
【もしもミュージアム】#10 本日のスタッフルーム
◯月◯日の記録
珍しく館長が怒っていた。
館長が来客と一緒に応接室に入っていった後、しばらく経ってから館長の怒号がドアの向こうから聞こえてきた。
「だから言ったじゃないですか、これ以上世界が無尽蔵に広がる前に閉じないと、手遅れになりますよ!」
来客は、何やら言い訳がましいことを、ぼそぼそと呟いている様子だ。それが余計に館長の怒りに火をつけているらしい。
あの来客には、覚えがある。半年前、挨拶に来たやり手風の経営者だ。
(この度、『希望博物館』を開館しました。まずはご挨拶まで)
にやり、と笑って館のフライヤー(チラシ)と名刺を置いていった。派手なスーツとブランドの時計、ごついブーツを身につけて、意気揚々とやってきた姿を忘れない。
入館料は一回五十万円。それで、個人的な願望を叶えた世界を案内してくれるという。もしもあの会社で働いていたら、恋人と別れずに結婚していたら、海外に移住していたら⋯⋯そのまま、“もしも”の世界に住みついて生活を続けている人も、かなりいるらしい。
開館後またたくまに情報が広がり、希望博物館は大盛況だった。
もしもミュージアムの来館者は、一時期閑古鳥が鳴いた。でも、館長は慌てるそぶりを全く見せなかった。
「うちの館とは、目的やコンセプトが全然違います。気にしないで、業務に当たってください」
そして、部屋一面の大型モニターにうつる展示室や収蔵庫のチェックに戻った。職員の仕事の管理や増幅する世界の把握をしているらしい。
「いくら展示室が増幅できるといっても、限界がありますから」
モニターを眺めながら、館長がつぶやいた。
その言葉の通り、希望博物館は臨時休館が増えた。
もしもの世界の分岐と維持管理には、対価としてエネルギーがかかる。もしもミュージアムのように、ある程度制約された世界の分岐と、入館者それぞれの個人の全て叶えるかるコストを比べると、どちらが⋯⋯
どうやら、膨れ上がった世界の維持管理にエネルギーがかかりすぎているらしい。今日は、助けを求めて館長のところに来たのだろうか。
「ですから、場当たり的な対応はもう無理です。すぐ休館して、不在になった空間は閉じてください。じゃないと⋯⋯」
「そんなこと言わないでください。学芸員とエネルギーを貸してくれたら、すぐに経営を立て直しますから」
ドアの向こうで、希望博物館オーナーは泣きそうになって懇願していた。その後、館長の冷静な声が響いた。
「うちの職員は出せません。最近も新しい分類群が増殖して、学芸員が二人増えたばかりで重要な時期ですから」
コーヒー茶碗が机にぶつかる鈍い音がした。
「代わりに私が向かいます。明日の朝、そちらに訪問させてください。それから計画を考えましょう」
少しの沈黙の後、すすり泣く声が聞こえた。声の主は、繰り返し礼を述べていた。
これ以上立ち聞きをするのは野暮だ。業務に戻った。
それからしばらく経ってから、建て直した希望博物館が海沿いの集落に現れるのは、また別の話。
館長の業務記録
【◯月◯日】
1 来訪者
希望博物館 オーナー タキノ氏
2 相談内容
希望博物館の維持管理。分岐の過剰増幅によるエネルギー枯渇が発生したため、助言と指導を求められた。
3 今後の対応(予定)
明日、現場を視察予定。エネルギー量の計測と現場のヒアリングを行い、改善計画を作る
4 備考
(1)タキノ氏に『分岐博物館協会』の加入を再度打診したところ、前向きに検討すると回答。改善の程度によっては加盟館に情報提供し、協力依頼することも助言した。
(2)一部の要人が『抹消団体』の嘆願を受けて援助を始めたとのこと。動向に気をつけること。
以上
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