
飛んできた変な言葉が、なぜだかお守りになった
夫がアフリカへ赴任した。
長女が巣立ち、
春には次女が巣立ち、
6月、私はついに一人暮らしになった。
何かが終わって何かが始まるその合間には、
いつも感情が揺れる。
北海道へ長女を訪ねた記事を書いたときは、「離れてわかるありがたさだな」で締めた。
だけど、夫の赴任も迫るなか、心の中はほっこりではなく、小雨だった。
この20数年、楽しかったなぁ。
あっという間だった。
家族4人いつも一緒だった。
家族のことが大切で、大好きなんだなぁ。
私の気持ちは過去へと向かっていく。
それでも、朝になったら身支度を整えて出勤する。
こんなときは、外で勤めていてよかったなと思う。
夫の赴任前、異動を知った先輩が職場で声をかけてくれた。その話をきいていた私の目の前に座る同期のT君。パソコンのキーボードを打つ手を止めて、こう言った。
「やりたいほーだいやな」
そのときは、「好きなことを自由にできる」ってことなのねと解釈して、笑って流した。
後になって考えると、
「え、誰が?」
「何を」
主語と目的語がないやーん。
もっと突っ込めばよかった。
私は、いつもそうだ。
言葉をキャッチしたら、いったん納得してそのまま心の中にしまう。
その場で気の利いた言葉を返す瞬発力がない。
あいまいすぎるこの言葉に突っ込めなかったことがなんだか悔しかった。
T君は、新人時代からの長い付き合い。やさしくていい意味でテキトウでシャイな人。直球ではなく、変化球で言葉のボールを投げてウケを狙うところがある。
褒め言葉でもないし、 励ましでもない。少し雑で、 少しからかっていて、 品のいい言葉でもない。
受け取る人によっては、不快に思うかもしれない。
私の同僚や友達には、私にこんな軽い言葉をポイっと放つ人は他になかなかいないが、私としては、ポイっと軽く言葉を放たれるくらいの距離感がうれしかったりもする。今回の言葉もいつものT君らしい表現だと思ってすんなり受け取った。
でも、考えれば考えるほど、意味わからーん。
うまく返せなかった悔しさから、繰り返し「やりたいほーだいやな」が頭の中にでてきた。くすっと笑えた。
この言葉を思い出すとき、不思議と梅雨のように湿っぽくなった私の心が軽くなった。
こんな言葉で、雲間に陽が差すなんて。
傾聴や共感ではなく、軽く放り投げられたひとことで、心が楽になることがあるんだな。もちろん自分自身に共感することは欠かせないが、人は誰かからの共感や励ましだけで元気になるとは限らない。そう思った。
さらに、発見もあった。
「寂しさ」と共に「自由」になるとは思っていた。
その「自由」を感じることは、これからいつでもできる。思う存分書くことに集中するとか、気兼ねなく外出するとか、やりたいこともたくさんある。
でも、夫の出発を見届けるまでは、思い出の余韻に浸る時期であるべきだと思っていた。
自由だなんて思いたくなかったんだ、と気づいた。
私の気持ちは、過去へ向かう一本道だった。
それはそれで大切な時間だ。
一方で、その道しか見えないと、ずぶずぶと過去の方へ引っ張られていく。
「やりたいほーだいやな」は、そこに細い脇道を一本作った。
そこへ行かなければいけないわけじゃない。
ただ、寂しさに飲み込まれそうになったときのために、私が選べる別ルートをひとつ確保できた気がした。それがあると思うだけで気が楽になった。ちょっと悔しいけどお守りみたいに、持っておこうと思った。
「やりたいほーだいやな」
私は、この言葉に「2026年度上半期私が救われた言葉大賞」をあげたい。
夫の出発直前は、さすがに何度つぶやいても効かなかった。万能薬ではない。けれど、この言葉で私の心の中の雨雲はいつもより早く通りすぎた。
今日も目の前に座るT君は、何気なく放った言葉の、私の中の熟成度合いを知らない。そして、自分の言葉が、大賞を受賞するくらい私に新たな視点を与えて、笑わせたなんて知る由もない。
今度同じことを言われたら「あれ、もしかして、うらやましい?」とか返そうか、と思っている。
せっかくなので、他にも勝手に表彰しておきたい。
ここまで来たのは、私が言葉を掘ったからだ。言葉の意味を考えなかったら、「なんか、おもしろいな」「気持ち軽くしてくれたな」で終わっていたと思う。そう、この軽い言葉を自分に活かしたのは私だ。
私自身に、努力賞を贈りたい。
努力賞受賞理由:
同期が何気なく放った一言を拾い、反芻し、育て、ついには出来事の見方を変える言葉にまで熟成させたため。
そして、書く機会を与えてくれたnoteには感謝状を贈りたい。
感謝状:
創作大賞というお祭りで本気にさせ、
人や言葉や出来事を掘る楽しさを味わう機会を与え、何気ない日常の中に問いや発見のフックを増やしてくれたため。
「やりたいほーだいやな」
変な言葉のボールを投げられて、追いかけているうちに、他の視点もあることに気づいた。
共感されたわけでもない。アドバイスされたわけでもない。ただ、「やりたいほーだいやな」と自分もつぶやいてみたら、T君の見方に少し触れた。そうしたら、力が抜けた。
しばらくは、この変な言葉をつぶやきながら、新しい暮らしを歩いてみようと思う。