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硝子の共感覚 最終話 (ガラスのシナスタジア) 九条と荒木、事件の旋律

前回


終章:紺青と真紅の軌跡(後編)


佐久間の裏ルートからの情報と、荒木の足を使った泥臭い聞き込み。

そして九条の共感覚が捉える「かすかな波形の残滓」。

苦労の末、数週間をかけて彼らが辿り着いたのは、千葉の海沿いにある、打ち捨てられたような古い診療所の跡地だった。

波の音が静かに響くその廃墟に足を踏み入れると、埃っぽい部屋の奥に、白衣を着た一人の男がパイプ椅子に座っていた。

桐谷だった。

かつて組織の歯車のひとつであると自身で名乗り、ジェミニ計画の根幹に関わっていた男。

慧があの通信塔から姿を消してから、彼は逃亡することもなく、慧が組織から消し去った資金を基に、身の回りの世話をしていたようである。

そして、まるで誰かが来るのを待っていたかのように、静かに微笑を浮かべていた。

桐谷「……来たね、九条蓮くん。それに荒木くんも」

桐谷の横には、一台の医療用ベッドが置かれていた。

そこに横たわっているのは、白いシーツを被せられた、物言わぬ小さな骸だった。

蓮「慧は……」

九条の声が震える。

桐谷「ええ。数日前に、静かに息を引き取りましたよ」

桐谷は感情の読めない声で言った。

桐谷「彼の素体は、あの日通信塔で能力を限界まで引き出した時点で、とうに寿命を迎えていたんです。それでも彼は、最後の執念で組織の中枢をハッキングし、音尾夫妻の研究データを再構築した。……医学的には、とっくに脳死していてもおかしくない状態でした。まさに、奇跡としか言いようがない」

荒木「お前は、あいつが死ぬのをただ見ていたのか!」

荒木が桐谷の胸ぐらを掴み上げる。

しかし桐谷は抵抗せず、ただ虚空を見つめていた。

桐谷「……ええ。組織がなくなった今、私は歴史の傍観者ですから。人生のすべてを懸けた『ジェミニ計画の最高傑作』が、どのようにその命を燃やし尽くすのか、最後までこの目で見届けたかった。ただ、それだけです。……これからは、組織の残した足跡と、彼の見せた奇跡を書き残し、いつか世に知らしめるのが私の最後の仕事だと思っていますよ」

狂気にも似た傍観者の笑みを浮かべる桐谷を、九条は静かに制止した。

蓮「……慧は、最後に何か言っていましたか」

桐谷は少しだけ目線を落とし、ベッドの上のシーツを見つめた。

桐谷「『我が儘を言い、勝手に去ってしまって申し訳なかった…でも、僕は満足しているんだ。』と、そして『もし、冬月さんが目覚めたら、僕のやり残したことを引き継いでほしい…』それから……お二人には『ミクさんのことを見守ってあげてほしい』と、そう言い残しました」

九条はベッドに近づき、震える手でシーツを少しだけめくった。

そこには、苦しみから解放された、まるで眠っているような慧の安らかな顔があった。

九条と同じ顔。

しかし、もう決して目を開くことのない弟の顔。

九条は慧の冷たい頬に触れ、静かに、そして長く涙を流した。


……それから数年後。


少女「九条おじさん! 荒木おじさん!」

探偵事務所のドアが勢いよく開き、制服姿の少女が飛び込んできた。

少し大人びた、しかし快活な笑顔を見せる音尾ミクだった。

荒木「おお、ミク! 学校帰りか? また背が伸びたんじゃねえか?」

荒木が新聞から顔を上げ、目尻を下げて笑う。

事件が完全に片付き、日常が戻ってから、九条たちはミクにすべてを――組織のこと、両親の研究のこと、そして慧のことを、彼女が受け入れられる範囲で時間をかけて伝えていた。

ミク「あのね、今日、学校の進路指導があったの」

ミクは九条の淹れた紅茶を受け取ると、少し誇らしげに胸を張った。

ミク「私、お父さんとお母さんみたいな科学者になる。あのね……実は昔、私宛に『両親の知人』っていう人から手紙が届いたことがあったの。『君の両親は素晴らしい人だった。君もきっと、世界を救う力を持っている』って。私、その言葉をずっと信じてるんだ」

九条と荒木は顔を見合わせた。

それが誰からの手紙だったのか、彼らには痛いほどよく分かっていた。

蓮「ああ、きっとなれるさ。ミクならね」

九条は優しく微笑み、ミクの頭を撫でた。

蓮「私たちが、全力でサポートするよ。探偵の仕事で稼いだお金は、全部ミクの学費に回すくらいの覚悟はあるからね」

荒木「おいおい九条、俺のコーヒー代とパチンコ代くらいは残しておいてくれよ!」

荒木が大げさにぼやき、事務所に明るい笑い声が響き渡る。

窓の外では、今日も横浜の街が、平和で喧騒に満ちた音を立てている。
紺青でも、真紅でもない。

それぞれの命が重なり合い、混ざり合って生まれる、美しくも騒がしい日常のシンフォニー。

九条蓮は、温かな紅茶の湯気越しに、澄み渡る青空を見上げた。

蓮(慧……聞こえるか。これが、君が守りたかった世界の音だ)

彼は小さく笑うと、デスクの上に積まれた未解決の浮気調査のファイルを開き、いつもの騒がしくも愛おしい日常へと、再び足を踏み出していった。


【硝子の共感覚(ガラスのシナスタジア)九条と荒木、事件の旋律 完】

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