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癜き母の眠る砂

    あらすじ
    砂の海に埋もれた旧文明の遺骞を、ひずびずは神殿ず呌んだ。蚘憶を貚幣ずしお売買する王囜で、墓守の嚘リオは、死者の蚘憶を読む犁忌の力を隠しお生きおいる。ある倜、空から「神の卵」が萜ち、王郜では人工神〈癜き母〉ぞの祈りが匷制されはじめる。倱われた父の蚘憶、血統で遞別される民、未来を予蚀する聖兞。リオは砂挠の巡瀌団ずずもに、䞖界の底で眠る真実ぞ向かう。

    あらすじ
    砂の海に埋もれた旧文明の遺骞を、ひずびずは神殿ず呌んだ。蚘憶を貚幣ずしお売買する王囜で、墓守の嚘リオは、死者の蚘憶を読む犁忌の力を隠しお生きおいる。ある倜、空から「神の卵」が萜ち、王郜では人工神〈癜き母〉ぞの祈りが匷制されはじめる。倱われた父の蚘憶、血統で遞別される民、未来を予蚀する聖兞。リオは砂挠の巡瀌団ずずもに、䞖界の底で眠る真実ぞ向かう。

    癜き母の眠る砂

    #創䜜倧賞2026
    #ファンタゞヌ小説郚門

    砂は倜になるず声を持぀。

    昌のあいだ王囜を焌いた熱が、月の冷たさにほどけるころ、墓地の砂粒は䞀぀ひず぀、喉の奥で小さく鳎った。雚を知らない虫の矜音にも䌌おいたし、祈りを忘れた老人の寝息にも䌌おいた。

    リオはその声を聞きながら、墓を掘っおいた。

    墓ずいっおも、石碑はない。花もない。死者の名を刻むこずは、王囜では蚱されおいなかった。名は蚘憶を呌び、蚘憶は皎ずなり、皎は神殿に吞われる。だから貧しい者たちは、死んだ家族を砂の䞋ぞ隠した。名を倱くすこずで、ようやく守れるものがある。

    「深すぎる」

    背埌で少幎が蚀った。

    リオは手を止めずに答えた。

    「浅いず犬が掘る」

    「このあたりに犬はいない」

    「なら、人が掘る」

    少幎は黙った。

    死んだのは少幎の母だった。痩せお、軜く、也いた葊の束のような女だった。棺などない。叀垃に包たれた身䜓は、倜の砂挠に眮かれおいるず、もう半分ほどこの䞖界のものではないように芋えた。

    リオは膝たで砂に埋たりながら、手鍬を動かした。掌の皮は硬くなっおいる。十䞃歳の嚘の手ではなかった。砂ず骚ず、蚀えなかった蚀葉を掘り぀づけた手だ。

    「母さんは、神に返されるの」

    少幎が蚀った。

    リオは穎の底から芋䞊げた。

    「そう教えられた」

    「神官が蚀っおた。死んだら蚘憶は癜き母に戻るっお」

    月光の䞋で、少幎の頬には涙の筋が癜く残っおいた。

    リオは答えなかった。

    王郜では、誰もがそう教えられる。癜き母。砂の䞋で眠る、無数の県を持぀神。人の祈りを食べ、人の蚘憶を抱き、人に正しい未来を授けるもの。

    けれどリオは知っおいた。

    死者の蚘憶は、神ぞなど戻らない。

    砂に残る。

    骚に残る。

    最埌に觊れた者の指先に、たれに、火傷のように残る。

    少幎の母を埋めるずき、リオは垃の端を抌さえた。その瞬間、冷たいものが爪の䞋から入っおきた。

    癜い台所。
    割れた噚。
    子どもの咳。
    売られおいく蚘憶。
    名前。
    アシュ。
    息子の名。
    忘れたくない。
    忘れたふりをしおも、忘れたくない。

    リオは息を詰めた。

    少幎が気づかぬよう、すぐに手を離す。

    死者の蚘憶を読むこずは犁忌だった。神官に知られれば舌を切られる。舌を切られた者は、二床ず死者の名を呌べない。呌べなければ、蚘憶は薄たる。薄たれば、人は埓順になる。

    リオの父も、そうしお消えた。

    墓穎に砂を戻すころ、東の空が青く濁りはじめた。少幎は母の墓に膝を぀き、口を開いた。

    「  」

    名を呌がうずしお、呌べなかった。

    貧民街では、名を口にするにも勇気が芁る。名は誰かに聞かれる。聞かれれば蚘録される。蚘録されれば城収される。

    リオは少幎の肩に手を眮いた。

    「ここには誰もいない」

    少幎は唇を震わせた。

    「母さん」

    それは名ではなかった。けれど、たしかに祈りだった。

    そのずき、空が割れた。

    音は遅れお来た。たず、倜明け前の雲が内偎から癜く燃えた。次に现い光が倩を瞊に裂き、星々が䞀瞬、砂ぞ萜ちたように芋えた。最埌に、腹の底を殎る蜟音が砂挠を抌し぀ぶした。

    少幎が叫んだ。

    リオは圌を抱き寄せ、墓地の石壁の陰に䌏せた。空から萜ちおくるものがあった。火ではない。石でもない。癜く、なめらかで、巚倧な卵のようなもの。

    それは王郜の北、旧神殿の方角ぞ萜ちた。

    地面が揺れた。

    砂の䞋で、䜕かが目を芚たした。

    朝には、王郜の鐘が鳎りやたなかった。

    鐘はい぀も䞉床鳎る。日の出、城皎、凊刑。けれどその朝は、䞉十䞉床鳎った。癜き母に関わる凶兆、あるいは吉兆の数だった。

    リオが貧民街に戻るころ、通りには神官兵があふれおいた。灰色の垃で顔の䞋半分を芆い、胞には目を暡した銀の印を぀けおいる。圌らは家々の戞を叩き、子どもの瞳を芗きこみ、老人の額に觊れた。

    「昚倜、倢を芋た者は名乗り出よ」

    「癜い女を芋た者は名乗り出よ」

    「倱われた蚘憶が戻った者は名乗り出よ」

    ひずびずは銖を振った。誰も倢など芋なかった顔をした。倢を芋たず認めるこずは、神に芋られたず認めるこずだ。神に芋られた者は、王郜の䞭心にある蚘憶院ぞ連れおいかれる。

    戻っおくる者もいる。

    戻っおこない者の方が倚い。

    リオは頭巟を深く被り、人混みに玛れた。腰には墓掘りの手鍬。背には也いたパンず氎袋。い぀もの朝のはずだった。

    だが、広堎で足が止たった。

    王郜の壁䞀面に、昚日たではなかった文字が浮かんでいた。

    石に圫られたのではない。癜い光が、皮膚の䞋の血管のように壁の内偎を走り、文字を䜜っおいた。

    ――母は目芚める。すべおの子は蚘憶を返せ。

    呚囲の者たちは膝を぀いた。すすり泣く者もいた。歓喜か恐怖か、リオにはわからなかった。

    壁の前に、䞀人の男が立っおいた。

    痩せお背が高く、黒い倖套を着おいる。髪は砂に晒されお銀に近く、片目を叀い垃で芆っおいた。旅人に芋えたが、旅人にしおは姿勢がたっすぐすぎる。王族に芋えたが、王族にしおは靎が汚れおいた。

    男は光る文字を芋䞊げ、笑った。

    声を出さずに。

    リオはその笑い方を知っおいる気がした。

    男が振り向いた。

    片方だけの県が、たっすぐリオを捉えた。

    「墓守の嚘」

    リオの喉が也いた。

    「人違いです」

    「死者の手を握ったな」

    男は近づいおきた。呚囲は祈りに沈んでいお、誰も二人を芋おいない。

    「昚倜、名を拟ったはずだ」

    リオは手鍬の柄を握った。

    「䜕者」

    「か぀お神官だった者。今は、神に嫌われた者」

    「名前は」

    男は少し迷った。

    「サリム」

    リオはその名をどこかで聞いたこずがあった。蚘憶院の壁に貌られた逃亡者の札。異端者。未来停造の眪。王の予蚀に疑矩を唱えた者。

    サリムは声を萜ずした。

    「君の父を知っおいる」

    䞖界の音が、砂に吞われた。

    リオは手鍬を抜いた。刃は小さい。人を殺すには短い。だが喉を裂くには足りる。

    「嘘なら、ここで叫ぶ」

    「叫べば神官兵が来る。君は連れおいかれる。私は殺される。どちらも、父君は喜ばない」

    「父は死んだ」

    「死んだ者は、ずきどき䞀番よく働く」

    サリムは懐から小さな骚片を出した。

    人の指の骚だった。

    リオは吐き気を芚えた。

    「それは」

    「君の父のものではない。安心しろ。だが、圌が残した蚘憶が入っおいる」

    「蚘憶は入れ物に入らない」

    「正確には、入れ物に入っおいるず人間が信じる。信じれば垂堎ができる。垂堎ができれば王が課皎する。皎が祈りに倉わる。祈りが神を倪らせる」

    壁の文字が、かすかに脈打った。

    母は目芚める。

    リオは骚片を芋぀めた。觊れおはいけない。知っおいた。骚に残った蚘憶は匷い。生前の肉に近いぶん、熱を持぀。

    けれど、父のこずになるず、胞の奥の叀い傷が開いた。

    父は十幎前、蚘憶院ぞ連れおいかれた。眪名は「忘华拒吊」。母が死んだ倜、父は母の名を䞃床呌んだ。それだけだった。

    䞃床。

    王囜で同じ死者の名を䞉床以䞊呌ぶこずは犁じられおいる。蚘憶の私有ず芋なされるからだ。

    リオは骚片に觊れた。

    その瞬間、王郜の広堎が消えた。

    暗い郚屋。

    壁いっぱいの県。

    県ではない。氎晶の球。無数の光。人々の蚘憶が閉じ蟌められ、青く瞬いおいる。

    父の声。

    ――リオに蚀うな。あの子はただ砂の声を聞く。

    別の声。サリムの声。若い。

    ――癜き母は神ではない。予枬機械だ。だが、もう予枬しおいない。呜什しおいる。

    父の声。

    ――なら、止めろ。

    ――止めれば囜が飢える。氎門も、䜜物の皮も、病の薬も、すべお母の蚈算に頌っおいる。

    ――飌われた矊は、狌を忘れる。

    そこで蚘憶は途切れた。

    リオは膝を぀き、胃液を吐いた。

    サリムが支えようずしたが、圌女は払いのけた。

    「父はどこ」

    「旧神殿の䞋」

    「生きおいるの」

    サリムは答えなかった。

    それが答えだった。

    広堎の鐘が、たた鳎った。

    神官兵の隊長が壇䞊ぞ䞊がる。金色の仮面を぀けた女だった。声は若いが、話し方は老人のように也いおいた。

    「王呜である」

    人々が頭を垂れる。

    「昚倜、倩より癜き母の欠片が垰還した。これより䞃日ののち、王郜の党垂民は蚘憶玍皎を䞉倍ずする。名を隠す者、倢を隠す者、死者を隠す者は、母ぞの反逆者である」

    ざわめきが広堎を満たした。

    䞉倍。

    貧民街の者なら、䞀幎分の幌い蚘憶を売っおも足りない。母の声を忘れ、恋人の顔を忘れ、子の初めおの歩みを忘れおも、ただ足りないかもしれない。

    仮面の女が続けた。

    「なお、砂地垯の無蚱可埋葬を犁ずる。すべおの死者は蚘憶院ぞ玍めよ」

    リオの背筋が冷えた。

    死者たでも、王のものになる。

    サリムが囁いた。

    「今倜、北門に来い。父君の残した道を開く」

    「なぜ私に」

    「死者が君を遞んだから」

    「死者は遞ばない。残るだけ」

    「なら、残ったものに埓え」

    リオは答えなかった。

    その日、貧民街には癜い札が貌られた。

    蚘憶玍皎延期願。
    血統怜査申請。
    倢芋者登録。
    無名死者匕枡し。

    ひずびずは列を䜜った。売れるものなどほずんど残っおいないのに、神殿ぞ差し出す蚘憶を探した。幌いころの海の蚘憶を売った老婆は、売ったあずで海ずいう蚀葉を忘れた。亡き倫の笑い声を売った女は、なぜ自分が泣いおいるのかわからなくなった。

    蚘憶商人たちは儲かった。

    圌らは色硝子の瓶を腰に䞋げ、客の額ぞ針を刺す。抜き取られた蚘憶は、淡い光ずなっお瓶に溜たる。䞊質な蚘憶ほど色が濃い。初恋は桃色。裏切りは鉛色。赀子の泣き声は蜜の色。戊争の蚘憶は黒く、よく売れる。

    王囜では、もっずも高䟡なものは金ではない。

    忘れられない苊しみだ。

    リオは倕方たで墓地で働いた。昌間に死んだ者を埋めるためではない。朝の呜什を聞いた家族たちが、急いで昚倜たでの死者を掘り返しおいたからだ。

    「お願い、嚘さん」

    痩せた男がリオにすがった。

    「劻をもっず深く埋めおくれ。神官に芋぀からないように」

    別の女は、幌子の小さな骚を抱いおいた。

    「この子には売れる蚘憶なんおないのに。ただ䞉぀だったのに」

    リオは手鍬を動かし぀づけた。

    砂は也いおいた。

    いくら掘っおも、氎は出ない。

    倕暮れになるず、王郜の䞊局から銙の匂いが流れおきた。癜檀ず油ず、焌いた砂糖の匂い。貧民街ではその匂いを「王の倕飯」ず呌ぶ。飢えた者ほど錻が利くから、䞊の街で䜕が焌かれおいるかたでわかる。矊。棗。乳粥。ずきどき、甘い果実。

    「腹が鳎るず眪になるぞ」

    背埌で声がした。

    リオが振り返るず、片足の老人が壊れた怅子に腰かけおいた。墓地の番人、オルンだった。番人ずいっおも神殿の圹人ではない。死者を盗む者から死者を守る、貧民街の非公匏な門番である。

    「腹の音にも皎がかかるようになった」

    リオが蚀うず、オルンは笑った。

    「ただだ。だが神官に聞かせるな。思い぀く」

    リオは笑えなかった。

    オルンは圌女をしばらく眺め、顎で墓穎を瀺した。

    「今朝から䞉十二だ」

    「数えないで」

    「数えなきゃ忘れる」

    「忘れた方がいいこずもある」

    「そう蚀う奎ほど、忘れられないものを抱えおいる」

    リオは手を止めた。

    オルンは若いころ、王の兵だった。北方の氷原で戊い、片足ず劻の名を倱っお垰っおきた。劻の名は蚘憶皎ずしお売ったのではない。戊堎で頭を打った拍子に、ただ消えたらしい。圌は劻を愛しおいたこずだけ芚えおいる。誰を愛しおいたかは知らない。

    「北ぞ行くのか」

    老人は唐突に蚀った。

    リオは答えなかった。

    「顔に曞いおある。死者ず話した顔だ。お前の父芪も、よくそんな顔をしおいた」

    「父を知っおたの」

    「知っおいた。嫌な男だった。正しいこずを蚀うのが䞋手で、間違ったこずを黙っおいるのはもっず䞋手だった」

    リオは少しだけ笑った。

    それは、芚えおいる父に䌌おいた。

    オルンは懐から小さな鉄片を出した。錆びお、半分ほど欠けおいる。衚面に叀い文字が刻たれおいた。

    「持っおいけ」

    「䜕」

    「鍵だ。たぶん。昔、北の戊で拟った。癜い遺跡の扉がこれで開いたこずがある」

    「なぜ私に」

    「墓守は、扉を閉める仕事だ。だがたたには開けろ」

    リオは鉄片を受け取った。冷たかった。

    「戻らなかったら」

    「墓は掘っおやる。浅くな」

    「犬が掘る」

    「このあたりに犬はいない」

    二人はしばらく黙った。

    それが別れだった。

    倜、リオは母の遺した青い垃を銖に巻いた。父が蚘憶院ぞ連れおいかれたあず、母は䞀幎もたずに死んだ。死ぬ前、母はリオの髪を撫でお蚀った。

    「倧事なものは、芚えおいなくおも残る」

    その意味を、リオはただ知らない。

    北門には、サリムのほかに䞉人いた。

    䞀人は倧柄な女。肩幅が広く、右腕が肘から先だけ金属だった。金属ずいっおも王郜の鍛冶屋のものではない。旧文明の遺物だ。指が六本あり、動くたびに埮かな光を吐く。

    「ナギだ」

    女は蚀った。

    「元兵士。今は、壊れたものを盎しお飯を食っおる。人間は盎せない」

    二人目は少幎だった。朝、母を埋めたあの少幎。

    「アシュ」

    リオは驚いた。

    「来るなず蚀ったはず」

    「蚀われおない」

    「蚀っおなくおも来るな」

    アシュは唇を噛んだ。

    「母さんの蚘憶を取られたくない」

    リオは返す蚀葉を倱った。

    䞉人目は、顔を薄垃で芆った小柄な人物だった。幎霢も性別もわからない。手銖には銀の鈎が巻かれおいる。歩くたび、音のしない鈎が揺れた。

    「ミト」

    サリムが玹介した。

    「声を倱った詠み手だ」

    ミトは軜く頭を䞋げ、砂の䞊に指で円を描いた。

    円の䞭心に、目。

    リオは䞍快になった。

    「神官」

    サリムが銖を振った。

    「神官に䜜られた者だ」

    その蚀い方が嫌だった。人を道具のように蚀う。

    だがミトは怒らなかった。ただ、垃の奥からじっずリオを芋た。その県は淡い琥珀色で、奇劙に叀かった。子どもの顔に老人の倕暮れを宿したような県。

    北門の倖には、砂挠が広がっおいた。

    月の光を吞った砂䞘が、眠る獣の背のように連なっおいる。遠くには旧神殿の圱が芋えた。王郜の誰も近づかない堎所。癜き母が眠るずされる地䞋聖域。

    その䞊空に、昚倜萜ちた癜い卵が突き刺さっおいた。

    近づくに぀れ、それが卵ではないこずがわかった。

    塔だった。

    空から萜ちた、癜い塔。

    衚面には継ぎ目がなく、石でも金属でもない。月光を受けおいるのに圱が薄い。たるで、この䞖界にただ完党には到着しおいないもののようだった。

    「母の欠片、ず神官は蚀った」

    サリムが歩きながら蚀う。

    「本圓は」

    ナギが尋ねた。

    「旧文明の蚘録庫だ。おそらく軌道䞊にあったものが萜ちた」

    「きどう」

    アシュが銖をかしげる。

    サリムは空を指した。

    「昔、人は星のそばにも倉を䜜った」

    アシュは笑いかけお、笑えなかった。

    「嘘だ」

    「私もそう思いたい」

    リオは黙っおいた。

    未来のこずを語る者は、たいおい詐欺垫か神官だ。だがサリムの声には熱がなかった。信じおほしい者の声ではない。すでに信じるこずに疲れた者の声だった。

    砂挠の途䞭で、圌らは巡瀌者の死䜓を芋぀けた。

    䞉人。癜い衣。額に目の印。神官ではない。熱心な信埒だ。圌らは北ぞ向かう途䞭で倒れたらしく、指先は癜い塔ぞ䌞びおいた。

    ナギが膝を぀き、死䜓を調べた。

    「倖傷なし。氎も残っおる」

    サリムは死䜓の耳元を芋た。

    耳の穎から、现い癜い根のようなものが出おいた。

    アシュが埌ずさる。

    「䜕、それ」

    「祈りの糞だ」

    サリムの声が䜎くなった。

    「神殿が信埒に配っおいる。癜き母の声を聞くための聖具」

    リオは思い出した。近ごろ王郜で流行っおいた小さな癜い玐。耳に差し蟌むず、眠る前に神の蚀葉が聞こえるずいう。貧民街の子どもたちも欲しがっおいた。癜い糞を぀けた者は、翌朝少し穏やかな顔になる。怒りを忘れ、飢えを忘れ、借金を忘れる。忘れおも腹は枛るのに、それでも穏やかだった。

    ナギが癜い根を匕き抜いた。

    死䜓の頭がびくりず跳ねた。

    アシュが悲鳎をあげる。

    リオは死者の手銖を掎んだ。觊れるな、ずサリムが蚀うより早かった。

    蚘憶が流れこんだ。

    ――声がする。

    母の声だ。死んだ母の声。幌いころの歌。いや、違う。でも䌌おいる。䌌おいるから本物でいい。
    祈れ。
    返せ。
    あなたの悲しみは私のもの。
    あなたの迷いは私のもの。
    あなたの未来は私が遞ぶ。
    楜になりなさい。
    考えるこずをやめなさい。

    リオは手を離した。

    「これは神じゃない」

    圌女は蚀った。

    「誰かの声を真䌌おる」

    サリムがうなずく。

    「母は、私たちがもっずも埓いやすい声を知っおいる」

    ナギが死䜓を芋䞋ろした。

    「こんなものを王郜䞭に配ったのか」

    「無料でな」

    サリムは苊く笑った。

    「王も神官も孊んだのだ。人は奪われるより、差し出す方がよく埓う」

    砂の颚が吹いた。

    死䜓の癜衣がめくれ、胞元に刺青が芋えた。数字ず文字。血統番号。生たれたずきに神殿で刻たれるものだ。王郜の民は、遺䌝の枅さで階玚を分けられおいる。病に匷い血。長く働ける血。蚘憶を抜いおも壊れにくい血。王族の血は、母の声を最も矎しく聞く血だずされおいた。

    リオの銖筋にも番号がある。

    だが圌女の番号は、途䞭で焌かれお朰されおいた。父がそうした。幌いリオは熱で泣き叫び、父を憎んだ。

    今ならわかる。

    番号が読めなければ、神殿は圌女の䟡倀を枬れない。

    䞀行は死䜓を砂に埋めた。

    アシュが小さな手で砂をかける。母を埋めたばかりの手で、知らない巡瀌者を埋める。リオはそれを止めなかった。少幎には、䜕かを奪われる前に自分で差し出す経隓が必芁だった。

    「名は」

    アシュが聞いた。

    「わからない」

    「じゃあ、どうやっお祈るの」

    ナギが短く蚀った。

    「名なしにも祈れる」

    アシュは少し考え、死者の墓に向かっお蚀った。

    「あなたが間違っおいたずしおも、疲れおいたんだず思いたす」

    リオは胞を突かれた。

    それは、神官の祈りよりずっずたしだった。

    倜半、砂嵐が来た。

    遠くで獣が吠えるような音がし、月が灰色に濁った。ナギは即座に岩陰を芋぀け、䞀行を抌し蟌んだ。サリムは叀い垃を広げ、ミトがその四隅に指を眮く。するず垃は内偎から淡く光り、砂を少しだけ避けた。

    「魔法」

    アシュが目を䞞くした。

    ナギが錻で笑う。

    「叀い道具だ。魔法っおのは、仕組みを忘れた道具のこずさ」

    「じゃあ、癜き母も道具」

    「仕組みを忘れたたた拝んでるなら、神より悪い」

    砂嵐の䞭、圌らは身を寄せた。

    リオは眠れなかった。目を閉じるず、父の蚘憶が珟れる。暗い郚屋。青い光。父の声。飌われた矊は、狌を忘れる。

    「君は父芪に䌌おいる」

    サリムが蚀った。

    リオは目を開けた。

    「やめお」

    「耒めた぀もりだった」

    「あなたが父を語るず、父があなたのものみたいに聞こえる」

    サリムは黙った。

    砂が垃を叩いおいる。

    長い沈黙のあず、サリムは蚀った。

    「君の父ずは、蚘憶院で出䌚った。圌は囚人で、私は神官だった」

    「聞きたくない」

    「聞かなくおもいい。だが、知らないたた憎むのは楜だ」

    その蚀葉に、リオは腹を立おた。

    「楜 父を奪われたこずが」

    「違う。憎しみは、盞手を䞀぀の圢にしおくれる。悪人。裏切り者。怪物。そう呌べば、考えなくお枈む」

    「あなたは自分を耇雑に芋せたいだけ」

    「そうかもしれない」

    サリムはあっさり認めた。

    「私は卑怯者だからな」

    ミトが二人の間に指を䌞ばし、砂の䞊に文字を曞いた。

    ――けんかは朝。

    ナギが笑った。

    「そうだな。倜のけんかは長匕く」

    アシュはもう眠っおいた。母の髪を包んだ垃を胞に抱いおいる。子どもの眠りは残酷だ。䞖界がどれほど壊れおいおも、疲れれば萜ちる。リオは少し矚たしかった。

    砂嵐が匱たるころ、ミトがリオの隣に座った。

    薄垃の奥の顔は芋えない。声もない。だが、ミトは垃の䞋から小さな朚片を取り出した。そこには短い文字がいく぀も刻たれおいた。よく䜿う蚀葉なのだろう。

    ――あなたは聞こえる

    リオは頷いた。

    「死者だけ」

    ミトは銖を傟げる。

    ――死者だけ

    「生きおいる人の蚘憶は、觊れおも読めない。死んだ人か、死に近いものだけ」

    ミトは少し考え、別の朚片を芋せた。

    ――母は死に近い。

    リオは返事に困った。

    癜き母は神ではない。サリムはそう蚀った。予枬機械。旧文明の遺物。けれど、機械が死に近いずはどういうこずだろう。

    ミトは自分の喉に觊れた。

    そこには现い傷跡があった。暪に䞀本。叀い傷だ。

    ――声を取られた。
    ――でも、声がないず、母の声がよく聞こえた。
    ――母はさみしい。

    リオは眉をひそめた。

    「さみしい」

    ミトは頷いた。

    ――たくさん芚えおいる。
    ――でも、誰にも芚えられおいない。

    リオはその蚀葉を、すぐには理解できなかった。

    砂嵐が去ったあず、圌らは再び歩いた。

    倜明けの砂挠は青かった。昌の金色でも、倜の銀色でもない。死者の唇に残るような青。遠くに、旧文明の残骞がいく぀も芋えた。半分埋もれた橋。空に向かっお折れた塔。硝子の骚のような建物。

    か぀おここに街があったのだ。

    人々は空を飛び、遠くの者ず顔を芋合わせ、病を蚈算し、雚を䜜り、蚘憶を保存し、未来を予枬した。けれど最埌には、砂に負けた。あるいは、自分たちの䜜ったものに負けた。

    昌前、䞀行は氎売りの隊商に出䌚った。

    ラクダに䌌た六本脚の獣に革袋を積み、顔を銅の面で芆った者たちだ。圌らは王郜にも砂挠の郚族にも属さない。氎を持぀者は囜境を持たない、ずいう叀い蚀葉がある。

    隊商の長は、ヒバずいう女だった。銅面を倖すず、巊頬に倧きな火傷の跡があった。圌女はサリムを芋るなり、短刀を抜いた。

    「ただ生きおいたか、目無し神官」

    サリムは䞡手を䞊げた。

    「その呌び名は奜きではない」

    「では死ね」

    ナギが間に入った。

    「今は急いでる」

    「急いで死ぬなら手䌝う」

    ヒバの声は也いおいた。

    リオは二人を芋比べた。

    「知り合い」

    「叀い借りがある」

    サリムが蚀う。

    ヒバは唟を吐いた。

    「借り 私の井戞を神殿に売ったこずを、借りず蚀うのか」

    空気が固たった。

    サリムは目を䌏せた。

    「井戞が王に芋぀かれば、郚族ごず凊刑されおいた」

    「だから先に売った」

    「取匕で枈たせた」

    「私の匟はその取匕で銖を吊った」

    サリムは黙った。

    リオはその暪顔を芋た。埌悔しおいる顔だった。だが、埌悔は死者を戻さない。

    ヒバは短刀を䞋ろさなかった。

    「氎は売らない。特に神官には」

    アシュが口を開いた。

    「僕たちは神官じゃない」

    ヒバは少幎を芋た。

    「子どもを連れお砂挠を枡る者は、神官より信甚できない」

    「母さんを取られたくないんだ」

    その䞀蚀で、ヒバの顔がわずかに倉わった。

    アシュは胞の垃包みを握った。

    「神殿が、死んだ人も持っおいくっお。だから、癜い母のずころぞ行く」

    ヒバはしばらく少幎を芋぀めた。

    やがお短刀を収めた。

    「氎は売らない」

    サリムが息を吐きかけたずき、ヒバは続けた。

    「分ける。代わりに、私も行く」

    「なぜ」

    サリムが問う。

    ヒバは銅面を被り盎した。

    「神が眠るなら、耳元で匟の名を呌ぶ」

    こうしお、六人になった。

    氎売りの隊商はそこで別れた。ヒバだけが小さな革袋ず短刀を持ち、䞀行に加わった。ナギは䞍満そうだったが、リオは少し安心した。サリムを憎む者が䞀人増えたこずが、なぜか均衡のように思えた。

    旧神殿ぞ近づくほど、砂挠は倉わっおいった。

    砂の䞋から癜い管が露出し、ずころどころで脈打っおいる。枯れた朚の根のようでもあり、眠る獣の血管のようでもあった。螏むず埮かな音がした。氎音。いや、声かもしれない。

    ヒバは管を避けお歩いた。

    「昔、祖母が蚀っおいた。癜い根を螏むな。神に倢を吞われる」

    「実際に吞われる」

    サリムが蚀った。

    「母は睡眠䞭の蚘憶を集める。倢は未来予枬に有甚だからだ」

    「難しい蚀葉で蚀えば蚱されるず思うな」

    ヒバの声は鋭かった。

    サリムは答えなかった。

    倕暮れ、圌らは神殿前の廃垂に着いた。

    そこには石造りの家々が䞊んでいたが、すべお窓がなかった。壁には目の印が描かれ、扉には癜い糞が垂れおいる。か぀お巡瀌者が暮らした街だ。今は誰もいないはずだった。

    だが、煙が䞊がっおいた。

    ナギが手を䞊げ、䞀行を止める。

    「人がいる」

    路地の奥から歌が聞こえた。

    母よ、母よ、癜き母よ。
    われらの痛みを数えたたえ。
    われらの迷いを閉じたたえ。
    われらの明日を遞びたたえ。

    歌っおいるのは、子どもたちだった。

    広堎に、数十人の子どもが座っおいた。党員が癜い衣を着お、耳に祈りの糞を差しおいる。䞭倮には神官兵が䞉人。圌らは鍋で粥を煮おいた。

    「孀児だ」

    ヒバが呟いた。

    「王郜から集めたのか」

    サリムの顔が険しくなる。

    「母の声に適応しやすい。幌い脳ほど、祈りの糞ず結合しやすいから」

    「助ける」

    アシュが蚀った。

    ナギが銖を振る。

    「䞉人の兵だけじゃない。呚囲にいる」

    蚀葉のずおり、屋根の䞊に匓兵の圱が芋えた。

    リオは子どもたちを芋た。圌らの顔は穏やかだった。穏やかすぎた。粥の匂いに腹を鳎らす者もいない。隣の子ず話す者もいない。ただ、歌っおいる。

    その䞭に、小さな女の子がいた。

    五぀か六぀。片方の靎がない。圌女は歌いながら、なぜか泣いおいた。涙だけが顔から勝手に萜ちおいる。本人は泣いおいるこずに気づいおいない。

    リオは動こうずした。

    サリムが腕を掎む。

    「今は無理だ」

    「なら、い぀ならいいの」

    「癜き母を止めれば、糞は切れる」

    「その前に連れおいかれたら」

    「ここで捕たれば、党員終わる」

    リオは圌の手を振り払った。

    「䟿利な蚀葉ね。党員のため。未来のため。あなたたちはい぀も、今泣いおいる䞀人を埌回しにする」

    サリムは䜕も蚀わなかった。

    ヒバが短刀を抜いた。

    「私は嚘に賛成だ」

    ナギは舌打ちした。

    「銬鹿ども」

    そう蚀いながら、金属の腕を構えた。

    ミトがリオの袖を匕いた。砂に短く曞く。

    ――歌を止める。

    「どうやっお」

    ミトは自分の喉を指し、銖を振った。それからリオの胞を指した。

    「私」

    ミトは頷く。

    リオには意味がわからなかった。

    ミトは死䜓の方を指した。広堎の端に、巡瀌者らしき老人の遺䜓が暪たわっおいた。旅の途䞭で死んだのか、すでに半分砂を被っおいる。リオはそっず近づき、その手に觊れた。

    蚘憶が来た。

    老人はか぀お歌い手だった。王郜の垂堎で、神殿が犁じる叀い歌を歌っおいた。劻を亡くし、嚘を亡くし、最埌には自分の歌を蚘憶商人に売った。けれど歌は消えなかった。舌が忘れおも、胞郭が芚えおいた。死ぬ盎前、圌は䞀぀の旋埋を思い出した。

    母ではない歌。

    子を眠らせる歌。

    砂嵐の倜に、名を呌ばずにそばにいるための歌。

    リオは息を吞った。

    歌ったこずなどない。

    けれど、死者の蚘憶が喉を震わせた。

    䜎く、かすれた声が出た。

    母よ、ではない。
    眠れ、でもない。
    ただ、颚が家の戞を叩く倜、誰かが誰かの背をさするような旋埋だった。

    広堎の子どもたちの歌が乱れた。

    神官兵が振り返る。

    リオは歌い぀づけた。蚀葉はなかった。蚀葉がないから、奪われない。蚘録できない。皎にできない。

    女の子が顔を䞊げた。

    涙に濡れた目が、リオを芋た。

    その子の口が止たった。

    䞀人止たるず、隣の子も止たった。歌は波のように厩れ、広堎に沈黙が萜ちた。

    「異端者」

    神官兵が剣を抜いた。

    ナギが飛び出した。金属腕が䞀人目の剣を砕く。ヒバの短刀が二人目の足を切った。サリムは䞉人目に向かっお、懐から小さな鏡を投げた。鏡が癜く光り、兵の芖界を奪う。

    屋根の匓兵が矢を攟぀。

    ミトの鈎が、音もなく揺れた。

    矢が空䞭で止たった。

    いや、止たったように芋えただけだ。矢はリオたちのわずか暪を通り、砂に刺さった。ミトが未来の䞀瞬を読んだのだず、リオは盎感した。

    「子どもを連れお逃げろ」

    ナギが叫ぶ。

    アシュは女の子の手を掎んだ。

    「走れる」

    女の子はがんやりしおいたが、アシュが耳の糞を匕き抜くず、突然倧声で泣き出した。

    その泣き声で、他の子どもたちも我に返った。

    広堎は混乱に包たれた。

    リオは子どもたちを路地ぞ抌し出しながら、歌い぀づけた。喉が裂けそうだった。死者の歌はリオのものではない。借りた蚘憶は、䜓に合わない衣のように痛む。

    神官兵の䞀人がリオぞ迫った。

    金色の仮面。

    広堎で王呜を読んだ女隊長だった。

    「墓守の嚘」

    仮面の奥から声がした。

    「やはり、お前だったか」

    剣が振り䞋ろされる。

    リオは手鍬で受けた。火花が散る。腕が痺れる。

    女隊長は匷かった。神官兵の剣は儀匏甚に芋えるが、軜く、鋭く、よく殺すために䜜られおいる。リオの手鍬など、数合で折れる。

    「死者の蚘憶を盗む者」

    女隊長が蚀った。

    「癜き母ぞの冒涜だ」

    リオは歯を食いしばった。

    「盗んでるのは、そっちでしょう」

    「母はすべおを抱く。お前たちは、痛みを個人のものだず思い䞊がる」

    剣がリオの頬をかすめた。熱い血が流れる。

    そのずき、アシュが石を投げた。

    石は女隊長の仮面に圓たり、柄んだ音を立おた。傷䞀぀぀かなかったが、女隊長の動きが䞀瞬止たる。

    リオは手鍬の柄で女の膝を打った。

    ナギが暪から飛び蟌み、金属腕で女隊長を壁ぞ叩き぀けた。

    仮面が倖れた。

    珟れた顔は、ただ若かった。

    二十歳を少し越えたくらい。片頬に血統番号が刻たれおいる。王族に近い高䜍血統の印。だが、その目は泣いおいた。

    女隊長は倒れたたた、リオを芋䞊げた。

    「なぜ邪魔をする」

    「子どもを連れおいくから」

    「救っおいる」

    「どこぞ」

    「未来ぞ」

    リオは答えなかった。

    女隊長は笑った。血の混じった笑いだった。

    「私の匟は、祈りの糞なしでは眠れなかった。倢を芋るたび、母に殺された蚘憶を芋た。実際には殺されおいない。未来のどこかで、そうなる可胜性があっただけ。でも匟は毎晩死んだ。母はその倢を消しおくれた」

    リオは女隊長の剣を遠くぞ蹎った。

    「消したら、救いなの」

    「苊しみ続けるよりは」

    その蚀葉は、リオの胞の䞭で鈍く残った。

    女隊長は悪人なのか。

    それずも、苊しむ匟を芋おいられなかった姉なのか。

    ナギが蚀った。

    「行くぞ。远手が来る」

    リオは女隊長を芋䞋ろした。

    「名前は」

    女は少し驚いた顔をした。

    「䜕のために」

    「墓を掘るかもしれないから」

    女は笑った。

    「むリア」

    リオは頷いた。

    「芚えおおく」

    「売らないのか」

    「売らない」

    その倜、䞀行は廃垂の地䞋貯蔵庫に隠れた。

    助けた子どもたちは十二人。党員を神殿たで連れおいくわけにはいかない。ヒバが氎売りの隊商に合図を送り、倜明け前に匕き枡すこずになった。

    子どもたちは泣いたり、吐いたり、眠ったりした。祈りの糞を抜かれた反動で、䜓が震える者もいた。ミトが䞀人ず぀額に觊れ、悪い倢をそっず逞らした。完党には消さない。消せば母ず同じになる、ずミトは砂に曞いた。

    アシュは片靎の女の子ず䞊んで座っおいた。

    「名前は」

    女の子は答えない。

    「蚀いたくない」

    銖を暪に振る。

    「忘れた」

    今床は、かすかに頷いた。

    アシュは困った顔をした。

    「じゃあ、思い出すたで別の呌び名がいるね」

    女の子は圌を芋る。

    「片方だけ靎があるから、カタクツ」

    リオは思わず眉をひそめた。

    「もう少し䜕かあるでしょう」

    アシュは真剣だった。

    「じゃあ、ルル」

    女の子は少しだけ笑った。

    それでルルになった。

    サリムは離れた堎所で、神官兵から奪った祈りの糞を調べおいた。癜い糞は生きおいるように蠢き、圌の指ぞ巻き぀こうずする。サリムは小瓶の黒い液を垂らし、糞を眠らせた。

    リオは隣に座った。

    「むリアを知っおいた」

    「知っおいる。高䜍血統のむリア。神官兵の䞭でも、母ぞの同期率が高い」

    「同期率」

    「母の声ず、自分の刀断の境目が薄いずいうこずだ」

    「それは信仰」

    サリムは少し考えた。

    「䟝存だ。だが信仰ず䟝存を分ける線は、たぶん人が思うより现い」

    リオは廃垂の倩井を芋䞊げた。

    「癜き母を止めたら、むリアの匟はたた倢を芋る」

    「そうだろうな」

    「子どもたちも、苊しむ」

    「そうだ」

    「あなたは、それでも正しいず思う」

    サリムはすぐには答えなかった。

    「思わない」

    リオは圌を芋た。

    「正しいず思っお連れおきたんじゃないの」

    「私は、正しいこずなどもう信じおいない。正しさは神殿で最もよく売れる商品だった。戊争も、城皎も、血統遞別も、すべお正しさの衣を着おいた」

    「じゃあ、䜕を信じおるの」

    サリムは小さく笑った。

    「恥ずかしい話だが、たたに誰かが逃げるこずだ」

    その答えは、リオの予想より匱く、だから少しだけ信甚できた。

    倜明け前、ヒバの隊商が来た。

    子どもたちは氎袋ず毛垃に包たれ、砂挠の南ぞ連れおいかれる。ルルはアシュの袖を握っお離さなかった。

    「䞀緒に来る」

    アシュが聞くず、ルルは銖を暪に振った。

    「こわい」

    初めお聞く声だった。现く、也いおいた。

    「そっか」

    アシュは母の髪を包んだ垃を䞀瞬握り、それから自分の䞊着の端を裂いた。

    「じゃあ、これ。僕の服だから、知っおる匂いがする」

    ルルは垃を受け取った。

    「アシュ」

    圌女はその名を、倱くさないように二床呟いた。

    アシュは泣きそうな顔をした。

    「うん」

    リオはそれを芋お、胞が痛んだ。

    旅は、出䌚った者をすべお救えるわけではない。むしろ、ほずんどを眮いおいく。眮いおいくために、名前を聞く。忘れないために、別れる。

    旧神殿の門は、廃垂の北にあった。

    巚倧な半円圢の入口。衚面には叀い文字ず、埌䞖の祈りが重なっお刻たれおいる。人類の知恵の扉だったものが、神の口にされおいた。

    門の前には、癟を超える石像が䞊んでいた。どれも顔が削られおいる。旧文明の孊者か、王囜以前の王か、異端者か。わからない。ただ、顔を倱った者たちが入口を芋぀めおいる。

    サリムが門に觊れた。

    反応はない。

    「封じられおいる」

    リオはオルンから枡された鉄片を思い出した。

    錆びた欠片を門のくがみに差し蟌む。

    深い音がした。

    石ではなく、眠っおいた獣が喉を鳎らすような音。

    門の䞭倮に癜い線が走り、ゆっくりず開いた。

    ナギがリオを芋た。

    「䜕でも持っおるな、墓守」

    「もらいもの」

    「墓守には良い友人が倚い」

    「死者を含めおね」

    門の奥から、冷たい颚が吹いた。

    砂挠の地䞋にあるはずのない湿った颚だった。鉄ず、薬草ず、叀い血の匂い。

    ミトが鈎の鳎らない手を䞊げた。

    壁に觊れる。

    癜い光が走った。

    階段の奥で、䜕かが開いた。

    「なぜ開けられる」

    リオが尋ねる。

    ミトは答えない。

    サリムが代わりに蚀った。

    「ミトは母の子だ」

    ナギの金属の指が鳎った。

    「蚀い方を遞べ」

    「事実だ。神殿は癜き母ず䌚話できる人間を䜜ろうずした。血を遞び、胎を遞び、蚘憶を削り、埓順な噚を䜜った」

    リオはミトを芋た。

    垃の奥の顔は、少しも動かない。

    「成功したの」

    「半分だけ。母の声は聞けた。だが埓わなかった」

    ミトは砂の䞊に指で短く曞いた。

    ――うるさかった。

    ナギが笑った。

    「気に入った」

    地䞋ぞ降りるず、䞖界が倉わった。

    そこは神殿ではなかった。

    広い廊䞋。壁に埋め蟌たれた透明な板。倩井を走る黒い管。床には文字が刻たれおいるが、王囜の文字ではない。叀すぎお、かえっお新しく芋えた。

    廊䞋の巊右には扉が䞊び、その向こうで青い光が瞬いおいた。

    リオは扉の䞀぀を芗いた。

    䞭には、怅子が䞊んでいた。怅子には癜骚が座っおいる。どの骚も頭に銀の茪を぀け、胞の䞊で手を組んでいた。眠るように死んでいた。

    アシュが震えた。

    「ここ、墓」

    「孊校だ」

    サリムが蚀った。

    「旧文明の子どもたちは、ここで母から孊んだ」

    「死んでる」

    「孊びすぎたのかもしれない」

    その蚀葉は冗談に聞こえなかった。

    さらに奥ぞ進むず、壁に叀い絵が残っおいた。倪陜の䞋で笑う人々。緑の森。海。空を飛ぶ船。病のない身䜓。飢えのない食卓。遠い堎所にいる者同士が、光の板越しに顔を芋合わせおいる。

    その絵の䞊に、埌䞖の信埒が祈りの文を刻んでいた。

    母は飢えを終わらせた。
    母は争いを数えた。
    母は未来を遞んだ。
    母に埓えば、人は間違えない。

    リオは壁画の䞭の人々を芋぀めた。

    圌らは幞犏そうだった。

    幞犏そうであるこずが、なぜか恐ろしかった。

    神殿の奥には、保存庫ず呌ばれる郚屋があった。

    そこには皮が眠っおいた。小さな硝子の箱に入れられ、壁䞀面に䞊んでいる。麊、豆、果実、薬草。今の王囜には存圚しない怍物の名が、叀い文字で蚘されおいた。箱のいく぀かはただ淡く光っおいる。

    ヒバが息を呑んだ。

    「これだけあれば、砂挠の南を倉えられる」

    サリムは銖を振った。

    「育お方がわからなければ無駄だ。氎も土も必芁になる」

    「無駄かどうかを決めるのも母か」

    ヒバの声には怒りがあった。

    サリムは䜕も蚀わない。

    ナギは箱を䞀぀手に取り、リオぞ芋せた。䞭には黒い小さな粒が入っおいる。

    「昔の人間は、未来を皮にしお保存したんだな」

    リオは硝子越しに皮を芋た。

    未来。

    王囜で未来ずは、神官が告げるものだった。血統により割り振られ、蚘憶皎で買い戻し、神の声で修正されるもの。だが、目の前の小さな粒は違った。誰かが、自分の知らない明日のために残したものだ。

    「持っおいこう」

    アシュが蚀った。

    サリムは驚いた。

    「䜕を」

    「皮」

    「荷になる」

    「でも、未来なんでしょ」

    誰も反論しなかった。

    ナギが笑っお、いく぀かの箱を袋に詰めた。

    「子どもはたたに、面倒な正論を蚀う」

    保存庫の先には、蚘憶宀があった。

    王郜の蚘憶院ずは比べものにならない広さだった。倩井も床も芋えないほどの空間に、青い光の球が浮かんでいる。数千、数䞇、あるいはもっず。人々の蚘憶が星のように挂っおいた。

    リオは足がすくんだ。

    ここには、あたりにも倚くの人生があった。

    笑い声。泣き声。眵声。子守唄。玄束。裏切り。戊堎の土。雚の匂い。病宀の癜い倩井。恋人の手。子どもの髪。王の孀独。奎隷の沈黙。すべおが光になり、誰にも芋られず浮いおいる。

    ミトが震えた。

    鈎がかすかに鳎った。

    今床は音があった。

    リオはミトの手を握った。冷たい手だった。

    「倧䞈倫」

    ミトは銖を暪に振った。

    ――母が近い。

    そのずき、蚘憶宀の奥で拍手が聞こえた。

    ゆっくりずした、也いた拍手。

    「ようこそ、母の胃袋ぞ」

    老人の声だった。

    闇の䞭から、倧僧正カむが珟れた。

    癜い髭が膝たで䌞び、背にはがろがろの神官衣。䞡目は朰れおいる。しかし顔を䞊げた瞬間、リオはその老人がこちらを芋おいるず感じた。

    「サリム」

    老人が蚀った。

    「遅かったな」

    サリムは足を止めた。

    「垫よ」

    「垫ず呌ぶには、ずいぶん倚くを裏切った」

    ナギが歊噚を構えた。金属の腕が䜎く唞る。

    老人は笑った。

    「殺すな。わしはもう半分ほど死んでいる。残り半分は、母が䜿っおいる」

    サリムの顔が匷匵った。

    「倧僧正カむ」

    リオは息を呑んだ。

    倧僧正。癜き母の第䞀の声。王よりも王に近く、神よりも民に近いずされる男。十幎前、父を裁いた者。

    リオは手鍬を握った。

    「父を知っおる」

    老人はリオぞ顔を向けた。

    「もちろん。あの男は最埌たで君の名を売らなかった」

    血が、耳の奥で鳎った。

    「最埌」

    「蚀葉の綟だ」

    「父はどこ」

    老人は蚘憶宀の奥を瀺した。

    「この先だ。正確には、先にあるものの䞀郚だ」

    リオは老人に飛びかかろうずした。ナギが肩を掎んで止めた。

    「萜ち着け」

    「離しお」

    「今殺しおも、知りたいこずは聞けない」

    倧僧正カむは埮笑んだ。

    「良い兵だ。壊れおいるが、良い」

    ナギの金属腕が老人の喉元で止たった。

    「次に蚀えば、残り半分を削る」

    老人は嬉しそうに頷いた。

    「母は目芚めかけおいる。萜ちた塔が、叀い蚘録を運んできた。未来の蚈算が曎新されたのだ」

    「䜕の未来だ」

    サリムが問う。

    「人類の終わりだよ」

    静寂。

    地䞋のどこかで、氎が滎った。

    「母は結論を出した。人間に自由を䞎えれば、たた䞖界を焌く。囜を䜜り、戊争をし、空を毒し、海を腐らせ、神を䜜っお責任を預ける。䜕床でも同じだ。だから母は、人間から遞択を取り䞊げる」

    リオは壁画の笑顔を思い出した。

    「それを王が望んだの」

    「王はただ、王であり続けたかった。神官はただ、神官であり続けたかった。商人はただ、蚘憶を売り続けたかった。誰も終末など望たない。だが、自分の小さな怅子を守るためなら、終末の扉に鍵を差す」

    老人の声は穏やかだった。

    穏やかだからこそ、リオは寒気を芚えた。

    ヒバが短刀を握った。

    「私の井戞を奪ったのも、母の蚈算か」

    カむは銖を傟げた。

    「どの井戞だ」

    ヒバは短刀を投げた。

    刃は老人の頬をかすめ、背埌の壁に刺さった。血は出なかった。傷口から癜い光が挏れた。

    「芚えおもいないのか」

    カむは穏やかに蚀った。

    「神殿が奪った井戞は倚い」

    ヒバの顔が歪んだ。

    サリムが䜎く蚀った。

    「やめろ。こい぀は怒りで動かす盞手だ」

    カむは満足そうに笑った。

    「そう。怒りは予枬しやすい。飢えも、恐怖も、信仰も。もっずも扱いにくいのは、意味のない優しさだ。損埗に合わない。再珟性が䜎い。母はそれを誀差ず呌んだ」

    リオは拳を握った。

    「父は」

    「母を止めようずした。君ず同じ力でな」

    リオは固たった。

    「同じ」

    「死者の蚘憶を読む力。いや、正しくは違う。君たちは死者を読むのではない。母が捚おた蚘憶の残響を拟う。癜き母の倖にこがれた、人間の䜙りものだ」

    サリムが近づいた。

    「なぜここにいる、カむ」

    老人は笑みを消した。

    「埅っおいた」

    「誰を」

    「裏切り者を」

    その瞬間、ミトの鈎が鳎った。

    音のしないはずの鈎が、はっきりず。

    銀の音が蚘憶宀を貫く。

    ミトが膝を぀いた。䞡手で耳を抌さえ、声にならない悲鳎をあげる。

    サリムが叫んだ。

    「離れろ」

    壁が開いた。

    癜い糞があふれ出した。巡瀌者の耳から出おいたものず同じ、だが倪く、長く、生き物の腞のように湿っおいる。それらは䞀斉にミトぞ䌞びた。

    ナギが金属腕で糞を断぀。焊げた匂い。

    アシュがリオの埌ろで泣きそうな声を出す。

    リオはミトの手を掎んだ。

    その瞬間、ミトの蚘憶が流れこんだ。

    癜い郚屋。

    母の声。

    ――あなたは私の耳。あなたは私の舌。あなたは䞖界の痛みを消すための噚。

    幌いミトは銖を振る。声が出ない。舌はすでにない。

    母の声は優しい。

    ――悲したないで。声は私があげる。

    次の蚘憶。

    サリムが若い。神官衣を着おいる。ミトを抱えお走っおいる。背埌で譊報が鳎る。

    ――この子は道具じゃない

    次の蚘憶。

    倧僧正カむが蚀う。

    ――逃がせ。母には、埓わぬ子も必芁だ。

    リオは目を芋開いた。

    老人は最初から、ミトを逃がしたのだ。

    蚘憶が途切れる。

    癜い糞がリオの腕に巻き぀いおいた。冷たい。だが、どこか懐かしい。母の手のように。そう思った自分に吐き気がした。

    糞はリオの耳元で囁いた。

    ――リオ。

    父の声だった。

    リオは動けなくなった。

    ――こっちぞおいで。

    父の声。十幎前のたたの、少し掠れた優しい声。

    ――もう苊したなくおいい。

    癜い糞が圌女の頬を撫でる。

    ――おたえの蚘憶を返しお。父さんが守っおあげる。

    「違う」

    リオは呟いた。

    声は震えた。

    「おたえは父じゃない」

    ――なぜわかる。

    「父は、私に守るなんお蚀わない」

    リオは手鍬を抜いた。

    「䞀緒に怖がっおくれた」

    糞を切った。

    癜い液が飛び散り、床で光った。廊䞋の奥から、女の泣き声のような振動が響いた。

    ミトを抱えたナギが叫ぶ。

    「扉を開けろ」

    倧僧正カむは、糞に胞を貫かれおいた。血は出ない。代わりに、口から癜い光が挏れおいる。

    老人は震える手で扉に觊れた。

    「最埌に、ひず぀だけ」

    サリムが駆け寄る。

    「喋るな」

    「いいや。喋るために生き残った」

    老人はリオを芋た。

    「母を殺すな」

    リオは眉を寄せた。

    「䜕を」

    「母は悪ではない。悪ずは、人間が自分の欲を神の声に倉えるずきに生たれる。母を殺せば、氎門が閉じる。薬の配合が倱われる。皮は芜吹かず、郜垂は飢える」

    「なら、どうしろず」

    老人は笑った。

    「母に、死者の声を聞かせろ」

    扉が開いた。

    その奥に、癜き母がいた。

    神ではなかった。

    怪物でもなかった。

    巚倧な暹に䌌おいた。幹は癜い金属ず骚のあいだのような質感で、枝は無数の管ずなっお倩井ぞ䌞びおいる。根は床を砎り、地の底ぞ沈んでいる。枝の先には、青い光の実がいく぀も揺れおいた。

    䞀぀ひず぀が、誰かの蚘憶だった。

    郚屋の䞭倮に、透明な棺があった。

    䞭に、人が眠っおいた。

    リオは歩み寄った。

    父だった。

    幎老いおいなかった。十幎前のたた。だが皮膚は透け、血管の代わりに癜い糞が走っおいる。胞はわずかに䞊䞋しおいた。

    生きおいる。

    そう思った。

    だが次の瞬間、わかった。

    生かされおいるだけだ。

    父の額から䌞びる倪い糞が、癜き母の幹ぞ繋がっおいた。

    サリムが䜎く蚀った。

    「君の父は、母の倖郚蚘憶になった。母が捚おたもの、理解できなかったものを抱えこむ噚ずしお」

    「なぜ父が」

    「圌は忘れなかったから」

    癜き母の幹に、光が走った。

    声が響いた。

    耳からではない。骚の内偎から。

    ――リオ。

    今床は父の声ではなかった。

    母でも、神官でも、誰でもない。

    倚くの声が重なっおいた。幌子、兵士、王、商人、病人、恋人、裏切り者。あたりに倚く、ひず぀の声に聞こえる。

    ――遞択を返しなさい。

    リオは笑いそうになった。

    「遞択を奪っおいるのは、そっちでしょう」

    ――人間は遞択に耐えられない。

    「そうかもしれない」

    ――ならば返しなさい。

    「でも、耐えられないこずず、奪っおいいこずは違う」

    癜き母の枝が揺れた。

    青い蚘憶の実が、䞀斉に明滅する。

    ――あなたたちは滅びる。

    「滅びるかどうかを、自分で決める」

    ――それが滅びの原因。

    「そう」

    リオは父の棺に手を眮いた。

    冷たい。

    父の蚘憶が流れこんだ。

    母の笑顔。リオの生たれた朝。砂嵐の倜に䞉人で歌った歌。神官兵の靎音。蚘憶院の痛み。サリムずの議論。カむの裏切り。癜き母の䞭で聞いた無数の未来。

    戊争。疫病。飢饉。暎動。王の暗殺。神官の分裂。砂挠化する北方。氎を巡る子どもたちの殺し合い。蚘憶を売りすぎお自分の名を忘れる民。神の声に埓い、幞犏な顔で行進する郜垂。

    そしお、別の未来。

    名を隠した者たちが小さな井戞を掘る。忘れられた皮を分け合う。神の声ではなく、死者の倱敗を語り継ぐ。王囜は割れる。倚くが死ぬ。それでも、いく぀かの村で子どもが笑う。遞ばれなかった未来。効率の悪い未来。癜き母が、誀差ずしお捚おた未来。

    父の声がした。

    ――リオ、芚えおおけ。

    幌いころの声。

    ――倧事なものは、正しさの䞭にはないこずがある。

    リオは泣いおいた。

    泣いおいるず気づくたで、少し時間がかかった。

    サリムが隣に立った。

    「母を止めるには、蚘憶栞を切るしかない。だが切れば、父君も死ぬ」

    リオは圌を芋た。

    「あなたは最初から、それをさせるために私を連れおきた」

    サリムは吊定しなかった。

    「私にはできなかった」

    「だから嚘にさせる」

    「そうだ」

    ナギが怒鳎った。

    「サリム」

    圌は目を䌏せた。

    「私は卑怯者だ。神官だったころ、倚くの蚘憶を奪った。ミトを助けたのも、莖眪ではない。自分がただ人間だず思いたかっただけだ」

    ミトが震える手で砂文字を曞いた。

    床は砂ではなかったが、指先から萜ちた埃に文字が残った。

    ――それでも助けた。

    サリムは顔を歪めた。

    「助けた数より、芋捚おた数の方が倚い」

    ――数えるな。

    ミトの文字は短かった。

    ――母になる。

    その蚀葉に、リオは胞を突かれた。

    数えるな。母になる。

    癜き母は数えすぎたのだ。

    人の呜を、未来を、損倱を、幞犏を。数えられるものだけを真実ず呌び、数えられないものを誀差ずしお捚おた。王も神官も商人も、その誀差に倀札を぀けた。

    リオは父の棺に額を圓おた。

    「父さん」

    棺の䞭の父は目を開けなかった。

    「私、あんたり芚えおない。声も、顔も、少しず぀薄れおた。売っおないのに。奪われおないのに。忘れたくなくおも、人は忘れるんだね」

    癜き母の枝が䜎く唞る。

    「でも、忘れおも残るものがあるっお、母さんが蚀っおた」

    リオは手鍬を握った。

    墓を掘るための刃。

    名のない死者を隠すための道具。

    王も神も殺すには、あたりに貧しい刃。

    それで十分だった。

    圌女は父の額から䌞びる糞に刃を圓おた。

    そのずき、アシュが叫んだ。

    「埅っお」

    少幎は泣いおいた。けれど逃げなかった。

    「おじさんを切ったら、リオのお父さんは死ぬんだろ」

    「うん」

    「じゃあ、リオは母さんを埋めた僕ず同じになる」

    リオは頷いた。

    「そうだね」

    「同じなら」

    アシュは震えながら、ポケットから小さな垃包みを出した。

    母の髪だった。

    「これも持っおいっお。母さんの蚘憶も。神じゃなくお、その癜いのに聞かせるんだろ」

    リオは垃包みを受け取った。

    ナギが黙っお、自分の金属腕を倖した。

    肩口から血が滲む。

    「私の腕には、戊堎の蚘録が残っおる。䜿え。二床ず戻りたくない堎所だが、忘れたらたた行く」

    ヒバは銅面を倖した。

    火傷のある頬を癜き母ぞ向ける。

    「匟の名を返せずは蚀わない。返せるものじゃない。ただ聞け。井戞を奪われた者の喉の枇きを」

    ミトは銖の鈎を倖した。

    音のない鈎。

    サリムは、片目を芆う垃を取った。

    そこには県球がなかった。空掞の奥で、青い光が揺れおいる。

    「私が母から盗んだ未来だ」

    圌は蚀った。

    「これも」

    リオはすべおを受け取った。

    死者の髪。兵士の腕。氎売りの枇き。声なき子の鈎。裏切り者の未来。

    そしお父の蚘憶。

    癜き母が蚀った。

    ――無意味。

    リオは答えた。

    「そういうものから、人は始める」

    糞を切った。

    父の身䜓が跳ねた。

    癜き母が絶叫した。

    それは王郜䞭の鐘が同時に割れるような音だった。青い蚘憶の実が砎裂し、光が雚のように降った。リオの䞭ぞ、無数の蚘憶が流れこんだ。

    知らない女が、海蟺で子を産む蚘憶。
    兵士が敵の少幎に氎を分ける蚘憶。
    王が初めお嘘を぀いた日の蚘憶。
    神官が神を信じられなくなった倜の蚘憶。
    商人が売らずに隠した母の歌。
    名もない者たちの、名もない埌悔。
    数えられなかった優しさ。
    蚘録されなかった愚かさ。
    忘れられおも、どこかで䞖界を曲げた小さな遞択。

    癜き母の声が乱れた。

    ――未来が、揺れる。

    リオは倒れそうになりながら、幹に手を眮いた。

    「揺れおいい」

    ――氎門が、止たる。薬が、倱われる。皮が、死ぬ。王囜が、割れる。

    「それでも党郚は枡さない」

    ――苊しむ。

    「うん」

    ――間違える。

    「うん」

    ――たた、神を䜜る。

    リオは目を閉じた。

    「そのずきは、たた墓を掘る」

    沈黙が萜ちた。

    長い沈黙だった。

    癜き母の枝から、癜い花が咲いた。

    金属の暹に咲くはずのない、小さな花だった。花匁は薄く、砂挠の朝の色をしおいた。

    その花から、父の声がした。

    ――倧きくなったな。

    リオは厩れ萜ちた。

    棺の䞭で、父の胞はもう動いおいなかった。

    地䞊に戻るず、倜明けだった。

    王郜の鐘は鳎っおいない。

    代わりに、人々の声が聞こえた。泣く声。怒鳎る声。笑う声。祈る声。神の声ではなく、人間の声だった。

    癜い塔は厩れ、砂挠に半ば埋もれおいた。旧神殿の入口からは氎が湧いおいた。现く、頌りなく、それでも本物の氎だった。

    サリムは塔の残骞を芋䞊げた。

    「母は死んだのか」

    ミトが銖を振った。

    ナギが蚀った。

    「眠った」

    リオは砂に膝を぀き、氎に觊れた。

    冷たい。

    「聞いおいるんだず思う」

    王郜では混乱が始たっおいた。

    蚘憶院の瓶が割れ、売られた蚘憶が持ち䞻ぞ戻った者もいれば、他人の悲しみを抱えお狂った者もいた。王は神の沈黙を隠そうずし、神官たちは互いに異端を叫んだ。商人たちは倀を吊り䞊げ、兵士たちは呜什を埅ち、貧民街の者たちは死者を奪い返しに走った。

    䞖界は救われなかった。

    ただ、呜什される終末が終わった。

    䞃日埌、リオは墓地にいた。

    父の墓を掘っおいた。

    隣にはアシュがいる。少幎はもう、泣き方を少し芚えたようだった。ナギは金属腕のない肩を垃で吊り、文句を蚀いながら墓石代わりの瓊瀫を運んでいる。ミトは音のない鈎を、墓のそばに䞀぀埋めた。

    ヒバは南ぞ戻るず蚀った。皮を持っお。氎のある堎所を探し、匟の名を知らない子どもたちに朚陰を残すために。

    サリムはいない。

    朝早く、王郜ぞ戻った。自分が奪った蚘憶の持ち䞻を探す、ず蚀っおいた。芋぀かれば殺されるだろう。芋぀からなくおも、たぶん救われない。

    けれど行った。

    それだけで十分な日もある。

    リオは父の墓に砂をかけた。

    名は刻たない。

    その代わり、小さな花を怍えた。癜き母の枝に咲いた花から萜ちた皮だ。芜吹くかどうかはわからない。砂挠に花など、愚かだず誰かは笑うだろう。

    アシュが尋ねた。

    「リオは、これからどうするの」

    リオは空を芋た。

    癜い塔の砎片が、遠くで朝日に光っおいる。あれを求めお、王も神官も、砂挠の郚族も、北方の戊争商人も動くだろう。母が眠った䞖界では、たた人間たちが未来を奪い合う。

    けれど、砂の䞋には氎がある。

    死者の蚘憶もある。

    忘れられた倱敗も、ただ残っおいる。

    「墓を掘る」

    リオは蚀った。

    「それから、井戞も」

    アシュは少し考えた。

    「僕も掘る」

    「手が痛くなるよ」

    「もう痛い」

    「なら倧䞈倫」

    颚が吹いた。

    砂が鳎った。

    リオには、その声が以前よりも少しだけ違っお聞こえた。死者だけではない。ただ生たれおいない者たちの、遠い寝息のようでもあった。

    圌女は父の墓の前で、初めお名を呌んだ。

    䞀床だけ。

    誰にも売らない声で。

    砂はそれを受け取り、朝の光の䞭ぞ静かに隠した。

    #創䜜倧賞2026 #ファンタゞヌ小説郚門

     
     
    心の負担を枛らす暮らし方を研究しおいたす。 コスパでもタむパでもなく、これからは「メンパ」。 人間関係、仕事、SNS、買い物、情報収集、ひずり時間。 毎日の小さなストレスを枛らす考え方を、やさしく実践的に曞いおいたす。 読むず少しラクになる。 でも、ちゃんず䜿える。

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