
曖昧だからこそ、いい。遊びと学びの境界線
こんにちは、みほです。
先日書いた、こちらの記事について、
いつも仲良くしてくださるあおいさんが
こんなコメントを寄せてくださいました。
遊びと学びの境界線なんて、本来はきっちり分かれていなくて、それくらい曖昧な方がちょうどいいんだろうなと深く納得してしまいました🍀
本当に、その通りだなぁって。
コメントを読んで、すごく納得しました。
そして、自然と
息子の姿が思い浮かんだんですよね。
私は前の記事で、自分のnote生活を振り返って、
「遊ぶように書く」ということについて書きました。
でも、子どもの日常を見ていると、
改めて思うんです。
遊びと学びは、
いつもきっちり分かれているものではなくて。
夢中になっている時間の中に、
いつの間にか学びが育っていることもあるんだな、って。
なんていうか、
根っから「学び」が好きな人もいるし、
「遊び」のつもりでやっていて、
気がついたら「学び」になっている、
その両方の人がいるんだと思います。
例えば、私は比較的勉強が好きな方で、
幼い頃から「知る」ことや、
「できるようになる」ことが好きでした。
だから、宿題も苦じゃなかった。
一方、息子を見ていると、
毎日宿題にかなり苦戦している様子。
息子は、人から与えられた課題をこなすよりも、
自分で考えて、創造するのが好きなようです。
だから、工作は楽しんで取り組むけれど、
音読や計算カードのような
繰り返す課題が面白くない。
「一緒にやろうよ」と声をかけていますが、
学校生活ですでに消耗しているようで、
結果、やらずに行く日もあります。笑
でも、息子自身も
「知らなかったことを知る」
「できなかったことができるようになる」
ことは好きみたいなんですよね。
例えば、趣味でキキョウを育ててみたり。
学校で育てているアサガオは、
子株を持って帰って家でも育てたり。
誰にも言われていないのに、
自ら自由帳に観察日記を書いています。
また、友達が遊びに来る際、
「昼食にカレーを作ってあげたい」と言って
ふるまったこともあります。
そんなふうに、
生活の中で結果として、
学びに変わる。
そういう、自分から動いた体験からの学びの方が、
スッと入る子もいるんだな、と。
いろんなタイプがいるな〜と感じています。
「やるべきことをやる」
「与えられた課題をこなす」
そんな経験も、もちろん大切だと思います。
でも最近は、
勉強を「やらせること」だけに
意識を向けるのではなくて、
どうやったら楽しくできるか、
生活と結びつけられるか。
遊びと学びをきっちり分けない方が、
いいのかもしれない。
そんなふうに思い始めています。
この気づきが生まれるきっかけをくださった
あおいさん、本当にありがとうございます✨
「答えを出すより、考える過程のほうが好き。」な、
あおいさん。
日常の違和感から見えてきた本音や、
アニメ感想まで、
いろんな景色を届けてくださっています。
今日も“ちょうどいい”を探してる🪴

最後まで読んでくださって、
ありがとうございました🌿
🪴夫婦、親子、そして自分自身。
近いからこそ見失いがちになる
“ちょうどいい”関係について、
考えてみた記事はこちら。