
人と会う時はバリアを張ろう
最近よく外に出る機会が増えた。私的にはめでたいし嬉しい。そして最近心がけている事はできるだけ笑顔で会話をすること。あんなにドキドキしていたのになぁと感慨深いものである。しみじみ。
最初の頃はそれはそれはドキドキしたものだ。視線が痛い。本当に痛い。動くたびに無数の針で刺されている感覚がしていた。道ですれ違う人、電車で乗り合わせた人やスーパーのレジの人。みんなみんな怒っていて私のことを煩わしいと思っていると思っていた。そんなことないのに。私だってそうだけど皆外ですれ違う人に何も思ったりはしない。特に何か接触がない限りは感情なんて動かないし全員を覚えてることなんてそうそうない。文字にして「あぁ、そうか、そうだよな」と思ってしえば簡単なこと。だけど無性に怖かった。
外からの刺激は全て攻撃として受け取ると捉えると簡単かもしれない。相手がどう思って行動しているかは問題ではなくこちらに受け止める準備がないという事なんだと思う。コレが解かったのはつい最近のこと。私のうつが強い時とそうではない時を自分で自覚できるようになってきた頃、同じ人に会った時にもつ疲労感が違うことに気がついた時。相手の言葉遣いや態度はきっと変わっていなくて私の情報の受け取り方に違いがあるのかもしれないと思った時。相手が怒っているわけでは無く、ただ喋るだけで怖い=攻撃されてると感じてしまうのは私の側の問題なんだと自覚したといった所でしょうか。
人が怖い時期には家を出る前には必ず
「誰も私を見てないし私になんて興味ない。」
と言ってから出かけた。道ですれ違う人がいる時には重ねて自分で暗示をかける様に言い聞かせた。何度も何度も出かける度に繰り返した。やっているうちにその暗示がなくても異常な緊張をしなくなった様な気がする。
そして最近では外で誰かと話した後でもダメージがもっと小さくなった気がする。眼精疲労も無いし、次の日寝込む事もほとんど無くなったと思う。ちょっと前にほぼ一日中外で過ごす事ができた時は本当に嬉しかった。嬉しくて帰る時はルンルンで帰った。「うっれしいな🎵うっれしいな🎶」と心の中でスキップした。疲れているはずなのに。
以前よりも人と私の間のバリアが分厚くなったようだ。前のバリアは薄くて繊細なガラスの様なものだった。少しの刺激でバラバラに砕けていく。床に砕けて落ちたガラスの上をバキバキと音を立てながら私の中にズカズカと土足で入って来る。そして何もかもをぐちゃぐちゃにしていく。そんなイメージ。有っても無くても一緒くらいのバリア。
相手はそんなつもりはない。そんなつもりはないけれど、こちらのバリアが薄すぎて気付かずに入ってきてしまっている。バリアがバリアとして機能していない。薄いから境界が曖昧でこちらは自分を守れない。
そんなこんなで人と会うと酷く疲弊して決まって次の日は1日ダウンなんて事がよくあった。もう寝て過ごすしかない。そうやってようやく回復できる。嵐がさってぐちゃぐちゃになった家の中を綺麗に掃除をして散らかってしまったものをあるべき場所にへ整える。そういう作業なのかもしれない。普通の人はそういう作業をその場で済ます事ができるのかもしれない。あるいは人と会ったくらいでは部屋の中が嵐を通ったようにぐちゃぐちゃにはならないのかもしれない。けれどうつ病になった私の脳はその処理に1日を用した。あるいはそれ以上かもしれない。
けれど最近は人と私の間に確かにバリアというものが存在している。イメージはゼリーの中のココナッツのキューブ。最近、食べるのにハマってるものだから頭の中でそればっかり浮かんでくる。あのココナッツのキューブの歯応えはいい。食べたナタデココが体の中で何個も重なって繋がって一枚の板になっていく。そういう訳で私の中のバリアは半透明のプルプルした一枚の板みたいな感じ。
食べ物じゃ守れないだろと思う方にはアクリル樹脂で説明したい。水族館の水槽はアクリル樹脂。ああいう感じ。大きな水槽ではないしもちろんお魚を泳がせるわけでもないからあんなに大きくなくて良いけれどあんな感じの板が私と外との境目をしっかり分けて私を守ってくれている。そういうイメージがはっきりと想像できた時「大丈夫。」って思えた。そう思える様になったころから人と喋る事がそれ程怖くなくなって外に出る事も前よりもハードルが下がったと思う。
ナタデココの壁が私の前にそびえ立っている。……ぬりかべ?