
週末朝の目玉焼き【マダムデルタの僭越ながら、一枚】
僭越ながら、本日は、
週末朝の目玉焼きについて、少々申し上げたいのですわ。
ええ。
目玉焼きでございます。
卵を割る。焼く。皿に乗せる。
以上。
料理界における、
「私、特に何もしてませんけど?」
の代表選手でございます。
けれど、油断してはいけません。
簡単そうなものほど、
人間の信条が際立つ。
つまり目玉焼きは、
卵料理の顔をした、信仰の踏み絵なのです。
我が家の朝ごはんは、基本的に冷蔵庫から直でございます。
ワンプレートに小皿を並べ、
冷蔵庫から素材を取り出し、
それぞれを小皿に乗せていく。
以上。
ですから、もしかすると人は、これを
「朝ごはんを作る」
とは呼ばないかもしれません。
どちらかといえば、
「朝ごはんを並べる」
こちらのほうが正確です。
火を使わない。
油を使わない。
フライパンを出さない。
換気扇も回さない。
朝の空気に、余計な決意を撒き散らさない。
冷蔵庫から、器へ。
この短い距離に、わたくしの朝食哲学がございます。
怠惰?
ええ、そうです。なんとでもおっしゃって。
けれど、怠惰とは時に、合理性が部屋着を着ている姿なのです。
我が家の娘たちは、食においてなかなか繊細でございます。
ピッキーイーター。
食べムラ。
見た目。
混ざり具合。
テクスチャー。
昨日は食べたのに今日は食べないという、食卓界の不思議現象。
混ぜれば危険。
触れれば警戒。
ソースをかければ沈黙。
ですから、素材は混ぜない。
豆腐は豆腐。
果物は果物。
野菜は野菜。
ご飯はご飯。
それぞれが、それぞれの顔をしたまま、
小皿の上にそっと存在している。
盛んな交流はないけれど、とにかく平和です。
しかも、我が家の住む場所は年中夏。
朝から体を温める必要もない。
湯気に救われたい季節でもない。
味噌汁を胃に落として、
「ああ、日本人に生まれてよかった」
などとしみじみする気温ではございません。
むしろ、朝から火を使えば、
キッチンが一瞬で蒸し器になる。
わたくし自身が、小籠包になる。
危険ですわ。
そして何より、
爽やかな朝の空気にオイルを撒き散らしたくない。
ええ。
これはもう、意味不明のこだわりです。
でも、人間とはそういうものです。
他人から見ればどうでもいいことに、
本人の中では憲法より強い決まりがある。
こうして、わたくしの怠惰、
娘たちの食の繊細さ、
南国の気候、
朝から油を避けたいという謎の美意識。
すべてが見事に揃って、
ビンゴ!
我が家の朝食は、
「並べる朝食」へと進化したのでございます。
人は易きに流れる。
そして、流れ着いた先がそこそこヘルシーなら、
もはや誰が責められましょう。
この「並べる朝食」が生み出した副産物は、
なかなか大きゅうございました。
まず、週末の食材の買い出し。
これはもう、実質的に朝食作りの始まりです。
冷蔵庫に何があるか。
何を並べられるか。
何を出せば娘たちが警戒せずに手を伸ばすか。
この段階で、朝食の勝負は半分終わっている。
そして週末のスケジュールの真っ白さも、少しだけマシになる。
ええ、朝ごはんはキッチンで始まるのではありません。
週末のスーパーの通路で、すでに始まっているのです。
そして、もうひとつ。
料理など絶対に無理だと公言して憚らなかった夫が、
朝食を準備できるようになった。
これはデカい。
冷蔵庫を開ける。
取り出す。
器に乗せる。
以上。
マダムにとってイージーなことは、
夫にとってもイージー。
最高かよ。
つまり週末の朝、
キッチンに立つべき者が、必ずしもわたくしである必要はない。
この発見により、
我が家の朝は少しだけ書き換えられました。
そして、それ以来、我が家では、
週末はじゃんけんで勝ったほうが朝食を用意するという、
非常に原始的、かつ公平そうに見える仕組みが導入されることになりました。
ですから、わたくしは負ければいい。
ただ、負け続ければいい。
そして夫は、不意のじゃんけんでだいたいパーを出す。
ならば、こちらはグー。
相場は決まっております。
負ける努力。
負ける技術。
負けることで勝つ。
これぞ家庭内兵法でございます。
さて、そんな我が家の朝食は、
だいたいプロテイン系の小皿が二種類、
ちょっとした野菜が三種類、
果物が三種類。
そのあたりで構成されております。
パーフェクトバランス。
けれど、人間とは飽きる生き物です。
どれほど合理的でも、
どれほど健康的でも、
どれほど完璧でも、
続けば飽きる。
冷蔵庫にゆで卵をストックしておけばよかった。
朝それを出せばよかった。
けれど、
しばらく続くと、娘たちは食べなくなる。
食卓における人気とは、実に移ろいやすい。
そこで登場するのが、目玉焼きです。
そう。
わたくしが朝から避けていたはずの、
火。油。フライパン。
それらを堂々と使う、目玉焼き。
今、冷静に考えると、
わたくしはなぜ目玉焼きにだけ、
朝のひと油を受け入れているのでしょう。
自分でもよくわかりません。
人間の美学には、必ず例外条項があるのです。
しかし、
問題は、そこではございません。
先週の夫の目玉焼きが、とびきり美味しかった。
これは問題です。
非常に大きな問題です。
だって、目玉焼きですよ?
冒頭にも述べました、
フライパンに油を引く。
卵を割り落とす。
南国なので念のため両面焼く。
黄身の内側まで火を通す。
皿に乗せる。
以上。
「差別化を図ってこ!」
などと、
ビジネスセミナーの講師みたいなことを考える余地すらない料理です。
むしろ、差別化しようとするほうが難しい。
「本日の目玉焼きは、火入れの概念を再構築し、
卵白の余白に朝の哲学を…」
うるさい!
いいから卵を焼け!
そういう料理でございます。
油こそ使えど、
我が家の朝食のモットーである、
「素材を素材そのままに♪」
から大きく逸脱してはいない。
もしくは、境界線の上で片足立ちしている。
そんな料理、目玉焼き。
それなのに。
なぜ。
わたくしの作った目玉焼きと、
夫の作った目玉焼きで、
美味しさが違うのか。
え?
卵って、そんな食材でしたの?
これまで四十年近く生きてきて、
全く意識に登らせたことがなかったけれど、
卵とは、人によってポテンシャルを出したり出さなかったりするタイプの食材でしたの?
卵ラバーのわたくしなのに、
全然、卵のことを理解していなかった。
青天の霹靂。
わたくしは朝食をいただかないことが多いのですが、
実は卵だけは、いつも少し食べたくなるのです。
目玉焼きに、ペッパーを挽き、ポン酢を少し垂らして食べる。
これが、たまらなく美味しいのです。
ちなみに、もし機会がございましたら、
Sarawakのブラックペッパーとホワイトペッパーをブレンドしたものを、
グラインドした瞬間、ぜひ鼻を近づけてみてくださいませ。
柑橘を思わせるフレッシュな鋭さと、
獣めいた野生の香りが、
鼻腔の奥でタンゴを踊るように立ち上がる。
朝の眠気に突きつけられる、小さな覚醒のナイフです。
そんなものを目玉焼きにかけ、
そこへポン酢をひと垂らし。
卵のまろやかさ。
油の丸み。
ペッパーのアクセント。
ポン酢の酸味。
それらが口の中で一瞬、
「朝食」という名の小さなカーニバルを開催するのです。
そう。
何か特別な賛辞を捧げたいほど、わたくしは卵を愛しております。
卵。
あまりにも日常的で、
あまりにも従順で、
あまりにも万能。
けれど本当は、
火と油と香りを与えられた瞬間、
驚くほど気高い顔をする食材なのです。
なのに。
なぜ、
「まぢ包丁とか握れなーい⭐︎ウケるー⭐︎」
みたいなテンションで生きている夫の目玉焼きのほうが、
わたくしのそれより美味しいのか。
なんかムッとする。
いや、かなり不満である。
オイルも同じ。
卵も同じ。
卵のロットすら同じ。
フライパンも同じ。
では何が違うのか。
考えられるのは、
火加減か。
オイルの量か。
わたくしは、全然なんでもない顔を装い、
ぶっきらぼうに夫へ聞きました。
「目玉焼きってさ、火力いくつで焼いてる?」
もちろん、下手に出るつもりはございません。
「先生、ご教授くださいませ!
目玉焼きの秘伝を!」
などと、目をキラキラさせて教えを乞うなんて、
わたくしのプライドが許さない。
心の中では、闘志のマグマが燃えたぎっている。
このままではキッチンが全焼する。
わたくしは絶対に、
夫より美味しい目玉焼きを作りたい。
いや、作る。
もうほとんどできていると言っても過言ではない。
だって、夫は包丁を握れない。
わたくしは、かろうじて握れる。
料理というか、
もはや料理とは呼べないけれど、
キッチンというテリトリーにおいて、
わたくしにはまだ、夫に対するアドバンテージがある。
あったはずでした。
そう思っておりました。
「えっ? 火力?
だいたい最初は4で、そのあと3かな」
4とか3というのは、我が家のIHの火力の強度のことでございます。
皆さまの料理人生に、
何ひとつ実用的な情報を提供できないことを、
ここに深くお詫び申し上げます。
「なるほど。4、3かぁ……」
わたくしは、
「今日はいい天気だね」
と同じテンションで、細心の注意を払いながら質問を続けます。
心の中の闘志がずっと強火であることを、
絶対に悟られてはいけない。
なぜなら、わたくしは、
出し抜く
という行為に、とてつもない快楽を感じる人間だからです。
常に水面下で動きたい。
水鳥のように優雅に見せかけ、
水面下では足をバタつかせる。
ただし、わたくしの場合、
その足音が少々うるさい。
そして、だいたいバレる。残念。
火力が4と3なら、同じだ。
コツはおそらく火力ではない。
とすると、オイルの量だな。
閃いた。
目玉焼きで勝つためのビクトリーロードが、
ここにはっきりと敷かれた瞬間でございました。
そして週末。
わたくしは見事、じゃんけんで負けたので、
本来なら、
ベッドの中で胸を張って朝寝坊していられる立場でございました。
冷蔵庫から食材を出し、
仰々しい器に乗せて、
「朝から一仕事いたしましたわ。」
みたいな顔をする必要すらない。
にもかかわらず。
わたくしは、やたらと重たい頭蓋骨パーツを首でなんとか支えながら、
ふらふらと階段を降りて、キッチンに吸い込まれていきました。
朝起きた瞬間から元気な夫は、
まさにフライパンを出して、目玉焼きを作ろうとしているところでした。
「お、デルタちゃんおはよう。まだ寝てればよかったのに。」
この男、
最初っから、目玉焼きに取り掛かっている。
初手から、油を熱しようと思えるところ。
まじで格の違いを思い知らされます。
わたくしなど、まずフルーツ。
次に野菜。
それから豆腐や納豆。
そういうなんとなく熱のなさそうな、
なんとなくエネルギーを奪われなそうな、
無害なものから始めて、
自分を騙し騙し動かして、
ようやくエンジンがかかってきたところで油に触れるというのに。
夫は違う。
初手から、ちょっといいオリーブオイルを掴みにいく。
そう。
この人は、料理だけではなく、
生きる中の選択でもこういうところがあるのです。
遠慮しない。
周りの目を気にして、
本当は欲しくないものを一度ジャブ的に挟んでから、
ようやく本命へ行く。
そんな助走を必要としない。
初めから目的にまっしぐら。
いきなり目玉焼き。
いきなり核心。
いきなり本丸。
人間として、少し眩しい。
そして少し腹が立つ。
勝手に格の違いを見せつけてくる。
夫は、
ちょっといいオリーブオイルを、
わたくしが
「まさかぶち込むなんてしないわよね?」と思う量、
平気な顔でぶち込んでおります。
まじか。
わたくしはキッチンで夫の背後霊のように、
若干の時差を生みながら、夫の残像をトレースしながら、
それでも横目でIHの上のフライパンの上の卵から視線を外しません。
目玉焼きのためのオイルは、
フライパン上で一秒一回転。
それが相場だったはずです。
しかし、わたくしの常識は通用しない。
この男、規格外。
戦ってもいないのに、
わたくしのHPのゲージがじわじわ削られていく。
もう目玉焼きを食べる前から、負けが始まっている。
しかし、わたくしは心を持ち直し、
心の中でこう言ってみる。
「そんな量のオリーブオイル、健康的ではないわね」
負け惜しみでございます。
非常に健康的な負け惜しみです。
目の前で、ドバドバイェーイ♪と油を入れ終えた夫が、
IHの火力を4にする。
そして。
おかしい。
夫はキッチンペーパーを手に取らない。
フライパン上を、それでぐるりと一周なぞらせ、
余分な油を均一に伸ばし、
「これはさながら氷上の妖精ね。
いや、パン上の舞姫だわ」
などと悦に入る儀式を、一切しない。
熱したオイルの上に、
そのまま卵をワイルドに割って、
パカッ、ドーン。
パカッ、ドーン。
パカッ、ドーン。
パカッ、ドーン。
四つ投入した。
キッチンには、
ジュー。ブクブクブクブク。
音が響き渡ります。
それは、タンパク質の変性を歌い上げるプレリュードであり、
もはや戻れぬ不可逆性へのレクイエムでもありました。
ねえ、許して。
こういうふうに言葉をこねくり回して誤魔化していないと、
わたくしはわたくしのプライドを保てないのです。
だって、
どうやらこの目の前の男は、
わたくしとは違う教科書を開いている。
このキッチンに、別流派の信仰を持ち込んでいる。
わたくしの教科書には、こう書いてある。
「余分な油は拭き取りましょう」
「朝は軽やかに始めましょう」
「美容と健康は、日々の小さな選択から」
一方、夫の教科書には、おそらくこう書いてある。
「油は、うまい」
「卵は、油で喜ぶ」
「朝から美味しいものを食べる者に、祝福あれ」
なんという雑な教義。
けれど、強い。
あまりにも強い。
なぜなら、夫の教科書は、
人体の奥深くに眠る古代の本能と直結しているからです。
脂はうまい。
熱はうまい。
香ばしさは正義。
こちらがスカルプケアだの、
酸化だの、皮脂だの、
16時間断食だの、筋トレ、カロリー制限だの、
食洗機VSサボった皿の汚れだの…
不要な油との格闘を通して、
現代人らしい悩みを細かく積み上げているあいだに、
夫は、卵を油に落とす。
ジュー。
その一音で、
わたくしの繊細な理論は、
朝の空気にふわりと蒸発していく。
頭では理解できます。
同じフライパンを前にしていても、
見えている世界が違うのです。
けれど。
認めたくはないけれど。
確かに夫の目玉焼きは、
美味しい。
くそッ。
なるほど。
なるほど。
体はこれを美味しいと言っている。
そりゃそうです。
人間の体は、狩猟採集民をしていた頃から、
そこまで劇的にアップデートされていない。
飽食の現代に、古代の体で生きているのです。
脂。
糖。
プロテイン。
この三つを前にすると、
人体はすぐに太古へ帰る。
洞窟の壁画が見える。
焚き火の匂いがする。
マンモスが遠くを横切る。
わたくしは、目玉焼きの卵しか見ていなかった。
卵が美味しいのか。
火加減がいいのか。
黄身の固まり具合か。
白身の香ばしさか。
そういうことばかり考えていた。
けれど、本当は、
体は目玉焼きを通して、
オイルのほうを美味しくいただいていたのです。
ポ・ン・コ・ツ。
この体、全然現代に合っていない。
だから放っておくと、
大きくなっていくのです。
ファットで。
いつになったら、現代向けの体に進化するのか。
ポケモンだって、もう少し環境に合わせて進化しますわよ。
それなのに人間ときたら。
「脂、うまい。蓄えろ」
で止まっている。
OSが古い。
アップデート通知が来ない。
しかも厄介なことに、
この古代の体はとても正直です。
そして、わたくしは敗北した。
夫の目玉焼きに。
オリーブオイルに。
古代の体に。
ファットという神に。
夫はただ、
迷いなく多めのオイルで卵を焼いている。
強い。
迷いのない者は、本当に強い。
いや、違いますわね。
迷わないのではない。
この人は、自分の欲しいものに対して、
妙な遠慮を挟まないのです。
目玉焼きを美味しくしたい。
なら、油を入れる。
紅茶を美味しくしたい。
なら、いい茶葉をたっぷり入れる。
その横で私はカロリー計算や、ティーカップ一杯分の原価計算をしている。
欲しいものへ、一直線。
その潔さが、
料理にも、生活にも、性格にも出ている。
そしてわたくしは、
その潔さに少し憧れ、
少し腹を立て、
かなり美味しいと思っている。
この複雑な感情。
すると、夫が言いました。
「デルタちゃーん、抹茶ラテ飲む?」
わたくし、マダムデルタ、
「えっ、飲む飲む〜⭐︎ やったぁ〜⭐︎」
即答。
私の体の全細胞に告ぐ!
総員、脂質接近。
しかし迎撃はしない。受け入れる。
ファットがやってくるぞー。
旧式の体を持つ者に、この誘惑は抗えません。
脳内では、快楽ホルモンがドバドバイェー♪し、
その代償は、だいたい腹まわりに粛々と積み立てられる。
緊急時用の備蓄脂肪。
その緊急時が、いっこうに来ないものですから、
こちらでわざわざ16時間断食をし、トレッドミルで傾斜をつけて、
人工的に緊急事態を演出しなければならない。
けれど…
夫の抹茶ラテ。
飲むに決まっております。
だって、この人の抹茶ラテは、
主婦のわたくしが、
「これは絶対に日常使いしてはいけない」
と心の金庫にしまい込む価格とグレードの抹茶を、
何の躊躇もなく大量にぶち込んで作る抹茶ラテなのですから。
美味しくないわけがないのですから。
人生は、”控えめ”で上品になる。
けれど、控えすぎれば、幸福の輪郭まで薄くなる。
人生には、ときどき
「ちょっぴり多め」という、卑怯な選択肢が、
しれっと置かれているらしい。
くそッ。
夫の目玉焼きは、今日も美味しい。