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有ることがいかに難しいことか

    「あれさえ手に入っていたら人生は変わっていたのか?」

    今、
    "あれ"が足りないという焦りはありませんでしょうか?

    あと少しお金があれば。

    あと少し時間があれば。

    あと少し誰かに認められたら。

    そうやって"足りないもの"を数えながら、
    毎日を駆け抜けていっていませんでしょうか?

    "これ"さえ手に入れば、
    今度こそ心は満たされ、
    揺るぎない幸せが手に入るはずだ!

    そう信じていませんでしょうか?

    子どもの頃、
    周りがゲームボーイをみんな持ってて、
    マリオやらテトリスやらをやっていた時。
    私は、ゲームボーイは持っていなくて、
    「ゲームボーイさえあれば、みんなと一緒に遊べるのに、、、」
    そんな風に思っていた時代がありました。

    結局、ポケモンと同時期くらいに、
    ゲームボーイカラーを買ってもらい、
    一緒にポケモンをやり始めた頃、
    結局、友達とは、
    ゲームよりも鬼ごっことかかくれんぼとかしながら遊んだ記憶が残っています。

    ゲームボーイをもっていなくても、
    友達とは一緒に遊べていたんです。

    "あと一つ"、あれさえ手に入れたら、、、

    そんな風に思っていたのに、
    本当に、
    あの時に欲しいものが手に入っていたら、
    "もっと"友達と楽しく遊べていたのか?

    それこそ、
    永遠の安らぎに包まれた感覚になっていたのでしょうか?

    「過去や未来に"今"を奪われて、、、」


    人間の心は、
    とても脆く傷つきやすいものだと思います。

    だから、
    自分という存在(エゴ)を守るために、
    必死で「自己防衛」や「自己保存」の壁を築いているのだと思うんです。


    「今の居場所を失いたくない」という強い執着。

    「あの時、あぁしていれば、、、」
    という過去への囚われ。

    「これから先、どうなってしまうのだろう、、、」
    という未来への不安。

    そうやって過去や未来に思考を飛ばし、
    自分の心を守ろうとすればするほど、
    人は、
    "今、目の前にある時間"
    から遠く離れ、
    今をおざなりにしていると感じます。

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    「永遠に満たされない渇きの中をもがき苦しむ瞬間」


    無意識のうちに、
    「幸せとは、今の自分に何か(+α)を付け加えていくことだ」
    と思い込んでいませんでしょうか?

    けれど、
    不足を補うことで得られる幸せは、
    どこまでいってもキリがないと思うんです。


    欲しかった靴を手に入れれば、
    それに合う服が欲しくなる。

    目標の数字を達成すれば、
    さらに上の数字を求められる。

    足し算の幸せは、
    常に「まだ足りない自分」を生み出し続けているのではないでしょうか?

    私たちは幸せに向かって歩いているつもりが、
    実は、
    「永遠に満たされない渇き」
    の中を彷徨っているだけなのかもしれません。

    「盲目になっているのではないでしょうか?」


    少しだけ、
    立ち止まって足元を見てみてください。

    当たり前のように繰り返される呼吸。

    今日、
    言葉を交わした誰かとのつながり。

    朝が来て、
    夜が来て、
    今日という一日が無事に終わろうとしていること。

    それらは、
    あなたが努力して「手に入れた(足し算した)」ものではないと思いませんか?

    最初からずっと、
    あなたのそばに静かに寄り添っていたものではないでしょうか?

    私たちは、
    何かを失っていたわけではなく、
    ただ、
    あまりにも近すぎて"見えなくなっていた"だけだったのではないでしょうか?

    「今が有るという奇跡」


    この世界は、
    「縁起(えんぎ)」という目に見えない無数のつながりで成り立っています。

    今、
    あなたがここで息をして、
    この記事を読んでいるという"この瞬間"。

    それは、
    数え切れないほどの出会い、
    誰かの見えない働き、
    気の遠くなるような自然の営み、
    幾千の選択肢が、
    一つも狂うことなく重なり合って生まれたものの上で形成されています。


    その糸がたった一本でも切れていたら、
    今のあなたはこの場所に存在していません。

    今、ここにあること。

    「有る」ということは、
    決して当たり前ではないと思うのです。

    それは、
    途方もない奇跡の連続によって成り立っている「有ることが難しい=有り難い(ありがとう)」
    状態だと感じませんでしょうか?

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    「幸せに気づく時、、、」


    幸せとは、
    外の世界から何かを奪い、
    付け足した先にあるものではないと、
    私は思っています。

    忘れていた大切なものに気づき、
    それを取り戻した時。

    「あぁ、私はこんなにもたくさんの奇跡に支えられて、今ここに" 有る"んだ」
    と、命の底から思い出した時。

    その瞬間、
    幸せはそっと、
    もとあったあなたの心の中へと帰ってくるのではないでしょうか?

    ゲームボーイを持っていようが、
    持っていまいが、
    私の人生の中で、
    かけがえのない友人たちとの出会い、
    過ごした日々は、
    きっと変わらずに、
    今もあるのではないかと思うんです。

    「有り難さと感謝」


    今日という一日は、
    決して当たり前ではありません。

    もし今、
    あなたが現状に不満を抱き、
    環境を嘆き、
    足りない自分を責めそうになっているとしても。

    一度、
    深く深呼吸をして、
    無いものを数えるのをやめてみて欲しいと思います。

    そして、
    ただ静かに目の前に広がる周りの景色を見つめてみてほしいのです。

    あなたが今、
    そこに存在しているという途方もない奇跡。


    それだけで、
    あなたはすでに、
    十分に満ち足りていると感じませんでしょうか?

    もし、
    仮に感じられなかったとしたら、
    ゆっくりと目の前の一つ一つに想いを馳せてみてもらいたい。

    きっとそこには、
    たくさんの思いやりや優しさ、
    愛で満ち溢れていると思うんです。

    そのことに少しでも感じられたら、
    もしかしたら、
    有難いと感じることができるのではないでしょうか?

    有ることが難しい。

    そこら中に感謝は、
    隠れていると思うんです。

     
     
    明日、あなたに声をかけてあげられないかもしれない。 私が居なくても、あなたに寄り添えるように。 「私があなたを大切だと思ってきた」 その証を、 軌跡を、 ここに残しておきたい。 誰かを好きになることも、 誰かに出会えることも。 私があなたを想うために必要なことだったから。

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