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Photo bytikutaku

ぼくのファシリテーションアカデミア(0) オリジン:ぼくのじいちゃん

    関与の原点

    ぼくのファシリテーションの原点は、技術ではない。


    問いの設計でもない。

    場づくりでもない。

    合意形成でもない。


    もっと手前にある。


    人が人に関心を寄せるとは、どういうことか。

    人が人に関与するとは、どういうことか。


    その最初の記憶が、ぼくにとっては、じいちゃんだった。


    じいちゃんは、もう亡くなっている。

    それでも、ぼくの中では、今も不思議なくらい近いところにいる。


    好奇心は、ぼくの存在に近かった


    幼い頃のぼくには、好奇心があった。


    本。図鑑。絵本。

    図鑑の同じページを、何度も見ていた。


    今でも、字があると読んでしまう。

    食品成分表でも、目に入るとつい読んでしまう。


    それは単に「賢い子」だったというような話ではない。

    もっと手前の、ただワクワクしているだけのことだった。


    なんか気になる。

    見たい。

    知りたい。


    その好奇心は、ぼくの存在に近いものだったのだと思う。


    そして、何かを知ると、誰かに話したくなった。


    見つけたものを、誰かに話したい。

    気づいたことを、聞いてほしい。


    ぼくにとって、知ることと伝えたくなることは、たぶん地続きだった。


    好奇心ごと、自分を見てほしかった


    両親から、何度も聞かされた話がある。


    ぼくは小さい頃、何かにつけて、


    「〇〇くんねえ、〇〇くんねえ」


    と、自分の名前を呼びながら、親に話をまくし立てていたらしい。


    両親にとって、それは可愛い思い出として残っている。

    でも、ぼくには違和感がある。


    大事に扱ってほしかったのは、「〇〇くんねえ」という可愛らしさよりも、ぼくが何に好奇心を覚えたのか、だ。


    何を見つけたのか。

    何に驚いたのか。

    何を伝えたかったのか。


    でも、その中身は、両親には残っていない。


    可愛い仕草だけが残り、話の内容は残っていない。

    そこに、ぼくの好奇心そのものへ関心を寄せられなかった事実があるように思えて、寂しく感じている。


    「手がかからない子」という痛み


    どうやらぼくは、親にとって「手がかからない子」だったらしい。


    夜泣きをしなかった。

    ひとりで本や図鑑を見ていた。

    二歳でアルファベットを全部読んでいた。


    親は、その話を誇らしそうに語った。

    賢い子。

    手がかからない子。

    親を困らせない子。


    けれど今は、その言葉に強く引っかかる。


    「手がかからない子」は、裏返せば「放っておけばいい子」でもある。

    もっと言えば、関与しなくても済む子だった、ということでもある。


    手がかからないことを喜ばれる。

    ひとりでいられることを喜ばれる。

    困らせないことを喜ばれる。


    それは、存在そのものへの関心とは違う。


    大人にとって都合がよかった。

    親として楽ができた。

    期待どおりに収まっていた。


    そういう話を、美談のように語られると苦しくなる。


    ぼくは、手がかからない子でいたかったわけではない。

    困らせないことで愛されたかったわけでもない。

    期待に応えることを評価されたかったわけでもない。


    そもそも、評価されることは、なんなら嬉しくない。

    少なくとも、ぼくが欲しかったものではない。


    思い返すと、親は何かにつけて評価する人たちだった。


    良い。

    ダメだ。

    ちゃんとしている。


    そうやって、振る舞いを見られ、判断され、矯正されてきた感覚がある。


    ぼくが欲しかったのは、評価ではなかった。

    「良い」「ダメだ」で整えられ過ぎることは、望んでなんかなかった。


    「あんたは手がかかったんや」


    親から微笑みながらそう言われている子を想像すると、少し羨ましくなる。


    泣く。

    求める。

    手がかかる。


    それでも、嬉しそうに思い出してもらえること。

    その子がそこにいたことごと、面白がってもらえること。


    それは、いびつさも含む存在の受容に近い。


    ぼくが本当に欲しかったのは、そこだったのだと思う。

    存在を受け止めてほしかった。


    けれど、受容どころか、関与すら遠かった。

    関心でさえ満足には向けられず、代わりに評価を向けられ続けた。


    せめて少しずつ、興味を寄せてほしかった。


    「なになに?」

    「うんうん、それで?」


    ぼくが見ているものに、少し近づいてほしい。

    ぼくのワクワクに、関心を向けてほしい。

    ぼくの中にあるものを、評価せずに聞いてほしい。


    それは、存在を受け止めてもらうための入口だった。

    関心を向けてもらうための、最初の願いだった。


    でも、その願いは十分には受け取られなかった。

    だから、ぼくは少しずつ閉じていった。


    好奇心を人に伝えるより、本や図鑑に向かう。

    話すより、読む。

    聞いてもらうより、ひとりで考える。


    そこは安全だった。

    軽く扱われない。

    寂しさを忘れられる。


    でもその裏で、寂しさは積もっていく。


    じいちゃんがくれた関与


    そんな中で、じいちゃんだけは違った。


    じいちゃんには、たまにしか会えなかった。

    それでも、じいちゃんの記憶は濃い。


    思い出すと、まず食卓が浮かぶ。


    じいちゃんは、食器棚を背にして、上座の真ん中に座っていた。

    夕食ではビールを飲み、その後は日本酒の熱燗を飲んでいた。

    いつも笑っていた。


    大人たちが話している中で、ぼくがおちゃらける。気を引きたかったのかもしれない。

    するとじいちゃんは、嬉しそうに、上機嫌に言う。


    「真面目にしなさい!笑」


    叱っているのではない。

    怒っているのでもない。

    ギャグのような、ツッコミのような言葉だった。


    でも、その一言で、じいちゃんはぼくに触れてくれた。


    見ているよ。

    お前がそこにいるのを分かっているよ。

    一緒にこの場にいるよ。


    そんな関与だった。


    十五時くらいになると、じいちゃんは茶器を出して、日本茶を淹れてくれた。

    たぶん、玉露のような良いお茶だったんじゃないかと思う。

    低めの声で、お茶とお茶請けのお菓子をいるか聞いてくれた。


    ぼくは嬉しかった。

    安心した。

    そして、少し誇らしかった。


    子どもとして可愛がられている。

    でも、子ども扱いだけではない。

    大人の仲間に、少し入れてもらえた感じがあった。


    ありのままでいられる。

    でも、少し背伸びもできる。

    のびのびして、いきいきしている。


    それは、天真爛漫という言葉に近い。


    もうひとつ、じいちゃんを思い出す場面がある。

    お風呂の洗い場だ。


    ぼくは、顔を洗うのが好きではなかった。

    石けんで洗うのは、もっと嫌だった。


    じいちゃんは、薄いフェイスタオルに石けんを泡立てて、ぼくの顔を洗ってくれた。


    洗顔自体は嫌だった。

    でも、なんとか洗おうとしてくれることは、嬉しかったのだと思う。


    じいちゃんは、田舎町の町立病院の院長にまでなった医者だった。

    「先生、先生」と慕われる人だったと聞いている。

    でも、まったく偉ぶらなかった。


    医者だったじいちゃんらしく、優しく、笑いながら、必要なことをしてくれた。


    じいちゃんは、ただ甘やかす人ではなかった。

    良い悪いと評価する人でもなかった。


    ただ、十分に関与してくれた人だった。


    ぼくにとっての関与は、ここから始まっている。


    何かをしてあげることだけが関与ではない。

    ただニコニコ見ていることも、関与だった。

    自然に湧いたものを、押しつけずに差し出すことも、関与だった。


    当時のぼくにとっては、それだけで十分だった。


    優秀さの鎧


    でも日常に戻ると、ぼくは少しずつ、『優秀さの鎧』を身につけざるを得なくなっていった。


    家の中で強く喜ばれていたのは、「文」の自分より、「武」の自分だった。

    水泳でいい成績を収めること。

    運動部で活発に活動すること。


    本来のぼくは、インドアで、文化系で、内向的で、好奇心に没入する側だったと思う。


    本を読む。

    図鑑を見る。

    言葉や意味に向かう。


    そういう「文」の自分がいた。


    でも、より強く喜ばれたのは「武」の自分だった。


    困ったことに、ぼくはそれなりに応えられてしまった。

    運動神経が悪いわけではなかったし、求められた形に自分を合わせることもできた。


    それは、表現においても同じだった。


    純粋な好奇心のまま話せば、熱量が強すぎたり、広がりすぎたりして、相手に伝わりづらくなる。

    でもぼくは、それを分かりやすく、役に立つ形に整えることもできてしまった。


    その器用さは、ぼくを助けた。

    けれど同時に、ぼく自身を奥へ押し込んでいった。


    好奇心そのものには、十分な関心を寄せられなかった。

    一方で、期待された形に応えることは喜ばれた。


    その両方が重なって、ぼくは学んでいったのだと思う。


    素のまま出すより、求められた形に整えた方がいい。

    分からないまま話すより、役に立つ形にした方がいい。

    天真爛漫でいるより、優秀でいた方がいい。


    そうやって、ぼくは少しずつ、自分の素を奥底に押し込んでいった。


    本当は、世界への好奇心を人に伝えたい自分がいた。

    まだ分からないまま、熱量を持って話したい自分がいた。

    自分が見ているものに、「なになに?」「うんうん、それで?」と興味を寄せてほしい自分がいた。


    でも、そのままでは出さない。


    天真爛漫さは、優秀さの鎧で覆われていった。


    自己肯定感ではなく、自己効力感だけで生きるようになっていった。

    役に立つことだけでしか、生きられなくなっていった。


    ここにいていい。

    そう思うより先に、


    できる。

    役に立てる。

    成果を出せる。


    そうやって、自分を保ってきた。


    だからこそ、じいちゃんの関与は、今になっても特別なのだと思う。


    じいちゃんは、ぼくを期待に合う形に整えようとしなかった。

    でも、放っておいたわけではない。


    そこにいて、見ていて、自然に触れてくれた。


    じいちゃんの前では、この優秀さの鎧を着なくてよかった。


    ぼくの中に、じいちゃんは生きていた


    最近、その奥に押し込んできたものを、少し思い出させてくれる友人ができた。


    彼は、自然に関与してくれる。


    分からないところは、分からないと言う。

    でも、離れない。

    問いを重ねる。

    「つまりこう?」と返す。


    彼の前では、熱量のある自分を出せる。

    弱い自分も出せる。

    まだ分からないまま話す自分も出せる。


    すると、思考が動き出す。

    熱量が増す。

    「話していいんだ」と思える。


    自己理解の話をするときもあって、そんなときも自然に受けとめてくれる。


    安心する。

    刺々しさが落ち着く。

    自己否定が少し弱まる。


    やはり、生きている感じが戻る。


    彼とつながるきっかけになった出来事がある。


    彼がホワイトボードの前に立って、場を進めていたときのことだ。

    発言が少なく、場が少し止まっていた。

    そのときぼくが、ホワイトボードの前に立ち、一緒に書き始めた。


    あとから彼は言った。


    ホワイトボードの前に立ちに来られて、二人になる経験は初めてだった。

    あれを積極的な関与と言わずに、何を関与と言うのか。


    彼のその言葉に、ぼくは少し驚いた。


    自分では、ただ無意識に身体が動いただけだった。

    助けよう、なんて意識で動いたわけでもなかった。


    でも彼は、そこに関与を見てくれた。


    思えば、色々な場面でぼくから自然に差し出していたものがあったのかもしれない。


    ひとりになっている人。

    触れられずにいる意見。

    場の中で置き去りになりそうなもの。


    そういうものを見ると、身体が反応していたのかもしれない。


    それは、ぼくがじいちゃんからもらった関与と、どこかでつながっているのかもしれない。


    じいちゃんは、もういない。

    でも、じいちゃんのまなざしは、ぼくの中から消えていなかった。


    存在を喜ぶ灯り。

    自然に湧いたものを、押しつけずに差し出す関与。


    それが、ぼくの中にも、少しだけ生き残っていたのかもしれない。


    そのことを思い出させてくれたのが、友人だった。


    ぼくのファシリテーションの「オリジン」


    じいちゃんは、言葉で「なになに?」「うんうん、それで?」と言ったわけではない。

    でも、まなざしでそうしてくれていた。


    そこにいていい。

    もう少し出てきていい。

    お前の中にあるものを、ここに置いていい。


    じいちゃんは、ぼくの存在を喜んでくれた。

    だから、ぼくは少し背伸びできた。

    安心して、世界を見ることができた。


    それは、自己効力感より前にあるものだった。

    自己肯定感の芽だった。


    ぼくのファシリテーションは、そこから始まっている。


    ひとりになっているものに、まなざしを向けること。

    まだ言葉になっていないものを、すぐ評価しないこと。

    分からないなら、分からないと言いながら、離れずにいること。

    自然に湧いた関与を、押しつけずに差し出すこと。


    食卓で笑い、「真面目にしなさい!笑」とツッコんでくれたじいちゃん。

    お茶を淹れてくれたじいちゃん。

    石けんで顔を洗ってくれたじいちゃん。


    ぼくは、あのまなざしを覚えている。


    胸があたたかくなる。

    目の奥がゆるむ。

    少し泣きそうになる。


    評価される前の自分。

    役に立つ前の自分。

    手がかからない子になる前の自分。


    ただ、世界に興味があって、その好奇心を誰かに聞いてほしくて、でも少し不安で、誰かのまなざしを探していた自分。


    その子のそばに、じいちゃんがいた。


    そして今も、ぼくの中に、じいちゃんは生きている。


    ぼくは今、そのことを思い出している。

    #創作大賞2026 #ビジネス部門

     
     
    共に考える人/みちくさくう代表。複数人で何かを始めたり、変えたりするときに、一緒に考える仕事をしています。企画と計画は一緒に。実行は原則、あなたたちで。兼業会社員。 SE/PM→新規事業→人材・組織開発+みちくさ なう アニメ/メダカ/スキー

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