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20歳、初めての一人旅でインドを選んだ理由

二十歳のとき、初めての一人旅でインドへ行った。

なぜインドだったのか。出発点として思い出すのは、当時ハマっていた評論家や知識人たちのことだ。宮崎哲弥さん、宮台真司さん、苫米地英人さん。いろいろな人の話に触れる中で、共通して仏教に詳しいことが印象に残った。

僕はそこから、仏教というもののすごさを感じた。そして、仏教が生まれた地として、インドそのものに興味を持った。

 好きだった人たちの先に、仏教があった

順番としては、最初にインドの観光地を選び、その土地の文化として仏教を調べたのではない。先に、興味を持っていた人たちの話があった。その人たちが詳しく知っている仏教が気になり、そこから土地へ関心が向いた。

もちろん、挙げた人たちが全員同じ考えを述べていた、という話ではない。ここで書きたいのは、それぞれの思想の解説や比較ではなく、当時の僕がどこに引かれたかということだ。

僕には、いろいろな話をする人たちの中に、仏教への知識という共通点が見えた。そのこと自体が、「仏教には、自分がまだ知らない大きなものがあるのかもしれない」と感じる入口になった。

人への興味が、その人の知っていることへの興味になり、さらに土地への興味へとつながっていく。最初から旅行の話を聞いていたわけではなくても、言葉に触れるうちに、行ってみたい場所ができていた。

 分かったから行く、という順番ではない

こうして書くと、二十歳の僕が仏教を十分に理解し、その上で行き先を決めたように見えるかもしれない。でも、関心を持ったことと、理解したことは同じではない。

「すごいと感じた」という言葉には、まだ知らないものに引かれている部分もある。詳しく説明できることだけが、人を動かすわけではないのだと思う。

僕の旅の理由を、後から完成した思想に整えてしまうと、その入口が見えなくなる。仏教に詳しい人たちが面白かった。仏教が気になった。インドに興味を持った。そのつながりを、そのまま残しておきたい。

旅の動機は、履歴書の志望理由のようにきれいでなくてもよい。誰かの話を聞いて、一つの言葉が引っかかる。もっと知りたくなる。行ってみたい場所ができる。そういう始まりもある。

 一つの関心から、国へ目が向く

僕にとって、インドの入口は仏教だった。ただ、その入口だけで、インドという国全体を説明できるわけではない。

ある思想に興味があることと、そこで暮らす人たちの日常を知ることは、別の経験だ。仏教の発祥地という言葉を知っていても、それだけで目の前の人の生活や考え方が分かるわけではない。

だから、出発前の関心は大切にしながら、旅先で見たものまで、その関心に合わせてまとめすぎないようにしたい。何かを確かめるために行っても、その答え以外のものに出会えるのが旅の面白さだと思う。

これは、今から昔の出発点を振り返って思うことだ。二十歳の時点で、こう整理していたとまでは言えない。

 本や言葉から始まる旅もある

初めての一人旅で、どうしてインドだったのか。

今の僕の答えは、当時好きだった人たちを通して仏教に引かれ、その関心がインドへ向かったから、となる。

その理由だけで、その後の旅の全部が説明できるわけではない。それでも、最初の扉がどこにあったのかは覚えている。

音楽から国に興味を持つ人もいる。料理から、映画から、一冊の本から始まる人もいる。僕の場合、その最初の扉の一つが、仏教に詳しい人たちの言葉だった。

その後の瞑想の体験は、タイで先生に報告しながら過ごした七泊八日にも書いています。

インドとタイの旅、音楽、瞑想を、実際に経験したことから書いています。続きも気になったらフォローしてください。

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