
紡がれる、音⑫――和音が重なる場所へ/刑事ドラマ・エンタメ原作部門
番外編:ある刑事の、背中
僕が刑事選抜試験を早々にクリアし、
池袋署、生活安全課の刑事として配属されたのは、
公園の銀杏が色付き始めた、秋の初め。
念願の刑事。
いずれ僕は、刑事課に行く。
生安は、ただの通過点だ。
それから半年。
桜が咲き、街が浮かれた空気を滲ませる頃、
署内で、次の人事異動の噂が囁かれ始めた。
「今度生安に来るの、元捜一で、今機捜らしいな」
「何か、自分から異動願出したって」
「何だそれ、変わってんな」
確かに、自ら花形を離れるなんて相当変わり者だ。
……どんな人なんだろう。
「今日から配属になった。コンドウ警部補だ」
「よろしくお願いします」
課長が紹介する横で、その男はニコリともせずに軽く頭を下げた。
コンドウさんは僕の教育係になり、個別に挨拶を受ける。
「コンドウだ。よろしく」
「イシダです。よろしくお願いします」
愛想が悪い。どちらかといえば冴えない印象。
背が高くシャープで筋肉質。それ以外、元機捜の面影はない。
少し、期待外れだ。
でも、確かに書類仕事は早い。
次々と処理される報告書の束が、デスクに積まれていく。
商店街を歩く速度はゆっくりだ。
辺りを見渡しながら、時折立ち止まり、メモを取る。
「変わりないか?」
「どうも、コンドウさん。特に変わりません」
「そうか、良かった」
毎回、商店に声をかける。
僕はそれを非効率だと思った。
確認事項をこなし異常がなければ次へ進む。それで充分だと。
「効率、悪くないですか?」
「何が」
「こんなに平和なのに声掛けとか」
「お前、知らないやつに相談するか?」
「え?しないです」
コンドウさんは少し首を振り、僕の肩を叩いた。
「これが一番早いんだよ。今に分かる」
「……はあ」
何だか腑に落ちない。
だが、一ヵ月経ち、明らかに変わった。
通報が減り、その代わり相談件数が増えた。
コンドウさんは毎日何人もの相談者に向かい合い、最後まで話を聞く。
話し終えた相談者の背中は、少し安心したように緩んでいた。
夏の終わりの深夜、
酒盛りをして騒いでる、と通報があり、急いで現場に向かう。
静かな住宅街に歓声が響いていた。
僕は前に出てガキどもをじろっと睨み、怒鳴りつける。
「はい、警察。通報来てる。解散」
「うるせえな」
「いいから、帰れって」
「放っとけよ」
視線がぶつかった。怒声が住宅街に響く。
コンドウさんが息をつき、ひとりの少年の横にしゃがんだ。
その顔は幼い。高校生か?
「お前、名前は」
「……タクヤ」
「タクヤか」
コンドウさんはタクヤの肩を叩き、笑いかけた。
回りを見渡し、穏やかに、低い声をかける。
「ここで騒ぐな。近所迷惑だ」
「……え?」
「いつでも相談に乗る……早く帰れよ」
名刺を渡すと立ち上がり、公園を出る。
ヤツらは気を抜かれたように静かになった。
「……甘くないですか?」
「静かになったじゃねえか」
「まあ、そうですけど」
「いきなり怒鳴られたら、反発するだろ」
「まあ」
「そのあと何する」
「……えと」
コンドウさんは立ち止まり、僕の顔を見て息をついた。
「何か起こす前に、きちんと止める」
「でも」
「防犯の、基本だ」
「……はい」
「覚えとけ」
その二日後、タクヤが名刺を握りしめ、コンドウさんを訪ねてきた。
仲間内で闇バイトが流行っている。友達を救いたいんだと涙ながらに話す。
……意味がないと思っていた甘さに、こんな効果があるなんて。
二日後の昼、万引きの通報を受けて、いつものように商店街に向かう。
本屋のバックヤードで、僕たちを見た店主が軽く手を上げた。
小学生の男の子がパイプ椅子に座り、うなだれている。
前の机には、漫画本が二冊。
店主がコンドウさんの横で、ため息を漏らした。
「この子、もう五回目なんだよ」
「……そうか」
呼び出された母親が、男の子を怒鳴りつける。
「もう……何でよ!いい加減にしてよ!」
「まあ、お母さん、落ち着いて」
僕は母親をなだめながら、頭の中で書類の流れを考えていた。
五回目……なら、通告、かな?
コンドウさんは子どもに向き直り、その前にしゃがんだ。
「欲しかったのか?」
「……うん」
「でも、悪いことだって、分かってんだろ?」
「……あ」
男の子が静かに泣き出した。
コンドウさんはしばらく見つめると、男の子の顔を上げさせ、
穏やかに笑いかける。
「ちゃんと、ごめんなさい、言えるか」
男の子は俯き、しゃくりあげた。
コンドウさんが男の子の肩に手を置き、顔を覗き込む。
「ちゃんと俺の顔を見ろ……どうだ?」
「……ごめんなさい」
「もう、しないな」
「……はい」
「よし分かった。約束だ……もう泣くな」
「……うん。ごめんなさい」
叱責はある。でも、怒ってはいない。
コンドウさんは立ち上がり、店主に向き直った。
「今回も……指導で」
「……ここは、顔を立てるよ」
「すまん。ありがとう」
コンドウさんが、店主に頭を下げる。
僕は息をつくと母親の前に立ち、手元のタブレットに視線を落とす。
「次こういうことがあった場合、児童相談所に通告しますので」
「え?」
「保護や調査の対象になります」
「……まだ盗んでないのに、大げさじゃ?」
「この子は繰り返してます。依存や、家庭に問題があることも多いので」
「え?どういうことですか……私が悪いの?」
「規則ですので」
「ちょっと、ちゃんと説明してよ!」
母親が興奮して僕に詰め寄った。
コンドウさんが、慌てて間に入る。
「とにかく、もうやらないことが大事なんだ」
「え?」
「しっかり教えてくれ……今なら、まだ間に合う」
「……それは」
「すまんな。コイツは決まった通りに言ってるだけなんだ」
コンドウさんは小さく頭を下げ、名刺を取り出した。
「いつでも、相談に乗る……今日のところは」
「……分かりました」
母親は落ち着きを取り戻し、男の子を連れて帰った。
僕は無意識に眉間を寄せ、コンドウさんを少し睨む。
……何だよ。
店を出てすぐにコンドウさんが僕の顔を見て、ため息をついた。
「……イシダ、あのな」
「別に……僕は当たり前の対応をしました」
「ああ、あの対応は正しい。けどな」
「はい」
「人には、感情がある」
「……え」
「話を聞く前に制度を振りかざすな……順番が違う」
「……はあ」
「焦って終わらせようとするな」
「……はい」
正しいかどうかは分からない。
だが、誰も無駄に傷ついてない。それだけは確かだった。
ある日、パトロール中に聞いた。
「どうして、生安なんですか?」
「……事件が起きる前に、止めたいんだ」
「ああ、そっち」
「ここなら、起きる前に止められるだろ」
コンドウさんの目が、一瞬揺れた。
それを見て、この人が今まで現場で見てきたであろう景色を想像する。
花形を離れ地味な現場に来る。
その意味が、何となく分かった様な気がした。
「でも、地味ですよ」
「……そうなんだよな」
眉を歪ますコンドウさんの顔を見て、
それにしても冴えない人だな、と少し笑ってしまった。
冬の訪れを感じさせる風が街を抜ける頃、
コンドウさんが、パソコンを睨み首を傾げた。
覗き込むと、一枚の相談票だった。
「係長、様子見、って言ってましたよ」
「そうか……」
そう呟き、コンドウさんは少し考えた後、立ち上がった。
「ここ、行くぞ」
「え?」
上着を羽織り、足早に出て行く。僕は慌てて後を追った。
「ちょっと、コンドウさん!」
何だ、突然。
繁華街の夜にはよくある内容の何の変哲もない相談票。
その背中に、迷いはない。
その店は、まだ開いてなかった。
しばらくして帰ろうとした時、コンドウさんの足が止まった。
ひとりの女性を見て、少し驚いた顔で軽く会釈する。
それだけだった。
なのに、それからのコンドウさんは少し変わった。
突然、単独行動が増え、地取りや聞き込みも増えた。
係長がコンドウさんを叱る。
「勝手に動くな。ちゃんと上げろ、担当に付ける」
「承知しました」
「単独は許さん。イシダを連れてけ」
「はい」
コンドウさんが眉間を寄せデスクに戻った後、係長が僕に手招きをした。
「はい、何ですか?」
「イシダ、コンドウをよく見とけよ」
「はい?」
「元機捜のエースだ……存分に、学べ」
「……え?」
少し面食らった。
……エース?何の冗談だ?
担当に付くと、その案件に時間が使える。
そこからコンドウさんは、早かった。
その判断は的確で、捜査に妥協はない。
僕は正直、舌を巻いた。
保護対象者が帰って来ないと報告が来た夜、コンドウさんは走りだした。
対象者の無事が確認された後も、乱れず冷静に指示を出し、被疑者を追う。
被疑者を取り逃がした後、今までの冷静さが嘘みたいに取り乱した。
「あーっ!クソが!」
一瞬の感情の爆発は、刺さるような威圧感だ。
この人のこういう顔を見るのは、初めてだった。
退勤後、張り付いた僕に舌打ちしながら、
コンドウさんはまた歩く。疑問に感じて聞いた。
「何を、してるんですか」
「探してる」
「何を?」
「網の目と、残り香」
「え?」
「何で起きた……どこにいるんだ」
その執念に少し恐怖を感じて、思わず立ち竦む。
この人の鼻は特殊だ。
相談者の機微も、被疑者の残り香も瞬時に嗅ぎつける。
制度のギリギリまで踏み込み、守るためなら何でもやった。
……スゲエな、この人。
年が明け、捜査が縮小された。
コンドウさんの背中に焦りが滲み、捜査が荒くなる。
監察に注意を受けても、平気な顔で書類を積む。
でも、喫煙所で見せる顔は、とても辛そうだった。
ある時、何かが吹っ切れたようにコンドウさんの肩が下がった。
退職の話を聞いたのは、そのすぐ後だ。
「悪い……辞めるんだ」
「……そう、ですか」
僕はたいして驚かなかった。ただ、腑に落ちた。
背中を見続けた一年半が、その答えを先に教えていた。
そこから、半月。
コンドウさんはいつも以上に僕に構うようになった。
大量の書類を処理する合間に、僕を連れ歩く。
いつもと同じ歩幅で。穏やかな雰囲気で。
「コイツを、よろしく頼むよ」
その声に店主たちが頷いて、笑いかける。
その背中は、最後まで刑事だった。
コンドウさんの退職の日、
初めてまともに見た正装に思わず息を呑んだ。
その背中に、穏やかな威厳が滲む。
この人の覚悟が伝わり、通り過ぎる人が自然と敬礼する。
コンドウさんがいなくなることに、不安がないとは言えない。
最後にそれを打ち明けた時、コンドウさんは僕に笑いかけた。
「俺が仕込んだんだ、自信を持て……任せたぞ」
僕は息を呑み、ニッコリと笑い返した。
……嬉しい。
そうだ。この人の弟子だ。
それは、僕の誇りだ。
街路樹の蝉がうるさく鳴く季節になり、
いつも通り商店街の防犯カメラのチェックをしていると、
近くの八百屋の親父が、缶コーヒーを差し出した。
「ご苦労さまイシダさん。今日はひとりか?」
「はい。ありがとうございます……変わりないですか」
自然と言葉が出てくる。
気づく。焦らない。切り捨てない。最後まで話を聞く。
背中は、もう前にない。だが歩き方は残っている。
僕は巡回表に印をつけると親父に手を振り、静かに次の角を曲がった。
守るとは何かを、もう測る必要はなかった。
ある刑事の、背中
紡がれる、音・番外編 おわり
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コンドウの紡いだ音は、和音となり響き始めます。
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※6月から、改訂版順次投稿予定。
和音が重なる場所
第十一話「灯り」 | 第一話「居酒屋かずね」
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