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とらべるとらぶるず③グアテマラでサバイバル国境越え-1

    こんにちは、Chika.Mです。

    出張と旅行で世界中を巡る中で、決して、決して望んでいないのに降りかかってくるトラブル。数あるトラブル経験の中で、最も強烈で何年たっても忘れ難い出来事は、中米の小国グアテマラでバックパックでの大学卒業旅行中に起こりました。自分史上堂々1位のトラブルです。

    当時スマホはなく、海外で一旦屋外へ出てしまうと情報へのアクセスが極めて限定的な状況でした。山奥でスマホの充電が切れ、予備のバッテリーもなく、周りも皆同じという状況を想像してみて下さい。当時にかなり近づきます。

    3位のクロアチア編と2位のインド編はこちら


    卒業旅行は中南米40日間のバックパックでした。前半は主にペルーを廻り、後半はメキシコのカンクンから、ベリーズ、グアテマラを陸路で移動し、またメキシコに戻って最後はメキシコシティから帰国するという日程。

    前半のペルーはなんだかんだで常に旅友がおりましたが、後半になってからは基本は一人。気楽で、でも何人かでいるよりはいつもちょっと緊張感のある旅。日の出前の移動や暗くなってからの1人での外出は極力避け、なんとなく薄暗い路地には入らない、中心街から離れたところへの移動は徒歩は避けるなど、トラブルを排するため持てるリスク察知能力を最大限に発揮して旅を続けておりました。その甲斐もあり順調でした。しばらくは。

    それでもトラブルは起こってしまったのです。私の想像を超えた状況で。


    グアテマラの旅の最終日。この日は宿泊していたアティトラン湖(Atitlan) 畔のパナハッチェル (Panajachel) からバスでの長距離移動により国境を越え、メキシコのコミタン(Comitan)まで行く予定でした。総移動距離は約300kmとそれほど多くないものの、山岳地帯を抜けるため、乗り換えや待ち時間も含め移動に約10時間を見ていました。

    路線バスは朝8時にパナハッチェルを出発。ところどころで乗客を増やしながらのんびり順調に進みます。

    3時間ほど経つと乗り換え地点のウエウエテナンゴ(Huehuetenango)に到着。交通の要所のウエウエテナンゴはごった返していましたが、迷わず国境のラ・メシージャ行きのバスを見つけて乗り換えます。

    その後は国境まで一直線。時間は多少かかりますが、比較的シンプルで迷いようがない行程です。

    乗客はほんの数人で、私以外は全員ローカル。皆買い物帰りと思われる大荷物を持って、ぼんやりと流れゆく景色を眺めていました。

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    移動予定図。内陸部を通っての国境越えです

    異変が起こったのは、ウエウエテナンゴを出発してから約1時間後でした。忘れもしない3月1日の午後1時。バスが突然何もない場所で停車したのです。

    扉が開き、運転手が何やら乗客に向かって言うと、全員しぶしぶといった様子で荷物を持って降り始めました。言葉の分からない私が、最後尾の座席に縫い付けられるように座っていると、運転手がジェスチャーで出ろ、と伝えます。

    意味が分からないまま外に出ると、バスは私を降ろした途端にUターンして、もと来た道をさっさと帰っていきました。

    文字通り道路に放り出された乗客たち。バス停もなければ、他に通る車もほとんどありません。状況をよく飲み込めない私は、それでもまだ振替のバスが来るのではないかと頭のどこかで思い、少しその場にとどまります。

    ぼんやりと来た方向を眺める私に、乗客の一人がこう言いました。
    ”ウエルガ (Huelga = ストライキ)" 

    辞書を引いて意味の分かった私の顔がさっと青ざめたのが分かったのでしょう。教えてくれたローカルの方は仕方ないよね、という感じで肩をすくめて歩き出します。

    ストライキ。バスの運転手たちの。つまり、振替のバスは来ません。

    私は迷いました。事前の調べによれば、ウエウエテナンゴから国境のラ・メシージャまで約2時間。そのうち1時間は進んでいます。残り約半分、、のはず。来た道を戻るべきか、それともこのまま進んでみるべきか。

    来た道を思い起こし、戻る選択肢は早々にあきらめました。上り坂が延々と続いていたからです。外は30度を超える快晴。15㎏のバックパックを背負って登り切るのは辛すぎます。

    よし、とりあえず進もう。下り坂だし。

    乗客だったひとたちは全員既に歩き出し、いつの間にか道には私一人がポツンと取り残されていました。バスはおそらく今日はもう来ないし、ここで立っているだけでは何も始まらない、そう決めて歩き始めます。

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    おそらくバスから放り出されたあたりの、現在の様子。Google Mapsから。

    下り坂とはいえ、15㎏を超えるバックパックを背負って、日陰のない中炎天下を歩くのは楽ではありません。1時間も歩くと身体が音を上げ始めました。

    辺りに集落らしきものは全く見えてきません。今の時刻は午後2時。本当ならもう国境周辺についていてもおかしくない時間です。

    今自分はどのあたりを歩いているんだろう。
    持ってきた水が持つだろうか。
    もしこのまま陽が落ちてしまったらどうしよう。

    そんなことをぐるぐる考え出すと初めて、怖い、と思いました。
    まだ陽が高く、身体だって動くけれど、それでも怖い、と。

    グアテマラの山間部は当時、内戦後の不安定な社会情勢と高い犯罪率により、決して治安が良い状態ではありませんでした。だからこそ日中の移動にこだわり、バスも山間部に入ってからは乗り換えのないものを選んだのです。まさかそれが、こんなところで放り出されるなんて。

    とにかく今は先へ進むことが先決で、少し行けば集落もあるかも知れないと気力を振り絞って進む私の目の前に、ぽつり、ぽつりと少しずつ人々の姿が見えてきました。

    もしかして、なにか集落が近い?どこか休めるところが見つかるかも?

    そんな期待に反して、現れた人々は何やら大声で言いながら崖の上を指さしています。目を凝らすと強烈な陽光の中で何かが揺らめいて見えました。炎?

    思ったのと同時に、ガラガラっと大きな音がして、大きな石がいくつも崖から落ちてきました。一瞬自分の目を疑います。ここの人たち、崖側を焼いて、石を道路に落としている!

    ブロッケア! ブロッケア! ("Bloquea" = 封鎖しろ!)

    人々が口々にブロッケアと叫びながら、道路にどんどん石を落としていきます。ストライキだけではなく、道路封鎖まで ?! 

    巻き込まれないように少し後退しながら天を仰ぎました。動いていないのに、鼓動が早くなります。炎天下の中でちらちら燃える火、興奮する地域住民、真昼間といえ怖がるなという方が無理です。こんな時にどうすればいいか全く分からないまま、私はその場に佇むよりほかにありませんでした。

    当時グアテマラ全土で、政府に対する抗議活動の一環として地域住民が通行を妨害することが度々行われていた模様。当時の私はそれを知る由もなく、周りに何事かを聞ける語学力も持ち合わせておらず、目の前の光景に本当に途方に暮れました。

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    このような場所で道路に大きな石がごろごろ落ちていました。左手は川。逃れられません。Google Mapsより。

    次に続きます。

     
     
    こんにちは、Chika,Mです。夫1人、7歳の娘1人と現在英国に暮らしています(愛犬は2026年2月7日、15歳8か月で旅立ちました)今までスペイン、カタール、ドイツと4か国に住み、海外生活も14年目。旅行が大好きで過去87か国を訪問、100か国達成が人生の目標の一つです。

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