
共生の黎明 #67 第16章 第10節:記録されない気持ち 連続小説
その夜、宿の一室。
小さなランプの光が、天井に揺れている。
女性職員はベッドの上に座り、端末を手にしていた。
画面には、行政報告書の下書き画面。
けれどそこに入力されることはなかった。
「この感覚を、どうやって記録すればいいの……?」
彼女は指先を宙で止めたまま、しばらく動けなかった。
あの縁側で聞いた言葉が、何度も胸の中で響いていた。
“わからないままでいい”
“制度じゃない、気持ちの流れなんだ”
確かに彼女は、この地域に何か“起きている”と感じた。
でもそれは、法制度でも、通貨の構造でもなかった。
もっと柔らかくて、もっと儚い、けれど確かに、体に触れるような“何か”だった。
彼女はそっとため息をつき、画面を閉じた。
代わりに、端末の録音機能を起動する。
言葉にできないことを、せめて音に残したくて。
「……今日、私は何も記録しません。
でも、“ありがとう”って、あんなに人を元気にする言葉だったんですね。
仕組みじゃなくて、贈り物みたいな……。
受け取ったら、自然と返したくなるもの。
そんな循環の中で、人ってあったかくなっていくんだなって……。
もし、制度にするとしたら、それは“制度っぽくない制度”でないと、壊れちゃう……。
そんな気がしています」
録音を止める。
彼女は笑った。涙がひとすじ、頬をすべった。
それは仕事としての記録じゃなかった。
ただ、自分自身への問いかけ……そして、明日へと向かう種火だった。
⬇️続き