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本能寺の変1582 目次小 斎藤道三の下剋上 2光秀と長宗我部元親 159~160 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。日本史、信長公記、斎藤道三、足利義昭、武田信玄、上杉謙信。『光秀記』

    目次小 斎藤道三の下剋上 2光秀と長宗我部元親 159~160 

    159 土佐に、長宗我部元親が生まれた。
       元親は、光秀を仲介者として信長に誼を通じた。
       元親と本能寺の変。
       長宗我部氏の先祖について。            「元親記」160 長宗我部氏の家紋について。            「元親記」
       元親は、長宗我部氏の二十一代目という。      「元親記」
       
    幼少期の元親について。             「土佐物語」


    目次  1~317
    目次大 1~317

    目次大 斎藤道三の下剋上 152~176 
    目次中 斎藤道三の下剋上 152~176
    目次小 斎藤道三の下剋上 152~176


    信長と、ともにあった十五年。
    永禄十一年1568~天正十年1582。
    光秀を知ることは、信長を知ることである。

              ⇒ 次回へつづく 

     
     
    ただただ、真実を知りたい。この一念が原動力になっています。「本能寺の変」「その原因・動機を究明する」。この一点に焦点を絞りました。数多ある史料。精査・検証等々。長い時間を要しました。そして、ついに辿り着きました。これが、光秀謀反の真相です。只今、鋭意執筆中!!ご期待下さい!!

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