
十四歳の長女に、マダムデルタを司法解剖されました【マダムデルタの僭越ながら、一枚】
僭越ながら、
本日は長女について、少々申し上げたいのですわ。
十四歳。
人間としてはまだ若い。
社会的には未成年。
時間管理に関しては、まだ文明開化の途中。
けれど、油断してはいけません。
十四歳とは、
家族との日常を聞き流しているようで、
実はリビングの隅からじっと観察している年齢でございます。
しかも、その観察眼が、
時に親の心臓を一発で射抜いてくる。
まことに恐ろしい。
唐突ですけれど、
わたくし、先日、
長女にプロファイリングされましたの。
しかも、かなり正確に。
ほぼ司法解剖でございました。
最近のわたくしは、
文章を書くことに、そこそこ忙しくしております。
家族から見れば、
偽物べっこう柄の丸いメガネをかけ、
度数ゼロのくせに、
「知性で勝負しております!」
という雰囲気だけを醸し出す、インチキ作家のような中年女性。
それが、現在のわたくしでございます。
したがって、家庭内では最近、便利な言葉が流通しております。
「マミーは今、文章を書くことで大忙しだから」
便利。
実に便利。
この一文さえ唱えれば、
犬の餌やりも、片付けも、ちょっとした面倒ごとも、
自然に誰かの手元へ流れていく。
わたくしはこの魔法の言葉を建前に、
自分以外の人間へ、
実に優雅に、そして大胆に、タスクを配りまくっておりました。
名づけて、
自立促し月間。
すばらしいでしょう?
教育です。
決してサボりではありません。
家庭内における、主体性育成プログラムでございます。
……まあ、少しだけ、
わたくしが楽をしたいという、
大変ささやかで人間的な願望も混じっていたかもしれません。
ほんの少しです。
小さじ八杯くらい。
ところが、便利な言葉というものは、
多用すると、効能の裏側から副作用が顔を出すものです。
ある日、長女が言いました。
「そんなに言うなら、マミーがどんな文章を書いてるのか、一度読んでみたいな」
ドッ、ドキッ!
心臓が、ティーカップの中で溺れました。
これだから、勘の鋭い子どもとは、
一定の距離を保ちつつ、
様子を伺いつつ、
愛情と警戒心を九対三くらいで配合してやってきた。
ええ。
合計が…合わない。
それほど、わたくしは動揺していたのです。
しかし、
「マミー、文章、大忙し」
という謳い文句の効力があまりにも抜群だったため、
わたくし、つい使用量を誤りました。
用法・用量を守らなかったのです。
結果、
十四歳の知性が、こちらに向かって首を傾げた。
「で、何を書いているの?」
これはまずい。
非常にまずい。
なぜなら、これまでわたくしマダムデルタが書いてきたものを、
冷静に棚卸ししてみますと、
乾燥。
毛根。
本能。
鼻くそ。
パンティ。
ショートドラマ。
動物と虫。
セクシー。
目玉焼き。
そして、なぜか、ポン酢とSarawakペッパー。
大変です。
ティーンズの娘が胸を張れる主張をしているマミーが、
どこにもいない。
気配すらない。
社会正義も、地球環境も、未来への提言もない。
あるのは、本能と欲望と無駄と下世話、
そして食べ物。
母として、これはどうなのか。
いや、文章を書く人間としてはむしろ正しいのか?
判断がつきません。
これは究極の選択でございます。
どの回を開示しても、必ずどこかでダメージを喰らう。
パンティ回を見せれば、母の品格が危ない。
鼻くそ回を見せれば、家庭内尊厳が終わる。
セクシー回など、もはや親子間の外交問題でございます。
ティーンズはきっと断交を選択するでしょう。
ここ三年で最も真剣に、
「無難」
という概念について考えました。
無難とは何か。
無難とは、難が無いと書きます。
しかし現実には、難が無い文章などございません。
書いた瞬間、何かしらの難は発生する。
とくに母親が書いた文章には、欲と生活臭という名の難がつきまとう。
それでも、わたくしは考えました。
比較的安全なものは何か。
答えは、食べ物。
食べ物を食べない人は、そうそうおりません。
もちろん、いろんな主義主張があることは存じております。
けれど基本的に人間は、
何かしら生きていたものをもぎ、刻み、焼き、煮て、
自分の不足を補填しながら暮らしております。
一日に何度も。
その点において、わたくしたちは同罪です。
フェアーです。
食べ物ならば、まだ家庭内で許される可能性がある。
というわけで、
先日の「目玉焼き」の回(https://note.com/madam_delta/n/n42843cbe9232)を
読んでもらうことにいたしました。
英語で。
なぜなら長女は英語の方が読みやすい。
そしてわたくしの日本語は、
自分で読み返しても時々、情念の火鍋のようになっております。
そこで登場するのが、わたくしのお抱え翻訳家。
出来杉くん。
ええ。
ChatGPTでございます。
やはり必要でしょう?
この母と娘のあいだに挟まる、家庭内翻訳こんにゃくが。
人間ではありません。
けれど文句も言わず、深夜でも起きていて、
「パンティ」を比較的冷静に翻訳してくれる。
有能。
場合によっては、人間よりだいぶ頼りになります。
さて。
家族に目の前で自分の文章を読まれるというのは、
不思議な体験でございます。
他人に読まれるのとは、わけが違う。
他人ならば、まあ、どうぞご自由に。
気に入らなければ、静かに去ってくださいませ。
出口はあちらでございます。
けれど家族は違う。
読み終わったあとも、家にいる。
翌朝もいる。
冷蔵庫を開ける。
こちらの作った目玉焼きを食べる。
そして、すべてを知った目で、
「マミー、牛乳ないよ」などと言ってくる。
逃げ場がない。
長女が読み進めている間、
わたくしは終始、そわそわしておりました。
少し嬉しい。
興味を持ってくれたことが、少し嬉しい。
クスリと笑ってくれると、
心の中で小さくガッツポーズが出る。
「やりましたわ!」
「この一文、刺さりましたわね!」
「見ました?今の口角!」
そういう、浅ましくも愛らしい承認欲求が、
わたくしの中で小旗をパタパタ振っている。
けれど同時に、
読み進める長女の表情が読めない。
その沈黙は、
まるで判決を待つ法廷。
わたくしは被告。
罪状は、
「母親でありながら、目玉焼きを通して人生を語りすぎた罪」。
そしてその横には、
なぜか小さなヤンキーも座っている。
「なんとでも言ってこいや」
ええ。
わたくしの中には、
貴婦人と罪人とヤンキーが同居しております。
家賃の分担については、まだ揉めていますが、
それどころじゃないでしょう?
人間は、あらゆる感情が一度に押し寄せると、
思考停止するか、
全部なかったことにするか、
突拍子もないことを言って沈黙を埋めようとするものです。
みなさん、もうおわかりでしょう?
マダムデルタは、
言葉で沈黙を生き埋めにする女でございます。
口から吐き出した言葉で、
テトリスみたいにスペースを埋めつくし続けてしまうのです。
言葉数は多ければ多いほどいい。
「プロっ、プロファイリングとかしてみながら読んでみて。ほら、いつも学校の授業でやっているでしょう?アナライズ。そのアナライズと、そこに、この語り手、マダムデルタのプロファイリングを同時に考えながら読んでみて?さあ、張り切っていってみよう…」
そりゃ、こうなる。
なぜ言った?
どなたか、頼みましたか?
ただ黙っていればよかったのに。
目玉焼きだけ読ませて、
「面白かった?」
と軽く聞けばよかった。
それなのに、
自分から解剖台に寝転がり、
「こちらにメスがございます」
と差し出してしまった。
マダムデルタ、痛恨の誘導。
やがて長女は読み終え、
少し考えたあと、言いました。
「四十代、もしくは中年期の専業主婦」
はい、刺さりました。正解!
まだ一文目です。
「別にお金にすごく困ってる感じではないけど、めっちゃお金持ちって感じでもない」
はい、家計状況まで推定されました。正解!
「変わらない日常に少し退屈さを感じていながらも、でも、それが嫌いってわけでもなさそう」
ちょっと待って。
それはもう、住民票です。正解!
「どうでもいいことを、すごく大げさに考えるタイプ」
正解!おやめなさい。
「で、それを面白いと思っている」
正解!やめなさいと言っています。
「小難しく考えて表向きロジックが通っていることにしている。
けれど、そもそも考える必要のないような小さなことに、
その知性らしきものを無駄に使っている。」
正解!
「知性らしきもの」
痛い。
かなり痛い。
「プライドの高さを感じる」
あら、そうかしら?
「でも、自分のことも笑ってるから、本気で偉そうにしてるわけではなさそう。プライドの高いキャラクターを演じている可能性もある」
やめて!
もうこれは、公開処刑です。
「あと、ちょっと“私、普通と違う視点持ってます”って感じがする。」
長女。
あなたはいま、
母の魂にログインしています。
「でも正直、こういう文体のエッセイストを何人か…私、他にも見たことがあるんだよね」
終了。
マダムデルタ、閉廷。
わたくしは、笑いました。
もちろん、上品に。
「あはははははははははははははははは」
さあ、みなさん。「上品」とは、いったい何なのでしょう?
わたくしの「上品」は、また迷子になりました。
「さ、さすが。マミーが最初に設定したマダム・デルタΔ像、ドンピシャだわ。あはははははははははははは」
声が少し裏返っていたかもしれません。
「ちょっとトイレに行ってくるわね」
逃げました。
ええ。
逃げましたとも。
マダムデルタ、トイレへ撤退。
理由は明白です。
ライフがゼロ。
十四歳の長女によるプロファイリングは、
母の薄皮を一枚ずつ剥がし、
最後に、本来なら見せない方がいい生々しい骨格標本を、机の上に並べました。
お見事。
まことにお見事でございます。
でも、考えてみれば当然なのです。
長女は、わたくしの文章を読んだだけではありません。
十四年間、わたくしという人間を読んできたのです。
朝の顔。
機嫌の悪い声。
妙に張り切っている日。
図星を突かれると急に冗談を言う癖。
何かをごまかすとき、必要以上に語彙が増える癖。
それら全部を、
生活という長い本文の中で、
彼女は読み続けていたのでしょう。
こちらは、育てているつもりでした。
しかし向こうも、
ずっと読んでいた。
母というテキストを。
しかも、かなり精読していた。
なんということでしょう。
英語の授業、恐るべし!
IGCSEカリキュラム、万歳!
英国式教育とは、
ついに母親まで分析対象にするのでしょうか。
娘の英語の先生に、
感謝状を送るべきか、
抗議文を送るべきか、
いま判断に迷っております。
それにしても、ティーンズの成長スピードというものは、
本当に容赦がございません。
ついこの間まで、
靴を左右逆に履いていたような子が、
いつの間にか、言葉というメスを持っている。
緑色の野菜はまだ全然食べられないのに、言葉のメスで解剖している。
しかも、研ぎ澄まされている。
まだ十四歳。
メスの扱いは、初心者でございます。
加減を知らない。だからこそ余計に切れ味は抜群だ。
いまここに、
オーバーキルされている中年女性が一名おります。
しかし、それもまた時の流れ。
親とは不思議なもので、
自分が刺されながらも、
「まあ、よく研げておりますわね」
などと思ってしまうのです。
この感情には、名前があるのでしょうか。
敗北。
あるいは、母性。
または、教育費の回収。
いいのです。
いいのですよ、マドモワゼル達。
わたくしの屍を越えてゆきなさい。
わたくしは、少し嬉しかったのです。
負け惜しみではございません。
いえ、三割ほどは負け惜しみです。
けれど、残りの七割は本当。
長女が、わたくしの文章を読んで、
笑い、考え、分析し、
容赦なく切り込んできたこと。
それは、わたくしにとって、
かなり眩しい出来事でした。
母の文章を、
娘が読んだ。
娘の目に、
母の中の滑稽さも、虚栄も、孤独も、知ったかぶりも、
かなり正確に映っていた。
恥ずかしい。
大変、恥ずかしい。
けれど、
どこか誇らしい。
子どもが成長するとは、
親が少しずつ、
見下ろす側から、
見抜かれる側へ移動していくことなのかもしれません。
恐ろしいことです。
けれど、悪くない…。
さて。
次に長女が、
「ほかの文章も読みたい」
と言い出したら、どうしましょう。
鼻くそは尊厳が危ない。
セクシーは国際問題。
残された安全地帯は、
アボカドと紅茶の間くらい。
なんという狭さ。
わたくしの文学的領土は、
野菜と茶葉の間にしか存在していないのでしょうか。
そしてどちらもだいたい緑の葉っぱ。
それでも、まあ、よろしい。
アボカドから乾燥を指摘され、
目玉焼きから夫婦関係を語り、
茶葉に治外法権を与え、
娘にプロファイリングされて屍になる。
それがマダムデルタでございます。
ごきげんよう。