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【メルボルン5日目】駐在帯同で感じた、「これからのお金の話」をしよう

    オーストラリアのメルボルンにやってきて、5日目の午後。

    年末に帰省していた際、氷点下の日もあった地元(富山)や、おばあちゃんち(飛騨)での生活を考えると、ここメルボルンの気温は最大40度にもなるわけで、日本との壮絶な気温差に確実に体調を崩すと思っていたけど、意外と元気に暮らせているのは、たぶん毎晩の入浴を欠かしていないからかも。

    とはいえ、そもそもメルボルンの1日の気温差は、日本では考えられないくらい激しい。恐るべきは日本との寒暖差ではなく、引っ越した先の毎日の気温差だったとは。予習ゼロでやってきたため、本当に知らなかった。

    前日が40度あったとしても翌日雨が降れば15度くらいまで気温は下がるし、天気が変わりやすい日は1日の間に10-15度の気温差が生まれる。昨夜見ていたYoutuberの方が表現するには「1日の中に四季が存在する」とすら言われているんだとか。やばすぎんか。

    その激しい気温差の理由は、現地在住の方に聞いて納得した。メルボルンは北部を砂漠と山、南部を海に囲まれている地形なので、風向きによって吹き付ける風の温度が全く違うことで、こうした急激な気温差が発生するらしい。砂漠からの風が吹く日は熱風で気温が上昇し、逆に海からの冷たい風が吹けば気温は急激に下がってしまう。

    同じ島国とはいえ、日本とは地形も緯度も経度も違うので、事情が全く異なるのは興味深いなと思って過ごしている(オーストラリアは島国というか、巨大な一つの大陸なんだが)

    さて、「フーン」な気候ネタはこの辺にしておいて、今日は海外移住5日目にして感じたことをまとめて記録しておきたくて再びnoteにやってきた。

    他にも無数に感じていることはある気がするけど、それぞれが関連し合っている気もするし、今朝のジャーナリング中にスッキリした頭で考えたら3つくらいあるので、今日はその一つ「駐在生活のお金の使い方について」を書いておきたい。

    前提)現在のわたし自身の状況

    最初にお断りしておくのだけど、私は一般的な駐在帯同者(いわゆる勤めていた仕事先を辞めてきた方々)とは、仕事面でちょっと異なる気がするので、その点は踏まえて書いていることを念頭において読んでいただけば幸いである。

    どう異なるかというと、自分の法人を日本に残してきているので、働く場所が海外になったとしても、これまで通りの仕事を続けようと思えば続けられるありがたい立場にいるのだ。

    もしパートナーと同じ前職(商社)を続けていたら、一時的でも退職しなければいけなかったので、どんな形でもキャリアは一旦途絶えてしまう。そう思うと、こんなに気軽には帯同を決められなかったかも。

    (駐在に帯同するなんて、当時は思ってもなかったけど)突然会社員を辞めて美大に進んでフリーランスの道を選んだ自分、よくやった。

    もちろん、せっかくの新天地で、ずっと日本の仕事だけを継続するのはもったいないと思うので、メルボルンならではのお仕事をしたいなと考えてはいるが、3月末にお子が産まれる予定なので、とりあえずは日本のお仕事を引き続き頑張り、その後のことは育児とのバランスを見ながら考えようかなと思っている。

    駐在に帯同してみて、金銭面で素直に思うこと

    追記:この感覚は、育休とか産休中のママにも完全に当てはまるのかもしれない(インスタで多数そんな意見をいただいた)。

    総合職としてばりばり働き、キャリアを積み上げていた途中に、パートナーの駐在に帯同するために退職した友人たちの多くが最初に嘆いていたのが「相手のカードを切るのが本当に気持ち的にしんどかった。いずれは慣れるけど、最初はストレスでしかない」ということ。

    そりゃそうだよ、彼女/彼ら自身もガンガン稼いでいたんだもの。環境を変えることで日本の仕事を退職せざるを得なかっただけであり、日本に残っていれば金銭的にも十分独立していたはず。

    諸先輩方から重々聞いていて、事前に覚悟していたはずなのだけど、これはやっぱり私もしんどいと感じる場面が多々あった。(まだ5日目なのに大丈夫そ?)

    もしかしたら追い打ちをかけているのは、物理的には私もまだ日本にいる時の3分の2くらいのペースで働いていているのに、自分のお財布には一円も入れられない状態であるということ。

    (フルリモート勤務だと難しくなってしまう仕事は辞めてきたとはいえ)引き続き日本の仕事を続けられているのは非常にありがたいけれど、私がどれだけ働いて稼いだとしても、拠点が海外に移った以上、役員報酬という形で会社からの給与を自分に支払うことが出来ない状態なのだ。

    というわけで、物理的には働いていたとしても、自分のお財布も口座も潤わないので、事実上のメルボルンでの生活費は全てパートナーの現地通貨ベースでの給与から賄うことになる。

    自分のカードを使えば使うほど、単に日本の引き落とし口座からお金がすり減っていくだけ。物価が高いオーストラリアで日本と同じように買い物してたら破産してしまう。

    この状況が続いていくと、虚しさが募っても仕方がないのかもしれない。

    買い物/外食での「お金の支払い」に対する意識が変化

    どの駐在者も口を揃えて、帯同しているパートナーに向かって「家族カードだと考えて、好きに使ってね」と言うのだろう。そりゃそうなのだけど、日本ではローンの支払い以外は完全独立採算制で生きていた我々夫婦の間には、そもそも共通の口座もクレジットカードも存在していなかった。

    ゆえに、着いてきた者からすると、そんないきなり「好きに使ってね」と言われても「おけ!やった!なんでも買うね!キャピ」とはならんのである。

    これまでだったら、何を買うにも自分の意志だけで決めていた。

    (そんなに日々頑張れていなかったけど)自炊で使う食材の買い出しも、家で使う日用品も、そして日々のお茶代も、友達とのご飯も、美術館へ行くのも、目玉が飛び出るような金額(だと言われた)着物やトルコのラグ、アートへの投資も、全て自分の稼いだお金の中で自由に実行できていた。

    それなのに。

    いきなり目の前から消え去ってしまった(ように感じる)お金の自由。思っていたよりも、これは人生の中で衝撃的な経験となった。めちゃくちゃ大げさにいうと、金銭的に誰かに服従する状態って怖すぎん・・・?(※実際は全然そんな状況ではございませんが、極論そういうことにもつながる話だなと感じた)

    少なくとも私は、この状況にたった5日間いるだけで、心がちょっと辛くなった。

    「買う」から、「買ってもらう」
    「支払う」から「支払ってもらう」

    自分で完結していたお金に関わるやり取りが、自分じゃない誰かによって実行されることの違和感は、想像を遥かに超えて奇妙なものだった。

    とは言ってもね、こんな物価の高い国で意地を張っていてもしょうがないので、わたしの中では「生活に関わるものは、家族カードで支払わせていただく」ことに決めた。

    そうじゃないとやっていけないんで。

    てか、我がパートナーは最初から「それで良い(というか好きなものも自由に買ってね)」と言っていたのだけども。

    でもね・・・そんな簡単に、お金に関するマインドセットはシフトできません。

    到着して最初の数日はどこへ行くにもパートナーと一緒だった分、外食や買い物の支払いは全部彼がカードで行っていた。日本だったらどっちが立て替えても良かったわけで、こんなに四六時中、彼ばかりが支払っているのは、明らかに(わたしにとっては)不自然な光景すぎたのである。

    彼が支払う姿を後ろでぼーっと見ていたのも、心がキュッとなってしまった要因なのかもしれない。

    インスタでは楽しそうなメルボルン生活の発信が主だけど、実際は到着して2日目の午後に、意味もなくカフェで涙が溢れて止まらなくなった瞬間があった(夫、まじで驚かせてごめんな。ワイも自分でなんで泣いたのかびっくりしたわ。もはやネタ←)

    ただ、その涙でハッとしたこともあって「このままいくと、何がしんどくなってしまうのだろう?」と冷静に感情を分析できて良かったのかも。

    メルボルンがどれだけ素敵な街だろうが、このままではほぼ確実に、滞在1ヶ月もしないうちに「精神と時の部屋」に連行される光景が容易に頭をよぎってしまっていたから。

    滞在5日目、いったん出したお金にまつわる結論

    このnoteは、家から20分ほど離れた素敵なカフェに1人でやってきて書いているのだけど、今日のカフェ代は初めて家族カードを切ってやったぞ!!!(思いっきりのドヤ顔)←

    (これは相手にとって大切なパートナーであるわたしが、自分らしく生き続けるため、精神の安定を図るため、すなわち生活を支える者として大事な行為、と自分に言い聞かせた)

    ただでさえ、日本にいた時のわたしは、山だの着物だのとにかく物が増えがちな趣味が多かったので、日常が本当に物で溢れていた。

    ただ、この物の多さが引越し時に関わる全員を悩ませたので、まずは「目指せミニマリスト!買わない生活へシフト」する練習だと思って、慣れるまでは当面、本当に生活に関わる必要なものしか買わないのも良い経験になるかもしれない。

    どうしても欲しいものに出会ったら、またその時の行動と思考をnoteに書き起こそう。

    ・・・今のところは、やっぱり自分で買いたいなと思ってしまっているけど。

    それって値段の問題なのかな、自分が自分に言い訳できるかどうかがラインなのかな、どうなんだろうね。今はまだメルボルンでそこまでのものに出会えていないのでわからないのが正直なところです。

    まとめ的に思うこと

    日本にいた時、「みやこの買い物は見てて気持ちが良い」と言われるくらい、欲しいと思ったアイテムに対する思い切りは良かったと思う。(以前、下記のnoteにも物欲との向き合い方を書いていた)

    とはいえ、ちょっと今回の出来事で、自分のお買い物論は少し見直すべきフェーズに来ているのかもしれないと感じた。

    会社員を辞めた後、ありがたいことにたくさんのお仕事のご縁があり、意外にも全然不自由なく生活できるくらいのお金は稼げていたんだと思う。だからこそ約2年で百名山完登とかにチャレンジできちゃったわけだ。

    だからこそ、自分が欲しいなと感じたものは周りがなんと言おうが、自分の意志で購入することもできた。

    でもこれって、欲しいものに向き合うマインドセットとしては良くても、実際ちょっと「買い物に対する気持ちのハードル」が下がりすぎていた面もあったのかもしれない。

    メルボルン生活に向けて日本で引越し準備をしていた時、それなりに処分しないといけないものと向き合ったのも事実である。

    過去の一つ一つは、本当に必要な支出だったのだろうか?

    一般的に、支出は「消費、浪費、投資」という3つに分類されるらしいけど、一方、これらに「空費」を加えた4つの分類があるとも言われているらしい。

    消費:日々生活していく上で欠かせないモノの購入や使用料。家賃、食費、交通通信費、水道光熱費などが該当します。

    浪費:必要以上の贅沢や、無駄な出費。1度も使わなかった衝動買い品代、馬券代など賭け事の支出などが該当します。

    投資:後々リターンが見込まれる投資費用。株式投資や貯蓄、スキルアップのためのセミナー費、書籍費などが該当します。

    空費:自分を見つめなおしたり、心のゆとりにつながる出費。趣味、旅行などの支出が該当します。

    4つの支出の役割(消費、投資、浪費、空費)より

    正直、空費=自己投資なのでは、と思うけどそれは置いておいて、過去数年間のわたしは「浪費」も多かったんだろうなあと、ちょっぴり反省。

    まさかメルボルンでの豊かな生活開始早々、こんな反省noteを書くとは思っていなかったけど、感じたことをどうプラスにしていくか、が大事だよね。

    (夫がこのnoteを読むのか分からんけど)あの日の突然かつ一瞬の号泣@カフェの出来事は、わたしの人生にとって確実に意味のある瞬間になったぽいよ!!

    あえて直接伝えることはしないけど←

    そんなこんなで、わたしはありがたいことに体調一つ崩さず、元気でメルボルン生活を開始できているわけです。

    久しぶりにここまで環境を激変させているので、自分の心に浮かぶ一つ一つがとても新鮮!忘れないように、これからも細々とnoteに残しておこうと思います。

    お読みいただいた方、ありがとうございました!

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