
紡がれる、音⑪――和音が重なる場所へ/刑事ドラマ・エンタメ原作部門
最終話:灯り
引っ越し直後の数日は、
段ボールを開けるだけであっという間に過ぎていった。
俺はその合間を縫って近所を歩いた。視線は走る。
買い物がてら付いてきたヤヨイが、くすっと笑った。
「コンドウさん、刑事さんみたい」
「うるせえ、性分だ」
辞職して二か月くらいじゃ、変わらない。
蝉の声が耳に刺さり、背中に汗が流れ落ちた。
容赦なく太陽は、俺たちの上に降り注ぐ。
「用心するに、越したことは無いだろ」
「そうね」
「念のため、だ」
「でも、歩くの遅いよ。暑い、早く帰ろう」
ヤヨイは笑って、少し前を歩いた。
苦笑し、その後ろをゆっくりと歩く。
夜中、短い息を詰まらせる音で、目が覚めた。
布団を抜け、となりの部屋のドアを開ける。
「……ヤヨイ、おい……ヤヨイ」
小さく何度か呼ぶと、ヤヨイは、はっと目を開けた。
ハアハアと荒く息をつき、目を泳がせる。
「大丈夫だ」
ヤヨイはしばらく天井を見つめ、それから小さく息をついた。
「……ごめんなさい」
「謝るな……ほら」
水の入ったグラスを差し出す。
ヤヨイは体を起こすと一口飲み、眉をしかめてギュッと目をつぶった。
俺は少し背中を擦り、寝室を出る。
自室に入り、段ボールから封筒を取り出した。
偶然手に入れた、ひとつだけ残っているカード。
防犯カメラの写真。日付は、五月三十一日。
繁華街の路地裏を歩く男の後ろ姿。指に光る、大きな金の指輪。その横顔。
少し考えて、スマホを取り出す。
ラインを開いて写真を撮り、防犯カメラ番号を添え、送信した。
街を抜ける風に心地よさを感じるようになった頃、
付けっぱなしのテレビに、ニュース速報が出た。
“違法な資金洗浄を請け負っていた闇ブローカーを摘発”
そのまま画面が切り替わった。フードで顔を隠した男が連行されて行く。
その右手に金の指輪。画面の端にサカイが映り込んでいた。
キッチンにいるヤヨイをチラッと見て、スマホを取り出す。
“ニュース速報、見た”
“腐る前に、食えた”
“近いうち、話そう”
“了解”
ほっと息をつく。相棒は、いつまで経っても相棒だ。
俺はソファーから立ち上がり、
キッチンで洗い物をするヤヨイに、努めて穏やかに声をかける。
「ヤヨイ、ちょっといいか」
「なあに」
「エナミが……逮捕されたんだ」
「……え」
ヤヨイは、すっと息を呑むと、少ししてガタガタと震え出した。
慌てて肩を支え、ソファーに座らせる。
掠れた声が、小さく聞こえた。
「……じゃあ」
「そうだ、終わったんだ……もう電話も、花束も、来ない」
見開かれた目から涙が溢れる。
そのまま顔を手で覆い、ヤヨイは肩を震わせて、わーっと、泣き叫んだ。
俺の肩に額を預け、嗚咽を漏らす。
背中を擦りながら、俺は天井を見上げて息をついた。
やっと、止まった……花は、咲いた。
数日後、カワハラが退院した。
ヤヨイ、ミチコと一緒に、病院まで迎えに行く。
サユリが押す車いすの上で、カワハラが笑顔を見せた。
「カワハラ、退院おめでとう」
「ああ、ありがとう」
「長かったな」
「もう、閉じ込められるのはうんざりだ」
「はは、そうだな」
タクシーで、いこいに向かう。
カワハラはぐるりと店内を見渡すと、カウンターに座り、俺を見上げた。
「で、コンドウさん、いつ開けるんだ?」
「何?」
「アンタ、今無職だろ」
「まあ……そうだ」
「退職金も、入った」
「……ああ」
「いけるじゃねえか」
俺はとなりに腰を下ろし、ため息をついた。
「何言ってんだ、お前」
「俺はもう、焼き台の前に立てない」
「え?」
「隠居して、サユリと大阪に行く……だから、アンタがやってくれ」
ミチコが俺を見て、ニヤッと笑った。
「それ、いいわね。協力するわよ」
「いや、店なんて勝手がわからん」
「何とかなるわよ、意外と」
「料理だって出来ない」
「だから、教えるわよ。すぐ覚えられるでしょ」
「あのなあ」
カワハラがふっと真剣な目をして、頭を下げた。
「頼むよ。コンドウさん」
「……おい、やめてくれ」
ヤヨイが手を叩いて笑いながら、俺の顔を覗き込む。
「楽しそう、やろうよ」
「え?」
「ここにいられるなら、わたしは嬉しい」
俺はため息をつくと軽く手を振り、引き戸を開けて外に出た。
少し店から離れて、タバコに火を点ける。
煙を吐き出し、空を見上げた。
懐かしい、宿り木の風景が広がった。
賑やかな歓声、美味そうな煙の匂い、焼き台の前の笑顔、
生ビールのグラス、となりで笑う顔馴染の常連客。
風に揺れる暖簾と、提灯の灯り。
「楽しそう、やろうよ」
そう言って笑った、さっきの笑顔が重なる。
自然と、頬が緩んだ。
……それも、いいかもな。
店に戻り、真っ直ぐ手を差し出す。
カワハラが立ち上がり、微かに笑った。
「分かった……やる」
「ありがとう、コンドウさん」
「色々、教えてくれ」
「ああ、任せとけ」
握手を交わす俺のとなりでヤヨイが頭を下げる。
ミチコがヤヨイの肩を抱き、ニッコリと笑った。
翌日、サカイから時間が取れたとラインがあり、繁華街に向かった。
忙しい相棒は、時間の隙間を無理にこじ開け、笑顔を見せる。
「久し振りだな、コンドウ」
「ああ、サカイ。すまん、忙しいんだろ?」
「お前は、随分と暇そうじゃねえか」
「まあ、無職だからな」
「羨ましいな」
カウンターの片隅で、グラスを合わせる。
少しだけ、時計の針を戻した。
「あの餌、効いたぞ」
「腹壊さなくて、何よりだ」
サカイが、少し声を落とす。
「金の流れが繋がって証拠はそろったんだが、居所がつかめなくてな」
「ああ」
「あの防犯カメラを、イシダに洗わせたんだ」
「そうか」
「そこから手繰って、釣り上げた」
「イシダ、調子乗ってんだろ」
「ああ、可愛いもんだ……これで、五、六年は喰らうな」
俺は、ふいに言葉が喉に詰まりグラスを煽ると、言葉を引っ張り出した。
「……ありがとな、サカイ」
「え?」
「俺は……逃げたから」
「何言ってんだ、お前」
「……刑事から、逃げた」
グラスを持つ手が震える。
サカイは俺の肩に手を置き、真っ直ぐに言葉を投げた。
「違う。これは、刑事のお前が逃げなかった結果だ」
「……え?」
「お前が、止めたようなもんだ」
「……あ」
言葉が、すっ、と胸に落ちる。
「礼を言うのは、こっちだろ」
サカイはふたつのグラスを満たし、掲げた。
「コンドウ、ありがとな」
「……ああ」
賑やかな居酒屋の片隅で、小さくグラスが鳴る。
グラスを煽り、少し目を閉じ、息をついた。
やがて顔を上げ、サカイに笑いかける。
「……いこいを、継ぐことにしたんだ」
「え?」
「カワハラが、隠居するって」
「……へえ、お前が客商売か……何か笑えるな」
「うるせえ」
サカイが急に、はっ、と息を呑んだ。
「……お前、料理出来るのか?」
「包丁より、拳銃の方が得意だ」
「大丈夫なのか、それ」
顔を見合わせて、笑う。
「連絡してくれ。見ものだ」
「絶対しねえ」
「面倒だな、お前」
「黙れ」
「楽しみにしてる。逃げんなよ」
「逃げるのは、性に合わない」
「はは、そうだったな」
そこまで話した時、サカイのスマホが震えた。
忙しい相棒は、急な呼び出しで席を立った。
名義の手続きを終え、仕入れの方法や経営のことをカワハラに教わる。
供述調書を取る感覚。報告書を書くより、楽だ。
となりで微笑むヤヨイを見つめた。
担当刑事と保護対象者から、共同経営者へと、立ち位置が変わる。
仕込みは、思った以上に難しかった。
まともに包丁を握ったこともないのに魚を捌けなんて、どうかしている。
角度が違うと、カワハラに小突かれた。
「不器用だなあ」
「うるせえ」
「ほら、しっかり押さえろ」
「ああ」
ヤヨイとミチコが顔を見合わせ、くすくす笑う。
まな板の上の魚が滑る。必死に押さえ、包丁を入れた。
野菜はコロコロとまな板から逃げ、肉は真っ直ぐ串に刺さらない。
暴れてる酔っ払いを取り押さえる方が、はるかに楽だ。
ふーっと息をつき、首を振る。
まな板に集中していると、声が飛んできた。
「おい、火が強いぞ」
横にある鍋が、勢いよく蒸気を上げ、吹きこぼれた。
慌てて蓋に手をかける。
「わっ、熱っつ」
「やるよ」
ヤヨイが見かねて飛んできた。
息をつき、包丁を握りなおす。
ミチコが、横で手元を指差した。
「そこ、よく見て」
「……痛てっ」
「あーあ、もう」
包丁を投げ出す。もう指は絆創膏だらけだ。
ふと、組事務所のガサ入れの時に見た、
瓶に入った小指が頭を掠め、激しく首を振る。
……地獄だ。
俺は隙を見て裏口から逃げだした。
「どこ行くの、コンちゃん!」
ミチコの声が追いかけてきた。
後ろ手で裏口を閉め、タバコを取り出し火を点ける。
ため息をつきながら、指に絆創膏を貼った。
「……もう、デカ、じゃないんだな」
小さなボヤキが、煙とともに風に溶けた。
ある日、カワハラが焼き方を教えながら、何気ない声で言う。
「……屋号、変えるか」
「え?」
「ここは、もう俺の店じゃねえ……前、向いてんだろ」
「……ああ」
「じゃ、考えとけよ」
カワハラは笑い、焼き台に視線を戻す。
俺はこっそりと息をついた。
街路樹の葉が落ちる季節になり、指から絆創膏は消えた。
ヤヨイは度々、夜中に息を詰まらせ飛び起きる。
俺はそのたびに水を差し出し、背中を擦った。
日々を重ねカワハラから合格をもらった頃、
夢の中でしか会えなかった親友を、路地裏で拾った。
その子猫の名を、店に掲げる。
クリスマスイルミネーションが街を飾り始め、
開店を十日後に控えた晴れた日、
カワハラはサユリに連れられ、この街を去った。
開店前日の夜、ヤヨイが湯呑を撫でながら穏やかに笑う。
「いよいよだね」
「そうだな」
「改めて、よろしくね」
「ああ……よろしくな」
手を差し出す。ヤヨイは手を取り、強く握った。
顔を見合わせ、笑いあう。
新しい暖簾を掲げる。白地に、左端に小さい黒い字。
〈かずね〉
提灯に灯りがともる。店内のカウンターは磨き上げられ、
刺し場には包丁が静かに置かれている。
焼き台の中で、炭が微かな音を立てていた。
「やってる?」
いこいの頃からの常連ザキが祝いの一升瓶を手に、暖簾を割る。
「いらっしゃい」
「開店、おめでとう」
「ありがとう、ザキ」
音が重なる。新しい景色が広がった。
カウンターの下に、茶虎の子猫。
目をきらきらさせ、しきりにしっぽを揺らしている。
俺は焼き台の前で、かつての常連と笑いあう。
キッチンでは、ミチコが美味そうな皿を仕立てる。
となりでは、ヤヨイが穏やかに微笑んでいた。
――ここで、生きる。灯りの中で。
笑い声は重なり、店の空気は整う。
包丁の音が、静かに響いた。
紡がれる、音――和音が重なる場所へ
おわり。
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第十話「ロッカー」 | 番外編「ある刑事の、背中」
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