
チロル会音楽部~ロック青春記 第13話*勝ち抜きエレキ合戦、日高君との出会い
夏が近づく頃、甲突川に架かる平田橋のたもとに数本の幟が立てられた。黄色い布地に手書きで『勝ち抜きエレキ合戦』の文字。今見ると時代を感じさせるタイトルだが、昭和四十年代当時でも、すでに時流から外れた侘しさを感じさせた。その感覚をちょっと恥ずかしく感じながらも、僕らにしてみれば放っておけない情報だった。
エレキ合戦の会場は、僕らが通っていた中学からほど近い平田公園。参加資格が十八歳以上だったので、自分たちは参加できない。でも、どんな猛者たちが腕を競い合うのだろうかと興味津々だった。
そして、その夜がやってきた。
誘い合わせて会場の平田公園に行ってみると、仮設舞台の周りにぽつぽつと人が集まり始めていた。自分たちが上がれない憧れのステージを、羨望の眼差しで見上げながら、開演を待った。
エレキ合戦の前座として、ミスター鹿児島コンテストなる企画が準備されていた。イケメンぶりを競うコンテストかと思っていたら、そうではなく、ボディビルコンテストだった。
ステージの上に次々と登場する参加者たち。腰を捻って腕をまげ、体のあちこちの筋肉をピクリと動かすと、そのたびに、舞台最前列にいた水商売風の若い女性から嬌声が上がる。見たくもないものを見せられ、一刻も早く終わって欲しかった。
そして、いよいよお待ちかねの《勝ち抜きエレキ合戦》の開始だ。気を取り直して演奏開始を待った。
最初の演奏者は、まだギターに触れたばかりという感じで、ピッチは狂い、リズムはどたどたと乱れ放題。コードを押さえるのにもたつき、チェンジのたびにタイミングがずれる。各演奏者のタイム感覚もてんでバラバラで、誰の何を聞けばいいのか分からない。乗るどころじゃない。僕らの顔からはみるみる力が抜け、思わず吐息がもれた。
続く何組かも似たようなもので、最初のほうに初心者を集めたのだろうと話しながら、一旦群衆から離れ、ベンチに腰掛けたまま遠くから眺めることにした。
一組、まだ一組と入れ替わって行く参加者たち。しかし、顔ぶれは変わっても、どれもこれも、どんぐりの背比べ状態だった。
「この様子じゃ、この後も期待できないんじゃないかな?」
「もしかすると、そうかも知れないね」
「よくこんなので人前に出てくるよね」
「僕たちのほうがよっぽどマシだよ」
「帰ろうか?」
結局、最後までまともな演奏は聞かれなかった。
今思えば、そこはただの宴会場だったのだ。企画者周辺の人々が、知り合いを集めて盛り上がれば、それで良かった。優勝なんてのは、ほんの飾りみたいなもんだったのだ。
東京から遠く離れた一地方都市の一般市民にとって、バンド活動なんていうものは、ほんの片手間の遊び程度のものでしかなかったようだ。
学校の先生を含む、世の大人たちの視線も、そんなものだったのかも知れない。
ピアノでロックを奏でると不機嫌になっていた父。
練習に苦情を呈した近所の男性。
バンド活動をボロクソにこき下ろした末原君の担任の先生。
練習を示威行為と勘違いして脅しにきた不良高校生。
こういった体験を振り返ってみると、当時の鹿児島におけるロックに対する無慈悲、無理解な現状が、嫌と言うほど伝わってくる。
『勝ち抜きエレキ合戦』、そのタイトルから伝わってくる侘しさは、そのまま企画者と参加者、両方の意識の低さを表していたのだ。
期待が裏切られ、がっかりしていると、僕らと同じように、周囲の盛り上がりから、明らかに浮いている高校生ぐらいの二人組がいるのに気付いた。どうやら、自分たちと同じ種類の落胆を味わったようだ。
どちらからともなく近づいて声を掛け合い、胸の内を明かし、バンド活動をしている同士だということがわかった。
歳を聞くと、同じ中学三年生。大隅半島の鹿屋市からフェリーに乗って弟と二人、このイベントを楽しみにして来たのだという。高校生に見えたのは、被っていた学生帽が市内の某私立高校の制帽によく似ていたためだった。
親の転勤で、今は鹿屋市に住んでいるが、鹿児島市に家があって、ちょくちょく来ているということだったので、連絡先を交換し、再会を楽しみにして別れた。
第7話『バンドやるヤツいないかなぁ』の中で、同級生の一人から「ギターの上手い奴がいるけど、鹿屋に転校した」と聞かされたその噂の人物こそが、この夜知り合った、後にプロのベーシストとなる日高康寛君だった。
出会うべくして出会ったのかもしれない。砂漠で水を求めるかのようにこの場に吸い寄せられ、落胆の表情を合言葉のようにして知り合った中学生たち。ロックの生演奏に触れられる機会が少なかった、当時の鹿児島ならではの出会いだった。
数日後、日高君は録音テープを持って、末原君の家にやってきた。そして自分たちの演奏を聴かせてくれた。曲は、ベンチャーズや寺内タケシといった、いわゆるエレキ・バンドのものがほとんどで、新しく起こりつつあったロックのムーブメントには、まだ触れていないようだったが、演奏の水準は高かった。日高君のギターだけでなく、他のメンバーたちの技術もしっかりしていて、特にドラムの疾走感が印象的で、アンサンブル全体に勢いとパワーがみなぎっていた。
その後、自分たちの録音も聴いてもらったが、比較すると、当の本人たちの耳にも、演奏に勢いが欠けているように感じられた。録音を意識して間違えないようにと気にするあまり、小ぢんまりとした演奏になっていることに気付いた。
周囲から苦情が来るのを畏れ、小さな音でこそこそと合わせているうちに、生き生きとした表情を失っていたのかもしれない。
その後、どんな音楽を目指しているのかを、互いに語り合った。その時点で、音楽的志向の違いが気にならないでもなかった。レッド・ツェッペリンのレコードを聴いてももらった時の反応が、こちらの期待に反して、極めて分かりづらいものだった。感想を聞こうとしている僕らの視線を避けるように、鋭い視線で宙を見つめ、黙ったまま小刻みに数回頷いた。何かを確信したような表情だったが、その口からは何の言葉も聞かれなかった。
彼が帰った後、一体どう感じていたのかが、当然話題になった。せっかく腕の確かな仲間に出会ったと言うのに、目指す方向に接点が無ければ、一緒にやっていけるかどうか分からない。ああだ、こうだと、しばし議論は続いた。
分かりやすい反応ではなかったが、はっきり拒否感を示したわけでもなかった。また会おうという約束になっているのだから、今あれこれ考えても仕方がない。それが、ひとまずの結論だった。
その日聴いてもらった曲は、ジミー・ペイジの無伴奏ソロが含まれる「ハートブレイカー」だった。後でわかったことだが、この時の日高君には、そのソロ部分がメチャクチャに弾いているみたいに聞こえ、ボーカルもただうるさいだけで、良い印象が無く、ほとんど無関心だったのだ。
