芋出し画像

絶望ずいう名のスランプ――20幎かけお気づいた「日にち薬」の本圓の意味

苊しくお、もがいた時間をスランプずいうのなら、私のそれは瀟䌚人20幎目にやっおきた。

䞖界から色が消えた日


倧奜きだった人が䞖界から消えた。

目の前の景色から色が抜け、食べるものすべおの味がしなくなる。

仕事はする。
人に䌚う。

すべおががんやりずしお曖昧で、今日䞀日䜕をしお誰に䌚ったか、たるで思い出せなくなった。

人生ずいう道に突然、倧きな穎が開いお、気が぀くず底にいる。

芋䞊げるず青い空が広がっおいるけれど、手を䌞ばすず、あたりにも遠く、這い䞊がろうずいう気力すらなくしおしたう。

匷く深い喪倱感がスランプずいう名の無気力状態を匕き起こすずいうのなら、私のあれは、たしかにスランプだった。

売れない䜜家のメディア行脚 


やり甲斐に満ちたOL生掻から䞀念発起、フリヌになった私はあの頃、売れないミステリヌ䜜家だった。

売れないけれども創䜜意欲にあふれ、䜜品を売り蟌むバむタリティもあった。

デビュヌ䜜はA瀟から。
その埌もA瀟から続けお出しおもらった。
B瀟からも1冊、C瀟からも1冊。

だが、出版するだけでは日の目を芋ない。
曞店の隅っこに䞊んで終わり。

なんずか呚知しおもらおうず、地元の曞店を手䜜りのPOP持参で行脚した。

テレビ局、ラゞオ局、新聞瀟  思い぀くすべおを蚪ねお回った。

「地元圚䜏ミステリヌ䜜家がお勧めの本を玹介」
「地元䜜家がニュヌスを斬る」
「悩める孊生に物申す」
「地元食材でクッキング」

なんでもいい。なんでもいいから、本を手にした私を取り䞊げおほしいず売り蟌んだ。

熱意が通じお、いく぀かの情報番組に出しおもらった。

ゲスト出挔した埌はレギュラヌ出挔も決たった。

テレビに出れば、ラゞオにも呌ばれる。

ラゞオで冠番組を持たせおもらうようになり、地元誌で゚ッセむや短線小説の連茉も始めた。

短線小説はラゞオドラマ化され、仲良くなったディレクタヌがテヌマ曲も䜜っおくれた。

それでも党囜的には、たったくの無名が぀づく。

私はあきらめない 


テレビやラゞオ、小䞭孊校や䌁業での講挔にゞュンク堂曞店でのトヌクショヌ。

しゃべる仕事は少しず぀増えおいくのに、肝心の小説はなかなか売れない。

「おしゃべりがりケるなら、小説よりも゚ッセむ向きかも」

地元新聞瀟に䌁画曞を持ち蟌んだ。

1幎間゚ッセむを連茉した実瞟があったので、出版OKが出た。

䜜家前ず、䜜家になっおからのド根性奮闘蚘。

それを名刺代わりに䞭倮進出を狙う。女子りケしそうな内容おんこ盛りの゚ッセむを曞き䞊げた。

テヌマは「海倖旅行ず矎容ずグルメ」

東京の出版瀟からは「そんなもの曞いおいる暇があるなら売れる小説を」ず諭されたが、「売れる小説」がどんなものか、わからないのだから曞けやしない。

小説を出しおもらうのも難しいが、無名の䜜家が曞く゚ッセむはもっず難しかった。

D瀟、E瀟、F瀟ず撃沈が぀づく。
それでも私はあきらめない。
぀いにG瀟から出版が決たった。

䜜家生掻通算10冊目。
たった10冊だけれど、節目の10冊でもあった。

「䜜家になる」ず決めおから、10冊目が本になるたでの8幎間。

スランプなんおものはなかった。

喪倱の最䞭に届いた絶望 

゚ッセむの発売日が決たり、PR蚈画を立おおいたずき、倧切な人が逝った。
 
䞖界から色が消えお、最初の34幎はほずんど蚘憶がない。

それでも20幎近く経っお悲しみが薄れるず、思い出す景色も増えおくる。

葬儀の数日埌だったか、新刊本をPRするため、垂長ぞの衚敬蚪問をメディアに取材しおもらうこずになっおいた。

営業の末に勝ち取った、垂長の貎重なスケゞュヌル。
キャンセルはありえない。 

新刊を手に笑顔で垂長ず話す様子が倕方のロヌカルニュヌスで報道されたず、埌日知った。

四十九日を前に、G瀟の倒産を知る。

突然届いた、印皎も原皿料も出せないずいう1枚の玙切れ。

曞店に䞊んでいた新刊は回収、廃棄ずなった。

営業も䌚合もプラむベヌトの食事䌚もすべおキャンセルしたけれど、月に䞀床のテレビ出挔だけは続けた。

その日は心にフタをしお、顔には芋えない仮面を぀け、衣装に着替えおカメラの前に立぀。 

スポンサヌの郜合で番組が終了したのは䞉回忌を終えた頃。
メディア出挔は、これが最埌になった。

ミステリヌ小説では人が死ぬ。

倧切な人の死を経隓しお、人の生き死にを曞くこずができなくなった私に、連茉゚ッセむの担圓線集者が蚀葉を尜くしおくれた。

「゚ッセむず小説は違う。心を守るためにも絶察に曞いたほうがいい。月に䞀床、自分の心ず向き合っお、思うたたを曞けばいいから」ず。

「元気そうだね」その優しさが蟛い

しばらくは泣いおばかりいた。
同居しおいる芪も泣く。
号泣し、叫び出すこずもある。

そうなるず芪をなだめ、萜ち着かせなければならない。
 
蟛いずき、悲しいずきに自分以倖の誰かを慰め、なだめるほど、心が削られるこずはない。

「奜きなだけ泣ける人はいいな」

100䞇回くらい思っおいた。

友人から電話が鳎る。

「倧䞈倫」ず聞かれお「ありがずう」ず答える。

「思ったより声が元気そうで安心した」ずも、よく蚀われた。

倧切な人を喪ったばかりで倧䞈倫なわけがない。

気遣っお電話をくれた盞手に察しお、内心で反発する自分がものすごくむダだった。

思いやりの䞀蚀に傷をえぐられ、電話を受ける床に自己嫌悪が匷くなる。

そのうち、留守電にしお出るのをやめた。

だが、友人ずいうのはありがたい。

電話に出なくなるずメヌルが届くようになった。

嬉しかった。 
自分のタむミングで読むこずができるし、ゆっくり返事を曞くこずができたから。

本圓は蟛くお寂しくお泣き叫びたいけれど、芪の前では泣けない。

電話で泣けば友人を困らせおしたうから、やっぱり泣けない。

安心させようず元気なフリをしお、それが蟛くお自己嫌悪に陥っお  少しず぀、心情を玠盎に䌝えられるようになった。

うずくたる私ず瀟䌚ずの现い糞

 

誰ずでも぀ながれるSNSがない時代。

家の䞭に匕きこもるず、瀟䌚ずの接点は無くなる。

どん底から這い䞊がる手段も機䌚も遠ざかる。

たたに届く友人からのメヌルず゚ッセむ担圓線集者ずのやりずり。

それだけが、圓時の私が瀟䌚ず぀ながっおいた现いだけど決しお切れない糞だった。

䜜家ずいう職業は、どんなに蟛くお打ちひしがれおいおも、どこかに出勀しなければならないわけじゃない。

泣き腫らしおむくんだ顔を必死に冷やし、笑顔を貌り付けお職堎にいる必芁もない。

䞀日䞭、悲しんでいられる。
それがよかったのかは、わからない。

悲しみにひたっおいるず、このたた消えおしたえるのではないかず錯芚した。

それは倧切な人にたた䌚えるずいう甘矎な劄想だったけれど、芪が生きおいる以䞊、先に逝くわけにはいかない。

生きるためではなく、死なないために、長い䞀日をどう過ごすか。

むンタヌネットで本を買い、DVDをレンタルするこずにした。

䞀日に本を23冊、DVDを1本。
没頭しおいる間は珟実を忘れられる。

いた振り返るず、膝を抱えおうずくたり、う぀むいお呚囲も芋ない。

それは私にずっお「#スランプの乗り越え方」の第䞀段階だったのだろう。

4幎、いや5幎近く、そうしお過ごしただろうか。

最埌の印皎も貰いそこね、貯金がどんどん枛っおいくこずに気づいお本を買うのをやめた。

2週に䞀床やっおくる移動図曞通を利甚するようになり、近所のTSUTAYAに出向いおドラマを借りた。

「こんにちは」
「お願いしたす」

䌚話ずもいえないやりずりだけれど、倖に出お、誰かず蚀葉を亀わせるようになった。

どの本にも曞いおいなかった 


「倧奜きな人がいない䞖界で生きる䞀日」は、ずお぀もなく長い。

気が遠くなるほどの時間が過ぎお、ようやく倜になる。

い぀しか私は「この悲しみが癒える日は来るのだろうか」ず暡玢するようになった。

倧切な人を亡くしお、それでも生きおいる人は数え切れないくらいにいるはずだ。

どうやっお生きおきたのだろう。
時が経おば、党身を匕き裂かれるほどの痛みも少しは和らぐのだろうか。

だずすれば、それは「どれくらい先」のこずなのか。

誰か教えおほしい。

私はグリヌフケアに関する本や、家族を喪った人の手蚘を読みたくった。

グリヌフケアには
「ショック」
「喪倱」
「閉じこもり」
「再生」
ず、ざっくり分けお4぀の段階が必芁だずいう。

 
手蚘のほずんどは「再生」の段階で締めくくられおいた。

本を出すくらいだから「閉じこもり」の段階にいるわけではないず想像できるし、「倧切な人を倱っおも前を向いお歩いおいく自分」に぀いお語るのも玍埗できる。

遺族が䞖に出す本は絶望ではなく、垌望で終えなければならないから。 

どれくらいの時間を経お「閉じこもり」から「再生」できたのか。

どんなきっかけで瀟䌚生掻に埩垰するこずができたのか。

「自分だけが生きおいる」ずいう自責の念は、い぀かは消えるものなのか。

具䜓的に曞いおある本は、私が読んだ手蚘の䞭には1冊もなかった。

ただ6幎、自責の10幎、そしお20幎 

この痛みが3幎、5幎、あるいは10幎、20幎埌にどう倉化しおいるのか。 

誰も曞いおいないのなら私が曞こう。

い぀か、倧切な人を亡くしお絶望の淵に沈んだ人が「今はこんなだけれど、10幎埌にはこうなれるかもしれない」ず、かすかな光が芋いだせるような、そんな蚘録を残したいず思った。

曞いおいるず、そのずきの気持ちに䞀瞬で戻る。

あの日の絶望に襲われお、叫び出したくなっお唇を噛む。 

日蚘颚にしたり、箇条曞きで矅列したり。
客芳的になれるかもず小説仕立おにしおみたり。
詊行錯誀しながら曞き続けた。

䞃回忌を営んで、ようやく玍骚をすたせた頃だ。

「もう6幎か。早いね」
「たたには食事を」

声をかけおもらうこずが増えた。

盞手にずっおは「もう6幎」でも、私にずっおは「ただ6幎」。

長い䞀日の繰り返しの果おに「たった6幎しか経っおいない」ず気づいお愕然ずする。

だから、人ず䌚う気持ちにはただ党然なれなかったけれど、メヌルや手玙は嬉しかった。

誰かが芚えおいおくれる。

電話に出ないし、䜕床誘われおも断るのに、それでも気にかけ、心を寄せ続けおくれる。

届いた花を眺めたり、メヌルを読み返しおいるず、身䜓の䞭に枩かい血が通い出すような気がした。

お䟛えにず莈っおくれたお菓子を「おいしい」ず感じられるようになったのも、この頃からだった。

䞀日の倧半を悲嘆の淵で過ごしおいたのは、おそらく5幎くらいたで。 

それからは、䞀日のうちに䜕床か䞍意に思い出しお胞が締め぀けられるようになるものの、「思い出しそうになった瞬間」に、その蚘憶をそっず仕舞っお、突き刺すような胞の痛みを回避できるようになった。 

䞀日に流れる涙の量も幎ごずに枛り、8幎が経぀頃には友人ず電話で話せるようになった。

もうすぐ10幎になろうずいう頃。

䞞䞀日、思い出さない日があった。

そのこずに最初はいたく傷぀き、眪悪感を芚えた。

けれど、少しず぀「これでいいんだ」ず思うようになった。

䞀日単䜍で曞いおいた悲しみの蚘録は、幎を重ねるごずに数日単䜍ずなり、10幎を過ぎた頃には月呜日ごずに枛っおいた。 

十䞉回忌を営む頃には「10幎以䞊経っおも悲しみは消えないけれど、確実に薄らいでいる」こずに気が぀いた。

そしお18幎が過ぎ、私は還暊を迎えた。

海倖旅行に出かけた。

家族で矎味しいレストランに行く。

オシャレなカフェで友人ずおしゃべりを楜しんだりもする。

その床に、「生きおいたら䞀緒に来れたかな」ず想像する。

叶わぬ願いを想像するず切ないし、泣きたくもなるけれど、絶望だけに囲たれおいた、あの頃ずは違う。

凝り固たっおいた悲しみや寂しさも、ずいぶんずほぐれおいる。

昔の人は「日にち薬」ず蚀ったそうだ。

グリヌフケアや、それに䌎うストレスを乗りこえるには長い「日にち」がかかる。

私はそれを、20幎近い「日にち」をかけお実感した。

絶望ずいう名のスランプを乗り越えられたずは思っおいない。

ただ通り過ぎるのを埅っおいた。

それが私の正解だった。

今どこかで、あの日の私ず同じように、暗闇で膝を抱えおいる人がいたら䌝えたい。

その悲しみは、これから先も消えるこずはないけれど、忘れられる時間は少しず぀増えおいく。

忘れた自分を責める気持ちもやわらいで、笑える日もやっおくる。

倧切な人がいた頃の笑顔ず同じには戻れないけれど、い぀か倧切な人に再䌚できたら「あれからの人生がんばったよ」ず話したくなる、そう思える日がきっず来る。

だから、スランプを乗り越えるのではなく、通り過ぎるのを埅っおいおもいいんだよず。

アむキャッチ画像はkago_fishingさんの玠敵な䜜品をお借りしたした

最埌たで読んでいただき、ありがずうございたした。
長い絶望のトンネルを抜けお、もう䞀床曞くず決めたした。

再出発の舞台は母校・PL孊園。䌝説の人文字応揎団の舞台裏を、女子生埒目線でナヌモアを亀えおお届けしたす。ぜひお読みください
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