
優しくないよ、臆病なだけ
優しいねって言われる。
全然そんなことない。失礼だけど、正直な話、テレビニュースを見てもそこまで心は痛まない、他人事だ。
世界中の全ての人が幸せになりますように。言うのは簡単だ。でも私は何をしただろう。少額の募金をしたくらい?いつだって口だけだ、大して行動しない。みんなが言うから私も言う。言うだけで世界中幸せになるなら、誰も苦労しない。
電車やバスで席を譲る時、友人の悩みを聞き慰める時、別に相手のためを思ってやっているわけじゃない、自分が非常識な人間に思われないため、あわよくば良い人だと思ってもらうために、そう、全部自分のためだ。その行動でもし相手も救われるなら、それはもちろん嬉しいけれど。
私は臆病な人間だ。変わってるね、とか、個性があるね、という言葉は褒め言葉として受け取るけれど、普通は〇〇するくない?みたいな、自分が否定されるような言葉は嫌なのだ。
小中学生の時、いつも1人でいる子に、よくちょっかいをかけていた。みんなは、思いやりがある、とか言ってくれたけど、そうでもない。ただ普通にその子に興味があったし、グループに所属しずっとその子達と一緒にいる、というのがあまり好きではなかった。私は、今はあなた達と一緒にいる気分じゃない、なんて正直に言って相手を傷つけたり関係が壊れたりするのが怖いから、その子を利用しただけだ。
どこかで、優しさの多くは偽善によるものだ、という話を聞いた。そもそも優しくしようなんて考えていない自分はそれに当てはまるか分からないが、多くの人が自分のために自分を偽っているのだろう。
そもそも優しいというのはなんなんだ。大体、優しいねと言う褒め言葉だって、形式上のことがほとんどだ。しかし、優しさと謙虚さの塊のような人は確かに存在する。どうしたらそうなれるだろう。あの人達は、私が見たテレビニュースを見て何を思うのだろう。