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とらべるとらぶるず①クロアチアで、病む

    こんにちは、Chika.Mです。

    先日友人たちとの会話で、今まで旅行時にどんなトラブルに遭遇したことがあるか、という話になりました。うーんと記憶を辿り数えてみると、出張とプライベートの旅行を合わせて、トラブルと言えるようなものは確実にあり。。

    まずはよくある(かもしれない?)軽トラブル

    • フライトに遅刻:2回。ないに越したことはないですが、今まで数えられないくらい飛行機に乗っていることを考えると及第点では(2回とも出張でしたが。。)

    • 乗り継ぎ便をミス:記憶の限り3回。1と似ていますが自分に非はなく、その前のフライトが遅延したことによります。

    • フライトキャンセル、またはオーバーブッキング:多分5回くらい。カタールに住んでいた頃、特にカタールへの帰国便でオーバーブッキングを理由に予約していた便に乗れませんでした。彼の航空会社は普通に10%くらいオーバーブッキングしているのでは

    • 盗難:意外にも(?)1度だけ。出張前のマドリード空港でお財布を取られてしまい、同行者に紙幣を少し分けてもらいました。

    • 食中毒:5回。これも海外あるあるですね。丸二日くらい動けなくなります。

    • 水害:1回。ホテルでお風呂の水をあふれさせてしまい、保険金騒ぎになりました。このトラブルは圧倒的に日本人が多いようです。

    そんなまあ色々やらかしている中で、自分史上三大トラブルというものがあります。いまだにこれ以上のトラブルには遭遇していないですし、ランキングを更新する予定もありません(したくない💦)。ただとてつもなく深い思い出になっていることには間違いありません。主に反省と二度と繰り返すまいという誓いの方向で。

    その三大トラブルが以下です。長くなりそうなので、三回に分けて書こうかなと思います。

    第3位:クロアチアで急性盲腸+食中毒で地獄の苦しみ
    第2位:インドで出国できない恐怖に涙
    第1位:グアテマラでヒッチハイクでの国境越え

    まずは第3位のクロアチア事件から。


    それは10月の初旬、クロアチアのドブロブニクで起こりました。

    ドブロブニクといえば、アドリア海沿岸の中世の城塞都市。赤い屋根と白い街並みが特徴的な旧市街はユネスコの世界遺産にも登録されており、観光客にも非常に人気のある場所。

    当時カタールの国営ガス会社に勤務していた私は、ドブロブニクで開催されたエネルギー関連の小規模国際会議に出席するため、同僚や上司と共にドーハから出張していました。

    会議はつつがなく進行し、最終日の昼頃。クロージングの直前に急にみぞおちのあたりが刺すように痛くなりました。それは、もう暴力的なくらいに。脂汗が出て、体を折り曲げて痛みを堪える私に気づいた同僚と上司が会議の主催者に相談し、とりあえず会場となっていたホテルと提携しているという近くの病院に緊急搬送されました。

    医者が簡単な検査をしましたが、これといった原因はその時見つけられず。とりあえず痛み止めを注射され、しばらく横になっているとかなり体が楽になったので一旦はホテルに戻ることに。あれ、大丈夫だ、とここで油断したのが良くありませんでした。大丈夫なのは単に薬で麻痺していたからであって。。

    翌朝。強烈な腹痛と止まらない吐き気で目が覚めました。私たちは早朝の便に乗って帰国予定でしたが、全く体を起こせるような状態ではなく。

    正直に今の状態を話したら、上司にも同僚にも迷惑をかけてしまうのではないかと謎の遠慮が働き、詳しいことは説明せずに「今日やっぱり体調が悪いためフライトを変更して帰国を遅らせたい」という旨だけ何とかメッセージを送ると、彼らは「そうか、無理せずゆっくり帰ってきてね」と特段ものすごい心配をするでもなく帰国していきました。

    こうしてドブロブニクのホテルに、最悪の状態で一人残ったわけです。

    そこからの2日間の記憶はとびとびです。鳩尾の痛みはいっこうに良くなるどころか悪化しており、それに加えて食べ物も水分も体が一切受け付けなくなりました。胃に入った瞬間に戻してしまうんです。

    トイレに行くのにベッドから転げるように降りて、床をほぼ這うように動くのですが、動くたびに激痛に襲われ、気が付いたら床に伏していたということが何回かありました。痛みで人間ってやっぱり失神するんだ、とどこか頭の片隅で思ったものです。

    2日経って、少しだけ痛みが和らいだような気がし(あるいは痛みに麻痺していただけかも知れませんが)、急ぎ飛行機を取り直して帰国することに決めました。とにかくドーハに戻って落ち着いて病院に行きたかったのです。

    まともにまっすぐ立てない、歩く時も壁伝いでなければ動けないという状態の私を見て、エアライン(ルフトハンザだったかな)のスタッフは「病院に行ったのか、医者はなんと言ったのか」とカタコトの英語で尋ねます。

    病院には行ってないがとにかく帰国したい、と説明すると。何やら紙に署名をさせられました。多分フライト中に死んでもエアラインの責任ではありません、とか、私に起因することでフライトが遅延やキャンセルになった場合に賠償責任を負います、的な内容(知らないけど)だったと思いますが、めくらでサインをします。

    当時ドブロブニクードーハ間には直行便はなかったため、経由地のフランクフルトで乗り換えます。飛行機が到着すると、一番最初に降りるように促され、扉の外には車いすが待っていました。車いすに乗ったまま空港内を移動し、パスポートコントロールを通って次の搭乗口へ向かいます。

    そこでも何やらまた同じような文書に署名をして、ようや機内に入りました。フランクフルトからドーハまでは約7時間。その間鳩尾の痛みはだんだん右下の方へ降りていき、吐き気は止まったものの今度は高熱に見舞われました。

    毛布3枚にくるまっても寒く、目が潤んで仕方ないです。フライト中CAさんがかわるがわるやってきては、冷たいタオルを頭に乗せてくれたり、口元を少し水で潤してくれます。7時間の間、眠っているのか起きているのか分からない状態が続きました。

    ドーハ空港にようやく到着すると、そこで待っていたのは救急車でした。エアラインが連絡していたのでしょうか。ストレッチャーに乗せられ救急車で市内の病院に運ばれます。そんな、大げさな、、と思いましたがぼんやりしていて言葉が出てきません。

    病院に到着するとほどなく治療室に運ばれ、すぐに規定量の倍のIV(生理食塩水)を入れられます。ひどい脱水症状となっていた模様。鳩尾から始まった痛みは、このころには右下腹部に移っていました。ただ、最初ほどの強烈な痛みは感じませんでした。

    血液検査や尿検査、エコー、レントゲンを撮った後で、その日は大事を取って入院することに。

    翌日も検査のためと言われもう少し部屋に残るように言われます。脱水症状は治まり、痛み止めが利いているのか、体がだいぶ楽になってきたこともあり一旦もう家に帰りたくなってきました。が、待てど暮らせど誰も部屋に来てくれない。

    そうしても迎えた同日夜9時。突然看護師さんが二人入ってきて、爪に機械をつけ酸素濃度を測り始め、服を着替えてコンタクトを取り、このストレッチャーに乗れと言い出すではないですか。ぽかんとする私に、看護師さんが「あれ、先生から聞いてないの?これからあなた手術よ」と事も無げに言います。

    え、ええええー。聞いてないし。知らないし。もう夜9時なんですけど!

    狼狽する私を他所に、「早くして。朝まで待ってたらあなたの盲腸破裂するわよ」と淡々と言われて、二重の驚き。検査結果何にも知らされていないのですが、、、。

    全身麻酔で内視鏡手術だと運ばれながら説明され、更に「全身麻酔だからこの書類にサインして」と寝たままの私に無造作に差し出される紙。いつの間にか手術室に到着し、麻酔医も合流していました。

    サインしろと言われてもコンタクトをもう取ってしまい、メガネのない状態の私にはサイン欄がどこにあるかすらも分からない状態。何が書いてあるのかさっぱりなのです。しかも「本当は家族の同意も必要なんだけど」と言われるじゃないですか。

    家族は日本に全員いて、しかも今向こうは夜3時過ぎてるから連絡取れないと伝えると、麻酔医と看護師は何やら相談し、「じゃあ、ま、いっか」というように私のサインだけで片付けられました。

    …..一体そこに何が書かれていたんだろうか。麻酔のせいで目を覚まさなくても訴えません、とか万一死んだら臓器を使ってくれとか、そいうこととだったのかも知れないです。落ち着いて考えたらなんと怖いことか。。

    その後のことはほとんどまた記憶にありません。麻酔が体内に入ってくる瞬間熱さを感じたような気がして、「熱い!」と叫んだのが最後です。気が付いたら手術は無事終わり、看護師さんに頬を軽くたたかれていました。

    取り終わった盲腸は小瓶に入っており手術直後にこれだと見せられましたが、小指くらいの灰色っぽい器官で、正直わが身から出たものとはいえ、グロテスクで気味が悪かったです。ああ、いなくなってくれて清々したわーと心から思いました。

    日本が朝になってから家族に連絡して顛末を伝えるとぽかんとされ、一緒に出張に行った同僚やら上司がお見舞いに来てくれて、「こんなになっているのに、どうしてあの時辛いと言わなかったのか。Chikaを置いて帰国したことに罪悪感がいっぱいだ」と愛のある叱責を方々より受けました。

    後にも先にもあんなに痛みに耐え3日間は私の人生にないですし、自分のことなのに1行も読まずに(読めずに)書類に3回もサインしたのもあの時だけです。

    今となってはこんな風に語れますが、本当に誰もいない異国やフライトの最中に盲腸が破裂して腹膜炎なんぞにならなくて良かったと心から思っています。だって、そうなっていてもおかしくなかった訳ですから。

    もう2度と繰り返したくないですが、幸か不幸か旅先でのトラブル(痛み系?)への胆力は確実につきました。

    第2位に続きます。


     
     
    こんにちは、Chika,Mです。夫1人、7歳の娘1人と現在英国に暮らしています(愛犬は2026年2月7日、15歳8か月で旅立ちました)今までスペイン、カタール、ドイツと4か国に住み、海外生活も14年目。旅行が大好きで過去87か国を訪問、100か国達成が人生の目標の一つです。

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