
紡がれる、音③――和音が重なる場所へ/刑事ドラマ・エンタメ原作部門
第三話:相棒
年が明けた。あっという間に正月気分は過ぎ去り、
咲き始めた梅の花が、風景に色を添える。
その夜もサカイと機捜車に乗り、重点密行に出た。
俺はハンドルを握りながら、雑踏に視線を飛ばす。
サカイが何気なく話し始めた。
「カワハラ、起訴されたのか」
「ああ……六か月だ」
「そうか……猶予は付かなかったんだな」
「前がある」
突然、無線から割れた声が響いた。
『警視庁から各局、麻布署管内、女性からの通報、交際相手が暴れている模様。現場は港区西麻布二丁目、近くの局は至急向かわれたい』
「近いな」
「機捜イチマルヨン、赤坂一丁目交差点から向かいます」
『警視庁了解』
思わず呟く。サカイは無線に応えると、赤色灯を出した。
閑静な高級住宅地。レトロな外観の中層マンション。
五階の端の部屋のドアの両側に、向かい合って立つ。
拳銃のホルダーボタンを外し、ドアに耳を寄せた。微かに声が聞こえる。
俺達は顔を見合わせ、小さく頷きノブに手をかける。鍵は掛かっていない。ドアを少し開け、そーっと中を覗き込んだ直後、女性の悲鳴が響いた。
俺はサカイの制止を押しのけ、大きくドアを開けて飛び込む。
後ろで、舌打ちが聞こえた。
「動くな!警察だ!」
リビングのソファーの影に、女性が倒れている。
傍らには若い男が立っていた。ハアハアと肩で息をしている。
男を制止し、ホルダーに手をかけ、ゆっくりと近付く。
サカイが、反対側から倒れている女性にそっと近づく。
男は、そのまま膝をついた。
無線で状況を報告し、応援と救急車を呼ぶ。
サカイが女性の体を支え、キッチンへ連れ出した。
男は茫然と自分の両手を見つめている。
俺は振り返り、女性を見た。
ガタガタと震え、焦点を結んでいない目から涙が静かに流れている。
俺は息をつくと男に向き直り、ポケットからメモを取り出した。
数分後、救急車のサイレンが聞こえてきた。
しばらくして玄関のドアが開き、救急隊が入ってきた。
女性を担架に乗せ、部屋を出て行く。
男も応援の刑事に連れられ、玄関を出て行った。
所轄に後を引き継ぎ、機捜車に戻る。歯車は、止まらない。
密行、通報、出動、臨場、初動、引き継ぎ、報告。
ベルトコンベアーに乗せられたみたいに、夜は過ぎていく。
さっきの女性の顔が浮かぶ。何も映さない、怯えた目。
震えている細い肩。心に、小さな棘が刺さる。
『警視庁から機捜イチマルヨン、現場は赤坂署管内、北青山一丁目交差点。ドライバー同士の喧嘩口論入電、至急向かわれたい』
また、無線から割れた声が響き、俺は無線のマイクを手に取った。
サカイが、助手席で大きく息をつく。
「機捜イチマルヨン了解。西麻布二丁目より向かいます」
『警視庁了解』
「……今日は、忙しそうだな」
「ああ」
エンジンをかけ、ふうっと息をついた。
赤色灯が、静かな夜の空気をかき混ぜる。
朝、当番勤務を終え、分駐所に戻った。書類を整え、家路につく。
途中、いこいの前で立ち止まり、シャッターを見つめる。
休業を告げる張り紙が剝がれかけていた。
[店主急病のため、しばらくお休みします]
……何だか、言い得て妙だな。
俺は思わず、鼻で笑った。
タバコを取り出し、火を点ける。指先を見つめ、煙を吐き出した。
あの夜の、サユリの涙が胸を掠める。
ポツリ、と、誰に言うでもなく、呟いた。
「止める、だけじゃ足りないのかもな……」
「また、ここにいるのか」
後ろから声が聞こえて振り向くと、サカイが軽く手を上げていた。
俺は自分の靴先に視線を落とす。
「……悪いか」
「いや、ただ……少し目立つな」
「……ああ」
分駐所で噂が流れているのは知っていた。
深入りした機捜のエース。友達を、追い込んだ刑事。
「……気にしてんだろ?」
「してねえよ」
「はは、お前は噓をつく時、ムキになるな」
「うるせえ……放っとけ」
俺はタバコを携帯灰皿に放り込み、顔を上げた。
「……なあ、俺たち、守ってんのか?」
「何を」
「誰かを」
「止めてんじゃねえか」
「止めるだけだ……それは、守ってんのか?」
「……それは」
遠くの方で、微かにサイレンが響いた。
二日後の朝、分駐所のロッカーで、背中越しに声が聞こえる。
ヒソヒソと耳障りな響き。軽い笑いと、背中にチラチラと感じる視線。
息をつき小さく首を振る。サカイが後ろから俺の肩を叩いた。
「おはよう」
「ああ、おはよう」
「何だ、直接聞けばいいのにな……ここは給湯室か」
サカイは俺の顔をチラッと見て、鼻で笑った。
後ろで、足音が遠ざかっていく。
俺はサカイの肩を叩き、ニヤッと笑った。
その日の昼休み、隊長室に呼ばれた。ノックをして中に入る。
立派な机の前で、隊長が顔を上げた。
「コンドウ……噂、聞いてるか」
「はい、何となくは」
「まあ、何でもないとは思うが、疑われるような行動は慎めよ」
「……はい」
「変なところで、躓くな」
「承知しました」
失礼します、と言い残し、隊長室を出る。
俺は大きく息をついて、階段を駆け下りた。
退勤時間、ロッカーから荷物を取り出していると、
サカイがとなりで上着を羽織りながら言った。
「今日、一杯行くか」
「ああ……久し振りだな」
きっと、噂を気にしているんだろう。
コイツのこういう所が、俺は結構気に入っていた。
分駐所を出て、賑やかなチェーン店に入る。
いつもはうるさく思える歓声が、今日は何故か心地よく聞こえた。
少し奥のカウンターに並び、グラスを合わせる。
「……気にすんなよ」
「ああ、さっき隊長に呼ばれた」
「何て」
「疑われるようなことは、慎めってさ」
「そうか」
「……顔に出てるか」
「出てる」
ふっ、と鼻で笑うと、灰皿を引き寄せ、火を点けた。
「……最近、思うんだ」
「何を?」
「俺たち、いつも途中までだなって」
「機捜だからな」
「守るって……何だ」
サカイはしばらく何も言わなかった。
やがてグラスを置くと、俺の顔を見る。
「お前は、守ってると思ってないのか」
「止めるだけだ」
「止めなきゃ始まらねえ」
「始めても、途中で終わる」
「……ああ」
「それに」
俺は灰皿に目を落とし、タバコを押し付けた。
「どうせ止めんなら、事件が起きる前だろ」
しばらくして、感心したような声がとなりで聞こえた。
「……お前、変わったな」
「そうか?」
「少し前まで、ザ・機捜、だったのに」
「……何だ、それ」
「鼻が利いて、引きずらねえ」
「悪口か」
「褒めてんだよ」
「そうなのか?」
「お前……今の方がいい顔してるよ」
俺たちは顔を見合わせ、笑った。
「お待たせしましたー……あ!」
焼き鳥の乗った皿を持ってきた従業員が、
驚いたような声を上げて、立ち止まった。
顔を上げると、店のTシャツを着たミチコだった。
「あれ、コンドウさん、お久し振り」
「あ、ミッちゃんか、驚いた」
「サカイさんも、お久し振りです」
「ああ、ここで働いてんのか」
「うん、パートしてるの」
俺はミチコに向き直ると、言葉を重ねた。
「元気か?」
「ええ、お陰様で。サユリも元気にしてるわよ」
「良かった。気になってたんだ」
「あの子、最近まで引き籠ってたんだけど、
今は学校行き始めたの。バイトも、決まったって」
「そうか」
「お父さんから手紙もらってね」
「そうか……カワハラから、手紙を」
「そう。謝罪と……自分はもう前を向いてるから心配するなって」
黙ってグラスを傾けていたサカイが、顔を上げた。
「そうか……良かったな、コンドウ」
「ああ」
「……それとね」
ミチコは言葉を切ると、ニッコリ笑って続けた。
「コンドウさんにも、感謝してるって」
「……え?」
「ありがとね」
「仕事をしただけだ。そんな大したことしてない」
「ううん」
ミチコは小さく首を振り、言葉を重ねる。
「ちゃんと向き合ってくれて、ありがとう」
思わず息を呑んだ。
「自分を傷つけても寄り添うって、凄いことよ」
「……え」
「良かったな」
カチン、という音に振り返ると、
黙り込んだ俺のグラスに、笑顔でサカイがグラスを合わせていた。
翌日、機捜車の助手席でボーッと、流れる街並みを眺める。
無線から絶えず割れた声が小さく流れる車内で、
いろんな想いが、胸を掠めた。
「……なあ」
「ん?」
「俺……機捜、離れるかもしれない」
サカイは特に驚かなかった。
「そうか」
「俺……機捜、嫌いじゃないんだ」
「ああ、知ってる」
「でも、途中で離れるのは……もう嫌だ」
「え?」
「起きる前に止めて、守りたいんだ」
「……お前が決めることだろ」
「相棒……辞めていいか」
「……ああ、相棒」
サカイはチラッと俺の顔を見ると、首を少し振った。
「……お前は、そっちの方が向いてるよ」
当番明けの朝、いこいのシャッターの前に立って、空を見上げる。
手のひらを見つめ、ぎゅっと握った。
静かに息をつく。
「……よし」
二日後の夕方、俺は隊長室のドアをノックした。
「入れ」
「失礼します」
一礼すると、机の上に封筒を置いた。
〈異動願〉
隊長は眉をひそめ、立ち上がる。
「……どうした。急に」
「起きる前に止めて、最後まで見届けたいんです」
「本気か」
「はい」
「もしかして……あの件か」
「はい」
隊長は、じっと俺を見つめて、深く息をついた。
「……機捜にとっては、かなり痛手だな」
「申し訳ありません」
「……そうか」
「お願いします」
深く頭を下げた。
しばらくして、隊長の手が封筒を取り上げた。
俺は顔を上げ、隊長の顔を真っ直ぐ見つめる。
「……後悔しないな、コンドウ」
「はい」
「了解した……預かる」
「ありがとうございます」
一礼すると、隊長室から出る。自分でも驚くほど、未練はなかった。
深呼吸すると、小さく頷き、階段を駆け下りた。
機捜車のハンドルを握りながら、チラッとサカイの顔を見る。
「なあ」
「ん?」
「異動願、出した」
「……本当に、出したのか」
「ああ」
「そうか……」
少しの沈黙。
「ありがとな」
俺はそう言うと、前を見たまま、笑った。
サカイは小さく咳払いすると、微笑む。
「機捜、最後までちゃんとやれよ」
「え?」
「途中で降りるの、嫌なんだろ」
前を見たまま、鼻で笑った。
「なあ」
「ん?」
「相棒辞めるの、やっぱり止めていいか」
俺がそう言って笑うと、サカイはふっと息をつく。
「お前……面倒臭えな」
「うるせえ」
俺たちは、堪え切れずに笑い出した。
まだ、途中だ。
最後までやった後。俺が見たいのは、その景色なんだ。
つづく
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