
言葉にすると、何かが変わってしまう。
最近、ずっと頭の中で考えていることを、書き留めておこうと思います。
「世界はゲームなのかもしれない」というテーマで記事を書き始めてから、気づけば5本になりました。
書いている間は、「これでだいぶ整理できたな」と思っていました。
でも、5本を書き終えて読み返したとき、ふと違和感が残ったんです。
——何か違う。
書きたいことは、ちゃんと書いてあります。
論理も間違っていないと思います。
それなのに、一番伝えたかったものだけが、文章の中に残っていない気がしたんです。
最初は、「もっと長く書けば伝わるのかな」と思いました。
逆に、「もっと簡潔に書いたほうが読みやすいのかな」とも思いました。
でも最近、この悩みは文章の長さの問題ではないことに気づきました。
たぶん、もっと根本的なところに理由があります。
私の頭の中では、一つひとつの考えは独立して存在しているわけではありません。
ある考えが別の考えにつながり、その先でまた別の考えへと広がっていく。
それぞれが複雑につながり合って、一つの大きな構造になっています。
だから私は、その全体を一度に見ています。
でも、文章は違います。
文章は一文ずつしか書けません。
一段落ずつしか進めません。
読む人も、一文ずつ、一段落ずつしか読めません。
つまり、本来は立体で存在している思考を、一本の線へと並べ替えなければならないんです。
その瞬間に、どうしても何かがこぼれ落ちます。
だから書き終えたあとに、
「いや、そういうことじゃないんだよな。」
そんな気持ちになることがあります。
頭の中にあったものは、文章になった瞬間に、もう少し違うものになってしまう。
近づけることはできます。
でも、完全に同じものにはなりません。
その小さなズレが、ずっと気になっています。
考えてみれば、それは当たり前のことなのかもしれません。
言葉は便利です。
でも、言葉は思考そのものではありません。
頭の中にあるイメージや感覚、まだ言葉になる前の「何か」を、そのまま文章へ移すことは、とても難しいことなんだと思います。
だから私は今も、「どう書けばもっと伝わるんだろう」と考え続けています。
書けば書くほど、文章は少しずつ上達していくのかもしれません。
それでも、この違和感はなくならない気がしています。
でも、それでいいんです。
私は完成された答えを書き残したいわけではありません。
そのとき、そのときの自分が何を考え、何に違和感を覚え、どうやって世界を理解しようとしていたのか。
その過程こそが、私にとって一番残したいものだからです。
もしこの世が本当にゲームだとしたら。
私たちがこの世界に存在した証は、積み重ねてきた思考そのものなんじゃないかと思っています。
だから私は、これからも考え続けた跡だけは、ちゃんと残していきたい。
たとえ、そのすべてを言葉にはできなかったとしても。