
子供の甘えが許せない。"甘えられなかった私"
5歳の息子がいる。
まっすぐ、おおらかで、お手伝いもしてくれるし、妹にも優しい。バレバレの嘘をついたり、癇癪を起こしたり、いわゆる子どもらしい子だ。
だけど、どうしても、私には受け入れられないことがある。
"長男が甘えること"そして、"甘やかされていること"に対して、
言葉を選ばずに言うのなら、正直、腹が立ってしまうのだ。
「食べさせてぇ」と甘えたり、
習い事のプールに、「行きたくなぁぁい」とごねて、
送っていっても、入り口で泣き叫んだり。
都合よく(なんて思えてしまう)へにゃへにゃとパパに甘える姿。
ものすごく腹が立つ。
どうして、私はこんな気持ちになってしまうのだろう。母親失格か、子供を愛せていないのか。そんなふうに考え込んでしまい、心がぱんぱんになることが度々起こる。
ご飯を数口、あーーーんと食べさせたからといって、
この先の人生の何に影響があるというのか。
一回ぐらい習い事を休ませたとて、
簡単に学校や会社を休む人間になってしまうというのだろうか。
大袈裟なのは分かっているし、そんな大きな出来事ではないと分かってはいても、それでも、私は「あーーん」としてあげられないし、甘えを許してあげられない。
最初は、単なる「子育て」の問題として取り扱って、ひとり時間をもらって子供から離れてみたり、いろんなもの・人に頼り、負担を軽減してみたりもした。
でも、この「甘えが許せない」と言う感情は消えず、
「子育て」の問題ではなく、「私の問題なのだ」
と、やっと最近 気づいたのだ。
いや、今の私の問題 というより、
『甘えられなかった ちいさな私が
長男に対して、嫉妬をしている』状態なのだ。
ああ、そうだ。
これは大人の「私」ではなく
あの時の「ちいさな私」の感情だ。
大人になる過程で、必死に、必死に隠してきたのは
「私も 甘えたかった」そんな気持ちだ。
その「私」を置いてけぼりにして、目の前の子供を甘えさせる。
だから、ちいさな私が、叫ぶのだ。
「ズルい」と。
自分が育った家庭環境を今更、恨んだりはしていない。いや、正確には、数年前まで恨んでいた。もっとこうしてくれたら、ああしてくれたら、こんな生きづらさはなかったのになんて感じていたこともあった。何かのせいにすることで、なんとか生きてきたのだ。
でも、自分も親になり、子供を育てる親の苦労も気持ちも理解はした。(許すではなく、理解。) だから、自分が親になったら、我が子になそんな想いをさせたくない、と。甘えさせてあげられる親に私はなりたいとねがっていた。それなのに‥
「大人の私」からでる言葉は
シャキッとしなさい
できるでしょ
自分でできることはちゃんとやりなさい。
そんなことを、歯向かえない「事実」として5歳に突きつける私を見る
息子の目が忘れられない。そう、これは「ちいさな私の目」だ。
思わず、抱きしめた。
ごめん とあやまった。
「本当は、いいよ と言ってあげたいの。」
「本当は、抱きしめて あげたいの。」
「本当は、あなたが嫌がるその日まで 何度だって抱っこしたいの。」
ああ、そうだ。
ほんとうは ちゃんと愛せているし、愛したいのだ。
私は、私なりにちゃんとママができていて、小さな頃の私の傷も、寂しさもマルっと抱きしめてあげられるぐらい、ちゃんと大人になっている。
もう、嫉妬しなくていいよ
あなたの寂しさは私がちゃんとわかっているよ。
そう「ちいさな私」に言い聞かせるように、息子を抱きしめた。
私はちゃんと愛せてる。その事実だけで十分だ。
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この日以来、息子の癇癪も、習い事をサボろうとするのも、食べさせてぇぇとふにゃふにゃするのも減ったのだから、本当に不思議なものです。
「子育て」の問題として現れるのは、結局、自分の中の傷みが表面化しているだけなのだなぁと痛感します。子育ては「私」の生き直しなのかも。
みらい