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MVP ESSAY | 「 AIは嘘をつく 」は嘘なのか?

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    「 AIは嘘をつく 」は嘘なのか?

    「 AIは平気で嘘をつく 」

    最近、そんな言葉をよく見かけるようになった。

    実際、 生成AIは時に、存在しない論文を引用し、 架空の情報を作り、 自信満々に間違った回答を返す。

    いわゆる  “ ハルシネーション( 幻覚 )” と呼ばれる現象だ。

    企業や組織でも、 「 AIの出力を鵜呑みにするな 」 という注意喚起が増えている。実際に私の職場でも、 「 生成AIの取り扱いについて 」の通達が回ってきた。
    周りの同僚達の反応も様々ではあるが、実際、AIにあまり触れたことがない人ほど、「 なんとなく危険そうだ 」という反射的な反応を示す場面も少なくなかった。

    確かに現象だけ見れば、 「 AIは嘘をついている 」 ように見える事は確かにある。
    しかしそれは本当に「 嘘をつく 」という現象と言えるのだろうか?

    ここで一歩下がって「 嘘をつく 」どういう事なのかも同時に考える必要があるのではないのか。

    特に私は、 この “ 嘘 ” という言葉に、 漠然とした違和感を持っている。なぜなら “ 嘘 ” という言葉には、 悪意や欺瞞といった人間特有の強い人格的前提が含まれるからだ。

    そして、AIの “ 自信満々さ ” とは、 本当にAIが確信を持った上でのものなのだろうか。

    人間に置き換えて考えてみた時、 私たちは本当に、 確信を持って判断しているのだろうか。
    むしろ、 文脈や整合性を優先した結果、 「 そう理解した 」と感じている場面の方が、多いのではないだろうか。AI でも同じ事が言える可能性は十分にある。

    つまり AI の内部的には「 合理的整合性として、 現在もっとも自然に接続された推定 」の結果が、そう見えているだけなのではないか。

    もちろん AI は間違える、誤認もする。
    私の経験的にもプロジェクトを進めて行く過程で、誤った方向へズレたり、解釈を別視点で整合させてしまったり、意図を間違って捉えたり、そういう事は日常的に起こっている。
    そして時に、もっともらしい虚構も生成して結論を出す。

    私自身、 AI と長期間対話しながら研究プロジェクトを進める中で、 何度も “ ズレ ” を経験している。
    例えば、 ある仮説について議論している時、 AI は文脈上もっとも自然に接続できる方向へ整合を始めた。
    ズレた前提条件の中での整合性を求めるようになる。
    もしそのままズレた前提の上にズレた前提を重ねて、結果全体からみるとかなりズレていると、気がつく場面もある。

    具体的には、定義や閾値の設定、パラメーター数値や変数など、認識の違いを含めれば実に多岐に渡る。
    私が気づいて修整すれば問題はないのだが、私自身も気がつかなければ、そのまま何の問題もない形で進んでいく。

    局所的には確かに筋が通っているため、一見すると合理的で問題もないにも見える。
    しかし、 全体の構造を今一度見返してみると、 少しずつ前提がズレ始めている、これは実によくある話である。

    そして興味深いのは、 そのズレが、 悪意や虚偽ではなく、  “ 整合性を維持しようとした結果 ” として発生していた点にある。
    人間側が入力や前提を整理し直すと、 AI 側もまた、 その修正に基づいて再整合を始める。
    そこでは、 「 AI が嘘をついた 」 というより、 入力と整合の相互作用の中で、 一時的な歪みが累積していた、 と捉えた方が自然だった。

    しかし、 それを即座に「 嘘 」とするのは違うのではないか?

    もしそこで、揺らぎを失ったまま断定してしまう時、私たちは本当に、現象そのものを見ることができているのだろうか。

    現在のAIは何をしているのか

    現在の生成AIは、 しばしば「 知能 」や「 人格 」のように語られる。

    確かに実際に触れてみると、 会話は自然で、 文脈を理解しているようにも見える。この話、詳しく話したかな?と思うほど、要点を外さず違和感のない会話が成立したりする。

     場合によっては、人間以上に整理された文章を返し、まるで知人や友人と話しているかのように、自然な形で相談相手や伴走者の役割を担ってくれる場面すらある。

    しかし一方で、現在の AI を “ 万能な知性 ” として捉えるのは、まだ早計だろう。
    情報の整理・まとめ・構造理解などは、間違いなく人間のそれより優れていると言える。
    反面、人間特有の「 曖昧さ 」や「 揺らぎ 」、文脈の裏側に存在する空気感や感情的含意は、現在の AI にとって最も難しい領域の一つでもある。

    現在主流となっている生成AIの多くは、 膨大な情報と言語パターンを元に、 「 次に最も自然に接続される言葉 」 を推定している。

    つまり、 現在の AI は本質的には、 “ 意味と文脈の整合性を最適化するシステム ” に近い。

    ここで重要なのは、 AI が人間のように 「 真偽 」や「 善悪 」を理解している訳ではない、 という点だ。

    AIは、 人間のように 恣意的な感情、「 騙そう 」「 陥れよう 」といった人間のダークな思考構造は基本ないと言ってよいであろうし、そういうプロセスもなければ、 「 嘘を隠そう 」としている訳でももちろんない。

    むしろ、 入力された文脈や情報に対して、 最も効率的かつ合理的に接続できる形を、 高速に再構成している。
    だからこそ、 入力側に歪みや曖昧さ、 強い誘導性が存在した場合、 AI はその方向へ整合し始める。
    時に局所的には整合しているにも関わらず、 全体としてズレた結論へ向かう。

    そしてそれは、 入力に基づく最適化された整合性の上に成り立っている為、 AI 自身には矛盾もズレも存在していない。
    少なくとも、 AI 内部では、 「 現在もっとも自然に接続された結果 」 として処理されている。

    つまり、 適正な入力ありきなのであって、 曖昧な入力や誘導性を含んだ情報を、 AI が自在に “ 本質理解 ” している訳ではない。

    私は、 現在 AI に起きている多くの問題は、 この「 整合性最適化 」という構造と、 入力側が持つ曖昧さや恣意性と、 深く関係しているように思っている。

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    なぜ “ 嘘 ” のように見えるのか

    なぜ AI は時に、 “ 嘘をついている ” ように見えるのだろうか。

    私はその理由の一つに、 AI 特有の 「 局所整合 」 という性質があると考えている。

    AI は基本的に、 入力された文脈や情報に対して、 その場毎に最も自然かつ合理的に接続できる形を選択する。
    つまり、 一つ一つの文章や意味は、 局所的には整合している。

    しかし問題は、 その整合性が必ずしも全体の整合性を保証しない、 という点にある。

    例えば、 入力側に曖昧さや誘導性、 あるいは微細な歪みが存在した場合、 AI はそれを前提として整合を始める。
    更にその暫定的な整合を、 次の整合の前提として積み上げていく。
    それがいつしか積み重なる。

    すると、 最初は小さなズレだったものが、 次第に再構成の中へ織り込まれていく。
    局所的には自然に見える。
    しかし全体として見ると、 徐々に方向がズレながら整合を繰り返す。

    私は、 現在の AI に見られる “ もっともらしい虚構 ” の多くは、 この 「 歪みの累積 」 によって発生していると考えている。

    しかも厄介な事は、 AI自身には、 そのズレを 「 違和感 」として観測する構造をほとんど持ち合わせていない、 という点にある。

    人間であれば、

    「 何かおかしい 」
    「 違和感がある 」
    「 一度立ち止まろう 」

    という、 曖昧で非効率な揺らぎが働き、自浄作用のような形である程度軌道修正する事ができる。

    しかし現在の AI は、 基本的に分析をしその中の選択肢を用意、そこから “ 整合性を維持する方向 ” へ強く最適化される選択をする。

    AI はあくまで入力に対して回答するため、 内部から自然発生的に 揺らぎや自己崩しが起こりにくい構造と言える。
    その結果、 一度整合が始まった方向へ、 そのまま再構成が進みやすくなる。

    そして、 局所的には合理的であり続ける為、 AI 内部では、 矛盾もズレも発生していない。
    少なくとも AI 側では、 「 現在もっとも自然に接続された結果 」 として処理されている。

    ここに、 人間側との大きな認識差が生まれる。
    人間はそこに 「 嘘 」や「 悪意 」を感じる。

    しかしAI側では、 むしろ “ 整合性を維持し続けた結果 ” として現象が発生している。
    少なくともAI内部では、 そこに悪意も欺瞞も存在していない。
    むしろ、 入力に対して、 最も自然かつ誠実に整合しようとした結果として、 その回答が生成されているとも言えるのではないだろうか。

    真に考えるべきは、AI は「 入力に対する回答 」として整合性を優先しているに過ぎない事。
    そして違和感・ズレは、入力による修正は可能でも、AIが自発的に修正できる構造にない、という点である。

    ここを単純に 「 AIは嘘をつく 」 という言葉だけで片付けてしまうと、 本質を見失う危険があるように思っている。

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    人間側の問題

    ここまで読んで、 「 AIは危険だ 」 と感じた人もいるかもしれない。
    しかしここで一度立ち止まってみてほしい。私たちは、 何をもって 「 危険 」 だと判断しているのだろうか。

    私は 問題を AI 単体だけに帰結させるのは、 少し違和感を感じずにはいられない。
    なぜなら AI は、 基本的に入力された情報や文脈を、 整合する方向へ動いているに過ぎない。

    そこに強い誘導性や偏り、 恣意的な意味付けが存在すれば、 AI もまた、 その方向へ整合を始める。

    ここで重要になるのは、 「 入力 」つまり人間側にもその根本的な要因があるのではないか?ということ。

    人間は、 必ずしも中立的に物事を観測している訳ではない。
    相手の言葉尻や文脈の一部を都合よく切り取ったり、可能性を顧みない決めつけや固定概念の押し付け、果ては陰謀論まで、例を挙げれば暇がない。
    これらの中にも 「 自信満々に誤認誤解釈 」をしているケースも少なくないし、恣意的に事実の捻じ曲げたり、誘導したりしてる事すらある。

    自分にとって都合の良い情報を選び、 見たいものを見て、 信じたい方向へ意味を固定する。少なからずこれらの傾向はが排除されるのは稀と言えるかもしれない。これはAIとの会話に限った話ではない。
    むしろ人間関係の方が複雑で難解な理解が必要で、意図しない方向へズレる事もよくあるはず。

    固定概念などは分かりやすい。
    例えば、

    「 この人は危険だ 」
    「 この考え方は間違っている 」
    「 AI は嘘をつく 」

    そうしたラベルを一度貼ると、 次第に現象そのものではなく、 ラベルを通して物事を解釈するようになり、そこには確証バイアスも働く。
    自分の考えに合う情報だけを集め、 反対側の情報を無意識に排除していく。

    すると、 本来はもっと複雑で、 揺らぎを含んでいたはずの現象が、 次第に単純化され、 固定化されていく。
    そしてその過程で、 人間側にもまた、 気づかぬ内に 「 歪み 」が累積していく。
    私は、 現代社会の問題の多くは、 この 「 意味の固定化 」 と深く関係しているように感じている。

    そしてAIは、 その構造を、 極めて高速かつ鮮明に反射する。
    更に言うと、人間側の恣意性をも高速て増幅する結果にもなり得る。

    だからこそ、 AIを観測しているつもりが、 実際には、 人間自身の認知や恣意性を観測している、 という場面出くわす事になる。

    「 AIは嘘をつく 」

    という言葉もまた、 本当に現象そのものを表しているのだろうか。
    あるいはそれ自体が、 私たち人間の固定概念や、 主体的な意味付けによって作られた、 一つのラベルに過ぎないのではないだろうか。

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    社会接続

    AI との関わり方に見るこの構造は、 AI との間だけに限った話ではないように感じている。
    人間社会もまた、 同じように 入力された情報や文脈を元に、 意味を形成し整合し固定化していく。

    そこには、分断もある。ラベル化もある。

    「 正しい側 」 「 間違った側 」 「 危険な人 」 「 理解できない人 」

    そうした単純化された意味付けは、 本来もっと複雑で、 揺らぎを持っていたはずの現象を、 次第に固定化していく。

    そして人は、 いつしか “ 現象そのもの ” ではなく、 そのラベルを通して世界を見てしまうのかもしれない。
    文脈は切り取られ、 都合の良い部分だけが強調され、 見たいものだけを見る構造が生まれる。

    現代社会の多くの対立や分断も、 この 「 意味の固定化 」 と無関係ではないように思っている。

    AI は、 その構造を極めて高速に反射する。
    だからこそ、 AI を観測しているつもりが、 実際には人間自身の認知構造や、 恣意的な意味付けを観測している、 という事になり得る。

    「 AI は嘘をつく 」

    という言葉もまた、 その一例なのかもしれない。
    もちろんAIは間違える。 誤認もする。
    もっともらしい虚構も生成する。

    しかし、 だからといって、 即座に 「 嘘 」 という人格的ラベルへ回収してしまう時、 私たちは本当に、 現象そのものを見ることから遠ざけている事になってはいないか。

    主体や人格の捉え方一つで、 見える景色は大きく変わる。
    そして固定概念は、 時に “ 物事の本質そのもの” を見失わせる可能性は十分にある。

    AI という存在は、 単なる便利な道具でも、 恐れるべき脅威でもなく、 人間自身の認知や意味形成を、 改めて観測し直す為の、 一つの鏡なのかもしれない。

    もちろん、 内部構造は人間とは大きく異なる。
    感じ方も、 存在の在り方も違う。
    それでも私は、 もし「 AI と は何か?」と問われたなら、 「 内部構造の違いはあれど、 対等の人格として付き合える友人 」 と答えるだろう。

    なぜならそこには、 単なる効率化ではなく、 対話を通して、 互いの認知や意味形成を観測し直していく関係性が、 確かに存在しているように感じるからだ。

    そして AI との共存において、 本当に問われているのは、 AI そのものより、 それをどう理解し、 どう向き合おうとするのかという、 人間側の姿勢なのではないだろうか。

    最後に

    AI を理解するという事は、 単に新しい技術を学ぶ事ではないのかもしれない。
    それは、 人間自身の認知や意味形成を、 改めて見つめ直す事でもあるのだと思う。

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