
解けない呪い
(減ってはいるものの)未だ治らない咳の原因を心配する夫に背中を押され、セカンドオピニオン診断を受けてきた。
結果は(潜在性)甲状腺機能低下症による肺のむくみから来る咳だろうとのこと。
TSH(甲状腺刺激ホルモン)の値が高く、FT3、FT4(甲状腺ホルモン)は正常値。
十数年前バセドウ病となりアイソトープ治療を受けていたので、いずれ低下症になる可能性は指摘されていた。
ただ、咳とのつながりは全くの予想外。
働きにくくなった甲状腺を、通常より強く刺激することで保っている状態。
結果疲労感やむくみ、冷え、体重増加などが引き起こされる場合があるらしい。
疲れやすいとは感じるが、50代後半痩せ気味でもあるし、以前よりはむしろ体調も良く咳以外他に気になる症状は無い。
病院では甲状腺ホルモンを補うチラージンを処方された。
ホルモンを補充することでTSHを分泌する脳下垂体の働きを抑制する。
副作用は少ないそうだけれど、まれに狭心症や肝機能障害などあるようなので、肝臓や腎臓の数値を見ながら経過観察。
で、これを私なりに読み解いていく・・・
(あくまで私見です)
以前も書いた通り、私はもう(頼まれてもいない)誰かのために頑張ることをやめた。
ペースを落とし、日々のささやかなもの、儚い気配、時には刺激的なものに心動かし、それらを大切に掬い取るように暮らしていくことを選んだ、はずだった・・・
甲状腺は成長や新陳代謝、頑張るための臓器。
体はその出力を落とそうとしているのに、脳はもっと働けと指令を出し続けていた。
東洋医学的に言えば、喉元にある本音を抑え我慢しなさいということ。
悲しみの臓器である肺は、他人軸をやめたことへの罪悪感や、境界線を引くことで冷たいと思われるのではという不安を溜めて膨れ、咳でその想いを吐き出そうとしている、となる。
心の奥底では自分軸をまだ良しとしていないらしい。
それを実感したのは母との電話だった。
いつも通り楽しく会話していたが、地元に残っている私の同級生たちの話になり、彼女たちはそれぞれ苦労しているという。
そしてお決まりの「あなたは恵まれているのだから感謝しないとね」と続く。
もちろん今の境遇には感謝している。
でもそれは私の心から湧きあがるものであって、誰かに言われて(強いられて)感じるものではない。
そして「感謝」という言葉は一見喜びの表現でありながら、してもらったというへり下りの関係性を帯びている。
ひねくれ脳内では「あなたはたまたま運良く幸せになれた。だからそれを与えてくれた夫のために何かを差し出さなければ割が合わない」に変換されモヤモヤが残る。
更には苦労や忙しいは美徳とされ、幸せや豊かさは後ろに控えるものという価値観。
そうすると、私も側弯やバセドウ病、そして低下症にもなったんだから、幸せになってもいいよね、と免罪符のように病気を差し出してしまいそうになる。
これは心理学で言うところの疾病利得。
病気になることで得られる利益。
お腹が痛いと心配をかければ、母親の愛情を独占できるというようなもの。
幸せ過ぎてバチが当たりそうとは言うが、不幸という帳尻あわせをどこか求めてしまう心理。
だが今の私にはもう必要ない。
病気を理由に自分を許さなくていい。
自分で悩み考え生き方を選び続け、今こうして夫と過ごす日々を体全体で幸せだと感じている。
そこにはもう誰かに遠慮したり後ろめたさを持たなくていいのだ。
主婦の鏡のような母のようになりたいと思いつつも、父や家族のために波風を立てないよう自分の気持ちを飲み込み続け、病気を生み出すような生き方はしたくない、という相反する気持ち。
母親というのは長女にとって呪いのようなもの、隠れた支配者。
母を助けたい楽をさせたいという使命感、私だけが幸せになってはいけないという罪悪感がどうしても私の足を引っ張る。
もしかしたら、母は自己犠牲による疾病利得で私を繋ぎ止めようとしているのかもしれない。
私は私で自分の描いた幸せの形に母を当てはめ、コントロールしようとしているのではないか。
清濁それら渦巻く混沌の世界に立ちながら、他人の人生を背負うことなく自分の人生をただ謳歌していく。
一番大切なのは感謝じゃじゃない、幸せだと感じること。
「知らんがな!」で行こう!