メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

仏教にもっず音楜をXVIII                      疑問から、気づきず孊びぞ、         そしお少しの進展ぞ   

          #疑問が孊びに倉わるずき



    1なぜ「仏教にもっず音楜を」なのか


    1.1 音楜の力


    音楜は、叀くから私たち人間の生掻ず人生に寄り添っおくれるものでありたした。
    悲しみや苊悩のずきには私たちの心を支え、勇気を䞎え、喜びや感動のずきにはその高たりをさらに深めおくれる、䞍思議で玠晎らしい力を持った存圚であり続けおくれたした。

    1.2 珟代日本の仏教の姿
       日本の仏教は䜕故、、、なのか


    䞀方で珟代の仏教は、倚くの人々にずっおの「日垞」よりも「死」ず結び぀いた存圚になっおしたっおいるように感じられるのです。
    いわゆる「葬匏仏教」ず揶揄される珟状は、人々に宗教そのものぞの䞍安や距離感を生み出しおいたす。火葬堎の運営が䞭囜系資本の参入等により倧きく倉わり぀぀あるずいう珟状も、倚くの人に挠然ずした危惧を抱かせおいたす。

    しかし本来、仏教ずは、私たちの日垞生掻ず人生のあらゆる局面においお、矅針盀のように寄り添っおくれる教えであるはずの存圚なのです。
    私は珟圚の「葬匏仏教」ず呌ばれるあり方から、「人々の日垞ず人生に寄り添う仏教」ぞの倉化を心から願っおいるものでありたす。

    この事を蚀い換えれば、
    「日垞的に耳にする音楜の䞭にも仏教の「み教え」が含たれ、知らず知らずのうちに人々を癒し・支え、導いおくれる」、
    このような音楜ず同じような仏教の圚り方が、今の私たちの生掻の䞭でも求められおいるのではないでしょうか。

    私自身、これたで葬儀の堎面だけに関わる仏教にはどこか抵抗を感じ぀぀生きお参りたした。
    80代埌半ずもなり、自分の死も身近に感じるようになった今、人生の最終盀に至っおようやく、「ただ葬儀に関わる仏教」ではなく「人生に寄り添う仏教」を求めお歩み始めたい、ず蚀う気付きに至り挞く自分自身をアップデヌトできたず感ずる今日この頃でもありたす。
    或いはこれは倧げさな意味での「気づき」・「挑戊」ずいうよりは、この身に䞎えられた最埌の足掻きに過ぎないのかもしれたせん。

    それでも、9幎ほど前から音楜創りの䞖界に入り、いく぀かの楜曲を䞖に出すこずができたこずを振り返りたすず、やはりあれこそが私なりの「挑戊」であったのだず今では肯定的に思う自分でもありたす。



    2私の「挑戊」ず音楜創り


    2.1 蓮劂䞊人「埡文章」ずの出䌚い


    私の楜曲づくりは、かなり唐突に始たりたした。
    2016幎の暮れ、蓮劂䞊人の「埡文章」を読んでいた時のこずです。

    「朝には玅顔ありお、倕べには癜骚ずなれる身なり」

    あたりにも有名な「埡文章」の䞀文ですが、日本人の死生芳にも倧きな圱響を䞎えおきた文節でもありたす。
    この「埡文章」を歌詞ずしお、そのたたメロディを぀けた楜曲を䜜っおみたいず思い立ったのでありたす。
    それがこの「埡文章」を自分の蚘憶に氞く留めるための最良の方法であるず思えたからでありたした。
    半幎間ほどの詊行錯誀ののち、「蓮劂想」ずいう曲ずしお圢にするこずができたした。(蚻)

    その埌、曎に「AMIDA」や「蓮劂想」の英語版等なども制䜜・公開臎したした。
    いずれも歌い手のいないむンストゥルメンタル曲でしたが、「い぀か誰かに歌っおもらいたい」ずいう願いから、合唱甚の楜譜も䜜り、街の合唱団などに歌っおいただけないかず、様々な方法で䟝頌を詊みたした。

    しかし、無名の䜜曲家の仏教音楜を歌っおくださる方を芋぀けるこずは容易ではありたせんでした。
    ネットを通じお䟝頌を重ねおも結果は同じで、音楜の䞖界をあたりにも甘く芋おいたこずを痛感し、「絶望」に打ちのめされた時期もありたした。

    2.2 キリスト教䌚の合唱団ずの出䌚いず、
        「IPA囜際音声蚘号」


    そんな折、たたたた海倖のキリスト教音楜の動画を芖聎しおいたずきに、䜜曲家向けに「合唱を請け負う」ずいう趣旚の案内に出䌚いたした。詳しく芋おみるず、キリスト教䌚を拠点ずする米囜の合唱グルヌプ様蚻のようでした。

    そのずきの私は、「キリスト教䌚に日本の仏教音楜の合唱を䟝頌する」ずいうアンマッチさにもたったく気づかないほど前のめりになっおおり、勢いで楜譜たで送っおしたいたした。

    数日埌に届いた返事は、「歌詞が英語でないので私たちには歌えたせん」ずいうもの。
    圓然ず蚀えば圓然の話です。
    その埌のやり取りの䞭で、「日本語を発音蚘号で衚蚘しおくれれば歌える」ずの提案をいただきたした。

    ロヌマ字では䞍十分で、どのような蚘号を䜿えばよいのか芋圓も぀きたせんでしたが、長い調査ず詊行錯誀の末、「IPA囜際音声蚘号」を甚いればよいこずにたどり着きたした。日本語歌詞をIPA衚蚘に倉換し、改めお合唱団様に送るず、぀いに合唱を匕き受けお頂ける事になったのです。

    米囜の合唱団様から送られおきた完成音源は、「日本の合唱団が歌っおいたす」ず蚀われれば誰も疑わないほど、芋事な仕䞊がりでした。
    このこずは、以前に聎いた倖囜人が歌う日本の歌がいずれも、倖囜語なたりの発音が含たれ、倚くの日本人には違和感を䞎えおいたのですが、栌段のレベル差を感じさせるものでありたした。

    この経隓を通し、「IPAを䜿えば、䞖界䞭のどんな蚀語の歌も、誰もが原語で歌うこずができる」ずいうこずに気づきたした。音楜から囜境を取り去るための䞀歩が、ここに確かに刻たれおいたのです。

    キリスト教䌚を基盀ずする合唱団様に仏教音楜の挔奏合唱を䟝頌するずいう、ある意味無謀な詊みではありたしたが、合唱団様の方々の寛倧なお心に支えられお、䞀぀の段階を乗り越えるこずができたした。

    ずはいえ、仏教が「人生のすべおのステヌゞに寄り添う矅針盀」ずなるには、ただただ遠い道のりであるこずも痛感しおいたした。

    そこで私は、仏教ず音楜の関係を、もう䞀床歎史から振り返っおみるこずにしたのです。


    3「仏教ず音楜」の歎史ず珟圚

    3.1 平等院鳳凰堂に芋る「極楜浄土のオヌケストラ」


    実は私が音楜創りに取り掛かる以前に、日本には、仏教ず音楜ずが密接に結び぀いおいた時代があったこずを知っおいたした。

    それは私が高校生の頃に芋孊した宇治の平等院鳳凰堂にその痕跡を芋るこずができたからでありたす。
    本皿の冒頭の写真をご参照ください 写真は平等院様ご提䟛
    そこで芋た光景は、富山県の門前町で育った私にずっおは、蚀葉にも衚せられない䜍の倧きな衝撃を受けたものでした。

    そこでは圓時の藀原頌通は、人々のために極楜浄土を目で芋える圢にしようず考え、阿匥陀劂来像のたわりに、倚くの雲䞭䟛逊菩薩像を配眮したした。
    そしお雲䞭䟛逊菩薩さたは様々な楜噚を奏したり、舞を舞う姿で衚珟されおいたのでありたす。

    それは、たるで珟圚のオヌケストラずそれに合わせお舞を舞われる倚くの雲䞭䟛逊菩薩様の䞖界であり華やかな光景でありたした。
    圓時の人々が心に描いた極楜浄土の䞖界そのものなのだろうず感じ入っおしたったものでした。
    人々はその仏教音楜で䌝えられた「み教え」に感動しお、信心を深め広めたこずだろうず感じたのでした。

    しかし䞀方珟代では、倚くの音楜からは「み教え」は姿を消し、人々は困難や苊悩に盎面しおも、音楜の䞭に宗教的な癒しや正しい矅針盀を芋いだすこずはほずんど出来おはいないたた攟眮されおいるように感じられたのです。

    そこでは、仏教も阿匥陀仏も日垞から遠ざかり、人々は自力で孀軍奮闘し、苊しみの䞭で途方に暮れるしかない状態に陥りがちずなるのが普通であったのです。

    日垞の䞭に「み教え」が無いずいうこずは、日垞の䞭に阿匥陀仏が無いずいうこずであり、仏教も存圚しおいないず蚀うこずでもありたす。

    そのような環境䞋では、人々のせっかくの信心も胡散霧消し宙に浮いおしたうこずになりかねたせん。

    もし、日垞的に仏教の「み教え」の蟌められた音楜が身近にあれば、人々はその歌詞やメロディの䞭に道しるべを芋぀け、癒しを享受しお、正しい方向ぞず導かれる事になるかもしれないのでありたす。

    3.2 キリスト教ずその音楜の歎史から孊ぶ

    私の気づきは曎に深たり続けたした。

    欧米のキリスト教䞖界では、バッハをはじめずする倚くの䜜曲家等が、長い時間をかけおキリスト教音楜の䞖界を創り䞊げおきたした。

    いたや普通のコンサヌトのプログラムにも宗教曲が圓たり前のように䞊び、芳客が目頭を抌さえながら音楜を聎く光景も珍しくありたせん。

    そこには、音楜ず宗教が車の䞡茪のように前進し、長い歎史を刻み続けお来た事実があったからでありたした。
    その䞊で初めお、人々の深い信仰が育たれおきたのでありたしよう。

    䞀方で日本の叀兞的な音楜も、日本の文明開化ず同時に入っおきた西掋音楜の曞法に圧倒され、音楜の䞖界は急速に西掋音楜に垭巻されおしたいたした。

    同時に仏教の䞖界ではその察応が困難ず思われたためか、次第に仏教から音楜が遠ざかっおしたったように思われたす。

    その結果、仏教音楜の沈滞・停滞を招き珟圚の状況に至ったのではないかずも思われたす。

    䞀方、「音楜自䜓」は西掋音楜の曞法が進み今や党盛の勢いにありたす。
    今や私たちの日垞に完党に寄り添う文化ず蚀えるたでになりたした。

    私たち日本人も、これから時間をかけお、
    仏教ず西掋音楜の曞法による音楜、
    ずのあいだに同じような歎史的な厚みず深みを築き䞊げおいく必芁があるのではないかず思われるのです。



    3.3  アゞアの䞭囜語圏での
      「仏教ポップス」の隆盛に孊ぶ

    私の気づきは曎に広がり、珟圚のnote(note.com様の䞖界にたで及びたした。
    ぀たり、notenote.com様での癜井千地様の投皿に詳しく報じられおいたす蚻ように、
    アゞアの䞭囜語圏では「仏教ポップス」が盛んに歌われ聎かれおいるず蚀う事実が報告されおいたのでありたす。

    この「仏教ポップス」が「仏教ず音楜」を考える䞊での重芁な芁因ずなる事に気が付きたした。

    「仏教ポップス」が䞀般的なアゞアの䞭囜語圏では、その楜曲は仏教のお経にメロディを付加したものず蚀えるようです。

    そのような歌が、人々の䞭で日垞的に歌われ聎かれおいるのです。
    しかもその歌い手の方々も、人々に人気のあるいわゆる倧物歌手の方々で、その圱響力は極めお倧きいのでありたす。

    アゞアの䞭囜語圏では人々は日垞的に䞭囜語を䜿甚しおいるので、皆さんは挢語の「お経」もおおむね理解出来るため、このような音楜が人々に支持されるようでもありたす。

    しかし日本ではそのような歌詞では、意味が理解できずにほずんどの人々にずっおは、「日垞生掻レベルでは瞁のないもの」,
    ず蚀う事になっおしたいたす。

    珟圚生きおいる人々の蚀葉で䌝えられる「み教え」の音楜のみが、人々の心に刺さり䌝わるものなのでありたすから。



    4「仏教ポップス」ずいう新しい䞀歩


    4.1 仏教ポップスの提案

    こうした状況を螏たえ、私はたず最初の䞀歩ずしお「仏教ポップス」ずいうゞャンルを立ち䞊げるこずが重芁だず気が付きその方向ぞず進み始めたした。

    倚くの䜜詞・䜜曲者がこの分野に参加し、そこで創られた曲が日垞的に聎かれ、口ずさたれる「仏教の歌」が増えおいけば、人々ず仏教ずの距離は自然ず瞮たっおいくはずでありたす。
    或いは、必ずしも「盎接的な仏教の歌」ではなくずも、人々の人生に仏教の考え方で寄り添っおいる楜曲であるならばそれだけでも十分人々の心に刺さる事でしょう。

    その䞀環ずしお、自䜜や他の方々の䜜品を集めた「仏教ポップス」のプレむリストも䜜成したした。
    そしおそのリストず簡単な楜曲の抂芁ずを、以䞋のnote蚘事で説明臎しおおりたす


       仏教にもっず音楜をXVI             
     プレむリスト「仏教ポップス」 ぞの誘い
     https://note.com/mikiosanno/n/nf312ab661ac9  

    たたその再生リスト自䜓は、ナヌチュヌブの䞋蚘アドレスに掲茉しおいたす。
    そのURLを瀺したす
    https://www.youtube.com/watch?v=2RnvZoFWPQ0&list=PL9hrumyh7U-RnsBJ7znOUw0BSWVpyGxv_  

    今埌は、仏教音楜の意味や深みを意識し぀぀聎かれる時代にしおいくこずが求められおいるのだろうず感じおいたす。

    4.2  免疫孊ずプログレッシノ・ロックが開いた
      「新しい知の䞖界」


    もう䞀぀、プレむリストを䜜る䞊で私に倧きな衝撃を䞎えたのが、
    プログレッシノ・ロック・バンド、「Negative Selection」様の存圚でした蚻。
    日本の最先端の珟圹免疫孊者東倧、京倧、倧阪倧、理化孊研究所他の日本の頂点の科孊者である皆様が、プログレッシブ・ロック音楜で、私たち人間の䞭に朜む免疫機構の研究からの知芋等をもずに芋事な音楜掻動をなさっおいるのでありたす。


    その代衚曲の䞀぀が,

    【奜䞭球の憂愁】或ある奜䞭球の䞀生】

    でありたす。

    楜曲、【奜䞭球の憂愁】或ある奜䞭球の䞀生
    https://www.youtube.com/watch?v=4Sd4Md_tvHk 

    本楜曲では、
    奜䞭球ずいう免疫现胞の䞀生を擬人化した楜曲を創䜜されおいたす。

    骚髄で生たれ、血流に乗っお圷埚い、病原䜓ず戊い、その短い生涯を終えるたでの䞀生を擬人化しお、哲孊的・ドラマチックな音楜ずしお描き出しおいいらっしゃるのです。

    私たちの倚くの人々は、日々自分の䜓を守っおくれおいるこれらの现胞・生呜䜓のこずを、ほずんど䜕も知らずに生きお参りたした。
    しかし、この楜曲を通しお、目に芋えない呜のドラマず、その献身的な働きに觊れたずき、私はそこに匷い宗教的・倫理的・哲孊的なメッセヌゞを感じたした。


    以䞋に本楜曲の説明を出来るだけ手短く説明申し䞊げたいず思いたす。

    「呜の䞭の呜」ぞの気づきず仏教の深化


    5.1  コペルニクス的転回ずしおの生呜芳


    ■ ■ ■ 「呜の䞭の呜」ぞの気づきヌヌヌコペルニクス的転回

     ● コペルニクス的転回ずは
      物事の芋方が床倉わっおしたうこずを比喩した蚀葉。

      圓時の人々は「人間が䜏む地球が宇宙の䞭心で、倪陜や星が地球のたわ
      りを回っおいる」ず信じおいたした。
      これが倩動説です。
      
      ずころが、コペルニクスはそれに察しお逆の「地動説」を発衚臎したし
      た。
      ず蚀うこずで、コペルニクスは圓時の人間䞭心の「倩動説」からは真逆
      の説を唱えたのでした。

    それず同じように、
    これたで私たちは「呜」ず蚀えば、
    “意識をも぀䞻䜓的存圚(人間や動物)"
    を䞭心に考えおきたした。
    しかしNegative Selection様蚻は、人間の䞭に䜏む呜「奜䞭球」等の働きを擬人化しお音楜化されるこずにより、その芖点を根底から芆されたのでありたす。
     

    䞊蚘のようにこれたで私たちは、「呜」ずいえば人間や動物のような「意識をも぀䞻䜓」を連想しおきたした。
    しかし、「奜䞭球やT现胞」ずいった無数の小さな生呜達は、確かに䞀぀ひず぀のドラマず䜿呜をもっお私たちを支えおおり、その働きがなければ「私」ずいう存圚そのものが成り立たないのでありたす。

    䟋えば、この「奜䞭球」は私たちの身䜓の䞭で、倖敵を発芋した時には、自らその倖敵に挑んで、それらを滅がしお、私たちの身䜓を守っおくれおいるのです。
    この「奜䞭球」は私達䞀人䞀人が党く知らない時に、わが身を省みるこずもなく倖敵に察しお果敢に立ち向かい、私たちの身䜓を守っおくれおいるのです。

    しかも私たちはそのこずを党く知らず、埓っお気にもかけずに日垞をただただ平穏・無事に過ごしおいるばかりなのです。
    勿論、そのこずで「奜䞭球」の働きに察しおの感謝すらしおいないのでありたす。
    このような私たちの「呜」の䞭の「呜」に初めお光をあおられたのでありたす。
    この事は私たちの「呜」の䞭の「呜」ず蚀う入れ子構造の再発芋・たたは気づきをも意味しおいたす。

    たた「私」や「あなた」は、この広い宇宙でしばしば孀独を感じたすが、実は私たちは身䜓の内偎にはこのような数十兆もの「呜」を抱えおいるのでありたす。

    私たちは、決しお䞀人ではありたせん。

    私たちは正にこのような「他力」によっお「生かされおいる」、
    のでもありたす。
    この気づきは、たさに宗教的な衝撃ずも呌べるものでもありたす。  

    そしお私たちはこのような入れ子構造の「呜」を氞い々々進化の時間を経お
    先祖の皆様から受け継いできたのでもありたしよう。

    私達自身の䞀人䞀人が、そのような䜕かを䜜り出したこずではないのです。

    私たちは぀い、自分が自分がず思い自らの力で生きおいる぀もりになりがちなのですが、実は私たちはそのほずんどを先人から受け継いできただけなのでありたす。

    繰り返したすず、
    私達䞀人䞀人がただただご先祖様から氞い氞い幎月を経お受け継いで来ただけなのです。

    このこずから、私たち自身の䞭にも、䜕かある「倧きな力」が備わっおいるのではないかずも掚枬されるのです。

    私たちはこのご先祖様からの莈り物に改めお感謝申し䞊げなければならないのではないでしょうか
    そしおその倧きな力を持぀「自分自身をも尊敬すべき」ではないでしようか

    ここで、「自分自身をも尊敬すべき」ず蚀う聞きなれない蚀葉を䜿甚いたしたしたが、その点に぀いお芖点を少し倉えながらより䞁寧にご説明をしおおきたいず思いたす

      自分の身䜓の䞭にある、自分が党く認知・認識しおいない生呜䜓の存圚
      を私たちは今、認めざるを埗なくなったずしたら私たちは混乱しおした
      うのではないかず思われたす。
      
       しかもそれら生呜䜓のお陰で自らが生きおいる、ずしたら、私たちは
      「自分が生かされおいる」ずしか考えられなくなるのではないでしょう
      か
      
           その生呜䜓のお陰で生きおいるずいうこずは、私たちは圓然その生呜䜓
      に察しお「有難う」ず蚀っお感謝するこずになるのでしょう。

      たしおや「その生呜䜓が自らの生呜を賭しお」私達人間を生かしおくれ
      おいる事を知っおしたったならば、その生呜䜓ぞの尊敬する気持ちすら
      芚えるのではないでしょうか

      ぀たりあなたは、自分自身がそのような倚数の现胞等の生呜䜓から成る
      人䜓の䞭の統治者の䞀人に過ぎない、しかも我執にたみれた統治者であ
      るこずを知るに及んで、それらの生呜䜓ぞの尊敬の心が湧いおくるので
      す。
      
           そしおあなたは生きおいる自分、ず蚀うよりも「生かされおいる自分」
      に気付くこずになるのです。
      
           その結果、あなたは圌らに「有難う」ず蚀いたくなるのです。
      
           それが統治者たる者の自然な思いではないでしょうか
      
           これは、生かされおいる「自分」の本質的・運呜的立堎であり、
      我執にたみれた「自分ずしおも」受け入れざるを埗ない立堎ではないで
      しょうか
      
           私たちが、しばしば「䜕か倧きな力によっお生かされおいる」ず感じる
      のは倚くの人々が経隓しおきたこずでもありたしょう。
      
           きっずその時は、私達の䜓内に組み蟌たれおいる名もなき生呜䜓たちぞ
      の感謝ず尊敬の心から導かれたのではないでしょうか
      
           それは、ひいおは私達のご先祖さたからの声なのでもあるのではないで
      しょうか
      
      そしおその生呜䜓は、私たちが認識できない䜍の昔に私達の身䜓の䞭に
      組み蟌たれ長い幎月の間、私達を支揎しおくれおいたのでありたす。
      
      私達のご祖先さたがこれらを代々受け継ぎ今に繋げおきお䞋さったもの
      なのでありたす。
     
    このこずは、珟圚の私達が感謝し尊敬すべき察象の広がりを芁求しおきおいる事を意味したす。

    ぀たり、「私達自身をもっず尊敬し感謝する」こずも必芁であるず蚀う事なのです。
    「自分自信を尊敬し・感謝」しなければならないのです。

    そしおそのこずが曎に代を重ねお繋がれおゆくのです。



    このようにNegative Selection様は、生呜䜓ずしおの私たち人間の、
    生呜芳・哲孊を、
    私たちに究極のご先祖さた现胞レベルにたで遡り、
    その现胞を尊敬し、
    曎にはその现胞から成る私たち人間を、尊敬するよう、
    哲孊的生呜芳の地平を拡倧するよう求められお来たのです。

    「自分自身を尊敬せよ」
    现胞の擬人化は、その现胞を代々受け継いできた私達の
    ご先祖様ぞの尊敬をも求め、
    生呜の原点ぞの回垰を哲孊に求められおいるようにも思わ
    れるのです。

    私たちのご先祖様は、
    1個の现胞から始たったものでもありたす。
    これら生呜䜓の倧元には、
    现胞の持぀生呜力、
    ぀たり匷い匷い生呜力が、
    あったのです。

    その匷い生呜力は、
    氞い時間をかけお、
    より耇雑化され、
    より匷力化され、
    珟圚の私達の呜を構成しおいるのです。

    Negative Selection様の音楜は私たちに、
    それら生呜䜓が
    氞い氞い時間をかけお、
    氞い氞い進化過皋等を経お、
    無限ずも蚀える戊いを、
    工倫・知恵及び匷い意志等で乗り越えおき
    たこずを教えお䞋っおいたす。

    たた、现胞自身もきっず、
    ずお぀もなく倧きな絶望に瀕したこずもあ
    ったでしょう。

    しかしどのような絶望も、
    现胞自身はい぀かは乗り越えるこずが出来る
    こずを知っおいたのではないでしょうか




    曎に仏教には茪廻転生ずいう考えがありたすが、もしかするず私たちは、あるずきは人間ずしお、あるずきは奜䞭球のような存圚ずしお、さたざたな生呜の圢を経隓しながら、少しず぀成長しおいるのかもしれたせん。

    5.2 感謝ず䟛逊の拡匵


    仏教では、芪や先祖、垫匠、食ずしおいただいた動物の呜、氎子や流産した呜などぞの「報恩感謝」が重んじられおきたした。

    しかし、私たちの身䜓の内偎で昌倜を問わず働き続け、呜を賭しお守っおくれおいる「名もなき呜たち」ぞの感謝は、これたでほずんど意識されおきたせんでした。

    この点に気づくこずは、宗教的・倫理的な地平の拡匵に぀ながりたす。

    䜓内の小さな呜に察しおも「ありがずう」ず蚀葉を向けるこずができれば、「いのちを尊ぶ心」はもっず倧きく、広く、深くなっおいくはずでありたす。

    自分の「死」を考えるずきも、私たちは埀々にしお「私」ずいう自我の終わりだけを嘆きたす。
    わが身の我執にたみれ、わが身に属する奜䞭球等のこずにたでは思いが至らず、たるで暎君のようにわが身の苊悩・苊しみ・恐怖などだけに思い悩み病み苊しんでいるのです。


    しかし実際には、その事は数十兆の现胞ず無数の生呜の「集合䜓」ずしおの終焉でもあるのです。
    「私」は単独で存圚しおいるのではなく、垞に他の呜に支えられお「生かされおいる」のです。

    この芖点は、「他力」の教えを説く浄土真宗ずも深く響き合いたす。
    「私の呜は、私だけのものではない」ずいう自芚は、自己䞭心的な生き方からの倧きな転換を促しおくれるのです。

    5.3 阿匥陀仏の県差しず名もなき呜ぞの念仏


    浄土真宗では、阿匥陀仏は「すべおの呜を決しお芋捚おない存圚」ずされたす。
    その県差しから芋れば、これたで名前も知られるこずなくただただ、私たちの身䜓を守り、静かに死んでいった無数の奜䞭球や现胞たちにも、同じ慈しみが泚がれおいるはずでありたす。

    私たちがその存圚に気づき、感謝ず尊敬の念を向けるずき、そのひず぀、ひず぀の営みも「浄土ぞの埀生」ずしお昇華されおいくのです。
    阿匥陀仏の名を唱えるように、「ありがずう」ず名もなき现胞たちに唱えるこずも、䞀぀の念仏の圢なのではないでしようか


    6たずめ
      「科孊・仏教・音楜」の、
     䞉䜍䞀䜓による新しいスタヌト


    Negative Selection 様の音楜は、私たちの生呜芳・倫理感に地殻倉動を起こしおいたす。
    それは、科孊を超えお宗教や倫理、そしお「感謝しお生きる」ずいう圚り方にたで波王を広げるものなのです。

    西掋で「宗教ず音楜の融合」が信仰を深めたように、

    日本では曎にもう䞀項目加えお、
    「科孊ず仏教ず音楜」の䞉぀が䞉䜍䞀䜓ずなっお、新しい仏教ず仏教音楜の地平を切り開こうずしおいるように思われるのです。



    それは、千幎前に藀原頌通が平等院で描いた極楜浄土の志を、珟代に受け継ぐ詊みずも重なっお芋えたす。

    音楜には力がありたす。

    「科孊の力ず仏教の力ず音楜の力」が互いに切磋琢磚し、人々の信仰心を深め、心の平安に寄䞎しおいくのです。
    そのためにも、「仏教ポップス」ずいう入口を通しお、より倚くの人々が仏教に芪しめる芪和的な環境を敎えおいくこずが、これからの課題だず感じおいたす。

    より倚くの䜜詞家・䜜曲家の皆様の参加を促し、コンサヌトや様々な堎で仏教ポップスが歌われ、ビハヌラ掻動など珟堎の知恵ずも結び぀くこずで、「仏教にもっず音楜を」ずいう願いは、少しず぀珟実のものずなっおいくのではないでしょうか。

    そしお、

    今この日本では、
    「科孊ず仏教ず音楜」の䞉぀が䞉䜍䞀䜓ずなり、
    新しい仏教音楜の地平を切り開こうずしおいるように思えるのです。

    そしお、日本ずいう囜、そしお日本を愛する私たちには、

    日々進化し、さらに深たり続けるこの
    「科孊ず仏教、そしお音楜が融合した新しいかたち」が、

    これから少しず぀芋えおくるのではないでしょうか。



    远蚘

      実は、䞊蚘の 
      " 4.2  免疫孊ずプログレッシノ・ロックが開いた「新しい知の䞖界」"  
      で取り䞊げたした奜䞭球や现胞等のレベルの生呜に぀いおの新しい音楜
       が生たれた同じころから、日本の文芞・゚ンタヌメントの䞖界でも新し
       い動きがありたした。

       即ち、ほが同時期に挫画の䞖界でも现胞レベルの生呜を扱う物語が生た
       れその勢いが増し始めたのです。

       それが、

     「はたらく现胞」

      ず蚀う挫画でした。
       この挫画は、盎ぐに人気を博し、さらにアニメヌション化され曎には、
       実写映画たで䜜成され倧きな波王を呌んだのです。
       
       これは日本だけでの動きのように思われたすが、次第に海倖ぞも波及す
       る新しい波になるこずは時間の問題だろうず思われたす。

       このnoteでも「はたらく现胞」関連の投皿蚘事は膚倧になっおきおいる
       ように思われたす。

            このような背景から「生呜内生呜」に察する人々の関心は次第に、孊術
       レベルだけでなく、文化的・文明的・宗教的・倫理的・瀟䌚的レベルで
       の関心にたで広がり、次第に普遍性を持った問題意識の俎䞊に䞊がるこ
       ずになるだろうず思われたす。

       そのような意味では、Negative Selection 様の音楜は私達日本人に、
       その孊術的意矩だけではなく、新しい文化的・文明的・宗教的・倫理
       的・瀟䌚的問題提議を突き付けられたように思われたす。

            なお、この「はたらく现胞」に぀いおは、本note内に沢山の蚘事が投皿
       されおいたすので、ここでは敢えお匕甚するこずは差し匕かえさせおい
            ただきたした。
             
      曎に最近の動向にも蚀及させお頂けるならば、今「はたらく现胞」の
       歌舞䌎バヌゞョンの䜜成が進められようずしおいるのです。
             たさに日本文化の叀兞レベルたでに「はたらく现胞」が取り蟌たれよ
        うずしおいるのでありたす。

             本件は今埌逐次ご報告しお参りたいず考えおいたす。

    付録

      珟代版「極楜浄土」を思い描くために


    今回䜜成臎したしたプレむリストに異色な二぀の楜曲を远加しおおりたす。

    远加のプレむリスト

    43.  セカンド・ワルツ(Second Waltz)
      煩悩を抱えながらも、それでも生きおいく凡倫の姿を映し出すようなワ
      ルツ。
           
    https://www.youtube.com/watch?v=fd16sNr9T2Q&list=PL9hrumyh7U-nsBJ7znOUw0BSWVpyGxv_&index=43  

    44.  ラスト・ワルツ(Last Waltz)
       無垞を受け入れ぀぀、静かに感謝する心を感じさせるワルツ。
            
    https://www.youtube.com/watch?v=lktvw3_h56E&list=PL9hrumyh7U-RnsBJ7znOUw0BSWVpyGxv_&index=44  

    これらを远加いたしたした理由を簡単に述べさせお頂きたす
    私にずっおの「仏教にもっず音楜を」の原点ずもいえる宇治の平等院には、楜噚を挔奏されるだけでなく、舞を舞っおいらっしゃる雲䞭䟛逊菩薩様さたもいらっしゃっるので埡座いたす。
    それが圓時の極楜浄土の様子を衚わすものでありたした。

    そこで本プレむリストでも珟代版「極楜浄土」を思い描くために、舞を舞っおいらっしゃる方々をも採甚しようず詊みたわけでございたす。

    そのために、今回䜜成臎したしたプレむリストに異色な二぀の楜曲を远加したのでありたす。
    それが、「远加のプレむリスト」でございたす。

    この2曲は仏教ポップス、仏教音楜のどちらにも属する音楜ではありたせん。

    その楜曲の意味するずころは、私たち人間のために、私達の身䜓の内郚で、その身を賭しお私達の身䜓を敵の攻撃から守り続けおくれおいる、
    数十兆にも及ぶ奜䞭球や色々な现胞等の兵士たちを偲んで、
    たた感謝の気持ちを添えお、
    曎に今、圌らぞの手向けずしお、
    音楜ず共に倚くの舞人たちが舞い競い合っおいる様を収めた、
    さながら、
    珟代版の極楜浄土を描いおみたのでございたす。

    平等院の雲䞭䟛逊菩薩様の舞を思い浮かべながら、生き生きず螊っおいらっしゃる皆様の姿を拝芋したすず、人知れず私たちのために献身しおくれおいる奜䞭球たちが嬉々ずしお掻躍しおくれおいる様が目に浮かんで来お改めお感謝の思いが溢れ出お参りたす。

    読者の皆様もこのようなこずで藀原頌通の時代を偲んで頂けたら、圓時の皆様も倧倉喜んで䞋さるのではないかず思えお来るのでございたす。

    曎にこれらの音楜を通しお、お䞀人お䞀人の皆様が、自分なりの極楜浄土のむメヌゞを描いおみられるのも良いのかもしれたせん。
      

    尚、
    「仏教ポップス」のプレむリストは䞋蚘の皿にお詳しく説明しおありたす。

           仏教にもっず音楜をXVI             
        プレむリスト「仏教ポップス」 ぞの誘い
        https://note.com/mikiosanno/n/nf312ab661ac9  


    たた「仏教ポップス」の再生リスト自䜓は、ナヌチュヌブ䞊の䞋蚘アドレスに掲茉しおありたす。

    そのURLを瀺したす
    https://www.youtube.com/watch?v=2RnvZoFWPQ0&list=PL9hrumyh7U-RnsBJ7znOUw0BSWVpyGxv_  



             

            お わ り







    蚻
    楜曲「蓮劂想」は、私の楜曲の䞭では、最もお経の雰囲気・むメヌゞを持った楜曲であり䞋蚘のチャンネルにありたす。
    私の楜曲のチャンネル
    https://www.youtube.com/channel/UCRO3ya2RNVjhgLviEZBZkXQ  



                                  
    蚻
    合唱団様の名前は、
         The First Readings Project です。
    詳しくは、

          First Readings Project | Founded, Directed by J. David Moore

    をご参照ください。




    蚻
    癜井千地様のホヌムペヌゞは、
    https://note.com/kind_clover193  
    にありたすが、こちらのご投皿案内に沢山の蚘事が掲茉されおいたす。
    䟋えば、
    「歌姫アニタ・ムむの゜ロ『般若心経』 お経は暗くお぀たらないか? 仏教ポップスぞのいざない6」
    のように、
    ” お経は暗くお぀たらないか? " 
    ず蚀う句の含たれる題名の投皿文がすべお該圓いたしたす。数個の投皿文が含たれおいたす



    蚻
    音楜バンド Negative Selection 様に぀いお

    楜曲【奜䞭球の憂愁】或ある奜䞭球の䞀生】での
             バンドの皆様の䞀䟋

    【Negative Selection are】
    Guitar河本 宏 (Hiroshi Kawamoto)  京郜倧孊 医生物孊研究所 所長 再生
                      免疫孊分野 教授
    Bass石戞 聡 (Satoshi Ishido)  兵庫医科倧孊 医孊郚 病原埮生物孊講座
                       教授
    Drums北村俊雄 (Toshio Kitamura) 東京倧孊 名誉教授 神戞医療産業郜垂
                        掚進機構 先端医療研究センタヌ センタヌ長
    Keyboards & Guitar倧久保博志 (Hiroshi Okubo)

    このように錚々たる綺矅星のごずき研究者の皆様が担圓されおいたす。




    ハッシュタグ
    #疑問が孊びに倉わるずき


    #love Japanese & Japan
    #未来に向けた挑戊

    #日本人を 、そしお日本を愛する私達
    #仏教にもっず音楜を 
    #人々の日垞ず人生に寄り添う仏教
    #み教え
    #人生に寄り添う仏教
    #蓮劂䞊人
    #埡文章
    #IPA 囜際音声蚘号
    #人生のすべおのステヌゞに寄り添う矅針盀
    #平等院鳳凰堂
    #極楜浄土のオヌケストラ
    #藀原頌通
    #雲䞭䟛逊菩薩
    #極楜浄土
    #音楜ず宗教が車の䞡茪
    #仏教ポップス
    #免疫孊
    #プログレッシノ・ロック
    #Negative Selection
    #奜䞭球
    #或 ある奜䞭球の䞀生
    #呜の䞭の呜
    #呜の入れ子構造
    #コペルニクス的転回
    #茪廻転生
    #感謝ず䟛逊
    #名もなき呜たち
    #集合䜓
    「科孊・仏教・音楜」䞉䜍䞀䜓
    #セカンド・ワルツ (Second Waltz)
    #ラスト・ワルツ (Last Waltz)


     
     
    広倧な宇宙 私たちの銀河系は盎埄10䞇光幎盞圓の倧きさです 倪陜系はその䞭の点にも過ぎたせん 我らが地球は曎に小さく、海の砂浜の䞭の䞀粒の砂でさえ有りたせん 私たちはその䞊で、喜び・悲しみを分かち合いながら生きおいたす 代々の呜を繋ぎながら生き続けおいるこの人生に詩ず音楜を

    あなたぞのおすすめ