
【小説・ヴィーナス症候群】[295]原稿用紙二枚分の依頼
「八〇〇字でお願いします」
電話の向こうで、社会福祉法人の広報担当が言った。秋号の特集は障害者雇用。現場の声を紹介する企画の一環として、葵に依頼が来たのだった。
神俣葵、三十代。生まれつき両腕のない「ヴィーナス児」である。二十代の頃はアパレルブランドで着用モデルを務めていた。いわゆる「トルソーさん」。ドレスの形を乱さず展示するために選ばれた身体。だが、鏡に映る肌にわずかな衰えを見た瞬間、彼女は思った。——自分には、言葉で立つ道があるのではないか。(第69話)
フリーライターとなった葵は、こうした依頼を主な糧にしている。企業や自治体、当事者団体の会報。華やかさはないが、確かに人に届く仕事だった。
「トルソーをやめた理由、正直に書いていいですか?」
葵が尋ねると、担当者は笑った。「ぜひ。生の声の方が読者に伝わりますから」
スマホを切り、葵はノートパソコンを開いた。八〇〇字。見開き片面に収まる分量だ。
彼女は下書きに、かつての仕事のことを書き始める。布に針を打たれる音、撮影スタジオの白い照明。お肌の曲がり角を感じて方向転換したこと。書くことで一本立ちした手応え。
「与えられた仕事をこなすだけじゃなく、自分で選び続けることが大事なんです」
声に出して読み上げ、文字数を確認する。七九八字。ぴたりと収まった。
カーソルを保存のマークに合わせる。送信先は広報担当のメールアドレス。
——八〇〇字の原稿が、またひとつ彼女の糧になった。

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