は、
無理な営業もしないし、自分の苦労を押し付けないのがプロなんだ、とおっしゃっていたのが印象的でした。
私は「騙されたと思って」ストレッチをやってみることにしました。
当然、すぐにはパカーンと開脚はできるようにはなりませんでしたが
ゆるゆると3年ほど続けると、90度くらいしか開かなかったところから、
160度くらいの開脚ができるようになりました。
開脚は、小さい頃からバレエをやっているとか、骨格に恵まれているとか
そういう限られた人ができるものだ、と私も夫も思い込んでいましたが
足をつけたまま、しゃがみ込むことすらできないほど股関節が硬かった私が
開脚する事実を目の当たりにして、二人とも、認めざるを得ない、という感じでした。
勉強すること、つまり、頭でなんとかすることで不足感を埋めようと対処し続けてきた私が、一つ、思い込みを外すきっかけがここにあったと思います。
開脚ができるようになったことはもちろん、嬉しいことでしたが、
私にとってより重要だったのは、
「私の身体は硬いからできない」という、自分に対する評価が思い込みでしかなかったということに気がつけたこと、
私の身体が「素直で柔らかい」という、
事実の観察結果を、
だから「良い」という訳ではなく、
純粋に伝えてもらえたことでした。
「評価」の前に「観察」を置く
上記の経験による気づきがあったからといって、
私の中の価値基準や評価軸が劇的に変化した訳では、正直ありません。
似たような失敗を繰り返していくうちに、躓きの石がどこにあるのかがなんとなく見えてきた、そんな感じです。
「評価」それ自体は悪いことではなく、場合に応じて必要なものです。
たとえば仕事の進め方や成果、身体の状態をそれぞれ観察して
適切に評価することは、今後より良くしていくために必要な作業です。
私自身が抱えていた問題は、
自分の中に、いつの間にか外部の評価軸を内面化してしまっていたことで、
評価の回路が単純化され、
自分の行動や身体に対する評価を、自分の存在価値の評価に読み替えてしまっていたこと、にあります。
このように言語化すると単純な構造に見えますが、
当事者でいる間は、それが「構造」であること自体に気づけません。
当事者としては、それを客観視して「おかしなことをやっている」と気がつくのは、とても難しいです。
私自身は、手書きノートを活用して
自分の身体の状態、感情、行動、などを詳細に書き出すことで
事実と感情と評価を分解することが徐々にできるようになりました。
そして、自分自身の状態を観察することで、
今日一日どのように過ごせば自分がある程度心地よく過ごせるのか、
自分を観察して「傾向と対策」を掴めるようにする、訓練を積んでいるところです。
ノートで自分観察の訓練を積むうち、あることにも気がつきました。
私は「不足感」を埋めようと行動していたのですが
その過程で知らず知らず身についていたものも、確かにあった、ということです。
具体的には、
ピアノや芸術、思索への興味、
思考すること、観察すること、そしてそれらをこうやって言語化する力、
非言語のコミュニケーションへの感度、
楽器の練習やストレッチを細く長く続けられる根気、です。
これらは私にとって紛れもなく重要な財産であり、
ユニークなものだと思います。
不足感と、
その過程で身についてきたもの。
その両方が、自分の中には確かに存在していた、ということを
ようやく観察できるようになりました。
プラス側の要素については、得てして、
周囲の人が自分から何かを受け取って、すでに返してくれていることがあります。
自分にとっては「大したことではない」ということでも、相手から見れば貴重なこともあるというのは、自分に置き換えれば想像しやすいのですが、
なぜか、自分にはそういう面はないだろうと頭から否定してしまっていることが多いように思います。
ノートを書き続ける中で、
「今日はどんな状態だったのか」を観察すると、
「今日はうまくできなかった」という評価より先に、
「今日は疲れていた」「集中力が落ちていた」「人と会いすぎていた」といった事実が見えるようになりました。
すると、自分を責めるよりも先に、
「では今日はどう過ごそうか」と考えられる日が少しずつ増えていきました。
行動を、存在価値の証明ではなく、その日の自分に合った選択として考えられるようになったのです。
評価は必要です。
でも、それは存在価値を決めるためではなく、
行動の仕方や中身を調整するための道具として、上手に付き合っていければ良いものです。
そして、その土台になるのは、外部の評価軸ではなく、
まず、自分の状態を事実として観察することなのだと思っています。
私の経験は、あくまで一つのケースに過ぎません。
それでも、あなたが自分を評価する前に、
一度立ち止まって「今、何が起きているのだろう」と観察してみるきっかけになれたなら、とても嬉しく思います。
その先に、
あなたがすでに持っているものや、
苦労の中で知らず知らず育ってきたものが、
少しでも見えてきたなら、この文章を書いた意味があったと思います。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。