【連載小説】エピローグ「マリー・ド・レ」 告白 ~Maréchal de France~
一四四二年、晩秋。
冷たい風が、墓石に落ちた木々の影を細く揺らしていた。
マリーは布に包んだ花を胸に抱き、初めて訪れる父の墓へ向かって歩いていた。
母は止めなかった。行くとも行かないとも言わず、ただ静かにマリーを送り出した。
墓地の入口まで案内してくれた従者は、少し離れた木のそばで待っていた。父の墓へは一人で行きたいと告げると、従者は黙ってうなずいた。
墓前には、先客がいた。
大柄な男が、風にはためく外套の裾にも構わず、墓碑に葡萄酒を立ったまま注いでいた。
男は空になった革袋の栓を閉じ、刻まれた名を見下ろした。
マリーの足音に気づき、男が振り返った。
「その墓に用か」
低い声だった。
マリーは花を抱いたまま、うなずいた。
男は何も聞かず、墓前を空けた。
マリーは男の横顔を見つめた。
「ここに眠っている人を、知っていたのですか」
「戦場ではな」
「お名前を聞いてもいいですか」
「エティエンヌ・ド・ヴィニョル。皆、ラ・イルと呼ぶがな」
その名を聞いた瞬間、マリーは顔を上げた。
「知っています。父とともに戦った、勇敢な騎士だと聞いています」
父という言葉に、ラ・イルはマリーの顔を改めて見た。視線が目元から頬へ移り、やがてわずかに目を細めた。
「……あいつの娘か」
「はい。マリーと申します」
ラ・イルは墓石へ視線を戻した。
「父は――悪いことをしました」
声にすると、ひどく冷たく響いた。
「ああ」
「父は、何人もの子どもたちを殺しました」
「ああ」
否定されなかったことに、マリーは少し驚いた。父のことを知る大人たちは、たいてい口を閉ざした。語る者も、「初めから人ではなかった」と、父を誹る言葉しか口にしなかった。
「母は、最初、父のことを悪魔と呼んだそうです。怖くて、憎かったと」
ラ・イルは黙って聞いていた。
「でも……ずっと憎んでいたわけではないと思います」
それは、母から聞いた言葉ではなかった。
母は、父を赦したとは言わなかった。仕方がなかったとも言わなかった。ただ、幼いマリーに、父はお前を愛していたのだと伝えた。
城を去った日のことも覚えている。窓から手を振る自分の隣で、母は前を向いていた。けれど馬車へ乗る前、一度だけ父を振り返った。何かを言いかけて、何も言わずに唇を閉じた。
「母は、私を守るために父のもとを離れました。父のそばにいたら、私の未来まで奪われてしまうからと」
ラ・イルは何も言わなかった。
「それでも母は、父が帰ってくるのを待ち続けていました」
風が吹き、マリーの髪が頬へかかる。
「母は、父を愛していたのだと思います」
口にしてから、マリーは唇を結んだ。
愛していたなら、なぜ去ったのか。去ったのなら、なぜ振り返ったのか。
今なら分かる。どちらも母の本当だったのだ。
愛していても、離れなければならないことがある。
愛していても、許してはならないことがある。
ラ・イルが墓石へ視線を戻した。
「俺には、夫としてのあいつは分からん」
「はい」
「父親としてのあいつもな」
マリーは頷いた。
「では、騎士だった父のことは知っていますか」
「よく知っている」
返事は短く、重かった。
「ジェハンヌ様は、父を信じていたのでしょうか」
ラ・イルはしばらく答えなかった。遠くで枝が触れ合う音がした。
「戦じゃ、背中を預ける相手を選ぶ」
マリーは顔を上げた。
「ジェハンヌは、お前の親父には背中を預けていた」
マリーは、すぐには何も言えなかった。
胸の前で、花を包んだ布を握り直す。
ラ・イルはしばらく、そんなマリーを見ていた。
「お前は、あいつをどう思っている」
マリーは墓石へ目を落とした。
「父のことは……」
続きは出てこなかった。
ラ・イルはそれ以上、尋ねなかった。
「風が強くなる。長居はするな」
ラ・イルは墓石を一度見て、背を向けた。足音はやがて風の中へ消えた。
マリーは墓の前へ進んだ。しゃがみ込み、抱えてきた花を墓石の下へ置く。風にさらわれないよう、茎を包んだ布の端を小さな石で押さえた。
刻まれた父の名へ、そっと指を触れる。
罪を犯した人の名だった。母が悪魔と呼んだ人の名だった。それでも、母が振り返った人の名だった。ジェハンヌが背中を預けた騎士の名だった。
同じ名が、墓石に刻まれていた。
顔を上げると、墓の向こうの草原に、二頭の馬が並んでいるのが見えた気がした。一頭には父がいた。もう一頭にはジェハンヌがいた。
二人は肩を並べ、遠い地平を見つめていた。風が草原を渡ると、ジェハンヌがゆっくりと父へ顔を向けた。
その瞳には、戦場で背中を預けた者だけに向ける、揺るぎない信頼が宿っていた。
まばたきをすると、草原には風に揺れる草だけが残っていた。
胸の奥で、固く結ばれていた何かが、静かにほどけていく。
マリーは立ち上がった。
「また来ます。お父様」
花だけが、父の名の下に残った。
エピローグ 了
告白 ~Maréchal de France~ 完
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本編小説「ジャンヌ・ダルクの残心」
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