
1話め:ランドセルより先に背負った「患者家族」
プレッシャー世代(1982~1987年生まれ)
氷河期とゆとり教育のはざまで育った、どっちつかずの世代。
阪神淡路大震災、東日本大震災といった大きな災害を目の当たりにし、ガラケー、スマホ、ファミコン、PS、ニンテンドー……進化し続けるガジェットたちと共に成長。
世間からプレッシャーをかけられ、気づけばプレッシャーに強い世代と呼ばれるように(らしい)。
小学生の頃はファミコン、プレイステーションにたまごっちが登場。ドット絵がリアルになって、ぴこぴこの電子音が豊かな曲になって、RPGにCGシーンが登場して、ゲームは新作が発売されるたびに新鮮な驚きがあった。
10代半ばになるとmixiが流行して、学生時代はFacebookが、Twitterが「交流」のあり方を変えた。
中学生までは連絡網があって、「もしもし〇〇さんのお宅ですか?A学校何年何組の~~です。△さんとお話しできますか?」なんて電話をかけていたのに。
iPhoneと同い年の若者が「生まれてから劇的にアップデートされたものがない」と嘆いていたけれど、それと比べればプレッシャー世代は初登場!とともに育ってきた世代だ。
バブルを知っている両親と祖父母がいて、なんとなく今日よりも明日がよくなるのだろうと感じて生きてきた。
それと同時に、震災や世界規模のテロによってすべてがゼロになる感覚ももっている。
氷河期ほど打ち捨てられた感覚はないけれど、ゆとり教育から続くZ世代ほどさとりきれない。
わたしたちは、「はざま世代」とか「キレる17歳世代」とか、ほかにもいろいろな名称で区切られているらしい。
けれど、個人的な事柄から、「プレッシャー世代」がもっとも自分をあらわすのにしっくりくると感じている。
卒園式の少し前、園長先生にこう言われた。 「あなたはもうすぐ小学生になって、おねえさんになる。だからお母さんをよく助けてあげるようにね」
小さな私には、その言葉の重さがわからなかった。 だけど今、大人になって思い返すと、あれは“呪い”だったのかもしれない――
家族写真には、バンダナを巻く母が写っていることがある。
バンダナの下には髪の毛がない。
無菌室の前までお見舞いに行った回数:1回(幼すぎて記憶がない)
手術で切除した部位を確認した回数:3回
告知と手術説明を聞いた回数:9回くらい
お見舞いと病院付き添いの回数:数えきれないほど。
わたしの暮らしは現在進行形で患者家族として存在している。
もしもう一度選択できるとしても同じ道を歩むけれど、望んだわけではない。
これはそんな話。