
人生どん底の僕を救ったのは自分を褒めることだった①
あの夜、僕は本気で人生を終わらせようとしていた
手すりを握った指は、もう何も感じなかった。
12月の、凍えるような夜。23時。僕はマンションのベランダに立って、ただ下を見下ろしていた。
街灯がオレンジ色ににじみ、車のテールランプが遠ざかっていく。背中越しの部屋は、しんと静まりかえっていた。あの頃の僕には、この苦しみを打ち明けられる相手が、この世にただの一人もいなかった。
その夜、特別な何かがあったわけじゃない。決定的な事件も、誰かのひどい一言もなかった。ただ突然、心の底から込み上げてきたんだ。もう全部、投げ出してしまいたい、と。
頭の中をぐるぐる回っていたのは、数字だった。
借金。
結婚資金として、何年もかけてコツコツ貯めた800万円。それを溶かし、借りた金まで失って、手元に残ったのは返済予定表だけ。その数字を思い出すたびに、胃の奥がきゅっと縮んだ。
「もう、終わりにしたい」
本気だった。比喩じゃない。返しても返しても終わらない借金。失った恋人。追い抜いていく同期。少しずつ壊れていく体。出口の見えない孤独。そのいっさいの重みが、いっぺんに僕の肩にのしかかっていた。
なぜ、僕はそこまで追い詰められたのか。
4年半付き合った彼女に、婚約を破棄された。その彼女を見返したくて、結婚資金を全部、信用取引という名の博打に突っ込んだ。株は大暴落した。職場では上司のパワハラが続き、眠れなくなり、心はゆっくり壊れていった。同期はどんどん昇格していくのに、僕は平社員のまま。誰とも比べられたくないのに、毎朝、否応なく比べられた。
転落には、ちゃんと順番があった。一段ずつ、自分の足で踏み外していった。
でも。
今、これを書いている僕は、生きている。
あの夜のベランダから、僕は部屋に戻った。それから数年が経った今も、僕は平社員のままだ。出世競争には負けた。借金が一瞬で消える魔法も起きなかった。状況の多くは、あのときと何も変わっていない。
なのに、僕は幸せだ。
夜泣きする娘を、腕の中であやす。寝不足の朝、妻とくたびれた顔で笑い合う。夜、布団に入って「今日もよくやったな」と自分に声をかけてから、眠る。
何が変わったのか。
年収じゃない。役職でもない。誰かを見返したわけでもない。
変わったのは、僕が僕を褒めるようになったこと。たった、それだけだ。
不思議だろう? 僕も最初は信じられなかった。「自分を褒める」なんて、自己啓発本の薄っぺらい言葉だと思っていた。そんなもので人生が変わるなら苦労しない、と。
でも、変わったんだ。
僕はもともと、人を褒めるのが得意だった。部下の小さな成長に気づいて声をかける。友人の長所をすぐ見つける。数少ない、僕の特技だった。なのに、その力を、自分にだけは一度も使ってこなかった。他人にはいくらでも優しくできるのに、自分のことは、世界で一番厳しく裁いていた。
その矛盾に気づいた日から、僕の人生は、ゆっくりと、でも確実に変わりはじめた。
これから僕は、あの転落のすべてを書く。
格好悪いところも、目を背けたくなる愚かさも、全部だ。婚約破棄の夜のことも。結婚資金の800万円を用意してパソコンの前に座ったときの、あの高揚も。暴落の画面を見つめて固まった瞬間も。上司の声を思い出して指が震えた朝も。ベランダに立った、あの夜のことも。隠さず書く。
なぜ、そこまでするのか。
もし今これを読んでいるあなたが、かつての僕と同じ夜にいるなら。眠れなくて、誰にも言えない数字や秘密を抱えていて、「自分なんて」と思っているなら。
大丈夫だ、と伝えたいからだ。
生き急がなくていい。誰かを見返さなくていい。身の丈に合った歩幅で、ちゃんと幸せになれる。その入り口が、「自分を褒める」というたった一つの習慣の中にある。
これは、出世競争に負けたアラフォーが、負けたままで幸せになった話だ。
どうか、最後まで読んでほしい。
そして読み終えたとき、あなたが今夜、布団の中で自分に一言、「今日もよくやった」と言えますように。
そこから、全部が始まるから。
僕が「僕」になった場所
人を褒めるのは得意なのに、自分のことだけは世界で一番ひどく扱ってしまう。
僕の人生をねじ曲げた、この厄介な「癖」は、いったいどこで身についたんだろう。
転落のすべてを書く前に、少しだけ、僕が「僕」になった場所の話をさせてほしい。退屈かもしれない。でも、この原点を知ってもらえたら、この先、僕がどれだけ愚かな選択を重ねても、「あぁ、だからこの人はこうなったのか」と、少しはわかってもらえる気がするから。
僕の「他人ばかり優先して、自分を後回しにする生き方」。「ここぞという場面で、派手な一発に賭けてしまう癖」。その種はどちらも、子供の頃にまかれていた。
母は、いつも誰かを立てていた
僕は、一人っ子として生まれた。
母は専業主婦だった。けれど、僕の記憶の中の母は、その言葉から思い浮かぶのんびりした姿とはまるで違う。
母は、いつも何かと戦っていた。
一つは、嫁姑の問題だ。我が家には祖父母が同居していて、母は嫁という立場で、家の中でずっと気を張っていた。子供の僕にも、その空気は伝わってきた。言いたいことを飲み込み、目上の人を立てる。その姿を、僕は毎日のように見ていた。
もう一つは、介護だった。
同居していた祖父が、脳梗塞で倒れた。半身が不随になった。その日から、母の生活は祖父の介護を中心に回るようになった。来る日も来る日も。文句ひとつ、表立っては言わずに。
だから我が家は、他の家族みたいに気軽に出かけることができなかった。
友達が「この前、家族でディズニーランドに行った」と楽しそうに話す。僕には、そういう思い出がなかった。輪の中で話を合わせられず、「いいなあ」とあいまいに笑いながら、少しだけ疎外感を味わっていた。祖父を置いて、家族みんなで遠くへ出かける。そんな当たり前のことが、うちには難しかった。母はいつも家にいた。誰かのために。
今になって思う。あの子供の頃のささやかな寂しさは、僕の中に「人並みの、あたたかい家庭への憧れ」を育てていた。だからこそ僕は、のちに、自分の家庭を持つことに、あれほど必死になったのだ。
でも、それ以上に、今の僕の胸に残っているのは、母への深い尊敬だ。
自分の楽しみより、自分の都合より、いつも目の前の誰かを優先する。あの背中を、僕はずっと見て育った。
「他人のいいところを見つける」目は、母ゆずりだった
母には、はっきりとした特徴があった。
いつも、自分より相手を立てる人だったのだ。
自分の意見を押し通すより、相手の顔を立てる。自分が得をするより、相手に花を持たせる。嫁姑の中で、介護の中で、母はそうやって波風を立てず、家族を回していた。
そして母は、人の「いいところ」を見つけるのが、本当に上手だった。
誰かの話をするとき、母はその人の悪口をほとんど言わなかった。少し困った相手のことでも、「でも、あの人はああいう優しいところがあるからね」と、必ずいい面を見つけ出した。
悪いところすら、母はひっくり返した。「頑固な人」は「芯のある人」。「おせっかいな人」は「面倒見のいい人」。物事のネガティブな面の裏側にあるものを、いつもすくい上げて口にする人だった。
その母を見て、僕は育った。
だから僕も、自然とそうなった。自分より相手を優先し、相手のいいところを見つける。短所でさえ、その裏にあるいい面を見つけて、本人に伝えてしまう。
このあと書く、僕の「人を褒める力」。新規事業の事務局で、参加者一人ひとりのいいところを見つけ、疲れきった場の熱量を押し上げた、あの力。それは、母から受け継いだものだった。
僕のいちばんの長所は、まぎれもなく、あの母の背中からもらったものだ。
でも、母は自分を褒めていただろうか
ここで、一つ大事なことに気づく。
母はいつも、誰かを立て、誰かのいいところを見つけていた。でも、母自身はどうだったろう。
自分で自分を「よくやってるね」とねぎらう姿を。「私は十分、頑張っている」と認める姿を。
僕は、見た記憶がない。
人にはあれだけ優しいのに、自分のことだけは、いつも後回し。自分を労わることを、自分に許していないように見えた。
そして僕は、その生き方ごと受け継いだ。
他人を優先し、他人を褒める「いい部分」だけじゃない。自分を後回しにし、自分だけは決して褒めない「危うい部分」まで、まるごと。
他人は褒められるのに、自分は褒められない。
僕をどん底まで突き落とすことになる、この決定的な「ねじれ」。その出発点は、僕がいちばん愛し、いちばん尊敬していた人の、あの背中の中にあった。
母を責めているんじゃない。あの過酷な状況で、母は精一杯、僕を育ててくれた。ただ「自分を大切にする」ことだけは、母も知らなかった。だから、僕にも教えようがなかった。それだけのことだ。
一人っ子の僕は、欲しいものを必ず手に入れた
母のことから、少し離れる。
きょうだいで何かを取り合うこともなく、僕は両親の愛情を独り占めして育った。そして、欲しいものは、たいてい手に入った。
お金に困った記憶が、ない。
裕福な家ではなかったと思う。でも、僕が「これが欲しい」と言えば、その願いはわりと叶えられた。我慢を強いられた記憶が、あまりないのだ。
だからといって、浪費家だったわけじゃない。むしろ逆だった。
もらったお年玉は、ほとんど使わず、封筒に貯めていた。コツコツ貯めるのが、嫌いじゃなかった。のちに結婚資金の800万円を地道に積み上げた僕は、たぶんここにいる。
そして、その貯めたお金を、僕は大学生のとき、一度に使った。
海外留学だ。
1ヶ月の留学。決して安くないまとまった金を、僕は自分のために使った。「これは、自分を成長させるための投資だ」と。
正直、勇気がいった。コツコツ貯めた金を、一度にドンと使うのだ。財布を開く手が、少し震えた。
でも、一度やってみて、僕はある感覚を覚えてしまった。
自分の未来のためなら、大きな金を一気に投じてもいい。そういう感覚だ。
以来、自己投資には惜しまなくなった。「自分のためになる」と思えば、数十万を、ためらいなく払えた。
それは、うまく使えば立派な自己成長への投資だ。でも、心が「見返したい」の一心で焼けているとき、同じ感覚を発動させたら、どうなるか。
結婚資金800万円を、信用取引に一気に突っ込む。あの選択まで、あと一歩だった。
ここぞというときに、派手な一発に賭ける。その癖の根っこも、何不自由なく、自分に大きく投資して育った、あの子供時代にあったのだ。
漫画家に、なりたかった
もう一つ、書いておきたい。
子供の頃の僕には、夢があった。
漫画家だ。
真っ白なノートに、頭の中の物語を、自分の手で形にしていく。登場人物を生み出し、笑わせ、泣かせ、悩ませる。何もないところから、一つの世界をつくり出す。それがたまらなく楽しくて、小学生の頃は毎日のように漫画を描いていた。
忘れられない思い出がある。
小学校の秋祭り。文化祭のような行事で、僕は自分の描いた漫画を、1冊50円で売ってみた。
売れるとは思っていなかった。ただ、自分の描いたものを、誰かに読んでほしかった。
そうしたら。
完売した。
クラスメイトや、名前も知らない子たちが、50円を握りしめて、僕の物語を買ってくれた。「おもしろかったよ」と言ってくれた子もいた。
あのときの胸の高鳴りを、僕は今でも覚えている。何もないところから生み出した物語で、誰かの心を動かせた。生まれて初めての、その実感。
大きくなったら漫画家になって、たくさんの人を感動させるんだ。なんの根拠もなく、そう本気で信じていた。あの頃の僕は、自分の未来がどこまでも輝いていると、疑いもしなかった。
そのまっすぐな目をした少年を、僕は、大人になる過程で、どこかに置いてきた。現実的な進路を選び、大企業に就職し、サラリーマンになった。漫画のことなど、思い出しもしなくなった。
でも、今、こうして僕は文章を書いている。
漫画じゃない。絵も描いていない。それでも、自分の人生という物語を言葉にして、誰かの心に届けようとしている。ほかでもない、あなたに読んでもらっている。
あんなにボロボロになって、すべてを失って、それでも最後にたどり着いた場所は、子供の頃に夢見た「物語で、誰かの心を動かす」という、あの場所のすぐそばだった。
あのまっすぐな目をした少年は、まだ、僕の中で生きていたらしい。
こうして、「僕」ができあがった
人のいいところを見つけ、人を立て、人を優先する、母ゆずりの優しさ。その裏返しで、自分だけは決して褒めず、後回しにしてしまう危うさ。欲しい未来のためなら、大きな一発にためらいなく賭ける性分。そして、物語で誰かの心を動かしたいという、漫画家の夢。
この四つを抱えた子供が、大人になった。それが、僕だ。
どれも、それ自体は悪いものじゃない。むしろ、僕という人間のいいところでもある。
でも、人生の歯車が狂いはじめたとき。優しさは自分を縛る鎖になり、一発に賭ける性分はすべてを失う博打になり、置き去りにした夢は、ずっと心の奥でうずき続けることになる。
何不自由なく、優しさと夢を抱えて育った一人っ子が、どうやって人生のどん底まで転がり落ちていくのか。
まずは、僕がいちばん幸せだった頃の話から始めよう。
(②へつづく)
※全話は連載マガジンにまとめています。