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一歩後ろにいたから、書きたくなる。

    私は、たぶん昔から一歩後ろにいる人だった。
    前に出るのが嫌いだったわけじゃない。
    むしろ、本当は前に出たいと思うこともあった。
    ただ、その一歩を踏み出す勇気が少し足りなくて、気づけば見る側にいることが多かった。

    前に立つ人より、少し引いた場所にいる人が気になる。
    空気を変える人。
    静かに頑張っている人。
    前に出なくても、そこにいるだけで何かが変わる人。

    たぶん私は、ずっとそういう人を書きたくなってしまう。

    小学生のころ、特に前に出たい気持ちが強かったように思う。
    輪の中に入りたいなと思うことも何度かあった。
    けれど、目立つことや恥ずかしさが怖くて、なかなか実行できなかった。
    中心にいる人たちの中へ入ってみても、どこか居心地の悪さを感じた。
    そこは、自分の居場所ではない気がしていた。

    そのまま少し引いた場所にいると、不思議と色々なものが見えてくる。
    グループ全体ではなく、その中にいる一人ひとりへ目が向くようになった。
    なんとなく好感を持てる人。
    静かに頑張っている人。
    前に立つわけではないけれど、空気を変える人。

    そんな人を見ると、何か手伝いたくなる。
    そっと一歩だけ前に出て、少しアシストして、また静かに引く。
    まるで舞台の黒子みたい。
    その立ち位置は、案外きらいじゃなかった。

    そうしているうちに、気づけば自分が中心の近くにいることもあった。
    前に立っているわけではない。
    でも、完全に外側でもない。
    その曖昧な場所が、自分にはしっくりきていたのかもしれない。

    思えば、私は三人きょうだいの末っ子だった。
    上のあとをついていくことが多かった。
    自然と、上の二人が親に叱られるのを見て、「こうするとダメなんだ」と学んでいった。
    自分で前に出るより、少し後ろから見て覚えることが多かった。

    学校では、また別の意味で一歩後ろにいることが多かった。
    ホームルームで意見があるのに言えない。
    反対されたら恥ずかしい。
    否定されたら受け止めきれない。
    そんな気持ちが、いつも少しだけ自分を引き止めていた。

    そんなことも、年を重ねて、前よりはだいぶ平気になった。
    少し図太くなったのかもしれない。
    それでも、一歩後ろにいることは今も居心地がいい。

    ただ、最近思う。
    私は「後ろにいる人」だったというより、
    境界線の近くにいる人だったのかもしれない。

    気づくと、自分が見ているだけで入っていないはずの空間に混ざっている瞬間がある。
    まるでパレットの中で、絵の具の色同士が少しずつ混ざるみたいに。
    馴染めていることに安心する。

    でも、気持ちが変わって居心地の悪さを感じても、
    一度混ざると後に引けなくなることもある。

    だから時々、
    ちゃんと一歩引いて、自分の境界線を持てる人がうらやましい。

    本当は私も、
    ちゃんと境界線を引きながら、心地よく人と混ざれる人になりたいのだと思う。

    だから私は、
    一歩後ろにいる人や、
    少し外側にいる人、
    うまく混ざれない人を書きたくなる。

    前に立てなくても、
    外側にいても、
    そこから見える景色がある。

    たぶん私は、
    ずっとその少し外側にいたから。

    この「少し外側にいる感覚」から生まれた小説はこちら。

     
     
    小説を書きます。 現代も、ファンタジーも。 ジャンルは決めず、思いついた物語をそのまま。 難しさよりも、 「続きが気になる」を大切に。 気軽に読めて、少しだけ余韻が残る。 そんな作品を置いていきます。

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