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Photo byhuman_nerine103

「誤った多様性」がチームビルディングを殺す——地下アイドルにおけるポジショナルプレー

    jubio_09

    同じグループの中に、目指している場所がまるで違うメンバーがいる。そんな光景を見たことがあるかもしれません。

    上を目指し、大きな会場を狙いたい子。今の規模と関係性に満足していて、これ以上は望んでいない子。とにかく楽しく活動できればいいという子。今いるお客さんを大事にして、その人たちを喜ばせることを一番に考えている子。

    それぞれの理想は、どれも間違っていません。むしろ、こうした違いは「個性」や「多様性」として、肯定的に語られることの方が多いでしょう。しかし、この違いが誰にも整理されないまま放置されたとき、グループはどうなるのでしょうか。

    ステージ上は縛れる、ステージ外は縛れない

    アイドルグループのステージ上の振る舞いには、多くの決まり事があります。楽曲があり、振付があり、立ち位置があり、フォーメーションがある。ここには決められた役割とタスクが存在するため、メンバー個々の目指す場所がどれだけ違っていても、ステージ中の統一感はある程度まで保つことができるはずです。

    問題は、ステージの外での考え方です。

    SNSをどう使うか、どんな頻度で何を発信するか、ステージへの向き合い方をどう保つか、クオリティをどこまで突き詰めるか。ここには決められたタスクがなく、能動的な動きが求められます。そして、この能動性の中身は、目指す場所によって大きく変わるのです。

    上を目指すメンバーにとって、SNSは新しい客を連れてくるための装置であり、発信は「戦略」になります。一方で現状に満足しているメンバーにとって、SNSは今の関係を維持するための日常であり、戦略という発想自体が薄いかもしれません。

    さらに大きな差が出るのは、うまくいかなかったときです。ライブの出来が振るわなかった、動員が伸びなかった。こうした場面で、上を目指す子はそれを課題として引き受け、改善を考えます。対して、現状に満足している子は、同じ出来事をそれほど重く受け止めず、流してしまうことがあります。もしくは違うところに原因を見出すこともあるでしょう。

    どちらの態度も、本人にとっては自然な反応です。しかし、グループとして見たとき、同じ失敗への向き合い方がここまで割れてしまうと、次に何を積み上げればいいのかが定まらなくなります。

    結果として、奇妙なことが起きます。ステージ上は揃っているのに、グループとしての方向はばらばらに見える、という状態です。

    ボールを持たない時間——サッカーでの戦術的な枠組み

    ここで、少しサッカーで例えてみたいと思います。

    サッカーの試合中、一人の選手が実際にボールに触れている時間は、90分間の内、ごく一部にすぎません。大半は「ボールを持たない時間」です。優れたチームとそうでないチームの違いは、ボールを持っている選手の技術以上に、このボールを持たない時間に何をしているかで決まる、とよく言われます。

    この考え方を体系化したのが、いわゆる「ポジショナルプレー」です。細かい戦術論に立ち入ることはしませんが、要点は以下の三つです。

    • 役割の定義: ポジションごとに役割が明確になっていること。

    • 適切な配置: 選手が立つべきレーン(縦のエリア)がある程度決められており、誰がどこにいるかによって互いの動きが噛み合うこと。

    • 相互の連携: ボールを持たない選手の動きが、ボールを持つ選手の選択肢を生み出していること。

    この枠組みは、アイドルグループにそのまま重ねられます。

    ステージ上の振付やフォーメーションは、いわば"ボール保持"の時間です。自分がボールを持っている状態、つまり攻撃時で決められた得意な攻撃の形や展開の仕方があります。一方、SNSでの発信や日々のステージ外での活動の積み重ねは、「ボールを持たない時間(非保持≒守備時)」にあたります。

    目立たない役割を担うメンバーがいるからこそ、目立つメンバーが目立てる。地味な発信を続けるメンバーがいるからこそ、派手な瞬間が映える。これは、ボールを持たない選手の動きが、ボールを持つ選手を生かす構造とまったく同じです。

    「誤った多様性」とは何か——目標の多様性と役割の多様性

    ここで、"多様性"という言葉を二つに分けて考えます。

    一つは、役割の"多様性"です。 チームとしての目標は一つに定まっていて(サッカーで言えば相手よりも多く得点し勝利することや勝ち点を稼いでリーグで上位につけること、トーナメントで優勝することなど)、そこへの貢献の仕方がメンバー毎に違う、という状態です。ある選手は得点で貢献し、ある選手は守備で貢献する。また、同じく得点への貢献でも直接ゴールを決める選手、ラストパスを出す選手、そこまでボールを運ぶ選手など、目指すゴールは同じでも、そこに至る役割が違う。これは、チームを強くする「正しい多様性」です。

    もう一つは、目標の"多様性"です。 貢献の仕方が違うのではなく、そもそも目指している場所そのものが違う、という状態です。ある選手は優勝を目指し、ある選手は残留できればいいと思っている。これが揃わないままでは、役割分担そのものが成立しません。本記事でいう「誤った多様性」とは、この後者を指します。

    ここで大事なのは、ポジショナルプレーが決して「選手の自由を奪う戦術ではない」という点です。

    むしろ逆で、配置と役割があらかじめ決まっているからこそ、選手はその中で自由に判断できます。何をすべきかが分かっているから、その中でどう工夫するかに集中できる。同じように、グループとしての目標が共有されて初めて、メンバー個々の個性は「役割」として意味を持ちます。

    しかし、目標が共有されていない個性は、ただのばらつきにしかなりません。

    監督なきチーム——「あの子は自由にやらせてる」

    サッカーで、監督が「選手それぞれの判断に任せている」と語るとき、それは時に、戦術を用意できていないことの言い換えになります。原則を示さずに選手の自主性に委ねることと、原則を示した上で選手に裁量を持たせることは、似ているようでまったく違います。

    同じことが、アイドルの現場でも起きているのではないでしょうか。

    プロデューサーが「あの子は自由にやらせてる。メンバーの自主性を重んじている」と語るとき、それは個性の尊重に見えて、実際にはグループとしての目標を示すという仕事そのものを放棄している場合があります。

    サッカーの監督の最も重要な仕事は、個々の選手の技術を伸ばすことではなく、チームとして何を目指し、どう戦うかという原則を決め、それを選手と共有する(戦術として落とし込む)ことです。この原則があるから、選手は自分の役割を理解し、ボールを持たない時間にも何をすべきかを判断できます。

    アイドルグループでメンバーの目指す場所がばらばらになるのは、メンバー個々の問題というより、この原則を示す人が不在であることの問題だと考えます。「自由にやらせている」のではなく、「委ねる先の目標を渡せていない」というのが、実態に近いのではないでしょうか。

    設計の手順——動機は多様でいい、目標は一つにする

    ここまでの話を、実際のチーム設計に落とし込んでみます。ポイントは、二層に分けて考えることです。

    チームとしての目標は、一つに統一する必要があります。一方、メンバー個人の動機——なぜそれをやりたいのかという部分——まで、無理に揃える必要はありません。動機の多様性は、役割として割り振ってしまえばいいと考えています。

    例えば、上を目指したい子には、新しいお客さんを連れてくるための発信を担ってもらう。今いるお客さんを喜ばせたい子には、既存のお客さんとの関係を保つ役割を担ってもらう。 以前の記事で、新規獲得を意味する「リーチ」と、既存客との関係の長さを意味する「LTV」という区分を扱いましたが、この二つの区分は、そのままメンバーの役割分担の軸としても使えます。動機が違うメンバーを無理に同じ方向にそろえるのではなく、違う動機をそれぞれ違う役割に接続する、という発想です。

    具体的な設計の手順としては、以下の三つになります。

    1. 役割を定義する: 誰が何を担うのかを言葉にして明確にする。もしくは言葉にしなくてもグループで共通認識を持つ。

    2. 発信の方針を決める: ステージ上だけでなく、SNS等ステージ外での立ち位置も決める。

    3. 振り返り方を共有する: 上手くいかなかったときにどう評価し改善するかを、あらかじめ共有しておく。そういった場を設計しておく。

    この三つが、プロデュース側でできる最低限の作業だと考えます。

    ただし、一つだけ役割分担では解決できない問題が残ります。それは、メンバーが目指す場所そのもの——上を目指すのか、現状を維持するのか——という根本的な部分です。ここが割れている場合、役割を工夫しても解決にはなりません。これは場合によっては目指す場所の相違によってメンバーの離脱や卒業にまで発展しうるのでとてもデリケートな問題です。ここは結成時やメンバー加入時にあらかじめ擦り合わせておく、定期的に確認し合うなど密なコミュニケーションが必要になるでしょう。

    フロアに伝染する「誤った多様性」——評価軸を失ったオタク

    この構造は、グループの内側だけにとどまりません。グループが目指す場所を示さないと、実はオタクの側も、同じように評価の物差しを失います。

    サッカーのサポーターには、勝点や順位という共通の物差しがあります。新体制発足時やシーズン開幕前、シーズン終了の総括時などにチームとしての目標が共有されることがあります。今シーズンがうまくいっているかどうかを、感情とは別に判断する基準があるわけです。一方、目指す場所を示さないアイドルグループを応援するオタクには、この物差しがありません。

    動員が増えているのか、活動の質が上がっているのか、そもそも何を目指して活動しているのか。判断する軸がないまま、それでも「推している」という状態が続きます。

    物差しを失ったオタクに残るのは、「推しメンだから良い」という、身も蓋もない評価です。これ自体は推し活として何も間違っていませんが、シーン全体で見たときに一つの問題を生みます。

    活動の評価が個人的な感情でしか語れなくなった結果、オタクは自分の推しのステージ以外を見る理由を失っていくのです。他のグループやメンバーを比較して評価する軸がないので、対バンでも自分の推しの出番だけを観て、それ以外の時間は関心を持たなくなる。 私の記事で何度も出てくる「回遊魚」が、評価軸を失ったフロアからはいなくなっていきます。

    ステージ外の設計を放棄することは、メンバーの方向性をばらけさせるだけでなく、フロアの評価軸まで奪い、グループやシーン全体の循環を止める方向に働いていると感じます。

    おわりに

    この記事で扱っている"多様性"は、役割分担があって初めて武器になります。目標がばらばらなまま個性として放置された状態は、"多様性"ではなく、ただのばらつきです。

    グループとしての目標を示すことは、メンバーの個性や考え方の多様性を縛ることではありません。むしろ、メンバーの考え方を役割という形で個性を発揮する場所を渡すことで具現化し、オタクにはグループの活動を判断するための評価を与える作業です。
    オタクがグループの評価をすることに意味があるのか、という問いもあるでしょう。もちろん運営やメンバーが提供する側、オタクは享受する側であることは間違いないのですが、メンバー、運営、オタクで三権分立、三すくみの関係で上手くバランスを取ることで需給だけでなく一辺が暴走することで迎える悲しい結末を避けられると私は考えています。

    改めて、「あの子は自由にやらせてる」という言葉を、もう一度見直してみてください。

    それは本当に個性の尊重でしょうか。それとも、グループ設計という一番大事な仕事から、目をそらしているだけでしょうか。

    周年イベントや各種インタビューでグループから年間目標、中長期目標、活動総括など聞いたことはありますか?
    オタクは時に家族に例えられたり、グループやメンバー支えてくれる存在でもありますが、アイドルグループにとって最大のステークホルダーのはずではないでしょうか。








    ※あくまで便宜上"多様性"という言葉を使っていますが多様性自体を否定したり特定の属性や思想を否定することを目的とした意図はありません。

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