メインコンテンツへスキップ
見出し画像

【第四話】押忍❗ワイの漫画家物語 ~陰から陽への、転換期編☯

    還暦を迎えた元漫画家

    ※前回と時系列が前後しますが、
    今回の【第4話】は1983年・大学4年生の物語です🙇
    (※第5話で描く予定だった話が先に公開されたため、
    時系列が少し戻りますが、そのままお楽しみください😊)

    ——前回は1980年、
    高校3年の受験シーズン、漫画が好きで漫画家になろうと
    頑張ったんだけど、芸大も落ち、出版社への漫画投稿もダメ、実家で働こうとしたけどそれも挫折💦
    現実から逃げるように大阪から 北海道に辿り着いたんだけど...

    『漫画と死ぬ気で向き合って、漫画家になったるで~👊』
    と意気込んで来たのはいいが...

    とんでもない『罠』が北海道には待ち構えていた❗

    それは、『とてつもない自由』💗

    『はぁ?』って感じでしょ?w

    ☠️【北海道で待っていた“自由という罠】

    ”親の眼”というフェンスが消えた日——

    例えば、
    幼稚園児なら、家の周りが自分の世界ですよね。
    小学生から自転車を乗り始め、中学生までは自転車で行ける範囲が
    自分の世界。
    高校でバイクに乗り始めてようやく、
    隣町や他県に世界が広がって『世界ってめっちゃ広いんやなー』と
    分かったものの、そこにはまだ“親の眼”という見えないフェンスがあった。

    金もないし、だらだらして漫画ばかり読んでいると怒られるし、
    遊んでるなら働けと言われるし...
    世界は広いが、まだまだ“管理されている自由”だった。

    けれど大学に入った瞬間、そのフェンスがすべて消えた🤪ヤッホー♪

    実家から離れ、初めての一人暮らし(厳密には下宿暮らし)💞
    家賃や生活費は親が仕送りしてくれる。金の心配なぁーし♪🙌
    下宿だから飯には困らない♪⤴️
    深夜ラジオを朝まで聴いても、平日昼過ぎまで寝てても、
    なんなら24時間寝ててもw...

    誰にも怒られないのだ~~~~🎊🤣

    こんな自由がこの世にあるのかと、数か月 呆然w

    見るもの聞くもの全てが外国に来たような感じでw
    漫画家になることなどすっかり忘れて😅
    遊び惚けてしまい
    3年があっという間に過ぎてしまった💦(何やってんねん)

    📺🏮【陰の美学に酔いしれた昭和の若者】

    暗い歌・暗い物語・中島みゆきという心の拠りどころ。" 陰の美学に酔いしれた昭和のワイ——

    『はっ!ヤバい💦』😱

    と気づいて、『漫画を描かねば!』と思って漫画描き始めたんやが...
    ワイの気持ち的にはハッピー全開なんだけど、何んでか知らんけど?

    暗い漫画を描いてしまったwー💦

    時代もあるかな?…
    昭和は、暗い歌や物語が多かった。『昭和枯れすすき』『22歳の別れ』『神田川』別れの歌ばかりw
    漫画も主人公が自殺や死んでしまう物語が多かったなぁ...
    ワイもそのダークサイドに身を置くのが心地よかった😞

    ・まさに『陰が美学』とされてた時代~

    中島みゆき派かユーミン派か?どっちが好きかと聞かれたら、
    中島みゆき派だった🤣
    ユーミンのような都会的でキラキラした世界より、
    報われない恋、どうしようもない人生の底、その匂いのほうに肩入れをする。あれやこれやと悩み続け、理不尽な世界でもがく…
    『ダメ人間はなんぼ頑張っても報われへんのや!』
    と、本気で思ってた。

    💥👊【リアル不良漫画を描く。人生2本目の読み切りを投稿】

    尊敬してた「大島やすいち先生」に読んでほしくてワクワク投稿した話——

    そんな時に
    少年マガジンに連載されてた不良漫画ーー『青春改札口』にインスパイアされて不良漫画を描いた、投稿作品2作目だ!

    画像
    大好きだった青春改札口。確かに、暗かったw
    ※掲載している書影は、私物の単行本を撮影したものです。 作品紹介・批評・文化的文脈の説明を目的としており、著作権法第32条「引用」に基づき、必要最小限の範囲で掲載しています。 万が一、出版社・著作者から削除等のご要望がございましたら速やかに対応いたします。

    1本目とは違って、本誌掲載を目指して、なるべく劇画調に迫力良く、不良のリアルな現実をえがいた、ワイの初めてのストーリー漫画を描いた👊
    せっかく描いたので、何処に投稿しようか迷ったんだけど…

    当時、
    隔週誌『少年ビッグコミック』っていうのがあって、そこの漫画賞は特色があって、応募者全員に審査員先生の評価が100%もらえると言うのがあって、その時の審査員先生が、当時大好きだった『大島やすいち』先生で、先生に読んでもらって評価を貰えるという夢のような賞だったので、
    『これは出さねば!何ならアシスタントに呼んでもらえないかな?』くらいの浮かれポンチで自信満々で投稿してみた💪

    画像
    大好きだった『大島やすいち』先生。少年ビッグコミックで『一撃伝』を連載されてました♪
    ※掲載している書影は、私物の単行本を撮影したものです。 作品紹介・批評・文化的文脈の説明を目的としており、著作権法第32条「引用」に基づき、必要最小限の範囲で掲載しています。 万が一、出版社・著作者から削除等のご要望がございましたら速やかに対応いたします。

    若さゆえの自信はあったものの、
    どんな評価がもらえるのか?本誌発表の数か月間はもうドキドキの日々ですよ。ふわふわ夢見る”夢男(ゆめお)くん”ですw
    ワイにもそんな時代がありました😆

    📖【雑誌に名前が無い。どん底から得たものと“お守り♪”】

    落選。でも記念に買った2冊の雑誌が今のお守りになってる♪——

    雑誌発売日、ダッシュで買いに行ってバッとページをめくったんだけど、
    世の中そんなに甘いもんじゃありませんw
    一文字も高橋幸二の名前なし⤵️😭

    画像
    当時の受賞者はこんな感じ。ワイまだ2本目で、こんなうまい人たちに勝てるはずないよねw

    でも記念にその時の雑誌を2冊買いまして、今でも机の台の下に引いておりますw 40年以上だな…

    画像
    『初心忘れるな❗』って、良いお守りになってます♪👍

    📩【大島先生から届いた“人生を変えた一行】

    「報われないストーリーは辛いなぁ…」の衝撃——

    のちに、
    編集部から手紙をいただきまして、評価を頂きました🙌

    大島先生の言葉、
    『報われないストーリーは辛いなぁ...』と書いてあった...

    バッドエンドはダメだって言う事?💦

    不良ってカッコいいんだけども、悪いやつを喧嘩でぶちのめしたら
    それは暴力!暴力をふるったら、社会から罰せられるのは当然!
    結局、暗い人生になるんだよ!ッ的な話なんだが、
    『これがリアルやろ!』
    『これがホンマの不良漫画やろ!』
    と、どこか誇らしげ思ってたワイ...

    それが、『辛い』とな...😭

    そして、『漫画は救いがないとだめだよ』って書いてあった。

    何か頭をガーン💥ってハンマーで殴られたような、
    神の啓示のようでしたねぇー

    漫画は『ハッピーエンドじゃなきゃだめなんだ❗』って...✨

    厳密にいうと、『商業漫画』は!だ。
    同人誌や自費出版の漫画なら描きたいものを描けばいい。
    だけど、商業雑誌の一員になって雑誌の売り上げに貢献し、単行本を買って貰って読んでもらう『商業漫画』は、救いがないとだめなんだ!

    なぜならば読んでる読者が主人公であり、その主人公が報われないと読者も報われないからだ。

    📖【商業漫画の”本質”との出会い】

    「読者が主人公」「元気をもらうために読む」という真理——

    この単純な気づきが漫画家への転機になったといっても過言ではない。

    後に集英社の担当さんにも言われた事がある。
    『若い高橋君がリアルに思ってることなんか、みんなもう知ってるんだよ。高橋君みたいにダークサイドが好きな人もいるけど、それは這い上がれる自信があるからだ。世間の人はそんな強い人ばかりではない。むしろそんな人は少ない。みんな沈もうとしているのを止めるので精一杯なんだ。
    漫画はね『元気をもらうために読むもの』なんだよ...

    『ハッピーな漫画を描け❗』

    この言葉と思いは今も変わらないし、時代が変わっても
    これは不変だと思う。

    大島先生に『報われない漫画はダメだ』って言われてなかったら、
    そのままずっと暗い漫画を描いてたかもしれない、それが正義だと思ってたかもしれないし、のちの集英社さんとのつながりもなかったかもしれない...
    大島先生にはとても感謝しているんだが...

    のちに漫画家懇親パーティで大島先生にその時の話をしたら
    先生はケタケタ笑って、

    『そんなこと言ったっけ? 今度俺にも漫画教えてよ(笑)』

    と軽く返されて、
    ワイ『覚えてないかー💦』って一瞬思ったが、

    でも、よくよく考えて舞台裏を察するに、
    当時のワイの作品など、レベル的に先生が見る最終選考に残るはずもなく、
    編集やバイトが読んではじかれてるに違いない。
    で、取り合えず編集さんが感想を書いてくれたのかもしれない...
    (これがリアル)w

    でも、そのあと大島先生が、真顔になって言ってくれたんだ、

    『でもね、その言葉を自分なりに受け取って"変われた"、それが高橋さんの才能なんだよ』って言ってくださった…

    泣きそうになりましたよ😭

    ありがとうございます~大島先生🙏

    🌟【ワイの“陽”が動き始めた瞬間】

    「暗さの誇り」から、希望の物語へ——

    あの頃のワイは、暗さが“美学”だと思っていたけれど、
    誰かの言葉を素直に飲み込める柔らかさだけは残っていたのかもしれない..

    —その日から、ワイの“陽(ヨウ)”が動き始めたんだ—

    報われない物語を誇りにするのではなく、

    ✅読者が前を向ける話を描く!

    ✅暗さの奥にある「希望」を描く!

    ✅人の心を明るい方向へ引っ張る作品を描く!

    これを心に叩き込んだ👊
    そう思えたのは、大学生活の何よりの”収穫”やった💪

    🙃【勘違いして、また“ギャグの道”へ突っ込むワイ。】

    陽=面白い=ギャグ漫画…地獄ループの始まりw——

    でね、陽の方向に向いたのは、いいんだけど、

    陽=おもしろ🙃
    おもしろ=ギャグ漫画❗的なロジック発動~w

    暗い不良漫画から目指せ!『マカロニほうれん荘』へ🤣

    あ痛ぁー💦また棘の道に進んでしまったワイ。

    大阪出身やし笑いは得意や!
    『ギャグなんて簡単や!』という浅い発想もあった。

    でも描いてみると、ギャグ漫画はそれほど簡単ではなかった。
    ギャグは“センス”もあるが、何よりも緻密な計算だ!ということを
    思い知った。

    描けば描くほどスベる💦

    笑わせたいのに、笑えない、
    人のふんどしで笑いを取ろうとする…😭

    その沼の中で出会ったのが、のちのヤングジャンプ編集長さんだった──

    ギャグ漫画で大きな出会いとアドバイスをもらうことになる❗

    そして、このギャグ漫画と不良漫画が元になって描いたのが、
    週刊ヤングジャンプで11年続いた、デビュー作の『押忍‼空手部』になっていく...

    ✍️”漫画家を目指すあなたへ”——


    もしこの『ワイの漫画家物語』を読んでいる人の中で、漫画家を目指している人がいたら、先輩としてこれだけは言える!

    騙されたと思って

    『ハッピーな漫画を描け‼️』👊


    🔜”次回予告:劇画村塾との出会い、同人誌制作、持ち込み活動へ”——

    ワイ、いよいよ本格的に漫画家の道へ進む!
    次回は、劇画村塾との出会い、同人誌を作る、ギャグ漫画の持ち込み活動。
    着々と漫画家への道を歩むワイをお届けいたします
    乞うご期待❗

    画像
    本日も最後まで読んでいただいて、ありがとうございます🙏

    次回、【第五話】ワイの漫画家物語はこちら👇

    まとめて読みたい方はこちら👇
    ▶ マガジン


    【追記】

    この記事が気に入った方は、
    スキやチップで応援していただけると
    嬉しいです🥰
    チップ1枚、魂の燃料👊
    燃やして、燃やして、書き続けます❗
    これからも応援よろしくお願いいたします🌟

    🔽サポートは記事下の『チップで応援する』を
     ポチっと宜しくお願い致します👇


     
     
     
    シリーズ累計発行部数2100万部突破❗️『押忍‼︎空手部』👊元『ヤングジャンプ』連載作家、高橋幸慈(たかはしこうじ)と申します。昭和生まれ、現在64歳。このnoteでは、漫画の裏話・創作エッセイ・漫画ネーム・ソロキャンプ・ゴルフなど、趣味と人生を語っていきますよー🙌 押忍!🔥

    あなたへのおすすめ