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インドに赴きたる記④乗るか乗らぬか、一世一代の賭け

ホテルを発ち、タクシーにて駅へ向かった。アグラからバラナシへは寝台列車にて移動する手筈であった。切符はあらかじめ買い求めておいた。寝台列車なるものに乗るのは生まれて初めてのことで、吾輩は内心これを楽しみにしておった。

ところが、である。タクシーがやけに遅い。

安全第一な運転なのか何なのか知らぬが、悠長に構えておる場合ではない。時計を見る。地図アプリを見る。残り時間と残りの距離を、何度も指で確かめる。間に合わぬ。いや、間に合わせねばならぬ。運転手に急いでくれと頼み込むが、速度は一向に上がらぬ。車内に流れる空気だけが、じりじりと焦げつくようであった。

インドの電車は遅れるというのが専らの噂である。だが、思えばアグラへ向かった折の電車は定刻通りに来た。あれが例外でなかったとすれば――間に合わなんだ場合、吾輩はただこの異国の駅に、途方に暮れて立ち尽くすよりほかあるまい。

出発時刻ちょうどといった頃合いに、ようやく駅へ着いた。タクシーの扉を蹴破るように飛び降り、吾輩は全力で駆け出した。

何番ホームかも分からぬ。どの電車かも分からぬ。構内に溢れる人波をかき分けながら、ただがむしゃらに走る。息が切れる。心臓が早鐘を打つ。

と、そのとき。ちょうど走り出さんとする一本の電車が目に飛び込んできた。それがバラナシ行きかどうかなど、知る由もない。だが、迷っている暇はない。吾輩はその電車目がけて走った。

インドの電車というのは、走っておる最中でも扉を開けっ放しにしておくものらしい。目の前を、開いたままの扉がゆっくりと流れていく。しばらく、電車と並んで走る形になった。息はもう上がりきっておる。

本当にこれはバラナシ行きか。もし違ったらどうする。乗るべきか、乗らざるべきか――頭の中で問いと答えがせめぎ合う。電車はじわりと速度を上げ始めておる。猶予はない。


乗れ。


行き先の分からぬ電車に乗る方が、この駅に置き去りにされるよりはまだマシというものである。吾輩は開いた扉めがけて身を躍らせた。

転がり込むようにして乗り込んでから、周りの乗客にこの電車はバラナシへ行くかと尋ねてみた。


「ああ、行くよ」


よかった。全身の力がどっと抜けていく。数秒前、まだ走る電車の脇で逡巡しておった自分に、心底感謝した。一世一代の賭けに勝った吾輩は、ようやく息を整えながら、自分の席を探すことにした。



ほどなくして見つけた区画には、二段ベッドが二組向かい合わせに据えられておった。とりあえず上段を陣取る。向かいのベッドにはスウェーデン人の夫婦がおった。互いにこれまでのインド旅での苦労話に花を咲かせておると、そこへもう一人の乗客がやって来た。見れば、なんと日本人である。「こんにちは」と、久方ぶりに日本語を口にした。聞けば、大学の卒業旅行として一人でインドまで来たのだという。しばし雑談を交わし、吾輩はそのまま眠りにつくことにした。

ベッドには毛布が二枚、枕が二つ置いてあった。夜は冷えるらしいが、まだそれほどでもない。吾輩は毛布を一枚だけかけて目を閉じた。

どれほど眠っただろうか。ふと目が覚めた。寒い。先ほどまでとは比べ物にならぬ寒さである。もう一枚の毛布を引っ張り出し、くるまるようにして身を縮めた。

しばらくすると日が昇り始め、周りの乗客たちももぞもぞと動き出す。どうやら、もうすぐバラナシに着くらしい。初めての寝台列車であったが、案外あっけないものであった。ほとんど眠っておったので、電車に揺られておった時間はあっという間であった。

電車が止まり、吾輩はベッドから下りた。あの日本人大学生も、すでに起きておった。ガクガクと震え、ひどく寒そうである。ぞろぞろと皆が電車を降りていく。「ではまた、どこかで」と、日本人大学生とも別れを告げた。

そこでふと思い出す。吾輩のベッドには、枕も毛布も二つずつあった。いくら冷えたとはいえ、あの大学生の震えようは尋常ではなかったではないか。もしや吾輩は、彼が使うべきであった毛布と枕まで、まるごと占領してしまっておったのではあるまいか。

そう気がついた途端、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。あの寒さを毛布なしで乗り切るのは、さぞ辛かったであろう。すまぬ、すまぬ、すまぬと、心の中で彼に詫び続けながら、吾輩は駅からとぼとぼと外へ出た。

第五話 世界の底を見る


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