『VRChatterはnoteとかいう偽物の創作をやめて本物の創作をやれ』👈え❓
はじめに
面白い記事があったので紹介したい。
1000文字にも満たない記事なのですぐ読める。ぜひ読んでみてほしい。
記事の主張を簡単に要約すると、こうだ。「VRCにおける創作とは、アバターやワールドなどのVRC内で実用価値がある作品を生み出すこと。noteやツイートではその価値が生まれないので偽物の創作。Blenderを学んで正しい創作の道を歩め!」
とんでもなくラディカルではあるが、こういう言説は決して珍しくない。ここでは記事の主張を抽象化しつつ、ここに見られる問題を考察していこう。
この手の記事に触れると、つい「noteは実用価値を伴わないとしても、コミュニティに寄与している」と反論したくなるかもしれない。だが、ここで一度立ち止まって考えてほしい。
実は、創作はコミュニティに寄与しなくても🆗
なのだ。
「noteは実用価値は伴わないとしてもコミュニティに寄与している。」
この反論は、一見するとまともな擁護に見える。言語化によって文化を深めたり、議論の土壌を作ったりすることは、広義の意味でコミュニティへの貢献と言えるからだ。
しかし、この反論には致命的な罠がある。
それは、「創作物はコミュニティの役に立たなければならない(実用的でなければならない)」という相手の土俵に、自ら上がってしまっているという点だ。
考えてみればわかる話だが、そもそも創作の価値は実用性とイコールではない。これはVRCに限らずだ。坂口安吾がエッセイを書いたからと言って、その文章が直接的に社会問題を解決しない。なら、『堕落論』は「偽物の創作」なのだろうか?まさか、そんなはずはない。
また、「VRC内で実際の効能が得られる」という線引きも曖昧だ。おそらく、日本のVRCコミュニティに最も大きな影響を与えた創作者は、Youtuberのスタンミ氏であろう。だが彼はBlenderもUnityも触っていない(いや、触ってるかもしれんけど。それがメインコンテンツではない)では、彼の動画は「偽物の創作」なのだろうか?そこらのアバター作者が束になっても呼び込めない規模のプレイヤーを引き込んだのに?
「VRC内で使えるもの以外を創ることは正しくない」とは、結局のところ3Dモデラーのポジショントークに過ぎないのではないか?
これは広くオタクコミュニティに蔓延する宿痾であると、筆者は考えている。「創作とはコミュニティに寄与するモノ。だから創作者は尊い」という考え。この論理がまかり通るとどうなるか。「コミュニティに寄与しない創作」は無駄とみなされ、「コミュニティに寄与しない人間(消費者)」はタダ乗りする寄生虫(フリーライダー)として蔑まれることになる。
我々はいつから、オタクコミュニティというライン工場の従業員として、生産性や貢献度で査定されるようになったのだろうか?
繰り返すが、創作の価値は実用性ではない。「自分が気持ちよくなるため」「ただ面白いから」のような理由は、充分に創作の価値を担保し得る。
とはいえ、筆者は「創作は創作だから尊いのだ」というようなことをヌカすオタクも好きではない。カスの創作はカスの創作だからだ。ただ、それはジャンルに貴賤があるという意味ではない。貴賤が生じるとすれば、それはジャンルの内部においてだ。実用性部門の方々は、どうかそちらで存分に頑張っていただきたい。

創作物は、無条件で尊いわけでも、無条件で尊くないというわけでももないのだ。当たり前だが。
そもそも
引用元記事の筆者は、発端になったなるがみ氏のツイートが正しく読めていないのではないか、という疑問もある。元記事ではこう述べられている。
nlgm師が仰るとおり、正しい創作とは感情を文字情報に変換することではない
なすすきと申します より
引用されているツイートはこれらである。
無料だし、誰も利用を強制していないし、不満があるなら誰でもコミュニティでもワールドでもアバターでも作ることができる「特権なし」の環境がVRChatの良いところだと思う。
— nalgami (@nalgami_vrc) November 17, 2025
怒りのような本能に近いパワーほど創作に回すと凄まじいから記事やポストで消化してしまうのはもったいないなといつも思う。
僕はこれを「怒り駆動開発」と呼んでいる。
— nalgami (@nalgami_vrc) November 17, 2025
僕が作ったサービスのほとんどは理不尽や筋の通らないことに対する怒り由来のもの。
特にVRChatなら多くのクリエイティブがワンマンで作られている。協力者も最初はいらない。
良くない文化と思うなら自分が文化作ったる!の気概でやってこう!
noteの記事もポストも書くこと自体は十分に創作活動だと思うけど、せっかくVRChatの中で生まれた感情だからVRChat内の創作(コミュニティや作品)として消化して欲しいなという個人的感情。
— nalgami (@nalgami_vrc) November 17, 2025
まあ、おそらく悪口本舗氏から始まった一連の流れへの言及であろう。氏の主張は要約するとこうだ。「VRC内で生まれた感情はVRC内の創作として消化してほしい」「せっかく自分で色々できる環境なのだから、不満は自分の手で解消しよう」
「noteの記事もポストも書くこと自体は十分に創作活動だと思う」となるがみ氏は述べている。彼はあくまで「怒りという高エネルギーな感情を、VRChat内のコンテンツ(コミュニティや作品)に昇華したほうが、より『凄まじい』結果を生むのになあ」という、一種の「もったいない精神」と「個人的な願望」を語っているに過ぎない。
なるがみ氏はこうも述べている。「良くない文化と思うなら自分が文化を作ったる!の気概でやってこう!」ここで重要なのは、文化を作る手段は必ずしもUnityやBlenderである必要はない、ということだ。というか、VRCコミュニティに文句があるのに、アバターを作ったって仕方ない。Blenderで頂点を移動させても、Unityでパーティクルを飛ばしても、解決できない問題はこの世界に山ほどある。
実際、言及された悪口本舗氏はどうだったか。彼は不満をnoteにぶちまけることで、結果として自分の居場所を見つけた。その過程に腹を立てている人間こそいるが、少なくともミクロで見れば、それは「正解」のムーブだったのだろう。もし彼が「偽物の創作」であるnoteを書かなければ、彼は孤独にVRChatを去っていただろう。
そしてなにより重要なのが、彼が見つけた「自分の居場所」はVRCnote書きのコミュニティだったのだ。
VRC内で生まれた感情を元に、VRC内にコミュニティを作っているnote書きたちは、少なくともなるがみ氏の言うところの「もったいない」には当たらない。
しかし、件の記事の筆者にはそれが見えていない。「1ポリゴンの価値もない」と切り捨てたそのテキストが、誰かの居場所を作り、誰かのVRCライフを救っているという事実に、彼は気づかない。
終わりに
我々人間に、何に実用性があり、何が役に立つのかを完全に測ることなどできない。たまたまタイムラインに流れてきたツイートが、誰かの人生を大きく変えることもあるだろう。noteの記事が、行き場のない誰かの受け皿となり、コミュニティを形作ることもあるだろう。
そうでなくとも、何かを創ることで気が晴れるかもしれない。一人ぐらい友達ができるかもしれない。それらは紛れもない「価値」だ。
目先の実用性以外の「価値」は、確かに存在する。自戒も含めて、それを忘れないようにしていきたい。