
チロル会音楽部~ロック青春記 第15話*ちょっと淡い恋みたいな
その夏を境に、僕は、一気に熱血キーボード小僧へと開眼して行くことになる。
それまでの僕は、キーボードの腕を磨こうなどとは、ほとんど考えていなかった。
一、二年の頃は、仲間内でアンサンブルすること自体が楽しかった。憧れの対象は、あくまでスーパーギタリストたちだった。ロックのキーボードは、バンドのアンサンブルに厚みを与えるものと捉えていて、コピー譜を書いてはメンバーに手渡すという役目を楽しんでいた。仲間内にドラマーがいなかったので、キーボードから手を放して、自分がドラムを叩くこともあった。僕にとってのキーボードは、その程度のものだったのである
そんな頃、日高君ら鹿屋一派と出会った。ドラムの川原君が加わることによって、その分野の人材不足が解消。無理をしてドラムを叩く必要がなくなった。そして、鹿屋にはいなかったタイプの鍵盤弾きとして、日高君らの評価がけっこう高くて、大いに気を良くしていた。
そんなときに、ロック界に初めて登場したスター・キーボード・プレイヤー、ザ・ナイスのキース・エマーソンを知り、これが完璧に追い討ちをかけて、泥沼に嵌り込んでしまったわけだが、そこにたどり着くまでに、いくつかの素朴な理由が、複合的に絡んでいたように思う。
たとえば、末原君からのこんな言葉。
「ギターは持ち運びも簡単で目立つからいいけど、キーボードは運ぶのも大変な上に、全然目立たないから損だね」
取るに足らない戯れのようなセリフだが、軽いジャブでも何度となく繰り返されると、じわじわと効いてくる。その結果、いわゆる「寝た子を覚ます」みたいなことが起こった。
その年のクリスマスの日、忘れがたい思い出が残っている。バンドとは何の関係ないことだが、あとから振り返ると、自分の中で何かが動き出した日のようにも思える。
それを伝えるには、少し時間を遡る必要がある。
昭和四十四年九月。中学二年の二学期が始まって間もなく、クラス対抗の校内器楽合奏コンクールに向けての練習が始まった。
僕の担当楽器は、ソプラノ・アコーディオン。オーケストラに当てはめると第一バイオリンの位置で、なかなか居心地が良かった。
参加曲として選ばれたのは、モーツァルトのシンフォニー40番を器楽合奏用にアレンジしたもの。中学の一般クラスとしては難曲の部類に入ると思う。アコーディオン担当の女の子たちに指使いを教えたり、間違いを直してあげたりと、ちょっといい気になって、そのポジションを楽しんでいた。
パート練習がある程度進み、全体練習が始まってほどなく、あることに気付いた。指揮の男の子がタクトを振り上げる直前、こちらをチラっと見る視線を感じる。
最初は、たまたまだと思っていた。
ところが…、
どうも 毎回必ずそうなるみたいだ。
― ん? これは一体… ―
何だか、ちょっと気になり始めた。みんなが指揮棒を見ている中で、一人だけから注がれる視線。一瞬とは言え、これはかなり目立った。
指揮棒が上がる直前、そのたびに僕の顔を覗きこむような視線をよこす。毎回そうなのだから、偶然でないことだけは確かだ。
視線の主は、テナー・アコーディオン担当で、自然と視界の左に入ってくる位置にいた。目の大きな、美少女として評判の子だ。
毎回同じタイミングで、僕らは必ず見詰め合うようになっていた。
― 悪くないな、この感じ…。ひょっとしてこれ、なんだかいけそう! ―
**
そして、コンクールの日がやってきた。
クラスメイトたちが順にステージに出て行き、定位置に着いた。照明がまぶしく、客席は暗くてよく見えない。ステージが意外なほど狭く感じられ、その狭い空間の中にすっぽりと納まったクラスメイトたちの顔を、妙に近くに感じていた。
いつもと違う雰囲気に、皆の緊張が伝わってくる。
もちろんぼくも緊張していた。
― あ、そうだ! ―
いつもの「儀式」を忘れていた。そのことを思い出し、いつもより少し遅れてテナー・アコーディオンの方に目をやると、その子は不安げな顔つきで、僕の視線を待っていた。目が合うと、その瞬間、安心した顔つきに変わり、演奏開始の構えに入った。
― あぁ、僕が視線を寄越さないと、寂しい気持ちになるのだな ―
えらく感じ入ってしまい、正直言って、これはもう完全に愛だと確信した。
このクラスマッチ、審査の結果がどうだったか、よく覚えていない。正直言って、そんなことは僕にとって、どうでもいいことだった。何度となく繰り返されてきた見つめ合う儀式も、とうとうこれで最後になる。この視線の交わりが、その後どう発展するのか…、そちらのほうが大問題だった。
毎日登校するのが楽しみだった。器楽合奏の練習で、毎日必ず視線を合わせていた余韻が、心にはっきりと残っていた。
― 病欠などせず、ちゃんと出席しているだろうか? ―
そんなことが毎朝気になり、その子の姿を確認することから、学校での一日が始まった。
しかし…、
待ち望んでいた瞬間は、なかなかやってこない。
コンクール前には、毎日のようにやってきた、あの「お決まりの時間」が、今はもうやってこない。
互いの気持ちを確認し合うタイミングが掴めなくなっていた。
**
ほどなく、クラスメイトの鎌田君が、クリスマスパーティーの開催を提案してくれた。バンド仲間に鮫島君を紹介してくれた男の子である。
招待されたのは、鎌田君本人を含めて、男子三人、女子三人。その中には、例のアコーディオンの子も含まれていた。
― グッジョブ! ―
このときほど鎌田君を好ましく思ったことはない。
僕は、指折り数えて、クリスマスを待った。