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自由な学校で、子どもは自律できるのか?―尊重・指導・学校改革をめぐる8つの問い―

    先日、私は「教員と子どもが、共に育つ学校へ」という記事を投稿しました。

    その中で、教員が安心して「分かりません」「助けてください」と言える職員室をつくること、管理職にも異なる意見を伝えられること、失敗を個人の責任だけにせず、組織の学びへ変えていくことの大切さを書きました。

    子どもたちに、自分で考え、選び、挑戦する人になってほしい。

    そう願うなら、まず教員自身が、自分で考え、選び、挑戦できる学校でなければならない。

    教員の自律性と子どもの主体性は、切り離して考えられないのではないか。

    それが、前回の記事で私が伝えたかったことです。

    記事を書き終えたあと、私の中に、もう一つの問いが残りました。

    学校で身につけた「組織との関わり方」は、社会に出てからの働き方にも影響するのではないか。

    学校で身につけたものは、大人になったら消えるのか

    日本では、働く人のエンゲージメントの低さや、若者の早期離職が課題として語られています。

    もちろん、その背景には、賃金、労働時間、人間関係、仕事内容、将来への不安など、さまざまな要因があります。

    また、自分に合わない環境から離れることも、ときには必要な選択です。離職そのものを、すべて否定的に捉えることもできません。

    そのうえで、教育に携わってきた者として、考えてみたいことがあります。

    私たちは、組織の中で自分の意見を伝え、異なる考えを持つ人と話し合い、よりよい環境を共につくっていく力を、どこで身につけてきたのでしょうか。

    子どもたちは、学校で教科の知識だけを学んでいるわけではありません。

    決められたルールに、どう向き合うのか。

    納得できないことがあったとき、どう行動するのか。

    困ったときに、助けを求めてもよいのか。

    自分の意見を伝えてもよいのか。

    組織の決定に、自分も関わることができるのか。

    学校生活を通して、子どもたちは「組織や社会との関わり方」も学んでいます。

    もし学校で、

    「意見を言っても何も変わらない」

    「決めるのは、いつも上にいる人」

    「余計なことを言わず、指示されたことをこなす方が安全だ」

    と感じる経験を重ねたとしたら、その感覚は、社会に出た瞬間に消えるのでしょうか。

    反対に、自分の声を聴いてもらい、仲間と意見を交わし、自分たちの手で環境を少しでもよくした経験を持つ人は、職場や地域でも、組織に主体的に関わろうとするのではないでしょうか。

    自分の考えを伝える。

    分からないときには、助けを求める。

    異なる意見を持つ人と対話する。

    失敗しても、そこから学び直す。

    問題を誰かの責任だけにせず、周囲と共に環境をよりよくする。

    こうした経験を学校で積み重ねることは、子どもたちが大人になったとき、職場や地域社会に主体的に関わるための土台になるはずです。

    働く人のエンゲージメントの低さや、職場に違和感を抱えたときに「黙って耐えるか、辞めるか」という二択に陥りやすい状況を乗り越える力にもつながるのではないか。

    そんなことを考えていたとき、一本の記事に出会いました。

    東洋経済オンラインの記事を読んで

    2026年9月6日、東洋経済オンラインに、ある公立中学校の教員への取材記事が掲載されました。

    ▶︎ 暴言や暴力は日常…「言っても聞かない」生徒への指導で苦悩する教員、校長の「理想の学校づくり」への不信感

    記事では、生徒一人ひとりのありのままを大切にしようとする校長の方針と、暴言や暴力、喫煙、器物破損などの問題行動への対応に苦しむ現場教員の姿が描かれていました。

    不登校や学校になじめない生徒に、柔軟に対応しようとする学校。

    校則や定期テストなど、これまで当たり前とされてきた仕組みを見直そうとする校長。

    その理念には、子どもの多様性や自律を尊重しようとする意図があるのだと思います。

    一方で、実際に生徒と向き合う教員からは、必要な指導までできなくなっているのではないか、現場の声を十分に聴かないまま校長の理想が進められているのではないか、という不信感が語られていました。

    さらに記事では、職員会議が教員同士で意見を交わす場ではなく、校長の方針を受け取るだけの場になりつつあることへの懸念も示されていました。

    この記事を読んで、私は前回の記事で考えたことを、さらに問い直す必要があると感じました。

    子どもや教員が、自分で考え、選び、挑戦できる学校をつくる。

    その方向には、今も変わらず賛成です。

    しかし、「自由」「尊重」「自律」という言葉を掲げるだけで、そのような学校が実現するわけではありません。

    子どもを尊重することと、問題行動を容認することは同じなのか。

    自由とは、ルールをなくすことなのか。

    子どもの自律を目指す学校改革を、教員の声を聴かないトップダウンで進めてよいのか。

    私は、その学校の内情を知っているわけではありません。

    一つの取材記事だけで、校長と教員のどちらが正しいかを判断することもできません。

    そもそも、これは「子どもの自由を尊重するべきか」「もっと厳しく指導するべきか」という二択で答えられる問題ではないと思います。

    この記事を読みながら私の中に浮かんだのは、誰かへの評価ではなく、学校教育のあり方をめぐる、いくつもの問いでした。

    今回は、この記事を読んで頭に浮かんだ8つの問いを整理していきます。

    1.子どもを尊重することと、何をしても許すことは同じなのか

    子どものありのままを受け入れることは、大切です。

    できないことや苦手なことがあっても、その子の存在価値は変わりません。大人が期待する型に、無理に当てはめる必要もありません。

    しかし、その子の人格を尊重することと、すべての行動を容認することは別です。

    暴言や暴力によって誰かが傷つく。

    物を壊すことで、他者の安心や学ぶ権利が損なわれる。

    そのような行動に対して、大人が境界を示すことまで「子どもの否定」になるのでしょうか。

    私は、こう考えています。

    人格は否定しない。
    しかし、行動には向き合う。

    「あなたは大切な存在である」ということと、「その行動によって誰かが傷ついている」ということは、同時に伝えられるはずです。

    一人の人間として尊重するからこそ、自分の行動と向き合い、選び直す機会を返す必要があるのではないでしょうか。

    2.自由とは、ルールをなくすことなのか

    校則を減らす。

    宿題をなくす。

    定期テストを見直す。

    これまでの学校の「当たり前」を問い直すことには、大きな意味があります。

    私自身も教師時代、宿題を一律に与えるのではなく、子どもが自分で選択できる仕組みを取り入れてきました。

    ただし、選択肢を与えさえすれば、子どもが自律するわけではありません。

    なぜ、それを選ぶのか。

    選んだ結果、何が起きたのか。

    自分の選択が、周囲にどのような影響を与えたのか。

    次は、どうしたいのか。

    自由を自律へつなげるには、考え、選び、行動し、振り返り、必要なら選び直す経験が必要です。

    ルールをなくすこと自体が、改革なのではありません。

    ルールをなくしたあとに、子どもが自分で考えられる環境をどうつくるのか。

    そこまで設計されて初めて、自由は教育的な意味を持つのだと思います。

    3.「ダメなことはダメ」と伝えることは、管理なのか

    以前よりも、教員が子どもへ強く指導しにくくなったという声があります。

    だからといって、昔のように大人の権威や恐怖で従わせればよいとは思いません。

    強い言葉で抑えつけることと、必要なことを明確に伝えることは違います。

    対話を大切にすることと、伝えるべきことを曖昧にすることも違います。

    他者の命や安全、尊厳を傷つける行動に対しては、大人が責任を持って境界を示す必要があります。

    ただし、その目的は、子どもを服従させることではありません。

    何が起きたのか。

    誰に、どのような影響があったのか。

    どうすれば、関係を修復できるのか。

    次は、どのような行動を選べるのか。

    それらを、子どもと一緒に考えることです。

    必要なのは、怖い指導ではなく、ぶれない指導なのではないでしょうか。

    4.校長のリーダーシップと、トップダウンは何が違うのか

    学校改革には、方向を示すリーダーが必要です。

    前例を変えるときには、批判を引き受けて一歩を踏み出す覚悟も求められます。

    その意味で、校長が理念を持つことは重要です。

    しかし、リーダーが理念を掲げることと、その考えに全員を従わせることは同じではありません。

    どれほど魅力的な理念でも、実際に子どもと向き合う教員の声が置き去りになれば、現場との間にひずみが生まれます。

    リーダーシップとは、自分の正解に人を従わせることではなく、目指す目的を共有し、異なる意見が交わされる対話を生み出すことではないでしょうか。

    理想を語る力と同じくらい、現場の現実を聴く力が必要なのだと思います。

    5.職員会議は、決定機関でなければ話し合わなくてよいのか

    学校における最終的な意思決定の責任は、校長にあります。

    だからといって、教員が学校運営について考えたり、意見を述べたりする必要がないわけではありません。

    最終的な決定権を持つことと、意思決定の過程に参加することは別です。

    「意見を言っても聞いてもらえない」

    「どうせ、もう決まっている」

    そうした経験が繰り返されると、人は少しずつ発言しなくなります。

    そして、発言しなくなるだけでなく、やがて考えること自体をやめてしまいます。

    会議は早く終わるようになるかもしれません。

    反対意見も出なくなるでしょう。

    けれど、それを「組織がまとまった」と呼んでよいのでしょうか。

    静かな職員会議が、必ずしも健全な職員室を意味するとは限りません。

    6.子どもの自律を、教員の自律を奪う方法で育てられるのか

    東洋経済の記事を読んで、私が最も強く引っかかったのは、ここでした。

    子どもの自律や多様性を尊重する学校を目指しながら、その改革を校長の考えだけで進め、教員は決められた方針に従う。

    そこには、理念と方法の矛盾があります。

    子どもには、

    「自分で考えよう」

    「自分の意見を伝えよう」

    「仲間と話し合おう」

    と求める。

    一方で、教員には、自分で考え、意見を述べ、学校づくりに参加する機会が十分に保障されていない。

    それで、本当に子どもの主体性を育てられるのでしょうか。

    教員に許されていない自由を、子どもに与えることは難しい。

    教員自身が尊重され、自分の意見を聴いてもらい、周囲と共に学校をつくる経験を持つからこそ、同じ環境を子どもにも返していけるのではないかと思います。

    7.学校改革は、誰か一人の理念に依存してよいのか

    優れた実践として注目された学校でも、校長が替わると方針が大きく変わることがあります。

    もちろん、前任者の取り組みをそのまま残すことが、常に正しいわけではありません。

    変える必要があるものは、変えなければなりません。

    ただ、改革の目的や価値が組織全体で共有されず、特定の校長の信念や力量だけに支えられているなら、その改革は長く続かないでしょう。

    なぜ、この取り組みを行うのか。

    子どもに、どのような力を育てたいのか。

    何を守り、何を変えるのか。

    成果や課題を、どのように振り返るのか。

    こうした問いを教職員が共有し、実践を検証しながら更新していく。

    学校改革に必要なのは、「改革を実行する強い校長」だけではなく、学校全体が学び続けられる仕組みなのではないでしょうか。

    8.学校で育てる「社会性」とは何か

    「学校は、社会性を身につける場所だ」

    そう考える大人は、少なくないと思います。

    では、その社会性とは、どのような力なのでしょうか。

    周囲に合わせる。

    決められたルールを守る。

    我慢する。

    人に迷惑をかけない。

    指示された役割を果たす。

    これらも、集団で生活するために必要な力です。

    しかし、それだけなら、「社会性」というより、既にある社会への適応力に近いのではないでしょうか。

    異なる意見を持つ人の話を聴く。

    自分の考えを言葉にする。

    分からないときに助けを求める。

    納得できないことについて対話する。

    互いに折り合える場所を探す。

    仲間と共に、環境や仕組みをよりよくする。

    こうした力も、社会を生きるために必要です。

    社会性とは、社会にうまく収まる力だけではない。

    他者と関わりながら、自分たちの社会を共につくっていく力でもあるのではないでしょうか。

    学校が「小さな社会」であるなら、子どもがそこで学ぶべきなのは、決められた社会に従うことだけではないはずです。

    この「社会性とは何か」という問いについても、改めて別の記事で詳しく考えてみたいと思います。

    管理か、放任か。その二択を超えて

    東洋経済の記事に描かれていた学校の状況について、外部にいる私が簡単に答えを出すことはできません。

    暴言や暴力に向き合う教員の苦悩は、きれいな理念だけでは解決できないでしょう。

    同時に、問題行動があるからといって、子どもを厳しいルールで一律に管理すれば解決するとも思いません。

    必要なのは、管理か放任かという二択ではありません。

    一人ひとりの人格を尊重しながら、他者の安全や権利を守る境界を共有する。

    立場の違う人が意見を出し、目的に立ち返って話し合う。

    決めたことを実践し、うまくいかなければ振り返り、また選び直す。

    これは、子どもだけに求められる学びではありません。

    教員にも、管理職にも、保護者にも必要な学びです。

    学校は、子どもだけが育つ場所ではない。

    そこに関わる大人も、自分の考えを問い直し、互いの違いから学び、共に育っていく場所であってほしい。

    誰か一人の「理想の学校」をつくるのではなく、そこにいる人たちが対話しながら、共につくる学校へ。

    子どもが主体的に社会へ関わる力を育てたいのなら、まず学校そのものが、そこにいる人たちの声によって学び、変わっていく組織でなければならないのではないでしょうか。

    今回挙げた8つの問いについては、これから一つずつ、私自身の教育実践も振り返りながら掘り下げていきたいと思います。

    まず考えたいのは、

    「子どもを尊重することと、何をしても許すことは同じなのか」

    という問いです。

    子どもの人格を尊重しながら、他者の安全や権利を守るための境界をどう示すのか。

    尊重と指導を両立させる関わりについて、次の記事で考えていきます。

    皆さんは、東洋経済の記事から、どのようなことを感じたでしょうか。

    そして学校は、子どもたちに、どのような社会との関わり方を手渡す場所であってほしいと思いますか。

    参考記事

    東洋経済オンライン
    「暴言や暴力は日常…『言っても聞かない』生徒への指導で苦悩する教員、校長の『理想の学校づくり』への不信感」

    https://toyokeizai.net/articles/-/954651


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    言っても動かない やる気が続かない ——それは関わり方と環境の問題。 教職25年・1300人の実践から自ら学び出す仕組みを体系化。 自分で考え選び行動する力を育てる関わり方と環境づくりを発信。 「やらされる」から「自分で選ぶ」へ。

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