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MVP ARCHIVE CIVILIZATION | INTERNATIONAL ORDER : OPEC 1960- / 石油輸出国機構 - 石油をめぐる主導権の転換と資産主権の確立

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    OPEC 1960- / 石油輸出国機構 - 石油をめぐる主導権の転換と資産主権の確立

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    石油輸出国機構

    石油をめぐる主導権の転換と資産主権の確立

    1960年9月、イラク・バグダッド。
    世界最大級の石油資源を持ちながら、その石油の価格や生産に対して十分な決定力を持っていなかった産油国が集まった。

    イラン、イラク、クウェート、サウジアラビア、そして、中東から遠く離れたベネズエラ。
    5カ国によって設立された組織、OPEC Organization of the Petroleum Exporting Countries 石油輸出国機構。

    その誕生は、新しい国際機関が一つ増えたというだけの出来事ではなく、地下に存在する資源を、誰が支配し、誰が生産量を決め、誰が価格を決めるのか、20世紀の世界経済を動かしてきた石油をめぐる力関係が、大きく変わり始める。

    BEFORE OPEC

    石油を持つ国と、石油を動かす企業

    20世紀前半、中東を中心に、巨大な油田が次々と開発された。
    しかし、石油が存在する国と、石油産業を実際に支配する主体は、必ずしも同じではなかった。

    国際的な石油供給網の大部分は、欧米を中心とする巨大国際石油会社によって構築され、後に、Seven Sisters セブン・シスターズ と呼ばれる企業群が、世界の石油産業で巨大な影響力を持つ。

    産油国は、石油利権や税収を得る一方、自国の地下資源について、生産や価格を自由に決められる立場にはなかった。

    POSTED PRICE

    石油価格を誰が決めるのか

    当時の石油取引では、Posted Price 公示価格 が重要だった。
    産油国政府が得る税収や利益配分も、この価格を基準として計算される。

    つまり、公示価格が下がれば、産油国の収入にも直接影響する。
    1950年代末、国際石油会社は、原油の公示価格を引き下げた。
    1959年、そして、1960年8月、再び価格が引き下げられる。

    産油国にとって、これは単なる市場価格の変化ではなかった。
    自国の主要資源から得られる収入を、国外の企業側の判断によって変えられる、その構造そのものが問題となった。

    BAGHDAD 1960

    5カ国が集まる

    1960年9月10日から14日、イラク政府の招請によって、バグダッドで会議が開催された。
    参加国は、Iran | イラン、Iraq | イラク、Kuwait | クウェート、Saudi Arabia | サウジアラビア、Venezuela | ベネズエラ。

    5カ国が、OPEC の創設国となり、1960年9月14日、OPEC が誕生した。
    目的は、加盟国の石油政策を調整し、産油国の利益を守りながら、国際石油市場の安定を図ることだった。

    WHY VENEZUELA?

    中東だけの組織ではなかった

    創設国の中で、ベネズエラだけは、中東の国ではない。
    ベネズエラは、すでに世界有数の石油輸出国だった。
    そして、国際石油会社と産油国との関係について、中東諸国と共通する問題を抱えていた。

    ベネズエラの、Juan Pablo Pérez Alfonzo フアン・パブロ・ペレス・アルフォンソ、サウジアラビアの、Abdullah al-Tariki アブドゥッラー・アル=タリキ、らは、産油国間の協力を進める中心人物となる。

    資源を持つ国と、その資源を国際市場へ動かす企業との関係。
    そこに共通する構造があった。

    RESOURCE SOVEREIGNTY

    地下資源を誰が支配するのか

    OPEC 設立直後から、すべてが変わったわけではない。
    国際石油会社は、依然として巨大な技術力、資本、輸送網、販売網を持っていた。

    しかし、OPEC という枠組みができたことで、産油国は単独ではなく、共同で石油政策について交渉できるようになる。
    そして1960年代から1970年代にかけて、多くの産油国で、石油産業への国家関与が拡大する。

    利権条件の変更、政府参加、国営石油会社の強化、石油資産の国有化。
    世界の石油産業は、国際石油会社中心の構造から、産油国政府が直接大きな権限を持つ構造 へと変化していく。

    THE 1970s

    OPECの影響力が急速に拡大する

    1970年代、世界の石油市場における OPEC の存在感は、急速に大きくなり、背景には、世界的な石油需要の増大があった。

    第二次世界大戦 後の経済成長は、大量の石油によって支えられていた。
    石油供給に変化が起きれば、世界経済全体に影響が及ぶ。
    その構造が、1973年、世界に示される。

    1973

    第一次オイルショック

    1973年10月、第四次中東戦争が勃発する。
    エジプトとシリアなどのアラブ諸国と、イスラエル、戦争は、石油市場へ波及、アラブ産油国は、生産削減などを進め、アメリカなどイスラエルを支持する国に対して、石油禁輸措置を実施した。

    禁輸を実施した中心は、アラブ石油輸出国機構、OAPEC Organization of Arab Petroleum Exporting Countries のアラブ産油国だった。
    一方、OPEC 諸国による原油価格の大幅な引き上げも重なった。
    複数の要因が同時に動き、原油価格は急騰する。

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    OAPEC アラブ石油輸出国機構

    OIL SHOCK

    石油が世界経済を止める

    石油価格の急上昇は、世界経済へ波及し、あらゆる分野で、コストが上昇、インフレが加速、経済成長が鈍化する。
    高いインフレと景気停滞が同時に進む、Stagflation スタグフレーション が、主要国の大きな問題となり、日本も、その影響を強く受けた。

    日本の高度経済成長を支えていた、安価な輸入石油を大量に使用する経済構造が崩れ、1973年の オイルショック は、石油価格が一つ変わるだけで、世界経済全体の構造が揺れる ことを示した。

    PETRODOLLAR

    産油国へ流れる巨大な資金

    石油価格の上昇によって、産油国には、巨大な輸出収入が流れ込む。
    その多くは、国際金融市場へ戻っていった。

    石油輸出によって生まれた資金は、世界の金融システムへ循環する。
    いわゆる、Petrodollar ペトロダラー の巨大な流れが形成される。
    石油は、エネルギー資源であるだけでなく、国際金融を動かす存在となる。

    THE SECOND OIL SHOCK

    1979

    1979年、イラン革命、世界有数の産油国だったイランで、政治体制が崩壊、石油生産が混乱し、市場では再び供給不安が拡大する。
    さらに、1980年、イラン・イラク戦争が始まり、二つの主要産油国が戦争状態となった。

    原油価格は再び大きく上昇、第二次オイルショック。
    1970年代は、石油と地政学が、世界経済から切り離せないことを示した時代となった。

    THE 1980s

    OPECにも限界が現れる

    高い石油価格は、OPEC に利益だけをもたらしたわけではなかった。
    消費国は、省エネルギーを進め、石油以外のエネルギーを開発する。
    そして、OPEC 以外の油田開発も進む。

    北海、アラスカ、メキシコなどで、新しい石油供給が増加、世界の石油需要も変化し、OPEC の市場シェアは低下した。

    加盟国間でも、問題が生じ、各国には、それぞれ必要な財政収入がある。
    価格を維持するためには、生産を減らす必要がある。
    しかし、自国だけは多く売りたい。

    組織全体の利益と、各国の利益が一致するとは限らない。
    生産枠をめぐる問題は、OPEC がその後も繰り返し直面する構造となる。

    SAUDI ARABIA

    最大の調整能力

    OPEC の中でも、特に重要な位置を占めるのが、サウジアラビアだった。
    巨大な埋蔵量、大規模な生産能力、そして、生産量を増減できる余力。
    市場環境によって生産量を調整できるのは、石油市場で大きな意味を持つ。

    OPEC は、加盟国が完全に同じ行動をする一枚岩の組織ではない。
    その内部でも、条件は大きく異なる。

    OPEC AND WAR

    産油国同士も戦う

    OPEC 加盟国 だからといって、政治的に同盟関係にあるわけではない。
    1980年、イランとイラクが戦争を開始、1990年、イラクがクウェートへ侵攻、いずれも、OPEC 加盟国 同士だった。

    OPEC とは、政治同盟、宗教同盟、軍事同盟でもない。
    異なる国家が、石油という共通資源をめぐって協調するための組織 である。
    この違いは、OPEC を理解するうえで重要になる。

    OPEC+

    OPECの外へ

    21世紀、世界の石油市場では、OPECに加盟していない巨大産油国の存在が、さらに重要にり、その代表が、Russia ロシア。
    OPEC だけで生産調整を行っても、非加盟国が生産を増やせば、市場への影響は弱くなる。

    2016年、OPEC 加盟国 と、ロシアなどの非 OPEC 産油国は、Declaration of Cooperation 協力宣言 による協調を開始した。
    ここから形成された枠組みが、一般に、OPEC+ OPECプラス と呼ばれる。
    OPEC の外側まで、産油国間協調の範囲が広がった。

    PRODUCTION

    現代のOPECは何をしているのか

    現代の OPEC と OPEC+ では、石油市場の需給を分析しながら、参加国が生産量について協議、減産によって供給を抑えることがある。
    反対に、需要増加や市場環境の変化に合わせ、減産を縮小して生産量を増やすこともある。

    ただし、決定した生産量が、そのまま実際の生産量になるとは限らない。
    多くの条件によって、実際の供給量は変化する。

    OIL AND THE MARKET

    原油価格はOPECだけでは決まらない

    OPEC は、世界の原油市場に大きな影響力を持つ。
    しかし、原油価格を OPEC だけが決めているわけではない。

    現代の原油価格は、これらが同時に動いた結果として形成される。
    OPEC は、その中の非常に大きなプレイヤーである。

    THE STRUCTURE

    OPEC の歴史は、石油価格の歴史だけではない。
    その根底にあるのは、資源を持つ者と、その資源を市場へ動かす者との力関係 だった。

    かつて、巨大国際石油会社が強い決定力を持っていた世界。
    そこへ、産油国政府が入り、自国の地下資源に対する権限を強める。
    複数の産油国が協調、生産量を調整する。
    石油をめぐる意思決定が、世界経済そのものへ影響するようになる。

    しかし、OPEC も万能ではない。
    加盟国には、それぞれ異なる国家利益があり、OPEC 以外にも巨大な産油国が存在し、石油をめぐる力関係も変化してきた。

    OPEC とは、石油を支配する一つの組織というより、石油を誰が、どの条件で世界へ供給するのかをめぐる力関係が、国家側へ大きく移動したことを象徴する存在だった。

    そして現在も、世界経済の多くの場所で、その判断は連鎖している。
    石油を見ることは、エネルギーを見ることだけではない。
    世界の力が、どこからどこへ流れているのかを見ることである。

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    OPEC 1960- / 石油輸出国機構 - 石油をめぐる主導権の転換と資産主権の確立
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