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本能寺の変1582 信長、死す 「是非に及ばず」 6 260420 №6-122 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

    信長、死す 「是非に及ばず」 6 260420 №6-122

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    *◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
     信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
    *加筆修正 260420

    信長、死す 「是非に及ばず」 6 260420 №6-122

    はじめに>目次 重要 ◎目次 過去記事 目次 【記事一覧】>3-006>

    信長は、弓を取った。

     程なくして、弦が切れた。
     押し寄せる敵。
     明智の兵、兵、兵・・・・・。
     さながら、雲霞の如し。
     
      信長、初めには、御弓を取り合ひ、二、三つ遊ばし候へば、
      何れも、時刻到来候て、御弓の絃(つる)切れ、

    次、槍。

     だが、負傷した。
     奥へと退く。
     「その時」が迫っていた。

      其の後、御鎗にて御戦ひなされ、
      御肘に鎗疵を被(こうむ)られ、引き退き、

    「女は、くるしからず」

     信長は、女たちを脱出させた。

      是れまで御そばに、女どもつきそひて居り申し候を、
      女はくるしからず、急ぎ罷り出でよと、仰せられ、
      追ひ出させられ、
                          (『信長公記』)

     
    家臣らは、懸命に堪(こら)えた。
     「上様の御ために」
     時間を稼ぐ。
     次第に、煙が立ち込めて。
     ・・・・・。
     ついに、「その時」がやって来た。



            ⇒ 次回へつづく  信長、死す 「是非に及ばず」 7

    【記事一覧】


    目 次
    目次大

    目次大 信長、死す 1~7 
    目次中 信長、死す 1~7
    目次小 信長、死す 1~7

    信長と、ともにあった十五年。
    永禄十一年1568~天正十年1582。
    光秀を知ることは、信長を知ることである。


     
     
     
    ただただ、真実を知りたい。この一念が原動力になっています。「本能寺の変」「その原因・動機を究明する」。この一点に焦点を絞りました。数多ある史料。精査・検証等々。長い時間を要しました。そして、ついに辿り着きました。これが、光秀謀反の真相です。只今、鋭意執筆中!!ご期待下さい!!

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