第1話 黒い光と崩壊 『ルミナ・パルス』

シンは森に囲まれた、小さな村で育った。
それは、いつもの朝だった。
シンは狩りに出かける準備をしていた。
昨日の残りの煮物を手早く食べる。
「シン。獲物ばかり見るんじゃねえ。
森全体を見るんだぞ」
「ふふ、父さん、何度も聞いたよ。それ」
父は困ったように頭をかいた。
「気を付けてね」
シンは母を振り返って頷き、家を出た。
村の出口に向かう道はまだ暗く、朝焼けの光がようやく差し始めていた。
治療師の娘ミカが、家の前で薬草に水をやっている。
出口近くの川辺には、孤児院で働くカレンの姿があった。
「おはよう、シン」
「……おはよう。大きな水桶だな。二つも持つのか」
「これくらい平気よ」
何でもないことのように水桶を持ち上げ、カレンは歩いていった。
◇
太陽が真上に近づく頃。
枝葉の重なる薄暗い森の奥には、朽ちた葉の匂いが漂う。
シンは地面に跪いて、仕留めた野兎に祈りを捧げていた。
「どうか許してほしい。
あなたの命で、私の家族は支えられる。
その恩に感謝する。
あなたの魂が安らかに森へ還りますように」
捌いた兎を、肉の傷みを遅らせるシダの葉で包む。
猟袋に収めると、その重みを肩に感じた。
(父さんは、まだ肉の処理が甘いと言うだろうか。
……母さんは、食事の支度をしているかな)
◇
ふと、シンは顔を上げた。
――静かすぎる。
その時、木々から鳥が一斉に飛び立った。
何十羽もの鳥が空へ逃げていく。
枝葉の向こうで、黒い影が四方から空へせり出していた。
頭上に残る空はみるみる狭まり、息を呑む間に最後の隙間が閉じた。
空一面は黒褐色に塗り潰され、森は一瞬にして闇へ沈んだ。
遠くから、かすかに悲鳴が聞こえた。
村の方からだった。
(父さん、母さん……)
シンは走った。
朽ちた葉が足を取る。
根をまたぎ、枝を払った。
◇
やがて――
木々の切れ間から村が見えてきた。
崩れかけた入口から、村へ飛び込む。
「……!」
そこに、見慣れた故郷の姿はなかった。
人々が倒れ、血の臭いと、焼け焦げた家屋の煙が鼻をついた。
孤児院の一部が崩れ落ちている。
(カレンは無事だろうか?)
家へ向かおうとした、その時。
診療所の前に、人影があった。
倒れている治療師と、その胸に手を当てているミカだった。
「ミカ!」
治療師の体は冷たく、脈も絶えていた。
「お父さん、目を開けて……」
ミカの頬を涙が伝っていた。
「ミカ……。お前の父さんは、もう……。
ここにいては危険だ」
ミカの手を引くと、少し抵抗があった。
「いやだ。お父さんと、ここにいたい」
シンは唇を噛んだ。
それでも、その手を離さずミカを立たせた。
「……行こう」
ミカの手を取り、走り出す。
息を切らしながら、生家の前に立った。
扉を開ける。
一歩、中へ踏み込んだところで、足が止まった。
握った拳に爪が食い込む。
小さな祭壇は荒らされ、供え物や飾りが床に散乱していた。
父は倒れていた。背中から斬られている。
手元の近くには、抜きかけたナイフが落ちていた。
父をかばうように倒れた母の姿も……。
跪き、二人の脈を確かめる。
どちらも、すでに止まっていた。
目を閉じて、二人に祈りを捧げる。
父の手元に落ちていたナイフを拾い、腰元の自分のナイフの隣に収める。
「行こう」
入口で待っていた、ミカに向き直った。
◇
家の入口を離れた、その時。
闇の奥で、何かが蠢いた。
体を向けた瞬間、黒い影が飛びかかってきた。
腰に差した二本のナイフを抜く。
ギィン――!
鈍い音を響かせ、交差させたナイフに牙がぶつかった。
異形が二体。
狼のような身体の輪郭から、赤黒い靄のようなものが漏れていた。
「下がれ」
背後のミカを一瞬だけ見て、すぐ前へ視線を戻す。
だが――、すでに異形たちは目の前に迫っていた!
降り注ぐ牙と爪。
その速さは野犬のそれではない。
弓を使える距離では無い。
しかし、背後にはミカがいる。
ここを退くことはできない。
ナイフで防ぐも、牙や爪が腕や肩を掠めていく。
だが、少しずつ異形の動きに、感覚が合い始めた。
極限の状態のなか――
異形の「噛みつく」という次の動きに、感覚が同調した。
異形が動き始める前に、踏み込む。
動き始めた異形の首にナイフが食い込み、そのまま切り裂いた。
……倒した?
そう思った瞬間、朝の父の声がよみがえった。
『獲物ばかり見るんじゃねえ。森全体を見ろ』
背筋に冷たいものが走る。
戦いは独りで行う、いつもの狩りではなかった。
守らなければならない者が、背後にいた。
「まずい……!」
もう一体が――。
その時。
「嫌ぁぁああ」
叫び声と共に、一人の女性が飛び込んできた。
何かが振り下ろされ、ミカに飛びかかる異形の頭を叩き潰した。
崩れた異形の体は黒い結晶となって、地面に落ちて消えていく。
「……カレン? なにを……持っている?」
「ゼェッ……! ゼェッ……!」
肩で息をするカレンは、倒壊した建物の木材を握っていた。
「私が守る……」
カレンが焦点の定まらない瞳で、こちらに向かって走り出す。
「待て……!」
次の瞬間、身体に激しい衝撃を受け、意識が遠のいた。
◇
どれくらい時間がたったのか……。
気がつくと、シンは家屋から少し離れた地面に横たわっていた。
心配そうに覗き込む、ミカとカレンの顔が見える。
「くっ……」
体を起こそうとして、痛みが走った。
カレンが俯いた。
「シンの後ろで異形が立ち上がったの。
シンを守ろうと思ったけど、その時にシンにぶつかってしまって……。
ごめんね」
カレンは今にも泣きだしそうだった。
「最初の一体がまだ動けたのか……」
シンは己の不覚に、目を伏せた。
「助けられた。ありがとう」
ミカも怪我はなさそうだった。
ようやく胸の奥から力が抜けた。
シンは、父から譲り受けたペンダントを手に取って、思い浮かべていた。
荒らされていた生家の祭壇。
倒れていた両親の姿。
そして、村を襲った異形。
異形たちは何を求めて、
なぜ村を襲ったのか?
答えは、まだ何一つ分からなかった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
「第2話 旅立ち」に続きます!
