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本能寺の変1582 重要 ◎第35話 光秀の人物像 細川藤孝 下で動く 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

    重要 ◎第35話 

    光秀の人物像 細川藤孝 下で動く 

    ←はじめに ←目次 ←重要 ◎目次 ← 
    *以下は、第35話から重要ヶ所◎のみ抜粋したものです。

    ◎義昭、上洛。

     義昭は、清水寺に御座を移した。

      公方様、同日に清水へ御動座。
                              (『信長公記』)

    ◎山科言継がこの歴史的瞬間を見ていた。

     織田の軍勢は、二方向から京に入った。

      廿六日、壬申、天晴、
      早日より、尾州衆出張り、山科郷より南方へ通り了(おわ)んぬ、
      北白川より、同じく出づる人数これあり、

    ◎細川藤孝も、京に入った。

      細川兵部大輔(藤孝)・明印(明院良政)ら、北門まで参る、

    ◎光秀も、これに同じ。

    ◎光秀は、藤孝の下で動いていた。

     当然、そうなる。
     しかし、その名は、未だ世に出ず。

      今日、武家(義昭)、清水寺まで御座を移さると云々、
      織田弾正忠信長、東寺まで進発と云々、
                            (「言継卿記」抜粋)
     

     【参照】
       ◎第30話  第30話
       ◎光秀は、細川藤孝に仕えていた。
       ◎光秀は、細川藤孝と密接な関係にあった。
       ◎フロイスの証言。                 『日本史』
       ◎光秀は、細川藤孝の「中間」だった。
       ◎多聞院英俊の証言。              「多聞院日記」
       ◎細川藤孝の使者、光秀。
       ◎そして、交渉成立。
       ◎第32話  第32話
       ◎光秀は、藤孝の下で動いていた。
       ◎光秀は、出来る男(切れ者)。
       ◎藤孝は、光秀を信長の使者に起用した。
       ◎光秀の貢献度は、きわめて大きい。
       ◎信長は、光秀を高く評価していた。



     ⇒ 次へつづく


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    目次 が更新されました。

    これで、全体像がよくわかる!!

    毎日更新!!

    原因・動機の究明は、この一歩から!!


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    重要 ◎目次 が更新されました。

    本能寺の変

    原因・動機は、この中にあり!!

    ご注目下さい!!


     
     
     
    ただただ、真実を知りたい。この一念が原動力になっています。「本能寺の変」「その原因・動機を究明する」。この一点に焦点を絞りました。数多ある史料。精査・検証等々。長い時間を要しました。そして、ついに辿り着きました。これが、光秀謀反の真相です。只今、鋭意執筆中!!ご期待下さい!!

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