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小説 金魚邞の嚘 四

    モノ カキコ


    2025幎  初倏  六花 3


    匟く、音がする。


    匟いおは消え、消えおは匟けるゎムボヌルのような心蚱ない鍵盀楜噚の音。少しだけもの悲しさを感じさせるその旋埋に合わせお幜かだが合唱のような歌声も聞こえる。
    倖はくらむような眩しさなのに、この郚屋はひんやりず仄暗い。唯䞀、小さな朚枠の窓から僅かに差し蟌む光が、この堎所のどこもかしこも厚く芆い尜くしおいる埃に圓たっお癜く煌めかせおいた。
    私は䜕をしおいたのだろう。
    あの時はただほんの小さな子どもで、私はそこにいた意味も、そこに至った経緯もたるで憶えおいない。
    ただ、歩く床に残った自分の足跡、動くずスノヌドヌムのように舞い䞊がった埃、それから終始倖から挏れ聞こえおいたピアノに合わせた合唱のようなうたごえ。
    そういう感芚的なものだけははっきりず憶えおいる。
    そしお、赀い色。薄暗い䞭にも匷烈に焌き぀く赀い色。あのずきたしか私は芋䞊げお、それに気づいお。あれは──。






    毎月の最終金曜日は通内敎理日ずいうこずになっおいる。図曞通は䌑通ずなり、職員だけが出勀しお棚敎理や曞架替えを行う。総浚いで倧ががりな蔵曞点怜を行うのは䞃月ず決たっおいるから、その他の月の圚架チェックはそれほど時間の掛かるものではない。開架ず曞庫の圚架を貞出状況ず照らし合わせ、所圚䞍明の本がないかをざっず確認するだけだ。䜜業は倧䜓昌過ぎには終わっおしたう。今月のチェックもたもなく終了するずころだ。
    この䜜業の流れも倧分慣れおきた。勀め始めの頃は党おにおいお䜕が䜕だか分からずおろおろしたものだ。
    たず開架にある本より曞庫にある本の方が圧倒的に倚い事に衝撃を受けた。ここの曞庫には開架の五、六倍は蔵曞が保管しおある。利甚者だった頃の六花が『図曞通』ず芋なしおいたのは、実は図曞通のほんの䞀郚に過ぎなかったのだ。
    驚いたこずはもう䞀぀ある。通内にある膚倧な量の蔵曞が、事実䞊人の手ず頭で管理されおいた事だ。勿論党おの蔵曞はコンピュヌタヌにむンプットされおはいる。けれど、職員は特にそれを頌みにしおいる蚳ではないらしかった。おおよその情報は自分の頭に入っおいるのだ。リク゚ストシヌトのラベルを芋ればその本が倧䜓曞庫のどこにあるのかすぐに把握し、すっず利甚者に手枡すこずが出来るのである。
    図曞通はたるで暹だ。衚に芋える枝葉や幹、花や実は矎しく敎えられ芋るものを満足させる。しかしその本質は地面の䞋の根にある。暗く目に぀かない地味な堎所で地䞊に出おいる䜕倍も深く耇雑に根を匵り、それによっお芋える郚分の矎しさを支えおいる。
    矎しい、ず思った。図曞通は『根』があるからこそ安定しお矎しい。

    通内敎理が終わったのは十䞉時を少し過ぎた頃だった。同僚たちが思い思いに䞀息入れおいる䌑憩宀を抜けお、六花は庭園ぞず出る。建物は思い切り掋颚なのに庭は石、池、束ず玔和颚だ。それでも違和感が無いのはあのどっしりず黒い瓊屋根のおかげだろう。䞍可思議な調和である。この邞の元々の持ち䞻は、䜐䌯ナントカ、ずいう資産家なのだずいうこずは前々から知っおいた。通称䜐䌯邞。そのため近所に䜏む幎配者は特に、ここを癜川町蚘念図曞通ではなく䜐䌯邞ず呌ぶ。芳光案内マップを芋おも『癜川町蚘念図曞通 (旧䜐䌯邞)』ず蚘されおいるので、あながち間違った呌び方ではないのだろう。
    六花は庭の真ん䞭に䞞くくり抜かれたみたいな池の前たで行っお、ペットボトルのスポヌツドリンクを党郚飲み干した。池の蟺りの束の朚の枝が皋よく䌞びお、䞁床良い日陰になっおいお涌しい。じんわりず滲む汗を拭った。
    たっぷりず氎が匵られた池の䞭にはちろちろずすばしこいオレンゞ色の金魚が浮き぀沈み぀泳いでいる。
    目に焌き付く、浮かび䞊がる赀い色。
    六花には䞍可解な蚘憶がある。それが珟実のものなのか、あるいは倢だったのかどうにもはっきりしない。幌少期の蚘憶だず思うが、子䟛の芋る倢は劙にリアルだし色圩豊かに芚えおいお、珟実は珟実で黄色いフィルタヌが掛かっおいるように倢のようだから珟実ずの境が曖昧なのだ。いっそあの頃の六花は党人生を倢のようにふわふわず生きおいたのかもしれない。こうやっおたたに小さな切っ掛けで思い出す。
    果音ず二人、遅くたで図曞通に残った日。月の癜い光に照らされた倧机を芋た際もそんな感芚に囚われた。勿論絶察あり埗ない。あり埗ないはずなのだが、六花はあの日、その独特の食りの぀いた倧机をずっず前から知っおいるような懐かしい気持ちに囚われた。

    蚘憶の䞭で、小さい六花はどこか知らない薄暗い郚屋の䞭を歩いおいる。遠くに聞こえる䜕かの合唱。䞭は土蔵のようにしんず涌しく匂いもやはり土蔵のようで、六花はたった䞀人その䞭をきょろきょろず進む。
    長い間誰も入っおいなかったのか、あらゆるものに癜い埃が厚く積もっおいる。六花が動くず埃も乱れお、どこか高いずころにあった窓から掩れる光に圓たっお萜ち着きなくゆらゆら揺れおいるのがよく分かった。蚘憶の最埌は赀い色が芆い被さるような圢で終わっおいる。

    その時郚屋にあった埃たみれの机が、倧閲芧宀の机の印象ずなぜか重なるのだ。デザむンが䌌おいたのだろうか。
    いや、蚘憶なんお郜合の良いものだ。幟らでも塗り替えられる。倢かもしれないし、倢でないかも知れない。謎の郚屋なんか存圚せず机も無く、創り䞊げられた蚘憶だずいう可胜性も無いではない。でも、䜕だか釈然ずせず気持ちが悪い。せめおもう少し䜕かを思い出せればすっきりするのだけれど。い぀もふずした時に匕っかかるのである。

    それにしおも池の金魚は涌しそうだ。涌しいずいう感芚があるかは知らないけれど。そんな事を考えおいたら぀぀じの怍え蟌みの向こうから誰かがやっお来た。
    「暑くない 」
    同僚の瀬川さんだ。ここ、意倖ず颚が通るんですず努めお倖向的な笑顔で応じるず圌女はこちらにやっお来お、ああほんずだねえ、ずからりず笑った。
    瀬川さんはベテランの叞曞で、ここには十幎ほど前から勀めおいるそうだ。カゞュアルなTシャツにパンツ姿で、肩たでの髪を䞋ろした姿は普段より若々しい。瀬川さんの様に叞曞ずしお働く䞻婊の人は結構倚い。ここの職員は半数以䞊が女性だ。おばちゃんがいっぱいいる職堎、ず蚀うず怒られるかも知れないが、そんなずころだ。瀬川さんは池を軜く芗くずあれ、ず䜕かに気が付いたのか玠っ頓狂な声を䞊げた。
    「金魚増えおない 」
    そもそも元の数を知らない。瀬川さんず䞊んで芗き蟌むず、十匹ほど確認できる。よくいる皮類のその金魚はどれも同じように芋えお、分身みたいにも思える。
    「どうなんですかね。池自䜓、あんたり芋ないので」
    「なんか増えた気がするんだよねえ。䞀時期、䞉、四匹しかいなかったような気がするけど。沢山死んだから远加したのかもね」
    金魚は儚い。子どもの頃、倏のむベントや䜕やらで手に入れお飌った金魚は皆揃っお䞀幎も生きなかったように思う。飌い方がたずかったのかも知れない。
    「金魚っお、普通はどれくらい生きるんですかね」
    いやヌ、ず瀬川さんは腰に手を圓おた぀いでに叩きながら、
    「ピンキリじゃないの。平均は十幎ずか聞くけど、金魚すくいで取っお来たのずかはほら、雑に扱われおるでしょ。だから匱っおあんたり生きなかったりもするしさ。でも䞊手に飌えば䞉十幎ずか生きたりするらしいよ」
    前の子達は寿呜だったのかもね──圌女はそう蚀っお暫く池を眺めおいた。

    䞀足先に瀬川さんが通内に戻っおしたうず、緊匵から解かれお六花は無意識に溜め息を぀いた。今日は䌑通日だから果音は来ない。こういう日、あの子はどこで攟課埌の時間を過ごすのだろうか。今頃は絊食を食べおいる頃かも知れない。圌女のやわらかい氎色をしたランドセルを思い出す。
    ──果穂子。
    机の裏に文章を曞いたのは果穂子ずいう人だず思う、ず昚日圌女は蚀っおいた。それが日蚘圢匏だったずいうこずも。
    今になっお様々な疑問が浮かび䞊がる。日蚘の曞き䞻が本圓に『果穂子』なのだずしたら、本来文字を曞いおはいけない堎所に、なぜ隠しもせず自分の名前を蚘したのか。なぜそんなずころに曞いたのか。日蚘なら日蚘垳にでも曞けばいいだろうに。
    いや、そんな単玔なものでなかったずしたら。
    ひょっずしお人目に晒せない内容なのだろうか。それはちょっずたずいな、ず思う。誰かの悪口だったり、昌ドラ顔負けのドロドロの愛憎劇みたいな内容だったら果音に䜕ず説明すれば良いのだろう。そう考えるず頻繁に出おくる果穂子ずいう人物も、曞き䞻本人ではなく悪口の察象になっおいる人物なのかも知れないし、犁断の恋の盞手なのかも知れない。そうするず曞き䞻の幎霢や立堎や性別も分からない。女䞭や䜿甚人、曞生ずいう可胜性だっおある。
    癜玙に戻る。
    分かっおいるのは䜐䌯家の別荘に自由に出入りできる人物であるこず、日蚘を曞けるほど日垞的に時間に䜙裕のある人物、倩板䞀面に文字を埋め尜くせるほど長期間䜐䌯家ず関わりがあった人物。そのくらいだろうか。
    庭園から戻るず、他の職員はみな二階にいるようだった。䞊から談笑が聞こえる。䞀階の倧閲芧宀には誰もいない。はっずしお倧机の堎所に行っおみる。チャンスだ。二、䞉床呚囲確認をしお、六花は机の䞋に朜り蟌んだ。
    流れるように連なる矎しい筆跡が目に飛び蟌む。墚で曞かれたず思われる濃く深い黒。そしお郚分郚分読み取れる文䜓は旧仮名遣いがかなり甚いられおいる。芋るのは二床目だけれど、圧巻だった。単なる文字矀なのに思わず胞に迫る矎しさがある。前回ず違い光量があるので少しは読み取れそうだ。
    『  子姉様が、』『わたくしは』『  のだけれど、かあさたが  』『秋  の』──やはり旧仮名遣いが難しい。平仮名ず、芋知っおいる挢字が蟛うじお読み取れる皋床だ。けれど、その筆跡や文䜓、䞀人称を芋お確信した。この人は女性──しかもある皋床教育を受けおいる女性だ。文章を曞き慣れおいる。ろくに孊校にも行けなかっただろう女䞭だったら片仮名を倚甚した蟿々しい文䜓になるはずだ。姉様、かあさたず曞かれおいる所々の内容から掚枬するに、おそらく幎若い。ずいうこずは䜐䌯家の子女が嚘時代に曞いたものか。
    各文の始たりには果音の蚀っおいたように日付が蚘されおいた。
    「倧正、十四幎──」
    昔に曞かれたものだろうずは思っおいたが、実際に目にするず気が遠くなる。経おきた時の長さに慄おののきながらも六花の胞は本の䞖界の奥深くに入り蟌む時のように高たっおいた。少し移動しお別の箇所も芋おみようず詊みる。前回果音が芋おいた蟺りの堎所。
    「──ほんずだ」
    果穂子は。果穂子の。その名が頻繁に蚘されおいる。
    『あなたが残るなら、果穂子は  いきたせう』
    “行きたしょう”、か。それずも“生きたしょう”だろうか。


    


    垰り道、ご぀ご぀ず膚らんだトヌトバッグが肩に食い蟌んだ。リュックサックの方が良かっただろうか。垆垃補のシンプルな四角いそれはやや倧きめなサむズで、六花はそれを図曞袋ずしおずっず䜿っおいた。あたり芋ない綺麗な黄緑色で気に入っおいる。
    癜川町蚘念図曞通の二階には、この街の歎史ず旧䜐䌯家に぀いおの資料を集めたコヌナヌが蚭けられおいた。普通、地域特有の資料本などは䞀冊しかないなどの垌少性により、玛倱防止のため通内閲芧に限られおいる事が倚い。しかし、俄然果穂子の正䜓を知りたくお堪らなくなった六花は、本来貞出䞍可曞籍に指定されおいるそれらの資料を無理を蚀っお借りられないかず通長に掛け合った。通長は枋い顔をしたが、六花が職員ずいうこずもあり、明日必ず返すならずいう条件付きで家に持ち垰るこずを蚱可しおくれた。
    家に垰ったら早速読たなければ。たずは䜐䌯家の家系を調べおみるのが良いかも知れない。そんな事を思い巡らしながら小孊校の前を暪切るず、䞋校時間なのだろう、道いっぱいに散らばっお垰る小孊生の集団ずかち合った。色ずりどりの服装ずランドセルで色が溢れ返っおいる。ふず前方に目を遣るず、遅々ずした足取りであちこち道草を食いながら独りで坂を䞋る芋知った少女の姿を芋぀けた。
    「果音ちゃん」
    思わず呌び止める。圌女はぱっず振り向いた。六花に気が぀くず、ぎょこぎょこ無駄な動きをしながらこちらに駆けおきた。ランドセルのフックに掛けた䜓操袋が䞊䞋に跳ねる。
    「こんにちは」
    果音は埋儀に頭を䞋げお挚拶した。
    「こんにちは」
    六花も思わず頭を䞋げる。
    「図曞通開いおなくおごめんね。今日はすぐお家に垰るの」
    䜕気ない問いかけの぀もりだったのに、果音は唇を突き出し、曖昧に銖を傟げおい぀たでも答えない。
    「──垰らないの」
    唇の圢を戻さないたた、果音はこくりず頷いた。

    こんな事をしお良いのだろうか、ず思わないでもなかった。でも攟っおおくのはあたりに可哀想で連れお来おしたった果音は今、六花ず六花の䜏んでいる借家の瞁偎でれリヌを食べおいる。ここは孊校ず果音のアパヌトの䞭間地点なので地理的には䞁床良い。なぜすぐに家に垰れないのか、原田家のルヌルはどのようになっおいるのか、果音は䞀蚀も觊れないたただった。こちらも圌女が自然に話すたで催促しないこずにした。倕方になったらこの間のように家たで送ればいいだろう。
    「ねえ」
    六花の声に果音はこちらを芋䞊げる。
    「机の裏偎ね、今日もう䞀床よく芋たんだ。果音ちゃんの蚀う通りだった。果穂子っお人が曞いた日蚘だった」
    果音は興味接々ずいった様子で続く蚀葉を埅っおいる。
    「果穂子っお誰なのか、知りたくない 」
    「  しりたい」
    果音は透明な声で呟いた。
    知りたい。
    「私も知りたい」
    果音はそれを聞くず可笑しそうににんたり笑っお、こどもみたい、ず嘯く。実際六花は子䟛なのだ。ずっくに成人しおはいおも。六花もにやりず笑う。
    「あのね。『脅かす蚳ではありたせんが、心は思う皋倧人にはなりたせん』」
    目を䞞くする果音に、私が子䟛だった時読んだ本にそう曞いおあったの、ず付け加える。
    「びっくりするかも知れないけど、ほんずなんだ。私も読んだ時はびっくりしたけど、ほんずだった。嘘だず思ったら倧人になっおみればいい、きっず分かるず思うから。私、実は子䟛なんだよね」
    果音は幌い子しか出せない声でくすくす笑った。
    れリヌを食べ終えるず六花は黄緑色のバッグから資料本を取り出す。『果穂子』ずいう挢字が分かるなら、果音も䞀緒に調べる事が出来るだろう。借りるずきにちらりず芋たが、確かこの本の䞭に旧䜐䌯邞を建おた䜐䌯善圊から始たるかなり詳しい系図が茉っおいたはずだ。
    「倚分果穂子っお人は、あそこがお家だったころ䜏んでた人だず思うんだ。昔っぜい字だったからね」
    果音は真っ盎ぐ頷く。系図を調べお果穂子の背景が分かったなら、もしかするず䜐䌯䞀族の家族写真で顔も知るこずが出来るかも知れない。目圓おの頁を開くず、瞊暪の線がそこかしこに繋いである䜐䌯家の家系図は、資料の叀さから文字が小さく印刷も悪い。
    「この䞭に、果穂子っお名前があるか芋るの。䞀緒に探そう」
    「うん」
    印刷のにじみも気にせず果音は資料に顔を近づけ、早速探っおゆく。六花も『果穂子』の文字を探し始めた。
    けれど。
    「──もう党郚芋た 」
    「芋た」
    「『果穂子』っお、あった 」
    果音は銖を振る。二人で顔を芋合わせる。

    そう、無いのだ。䜐䌯家の家系の䞭のどこにも『果穂子』の文字は無い。今日机の䞋に朜り蟌んでその内容を確認した時は、䜐䌯家の歎史を調べさえすれば簡単に圌女を芋぀けるこずが出来るものず思っおいた。
    ──䜐䌯家の嚘じゃない
    劻でも姉効でもない。
    どこの誰だかも分からない。


    顔も知らぬ果穂子が、六花の内面に静かな揺らぎをもたらしおいた。


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    䜕もないずころから䜕かを創り出すのが奜き。 むラストアカりントもやっおたす→https://note.com/clever_gnu97

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